● 1月20日 日大は本日を持って看護学校の処分学生退学要求を出していた。日大看学処分撤回闘争を全都200人で戦う。2名の医学生が逮捕さる。当局により日大医学部学生委員会室をバリケード封鎖される。

● 1月 ×日 京大医自治会・医自選挙で民青に圧勝。

● 1月 ×日 千葉大・看学闘争へ。

● 1月14日〜15日 歯学連が十数大学を結集し、東京歯科大で大会。 医学連からも挨拶。民青は歯学連も二つあるといって笑いものになっている。実際は阪大歯学部が民青支配が終わり、九州歯科大だけとなっている。

● 1月24日 東大・赤レンガを100数十名で民青・右翼より防衛。

● 1月25日 日本医大看学・卒試撤廃・カリキュラム・実習問題で全学スト突入。

● 1月27日 東北大医学部闘争委員会・女川原発阻止に取り組み、現地総決起集会へ。

● 1月29日 平和台病院(神戸)スト半年突破集会。医学連・反戦・叛軍など150参加。

● 1月30日 昭和大・医学部5年生の大量留年問題の川上医学部長と小池学生部長とのM5クラスの話し合い、教授は欺瞞的に対応。

● 2月 3日 昭和大・医学部5年生の大量留年につぎ、医学部執行部と教授会の少数者が大衆討論会。

● 2月 3日 奈良医大・精神科教室解体へ、M4を除く全学スト。

● 2月 3日 奈良五条山共闘会議結成。(五条山精神病院糾弾)奈良医大学友が多数出席。

● 2月 4日 医学連関西ブロック統一行動。(大阪)

● 2月 5日 昭和大・M2クラスが教養、学部にまたがる進級制度の不明瞭でM2がクラス会で討議し、医学部教授会の責任を問うべく要求書提出。

● 2月 8日 昭和大・医学部5年生の大量留年につぎ、M2と教養、学部の教授会が話し合い。

● 2月 ×日 九大同窓会誌・九大医報から学生会員を排除して異論を封殺するため同窓会会則が改正され、同時に、同年6月にはその九大医報を見限って同窓会誌「学士鍋」を創刊。

● 2月10日 全日本医学生新聞75号・「日共革命論批判 スターリニズム・日共革命論の基本的根拠」稲村健一論文。

● 2月10日 京府看学・40名で集会禁止をはねのけて決起集会。阪市大・京大看学・関西精医研からの発言。医学連からは書記長が挨拶。

● 2月11日 九大梶山学生課長・永井学生参与(教授)より医療技術短期大学設置に伴う学生自治会室と控室の立ち退き要求が出された。

● 2月12日 医学連関西ブロック・大阪ロイヤルホテルで開催されたSEAMO(東南アジア医療・保健機構)の作業部会へ100名で抗議行動。(阪大医20数名、和医大20名、京大医、京府医、奈良医,阪医大、市大医、関西医大)三次防とともに出発した侵略反革命の尖兵、AMOがSEAMOとして東南アジアへ焦点を当てて登場する事を許さない。

● 2月12日 九大・梶山学生課長・永井教授。医薬自治会室及び、控室立ち退きを要求。

● 2月14日 九大・PT(理学療法士)、OT(作業療法士)国家試験ボイコットを4名の学友で貫徹。

● 2月15日 東北大精医研・福島医大学友会は仙台高検の刑法改正作業に50名で抗議。

● 2月16〜17日 長崎医学部・15日の学生総会でスト決議。

● 2月16日 北大・博士号資格審査粉砕(医師会館)を医学闘・青医連40名で。

● 2月17日 帝京大学医学部新設阻止闘争。(東京)

● 2月17日 阪大医・沖縄協定強行採決でスト。

● 2月18日 千葉大学医学部・47団体の要求を軸に学生大会で全学スト闘争。

● 2月18日 札幌でも保安処分粉砕北海道委員会の医学生等は厳戒下のビラまきを刑法改正研に20名で。

● 2月18日 阪大・新入生の身体検査時、健康管理に名を借りたUPI(九大で行われているもので阪大では試験段階)導入に暴露闘争。16日に20名で

● 2月19日 長崎大学医学部・研修医問題でスト。

● 2月19日 医学連・同志社大学学生会館で行われた医学連中央執行委員会はかねて要請のあった和歌山県立医科大学学生自治会からの医学連復帰問題に関して資格審査を行い正式に権利停止処分を解除し、名実共に医学連関西ブロックの一員と認めた。医学連関西ブロック書記局は大阪市北区常安町33阪大医自治会気付。06-451-0051内線2539

● 2月21日 日本医大・看護学生就労拒否 日本医科大学法人・高橋末雄理事長を「日本医大5人を守る会」が1月22日レッド・パージとして告訴。2月21日に初公判。

● 2月22日 三里塚強制代執行阻止・この間、野戦病院に20医学部より延べ500人の医学生が参加。

● 2月22日 東大北病棟移転阻止闘争公判・於東京地裁へ医学連動員。特別弁護人、高橋晄正東大講師。

● 2月25日 保安処分粉砕全国共闘東北ブロックは東北大で福島医大など全国に先駆け150名の参加で集会。

● 2月26日 医学連200名、保安処分粉砕全国共闘会議へ参加。500名結集。於・南部労政会館。(東大、日医、MD、京府、京大、東邦、女子医など多数の医学部から参加)。

● 2月27日 長崎大学医学部・無給医と合同討論会。

● 2月27日 医学連らの保全共が300で法務省デモ。

● 2月28日 医学連、保全共のゼッケンで30名、刑法改正研究会の行われた法曹会館へチラシ配布。

● 2月28日 鳥取大医学部・非常勤制導入阻止で1日スト。

● 3月 ×日 京大・医学部の授業時、赤軍派上野勝輝君は獄中2年になるが出席点呼で教官の「上野君」に対して、学友は「意義な−し」と応えていると、全日本医学生新聞85号のコラム「疾風知勁草」は書いている。「赤旗」は治安維持法で捕まったこともある林百郎議員が、「過激派」取締りがぬるいと警察をしかりつけ、更に「赤旗」は16歳の少年赤軍派の顔写真と名前までも掲載、ブル新すらもなしえないことをしている。(2月29日)

● 2月 ×日 医科歯科教養・自治会戦勝利。『医自連』結成への自己批判要求。

● 2月 ×日 慶応医・選挙選勝利・小児科医師のレッド・パージ粉砕闘争。

● 2月 ×日 順天堂医・自治会選勝利。

● 2月 ×日 千葉大採血ミス事件裁判闘争を医共闘・看護反戦・青医連などで支援。

● 2月 ×日 東邦大医・自治会選勝利。民青は対立候補すら立てられず。学長選粉砕闘争へ決起。

● 2月 ×日 関西医大N君へ処分攻撃、反撃を準備。

● 2月 ×日 京大医・自治会選勝利。新病棟移転阻止闘争へ。

● 2月 ×日 女子医・自治会建設に2名処分、70万円学費値上げへの先制攻撃。。

● 3月 1日 医学連通達より・医学連大会の行われていた1970年12月2日深夜に日向派テロに倒れた倉田君について全日本医学生新聞86号が記事掲載。破防法裁判を支える会事務局員であった倉田豊寛君への襲撃に同会世話人からも抗議文。

● 3月 1日 全日本医学生新聞86号が、東邦大医学部精神科額田教授が世話人をするアルコール関連問題協議会が保安処分を推進していることを糾弾する記事掲載。

● 3月 1日 日本医大看学・スト勝利決起集会。看共闘、医学連参加。

● 3月 1日 パレスチナ義勇医療戦士の公募・オールド医学連より医学生へ。 2年間滞在し治療に当たっている信原孝子医師(大阪市大卒)より。(全日本医学生新聞86号掲載)。

● 3月 6日 九大医学部,昭和44年7月以来中止の助教授・講師選考委員会を再開。

● 3月 9日 医学連・病院反戦。健保改悪阻止闘争(清水谷公園→国会→厚生省→日比谷公園)200名参加。

● 3月 9日 長崎医学部・学生大会。

● 3月19日 金沢大医・井上教授による「俺の言うことに従わない者は一生医者にしない」への裁判が結審を向かえ、学生側が勝訴。

● 3月11日 千葉大医の諸君が関与する千葉保全共が100名の参加で県下討論会を持つ。障害者のコロニー建設問題が話され、@障害者が施設を利用するという形にする事。A利用者の自主管理に委ねる事。B利用者の自主判断による出入りを自由にする事。C利用者の諸要求を満たす設備を備える事を、要求を抱えていることが話し合われた、

● 3月15〜16日 長崎医学部・機動隊導入し、常駐下に試験強行するも80%がボイコット。

● 3月19日 AMO・医大新設阻止総決起集会(於・東大看学新講堂)。

● 3月20日 京大新設病棟移転阻止闘争、200で。京大内の医療労働者学生に連帯して、関西の医療労働者医学生、看学生、C戦線、L戦線結集。

● 3月20日 奈良医大を先頭に関西医大など、五条山病院患者虐殺糾弾闘争。奈良女に集まり、70余名で市内デモ。北林院長宅へ50発の紙つぶて。

● 3月22日 精医研京滋ブロック・滋賀県「精神衛生業務関係者研修会」へ介入。講演者二人は井田英乃夫医師(小曽田病院・元大阪府精神衛生係長)と村上仁京大医学部教授で、井田医師は1970年に続発した大阪府下精神病院でのリンチ殺人事件をもみ消しに奔走し、自分がかばいだてた病院に天下りしていることなどを暴露し、自己批判を迫った。

