みんなで学ぼう!(2)
美月がゲームを始めて二時間、良夜達が勉強を止めて一時間三十分が過ぎた。この間、五人はそれぞれ数回ずつ、良夜の用意したシューティングゲームを楽しんだ。物心ついた時からファミコン世代のタカミーズや良夜にとって、それが迫り来る試験からの逃避行為であったとしても、ワイワイと楽しむゲームは非常に楽しいひとときだった。
「いやぁ〜何が凄いって、アルちゃんが異様に上手だったってのが凄いよね」
「ビデオ見てるような感じでしたね」
特に、姿の見えないアルトがパットを操作してゲームをする。そんな不可思議な光景にタカミーズのテンションは妙に上がっていた。
「……疲れたわ……見せ物じゃないんだから、何回もやらせないで……」
彼女が良夜にだけ見せたプレイスタイルは一種独特の物だった。パッドについてるアナログスティックを抱きしめ全身で動かし、ボタンは伸ばした足で踏みつける。まるでダンスゲームか何かをしているような感じだ。それをトータル三十分以上もやらせていたのだから、彼女の肩は先ほどから忙しく何度も上下運動を繰り返すのも当然だ。しかし、その表情にはフィットネスクラブで一汗かいた後のような爽やかな笑顔が浮かび、ひとまずはご機嫌の様子。
そこにちょっとしたアルコールも入って、良夜の部屋を穏やかで和気藹々とした空気が支配していた。
「……ごにょ……ごにょ……ボソボソ……」
ただ一人、部屋の隅っこで体育座りをしている三島美月嬢の周りを除いて。その原因は、ひとえに彼女があまりにも下手くそだったという点につきる。
彼女は本当に下手くそだった。それは、今回がゲーム初体験という最近の若者には珍しい状況だったことを差っ引いても酷すぎるレベルだ。なんと言っても、体型的に大きなハンデを背負ったアルトと比べても、その得点差が倍以上というのだから凄い。
「……りょーやん、あれ、どうにかしな」
貴美の肘が良夜の脇腹を小突き、顎をしゃくる。
「どっ……どうにかって……吉田さんのせいだぞ?」
チラリと良夜の視線が美月の背中に向けられた。小さな背中をさらに小さく曲げ、壁に向かってブツブツと何事か呟く姿は、関わってはいけない病を患っている人のよう。彼女は背中に声をかけるにはばかる何かを背負っていた。
もちろん、良夜とてだた手をこまねいていたわけではない。美月に花を持たせるために手加減してみたり、彼女にアドバイスをしてみたりとそれはそれは一生懸命フォローしていた。
だがしかし! その苦労を水の泡にしてくれる女が居た。
「えぇ? 手加減なんかしてたらつまんないじゃん?」
そう言って彼女は一切の手加減をしなかった。そりゃもう、完璧に本気。本気でつぶしにかかってんじゃないんだろうか? と言うくらいの本気を見せ、美月と二桁は違う得点差をたたき出していた。
見る間に意地になっていく美月と、その美月をあしらうかのように遙かなる高みを見せる貴美……貴美の一方的な虐殺とも言える戦いは三十分にも及び、美月を完膚無きまでにたたきのめした。その空気を読んでないのか、読んだ上で引っかき回すためにやっているのか判らない行動に、彼女の相方はお腹の辺りを押さえていたほどだ。
そして、彼女は拗ねた。一升瓶の緩衝材として入れていたプチプチシートも全て潰し、挙げ句の果てが壁に向かってブツブツと何事か独り言を言いだし始める始末。手に負えないったらありゃしない。
「じゃぁ、ほっとくん? りょーやんって最悪やね?」
美月の用意したお酒を傾けながら、貴美がからかうような口調で言い放つ。
「そうよ、こう言うのは彼氏の仕事よ? ……あっ、フォローに行く前にお酒、おかわり」
言い放たれた言葉の尻馬にアルトが乗った。差し出されるペットボトルの蓋杯を指先ではじき飛ばし、良夜はゆっくりと美月に近づく。気分は爆破物処理班だ。
「えっと……美月さん?」
対象は壁に向かって正座している恋人、その頭の上から覗き込むように良夜は声をかける。上からでも判るほどに不機嫌に脹れたほっぺ、悔しさのあまり、その目には涙までもが浮かび上がっていた。
「ブツブツ……ゴニョゴニョ……」
相も変わらず、彼女の唇からは意味不明の言葉だけが紡がれ続ける。正直、我が恋人ながら軽く引くシーンだ。
「たっ、たかがゲームですからね? ほら、ゲームばっかりやってると頭悪くなるし」
「良夜みたいに?」
即座に入れられるアルトのツッコミ。テーブルの上でスカートをウチワ代わりにしている妖精に、良夜はギンッ! と殺意を込めた視線を向ける。気分的には怒鳴りつけたいところだが、そんな爆弾の隣でキャンプファイヤーをやるような真似はしたくない。だから、睨み付けるだけ。
べーっと舌を出すアルトを睨み付ければ、しゃがみ込んでいる女性から意識が遠ざかるのは世の摂理。それは彼女がすっくと立ち上がろうとしていることを良夜から隠した。
がんっ!?
