土日(2)
「ありゃ……バーベキューのセットじゃんか? どったの? これ」
 美月が倉庫で見つけ出して来たのは、まだ、美月の祖母、真雪存命の頃に彼女が買ってきたバーベキューのセットだった。バーベキューコンロに網と鉄板、トング等々……炭や着火剤のようなものまで入っているが、さすがにこの辺は経年劣化でつかえそうにはない。
「でしょう!? 何か、面白そうじゃないですか? 吉田さん」
 暇な店内、二人のウェイトレスは仕事そっちのけでダンボール箱の中を覗いていた。とは言っても、土曜の喫茶アルトに来る客なんてほとんどいない訳で、なさねばならない仕事もあまりない。そんな事情は彼──店長三島和明も同様だ。うら若き淑女、二名がキッチンと倉庫を隔てる通路でダンボール箱を開いていると、ひょっこりそれを覗き込んだ。
「おや、懐かしいですね……私はお店があったので行かなかったのですが……確か……──」
 手に持ったほぼ新品のパイプ、それを真新しいハンカチで拭きながら彼は目を細めて遠くを見つめる……も、大体十秒。途端に苦笑いとも何とも言えない表情に切り替わった。
「確か……火が着かなかったとかで、バーベキューは中止して、帰りに焼肉屋さんで食べて帰ってきたかと……」
 美月がまだ小学校に入るか入らないかの頃、店の仕事は和明一人にすべて押し付け、清華や当時いた数名のウェイトレスをひきつれ、真雪は少しはなれた河川敷までバーベキューに出かけた。そして、一時間掛けてなお火がつかなかったとき、彼女の中で何か大事な物がプチンと切れた。
『飽きちゃった』
 その一言で撤収を申し付け、その帰り道に知り合いの焼肉屋で焼肉パーティをおっ始めたらしい。残念な事に和明もその場にはいなかったし、その場にいたはずの美月は記憶が定かではないので、すべては和明が清華と当時働いていたバイトウェイトレスからの伝聞。しかし、和明をして──
「まあ、真雪さんならやりかねないと思います」
 とのことなので、概ね間違いはないのだろう。そして、それ以降十年以上、このバーベキューセットが日の目を見ることはなく、ずーっと事務所の片隅に放置され続けていたらしい。
「お祖母さんは気短な人だったんですよ? 知ってますか?」
「いや知らないけど……気短にもほどがあると思う……んで、美月さん、これ、どうするつもり?」
「そりゃ、お肉焼いて食べるんですよ?」
「いつ? どこで?」
 貴美に尋ねられると美月は大きく頷き「明日」と言った。そして、彼女のあれた指先は窓の外を指した。
「そこ」
 喫茶アルトの店舗と国道の間、ちょっとした駐車場のようになっている部分、そこで彼女はバーベキューをやる気になっていた。それを察し、貴美はしばし視線をさまよわせ、言った。
「あっ、面白そう……」

 その頃の良夜くん。
「ああ、もう、忙しいのに……何か、面倒なウイルスサイトを踏んだっぽい……」
 カタカタ……カタカタ……カタカタカッタン。良夜の指がキーボードを叩き、マウスを動かす。それを直樹は液晶画面を見ながら、特に興味も払わずに言う。
「……頑張ってくださいね」
 冷たく突き刺さる声を良夜は背中に聞きながら、小さな声で囁き──
「直樹……後で、写させて──」
「嫌です」
 きれなかった。恋人に見捨てられた男は、友人を見捨てることにしたようだった。