● 3月22日 民青医ゼミに私立大医分科会設立準備会。於東大・岩手・女子医・東邦・久留米が参加。入試実態調査を行うと。

● 3月23日 AMO協議会粉砕・対外務省デモ。医学連・病院反戦など参加。(清水谷公園から日比谷公園へ)。

● 3月24日 京大新設病棟移転阻止闘争。医学連関西ブロック、C戦線、L戦線と。

● 3月25日 京大新設病棟移転阻止・病院突入闘争。

● 3月25日 東大・AMO視察団東大病院視察阻止、中止をかち取る。

● 3月25日 京大新設病棟移転阻止・外科計7科移転完了。

● 3月27日 医学連、精医研、PSY共闘などは関西からの上京組みを含めて90名で清水谷公園から法制審議会へ抗議デモ。

● 3月28〜29日 東北大医学部闘争委員会・女川原発阻止に取り組み、現地総決起集会。

● 3月28日 弘前大医・青砥君と穂積君をただ「赤軍派」だという理由だけで退学処分に。
これを「赤軍罪」という。

● 3月29日 医学連中央執行委員会の声明・弘前大「国家・大学の政治処分」。抗議文 白淵勇学長殿 弘前大は3月28日、赤軍兵士青砥君(医学部3年)、穂積君(医進)、植垣君の退学処分を発表した。今回の処分は国家権力の意をくんだ明確な、政治的処分であり、逮捕されたことのみが理由ではなく三君の革命家としての思想性を理由としたものである。このことは連合赤軍=気違いのマスコミキャンペーンに屈服し、これと軌を一にしたものである。我々医学連は統一赤軍の誤りを自らの教訓にしながら、その革命的英雄的精神を受け継ぐものであり、かかる政治的処分に対し、強く抗議し、弘前大医の同志達の反撃を要請するものである。

● 3月29日 医学連中央執行委員会の声明・長崎大「大学法理念の体現処分」。抗議文 佐藤純一郎医学部長殿 長崎大医では3月25日、「連続留年」を理由に不当にも2名を除籍にした。この留年は、単に個人的な資質の問題ではなく、「医学に向かない学生は早く方向転換させた方が本人のためになる」という学則が根本の問題である。かかる学則は、学生の闘いを一切圧殺するだけではなく、大学の教育方針に合わない、治安管理を乱すことを「医学に向かない」ということにすり換えることで、「大学法」の基本的意図と同じであり、医療の反革命的統合を目指すものである。我々は、長崎大医の政治的処分を糾弾し、革命の発展に全力をつくす決意である。

● 3月30日 医学連中央書記局の声明・「連合赤軍の銃撃戦・粛清問題への我々の見解」。

● 3月30〜31日 看護戦線合宿・於京都。

● 3月31日 日赤大宮看学闘争で2名が卒試ボイコットで退学。

● 3月 ×日 大阪市大・2~3月、三里塚空港用地強制代執行阻止闘争へ上京。全軍労スト支援、インドシナの正規戦争下に於ける米軍−南ベトナム政府軍の敗退。

● 4月 1日 文京区愛知 揆一外相宅前旅館での医学連春合宿は戦旗(日向派)の無原則的な党派介入ゲバの為に中止。戦旗派は医学連の叛軍闘「地区ソビェト型組織」への解体・再編を要求。医学連合宿にセクト機関紙「戦旗」の読みあわせの押し付けが反撥をかう。

● 4月 4日 反医学会総会(共立講堂)医学連50名の部隊で登場、医学生400名参加。総会は2000名の市民と労働者が参加。医学会総会に虎ノ門病院沖中が予定していた天皇参加は得られず皇室なしの総会に後退した。
反医学会総会、東大での第一分科会(日本の侵略と医療)、第ニ分科会(地域環境破壊と医療)、第三分科会(労働環境と健康管理)、第四分科会(医療矛盾と市民)。

「過激派とくっついた被害者には謝るな」昨春の医師会誌に「被害者・患者による闘争に対し、患者打倒を目指し闘え」と記載。第20回日本医学会総会追及委員会総括より。


● 4月 5日 反医学会総会が清水谷公園から「国民を入れない医学界総会」が開かれている武道館へ300名の市民デモ、清水谷公園では襲ってきた85名の戦旗(日向派)を医学連35名で撃破。これを機動隊が襲撃し13名の逮捕者、デモはすぐさま出発。

   若き日にデモを組たるこの丘に染井吉野は今盛りなり
   公園に 林立したる 赤旗も 今は幻 桜爛漫
   吾を追う 機動隊員 影もなし 半世紀過ぎ 桜満開
                       (清水谷公園)
     2009.3.28大学退官記念歌集 砂川正勝

● 4月 7日 琉球大保健学部・寮をロックアウト・強制在寮闘争。

● 4月14日 平和台病院闘争・労組員が逮捕される。

● 4月14日 刑法改正策動、破防法ー保安処分と戦う東京大集会・医学連が参加。5時半、九段会館。主催は保全共。

● 4月14日 東北大・後期研修を行うに際しての要望提出。43青医連、44研修医会。

● 4月15日 美濃部都政・都立病院医師、看護畏怖7名を処分。

● 4月16日 京大・カリキュラム拒否闘争。賛成200、反対52、保留18でスト突入。京大では連続医ゼミを開催。

● 4月20日 日本医大・学友会室がある仮学生会館を戦旗派が荒らす。

● 4月20日 京大医学部・連続医ゼミ『武谷批判』。

● 4月20日 大阪市大・1969年医学部封鎖闘争の第10回公判『医共闘裁判』が大阪地裁で開かれ、第一内科塩田教授が出廷、証人喚問。民主化基本綱領の確認をめぐる問題から医局講座制の矛盾へと発展し、医学部教授会の無責任性をするどくつく弁護側の尋問が行われる。

● 4月23日 美濃部当局の都立職員7名への4・15処分に対して決起集会(於・東大)に医学連など100名参加。

● 4月23日 埼玉看護学校・小山たえ子さん事故死。

● 4月23日 医学連新入生歓迎集会(MD)・130名で。

● 4月25日 沖縄・入管・朴三選阻止全関西労学統一行動に医学連を含む医療戦線150名で登場。

● 6月25日 京大医自・ストを維持、医学部長室バリ封鎖。

● 4月25日 岡大医学部生・『岡山・森永告発』(ヒ素ミルク製造会社『森永とその犯罪を支えた一切を告発する会』結成に関与。

● 4月27日 京大・カリ拒否続行、沖縄闘争(169対49対2)で決議。

● 4月27日 東大医自(民青)呼びかけ、4・28前夜祭。「映画と講演の夕」・映画「わが青春に悔いなし」黒沢明監督。講演「不戦の誓いをあらたに―ある作家の戦争体験を通じて―」早乙女勝元氏。医学生70参加。

● 4月28日 日本医大看学スト・95日目に解除して沖縄闘争へ。医学連・清水谷沖縄集会(蜂起派)へ。

● 4月28日 琉球大学保健学部・保共闘30人でデモ。(医学部に先行して、復帰前の米占領下の昭和43年、保健学部が設置されていた。)上京してくる琉球大と医学連の交流があった。

● 4月28日 大阪市大・沖縄闘争。

● 4月 ×日 福島医大・自治会戦勝利。

● 4月 ×日 阪大・市大不正入試事件。昭和43年から46年にかけての、国立大阪大学医学部不正入試。「不正入試に思う」大阪市大医学部新聞52号。

● 5月2〜3日 三里塚野戦病院・100名のガードマンの夜襲を受ける。重軽傷者多数が出る。

● 5月2〜3日 民青が医学生ゼミナール。1973年になってこれを第14回医ゼミと偽造。
於東大・医学連正常化連時代。

● 5月 6日 金沢・150日間のスト解除。井上法医教授のストライキを反省しない限り抗議、卒試を受けさせないという処分。教育リンチ。

● 5月 8日 日本医大看学自治会の5名に無期停処分。雑誌『構造』6月号に詳細。

● 5月 9日 看護婦協会へ看護婦反戦など介入。

● 5月14日 市大・「全生活領域における生協化を!市大医学部生協事業所」論文。市大医学部新聞会が臨床講堂使用・電話設置を要求。大阪市大医学部新聞52号。

● 5月15日 平和台病院支援集会300名に医学連70名が介入。(於・神戸)

● 5月19日 琉球大保共闘・30人街頭戦。

● 5月19日 横浜市大医学部行動委・反安保闘争。

● 5月19日 全関西医療戦線80で京都円山公園集会へ。

● 5月20日 奈良県立医大・自治会選、おそらく戦後民青に初勝利。委員長に中野君(185対146)副委員長に中島君(209対121)。

● 5月20日 琉球大保共闘・スト突入。

● 5月21日 美濃部当局の都労働者首切り粉砕、都庁へデモ。

● 5月21日 奈良医療戦線・五条山病院へ京大などの学友を迎え第二波告発デモ。

● 5月21日 琉球大保共闘・50名で大学学生部へデモ。

● 5月30日 横浜市大医学部行動委・反安保闘争。

● 5月 ×日 大阪市大・三里塚第二次強制代執行阻止闘争に派遣、戦いは続く。

● 5月 ×日 名大医・学生教育委員会が学生教育委員会の活動報告・No2.

● 5月 ×日 5月には学新は医科歯科・日医・昭和・久留米医学生新聞などが発行された。

● 5月 ×日 沖縄問題研究会・日本医大の沖縄出身者や看学生とサークル結成。

● 6月 1日 昭和・昭和大医療戦線(準)からAMO大へ再編される昭和大レポートが医学新78号に掲載。

● 6月 1日 岐阜大・医療問題研究会から医療の侵略への再編が為されていくレポートが医学新78号に掲載。

● 6月 1日 医学新78号1面掲載の医学連闘争スローガン。 ☆アジア医療機構(AMO)粉砕! ☆防衛医科大学設置を全力で阻止しよう! ☆非常勤医師体制実質化阻止! ☆保安処分刑法改悪反対! ☆インドシナ革命戦争万歳! ☆日帝の侵略反革命粉砕! ☆日帝の反革命統合医療体制粉砕! ☆医学連に結集する全ての学友諸君は、6月闘争を断固として戦い抜こう! 
☆大胆に、大胆に、更に、大胆に!

