2002.6.1
“ 他人にした事がそのまま自分に返る. これが人生だ。”
柔道家 山下
泰裕先生(1957.6.1)
1984年ロスアンゼルス・オリンピックで優勝した山下泰裕さんの講演会ビデオを見た時の言葉です。道場だけで学ぶのでなく、日常生活の中で気づきがあります。が特に印象に残りました。
2002.6.2
“ 望ましい人間性とは、許し合って生きていくことです。”
哲学者 芳村
思風先生(1940.6.2)
感性論的哲学を説く芳村
思風先生の講演会が、1994.4.22 クレメントホテルでありました。愛も幸福も生き甲斐も感じるもの。人間の本質は、感性です。と教わりました。
2002.6.3
“ 道を踏み外したのは、あんただけのせいやないと思う。親も周囲も悪かったやろう。でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんたのせいやで、甘えるな!”
弁護士 大平
光代さん(1965.10.18)
4月27日労働福祉会館で大平
光代さんの講演会がありました。中学2年の時、いじめに遭い自殺を図る。16歳で極道の妻となり、背中に刺青をいれる。おっちゃん(養父・大平浩三郎さん)に出会い立ち直ろうとしないのは、誰の所為でもない、あんたが悪い!で目覚めて、発奮!
「宅建」 「司法書士」合格。29歳で、「司法試験」に、一発で合格。現在は非行少年の更生に努める弁護士として活躍中の先生です。結局は自分(平井
謙次さん)と気付く事ですね。
2002.6.4
“ 人間は意識を変える事が大切だ。自分がダメだろうと思っている間はダメです。1%の否定もダメ、100%肯定することです。
気功師 浦田
紘司先生(1948.2.15)
1997.4.9 初めて日本一の気功師浦田
紘司先生の気功を見て感動しました。驚異的な癒しのパワーに驚嘆しました。自然になった病気(生まれつきでない)は全部治る。治すのは自分です。私は、毎月1回気功教室(空の会)へ通いましたが、続きませんでした。2年位で脱落、残念ながら気功師になれませんでした。
2002.6.5
“ 人に優しい人が、幸せを得る。”
経済学者 アダム・スミス先生(1723.6.5〜1790.7.17)67才
「国富論」を書いたイギリスの経済学者アダム・スミスさんは、279年前の今日誕生しています。経済学の創始者と言われた有名な先生の言葉だけに意味が深いですね。
2002.6.6
“ 三匹 の カエル ”
1. 心身共に若返る 2. 自分を変える 3. 毎日無事帰る。
けろ(=6)けろ(=6)
今日はカエルの日です。私の普段から心掛けている
三匹のカエルです。いつまでも目標に挑戦するカエルでありたいものです。
2002.6.7
“ 人は赤心というのは、死ぬまで持っていなくてはいけない。”
日本画家 奥田
元宗先生(1912.6.7)
1984年文化勲章受賞者
奥田
元宗先生の誕生日です。赤心=いつわりのない心。まごころ。誠意。
2002.6.8
“ あなたの心がきれいだから、なんでもきれいに見えるんだなあ!。”
書家 相田
みつを先生(1924〜1991.12.17)67才
那賀川町江野島の住友さん宅へ花菖蒲を見に行きました。多忙な毎日ですが、心にゆとりが無ければ花を楽しむ事も出来ないと実感。本当にイライラしていては綺麗な花を見ても美しいとは感じませんね。相田みつをさんの言葉思い出しました。豊かな人生を!
