● 1月 ×日 東大社学同「反帝戦線」創刊。<スローガン部分>(5)医療の帝国主義的再編粉砕 @全医学部教授を人民裁判に引きずり出し、自己批判の下追放せよ。A医療政策推進の末端=医局講座制解体、病院を医師・病院労働者・看護婦の共同管理とせよ。B収奪の強化・階層分断・大病院中心主義の促進、=報告医制・学会専門医制粉砕、あらゆる身分・資格制を廃止せよ。C東大病院合理化の要=北病棟移転を実力で阻止し、健保抜本改悪粉砕の第二次病院ストを準備せよ。D一切の教育、研究の名による労働収奪を廃止し、病院・基礎に働く全ての者を有給化し、産・軍・学共同研究に対決せよ。E強大な単一青医連を医療労働運動推進の中核体への形成に向け建設しよう。

● 1月 5日 九大工学部・黒ヘルゲバ棒スタイルの何者かが学内守衛を脅して開門させ、トラックとともに侵入、墜落米軍機の機体の一部を引き落とす。(示し合わせた闘争破壊工作)

● 1月 5日 横市・学長との対話集会。学長は医学部教授会提出の予算要求を市に提出。自衛官入学には反対を表明。

● 1月 6日 東北大43青医連。三者協議会を持つ。三者協議会とは大学関係者、市中病院長、研修生(学生会も)の三者で、研修側の意見もジッツの捉え方など相違がある。

● 1月 6日 弘前大44クラス会は9項目要求を掲げ最低3年間は非入局を決議(協議会・ジッツ病院・学位・大学院医局、講座制、学部カリ委など山積する諸問題を9項に整理)。

● 1月 7日 弘前・44卒クラス会は医局改革をめざし最低3年の院外研修を決定。

● 1月 9日 九大・総長名で米軍墜落機引き落としに関して声明が出る。

● 1月10日 東大・大学闘争の終息を目的にした、名目だけは大学の自治は教授会だけの自治ではなく全構成員の自治であることを唱えた東大確認書(七学部集会における確認書)が当局と民青系他の間で交わされた。

● 1月11日 東大・民青ゲバ隊が銀杏並木制圧。東大生500が外人部隊に投石、追い出す。
正門を閉めた民青指揮官が「あいつ等トロはスタだ、入れるな。」と叫ぶを聞く。

● 1月 ×日 京府医大・44青医連結成準備会。要求項目・組織方針を圧倒的賛成で可決。第三次労働協約闘争の実体を形成。

● 1月13日 北大医 43青医連クラス総会で「大学病院ボイコット」の方針提起。

● 1月13日 日大医学部で教職員、父兄、右翼学生によるスト破壊。学生委員会は策動によるスト解除を決議。、全共闘より脱落。スト続行を基本方針とする学生会(岡進委員長)は執行部の解散を宣言。

● 1月14日 東大・医学部「学生大会」で封鎖解除案が可決と言うも医学科学生473人の過半数に達していない。出席は213人、うち賛成181人、反対2人、保留13人、棄権5人。自治会民主主義に明らかに反している。
同日、東大分院医師の会119名で結成。

● 1月14日 長崎医・学長48時間缶詰団交、丸キ侵入。

● 1月 ×日 東京女子医青医連(43)8名・都立墨東病院へ正式職員として受け入れ要求。

● 1月15日 順天大学新聞会・創刊号以来の朝日ジャーナル誌を医学部自治会・図書館と共同購入し製本。

● 1月15日 東大全共闘支持の学友医学部本館に立てこもる民青を攻撃。

● 1月15日 九大医学部学生自治委員会「米軍機墜落の教えたもの 露呈された大学当局の姿勢」(九大医報6・1969.1.15掲載論文)。

● 1月16日 長崎医・学生拒否権・全学部会議(最高医決議機関)を全学総決起集会で決議。

● 1月18日 北大小児科医局 教授の人事権を医局員の運営委員会へと全会一致で決定。

● 1月18~19日 東大・午前6時50分機動隊が東大襲撃。東大医学部図書館に立てこもった医共闘の学友は7時5分より30分まで攻防後、三上凱久医学連委員長ほか医学生23名が検挙され後に凶器準備集合罪と不退去罪で13名起訴。襲撃には精鋭四機654名、通称『鬼の四機』が龍岡門から侵入し、医学部図書館に廻された。機動隊は安田講堂へむかい使用法を逸脱したガス弾の狙い撃ちをした。43青医連東大支部の今井澄委員長が東大全共闘防衛隊長(後の参議院議員)他青医連メンバー・群馬医・関西医大・広島大医学友が検挙さる。医学連は同日、神田・本郷カルチェ・ラタン戦を戦い抜く。東大の南北に隣接する医歯大・日医大からも参加。東大医学部民青は当局より腕章をもらい医学部本館に匿われていた。東大病院当局は東大奪還街頭闘争を入れると400名近い負傷者の診療を拒否、10名のみ診察。病職も当局に同調。加藤総長代行は『負傷者が少なくてよかった』と発言したが、東大構内では催涙液とガス弾水平撃ち、機動隊のテロルで多くが倒れたのだ。安田講堂で逮捕された397名中、70%の269名が何らかの傷を受けていた。

