土日(5)
 さて、三島家の人々の食事も終わり、女性三人のちょっとした雑談ののち、やおら喫茶アルトバーベキュー大会の準備が始められた。ランチちょい前から夕方、日が暮れる頃までダラダラやってりゃ良いだろうという素敵な計画である。
「美月さん、バーベキューコンロ、この辺で良い?」
 コンロに炭を敷き詰め、貴美が尋ねると美月がドアからひょっこり顔を出し、「いいですよ〜」と気楽に答える。今日の分担は美月が食材下ごしらえで貴美がそれ以外、そのため、貴美は制服こそ着ているが足元はスニーカー、手には軍手と完全装備だ。
 そんな貴美は、美月の返事を満足そうに聞き、隣でその仕事ぶりを眺めていたたぬ吉に視線を動かす。そして、彼女はごくごく当たり前のように言った。
「じゃぁ、たぬちゃん、火」
「私はマッチじゃありませんっ! 狐舐めると七代祟りますよっ!?」
 軍手に包まれた指が炭を並べたバーベキューコンロを指し示す。指し示した指にたぬ吉は噛みつきかねない勢いで牙を向いた。
 学祭での一件の後、哲也はたぬ吉が化け狐で稲荷のお使いをやっていることを二研の部員たちに話した。元々馴染んで居たのが良かったのか、むしろ『帽子の下はハゲ』と言う想像に比べれば狐耳ぐらいどうということがなかったのかは解らないが、ともかく、二研では「可愛いし、おもしろいから、まっ、いいや」で受け入れられていた。貴美や美月、良夜、直樹に至っては「アルトがいるんだしなぁ〜」的なノリである。一番受け入れなかったのは──
「絶対に付け耳と付け尻尾に決まってるわ! 神様なんているはずないもの!」
 と、頑固に主張していた妖精さんと言う有様。バレたら大騒ぎと内心戦々恐々としていた哲也にとっては福音だったのかもしれないが、逆に受け入れられ過ぎて、たぬ吉には困ることも合った。
「私はJAFの代わりに閉じ込めちゃった鍵を開ける係でもなければ、ガスバーナーやバーベキューコンロの種火でもありませんっ!」
 そう言って彼女はプイッ! とそっぽを向く。腕組みをし、顔を背ける態度、明らかなる拒否の姿勢が感じられた。
 彼女にはいくつか便利な特技を持っている。狐火を出せる、どんな鍵でも一発で開けられる、この二つ。非常に便利だ。特に、哲也が所属する二研やその二研と関係の深い四研では非常に多用され、その度に彼女はこう言って拒否していた。
「狐舐めると祟りますよっ!?」
 くわっ! と大きく開く口、根が食肉目らしく、その口内には二本の牙が鋭く光る。扱いを知らぬ人間ならば──基本怖がりの貴美ならば特に、ビビること請け合い。
 が、扱いを知る者に、それは通用しない。
「肉、食べさせないよ?」
「着けますっ!! コンロごと焼いちゃえば良いんですかっ!?」
 威嚇していた事も忘れ去り、彼女はバーベキューコンロへと駆け寄る。そして、数秒後には──
「着きました! お肉、くださいっ!」
 飼い主に餌をねだる子犬の顔をして、彼女は貴美の元へと帰ってくる。
『食えるときに食え』
 それが野生のルール、狐もまた、そのルールにしたがって生きていた。
 そして、それを遠くから見守る三島美月さん……
「ファンタジー分が……ファンタジー分が足りません……やっぱり、私にはアルトしか……」
 妖精さんには負けるが、狐も立派なファンタジー分、彼女はそう思っていた。思っていたのにふたを開けてみれば野性の王国。せっかくの『目に見える』ファンタジー分が全然ファンタジーじゃないことに、彼女はさめざめと泣いていた。

 と、言うわけでファンタジー分多めであるはずの妖精アルトちゃん。只今の彼女は──
 サバイバーだった。
「今、手元にある道具はテフロンが剥げちゃったフライパン、とっくに湿気てる炭、和明が隠し込んでたマッチ、美月の赤点答案用紙、美月が置き忘れて行ったふるい紅茶葉、そして、酸っぱい水……」
 彼女はこれだけの道具でこの極限に達した渇きと飢えを癒さなければならなかった。
「でも、飢えの方は大丈夫よね、水さえあれば……」