良夜の顎が跳ね上がり、彼の脳みそを縦に揺らす。まるで強烈なアッパーカット。むち打ちにならなかったのが不思議なくらいに、彼の顎は思いっきり跳ね上がっていた。
「特訓です! 特訓しかありません!!!」
気の遠くなるような激痛の中、良夜は「美月さんって、石頭なんだ……」と妙なところに感心していた。
さて、そう言うわけで美月さんのゲーム特訓が始まった。好きにしてくれ……と言いたいところだがそうも行かない。なぜなら――
「ちーっす、りょーやん、帰った?」
「お帰りなさい、良夜さん!」
「はぁい、良夜、今夜こそは勉強するわよ」
「……ごめんなさい、ごめんなさい、本当にごめんなさい」
彼女の『特訓』はその日一日で終わる物ではなかったからだ。
彼がバイトから帰ってくるたび、隣の部屋から貴美、美月、アルト、直樹の四人が攻め込んでくるのだ。まあ、直樹はおそらく貴美に無理矢理連れてこられているのだろう。その証拠に、彼の右手は貴美がしっかりと握りしめている。
あの日以来、アルトの営業が終了後、美月は貴美の部屋でゲームをやるようになっていた。そして、良夜が帰宅したら良夜の部屋に移動してくる。そこから先はこの間の再現だ。いや、貴美が最初からやる気という物をかけらも持ち合わせていない、と言う事を考えれば悪化していると言っても良いだろう。
「なんでわざわざ来るんですか?」
「えっ!? いっ、いけませんでした?」
溜息混じりに呟く言葉に、美月はくしゃっと顔をゆがめる。まるでお留守番を言い渡された子供のようだ。その表情は無条件に罪悪感を与える種類の物であり、女慣れしていない良夜にとってどうしても拒否しきれる物ではなかった。そもそも、もうすぐテストという状況さえなければ美月が部屋に遊びに来ることは、良夜にとって決して悪いことではないのだから。
結局、その涙目に返す言葉はいつも一つ。
「べっ、別に駄目……って事はないんですけど……ね?」
ぱんっ!