● 1月19日 東大奪還闘争でMD構内に丸キ乱入し、MD学友不当検挙される。寮自治委員会から大学当局に公開質問状が出されたが、秩序を乱すものを犯罪人と決め付け、乱入した機動隊を黙認、国家公務員に官憲乱入へ抗議する権利はないと回答。
東大病院当局は東大奪還街頭闘争を入れると400名近い負傷者の診療を拒否、10名のみ診察。病職も当局に同調。加藤総長代行は『負傷者が少なくてよかった』と発言したが、東大構内では催涙液とガス弾水平撃ち、機動隊のテロルで多くが倒れたのだ。安田講堂で逮捕された397名中、70%の269名が何らかの傷を受けていた。
安田講堂時計台から東大全学学生解放戦線の今井澄氏(東大医43支部)が午後5時 50分、次のようにメッセージした。「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を行う日まで、 この放送を中止します」。
 http://zenkyoto68.tripod.com/imaik02.htm
昭和の抵抗権行使運動(87) 東大闘争(4)
http://www3.kitanet.ne.jp/~nihirata/20090124.html

● 1月20日 京府医大・教授会団交要求、拒否さる。21日学生部長に自己批判要求。

● 1月20日 東大・安田講堂陥落後に佐藤栄作首相が坂田文相を伴い東大視察に訪れたが、龍岡門近くの精神科病棟に赤旗が翻っているのを見て激怒した。学生と異なり、職員の封鎖であり、手をつけられなかったという大学側弁明であった。

● 1月20日 岡山大全学学生大会で補導委解散などを要求してスト権確立、全共闘結成。5項目要求貫徹を含む3点決議。710名結集。

● 1月21日 社学同東大支部/『反帝戦線』No.12

● 1月21日 京府医大・学生部長に自己批判要求。京都府府職労医大支部と青年部名で学生自治会中傷のビラ配布。

● 1月22日 東大医共闘・120名は満身の怒りをもって、医学部集会を粉砕。検問体制の中で医本館は民青にバリケード封鎖され、放水の中を素手で突破し、演壇を占拠する。当局は丸キを導入し、「集会中止」を宣言。東大全共闘1200で構内デモ。

● 1月22日 神戸大44青医連・研修協約成立合意。

● 1月22日 横市・市長を迎えての全医学部集会に学内全階層400。予算の実現努力発言。

● 1月23日 九大・水野総長の辞任を評議会で了承される。

● 1月23日 岡大学部長団交。2500名結集。

● 1月23日 大阪医大・小児科教授に学外者を選出する動きに対して小児科医局が反対声明。四回生クラススト決議。同日午後の全学集会で講師、助手、副手、院生、学生の五者による全学協議会を組織(後に助教授も参加し六者協となる)し、小児科教授人事問題、学長退任、大学運営への学生等の参加等の一〇項目を「公開質問状」の形で要求。

● 1月25日 大阪医大・学生大会。@学生自治確立。A小児科教授人選撤回。B学部の即時建設、学生の管理運営。C学長即時退陣・公選制実施。D青医連公認を決議。

● 1月 ×日 大阪市大医 教授会は確認書白紙撤回。

● 1月25日 東大医共闘・全共闘1500の時計台前集会に参加。

● 1月25日 大阪医大・学生大会で@学生自治確立A小児科教授人選撤回B学館の即建設・学生による管理C学長即時退陣・公選制実施D青医連後任を決議。

● 1月25日 大阪市大医 教授会の話し合い拒否に抗議し。6回生スト。

● 1月26日 東大医共闘・民青・右翼・教授会のデッチ上げ「学部集会」を粉砕。
この日東大全共闘1500、時計台前集会。

● 1月28日 大阪市大医 全学年スト。

● 1月27日 京府医大医学部自治会・府職労医大支部青年部(日共)へ自己批判を要求して抗議行動。府職労青年行動隊の学内侵入など闘争への闘争圧殺に対する位置付けを全学集会で行う。

● 1月27日 京大医・M4クラス医局解体を掲げ、無期スト突入。

● 1月27日 大阪医大・学長回答を不満として、四回生クラス会24時間スト。

● 1月28日 大阪医大・学生大会、続けて30日にも学生大会を持つ。大学院生・副手無期スト突入。教授会が六者協議会に教授会を加えた臨時大学問題懇談会設置を提案。

● 1月29日 日本医大学友会・寮友会は日本医大新丸子移転連絡会議を結成。国府台寮食堂に150人結集し、実質的な大衆団交。新寮・学館建設と具体的敷地確保を獲得したが、管理運営権では解決にいたらず次回団交に持ち越される。

● 1月29日 群馬大学医進・無期スト突入、スト中に数度の団交。

● 1月29日 東大医・38〜43青医連主催の東大闘争貫徹全医学部集会(医学部無期限スト一周年)。学生80を含む各階層500を結集し、全医学部集会。@事態は解決せず、を確認。A全ての医学人への行動決起を。B医教授会全員退職せよ。C日共−民青の収拾策動をバリケード封鎖など実力で粉砕する。

● 1月 ×日 福島医大学生自治会が学長選拒否権獲得。

● 1月 ×日 医歯大当局・250日のストの後に、いわゆる『一般学生』M4執行部と妥結したといわれる研修協約を全面的に反故。学部自治会が18日の東大闘争の折の医歯大構内機動隊乱入事件と共に抗議行動。授業再開。