 そう言って彼女はスチャッ! と一つの物体を取り出す。それはスティックシュガー。糖分とカロリーの塊、これは文字通り売るほど倉庫の中に存在している。全部食べたら、飢え死にどころか肥満体になること請け合い。
「でも、今はダメなのよ……こんなもの、今舐めたら、絶対に喉が乾いて死んじゃう……」
 だが、彼女には一つの秘策があった。
「腐ってても煮沸消毒すれば大丈夫!」
 ストローを握りしめて彼女は元気一杯に言い切る。まるで自分に言い聞かせるように……不安が無いといえば嘘になるが、いくら探しても他に飲み物とか見つからない。それどころか、液体はサラダ油だけ。やるしかなかった。
「まず、このストローで……!!」
 彼女は埃をかぶり、既に一部の文字がかすれて読めなくなっている箱にストローを突き刺す! それは外箱を貫通し、中のペットボトルすら突き破る。そうなれば、当然、刺した物はストローなんだから、そのストローを伝わり、中の酸っぱい水は外へと流れ出してくる。
「ふふ……さすが私の必殺ストロー、今日も切れ味抜群……良夜、見てなさい。この流れる水のように貴方の頭から血を吹き出させてやるんだから……」
 剣呑な笑みを浮かべ、彼女はペロリと舌なめずり。流れ出した水がテフロンの禿げたフランパンへと流れ落ちるのを見つめる。そのフライパンの下には数冊の本によって底上げがなされ、コンクリートとフライパンの隙間には炭が大量に引き詰められていた。
「ここまでは問題無し……私の計算どおり……」
 着々と水がたまり行くことに、アルトは大きく頷く。そして、彼女は最終兵器を取り出した。
「マッチ一本火事の元! これで美月の答案やお茶っ葉を燃やす、それを種火に炭に火を着ける……ふふ、完璧だわ」
 妖精は不敵に笑った。

「ふふ、どーよ? あっという間にひとが集まったっしょ?」
 その少し後、貴美は不敵な笑みを浮かべていた。
「本当に……あっという間に人が集まりましたね……」
 いつもは暇な土日の喫茶アルト、その駐車場にはちょっとした一山が出来上がっている。貴美と二人、慌しく肉を焼いていた美月は、唖然とした表情で答えた。
「まぁね、せっかくだから二研の連中に教えたんよ。んだら、ツーリングに行くの止めて、ここに来ったって訳」
 そのツーリングを止めてやって来た二研部員たちが呼び水となり、さらに多くの客を呼び寄せることとなった。それをあらかじめ読んでいたのが、その立役者、貴美だ。彼女はあらかじめ、四研の部室になぜか転がっているバーベキューコンロを調達、大量の客が来ても対応できる体制を整えていた。
「今日の時給上げてよ? 私のおかげなんだから」
「あはっ、考えておきますね。あっ、たぬ吉さぁん、火が弱くなってるみたいです。追加、お願いします」
 自慢顔の貴美と笑みを交わし、顔見知りの二研部員と何やら話し込んでいるたぬ吉を、美月は呼び寄せる。時々止まって話し込むこともあるが、意外とたぬ吉は良く働く。運動神経がいいのか、トレイを持って走り回るという器用な真似まで、彼女はやって見せていた。
 ただ、時々話し込んで呼ばれても気づかなくなるのが玉に瑕。今回も気づいたのは話し込んでいた男子大学生の方。彼に促され、たぬ吉はちょろちょろと客の間を縫うように走って、帰ってきた。
「はぁい! みっづっきさん! あっ、それから! お肉のおかわり、いりますよっ!」
「えっ、そうですか? あまり一度に焼いても……」
「いいえ、新しく、演劇部の人たちが来ちゃうそうですっ! 今日は練習日だったそうですっ!」
 ハイテンションなたぬ吉の声は、ざわめきの中でも良く通り、それまで楽しく会話を交わしていた人々にまで届く。その届いた声に彼らの箸は止まり、空気が変わった。楽しかった雰囲気もそこまで……ただ、網の上から肉汁が滴り、それが熱せられた炭の上で蒸発する音だけが虚しく響く。
「にゃぁ? どうかしました? 新しいお客さんですよ? どんどん焼いてどんどん食べましょう!」