     【アラブ連帯】 アラブ人民支援を医師の信原孝子さん(30歳)と中野マリ子さん(28)がパレスチナに旅立っている。
     二人は病院反戦の活動家でベイルート郊外のエルサレム病院で治療にあたっている。
     延原さんが語るところによると、アラブは男尊女卑が酷くて、男性医師もほしいとのこと。

● 6月 1日 北大医・8日までの『沖縄』バリスト決議。民青自治会案粉砕する。

● 6月 7日 防衛医大設置懇談会第1回会合へ緊急行動。医学連50名のデモ。

● 6月 9日 日本医大・反レパ闘争委を40名で結成。

● 6月10日 医療告発定例デモに医学連も参加。清水谷公園3時。

● 6月10日 東大・第2回東大精神医療ゼミ、50名で。

● 6月10日 千葉大医学部生・『千葉大採決ミス事件』公判(千葉地裁)に参加。

● 6月13日 埼玉看護学校・小山たえ子さん追悼、当局抗議集会に300名。医学連・看共闘が参加。

● 6月13日 和医大は150名で高橋晄正東大講師を講師にシンポ。晄正の日共医療運動論批判に民青自治会執行部は答えられず、沈黙。その後、和医大医療戦線60で独自集会を持つ。

● 6月14日 保安処分粉砕全国共闘会議・準備会を結成(於・東大)。

● 6月14日 東北大医学部・女川原子力発電所工事実力阻止をM闘独力で7月12日まで戦う、8名逮捕される。

● 6月15日 日本精神神経医学会・『保安処分』反対決議を賛成446、反対2、保留5で決議。医学連傍聴。

● 6月15日 医学連70名で明治公園反安保大集会へ。

● 6月15日 岩手医大・病院反戦と街頭デモ。当局は通信物検閲体制を敷く。

● 6月15日 東北医学闘・民青医自が学生大会80でしかなく、医学闘は片平結集、医Cの半月ストと合流。

● 6月15日 神戸大・200で平和台病院問題と高橋晄正氏によるシンポ開催。

● 6月15日 阪大医学部医自・スト。自治会案194:82:37可決。 民青「全学連」連絡会議案43:186:66で否決。

● 6月17日 医学連250名で渋谷宮下公園での独自集会。東大・医科歯科・日医・女子医など関東各医科大学と、上京してきた北大医学闘20名を始め、大阪医大・京大・奈良などが結集。

● 6月17日 横市M1山猫沖縄スト。刑法学会への参加から医進へも呼びかけている。

● 6月17日 岩手医大・病院反戦と20余名で街頭デモ。17日、6名検挙。

● 6月17日 阪大医学部医自・スト。

● 6月17日 関西医大・Cスト。

● 6月17日 神戸大医学部・スト。独自デモ。

● 6月17日 関西医大医進でスト。医学連が消耗している隙に民青委員長がなんとなく登場した関医で戦う学友の手でストが打たれ、自治委員長不信任の声が早くも出始める。何よりも4年前の研修協約闘争が民青のたれこみ、日共=東田教授を先頭にした当局につぶされ、学友が処分されたことを忘れてはならない。

● 6月20日 昭和大医・M3クラス会から『前衛』を気取る医執行部に6・11学生大会で不明確な方針を出したことへ公開質問状。

● 6月24日 五条山病院弾劾労学市民集会・400参加(奈良)。野田正彰医師、高杉晋吾氏が講演。医学連も参加。

● 6月25日 京大・医学部長室バリ封鎖。中教審路線を学内で推し進めようとする岡本構想と四つに組み、M闘・M自はバリ封鎖へ。

● 6月28日 千葉大採決ミス公判(千葉地裁)。公判シンポに350名。看護反戦が支援。昭和大医学部生が取材。

● 6月 ×日 秋田大学医学部・映画『水俣』に600人。

● 6月 ×日 東邦・医学部学生大会、部室移転阻止の決議。

● 7月 1日 診療報酬をめぐり医師会が保健医総辞退,7月1日から保険医総辞退に突入した。総辞退は, 43 都道府県が一致結束して参加し,7 月末まで1 か月間続けられた。武見会長と佐藤栄作首相,斎藤昇厚相との会談で12 項目が合意された。

● 7月 1日 横浜市大医学部行動委・医学連への提起。医学生新聞70号。
同号に稲村健一氏の『砂上の楼閣・日共革命論批判 補章』

● 7月 9日 平和台病院第一回公判・獄中同士奪還集会。長田署から医師会長宅へデモ。

● 7月14日 東大医本館1969.1.18公判闘争。(医学部総合中央館1グループ 被告13人 凶器準備集合・不退去)

● 7月14日 歯学連全国大会。(於・東京歯科大学、水道橋)全日本歯学生自治会連合で医学連は来賓挨拶。

● 7月17日 第一回関東保安処分活動者会議。テーマ『精神医療の現実』。

● 7月19日 昭和医大・烏山病院野村満医師解雇される。

● 7月22日 東大北病棟移転阻止公判闘争。

● 7月23日 『平和台・医療を考える地域住民の会』(神戸・平和台病院労組を支援する運動)
講演会講師「高橋晄正」。

● 7月25日 京大・府医大精医研主催保安処分討論集会に200名参加。於京大楽友会館。

● 7月27日 第二回関東保安処分活動者会議。テーマ『刑法改正と保安処分』。

● 7月31日 平和台病院スト一周年デモ。医学連など200人参加。

● 7月 ×日 医学連など朝日新聞へ抗議。大阪・奈良・京都などの学友に医師も加わって、和泉ヶ丘病院暴動プレスコードに対して、朝日新聞社大阪本社屋へ『保安処分粉砕』『和泉ヶ丘丘病院告発』などの横断幕を持ってデモ。

● 8月 1日 九大・中村病院九大生虐殺事件。

● 8月3〜5日 『日本の医療を告発する全ての人々の集い』第一回夏期学校 100名参加(於・山梨県甲斐岩間)。医学生も福島・日医・名大・阪大・九大・熊本から参加。校長、高橋晄正氏の基調報告の後、京大医研共闘の岡田秦伸氏から『近代医療医学の批判』、三浦つとむ氏から『マルクス主義における自然と人間』、今井重信東大病院反戦から我々の初めての試み『医療労働運動史』、東大精神科医師連合から『保安処分と精神医療』がレポートされた。最後に『医者が一度として患者の側に立ったことがあるのか』という告発が為され、それに答えて医療従事者や患者が手を携えて医療過誤をなくしていくための討論がありました。最後に校長の高橋氏が『全員留年』を言い渡し、爆笑のうちに全日程を終えました。

● 8月10日 京大・医学部闘争委員会。学部長室占拠のバリ破壊に反撃。岡本学部長・太藤病院長など5教授と事務職員を撃退。

● 8月11〜13日 医学連夏合宿・26大学70名が参加。(於・京都大原三千院)。京大医+医学連書記局。参加費2千円。

● 8月14日 医療告発定例デモ。(千代田区紀尾井町 清水谷公園より)

● 8月14日 昭和大学学生新聞が医師会の総辞退批判「『医療の社会科』という大義名分で医療の資本主義化、近代化を推し進め大衆からの一層の収奪を強化氏、国家統合せんとする佐藤−武見のファッショ劇を断固糾弾せねばならない。」また、昭和大の付属精神病院・烏山病院での精神医療改革運動を「保安処分粉砕の一環として烏山を共有せよ」と論じている。3号

● 8月15日 少年法改正に反対・日本児童精神医学学会。岡田幸夫学会理事長名で声明。医学連は若き労働者・高校生の反戦活動数が数万人にものぼり、権力はそれらを『保安処分』と共に少年法の改正で乗り切ろうとしていると批判をしていた。

● 8月15日 岡山市での「犯罪企業・森永を告発する全国集会」に岡大医学部学生参加。

● 8月20〜22日 東大PSY連合・箱根合宿。

● 8月21日 関西保安処分活動者会議。

● 8月24日 第三回関東保安処分活動者会議。

● 8月27日 久里浜病院西尾新任人事。厚生省へ抗議団に医学連からも。

● 8月29日 和泉ヶ丘病院問題討論集会(大阪)

● 8月29日 東北大医学部生・M闘、原発阻止へ漁民と共闘。

● 8月30日 平和台病院討論集会(神戸)。医学連など100人参加。

● 8月30日 第7次訪中友好参観団帰国。

● 9月 1日 東大北病棟移転阻止公判闘争。

● 9月 1日 日本医科大学自主管理学館獲得。

● 9月 1日 医学連など、久里浜病院へビラ撒き。

● 9月 ×日 医療戦線・三里塚医療援農。毎週土曜日から一泊。今井重信医師が企画。

● 9月 3日 衆議院社労委出席。

● 9月 9日 東大精神医療研究会・ゼミ開催。

● 9月 9日 烏山病院共闘(準備会)活動者会議。

● 9月11日 第四回保安処分関東活動者会議(赤レンガ館)。

● 9月12日 保安処分粉砕関西活動者会議。

● 9月13日 京大医自治会室。病院外来病棟BOX等に爆弾捜索と称して機動隊乱入。

● 9月13日 東大北病棟移転阻止公判闘争。

● 9月14日 京大・外科新病棟公判闘争。医学部生の姿も。

● 9月14日 東大・三里塚闘争医療技術実地講習会を数十名で。東大医共闘参加。

● 9月16日 烏山共闘結成大会(於・東大精神科)医学連など350参加。
この日、昭和医大精医研による烏山学内報告昼休み集会が開かれ、以後全学(医・薬・看)へのビラ入れを恒常的に行っていく。