● 1月31日 大阪医大・小児科後任教授予定者が辞退。同日副手、院生診療拒否無期限ストに突入。

● 2月 1日 岡大予備団交(3000名結集)で当局は1・29確約破棄、激発化。

● 2月 2日 大阪医大、学生大会で@大学決定に対する学生の再審査(留保権) A教授会内容公開B医学教育制度の矛盾是正等を決議し街頭デモ。その後教授会が学生の留保権に譲歩を示すが、学生大会は不十分と拒否し、青医連の公認も合わせて要求。

● 2月2〜3日 北大医 43青医連クラス総会で「大学病院ボイコット」の方針は92名中、基礎形10名を除く82名で採決、36対32、保留1で否決さる。

● 2月 3日 北大医 4日の沖縄ゼネストを前にした民青執行部による学生大会は述べ50余名の参加で不成立。

● 2月 3日 大阪医大学長辞任。

● 2月 3日 京府医大教養2学年・カリキュラム激変、新仮進級制度へ拒否権を要求して160対30で無期スト突入。独特な『4単位仮進級制度』廃止など大衆団交要求。

● 2月 3日 女子医・学生総会でカリ委・医療研委を学生部(自治会)の諮問委とすることを決議。

● 2月 3日 東大医学部医学科・民青右翼連合はスト解除決議強行するも出席は過半数に満たず。粉砕闘争。

● 2月 ×日 大阪市大・医学部団交決裂、医学部全学スト突入。全学化(杉本キャンパスへ)教養部校舎封鎖。

● 2月 4日 千葉大医・卒業予定のM4の83人は団体公認と協議権などを要求してストに突入、M3以下がスト突入寸前で要求項目を獲得した。

● 2月 4日 名大・医学部教授会に助手の参加を決定。

● 2月 4日 京大・医自執行部提案「医局解体・統一青医連結成目指して封鎖を含む無期限ストを」。255対131対21で可決。

● 2月 4日 大阪医大・小児科後任教授選問題を契機に学生も無期限スト突入。民青系闘争委を即座に罷免。

● 2月 4日 医学連・第一次安田講堂占拠第一回公判・10校70名で戦う。朝11時半に医科歯科病院前に医学連・青医連が結集、地裁職員の制止を振りほどき医学連旗を先頭に突っ込む。裁判の公開を要求して東京地裁703号室前メット着用で座り込み。4時前開廷できずに閉廷、日比谷公園までデモ。建造物侵入罪で逮捕されていた被告は油井秦雄(MD)、横田禎央(東大)、池亀信(慈恵)の三君。

● 2月 ×日 京大医学部統一会議(民青)は東大の民主化行動委(民青)に自己批判を要求し、民青からパージされる。暁光グループ事件。東大民青に自己批判を要求し、医局解体・バリケードの戦列に参加。

● 2月 ×日 群馬医・医学部選挙に勝利し、42〜44青医連と共に研修協約闘争を展開。

● 2月 5日 岡山大医学部、弾薬輸送の学内通過、いわゆる「南北道路事件」でスト突入。

● 2月 5日 京大医学部・徹夜討論で自治会スト突入。医局解体・統一青医連結成・教養文学部スト支持・70年安保粉砕・大学封鎖支持の執行部案を255対131対21対4で可決し、ただちに外科研究棟をバリ封鎖。43青医連も60対30でスト突入。

● 2月 6日 九大医学部・連日のクラス討論を踏まえ、学生大会で一週間のスト決。1、国大協粉砕 @米軍機引渡し決定粉砕。A評議会の引渡し決議を自己批判せよ。B学長選に学生の拒否権を。 2、無給医制粉砕。 3、沖縄ゼネスト勝利。 4、板付基地撤去。 5、ベトナム侵略戦争阻止。無給医羽第3内科が中心となり、2月1日から一ヶ月のスト突入、胸部疾患研究所など5,6科が同調。42青医連は内科中心に、43青医連は5項目要求を出して研修放棄に入った。

● 2月 6日 横市・市当局のほぼ予算増0回答に学生大会で医学部予算大幅増額と教授会民主化でスト。(賛73、反28、保9、棄0)

● 2月 6日 大阪市大医 院生・青医連の診療拒否、無期限スト。

● 2月 7日 長崎大医・学館自主管理、機動隊導入自己批判要求、評議会決定白紙撤回、学生処分権を認めない、を学生集会で決議。

● 2月 7日 横市医・スト突入。

● 2月 7日 東大医・39クラス会有志53名声明。医共闘を排除して事態の収支を図るな。

● 2月 7日 九大医自治会・無給医制に反対して5日間ストへ。<スローガン>国大協路線粉砕!無給医制度粉砕!沖縄闘争勝利!板付基地撤去!ヴェトナム侵略戦争反対!

