● 1月28日 日医大新聞会主催連続自主講座・最終回「韓国の心」。在日朝鮮人青年2世にとっての統一とは 韓青同中央本部委員長 郭元基 氏。

● 2月26日 医科歯科・「在日韓国人「政治犯」を支援する全国会議」主催、刑の確定に抗議デモへ新聞会が呼びかけ。

● 3月31日 日本薬学会へ薬害・戦犯問題など公開質問状に医学連も。連名は、薬害を告発する被害者と市民の会 スモン・キノホルム訴訟で早期判決を戦いとる被害者と市民の会 反公害輸出通報センター 九州大学薬学部有志 京都大学薬学部有志 東京大学薬害問題研究会 日本大学医療問題研究会 星薬科大学新聞会 明治薬科大学学生自治会執行委員会有志 日本薬学会第97年会を告発する青年薬剤師の会 全日本医学生連合 全都薬学生闘争委員会。

● 4月23日 自治医大・学生主催の「これからの医学・医療のあり方を考える会」パネルシンポ。論者に作病院若槻医師、阪大関教授、高知県上村保健婦。日医・医歯大など参加。

● 4月27日 日医・医4クラスが教授会に公開質問状を提出。「単科留年に抗議の声」今回の医3クラスの留年は27名にのぼった.

● 5月18日 日医学生新聞医学教育記事見出し・「国試受難の医学教育を撃つ 失墜した大学権力の傘下 強まる近代化学生管理 国試対策に追われる当局」。「新教育体制を批判する 補欠クラス設定を許すな」。「日医教育の根本的誤りを探る 繰り返すな『無資格』の悲劇」「生理1 面接試験に物申す」

● 5月29日  三里塚に医学連も。全国から18000人が参加。「東山君虐殺糾弾!三里塚空港粉砕!全国総決起集会」。

● 6月10日 医歯大専門課程自治会 代議員会は松原雄一君を自治委員長に決める。

● 6月10日 医歯大専門課程自治会の主催で日韓問題講演会「韓国と僕らをつなぐもの」雨の為40名と少なかったが韓民統事務局長の趙活俊氏と朝日新聞外報部猪狩章氏の講演。

● 6月11日 医学連・「日本の医療を告発する全ての人々の集い」に参加・於東大医学部臨床講堂。発言高橋晄正東大物療内科講師。

● 6月12日 医学連・「日本の医療を告発する全ての人々の集い」に分科会参加・於東大医学部講堂他。第1分科会「医療被害と市民」、第2分科会「労働環境と健康破壊」、第3分科会「医療従事者の告発と闘い」、第4分科会「海外侵略と―国内治安と医療」。

● 6月23日 慶応医学部自主講座・於本館臨床講堂。慶応医学部自主講座実行委員会。講師:盛克己氏(三里塚野戦病院医師・千葉大出身)演題「医師からみた三里塚7年」。

● 6月24日 医葉大新聞会が関東の事務局を務める白玉光氏を救う会が軍事政権によってもたらされたスパイ事件は無罪との映画会「世界人民に告ぐ」を呼びかけ。於豊島公会堂。

● 6月25日 医葉大新聞会が「精神障害者は信用できない」との差別意識に基づいて赤堀さんが島田事件の加害者にデッチ上げられ24年になる赤堀闘争全国活動者会議への呼びかけ・於牛込公会堂。死刑執行阻止、再審開始を訴えている。

● 6月26日 医葉大新聞会が赤堀闘争、清水谷講演からのデモに誘いかけ。

● ×月 ×日 奈良医大・1958〜1969間に入学者600名の1/3以上が裏口入学という事件が明るみに。

● 8月23日 部落解放同盟中央本部主催「狭山中央10万人集会」へ医学連も参加。

● 10月 9日 日本薬剤師会第10回学術大会糾弾闘争で参加者の1人が公妨で逮捕、27日釈放。「救援」紙年表より。

● 10月30日 防衛医大生・軍医候補生として自衛隊パレードで行進。

● 11月15日(土) 刑法改『正』−保安処分粉砕広島『公聴会』粉砕現地闘争!へ医学連も参加。広島→大阪→東京連続闘争。

● 11月19日(土) 医学連(日本医科大学学友会気付)・全都薬学生闘争委員会(星薬科大新聞会気付) 「11・19日『韓』の癒着と防衛医大に反対する講演集会。於・東京医科歯科大学 講演:山川暁夫(評論家)『日韓癒着の現段階』 岬暁夫(埼玉大助教授・日中誌同人)『科学者の戦争責任。スライド『731部隊から防衛医大へ』。12月1日開院の防衛医大付属病院開院反対。