● 9月16〜20日 三里塚第二次土地収用阻止開始・医療団編成。医学連は全国より20校、100名の学友を集めて野戦病院で闘った。日本医大も野戦班を編成し医療隊で戦い機動隊の野戦病院への乱入を防いだ。平和台病院労働組合も無期スト400超で闘う中から上京、野戦病院で合流した。連日数百名規模のけが人が出ている。

● 9月17〜18日 阪大・1971年前期自治会方針決定の全学投票で自治委員会案が188票で可決された。民青「全学連」連絡会議案は賛成47票で否決された。10・21沖縄スト・中ノ島祭・ジュニア丸非制度導入阻止への取り組み開始。医共闘は保安処分に取り組んでいる。

● 9月19日 北大・医学部学友が北海道精神神経学会闘争。

● 9月20日 北大医・北大医学闘夏合宿の意思一致で保安処分粉砕討論集会、200名参加。

● 9月21日 京大・4月からのカリスト終結。秋期闘争へ。

● 9月22日 京都府医大・学生による精医研。同学精神科医師連合に公開質問状。

● 9月22日 京大・精神科村上、評議会団交。保安処分反対声明を教授会から出させる。

● 9月23日 京大・新病棟公判(京都地裁)。

● 9月25日 京大・医療戦線シンポ。

● 9月26日 関西保安処分粉砕共闘結成大会(京都)。雨の中400人参加。赤ヘル100、白ヘル30先頭に円山公園まで300でデモンストレーション。
医学連関西ブロック会議が開催され、関西の全ての医大と岡山・日医・徳島・MDの学友が参加をし、関西医大が関西精医研の当番校に。関西医大では学内集会などの活動を行っている。

● 9月27日 阪大統一青医連結成。(400人)

● 9月29日 中国医療研究会が200人近くを集め第二回会合を持った。入会条件は中国を適ししないことなどの政治三原則。

● 9月30日 京大・教授会へ100名の隊列で介入、平場・中山両教授に『保安処分』公開質問状を突きつける。

● 9月 ×日 九大・結核療養所の松壽園の病棟閉鎖に患者さんが反対して立ち上がり、200名の半数が病棟死守を誓っている。九大医学部の学友は多数の検挙者を出しながら病院内に現闘小屋を立て長期戦の構え。精医研も取り組み。

● 10月 1日 日本医大学友会が精神科教室に保安処分について公開質問状を提出した。

● 10月 1日 全日本医学生新聞で山本康夫医学連委員長・「部落解放同盟に対する謝罪と自己批判」

● 10月 ×日 群大医・自治戦勝利。民青自治会は11自治会に減少。

● 10月 ×日 医学原論・公開自主講座。

● 10月2〜3日 名大医・両日、病院精神医学会が名古屋で三重高茶屋病院の主宰で開催され、名大社医研のビラ配りを始めとして統一行動に信州・岐阜・京大の医学生、同朋大・奈良女子大の学友、高杉晋吾氏に東大精神医連が加わり、、井上正治氏に対して追及集会を行った。
名大社医研は保安処分が破防法―入管という治安体制を裏から支えるものとしてある以上、これには市民運動レベルでは対応しきれないということを共通の認識として運動してゆく。

● 10月3日 病院精神医学会。「保安処分」反対決議。

● 10月4日 『医学原論』に毎月曜日500~600人が参加。公開自主講座「医学原論」開始。(於・東大工学部2号館)1972年3月までほぼ毎週連続開催。実行委員会主催。東大病院物療内科気付。

● 10月 4日 京大・保安処分公開討論会。平場教授が自己批判。

● 10月 6日 東北・東北保安処分共闘結成大会、150名参加。
医学連東北ブロック100名で再建、連絡先を新設。福島医大学生会から地域精神医療審議会設立、市条例作成への戦い報告。岩手医大反戦学協、弘前大医共闘、東北大医学闘、等からアピール。

● 10月 7日 日本医大「精神医療研究会」が発足。

● 10月 7日 東大保安処分討論集会。医図書館に120名参加。

● 10月 7日 MD・保安処分粉砕闘争委員会発足。

● 10月 8日 医学連・沖縄闘争。(日比谷公園)

● 10月 9日 一橋大での刑法学会闘争・内部再討論を約束さす。医学連と法学部系学友など関東保安処分粉砕共闘会議(準)の70名参加。日本医大精医研、医科歯科大保安処分粉砕闘争委員会、東大など警備員を粉砕して会場へ突入、山本医学連委員長が代表演説をした。

● 10月 9日 北大精医研・保安処分討論会。

● 10月12日 奈良県立医大・医師、学生50名で県医療体制弾劾デモ。韓国からの輸入されてきた看護研修生の低賃金労働力に焦点化。

● 10月16日 医学連・保全共と刑法学会へ介入。

● 10月21日 医学連・病院反戦 国際反戦統一行動。安田講堂前に11大学200名

● 10月21日 医学連関西ブロック.国際反戦統一行動。阪大、関西医大、京府の学友40名と中ノ島で決起集会後、剣先公園で全関西百数十名の隊列で、およそ2000の赤ヘル部隊と共に御堂筋を機動隊の弾圧をはねのけて難波までデモを敢行。

● 10月21日 阪大医スト。

● 10月21日 京大医スト。

● 10月21日 流大保健学部・保共闘による春の学生寮規約・沖縄闘争の発展は秋の戦いをAMO・前線基地化粉砕・国立移管粉砕・返還協定粉砕を学部・学園闘争と結合して戦い抜き学生自治会・寮自治会結成を大衆的に戦い抜こうとしている。

● 10月25日 東大北病棟公判(東京地裁)

● 10月 ×日 東京医大・精神科医と学生による保安処分の討論が行われ、『白い蟻』の復刊を計画。

● 10月27日 秋田医・高橋校正氏講演『秋田医カリキュラム批判』

● 10月28日 昭和医大・烏山病院問題全学討論集会。

● 10月30日 犯罪学会を粉砕(於・御茶ノ水、東京医科歯科大学)。医学連も参加。

● 10月31日 東北精神神経医学会粉砕闘争。

● 10月~11月 ×日 阪大医・中ノ島祭成功

● 11月 1日 全日本医学生新聞82号・『パレスチナより革命闘争報告』文書寄稿。信原マリ医師。(大阪市大出身)

● 11月 2日 鳥取学生会・保安処分討論集会。関西の精神科医と高杉晋吾氏出席。

● 11月1〜4日 日本医大・第14回『千駄木祭』「医療への全体的アプローチ」をテーマに開催。2日 日本医大・保安処分討論シンポ。星野征光医師、評論家の高杉晋吾氏が登壇。映画『大いなる幻影』映研上映、『小さな兵隊』文芸部創作、『忘れられた人々』『網走番外地』本部企画。講演『生活の中の健康と医療』高橋正、『鉄格子の世界』ルポライター・高杉晋吾、『刑法改正−保安処分を語る』関西保安処分粉砕共闘会議事務局長・星野征光医師、

● 11月 3日 日本医大・看学就労学内デモを40名で。

● 11月 5日 秋田大医学部・医自治会選挙勝利。

● 11月 6日 保安処分粉砕全国活動者会議・(於・東大)70人参加。

● 11月 7日 三重県保安処分反対講演会・200人参加。三重県立医大生も。

● 11月 9日 昭和医大・烏山初公判。40名結集。

● 11月11日 東大・北病棟公判へ医学連傍聴。

● 11月13日 東京女子医大・当局の学生祭中止命令を蹴って貫徹。

● 11月13日 東大赤レンガ・自然発生的に入院患者がOさんの看護をボイコットした看護婦を逆ボイコット行動に決起。看護科と入院患者の対立が決定的に。

● 11月14日 医学連・沖縄闘争。明治公園より防衛庁へデモ。

● 11月15日 慶応精神神経科医師会議・「医局解体・反合理化闘争−その経過と総括の視点−」精神医療誌1971夏号

● 11月16日 精神衛生大阪大会・医学連など壇上占拠してボス追及集会。

● 11月17〜24日 阪大医学部学生自治会・沖縄闘争で、協定批准阻止・非常勤医制度粉砕で一週間スト。

● 11月20日 東大赤レンガ・多数の入院患者と精神科医師連合を中心に、病院長と大衆団交。台派看護婦は病棟から逃亡、日共派『看護婦引き揚げ』として利用、病院長に連合弾圧のドスを突きつける。

● 11月20日 東京女子医大・『学生祭実行委員会室不法占拠・秩序の紊乱』理由に9名譴責処分をされる。自治会の学生祭に学友会の大学祭と学生祭圧殺に端を発したもの。反動の足音、吉岡イズム学園に吹きすさぶ。

● 11月20日 阪大医学部・非常勤医師制度粉砕決起集会に50名の学友が結集し、学内デモの後、医学部長との団交において、@了解に達しないときは実施しない。Aある組織(例えば学生自治会)が実施すべきでないと主張している状態は了解ではない。B医学部集会における合意事項を医学部全体の意志とみなし、これに反する決定は行わない。の確約書を勝ち取った。

● 11月20日 東大赤レンガ・病棟防衛のため、『病棟自主管理会議』が結成。構成は入院患者・医師・看護婦・心理士・OT。五項目要求。@今の病棟で、同じ治療者のもとで治療を受けたい。A機動隊導入のような事態は避けて欲しい。B看護を再開せよ。C『精神科病棟は治療的環境でない』を撤回せよ。D今後の入院を保障せよ。退院者有志も会合を持ち五項目要求を支持し団交にのぞんだ。団交後、入院患者の家族も会合を持ち五項目要求を支持した。