● 2月 7日 慶応・医自再建。

● 2月 8日 京府医大・学生大会で6項目要求と10日からの無期限ストを325対111対32対4で可決。ただちに全学闘結成。43青医連も10日より無期限スト突入を決定。

● 2月 8日 慶応・学4臨床系大学院ボイコット・非入局を決議。

● 2月10日 東北大医学部学2有志より学部長会見の際、「建国記念日の国旗掲揚に反対する要望が教授会になされた。また、学2からも国旗掲揚に反対する。教授会は大学の自治に対する見解を明らかにすることを骨子とする公開質問状が提出された。
要請文 2月11日建国記念日の医学部国旗掲揚に反対する。
理由  1、この日は国家の軍国主義復活、思想統制の一環としてつくられた祭日であること。
2、過去に日の丸は軍国主義及び、海外侵略の為の愛国心と密着し、利用されてきたものであること。 3、全学の意思とみなされること。 4、国家からの押し付けを無批判に受け入れる本学の主体を失った姿勢からくるものであること。 5、今までと同じく、全学に問うことをしない「教授会だけの自治」の当然の帰結を意味するものであること。6、広島の碑に「安らかに眠ってください、過ちは二度と繰返しませぬから…」と誓ったのは誰であり、このため注意を払うべきは一体誰だったのか。 右の理由により、来る2月11日の医学部国旗掲揚保留する事を切に望む。  学2有志

● 2月10日 九大医自治会・6項目研修協約に勝利。 @非入局・契約制により、臨床研修をすることを認める(M3以降)。 A博士制度の廃止。 B大学院制度の廃止。 C現行の内科大学院生の募集はしない。但し既入学者には触れない。 D関連病院の公開。 E九大内科は42・42卒の内科研修員全員受け入れで妥結した。

● 2月10日 京府医大・全学無期限ストに突入。1大衆団交要求、2教授会は現在の大学行政機構の悪い点の自己批判を行え、3青医連公認・医局制解体、4諸要求 @自主カリ承認A青医連ルーム要求B当直料値上げC新仮進級制撤回、5学生自治会、青医連に拒否権を与えよ、6臨床研究棟建築案白紙撤回の6項目要求。午後3時教授会に団交要求の回答を求める。学生部長より回答の30分延長の要請を受ける。3時30分まで教授会議室前で待ち回答を要求、教授会より無回答。ただちに教授会の場に250名で突入し、教授会の場を団交に変更する。教授会の全面自己批判を要求。団交を承認する教授数名。教授会独裁体制を自己批判する教授数名、米軍資金導入を自己批判する教授あり。途中で学長にドクターストップがかかり退室。病院長はあくまで自己批判せず。M4は10日よりの卒試ボを55対30で決議。43青医連が全面研修放棄。42青医連が外来診療放棄。

● 2月11日 京府医大・午前8時、休息の要請を学生側が行い、12日午前9時からの再開を教授会が承認、解散。

● 2月11日 東北大医・学1と学2は同盟登校し、「建国記念日」を巡る様々な問題に関する討論会が持たれた。なお、国旗は、医学部本館前には掲揚されず、病院前には掲揚された。
学1に対する教授会からの公式な返答は得られていない。
学部長会見の席上、教授会側からは、国立大学として法律上定められた祭日に国旗を掲揚するのは当然であり、「建国記念日」だけを別扱いにすることは出来ない。大学の自治に関しては東北大学全体として検討中であるとの回答を得た。

● 2月11日 学園闘争勝利全関西決起集会(於・京大)。京大医・京都府医大参加。

● 2月12日 京府医大・教授会記念ホールにたてこもり、前日の団交の場であった本館3階に上がってこず団交拒否。記念ホールからの教授の出入りは自由。無給医会、有給医会が団交に応じよとの韓国を教授会に行う。

● 2月12日 大阪市大医 大学協議会(全学の最高決定機関)も学生の拒否権・対等参加を否定。以降、医学部運営民主化は全学部運営の問題となる。

● 2月12日 東大医共闘・全共闘1500が主催する安田講堂内での大内経済学部長弾劾集会に参加。機動隊に守られた「マルクス経済学」を研究する大内を徹底的に追及。

● 2月13日 弘前・43卒クラス会が臨床系大学院ボイコット。

● 2月14日 大阪市大医 全学共闘会議(全共闘)のバリケードストによる教養部試験延期から封鎖が次第に拡大。闘争の発端となった医学部教授が辞職。

● 2月14日 横市医・公開教授会で『予算執行する委員会に学生参加を認める』『教授会公開、学生をオブザーバーとして認める。議事録公開、委員会への学生参加を認める』『大学自治は教員、職員、学生の三者で担う。外部介入には教授会は断固として戦う。学生の自治活動、民主的に決定したストには介入しない』『学部長占拠に学生参加』を確認。

● 2月14日 阪市大医・三項目採決の空洞化に対して大衆的に本部封鎖。(医学部より全学化を狙う)。

● 2月14日 京府医大・学生側がハンスト開始、学長室占拠。

● 2月14日 順天・学生大会で検閲制度の撤廃。集会自由要求決議。

● 2月14日 横市・四項目要求に対する教授会が開催、開学以来の公開教授会で学生を含む諸階層16名が参加し発言。投票の末学生要求を可決。

● 2月14日 新潟大医44年度卒業生、研修改革案を不満として卒業試験ボイコットを決議。

● 2月15日 横市・スト開始以来6回目の臨時学生大会で解除。医局民主化、卒後研修の基礎を作ったとして。

● 2月15日 長崎大医・学館闘争で医学部スト突入。

● 2月15日 鳥取大医・鳥大初の大衆団交。青医連の労働協約七項目要求。提出。 @学内協約団体として公認せよ。 A大学院入試を中止せよ。 B報告医・学会専門医制と指定病院を拒否せよ。 C青医連ルームを与えよ。 D健保抜本改悪に反対せよ。 E教授選公開、拒否権を与えよ。 F東大振り分け入学を拒否せよ。 