2002.6.9
“ 健康は自分自身で管理するもの。仕事がうまくいくのが、最高の健康法です。”
将棋永世名人 大山 康晴先生(1923.3.13〜1992.7.26)69才
将棋界最大の巨人と言われた、15世永世名人大山
康晴先生の1989.1.23講演会 “道を極める” で聴きました。当時大山
康晴名人はガン手術して5年目、まだ現役の棋士としてご活躍中でした。名人通算18期、優勝回数124回、通算勝数1433、Aリーグ在籍通算45年、輝かしい実績を残された尊敬すべき人です。終身現役を貫き通されました。
2002.6.10
“ いい出会いを持ちたかったら、自分の実力を磨き高めること。”
将棋名人 米長
邦雄先生(1943.6.10)
米長
邦雄永世棋聖が、1989.3.3の講演会で “ 才能でも、努力でもない。勉強の仕方の違い、時間の過ごし方で決まる。”と素晴らしい笑顔でのお話が印象に残っています。米長
邦雄名人59歳になりました。
2002.6.11
“ 身体が良くなれば心が良くなる。心だけが良くなる訳がない。”
教育評論家 阿部
進先生(1930.6.11)
通称
カバゴンこと阿部
進先生を1998.6.24 勉強会に呼びました。自分の糖尿病を水を多く飲むことで治した体験から、1リットルの水に5gの塩(最良の)を入れて1日に2リットル飲むと身体に良いそうです。阿部先生は、13年間の小学校教諭を退職後、創造教育センター設立。講演会を年60回、出前保育30〜50回、テレビ、ラジオ出演等、教育全般の活動を精力的に展開されています。著書は「現代子ども気質」「糖尿病からの生還」「癌からの生還」「やせて元気になる食事」等多数あります
2002.6.12
“ 人生の 喜 怒 哀 楽 が、その人の心を豊かにする。”
作曲家 船村
徹先生(1932.6.12)
日本作曲家協会会長
船村 徹先生は、今日70才になりました。「王将」「別れの一本杉」「風雪ながれ旅」「矢切の渡し」等作品は3000曲を超えます。
2002.6.13
“ この頃 日本には、おふくろの味が無くなった。”
エッセイスト
佐々木
久子さん(1927.2.10)
1989.10.31雑誌「酒」編集長の佐々木
久子さんの講演会(酒と旅と人生と)で聴きました。最近は、おふくろの味→袋の味(スーパ−)になってしまったとお嘆きでした。著書に「おいしいもの見つけた」「酒の旅人」「私の放浪記」等。最近ラジオで聞いた話に、躾→押しつけになっているとのこと。おふくろの「お」が躾の方に行ってしまったのですね。考えさせられる話です。
2002.6.14
“ 私はいつも「これが最後の対局だ」と思って打っている。"
名誉棋聖 藤沢
秀行先生(1925.6.14)
まさに藤沢棋聖は、真剣勝負だった訳ですね。松下 幸之助翁は経営は常に真剣勝負だ。だから赤字は許されない。今期赤字とは首を落とされた事、死んだ人が何故明日から頑張れるのか!といつも部下指導されていました。
2002.6.15
“ 出来ない理由をあげて(さがして、捜して)自分を納得さす人は多いが、実行する時間はまだある。”
伝記作家 神渡
良平先生(1948.1.2)
出来ない理由を捜すより、出来る方法を追求しよう!