「では、吉田さんは車を貸しますのでホームセンターに炭とか買いに行ってください」
「何で私が? 美月さん、暇してんだから、行ってきたら良いじゃん」
 美月が明るい口調で提案すると、貴美はそう答える。そう来るだろうなと思っていた美月はえっへんと薄い胸を大きく反りかえして言う。
「ダメですよ〜私はこれからお肉とかお野菜とかたくさん注文しなきゃいけないんですから」
「はぁ? 食材、昨日、たくさん配達してもらったじゃん?」
 チッチッチッと数回、舌を鳴らしながら、美月は立てた人差し指を唇の前で数回振る。いつも天然とかバカと年上のくせに子供っぽいと言われたい放題言われている身としては、いつもしっかり──ちゃっかりとも──している貴美に、物事を教えるのが楽しくてしかたがない。
「いいですか? 当店、喫茶アルトは明日も営業中なんですよ? お店の前で焼肉なんてやってたら、お客さん沢山に決まってます。きっと、明日は焼肉がたくさん売れて、大儲けですよ〜」
「……もしかして、私、働く頭数に入ってる?」
「来てくれるって言ったじゃないですか、さっき」
 パッと花が咲いたように明るい美月の顔に比べ、貴美の顔は薄曇り。はぁ……と小さなため息をつくと「へいへい」と投げやりな相槌をかえした。
「まあ、いいや。りょーかい、炭と着火剤と……後は紙皿とかなぁ……」
「お皿、ありますよ?」
「立食になるんっしょ? 絶対に二−三枚割られるから、うちの食器どれも高いんだし。使い捨ての紙皿の方が良いって」
 そして、明るかった美月の顔も薄曇り。的確な指示を出す貴美に、美月は立てていた指をクタッと倒す。良い気分もあっという間に消沈だ。
「うう……そぉですねぇ……もちろん、気づいてましたよ? ええ、気づいてましたとも」
 あたふたとごまかしの言葉を並べ、美月はぶんぶんと勢いよく頭を振る。その振る頭を貴美はポコンと一つ叩くと、言葉を続けた。
「髪、長いんだからフロアでブンブン振らない。んじゃ、買出しに行ってくんよ? フロアの事、頼むかんね。ちゃんと制服にも着替えるんよ」
 そう言われればどっちが上司でどっちが部下やら……美月から鍵を受け取り、颯爽と店を後にする貴美を見送り、美月はほんの少しだけ小さくため息をついた。
 そして、視線を動かせば窓の外の国道をのろのろと走り去る我が愛車の姿があった。こうして店の中に取り残されたのは美月一人……ではなく、いつの間にやらカウンターの中でパイプを拭き始めている和明との二人きり。美月は貴美を見送った視線を年老いた祖父へと動かし、ポンと手を叩いた。
「あっ、勝手に決めちゃったけど、良いですよね?」
「いいですよ。もうお店の事は美月さんにお任せしてますから……あっ、コーヒーだけはもうしばらく私に淹れさせてくださいね」
 老人は柔和な笑みを浮かべ、孫娘に語りかける。それが美月には少しだけくすぐったく、くすぐったさの倍ほど嬉しかった。
「はい、こー見えても喫茶アルトのチーフさんですから」
 薄い胸を張り、彼女は「えへへ」と照れ笑いを浮かべる。消沈していた気分もどこへやら、彼女はフンフンと鼻歌交じりにつま先を事務所へと向ける。さっそく、取引先の精肉屋に電話をするためだ。フロアにも電話はあるし回線も一応つながっているが、実際にはインテリアとしての存在意義が強い。美月も和明もついでにアルトもオモチャのようなプッシュフォンよりも、存在感のある黒電話の方が店の雰囲気にあっていると思っているからだ。
「便利なのはプッシュフォンなんですけどねぇ〜」
 ジーン、ジーン、ジーン。美月がつぶやいたとき、そのインテリアの電話が大声を上げ始めた。
「はいはぁ〜い。いま出ますよ〜」
 いくら便利でも鳴ってる電話を無視して、事務所にまで取りにいけるほど美月は図太くない。パタパタと踵のないパンプスを鳴らして、彼女はレジ横の電話に駆け寄る。そして、ガチャッと妙に耳につく音を響かせ、電話を取った。
「はい、喫茶アルトです」
『……あっ、美月さん? 良夜だけど』
「ありゃ? レポートの忙しい良夜さん。暇なフロアに取り残されて、ご機嫌斜めの美月さんですよ? 知ってましたか?」
『いや……えっと、あの……ゲッ、月曜日には顔を出せるかなぁ……って思ってんだけど』
 美月は明るい笑顔と含み笑いの混じった声で言う。ちょっぴり意地悪、本当に不機嫌だったのはさっきまで、今は明日が楽しみで美月は上機嫌だ。それを隠す気もなく、彼女はいつも通りに明るい口調でそう言った。そして、それは良夜にも通じていたのだろう。彼は少々苦笑いぎみに笑ってる。良く解らないけど、何となく“恋人同士の会話”という気がして、美月には嬉しかった。
「あはっ、期待して待ってますね? それで、どうかしました?」
 のも、次の発言を聞くまでだった。
『吉田さん、います?』
「ムッ……りょーやさん、彼女素通りで吉田さんですか? ひどいと思いませんか?」
 少し拗ねた声はさっきのポーズとは違い、少々本気交じり。彼女はレジの内側から小さな丸椅子を引っ張り出す。引っ張り出した丸椅子にはうっすらと誇りがかぶり、しばらく使っていないことを周りに教えていた。実際、貴美がこれに座ることは滅多にないし、キッチンが持ち場の美月はもっと縁が薄い。
 その埃をポンポンとはたき、彼女は誤差程度には綺麗になった椅子へお尻を下ろす。右手は受話器、左手は足の間、椅子の縁。そこを掴んで引っ張ったり押したりするたび、歪んだ脚のどれかが床から浮き上がり、浮かんでいた脚が床を叩く。
 ガッコンガッコン……ちょっと楽しい。
『あっ……いや、そういう訳じゃなくて……ちょっと聞きたいことがあって』
「好きな人がいるか? とか?」
『……直樹でしょ?』
「あっ、なるほど……それもそうでした。じゃぁ、何ですか? 吉田さんはお仕事中ですよ?」
『えっと……まあ、何ていうか、レポートの事……みたいなもんかなぁ……まあ、大した話じゃないです』
「かなぁ? あの……聞くのは良夜さんですよね? 良夜さん……やっぱり、好きな人、いる? とか聞くんですか?」
 どうにも要領を得ない会話。何となくだが『どうせ美月さんに言っても解んないだろうなぁ〜』的な空気を美月はそこから感じ取る。すると、床を叩く脚の音がテンポアップし、ついでに美月のほっぺたがぷっくりと膨らんで行った。
 そして、直後、良夜は諦めたような口調で話を始めた。
『だから、直樹でしょ? みんな知ってますよ……えっとですね。パソコンのOSがこわれちゃって、それで入れ直そうと思ったんですが、せっかくだから、WindowsだけじゃなくてLinuxを入れてデュアルブートにしようと思うんですよ。それで吉田さんがLinuxのインストールディスクを持ってるはずだから、それを借りようと思ったら、部屋を探してもどこにもなくて……あっ、直樹も一緒ですよ? それでどこに片付けてるか聞こうと思ったんです』
 良夜の話が終わると、美月は大きく息を吸い、恋人の名を呼んだ。
「……良夜さん」
『はい』
 その呼びかけに恋人は素直に応じる。
 そして、彼女は言った。
「そんな暗号で煙に巻こうしてもごまかされませんよ?」
『……暗号じゃないし……ともかく、ほんと、大した話じゃないから。吉田さんと代わってください』
 鳴らしているうちに動いた椅子を元の場所にまで動かし、彼女は思う。
(立派な暗号じゃないですかぁ〜中学のパソコンの授業でパソコンを壊しちゃった私に対する挑戦ですか?」
『壊したんですか? パソコン』
「はい、カードゲームをしてたつもりだったんですが……いつの間にか真っ黒くなって、二度と動きませんでした……あの、口に出してました?」
『……どういうやり方してたんですか? って、出してましたよ。とりあえず、代わってください』
「代わるのはやぶさかじゃないんですが……」
 にっこり、見えることはないが、伝わるような気がした。だから、彼女は満面の微笑みで言う。もう、満足しちゃったから。暇な土曜日もこれでちょっとは満足……のような気がする。決して言い忘れていたわけではない。
「吉田さん、さっき、おでかけしちゃったんですよ? 知ってましたか?」
 半分位は。
『……知りません……それならそうと最初に言ってください』
「はい、せっかくなので何をお話しするか、聞いてみたかっただけです。要するに難しいお話をするんですね?」
『……もぉ、良いです……携帯の方に電話します』
「はぁい」
 カチンと良夜が電話を切ると、プーップーッと言う発信音だけが耳に残る。その受話器を耳からはずし、美月はふと視線を落とした。
 落とした先には真っ黒い電話機、今から向かおうとしていた場所にはオモチャ見たいなFAX付きの電話機、使い勝手は決してよくないけど……
 受話器を耳から五センチほど外して、悩みつづけること約一分の半分。彼女は長い髪を大きく振ってカウンターに顔を向けた。
「肉のダイチュウさんの電話番号、何番でしたっけ?」
 こうして彼女は事務所に向かうことなく、電話をすることにした。