● 2月15日 全日本医学生新聞号外で『第三次時計台占拠闘争を』と医学連三上凱久委員長(東大M3・みかみよしひさ)が獄中アッピール。要約『東大闘争における医学連運動の位置を、一昨年・昨年の第一次・第二次研修協約闘争が個別撃破されていく中で、大学病院内の医療労働者との統一戦線形成で克服し、5月以降のMD外来封鎖が医学連の支援で行われた。これに呼応して、春の卒業式・入学式以降の展望を見出せない東大に於いて、東大の日本帝国主義における位置を暴露し、解体を通じ、それを労働者・学生の社会的陣地として再編する質を全学的に獲得するものとして、医学連・東大医学部共闘会議議長団から、6・15第一次時計台占拠が提起され、一部の諸君の動揺、民青諸君の闘争破壊を粉砕して戦いとられた。この時計台占拠とMDが依頼封鎖移行の社会的流動化、具体的には政府ブルジョワジー、大学当局の様々な欺瞞的終始策動、右翼民青を中心とする秩序派の台頭、それに規定された中間層の動揺は、医学連という大衆組織の再編を通した闘争主体の変革による再度の闘争への結集という問題、端的にいうならば医学連が今までの運動の限界性を克服し、全学連運動の一翼として、医療労働者を含む全ての労働者との統一戦線形成に向けて具体的活動の開始を要請したのである。これこそ、9月7日、八日、日共中央委員会指導下の民青ゲバルト部隊1000人の大会破壊工作を全国医学生250の実力で防衛し、安田講堂で行われた任務であった。労働協約闘争を東大闘争・安保闘争と結合して戦え』

● 破壊と創造の拠点として<座談会>/日大・東大全共闘
今井澄(東大・安田講堂防衛隊長 医学部)
「今井 客観的にいって、すわり込んで暴力反対という者は結局は体制支持者であり権力の手先です。しかも彼らの行動には自己矛盾がある。彼らが暴力反対といってすわり込み、すさまじい形相でぼくらに対しヘルメットを取れと叫び、あるいは棒を持っているのが少数の場合は、多数で取り囲んでこづきまわし、実力で棒を取り上げる。カンパに対する妨害だってひどくなってるし、リンチも起こっている。あの姿を見ると、彼ら自身きわめて暴力的で、それこそ論理矛盾に陥っている。共闘会議の学友はただ暴力を振るっているのではない。現在の社会的条件に規定されて、権力支配が今日のように暴力的な本質を暴露するのに対して、われわれも暴力をもって立ち向かわなければならないということなんだ。その中で暴力反対というのは、今までのブルジョア的な平和・民主主義・非暴力・自由という、彼らのいつわりの存在のよりどころ自体が、もはや許されなくなってきていることに対する最後のあがきではないか。」(p.246)

● 立花ゼミ '08駒場祭企画 <今語られる 東大 学生 全共闘>
三浦聡雄 (元・東大民主化行動委員会議長・医学部)
闘争も最終盤になると,暴力がだんだんとおさまり,ぼくら民青・ノンセクト連合が学校側と交渉をまとめ,ストライキも終わって授業再開となった。それまでゲバ棒振り回して襲ってきた医学部の全共闘の連中も,あきらめて授業に出て来るでしょ。すると,それまでの衝突のなかでその全共闘メンバーに殴られた人間がいて,結局民青なんかよりもむしろノンセクトの殴られた人たちの方が怒っているから,出て来た全共闘を素手でポカポカ殴るということはあったけれど,手加減はしていたと思うよ。まあそれも一度殴れば気持ちがすんで,それでおしまいという形で収拾だよ。その程度のことだね。僕も,紛争の最後あたりでも大学構内を平気で一人で歩いていたけど,東大の法学部のM君なんてリンチされた人もいたし,安田講堂で,中に他大学の学生がいっぱいいるところでつかまってやられた人もいたよ。逆にこっちも,同じ東大の中で顔を知っている相手どおしだったらやらないけども,全学連の支援部隊,他大学の外人部隊のような連中は,全共闘の迷い込んだのを捕まえて,殴ってほっぽり出したとか,そういう話はあるよね。

● 2月15日 長崎大医学部・学館自主管理を要求して無期スト突入。九州で唯一社学同の自治会ヘゲによる。

● 2月16日 京都府立医大学長・大衆団交拒否。無給医等も多数結集して、団体交渉を勧告。午後10時、教授会は本館3階へ上がり団交再開。無給医も多数結集、助講、助手も結集するも団交拒否。学長は途中、別室で4時間休憩し、病院長が代行。団交拒否。

● 2月 ×日 弘前大助講会発足。基礎系講師も含めて助手・講師33名で結成。すでに他学部では助手以上の教官が学部構成員として平等の権利を有し、教授会の構成メンバーともなり学部運営にも参加をしている現在、医学部のみが学部自治の名の下に教授のみの自治という現状には多くの批判が出されている。

● 2月17日 京都府立医大・学長が午前6時、病院長にメモを渡す。メモを読むと同時に団交を再開、約束不履行の自己批判所にサイン、他教授19名も次々とサイン、ただちに退室を迫る。大衆団交決裂・42青医連無期限ストへ突入。