2002.6.16
“ おおいなる
ものに抱かれ あることを
ほほ吹く風の 涼しさに知る。”
山田 無文老師(1900.7.16〜1986.12.24)86才
花園大学学長、初代禅文化研究所所長の無文老師が19才の時(東洋大学の学生時代) 結核になり帰郷、自宅で療養中に詠んだものです。当時結核は、不治の病と言われ
離れた部屋に隔離されて母親が食事を運んで呉れるだけで、只一人もんもんと過ごす毎日でしたが或むし暑い梅雨の朝、締め切った障子を開けて縁側に立ったとき、熱っぽい頬に涼しい風を感じました。誰からも相手にされず世の中から完全に見放されいると思っていた自分にも、空気という味方があった!大宇宙の中で生かされている事に目覚め、生きる力が湧いて結核も治癒。宗教の道を歩むことになります。 私は学生時代に無文老師の法話を何度か聴きましたが、平易な話術と素晴らしい お人柄に深い感銘を受けたものです。いつも仙人に出会った感じがしました。梅雨時が来たら思い出す短歌です。
2002.6.17
“ 人の悪口しか言えぬ人は、もう成長能力のない人であり、人の短所しか見えない人は、成長がとまった人である。”
元京都大学総長 平沢
興先生(1900.〜1989.6.17)89才
尊敬する平沢
興先生の命日です。先生は子供の時は、おとなしくて
消極的な
むしろ目立たない少年でしたが、ある時、書道の先生が平沢少年の習字を生徒達の前で平沢君は字がうまいなぁー
先生はこんな上手な字を今までに見た事がない!と褒めて呉れました。以来自信が出来て、積極的な子になり脳神経で世界的権威者にまでなられましたが、晩年僕に自信を与えてくれた習字の先生に感謝しています。今、どう考えてみても先生が見たこともない程僕の字が上手だった筈がありませんが、あの時は大変嬉しかった。と述懐されていました。
2002.6.18
“ 今までの人生で人から受けた恩をその人達に返せないので、小説を書いて人様に生きる力になればと思いながら取り組んでいます。まだまだやる事がある。”
作家 平岩
弓枝先生(1932.3.15)
長谷川
伸先生の弟子で直木賞作家の平岩
弓枝さん、1995.10.13文化センターで聴きました。実在人物を調べる時は、その人の墓を訪ねることから始める。本当にプロ意識を持った小説家だと感心しました。
2002.6.19
“ 金が無いから何も出来ない、と言う人間は、金があっても何も出来ない人間である。”
阪急創始者 小林
一三翁(1873.1.13〜1943.2.12)84才
アイデアマン小林 一三翁の言葉にドキッ!としました。お金が無いから、時間がないから、と言い訳ばかりしている自分に気付きました。電車の発着駅に百貨店を作り、デパートの最上階にファミリーレストランを持っていき、食後ゆっくりと降りて来る時に買物をして貰う。乗降客を増やすため沿線に宝塚劇場、ファミリーパークや西宮球場等、特に沿線を開発して宅地造成し、人口増を考えた素晴らしい経営者です。無一文から築き挙げたのは、松下
幸之助翁と同じですね。前向きのアイデアと行動力!
2002.6.20
“ 心が深く大きければ、豊かな人生を歩むことが出来る。人の為に役立った時、本当の喜びがある。”
真言宗住職 池口老師
1992.6.20 丁度10年前の今日、東山手町の瑞巌寺で学びました。
2002.6.21
“ やれない理由はいっぱいあるが、やれた理由は一つだけ 只やっただけです。”
ココロジー研究所長 立山
裕二先生(1971.6.21)
今日は大好きな立山裕二さんの誕生日ですので、3回目の登場。昨日NHKラジオで、俵
萌子さんの話を聞きました。俵
萌子さんは55才で運転免許を取得したのですが、決心してから9ケ月かかりました。手足の自由を失った星野
富弘さんの感動的な詞画集に出会い、運動神経が鈍った55歳でも手も足も動く自分が出来ない筈がないと頑張って、時間もお金も他人より多くかりましたが、免許取得出来ました。今さらでなく
今から!の気概、持ち続けたいものです。
2002.6.22
“ 人 生 の 目 的は、
1.死別の悲しみを、乗越えて成長出来る。
2.病気 ケガ 障害を、乗越えて成長できる。
3.人間関係のトラブルを、乗越えて成長できる。”
福島大学助教授 飯田
史彦先生(1962.6.3.)