● 11月22日 医学連・沖縄闘争。(六本木三河台公園)

● 11月22日 全日本断酒連盟(断酒会)東京全国大会へ保安処分関東活動者会議でビラ撒き。(東京・久保講堂2000人参加)。医学連からも保安処分反対行動に参加。

● 11月24日 阪大医学部・沖縄協定批准強行採決の猿芝居が国会で行われた日、阪大医自の独自デモを、赤メットを先頭に中ノ島−御堂筋−大阪駅前と50名の学友の結集で貫徹、

● 11月25日 東大北病棟公判・医学連も参加。

● 11月26日 関東保安処分共闘会議(準備会)活動者会議。

● 11月28日 関西精神医療研究会・十全会系病院解体・患者虐殺糾弾行動。精神障害者解放同盟『比叡』が結成。

● 12月 ×日 和歌山県立医大自治会選挙・民青に勝利。181体50対24対11.関西全域10医科大学でパーフェクト選挙。

● 12月 1日 神奈川保安処分共闘会議(於・横浜市神奈川区六角橋。神奈川大)

● 12月3〜4日 第18回医学連定期大会(3日)於・東邦医 (4日)(麻布公会堂)大会を記念し78ページからなるB5版「醫學聯史」を発刊。山本康夫委員長(MD)が刊行の辞。
「被青同」提案による被爆者病院支援決議。阪大医学部3年ぶりに正式代表。実行委員会が大会場で販売した森永ミルクに対して、徳島大学学生会が医学連中執に自己批判と不買運動を文書で要求。山本委員長が自己批判をし、満場一致で不買決議がなされた。昭和30年の夏に12000人の子供達がヒ素中毒を起こし、132名が死亡した事件で昭和44年に阪大の丸山教授が『後遺症あり』との調査結果を出し、運動は盛り上がっていた。森永は回答を避け昨年7月から交渉の中止を言ってきている。岡山大学医学部学生会が連絡先である。

● 12月 4日 (麻布公会堂)全国精神医療研究会結成大会・(麻布公会堂)。東北大など多数校参加。東北大では医学部と教養に精医研を結成した。

● 12月4〜5日 分裂医学生組織『医自連』第二回名古屋大会・於・名大。

● 12月 5日 東大赤レンガ館南講堂での全国保安処分粉砕共闘会議(保全協)結成大会は戦旗派の介入で分裂、医学連らは慈恵医大研修医ルームで別個に結成大会。

● 12月 8日 熊大・水俣病全学総決起集会。24時間の徳臣教授室占拠。

● 12月14日 東京女子医大・4名の学友がハンスト開始。学生総会、150余名による対厚生補導部長団交を貫徹。

● 12月17日 東京女子医大・教授会の場から裏花壇を乗り越え非常口から逃亡を図った学長を車内に閉じ込め、ついに補導部長に公開質問会要求・処分理由に対する回答を確約させた。

● 12月24日 阪大自治委員会・22名のうち民青は1名、民学同にも圧勝し、戦闘的執行部が選出された。

● 12月 ×日 医学連・山下五郎(大阪市大)氏の『医療労働論』1965年を全日本医学生連合から復刻、200円。

● 12月30日 東京女子医大・当局は個別分断に乗り出し、2人以上の教授が見かけた学生を政治的に人選、ハンスト者を含む8名を呼び出そうとした。呼び出しに応じないと処分正当化の材料に使おうとした。

● 12月 ×日 群大医学部で、金日成主席の現地指導に関する記録映画『人民とともに』を上映、チュチェ研の前身「群馬朝鮮問題研究会」の結成になったとされる。

● 1月10日 東京女子医大・当局は7名を無期停学、1名を譴責処分とした。そして、学友会路線である学年別懇談会を持ち学生切り崩しを図った。一部学年ではボイコットが行われたが、ガードマンによる警備、会議室のロックアウト、教授の暴力を持って懇談会を開き、デマで満ちた説明と弁解をした。

● 1月14日 千葉大教養キャンパスで保安処分反対の講演会。評論家の高杉晋吾氏、東大精医連の宇都宮泰英医師を招いて講演会を100名で。医学部より参加。

● 1月14日 東京女子医大・当局は父兄懇談会を臨時に持ち、不満を持った父兄をつぶすためにデマと宣伝に終始、一部学生の政治活動から一般学生を守るためであったと強調。中教審答申を先取りし、カリキュラム・厚生・図書・ETCに対し学生委員との懇談会で自治会消滅を図ろうとしている。

● 1月20日 阪大教養・学費値上げ阻止闘争は無期バリ闘争へ。医学部もスト支援体制。

● 1月22日 日本精神神経学会が「精神病者の修業禁止に反対する意見書」提出。

● 1月25日 お茶祭・千駄木祭。女子医大の学生祭弾圧に医歯大お茶祭実行委員会と日医大の千駄木祭常任委員会は抗議声明を出した。民青女子医大班は例によって、闘わなかったら良かったのだという論理で闘おうとしている。

● 1月25日 声明『保全協の旗を全国に』保安処分粉砕全国共闘会議事務局長・山本康夫 全関西保安処分粉砕共闘会議事務局長・星野征光

● 1月25日 阪大医学部学生自治会。自治委員会で、日帝のアジア侵略反革命体制粉砕、丸キ導入阻止、中教審路線粉砕等をかかげる後期方針を賛成13反対1保留1の圧倒的承認をお受け、民青『全学連』連絡会議諸君の対案は賛成1反対13保留1で否決。民学同を放逐し、戦闘的執行部を選出。

● 1月26日 東京地裁で烏山裁判。100数十名の医学生・患者・家族を結集。

● 1月 ×日 三重県Bさんの運転免許取り消しに抗議・高茶屋病院医師会議。

● 1月27日 阪大医学部学生自治会。自治委員会で、執行部提案の5日間ストを賛成17反対1保留0で可決、民青『全学連』連絡会議諸君の対案は賛成1反対6保留10で否決。民学同の補足提案は賛成2反対6保留10で否決。

● 2月 1日 医学連の取り組みから千葉大保共闘結成・革マル・民青の支配する西千葉地区、教養キャンパスで140名を結集。千葉工業大から挨拶。

● 2月 3日 東北大・刑法改正審議会の荘子教授を追及・東北ブロック保共闘。

● 2月 6日 奈良医大では昨年より精神科医局を封鎖していたが、一旦ストを終結・バリ解除、60日のストを貫徹した。

        ● 2月 6日 公衆衛生学会で保安処分反対。

● 2月 7日 東京女子医大学生自治会・学園近くの早稲田奉仕園で高橋晄正医師による講演会を持った。雪のため出足は悪かったが40名が参加をした。

● 2月11日 京都保安処分粉砕共闘会議(京都保共闘)京都地区叛軍、洛北戦線、レーニン研、京都精神医療研究会、京大精医研、教育大精医研、京都PSY共闘、立命L戦線、医学連など150名で京都保共闘を結成した。その後、紀元節反対デモを行った。

● 2月12日 AMO(アジア医療機構)作業部会へ関西ブロック阻止行動。阪大など参加。

● 2月12日 チッソ本社に『日本の医療を告発する全ての人々の集い』は自主交渉を要求して70名でデモ、医学連が支援。チッソは熊大の徳臣・東大の田宮教授など「学問」に支えられて『水俣病認定』を自主交渉によって解決することを拒否している。医学生が参加。

● 2月15日 東北大・宮城での刑法改正研究会追及。

● 2月16日 日本医大で烏山共闘会議・野村満医師の精神医療講演会。

● 2月17日 名大社医研・M2の精神科講義開始と共に助教授に保安処分への見解を求めた。

● 2月20日 医学連中執会議・於京都。

● 2月26日 保全協全国大会。医学連は全国結集。

● 2月28日 京府医大裁判。数百人の支援組織が援助。

● 2月28日 東大市民講座『医学原論』で烏山共闘会議・野村満医師の精神医療講演会。医学連も事務局に参加。

● 3月 ×日 九大医学部附属看護学校卒業予定者の附属病院不採用問題化に。(総婦長団交・池田学長糾弾集会)。民青は帰省して闘争放棄。

● 3月 ×日 阪大・対新入生・性格検査ボイコットを呼びかけ。

● 3月 ×日 長崎・長崎大学医学部で4名の学友が放校除籍処分をされた。うち、学四2名は旧規定(専門課程4年の就学期間の2倍、8年を超えた者は除籍処分とする)、学1の2名は『新規定』(同一学年は2回までしか修学できない)により除籍。学友会は除籍方式に抗議行動。

● ×月 ×日 信州大整形・前年から引き続き数知れない長時間の討論会の末、医局の改革案がまとまってきた。その骨子は、@教授の人事権は教官任用のみに限定すること、A卒後の臨床研修に重点をおき、入局後5年間はカリキュラムに従った研修をすること、B研修終了者の人事は本人の意志を尊重して決定することなどであった。これらを実現するために教授を含まない教室員の会すなわち信州大学整形外科医会およびその下部機関として研修委員会が発足した。
大学院についても厳しく反省され、臨床経験が不十分なわずか4年間で学位を取得できる制度は好ましくないとの考えから、大学院はボイコットされてしまった。