● 11月19日 第10回北大寮歌祭はクラーク会館大講堂で開催された。
 歌われた20曲余の中で、「大荒吼ゆる」は応援団によって初めて歌われた。この歌は昭和12年桜星会応援歌で河邨文一郎氏が作歌した。氏は詩人としても著名であるが、札幌医大整形外科学教授で、渡辺淳一氏は作家になるべく上京する前は河邨教授の下で講師であった。同大学の和田寿郎教授による和田心臓移植事件に疑義を挟む『小説・心臓移植』(1969年3月。後に『白い宴』と改題、角川文庫)を発表し、大学を去る。

● 11月26〜27日 医学連・全国各都道府県で防衛医大第5期第一次入試に抗議行動。

● 11月27日 千葉・防衛医大受験生へのビラまき(千葉・都賀駅)で1人が公妨で逮捕。12月8日に釈放。

● 12月 4日 緊急鑑定集中化阻止闘争一周年討論集会へ医学連からも参加。(於全水道会館)主催:松沢病院三有志の会・精神病院問題を考える市民運動の会・東京都地域精神医療業務研究会・東大精医連。昨年東京都が「地域救急医療体制の構築」と称して鑑定室を松沢病院内に設置を実施したもの。




    ●現地ルポルタージュ 「奈良県立医大の根深い誤り」坂本三郎・月刊ジャーナリスト

● 1月26日 東大・精神科病棟自主管理に対して、勝共ブロック・サンケイ新聞は突如として「白い巨塔占拠八年―東大精神科病棟これでいいのか」シリーズを掲載。機を一にして「教室会議派」は日「共」・勝共ブロックと組み精医連つぶしを開始、医学連も自主管理防衛に立ち上がる。

● 1月28日 狭山事件などを取材中に亡くなった「片桐軍三さんの死を考える会」主催の「片桐軍三追悼報告集会」が東京・真生会館に150名の参加でおこなわれた。医学連からも医歯大など参加。

● 3月 ×日 杏林大・元高看自治会役員2名を就業拒否。

● 3月26日 岡大・三里塚空港開港阻止総力決戦を闘い成田2105号(医学部卒)逮捕さる。

● 4月10日 東大精神科医師連合・「救援」紙(救援連絡センター)に「産経新聞の東大精神科病棟=赤レンガへのキャンペーンを糾弾する」を掲載。

● 4月15日 杏林大・新歓ガイダンスで学生会が「さよならCP」を上映。

● 4月20日 杏林大・新聞会の『偏向記事』を口実に執行委員会に杏会援助金(父兄から徴収したもの)50万円の学生会への引渡しを得だ神学生部長が拒否。

● 4月21日 杏林大・執行委員3役選挙に検閲制度撤廃を要求し当選。

● 4月27日 水俣病総決起集会、川本患者同盟委員長など300名、杏林学友など参加。於東京自治労会館。24日間の環境庁前座り込み、川本委員長他1名の不当逮捕以後始めて開催されたもの。カネミ油症、キノホルム薬害、シェル石油などから連帯の挨拶、26日の環境庁抗議へ。
● 5月 2日 学長告示に岡山大医学部学生自治会などが抗議。
 お 知 ら せ
 去る3月26日の新東京国際空港における事件に関し、本学学生等が逮捕された。
  このことについて、次のような学長告示が出された。  
昭和53年5月2日
                    岡山大学
告  示
  去る3月26日、本学学生及び元学生が新東京国際空港における不法行為により逮捕・起訴された。
 大学は、かねてから不法行為を禁止してきたにもかかわらず、このような事態が発生したことは誠に遺憾である。
 今後、目的のいかんを問わず、かかる不法行為を行わないよう重ねて厳重に注意する。
 なお、学内においては、犯罪行為をそそのかし、あるいは社会的秩序の暴力による破壊を呼びかけるような掲示物は厳に慎まれたい。
                    昭和53年8月1日
                    岡山大学学長 小坂 淳夫

