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● 4月 5日 奈良医大精神科・約50人の患者で作っているフロア会は、主治医を辞めさせられたことにあわせて、新しく慈恵医大から来た医師団が、気脳写の患者全員実施、精神病遺伝説、閉鎖病棟優先論などに反撥して井川助教授等新任医師5名に対する不信任決議。 ● 4月7~8日 第3回反・日本医学会総会 7日 分科会・第1分科会「医療被害と市民」。第2分科会「労働環境と健康破壊」。第3分科会「医療従事者の告発と戦い」。第4分科会「海外侵略・国内治安と医療」。8日 総会・呼びかけ人の高橋晄正氏ら発言。日本の医療を告発するすべての人々のつどい主催に医学生も参加。日本医学会総会は過剰警備の閉鎖学会となり、当初予定していた3万人を大きく下回る1万少々の参加者となった。 ● ×月 ×日 東京都下精神病院実態調査を『私立医学生の広場』が呼びかけ。実行委員会は女子医・日医・千葉大・東大・昭和大・群馬大などに福祉系大学生。 ● 4月 ×日 岡大・昨年3月26日の三里塚空港開港阻止総力決戦を闘い、逮捕、拘留されていた戦士達の中、第8ゲート突入戦と横堀要塞の一部が1年余りの獄中闘争を貫徹し、このほど釈放を克ち取った。岡大学友四戦士も、管制塔占拠の成田2161号を除く3人、成田2188号(法文5回生)、成田2075号(法文5回生)、成田2105号(医学部卒)が奪還された。 ● 4月27日 奈良医大・1年半ぶりに学生大会が成立。不正入学の解明、学長団交の実現を求め4月28日の一日ストを圧倒的多数で可決。しかしスト参加者は少なく盛り上がらず。 ● 6月 1日 奈良医大・朝日ジャーナルに河合信和記者による「奈良県立医大精神科―『不正入学』追及の報復受ける改革派」記事。立て看板に『全学友の結集で学生自治会運動の軽症発展を!学自』『立て看板防衛5ヶ月反弾圧闘争 学自』とあり。 ● 5月 ×日 昭和大医学部学生会・部室及び学生施設の移転問題にからみ自主管理県獲得をめざす。 ● 5月30日 全国「精神病」者集団、植樹祭時の弾圧について名古屋弁護士会人権擁護委に申し立てを行う。5月29日、日本精神神経学会も県警に抗議。 ● 5月12日 奈良医大・現体制支持派の体育会系が自治会執行部に選ばれる。前自治会委員長の伊木雅之君は「正直いって大多数の学生の関心は、早くこんな大学出て、医師免許を取ることだけなんです。自動車学校と同じですよ。幸い、下級生はまだスポイルされていないんで、この層に依拠して、学生の前に出てこない学長の責任追及を続けます。それと、医療・教育の総点検を進め、大学批判を深めていくつもりです。」とかたっている。(朝日ジャーナル1979.6.1) ● 6月 8~9日 京大学生会館・シンポ「錯乱と文化」。 ● 6月 ×日 東邦大 医自・看学自治会・医学部協議会(教職員職組)・生協からなる「食堂問題に関する四者協議会」発足。 ● 6月11~12日 第4回全障連大会に医学生も参加。 ● 9月 3日 障害者実態調査の中止を要求する共同声明を発表(全障連)他。 ● 11月21日 杏林大・学生部長より学生会決算報告が学長サイドに提出されていないことを口実に学生会費の代理徴収をストップ。 ● 11月29日 杏林大・代理徴収停止の理由に父兄会である杏会の会長から強く要望されたものと責任転嫁。 ● 1月30日 法務省-日弁連第5回意見交換会粉砕闘争・三百名の仲間と共に斗う「病」者集団からは、 ● 2月 8日 杏林大・P4でクラス集会が行われ、代理徴収問題は議論抜きには決定されずと総会開催の意見が出る。 ● 2月12日 杏林大・杏会と粘り強い交渉の結果、杏会代理徴収で合意した。 ● 2月18日 杏林大・18日に予定されていた学生総会を大学側の不許可通告で中止に。学外者が多数いるのでマスコミにもれるから4月に延期をしろ、強行すると処分の対象になると。更に門外で不許可済みの学生解放№17を配布しても処分と恫喝。杏会会長より不許可の総会では決議は受け入れられない。来年度に限り杏会と学生会の合同徴収にし、4月以降の総会でで意識決定してはとの話しが執行委員会に届き、処分が出た場合試験直前で戦い得ないと、杏会の申し出を受け入れた。 ● 4月19日 日本精神神経学会保安処分に反対する委員会。「監獄法改悪に関する意見書」を法務省に提出。 ● 5月20日 杏林大・「フィールド活動はナンセンスか?」杏林大保健医療研究会論文。『私立医学生の広場』第6号。 ● 5月 ×日 東海大・新学生会発足。①オリエンテーション委員会、②医学部全学生、全教授を記した名簿つくり、③伊勢原校舎の建学祭である伊勢原祭実行委員会、④クラブの連合会である健医会が所属している。 「医そっぷ」 薬学生より医学生が偉いとだれが決めたのか。親を見ていて学んだのか、プロパーのコメツキバッタぶりを医局で見て俺達は偉いと決めたのか?イソップ童話には様々の世の定めをドレイの側からひっくり返したい願いがこめられている。「カエルが選んだ王様」もそれらの一つ。昨年、我々医学生は20数大学に徳州会の徳田理事長を呼んだ。彼には医師会にない魅力があると思ったがとんだ王様だった。政界の渡辺美智雄と結び、武見太郎と和解し、学生自治会をののしり、青嵐会の代議士のように大声を上げて学生をしかりつけた。疑問を提出しただけで『私立医学生の広場』は光栄にもクソミソ新聞として矢玉にあげられた。私立医学生、ああ、この甘い存在。徳田医師には勉強をさせられた。彼を乗り越えなければ気が治まらない。 『私立医学生の広場』第6号コラム。 ● 5月 ×日 日医・不可解な進級制度に学友会で取り組み。4年にすすむ過程で26名の大量留年者が出て問題化。 ● 5月31日 岡大・午後1時半より学館前広場にて「5・25」集会実行委員会主催の"「5・25」五周年=大沢真君追悼!
「マル青同」弾劾! 廃寮攻撃粉砕! 全国大学、寮闘争勝利! 5・31岡大集会が全学、全国から結集した15大学、300名によって克ち取られた。 ● 5月31日 関東医系学生新入生歓迎会・於東大医本館階段教室。医・歯・薬・看護学生200名参加。呼びかけ自治会、東大・医科歯科・医科歯科看学・東邦・東邦看学・日医・日医看学・昭和・昭和歯・昭和薬・昭和看学・明治薬科・星薬科。 ● 6月12日 岡山大学新聞会 岡大医学部新聞部 共同声明 昨年12月以来岡大への再登場を目論む統一協会(勝共連合)=原理研は、今回「岡大学 ● 6月21日 慶応医学部臨床講堂・小田実講演会。関東私立医大生交流会主催。『激動する80年代と学園生活』 ● 6月29日 医学連第23回大会・於医科歯科大臨床第一講堂。4年半ぶりの医学連大会では秋田大の加盟が認められた。委員長松原君(MD)、副委員長亀井君(秋田)、堀内(長崎)、書記長角田君(慶応)。招請者は医学連第22期中央執行委員長佐賀宗彦君(東大医学部自治会)。 ● 8月 ×日 第10回夏の学校(於小山市)日本の医療を告発するすべての人々のつどい主催へ医学生も参加。 ● 8月 6日 民青第23回医ゼミ・於福島医大。 ● 7月~8月 関東医学部生の神奈川での取り組み・関東労働フィールド合宿。 ● 9月 1日 「医学連再開と第10回つどいに向けて」・第23期医学連中央執行委員長 松原雄一(医科歯科) 全国青年医師通信5号掲載。 ● 9月10日 日本の医療を告発する全ての人々の集い・第十回全国集会。於東京・文京区民センター。 ● 11月1日~3日 岡大医学部鹿田祭・「熟れすぎたトマトはつぶせ-既成からの脱出」のテーマで行われ、岡本太郎氏の講演会等が好評であった。 ● 11月11日 京大・京都大学医学部入門講座で富士見産婦人科病院被害者が体験談を話す。 ● 11月22日 百人委主催・「刑法改正・保安処分に反対する集会。於社会文化会館。 ● 12月 5日 東大・東大病院で富士見産婦人科病院被害者の人たちを囲んで。 ● 12月20日 九州大学セツルメント解散。1952.9.2発足 ● ×月 ×日 AMSA(アジア医学生連絡協議会)を設立。源流は1971年の第一次岡山大学医学部クワイ河医学踏査隊である。1978年のカンボジア難民を契機に、AMSA設立。 | |
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