よそ見をしながら答えた言葉に、美月は満面の笑みを浮かべて手を鳴らす。泣いた烏が何とやら、そんなことわざを思い起こさせるように美月の表情は万華鏡のようにコロコロと変わった。良夜はその顔を照れたような笑みで見下ろすも……
「吉田さん! 始めましょう!! 次こそは一面クリアーですっ!!!」
サッと彼女は彼氏の隣を通り抜け、テレビの前を定位置だとでも言わんばかりに占領してしまう。唖然とした表情で美月の背中を見つめ、良夜は出迎えた玄関先に取り残された。開け放たれた玄関から、雨の香がする夜風が良夜の部屋へと流れ込んでくる。それが良夜にはちょっぴり寒かった。
「良夜、貴方はお勉強。終わったら呼びなさい。サボっちゃ駄目よ? 馬鹿なんだから」
「おっじゃっましま〜す」
「……本当にごめんなさい……」
アルトがふわふわと飛んで入り、貴美が直樹の手を引いて良夜の前を通り過ぎる。やっぱり玄関は開いたまま。
「……はぁ……強くなりたい……」
大きな溜息が雲に星を隠された夜空へと飛び去り、玄関から閉め出された。
と、言うわけで、良夜はバイト終了後の数時間をお邪魔虫を隣に置いての勉強時間とする羽目になった。その効率の悪さと言ったら――
「えいえいえいえいえいえいえい!!!」
「いやぁ〜良く動く腕だねぇ〜キャラ、動いてないけど」
うら若き女性が嬌声を上げてゲームをやり続けているのだ。効率が上がろうはずがない。しかも、教えに来ているはずのアルトまでもが美月達の所に出張している。彼女は美月の頭の上にちょこんと座り、美しい黒髪をスティック代わりにゲームをしている振りに余念がない。
「だぁ! アルト! やる気ないんなら、止めるぞ!?」
「止めれば? 困るのは貴方……夏休み、どこにも連れて行ってくれなきゃ…………殺してやるわよ?」
バン! とテーブルを叩いてみても、すごんでみても、小さな妖精さんには馬耳東風。美月の頭の上からトントンと小さなステップを踏んでテーブルに帰ってくるだけ。堪えるような様子は全くない。
「さてと、それじゃ――」
トン、アルトは羽とスカートの裾を広げ、良夜のノートの上に着陸を決める。
「にゃぁぁぁぁぁ!? えぇい! もう一回ですぅ〜〜」
その途端に美月の黄色い悲鳴が響く。それはアルトの後ろ髪を引っ張り、アルトはクイッとマリオネットのように振り向かせた。
「……良夜、あっちに帰っても良いかしら?」
「せめて、採点だけでもしていってくれ……もしくはカンペになると言う約束……」
「カンペは駄目、将来困るわよ……と、採点だけでもしましょうか……」
八の字になる眉とそこに刻まれた深い皺は雄弁に彼女の気分を語るも、彼女はてくてくとうつむきながらノートの上を歩く。そして、チョイチョイとストローでいくつかの場所を指して二言三言、簡単な、簡単すぎるアドバイスだけを送る。やる気の感じられないこと甚だしい。
「手を抜くなよ……それと、直樹の方もな。ブルマン、直樹にも奢らせるんだろう?」
「はいはい」
一通りの説明を聞き終えると、良夜は直樹の前に置いてあったノートを自分の前に引っ張った。そして、その上をてくてくとうつむき加減で歩くアルトを眺める。直樹にアルトの言ってることを教えるための方法だ。
「こことここね、良夜と同じ所……レベル、いっしょなのね? じゃっ!」
彼女は最低限度の義務を果たすと、トーンと体を大きくたわませ宙へと舞い上がった。そして、そのまま美月達がゲームを楽しんでいるところへと戻っていく。
そん感じでお勉強の時間は大抵日付が変わるくらいまで続く。大体一時間ちょっとの時間、その時間の終わりはいつも唐突だ。
「いっけなぁい! そろそろ、お暇しないとっ!」
美月は日付が変わっていることに気付くと全てをほっぽり出して立ち上がる。それは、ゲームをしている最中だろうが、休憩と称して良夜の買い置きお菓子を食べている最中だろうが、関係ない。
「ンじゃぁ、送るよ」