● 5月 ×日 自治医大・自主講座「住民医療」連絡学生寮気付 「第一線医療の探求」を出版。

● 5月13日 反ソ活動を理由に弾圧を受けているソ連の精神科医グルズマン教授の為の「国際グルズマンデー」に際し、日本の精神科医の署名がソ連大使館に提出されたが受領が拒絶されたのでブレジネフ大統領に直送された。

● 5月11日 慶応医学部四谷自治会自主講座実行委員会による第一回医学医療入門講座・於解剖講堂。「臨床医が今、考えること」黒部信一。黒部医師は60年に慶応高校から医学部に入学し、60年安保に関与、医進自治会長に選出され、「高校時代は陸上・ホッケーをやっていて、むしろ右翼的な自分でさえも関心を持たざるを得なかった当時の安保闘争がいかに全学生的な課題であるかが分かるでしょう」と回顧。「医学生のあいだは自治会ばかりでなく、アイスホッケーでキャプテンを務めた。スポーツをやっていてよかったと思うのは日常の診療の中で丈夫な体がものをいう点です。ただ、スポーツは右翼化につながる危険もあります。」 氏の薦める本は岩波新書の二冊、「自分達で命を守った村」(菊池武雄著No668)と、『村で秒意気と戦う』(若槻俊一著No783)でこれを対比して読んでいただいてどっちが真の医療改革につながるか自分で考えてほしい。黒部は前者ですが、読後感想文をお待ちする」で終わった。

● 5月15日 東大・『国会調査団空振り 東大精神病棟の不法占拠』 サンケイ1978.5.16
当日精医連や医共闘学生が阻止行動。

● 5月20日 民青「医学生セミナー」なる教授講演会が順天堂で行われたが、順天堂楢林教授の定位脳手術による人体実験が社会的に批判されていることに無自覚だとして糾弾。呼びかけは「医科歯科大・坂本一仁君を支援する会」「私立医学生の広場・編集委員会」「全日本医学生連合」代表連絡先・日医学友会。

● 5月25日 慶応医学部四谷自治会自主講座実行委員会による第二回医学医療入門講座・於解剖講堂。「心の話−精神病の認識」野口昌也。
これまでの自主講座小史(1)
  「1975年の学費値上げは医学部内に大きな波紋をなげかけ『学費なんて』と無関心だった僕でさえ、最後には反対の意を強くしたものです。学費闘争で一番思い出に残っているのは、3年前、僕が学1のとき、総勢40人ぐらいで三田の塾監局に白衣デモを行ったことです。田町の駅に降りたつやいなや、もって来た白衣をかぶり、プラカードをかかげ、おっかなびっくり三田のキャンパスまで歩き、塾長の秘書に抗議文と要求書を手渡しました。
  その後、新宿・渋谷・お茶の水に分かれ、街頭ビラまきを行いました。今から考えると、クラス内であんなに団結がつくられてとても楽しかったと思います。その後、学費闘争の総括を行う中で、もっと自分達の立場に目を向けるべきではないかという話が出て、まず、医療の現場でどのようなことが問題になっているのか、もっと知るべきだという結論になり、自主講座という形で、現場の医師や患者さんの話を聞こうということになりました。
  始めたのは自治会と関係なく、全てボランテイアばかりで、現在まで、その自主的な精神はつらぬかれております。これまで取り上げたテーマはつぎの通り、」
  
  第一回 薬害を考える医師・被害者・市民  〜クロロキン薬禍〜
  第二回 医療問題へのアプローチ
  第三回 臨床医の立場から 小野重五郎(医師)基礎医学者の立場から 渡辺格(慶大教授)
  第四回 障害児問題を考える  映画『光の中に子供達がいる』上映と討論
  第五回 健康保険制度を考える 松尾均(日本女子大学教授)
第六回 医学教育を考える 斉藤竜太(医師) 牛場大蔵(慶応教授)
  第七回 医師の見た三里塚 〜土に根ざした医療とは〜 盛 克己(野戦病院医師)
  第八回 自分達の健康は自分達で守ろう 〜東洋医学に学ぶ〜
  第九回 労災職業病の認定医と産業医