● 2月18日 東大分院医師の会(126名・9医局)50名で討論会。

● 2月18日 慈恵医大・青医労と学生100名が午後2時より総決起集会。後50名でヘルをふくむ学内デモ。

● 2月19日 東北大医・民間学生食堂の生協移管決定。

● 2月19日 東大・三吉君・読売事件初公判(於・東京地裁)東大医・医学連・東大全共闘など80名で裁判闘争、法廷に機動隊導入さる。東大医民青・医自執行部デッチアゲたが、以後一ヶ月たっても授業再開に至らず。医学部内は教授会、中間層、学生がそれぞれ分解して「奇妙な静穏」(鉄門だより3.10号)に包まれているとコラム氏。この間、23日に加藤代行が総長に選ばれた。

● 2月20日 医学連関東ブロック会議・11校・25名参加。

● 2月20日 京大医共闘・内科研究棟へ封鎖拡大。

● 2月20日 京府医大隣接の立命館大学への官憲導入抗議集会に京大医共闘・京府医大全共闘が参加。京府に立命館大生が亡命。

● 2月20日 民青「全国医学生ニュース」油井医学連委員長が入局したと中傷記事掲載。

● 2月20日 東京医大・青医連『白い蟻』創刊。

● 2月20日 東大医学部当局・医学科卒業試験強行をひそかに告示、受験は民青系8人だけで51名がボイコット。

● 2月21日 鳥取大医・大衆団交。

● 2月21日 東大・日大共闘会議支援日比谷野音集会への結集を医学連が訴える。

● 2月21日 都立系病院若手医師の会・都へ報告医制返上を要求。

● 2月22日 広島大医学部学友会と青医連広島支部・研修協約闘争勝利。5月1日をもって差額ベッドを撤廃さす。

● 2月22日 東大医学部共闘会議の谷口一郎・伊藤克明君が山梨鉄門会で医学部闘争の説明懇談会。(於・甲府望仙閣)

● 2月23日 大阪市大・闘争の発端となった医学部教授が辞職

● 2月24日 弘前・自治会設立決議(230対23)。M4クラス会、非入局5項目申し合わせ取り交わす。

● 2月24日 名大・医学連討論集会に100名。(医学連中執主催)。

● 2月 ×日 和医大・群馬M、医学連主流派が自治会戦勝利。和医大、医局解体で無期限スト突入。

● 2月25日 大阪市大・教授会の話し合い拒否。これに抗議する六回生がスト突入。

● 2月25日 府医大・蜷川体制粉砕で府庁舎に突入。

● 2月26日 名大・M1クラス民青執行部へ不信任決議。

● 2月26日 府医大・初の本館封鎖を学生大会で圧倒的に決議。(247対128対37)。蜷川『民主府政』が闘争圧殺へ乗り出す。

● 2月26日 名大・M1クラスの自己批判要求に民青執行部が自己批判。

● 2月27日 MD・歯2年の1.18〜19機動隊乱入への責任追及に学長県会が出されるも、そういった内容の会見には応じられないと大衆団交を拒否。

● 2月27日 東大医民青・名大講師山田信也氏の講演会開催「医学教育の現代的課題」。

● 2月28日 福島医大・貴家覚書―産婦人科医局の偽装解散―過去の封建的医局制度を破棄し、地方公務員法の適用などを含んだ一方的覚書が提示され全医局員が署名。

● 2月28日 MD・D1とD2がスト突入。

● 2月28日 慈恵・スト中の青年医師労働組合と学生100名で決起集会。60がメットでデモ。

● 2月28日 東大神経内科医局会議声明・問題は未解決だから一部学生と交渉して終息を図り、卒試強行は認められない。

● 2月28日 大阪市大・28日から全学年ストへ拡大。

● 2月まで収録 東大全共闘元議長の山本義隆氏が中心になって編纂した東大闘争資料(大半はガリ版で刷られたビラ)「東大闘争資料集 全23巻」68,69を記録する会編集は国会図書館と法政大大原社研に納められている。
 「安田講堂1968-1969」島泰三著(中公新書)

● 3月 1日 横市・対市請願統一行動。「教授会先頭にデモ」300足らず。

● 3月 1日 府医大・入試粉砕闘争宣言。3・3京大入試決戦を前に兄弟時計台前全国労学総決起集会に結集せよ。京大・日大・立命館・阪大・関西学院・東大・中央大・大阪市大の全共闘とともに府医大全共闘がアピール。

● 3月 1日 東大・医科学研究所長追及集会・医科系大学院入試強行計画の撤回を勝ち取る。

● 3月 ×日 阪市・2外と2内、小児科で、助教授以下全員投票で医局解散決議。

● 3月 ×日 京大・公安が大学病院に公然、出没する京大では無給医スト可決。医局員により内科、外科、研究棟、基礎3教室を封鎖。助手会(有給)が宿直拒否。

● 3月 ×日 京府医大・京大などの学友、京大入試阻止に決起、2500名の参加・火炎瓶で抗戦。

● 3月 ×日 『情況』 医局社会における叛乱(69.3. 情況出版 臨)・金村元氏。

● 3月 ×日 反帝医学生戦線/「帝国主義ブルジョアジーの処分攻勢に抗し、処分撤回実力闘争を反帝反政府闘争への飛躍の場とせよ!」文書。

● 3月 2日 府医大・入試強行・丸キ導入に抗議してデモ、負傷数名。

● 3月 3日 東大・内科外科系合同クラス会声明。医共闘学生・医師・研究者を除外して教授会は終息を図るな。

● 3月 3日 京大入試阻止闘争。

● 3月 3日〜 岡大入試阻止闘争。

● 3月 3日 京府医大・蜷川知事が暴力学生は野良犬のようなもので鎮圧はするが、撲殺はしないなどという暴言の『野良犬発言』。「暴力学生は野良犬のようなもので鎮圧するべきだと考える。とくに医師となる京都府立医大生の学生については、暴力学生はチェックし卒業させない方がいいと思う」(於・京都府本会議)社会党県議から抗議。
蜷川は戦前の京大新聞に大東亜戦に参加しない者はと、同様な発言をしており、いつの間にか『民主陣営』に潜り込んでいた戦犯。
同日、京府医大無給医会スト。