おかげで良夜も勉強が中途半端でも立ち上がらざるを得ない。しかし、それは決して嫌々というわけではなく、むしろつかの間の散歩を良い気晴らしと楽しみにしているきらいすらある。
「あら、もうちょっと楽しみたかったのに……」
それはアルトも同じだった。彼女自身がゲームをやっていたとしても、彼女はトントンと数回足場を蹴って良夜か美月の頭に着陸を決める。そして、三人で深夜のお散歩、と言うのがここしばらくの恒例行事になっていた。
しかし、今日、この日だけはちょっぴり違っていた。
「あら……雨ですね」
五人の先頭に立って美月が廊下に出た時、手すり向こうの世界には雨粒がきらきらと闇夜を切り裂く。玄関の明かりが薄暗くもはっきりと雨粒を光らせ、それはダイヤの粉が降り積もるようにも見えた。
「美月さん、傘、あります?」
「ないんですよぉ〜ふぇ……車で来れば良かったです」
「うちも一つなんですよね……」
空梅雨だったはずの今年の梅雨も七月になってからは、三日に一度は小雨がぱらつく。その三日に一度の雨を良夜は手すりから頭だけを出し、その顔で受け止めた。大粒と言うほどではないが、数分を濡れて行くには憂鬱な程度の雨だ。
濡れた顔を引っ込め、良夜は玄関に戻った。そこには、備え付けの靴箱の横に傘が一つだけ立てかけてある。真っ黒いだけで地味なこうもり傘、こういう物に頓着しない性格はここでも発揮されていた。
「じゃぁ、うちから――」
口に出しかけた言葉は、貴美の右ボディブロー一撃で沈黙す。腰の入りようも大きく踏み出した一歩も、世界を十分にねらえそうな資質を感じさせた。
「ぎゃんっ!?」
「うち、傘壊れてんよ。我慢して行き?」
ひかれたカエルのような声を上げ、直樹は腹を押さえて目を白黒させる。それでも、貴美は容赦することなく膝で追撃を与え、無防備になった延髄へと肘を落とした。人を殺せるコンビネーションだと良夜は思うが、直樹は未だに生きている様子。パクパクと近業に口を開け閉めしている。口が開け閉めされているうちは死んでいない。
「この間、なおが二つとも壊したんよ〜」
「そうなんですか? 駄目ですよ、直樹君。傘なんか壊しちゃ」
恋人を撲殺しかけながら貴美は明るく言い切る。美月はその言葉を一ミリとて疑うこともなく、口から意味不明のうめき声を上げる直樹へと視線を向けて微笑んだ。
「……吉田さん、何、企んでんだよ……」
傘を取り上げ、良夜は貴美の耳元で小さく呟く。それと同時に、チラッと美月に視線を向ける。彼女も良夜がやっていたことの真似でもするみたいに、手すりから顔だけを出して天を見あげていた。
「……ふぅん……疑うんだ?」
「当たり前だ……」
右手にぼろ雑巾になった恋人をぶら下げている女を見て、信用できる人間が居るだろうか? 少なくとも良夜は信じられないタイプの人間に属していた。いぶかしむような視線で貴美のへらへら笑いと直樹の白目を剥いた顔を見比べ、良夜はもう一度だけ尋ねた。
「何を企んでんだ?」
「そぉ……美月さん! ちょい待って!」
ゆっくりと頷く貴美。うなずいた顔が上がった時、彼女は一陣の疾風と化し、良夜の横を通り過ぎた。後にぼろ雑巾を一枚、いや一体置き去りにして。そして、帰ってきた時にはぼろ雑巾の代わりに花柄の傘を一本握りしめていた。彼女はその傘を右手だけで握りしめ、グイッと美月の胸に押しつける。
「今、直ったんよ?」
「ふえ? はぁ……傘ってそんなにすぐに直る物だったんですね……」
きょとんとした顔。美月は小首をかしげながら、それを受け取ると大きく頭を下げた。僅かに濡れた髪が彼女の横顔から流れ落ち、抱きかかえた傘にふわりとかかる。
「こうやって人生のフラグを潰していくのね……哀れな男」
それまで美月の頭の上で、彼女といっしょに雨空を見あげていたアルトがそう呟いた。細い指先が目尻を押さえる。そこに光る何かがあるようにも見えたが、それがただの雨の跡であることを否定は出来ない。
なお、良夜はこの期に及んでもまだ、貴美は絶対に何かを企んでいたと確信していた。それが何なのかは想像もつかなかったのだが……