● 5月25日 岡大・追悼,弾劾,そして斗いへ「マル青同(マルクス主義青年同盟)」による北津寮武装襲撃、大沢真君虐殺4周忌が行われた。自称「革命」党派による寮という大衆の生活の場への武装襲撃、という信じ難いファッショ的暴挙が現実に岡大キャンパスを血に染めたのだ。
 写真・岡山大学新聞より。
 基調報告をする奥津北津寮運営委員長

五月二五日午後一時半より学生会舘大会議室に一五〇人の学生、教官、市民によって"故大沢真君追悼、「マル青同」弾劾、寮斗争勝利5・25集会"が開催された。「全国から『マル青同』やそれと同質のエセ『革命』党派を放逐し、二度と悲劇を繰返さない事が大沢君追悼と述べられた。女子寮有志、農学生会、医学部新聞会などからアッピールがなされた。

● 5月25〜27日 日本医大第1回丸子祭・2年スタッフ80名以上、プレ千駄木祭改名。
26日には「戦争と医学」スライドを新聞会が上映。27日、仮装行列とファイアーストーム。

● 5月27日 関東医系学生新歓集会「新入生のつどい」・於医歯大。よびかけは5医学部、2薬学部自治会他20大学21団体。190名、杏林からも20数名が参加。第一部はパネル、青山岡大公衆衛生学教授、津田臨床検査技師、慶応病院放射線診断部若手医師の植田氏、明治薬科大学のKさん、東邦大学医学部生のAさんをパネリストに迎え、杏林社会問題研究会から「精神障害」ゆえに不当逮捕され、死刑判決を受けている赤堀政夫さんの無実が訴えられた。
第二部は立食パーテイー、ワインやビールを飲みながら6時から9時までざっくばらんな交流を深めた。

● 6月6日 東大医学部附属病院精神科病棟(赤レンガ)の医師、学生等による自主管理に対し、衆院決算委は向棒東大総長らを召喚して、「病棟占拠であり、警察力を使ってでも排除せよ」と迫る。

● 6月9〜10日 岡大医・学生会委員長選が行れ、現委員長推薦の小寺君が圧勝した。
関票結果は次の通り 当選 小寺良成 四八〇 島袋隆 九八 白票 三十 無効 九

● 6月22日 杏林大学生総会9年目にして流会。全ての発行物検閲には学生の強い反撥。

       浜松医大吉利和学長・「新聞は報道の手段だというが、主張のない報道はない。何らかの立場に立った報道であることは当然であろうが事実に基かない報道は報道の名に値しないものである。……中略……自治会活動は学生にとっては書くべからずのものであると私は信じている。大学は自ら学ぶ意思のない人にとっては、何も与えてくれないが、何らかを求めている人にとっては、無限のものを与えてくれる。自治会という組織を通じて、学生は自ら考え、自らの力をためす場所を与えられたのであり、本学でもそのような無限の可能性をもった組織として発展してもらいたいと思っている。」浜松医大新聞創刊号。
       (吉利和元東大教授は教え子の小西君がハイジャックした機内で乗客健診をした。)

● 6月23日 日医・学友会室が禁煙、坂東委員長は反対するも押し切られる、罰金千円。

● 6月24日 東大赤レンガ支援集会・於東大医学部3号館講堂。千葉動労支援署名もなされる。「政府=自民党の弾圧、介入に抗議し、東大精神科病棟自主管理斗争を支援する市民集会」は、講堂を満席にし、立錐の余地もない市民、労仂者、患者、家族、学生で埋め尽くされた。

● 6月27日 全日本医学生連合大会開催のための東京連絡会・於日医。東大・MD・慶応・日医・昭和・杏林。

● 6月30日 岡大病院小児科の加担に触れ、森永ヒ素ミルク告発・「井上周次さんの死に寄せて」岡山大学新聞 再刊第2号(通刊237号)。

● 7月 4日 杏林大松田博青副理事長が1億6千万円の脱税と読売新聞が報道。「杏林大副理事長が1億円、父兄からヤミ入学金、密室経理フトコロに、、大学多額の政治献金も?」の見出し。

● 7月 6日 杏林大学医学部16サークル連名で抗議の民主化要求立看。(社会問題研究会・棋道部・プシケ・SF研究会・自然愛好会・水泳部・英語同好会・落語研究会・保健医療研究会・バスケットボール部・スケート同好会・自動車部・サッカー部・軟式庭球部・ラグビー部・寄生虫研究会)