● 3月 4日 青医連北大支部、病院長との交渉で公認の確認書を取り結ぶ。バリ封鎖、徹夜団
交に100名。社学同40が民青の闘争破壊に対して待機。

● 3月 4日 東北大43青医連。非入局病院公開制、教育病院構想を決定し、三者協議会でも認められる。

● 3月 4日 東大・第一次安田講堂占拠闘争に対する第2回公判、雪中40名参加。3内・2外のP室を封鎖。

● 3月 ×日 群馬大医学部自治会、和歌山医大に続き、民青との選挙戦に勝利し、42〜44青医連と研修協約闘争中。

● 3月 5日 千葉大・学生大会、登録医制に対する教授会回答を不満としてスト決議。

● 3月 5日 九大医学部当局,昭和45年度からの臨床系大学院募集の中止を了承。統一青医連北大支部による第三次研修協約闘争の勝利。青医連公認、六ヶ月更新研修協約等5項目の確認書と病院長の自己批判書を勝ち取った。民青は終始闘争に敵対しました。

● 3月 ×日 北大学医学部・大学闘争激化で卒業式中止。卒業証書を取りにいくと医学部事務室窓口から手渡す。

● 3月 5日 札医・スト突入。卒業式粉砕闘争。

● 3月 5日 北大・バリケード闘争。病院長はこれまで数次にわたり「統一青医連」と折衝し、これを「研修とそれに関する事項について交渉の相手として公認」するに至った。
43・44青医連50名により学内流動化。民青は5日以降、「6ヶ月更新の公認確約書を廃棄せよ。青医連を処分せよ」と教授会に要求、我々の介入で粉砕されるや「青医連と同じ条件にしてください」と病院長にお願いした。


北大闘争のさ中、北大所蔵だった画家三岸好太郎(1903〜34年)の油彩「花ト蝶」(32年、30号)をバリケード封鎖された教養部から1969年8月に許可なく持ち出し、道立美術館(当時)に、教養部封鎖にかかわった医学生が避難させていた。この絵を現在収蔵する道立三岸好太郎美術館(札幌)が医学生を探し当て北海道新聞の取材した。元学生は後志管内在住の男性医師(63)であると。『北海道新聞』2010 年12 月26日朝刊

● 3月 6日 千葉大・2月ストが民主化闘争の限界として大衆的に確認され、大衆団交を拒否されたので全クラスがスト突入。臨床系大学院入試実力阻止方針が採用され願書0名を勝ち取った。要求項目は、@教授は報告医制度反対を表明せよ。A報告医受け入れ拒否を表明せよ。BM4、43医卒会との研協完全実施。C教授会は団交を認めよ。

● 3月 6日 札医・青医連20により院入試阻止。

● 3月 6日 大阪市大・3月6日から院生・青医連の診療拒否、無期限スト。

● 3月 6日    ・これまでの大衆闘争の上で学生会3役選での民青執行部打倒。

● 3月 7日 京府医大・橋本教授団交→自己批判→2外封鎖解除。

● 3月 8日 医学連関東ブロック会議(於・慈恵)。

● 3月 8日 6・15第一次安田講堂占拠第二回公判・

● 3月 8日 女子医学生部会学友、MD民青の介入を粉砕、追い返す。

● 3月 8日 九大・「学士鍋」を44青医連準備委員会・ボイコット。

● 3月 9日 長崎大・医学部学生大会。バリ・スト決議・封鎖突入。

● 3月10日 京府医大・学生課封鎖。 

● 3月10日 東大医局長会議から「現状では医学部集会を開催することがもっとも必要で、医共闘系諸君を無視した講義再開には協力できない」との声明が出された。

● 3月10日 東大基礎病院連合実行委員会「教授会を告発する」声明。

● 3月10日 東大基礎医学助手会声明。授業再開・カリキュラム編成は認められない。

● 3月11日 東大第四内科医局会決議・東大「確認書」及び「医学部教授会と医学科及び保健学科学生との合意書」による事態終始は東大全学及び医学部の矛盾の根本的な解決につながるものではない。従って、、これ等に基き、現在強行されている「卒業試験」及び近く予定されている「授業再開」に強く反対すると共にこれに一切協力しない。

● 3月12日 大阪市大・3月12日、大学協議会(全学の最高決定機関)も学生の拒否権・対等参加を否定。以降、医学部運営民主化は全学部運営の問題となる。

● 3月13日 京府医大・看護学院の卒業式中止。

● 3月13日 弘前大学医学部新聞による全国卒後研修闘争の実情。
東北・43青医連、臨床系大学院、洞付属病院研究生ボイコット、2年間非入局。
千葉・学4臨床系大学院ボ、卒試ボ(一時的)。学3報告医制に対する教授会回答に不満とし、
授業ボ。スト突入。
群馬・国試ボ追求中、報告医制ボ、自校結集。
京都・43青医連、基礎系大学院ボ、学4、報告医制、指定病院ボ、非入局、臨床系大学院、
無給副手ボ、スト中。
神戸・博士号ボ、臨床・基礎系大学院ボ、報告医制、専門医制ボ、研修協約を実施(2年間)
三重・報告医ボ、1年間非入局ローテート。
岡山・非入局、1年間ローテート(於大学病院、市中病院)報告医制ボ。
熊本・報告医制ボ、自主カリローテート、臨床系大学院ボ追求中。