 一つの事実、気づいていないのは、いつも通り、ノリノリハイテンションに飛び跳ねるたぬ吉ただ一人。他の連中は全員気がついていた。奴がくることに。そう、奴だ。ラッフィンググール、スカートを履いた胃袋、ワンマングラスフォッパーズ、近隣の食べ放題の店からことごとく出入り禁止を喰らった男──
「二条陽が……来るっ!」
 誰かが悲鳴のような声で叫んだ。それは意識という名の野原に恐怖という火を放つマッチの一本に等しい。
「終わりだ!! 楽しいバーベキューも終わりだぁぁぁぁぁ!!」
「ここからは戦場……この場は戦場になる……」
 パニックと化した客たちが一斉に騒ぎ初め、その騒ぎが余計にパニックを大きくする悪循環。
「だっ、誰ですかぁ〜今日は食べ放題の設定なのにぃぃ〜〜〜〜〜!!」
 そのパニックは美月にまで飛び火し、彼女の大きな瞳に涙を浮かべさせる。美月は今日の設定を割と安めで計算していた。それでも普段の日曜日に比べれば大きな収益、暇も潰せる、お店も儲かる、美月さん、大喜びってなもんだ。
 が、そこに二条陽という人物の計算は入っちゃいない。てか、彼が来るならいくらのんきな彼女でも食べ放題なんて設定はしない。いくら手間がかかっても従量制にするに決まってる。
 美月は目に涙を浮かべながら、叫ぶ。
「ふぇ〜〜誰ですかっ!? 私の敵はっ!?」
 その声におずおずと小さな手が上がる。美月はそれを見つけるや、猛ダッシュで掛けより、睨みつけながら、持ち主の名前を叫んだ。
「西山さんですかっ!? 明日からコーヒーの代わりに温めたお醤油、出しますよぉぉぉぉ?!」
 のちに美月はこの言葉「冗談でした」とはにかみながら言う訳だが、そこにいた人々全員、誰もが、ただ一人の例外もなく、『彼女の目は本気でした』と証言している。
 その美月の視線から手の持ち主──西山恵子二研副部長は自身の視線を地面へと逃し、ぼそぼそと答える。
「いいや、三島さん、落ち着いて、ね? 私は二条に教えたつもりはなかったの……ただ……アヤ、にね。ちょーっと話の流れで昨日……ね? そっ、そしたら……今、メール、来ちゃって……」
 答えた言葉に美月の血圧はさらに上がり、珍しく胸以外の話題で彼女は激昂して声を上げる。
「どうして、良夜さんちのハムスターに教えたら二条さんがくるんですかっ!?」
 シーン……ざわめきが静まり返る。貴美以外の人間が思うこと、それは、
「なに? それ……」
 誰もが自体を把握できぬまま、チクタクと時だけが進み、進む時の中で貴美はコホンと小さく咳払いをした。
「いや、そっちじゃなくて、彩音の方、彩音、川東彩音」
「あっ、なるほど、そりゃ来ますね」
 美月はぽん! と手をひと叩き。言いたいことを言い尽くしたのか、その表情からは憑物が落ちたように落ち着きを取り戻した。
「ともかくぅ……二条さんのことは西山さんがどーにかしてくださいねぇ〜? してくれないと……明日からアルトの出入り……禁止にしますよぉ……てか、してくれないと、うちのお店、潰れちゃうんですよ? 知ってますか?」
 再び、美月の瞳に涙が浮かび、恵子の胸にすがりつく。すがりついた瞬間、大きいと思ったのは秘密である。なお、恵子の胸は大きいのではなく、人並みなだけ。
「うん! 解った、解ったから!」
 コクコクと恵子が何度も首を縦にふる。それを確認すると美月はクルッと一回転、脱兎のごとくに駆け出していく。
「美月さん!?」
「私、ご飯炊いてきますっ! せめてご飯でも食べてくれないと! お肉、いくらあっても足りませんっ!!!』
 貴美の声に美月は大声で答える。大きなガス炊飯器でご飯が炊けるまで小一時間、演劇部が来るのとどちらが早いか? 喫茶アルトの未来は彼女の頑張りにかかっていると言っても過言ではなかった。

 喫茶アルトがこんなパニックになっていた頃、われらが浅間良夜くんと高見直樹くんもまた、パニックになっていた。
「ねっ! 寝てた!!」
 心地よい眠りから飛び起き、良夜が叫べば直樹も飛び起きる。