「生きがいの創造」で有名な飯田史彦先生から、1996.9.5クレメントホテルで聴いて、目から鱗が落ちました。生きる勇気が出ました。飯田先生は、4年前は3戦全敗だった日本が、決勝リーグまで勝ち上がったのは立派な事です。試合というもはいつかは負けるときが来る。勝ち負けは問題でなく、そこから何を学んだかが大切なこと。サッカーは、思い通りにならないからこそ面白い。そして人生も、思い通りにならないからこそ価値がある。
2002.6.23
“ 虫の好かぬ相手は、自分があまり気付いていない影の部分を拡大し、映してくれる鏡のようなものである。"
臨床心理学者 河合
隼雄先生(1928.6.23)
今日73才になられた文化庁長官の河合
隼雄先生の言葉に「真実は劇薬、うそは常備薬」というのも有ります。
2002.6.24
“ たった一人で生きている人間などいない。人間とは「他力で生かされている」存在である。”
フジゲン 横内 祐一郎会長(1927.)
1996.5.17阿波銀ビジネスカレッジがクレメントホテルでありました。ゼロから世界一のギター製造会社に育て上げた汗と涙の男のロマン!胸を打つ講演会でした。本当に人一倍努力した人ですが、いい人達(社員や出資してくれた協力者、取引先等)に恵まれた僕は運が強かった。謙虚なお人柄に感動しました。著書に「運を掴む」「その気になれば」「人間の夢」など多数あります。
2002.6.25
“ 加藤君、君は漫画が上手いなぁー・・・と校長先生から褒められて、僕は漫画の道を歩むことになりました。”
漫画家 加藤
芳郎先生(1925.6.25)
担任の先生が休んだ時、校長先生が来て自習時間にするので各自本を読むようにとの事、読書嫌いな加藤少年は先生が教室を回っているのに気付かず夢中になって漫画を書いていましたが、気配を感じ
ひょっと振り向くと校長先生が立っていました。しまった!こっぴどく叱られると思った時、にこにこしながら「加藤君、君は漫画が上手いなぁー」加藤さんは益々漫画が好きになり、ついにプロの漫画家になりました。そんなに上手くなかったのに・・・・今日77才になった、チョビ髭とユーモアでお馴染みの加藤芳郎さん
小学校時代の思い出話です。
2002.6.26
“ 勝敗の差は、練習量の差。試合を見れば、その人がどの位練習したか分かる。”
元WBAチャンピオン 具志堅
用高さん(1955.6.26 )
厳しいボクシングの世界で、23勝(15KO)1敗(1KO)と輝かしい戦績を残した人の言葉だけに重みがあります。47年前石垣島で生まれました。
2002.6.27
“ あなたの持っている良心の灯を、もう少し高く掲げて下さい。恵まれない人々の為に。”
ヘレンケラー女史(1880.6.27〜1968.6.1)87才
生後1年9ケ月で目と耳の感覚を失い、「見えない、聞こえない、しゃべれない」この三重苦を背負ったヘレンケラーさんが、1955年3回目の来日された時、京都で講演会に出ました。18才だった私、すごく感動しました。今日は、生誕122年記念日です。
2002.6.28
“ 最大の災害は、自ら招くものである。”
ジャン・ジャック・ルソー(1712.6.28〜1778.7.2)66才
290年前の今日生まれたフランスの思想家です。
2002.6.29
“ 人生は 日々感動、日々転機。
人生は お遍路と同じで、後送りできない。”
女優 左
幸子さん(1930.6.29〜2001.11.7)71才
映画、テレビ、舞台などで幅広く活躍した演技派女優、左
幸子さんの誕生日です。昨年71才の若さで亡くなったのを、今知りました。(・・・・・・人生無情)
2002.6.30
“ 色は匂へど散りぬるを、わが世誰れぞ常ならむ、有為の奥山今日超えて、浅き夢みし酔いもせず。”
大乗寺専門道場 東 隆真堂監(1935.12.20)
29日、30日と海部町の城満寺で禅の勉強会に参加していました。大雨の本堂での座禅は心が洗われる思いでした。久しぶりにゆったりとした時間を過ごしました。弘法大師のいろは歌、東老師の解説がありました。美しい花は散っていく。世の中は、誰にとっても永遠のものでありえようか?根元的な苦しみや、悩みを今日越えることが出来た。もうこの世の夢、浅いも深いも酔いしれる事はない。
6月終