● 7月 7日 杏林大学医学部三鷹学生総会が三鷹学生総会決議。300名を越える学生が参加し勝沼医学部長や徳田学生部長を問いただす。「 @、今回の副理事長の不祥事は我々学園の社会的信用を失墜させまたも学生との信頼関係を打ち壊した。副理事長の社会的道義的責任は不可避であり、更にこれを許してきた理事会の責任も同様である。よって我々はここに副理事長を含めた総理事の退陣を要求する。 A、再びこの様な事態を引き起こさない為にも、かねてから我々が要求してきた経理公開の必要は自明である。よって我々は再度ここに経理の完全公開を要求する。 B、学生との信頼関係を裏切ることなく勇断を持って教授会は学園の民主化に着手することを要求する。 C、大学当局はマスコミの報道に事実誤認があるというなら、それを学生の前に明らかにし、マスコミに対して謝罪文を要求すべきである。」
1978年7月7日 杏林大学医学部三鷹学生総会
同日、杏林大学医学部学生会三鷹執行委員会(委員長山岸業弘)が教授会へ要望書。

● 7月 8日 杏林大学医学部・150名で学生集会。

● 7月10〜!$日 杏林大学医学部 10日より夏休みに突入。学生の特別委員会が教授にあい学生の意志を伝え、真相究明、学園民主化に立ち上がるように要請。

● 7月11日 杏林大学医学部・杏会会長が父母宛に「本件は副理事長個人の問題で学園に関係ない。一部学生が学園紛争を起こそうとしている。本件に学生がかかわらないように指導してほしい」との内容の手紙を送る。

● 7月14日 杏林大学医学部教授会・議長(学長)が脱税事件を取り上げないようにしたが、数名の教授から追及を受けるが封じ込めて閉会を宣言。

● 7月16日 全日本医学生連合大会開催のための東京連絡会。

● 7月23日 杏林大学医学部 16サークル連名の民主化要求立看が盗まれる。同日、父兄より執行委員会宛に激励の手紙が来る。

● 7月25日 杏林大学医学部 盗まれた民主化要求立看を作り直す。

● 9月 3日 日本精神科学会評議員会は、獄中での強制医療などについて反対決議と赤堀さんの死刑執行阻止を採択。

● 9月8〜10日 日医学友会箱根合宿・小田実の「われわれはみんな同行者」(市民運動への提言を述べる)本の読み合わせ、何故医学部にはいたかから、新聞の切抜きや本のコピーの読み合わせ、有二立法やクロロキン、水俣病、在日朝鮮人、弁護人抜き裁判、刑法改正まで多岐にわたり語り合った。5時になり、76年の学友会正副委員長の到着で医学連の再開について話を聞く。学食の改善は日労組と協力してゆく、医学連はあくまでも自治会連合としての医学連、つまり学生に密着した医学連の再建に協力する、など。他に医心研は志賀高原に医学生29名の大人数合宿、大勢の喘息や自家中毒などの心因性が絡んでいる子供を迎えて「子供合宿」、とびけりを食わせる子供もいてどの部屋も蜂の巣をつついたよう。体中引っかき傷がいっぱいの学生もいたとのこと。農医研は7月31日から8月2日まで工場地帯の新フィールド・神栖町で合宿。