● 4月 ×日 東大医学部・石井保男国際学連から帰国し、同学部復学。

● 4月3〜4日 長大・Cバリスト支援。M教授会の切り崩し追及。

● 4月11日 日本医科大学文京区千駄木の仮学館を日向派が襲撃、破壊して逃亡。

        ● 4月13日 富士山麗病院でアルコール依存症患者が反乱

● 4月14日 刑法全面改正策動、破防法−保安処分と戦う東京大集会。九段会館に900名。MDの山本君(保全共事務局長)が主催者を代表して挨拶。医学連は16校

● 4月 ×日 京大新M1・留年制粉砕闘争・医学部長団交数度、実質化粉砕する。M自支援。
新入生(C)歓迎集会。

● 4月19日 岡大・破防法−保安処分と戦う反弾圧集会。精医研・保共闘100名で。『精神病院在院日数10〜12年と長期でぼうりょくやの常態化や作業療法への狩り出しが報告』

● 4月19日 東北大・保全協東北部ロックによる「保安処分粉砕討論集会」へ医学部より参加。精医研など40名。

● 4月20日 自治医大・医学連派遣団が見た開校式は官憲厳戒下。

● 4月20日 長大学友会・長崎『除籍方式』に反撃声明。「我々は医学教育の徹底的教育監獄化ー帝国主義的恒常化に断固として反対する」。

● 4月22日 於名市大・三重大、名大の学友ら150名で、東海ブロック保安処分討論会。

● 4月27日 京大医・初めて医学部学生大会流会。

● 4月28日 九大医自・沖縄闘争・全九州労学市民決起行動へ九大医自も参加。

● 4月28日 医学連・沖縄派兵阻止に全国で500名決起。東京では礫川公園での赤ヘル・蜂起派潮流に70名が参加。仙台、大阪、岡山などでも決起。

● 4月28日 医学連関西ブロック統一行動。京大医・阪大医(於・大阪剣先公園)。阪大は4・28〜5・15スト権確立。京府医大も学内総決起集会後、全関西に合流。

● 5月 ×日 大阪医大で民青に自治会戦勝利。

● 5月6〜7日 第2回『反医学会総会』全国集会2000名参加の6日・4分科会(於・東大)、7日・総会(於・神田一ツ橋共立講堂)の市民集会へ医学連150名が会場防衛行動隊とともに参加。特に6日の「第四分科会『海外侵略・国内治安と医療には関西精医研70名と東北・信州・群馬・関東・鳥取・群馬などの学友が参加。7日には医学連行動隊が18回大会にも参加をしなかった慈恵などの情況派30名を論破して会場から追い出した。

● 5月7日 全国精医研連合は富士山麗病院での患者氾濫に現地で院長に面会して抗議。日医、関西(奈良、京大など)の精医研が参加。

● 5月13日 名大医・保安処分粉砕集会。(社医研・C保安研主催)。

● 5月14日 京府医大・沖縄「返還」を考える自主講座。

● 5月15日 沖縄闘争に医学連と歯学連は120名で連帯集会、弘前、大阪、岡山など上京。
直前に医学連は歯学連と独自集会を持ち、600の赤ヘルと共に東京駅八重洲口までデモ、駅構内で座り込み総括集会。医学連は全国で500名参加。

● 5月15日 京大医政治スト・沖縄「返還」式典粉砕!東京派遣。

● 5月15日 京府医大・沖縄「返還」協定粉砕闘争。

● 5月15日 九大・北熊本・沖縄派兵阻止闘争に医自からも参加。

● 5月15日 阪大医自・沖縄闘争、独自デモ(自治会−47青医連共闘)

● 5月17日 日医大・看学生の就職拒否、東京地裁で医学連も支援し40名が傍聴。九大や福井看学でも同様な就職拒否が判明。

● 5月19日 医科歯科大・精医研主催で「さよならCP」の上映会に600名。医科歯科大100始め、信州・千葉など関東製医研150名、福祉系大学やCP患者の『羊の声』『青い芝』等。

● 5月20日 女子医大・女子医同窓生である『酒井さんと戦う会』が学内初集会。女子医学館で精神障害を理由に西武病院を解雇された酒井さんを守る運動に20名参加。

● 5月22日 医学連・保全共と法制審総会へ抗議行動、法務省一周デモを20名で行い2000枚のビラを配布。

● 5月23日 医学連・烏山病院裁判。事務局会議に参加。

● 5月24日 九大・看学不採用問題で総合外来において座り込みを開始、日常化。

● 5月24〜25日 医学連・保全共と刑法学会へ介入。機動隊庇護下の学会へビラ入れ。

● 5月28日 関西の全精医研が総力を挙げ500人が十全会系病院糾弾闘争へ参加。京府医大など参加。

● 5月29日 昭和大学学生新聞新入生特集号・「異端者礼賛」医学部執行委員長論文・荒井政明。

● 5月31日 医学連・第4回烏山病院公判(東京地裁)。80名が支援に。

● 6月 1日 37医学部で保安処分反対の学内組織化。この1年間に全国医学部に組織化を全日本医学生新聞が伝える。北大、弘前、東北、福島、千葉、横市、群馬、信州、新潟、東大、MD(東京医科歯科大学)、慶応、日大、日医、慈恵、東邦、東医、昭和、東女子医、北里、名大、名市、岐阜、三重、京大、京府、阪大、阪市、大阪医大、関西、和歌山、岡山、鳥取、徳島、九大、熊本、久留米。

● 6月 1日 『医学連現等団派遣で自衛隊沖縄派兵葬れ』論文・全日本医学生新聞第67号
同医学連現闘団アピールも掲載。社共は釣魚島(尖閣列島)は『日本の領土である』と宣言することで、排外主義に屈服している等。

    「自律神経」 ▼インターン闘争は20年にわたって医ゼミでの理論進化とともに進み、民主主義的闘争の何であるかを我々は学習していった。このような言葉自体を忌み嫌う傾向が、民青の悪名高い民主化闘争と混同されているが、非合法党の下に「誤って闘えば壊滅し、戦わねば腐敗する」厳しい階級闘争を闘おうとすればするほど、積極的にマルクス・レーニン主義を学び、民主主義的闘争も展開せねばなりません。クラス会や自治会の軽視もあってはなりません。▼連合赤軍の闘争以来反動どもの大合唱が強まっていますが、どんな小さな学内外の弾圧も見逃さず、医学連中央に報告し、闘う必要があります。▼日本共産党はあきれた事に自らローラー作戦の先頭に立ち、国会では京大出版会の取り締まりを政府に訴え、東大では「ライラちゃん」をあずかったG看護婦、T医師の追い出しを策謀しています。
全日本医学生新聞第67号一面下コラム。

● 6月 2〜4日 熊大・医学展。水俣病研究会・中国医学研究会・精神医学研究会などが参加。

● 6月 ×日 共産同赤軍派より、「日帝打倒を志す、すべての人々へ」梅内恒夫(元、医学連中執)。連赤総括と回答論文、(平岡正明・太田竜・竹中労の諸氏)。

● 6月 ×日 大阪市大・工学部問題、保安処分問題を軸に保安研結成。

● 6月~7月 東北大医・荘子刑法学教授追及・鳥飼最終抗議粉砕。

● 6月10日 PSY共闘第3回大会に医学連代表。

● 6月11日 看護協会福岡支部大会に採用問題で九大医自が介入。

● 6月15〜17日 阪大医・政治スト貫徹。返還協定粉砕・カリ改悪阻止・J−非導入阻止。

● 6月22日 名大M1・医学部学生大会に「保安処分闘争を推進せよ」をM1有志で提案。

● 6月22日 阪大医学部・ストライキJ−非導入阻止・安保粉砕・学内治安強化粉砕。

● 6月23日 京大医・政治スト。

● 6月23日 名大医・医学部総決起集会。

● 6月24日 府医大・平和台病院闘争支援学内報告集会。現闘団を維持。

● 6月24日 名大社医研主催・「保安処分と戦う医学部集会」100名結集。シンポを3講師法学部助教授『法的観点からの改正刑法批判』、公衆衛生講師『地域医療での保安処分』、県立精神科医『精神医療での保安処分』。

● 6月25日 東京女子医大・「優生保護法討論会」5時より女子医。

● 6月28日 昭和医大烏山裁判・10時東京地裁へ医学連取り組み。

● 6月28日 平和台病院闘争支援に医学連・東京中労委の審問を傍聴。この頃、平和台労組から同労組名前入りの医学連旗の贈呈を受ける。

● 6月30日 「出入国法案」反対集会、2時茅場町・阪本町公園に医学連取り組み。

● 6月30日 「刑法改正保安処分新設反粉砕・第一回実行委員会に医学連参加。(於・浅草橋産業会館)5時。

● 6月 ×日 名大祭・民青系主催平川助教授を講師にした自主講座に社医研が介入。民青は逃亡、平川助教授を追及。

● 7月 ×日 大阪市大・市大精神医療研究会夏合宿。

● 7月 6日 「刑法改正保安処分新設反粉砕・労学中央総決起集会」に医学連参加。桧町公園12時集会。

● 7月 8日 九大・第1回「中村病院と精神医療を告発する市民集会」に参加(九大病院無給医ルーム気付)。

● 7月11日 医学連・アヤメ病院闘争例会6時に医学連参加。(於・千駄ヶ谷区民会館)。

● 7月11日 医学連・「戦争と民衆」戦争責任を考える集いに参加。(有楽町朝日講堂・5時半350円)。

● 7月 ×日 名大社医研・毎日新聞差別記事糾弾闘争開始。れんらく会議で新聞社前ビラ撒き。毎日新聞は拒否・居直り。

● 7月15日 九大医自・北熊本自衛隊沖縄派兵阻止行動へ九大医自も参加。

● 7月15日 京大医自・自衛隊沖縄派兵阻止行動で京大医自から北熊本へ2名派遣。

● 7月15日 京府医大・自衛隊沖縄派兵阻止で現地へ派遣。

● 7月19日 医学連・アヤメ病院闘争公判(東京地裁703号室)に医学連参加。

● 7月19日 日本医大・看護婦就職差別公判・闘う5人の看護婦を守る会。AM10時・地裁。

● 7月 ×日 京大医・47世代青医連(準)を結成し、研修協約闘争。太藤病院長団交。4項目要求をかかげ闘争展開。

● 7月22〜20日 九大医学部附属病院東病棟阻止闘争に医自からも参加。

● 7月 ×日 名大社医研・佐藤神経科病院を告発する会結成。

● 7月 ×日 医学連・現代版韓国からの看護婦強制連行粉砕 関西ブロック統一行動。(於・奈良)阪大・奈良医大など参加。

● 7月 ×日 阪大医自・自治会選挙、パーフェクト勝利。(28―0)。

● 8月 ×日 京大医・47世代青医連(太藤→森本病院長)団交継続。非常勤の不合理を認めつつ当局は「仕方がない」と居直る。当局、47世代に、反動8教官ボイコット中に拒否した試験を強要。「卒業」延期恫喝。47世代白紙レポート98枚を提出。この攻撃を粉砕する。