「起こしてくださいって言ってたじゃないですかぁぁぁ!!」
 しかも、良夜の方はキーボードに突っ伏していたらしく、エディターの画面には意味不明な言語が数千行にも書き連ねられ、さらにはそのプログラムはハングアップしていた。
 ガチガチとキーボードやマウスをいじりながら、良夜は叫ぶ。
「ゲッ……バックアップどこでとったか……? 直樹! make、通ってたか?!」
「できてませぇん……うわぁ、それも最初の方でエラー……! この調子じゃ、どれだけ間違えてるか……うわぁ、直せるかなぁ……」
 直樹の悲痛な声、ほとんど泣き声が上がると良夜は絶望的な気分にかられる。その絶望的な気分のままに彼は叫んだ。
「もー駄目だぁぁぁぁぁ!! やってらんねーーーーーーーーーー!!!」
 と。

 良夜が叫んだ瞬間、良夜と同じ叫び声を上げた女がいた。未だ事務所で飢えと渇きに苛まれている妖精のアルトちゃんだ。
「もーダメ! やってられない!!」
 マッチのサイズは飲食店なんかでもらえる薄べったい箱型の奴。喫茶アルトでも数年前までは出していたのだが、美月がフロアを取り仕切り、禁煙令を発した頃から置かなくなった。普通の人間なら、右手にマッチの軸を持ち、左手に箱を持って擦れば簡単に着けることのできる、ごくごく普通のサイズだ。
 しかし、アルトは手のひらサイズの妖精である。普通の人が出来ることでもすごく手間がかかる。
 まず、箱を床に置き、野球のバットの要領で軸をふるってみた。
 箱が飛んでいった。
 今度は薪割りの要領で、マッチを振りかぶり、振り下ろしてみた。
 勢い余って床に激突、軸が折れた。しかも折れたマッチの先端が顔に当たった。情けなかった。
 続いて箱を固定するため、右足で箱を踏みつけ、振ってみた。
 スカートが邪魔で降り抜けなかった。てか、火が着くときには一緒にスカートにまで火が着きそうで怖くなった。
 だから、脱いでやってみることにした。
 三回挑戦して、三回目に足がつった。激痛走る足を抱えて転がっていたら、死にたくなった。下着姿だって言うのが余計に涙を誘う。
「いっそのこと、腐った水を飲んで死んでやろうかしら……」
 捨て鉢な気分で彼女はペットボトルのケースへと近づく。ストローを刺した部分からはちょろちょろとおいしそうな水が流れ落ち、見ているだけならすごくおいしそうに見えた。
「でも、酸っぱいのよね……酸っぱい水なんて初めて……」
 彼女はつぶやきながら、ズボッとストローを引き抜く。抜けば、小さな穴からじわじわと箱を濡らしていき、そこをうっすらと覆っていた埃を落とし、読めなかった文字を鮮明にしていく。
 そして、彼女はその鮮明になり行く文字を静かに読んだ。
「……レモン風味のおいしい水……」
 ……
 事情を考えてみる。一つの結論に達するのに、そんなに時間は必要なかった。
 そして、彼女はつぶやく。
「バカだバカだとは思ってたけど、本気でバカなのね……美月って……」
 大きく息を吸い込み、胸いっぱいに新しい酸素を彼女は取り込んでいく。
「レモン風味のおいしい水って、六◯のおいしい水とかとは全然関係ないから!!!!!!! これはミネラルウォーターじゃなくてジュース!!!!!!」
 彼女はキレた。キレて浴びるほど甘“酸っぱい”水を飲むことにした。

『封を開けていないジュース 缶詰は
 膨らんでなければ割と大丈夫
 匂い 味 外見に違和感がなければ、Let’s eating!』
 陽はそう書かれたメモ帳をあらぬ方向に掲げていた。
「あの……お姉様、一体、何を?」
『天からの指令電波を受信
 頑張って最後の通し稽古
 終わったらバーベキュー』
 メモ帳にペンを走らせる陽の傍ら、ねじり鉢巻、ジャージ姿の裏方部隊隊長はぽつりと呟いた。
「……教えてよかったのでしょうか……?」
 よかーなかった。

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