● 9月29日 奈良医大・1年生クラスが不正入試で無期限スト突入。49日間続いた。

● 10月 7日 日医・日本医大学生新聞「日医評論」医教育の荒廃をつく…C 国試の予備校と化した日医。
      中退私記「国府台にあった医進課程の校舎は今も緑に包まれていることだろう。オールをもって江戸川に急ぐと里見公園の下にボートは置かれていた。「アイン・ツバイ・ドライ」のかけ声で舟を押し出すと、松戸から流山の急流まで一息だった。楽しい思い出はボートの上にみんな寄せられている。二度ほど、無期低額処分を受けて、退学したのは昨年のことだったが、「届け」の字をジッとみていた学生部長が「上手な字だね」と言ったのが在学中に日本医大から誉められた唯一の言葉だったのではないだろうか。朝日ジャーナルに「卒論」を書いて、日本医大は急速に私の中で風化してしまっている。ただひとつ気がかりなのは茂古沼君の身に覚えのない濡れ衣のことだが、地裁判決の前に他の判事・弁護士・学者などに、「無罪にならないか」私なりに聞いてみたけれど司法界の内情は私などが知る以上で「まず無理だろう」ということであった。ドレフェス事件のことを思い浮かべ暗澹たる気持ちになるのだが学校ぐるみの支援を受けても、「有罪」判決という時代をかみしめる他ない。裁判所に被告側はダマサレていたと思うし、何故にこのような判決が出たか論理的に解明しなければ、第二、第三の茂古沼君が日本医大からでるであろう。ただ、砂川闘争の頃に全学連副委員長をしていた枝君の裁判のときよりもいいと思う点がある。彼のときは60年安保を過ぎて一審で勝った頃には日本医大生は誰も来なくなり、農工大・日本鋼管・国鉄・川崎製鉄などのグループが傍聴に来ているだけだった。茂古沼君の場合は大勢の学友がしんぱいしてかけつけてきているから大丈夫だ。「技術指向」のなかった私は医学の道は歩まなかったが、フッといや気がさしたときはぜひ高知へ遊びに来てください。岡山の青山教室からずいぶん若い人が来ていて、「高知職業病センター」をつくって活発にやっていますから見ていったらどうだろうか。きっと元気になられて上京することだと思う。   日本医大学生新聞 第48号 1976.10.7 中退私記・下司孝之

● 10月21〜22日 日医・千駄木祭テーマ「いざ去りなん無気力の時代を!」。講演:高橋晄正東大物療内科講師「明日への医療―荒廃した医療の再建を考える―」。病理学教授金子仁先生の「千駄木市民講座―成人病について―」。企画に防衛医大問題を取り上げた討論と講演。「金大中事件・告発」の映画と評論家・青地晨の講演。

● 10月24日 奈良医大教授会・1977.8.9 暴力事件などを口実に精神科野田正彰講師の懲戒免職決議。学内で処分すべきとの市場部長の県議会答弁を教授会がストレートにこたえたもの。

● 10月28日 奈良医大学生自治会(自治委員長・伊木雅之君)。自治会ニュース10号に「不正入学者全氏名公開を克ち取ろう」と2ヶ月の戦いの山場に檄。
1968年朝日がすっぱ抜いたとき、当時の民青学生自治会執行部は大学当局と「民主か5項目」のきれいごとで2年生のストをつぶし、終息させていた。

● 10月29日 奈良医大学生自治会。不正入学の先輩名を1名、まず公開。学内に激震走る。
自治会は不当に落とされたものの立場に立脚点を置く。学生の側にも突きつけられるものだと。

● 11月 1日 奈良医大教授会・44対4の大差で氏名公開を決議。しかし、事務から回ってきた氏名を観た教授の顔が変わった。ある外科医局は1名を除いて名前があった。封建医局講座制の盟主である教授が身内をかばう論理は何者にも優先する。

● 11月 8日 奈良医大教授会。医局員はクーデターを練っていた。31対17で入試成績一覧表を教授に手渡すことになり、7時半に手渡される。その直後に堀学長不信任案が可決され教授会は大混乱になる。自治会ニュースは「真相隠蔽のための学チョいう不信任決議を糾弾する」。

● 11月12日 奈良医大学生自治会。県庁前で不正入試真相解明のビラ撒き。自治会に同調した医局は精神科のみ。

● 11月10日 奈良医大学生自治会。奥田知事が「マル特」と呼ばれる入学枠を持っていたことを暴露し、緒方元学長も、知事から依頼されたことをかたり始めた。奥田知事は内務省官僚を経て官選群馬県知事などを渡り歩いてきた官僚で七選。全国知事会長。

● 11月18日 医学連では久々の白衣デモ。防衛医大入試反対で市民にアピールする為、入試会場の市ヶ谷基地に向けたデモで骸骨のお面をつけています。

● 12月10日 東医体新聞に医学連委員長佐賀宗彦君(東大医学部2年)が「成功おめでとう」と防衛医大反対闘争を通して一文を寄せている。東日本医科学生綜合体育大会夏季大会は34校延べ1万人の参加で行われた。東医体の防衛医大加盟拒否については1976年の東医体新聞に詳細。

● 12月12日 奈良医大不正入試事件にからみ、有岡精神科教授の疲労入院を待っていたかのような教授会による有岡教授免職決議。一週間後に辞表提出。

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