● 8月12日 京府医大・平和台病院闘争2周年突破総決起集会へ参加。「平和台12月決戦・それ以降の我々の戦い。支援の一定の総括を踏まえ、労働者階級との政治的団結・結合を勝ち取り階級闘争を担っていくことを措定し、平和台闘争を断固防衛し、明舞・四日への追撃−波及戦を戦い抜くことを決意表明し、明舞現闘体制を構築。」

● 8月18〜20日 名大社医研・20名で合宿。民主主義刑法批判、ミッシェル・フーコー『精神疾患と心理学』まとめ。

● 8月 ×日 京大医・8月下旬にM闘争委員会夏合宿。

● 8月 ×日 青医連慈恵支部は臨時総会で「組織解散、入局」の執行部案が「組織維持、非入局貫徹」の対案を破って可決し解散。

● 9月 1日 阪大医・中谷病院闘争。

● 9月 3日 医学連・市民運動の「医療被害をなくする会」結成大会を支援。

● 9月 ×日 大阪市大・病院新館生協前に掲示板獲得。

● 9月10日 平和台病院再開実力阻止150名で府医大生2名不当検挙。34時間監視テント部隊を設置。阪大・府医大など参加。

● 9月11日 北大精医研主催「道の精神医療状況報告」・北大卒の野田正彰氏を招いて北大第三講堂に80余名を集め、氏による奈良五条山病院闘争など多岐にわたる精神医療批判の講演。

● 9月16日 京府医大・三里塚9・16丸キ殲滅1周年闘争、狭山差別裁判糾弾闘争。

● 9月17日 北大青医連、北大精医研、48青医連(準)、保安研(準)の他、北大・札医の学生・看護婦30余名は田辺製薬で行われた北海道精神神経学会を江別病院・薬の人体実験糾弾で粉砕。

● 9月29〜30日 第6回地域精神医学会闘争・170名で介入し江熊派日共は逃亡。東京、神奈川でアル中調査阻止を戦い抜いているグループ、関西精神医療研究会が参加。

● 9月16〜19日 京大医・狭山・三里塚へ首都派遣6名。機関紙「M闘ニュース」発行開始。

● 10月 ×日 名大社医研・法学部柏木教授追及。21項目質問状。

● 10月 1日 論文「防衛医大の本質は何か」高橋晄正東大講師 論文「日本学術会議と医学者の戦争責任」岬暁夫埼玉医大教授・日本学術会議原子核研究連絡委員会委員 論文「生活療法批判」野村満医師 全日本医学生新聞91・92合併号に掲載

● 10月 2日 和医大・中小病院である中谷病院労働者の職場復帰を支援。中谷病院労組を支援する会。(医大寮気付)

● 10月3〜5日 九大医・全国総婦長会議(於・広島大医)に採用問題で介入。

● 10月 ×日 大阪市大・民青系「医学生ニュース」をめぐり東大赤レンガを軸に民青と対決。病院前ビラ撒き。

● 10月 ×日 名大社医研・医学部M3 工場見学実習の現場で企業の労務管理に手を貸す反労働者的衛生学を批判。診断のチェックリスト提出をやめさす。

● 10月 ×日 名大社医研他・柏木法学部教授(法制審・刑事法特別部会委員)に対する公開質問状(社医研・保安研・刑法問題研究会(J)の三者)。

● 10月 8日 京大医・10.8防衛医大設置阻止統一行動に参加。

● 10月 8日 京府医大・防衛医大設置阻止闘争。

● 10月10日 保安処分粉砕全愛知集会・(保安処分反対愛知県連絡会議主催)街頭デモ100名に名大医学部から参加。

● 10月10日 PSY共闘主催・「企業保安処分と戦う労働者の集い」於・大阪。京府医大など参加。

● 10月17日 京大医自・学生大会圧勝。

● 10月21日 国際反戦デー・医学連関西ブロック統一行動(大手前公園)。

● 10月19〜21日 京大医自・政治スト貫徹。4名を首都派遣。医学連関ブロ統一行動へ。

● 10月18日 「アヤメ病院を告発し、闘う会結成集会」(準)・於水道橋中部労政会館 医学連も医歯大精医研を中心に参加。

● 10月20日 東大医学生大会・スト提案が医共闘と民青自治会案が同数に。米軍戦車の相模原基地からの搬出強行−沖縄への自衛隊大量派兵−学費値上げ強行−加藤「自主改革」中教審路線といった緊迫下に学生大会は重要な意義を持っていた。中教審路線を教育の機会均等破壊、受益者負担主義としか捉えない民自は加藤「改革」路線と中教審の関係を見抜けない。医共闘は中教審路線を国家的な要請を受けた能力主義、国家主義のひとづくりとした産軍学共同路線の一層の推進として捉え加藤の「改革」は如何に自主的であろうと本質的には中教審路線に沿ったものであると指摘。また、自衛他派兵阻止、四次防、防衛医大阻止など執行部は責任を持って取り組もうとせず、提案本文とスト提案を切り離したことは許し難い。赤レンガについても民青は精神科病棟の自主管理攻撃に終始した。森永砒素ミルク告発は、森永告発を担うメンバーにより幾つかの生協執行部に不買を踏み切らせる中で、学生大会で「森永全製品不買の徹底」と「病院の好仁会に対する森永全製品納入中止要求」が168名中150名の圧倒的賛成多数で可決された。

● 10月20日 医学連・てんとう虫作戦。「防衛医大つぶせ」の医学連総力戦は所沢市民にねらいを定め、所沢市民が製作したステッカーに画かれていた「てんとう虫」との連帯を求めてビラなど全てにてんとう虫の姿を入れて配布している。関東では埼玉県浦和市の市民から多くを学び、千葉はプラカードを、女子医は横断幕、日医は当日ビラ、東大ステッカー、医歯大はメガホンを用意していった。京府医大上京。

● 10月 ×日 京大医・代々木は10.9路線に従い全学の学友12名告訴。医学部代々木1名が告訴人。

● 10月21日 医学連・国際反戦デー。日共内部に発生した「新日和見主義」におびえて物取りに終始する医学部民青をしりめに医学連は歯学連と100名で、インドシナ革命闘争連帯で登場。東京桧町公園に赤ヘル1200名結集し防衛庁へ向かった。京府医大上京。

● 10月21日 医学連・大阪でも精医研連合を中心に100名がインドシナ革命闘争連帯で戦い抜く。京大・阪大・京府など。

● 10月21日 ベトナム連帯統一行動に九大医自も参加。

● 10月28日 平和台病院闘争・中労委審問。夜7時からの報告集会に医学生等30名参加。

● 10月28日 北熊本自衛隊沖縄派兵阻止行動へ九大医自も参加。

● 10月 ×日 府医大・防衛医大・731部隊について自主講座。

● 10月27〜28日 

● 10月28日 名市大・大学祭で精神医療講演会「市民社会と保安処分」講演者は高杉晋吾氏。於名市大滝子経済101教室、約70名が参加。

● 10月29〜11月・5日 第15回日本医大千駄木祭 テーマ『医療と人間』副題として「自己権力論と自己否定論を超えるもの」裏テーマとして『もういいの』が世相を描くものとして読売新聞に記事見出しで取り上げられた
・講演「幻想共同体としての国家」浅田光輝・立正大教授、『病気と私』作家・小林美代子、「医療なき山谷」山谷詩人・梶大輔、『福祉国家と医療』数学者・もののべながおき、『治療と管理』烏山病院・野村満、『アル中の社会復帰』全日本断酒連盟理事長・大野徹。映画「きちがいピエロ」(J.Tゴダール監督)、「熱い肌」。

● 10月31日 東大・「民主的東大教授」台−新日本医師協議会路線と決別する中で、東大精医連は圧倒的な存在を赤レンガでみせているが、権力派の秋元波留夫前教授・ブル新・日共「赤旗」・医民青・病職と野合して居直りを開始した。これに対して阪大での神経化学学会・講演会を遊撃隊で瞬時につぶし、追及。

● 10月 ×日 赤レンガ入院患者会・『障害者』解放へ医学生諸君連帯しよう。

● 11月 1日 広大医学友会提起・討論資料。 われわれといわず、民青といわず、右翼といわず医学生間で広く行われている集団検診への加担に対する告発。『被験者を食い物にする「集団検診」を糾弾』。 全日本医学生新聞91・92合併号に討論資料として公開。

● 11月1〜3日 阪大・連続医療シンポ(於・中ノ島ホール)精神医療・スモン・優生保護法。

● 11月 1日 名大医 社医研・対柏木公開討論会(三者主催)柏木論理破産・逃亡 日共の牙城である法教授会以後敵対開始、「研究妨害」「授業妨害」を言い立て柏木擁護。C当局「他学部の学生が授業妨害」と医学部長へ言い立て敵対。