 そして、その頃、事務所の中のアルトちゃん……は、愛するドアノブ君にしがみつき、愛の言葉を囁いていた。
 と言うわけはない。
「うーーーーーーーん!!! ああ、もう!! 開きなさい!!! ドアノブのくせに生意気よ!!!」
 顔よりも大きなドアノブ君は頑固もの、彼女は自分が助け損なわれたことも知らず、一生懸命全身を使って、それを開けようとしていた。

 んでもって、ついでに良夜くん。
 いくら探してもお目当ての物は見つからず仕舞い。良夜は一緒に探してくれた直樹の顔を頭一つ分ほど高い所から、諦め顔で見下ろした。
「仕方ねえ、諦めるか……」
 そして、見下ろされた青年は良夜の顔を一瞬だけ見上げると、すぐに自室へと視線を外して応える。
「……こうなる前に諦めてほしかったですね……ほんと」
 二人の男の前にはしっちゃめっちゃかに散乱し尽くした元タカミーズの部屋現ゴミ置き場が広がっていた。
「大体、何でLinux入れようなんて思ったんですか?」
「じゃぁ、お前は何で付き合ってんだ?」
 斜めした行きの視線と斜め上行きの視線が混じり合う。そのままの時が十五秒ほど続き、互いの答えが同じであることを読み取り合う。
 人間、やらなきゃいけないことが多い時ほど、やらなくて良い事をやりたくなるものだった。

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