● 11月 2日 日医主催、日本医大で全国医学生招待討論会が開催され、1時から10時まで28校、延べ140人が参加をした。

● 11月 ×日 京大医・全学闘争委員会連合の下、同学会再建の一翼を担う。

● 11月 3日 千葉大医いのはな祭・精医研主催で講演会。烏山病院の野村満氏、PSY共闘の星野氏を招いて、千葉大医学生に医進生・淑徳大生等50余名が参加。

● 11月 3日 千葉大・「医療労働運動の深化と卒試闘争」討論会に今春ストを闘った旧47研修団体を初め30名が参加。主催は医療労働運動研究会とM2準備会。

● 11月 3日 府医大・府医大創立百周年式典糾弾ビラ撒き。

● 11月 3日 府医大活会・府医大創立百周年式典糾弾・吉村寿人(前学長・「満州」で生体実験)、中村(学長・森永砒素ミルク「7人委員会」)、吉田学生部長(米軍資金導入)追及。

● 11月 3日 府医大・平和台病院闘争支援学内報告集会。(平和台病院労組・中谷労組支援する会・金属反戦・看護戦線・京府精神医療研究会の結集。京都准看学生との結合・連絡体制をとる)

● 11月3〜5日 どこで泣いたか「医自連」大会。「泣かず飛ばずの民青が「医自連」第3回大会を開いたらしい。というのは「開いたのかどうなのか」問い合わせが地方から殺到したからである。民青諸君は招請状、ポスター、立看、ビラの全てをサボり、1月繰り上げた11月4、5日に物見遊山で横浜・鎌倉でやったというのである。全国医学生自治会連絡会議の名称をいつの間にか「医学連」連絡会議などといっている小手先政治屋は、総選挙に日共議員を出すだけが目的の医学生ひきまわしである。ちなみに東大本館前の立看は内容、参加校抜きの「大成功」。
全日本医学生新聞91・92合併号に一段見出し記事記載。於鎌倉市日本学生会館で開催。

● 11月7〜9日 岐阜大・医学部祭で岐阜大公害研究会は高山氏上水問題を取り上げ告発した。
全日本医学生新聞91・92合併号記載。岐阜大公害研機関紙「水の通信」高橋。

● 11月 7日 千葉大医・羊の会、あじさいの会など障害者の交流会に参加。

● 11月 8日 関東精医研代表者会が医歯大で行われた。

● 11月 9日 慶応大医・生理学者への台講演会を30余名でつぶした。当日、東大精神科医師連合を中心に東大医共闘・精神医療ゼミ・関東精医研(千葉・MD・女子医・慈恵・日医)でビラを撒き、慶応の医師と学友に情宣し、主催者と話し合った。そして告示が出て台氏は我々と話し合うこともなく中止が判明した。

● 11月 9日 岐阜大公害研・高山市水道問題討論会を岐阜大公害研主催で70名、名大・岐阜大など参加。

● 11月13日 京府医大・自衛隊沖縄派兵阻止現地闘争へ。

● 11月16日 阪大・非―導入阻止で教授会へ介入、座り込み貫徹。

● 11月16日 「アヤメ病院を告発し、闘う会」拡大世話人会に医学連参加。

● 11月18日 医学連・てんとう虫作戦。「防衛医大つぶせ」のステッカーに続き、セルフ糊附きワッペンが出来た。

● 11月18日 自主管理中の東大精神科病棟(赤レンガ)を赤レンガ調査団なる日共が鉄パイプと投石で襲撃。医師、看護婦、OT、学生が阻止。東大医学部自治会が名を連ねていたが、自治会ではなんの協議も行われていず、自治会三役は自己批判をしました。

● 11月19日 医学連・防衛医大新設阻止で所沢デモ。歯学連4大学と共に、上京した東北・京府医大など10数名の学友を加え70余名で行う。白衣、プラカード、ノンヘル、横断幕でデモ。のち金山町公民館で座談会を持ち、第二波関東統一行動を終えた。

● 11月 ×日 東北大医・「つぶせ防衛医大」仙台集会。

● 11月 ×日 群馬大医・精医研の吉野君は卒業を目前に星になってしまった。

● 11月20日 九大医学部附属病院東病棟阻止闘争公判に医自からも参加。

● 11月22日 名大医 社医研・柏木糾弾全名大集会(三者主催)。

● 11月25日 医療被害をなくする会・初デモに医学連(東大・日医・金沢大の医学生、薬学生、東大、MD、市中病院の医師など70名)も参加。日比谷→厚生省→東京駅。

● 11月27日 東大・神戸・平和台病院労組を囲み関東の労働者との交流が東京大で開かれ40人が出席し、医学連も参加した。

● 11月27日 東京医大・定員増反対闘争を主導した近藤前学友会委員長処分、検閲制度の実質的復活と学内政治活動の禁止(高橋晄正講演禁止)に抗議して公開説明会を要求して全学半日ストライキを敢行(医学生600名がストに参加)高橋琢也銅像前集会200名、全学集会150名、抗議の校内デモンストレーション65名。(清水陽一学友会委員長、下光輝一副委員長)。
1967年の『七夕スト』以来5年目のスト。

         ● 11月27日 防衛医大立地に大蔵省国有財産審議会で所沢市の貴地青設置が決定された。

● 11月28日 医学連・平和台病院の中労委斡旋が東京で開かれ20人が出席し、医学連も参加した。

● 11月29日 京大・京大病院の重金属垂れ流し教育研究体制を住民交渉の場で京大総長糾弾。京大医学部診療問題研。確認書・1、京大病院は現在毒物を垂れ流していることを認める。2、そのことを新聞紙上で発表し、住民に謝る。3、下流淀川瀬戸内海を汚染していることを認める。森本正紀。

● 11月29日 京大・全学学生大会で同学会執行部(代々木)罷免。

● 12月 1日 北大・不当な出席制度に抗議してM4クラスは卒試拒否への強硬な立場を明らかにした。

● 12月1〜2日 信州大医学部・学生大会で民青案を粉砕し、差額ベット導入阻止ストライキが行われた。

● 12月 2日 阪大医・東一男監督「さようならCP」上映。

● 12月 3日 阪市大・障害問題討論会。

● 12月 4日 慶応医学部・3倍近い学費値上げに自治会が無期スト突入。医進自治会もストに同調。

● 12月 5日 横市医進自治会・9月1日に横市大で採決ミス事件が起こり、49日忌に追悼集会が持たれ、柏戸真一病院長に説明会を求めた。事務局は横市C医自:横浜市金沢区六浦町横市大内。

● 12月 5日 千葉医進・防衛医大阻止で10数名の討論会。

● 12月 6日 九大医学部附属看護学校・就職拒否粉砕街頭カンパニアに医自も参加。

● 12月 6日 釜ヶ崎労働者による悪徳病院糾弾集会に医学連・関西精医研が参加。

● 12月7〜8日 医学連・歯学連で防衛医大設立現地「つぶせ防衛医大」ビラまき。埼玉のベ平連も独自ビラいれ。

● 12月 8日 アヤメ病院告発大会に医学連参加。於・千駄ヶ谷区民会館

● 12月 9日 大阪市大・「さようならCP」上映。保安研・精医研・新聞会主催。

● 12月9~10日 医学連拡大中央委員会(於・東京 全自治会を招請)

● 12月10日 長崎・『暗黒の精神医療と保安処分を告発する』講演シンポが長崎県立図書館で持たれ、野村満(烏山病院闘争共闘会議)、弟子丸和博(中村病院を告発する会)、宇都宮泰英(東大精神科医師連合)等が講演し、長崎大医学生も参加。

● 12月13日 京大・京大森本病院長との重金属垂れ流し教育研究体制糾弾の団交。京大医学部診療問題研。のらりくらりと」責任を回避。

● 12月 ×日 名古屋大社医研・豊明栄病院闘争開始(連絡会議)。

● 12月 ×日 東北大医・仙台―苦竹基地闘争。

● 12月 ×日 京大医・自治会戦勝利。代議員数15対5。

● 12月 ×日 京府医大・徐さん支援闘争。団交に2名参加。

● 12月14日 名古屋大医・柏木糾弾全愛知総決起集会(三者主催・於名大)法学部突入。

● 12月15日 東京女子医大・精神医療誌Vol.2 No4「労働運動を圧殺した精神衛生法体制」東京女子医大自治会・精神医療問題研究会。 「労強制阻止入院の状況」京都大学医学部精神医療研究会。

● 12月16日 自主管理中の東大精神科病棟(赤レンガ)を赤レンガ調査団なる日共が第二次調査団を派遣しようと呼びかけたが、百名以上の医師、看護婦、労働者、学生(医共闘)、「患者」をみると中止した。

● 12月16日 京府医大・山本病院闘争決起集会参加。

● 12月17日 全関西精医研は8大学で統一学集会(京大医自気付)。

● 12月19日 「アヤメ病院を告発し、闘う会結成大会」・於第一回公判・東京地裁刑事20部 医学連も医歯大精医研を中心に東北大医など参加。

● 12月23日 京大医・全学の同学会再建にM自も尽力。

● 12月24日 2月1日の烏山裁判に向けて準備書面第11を裁判所に提出。烏山病院闘争共闘会議に医学連は事務局参加。

● 12月 ×日 東大・医学部では医学連大会に向けて30数名の実行委員が全国学友の受け入れ準備を始めた。

● 12月30日〜1月7日 京府医大・大阪市大医など釜ヶ崎越冬闘争支援。

● 12月30日〜1月5日 医学連、東京山谷玉姫公園での越冬闘争に医療班で参加。

● ×月 ×日  民青が医学生ゼミナール。1973年になってこれを第15回医ゼミと偽造。

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