● 3月14日 医学連関西ブロック統一行動・京府医大など・蜷川「民主」府庁舎へ医学連関西ブロックがデモに対して正門を閉じてスクラムで日共府職労が阻止行動。市条例違反で1名逮捕さる。

● 3月14日 名大・民青執行部が自己批判書を全学友に提出。

● 3月14日 大阪市大・全学共闘会議(全共闘)のバリケードストによる教養部試験延期から封鎖が次第に拡大していった

● 3月15日 日本医大高看「自治会公認・休校中寮閉鎖粉砕・処分者を出すな」でスト突入。

● 3月15日 東大医科研所長追及集会。医科系大学院入試強行計画の撤回を勝ち取る。

● 3月15〜17日 慈恵医大医療研・伊豆白浜海岸で進学中心に10名で合宿。青医連から卒後研修について報告。

● 3月16日 長崎・「長大闘争勝利・全国学園闘争勝利労学市民連帯集会」医闘委委員長上野君・決意表明。春休みにも関わらず500名結集。

● 3月17日 名大・4度目にやっと成立した学生大会で激しい追及に民青執行部が自己批判。民主化路線の破綻。(最高時出席数142、成立定員数142)

● 3月17日 京府分校事務室封鎖。

● 3月18日 鳥取・医卒業式粉砕。

● 3月18日 慈恵プレメ・学生会と有志は『プレメを去るにあたって』の摸造紙4枚の張り紙を出した。詰め込み授業の弊害、このような中で20名の学友が学部に進級できなかったと書かれていた。(慈恵医大学生新聞第321号)。

● 3月19日 京府・機動隊により封鎖解除される。

● 3月19日 千葉大・クローズショップ制結ぶ。民青の拠点校を戦う拠点に造り替え研協勝利。しかしながら、医学部に委託研究している4人の自衛官入学問題、帝国主義的

● 3月20日 鳥取医・大学院入試阻止。式場バリケード封鎖闘争。その後、44青医連結成。41〜44単一青医連結成から医局解体へ。

● 3月21日 全国青医連定期大会(於・東大)大渕辰雄委員長。

● 3月21〜22日 民青「医ゼミ」デッチアゲ。(於・東大医本館) ちょうどその頃、「民主」京都府政によって京府医大47名の学友が検挙されていたのだ。

● 3月21日 京府・250名の機動隊導入、70名が首実験を受け、うち7名が逮捕、自宅・下宿に捜索が入る。首実検では存分になじられ、顔写真を撮られ、襟首をつかまれて教授会の立会いにより多くの学友が売り渡されてゆく。立会人は佐野学生部長・三宅図書館長、芦田学生課長。釈放後、構内で座り込み抗議集会。

       立命館・近接の立命館では21日法学部の卒業式があり、立命館大全共闘は日共民青との間で卒業式粉砕闘争を展開していた。4時5分前梨本神社に待機していた250名の機動隊は立命大前に前進、立命大突入の構えを見せ、突如府立医大正門より乱入をした。

● 3月22日 京府医大・再度の深夜3時バリ封鎖。事務本館に3名の決死隊を留める。約50名が正門バリケード内に座り込む、午前6時45分機動隊700は府立医大を完全包囲。7時機動隊が正面バリと病院旧玄関、それと加茂川側から乱入、座り込み部隊はデモ隊列で正面突破、学外に一旦出てジグザグデモで再び病院内に突入、40名逮捕。無給医会全面スト突入。助手講師会、教授会を弾劾。助手会教授の総退陣を要求。教授会は改革案と6ヶ月間の大学閉鎖命令。
無給医会は全面スト突入。

● 3月 ×日 京府医大―慈恵医大対校戦中止に。毎年5月連休に開催の運動部対校戦は3月22日に京府医大が全学バリに突入し、教授会により6ヶ月間の「大学鎮会」(=大学封鎖命令)が出されたので中止されることとなった。

● 3月23日 大阪市大・紛争の発端となった医学部教授が辞職。

● 3月23日 京府医大・全共闘はただちに組織体制を再編、連日100〜150名の学友の結集で抗議集会。救対を結成して逮捕者の救援活動にのり出している。

● 3月23日 東大医学部・埼玉鉄門会で大島良雄病院長が教授会側から発言。鉄門委員会側から青医連や学生の闘争を水上勝義氏が説明。(於・大宮料亭清水園)

● 3月24日 京府医大・250で抗議集会、京大まで200でデモ。

● 3月24日 九大・内科、42,43青医連が35日間のストで闘いとった研修協約5項目の内実に対し全階層の流動化を起こしながら厳しい闘争が青医連・学生自治会を中心に展開されている。3月24日39卒は学位ボイコット・大学院廃止声明を出した。全科の青医連は長期出張病院の公開を実現させ、医局の介入を許さず、市中病院との直接契約による就職を追及している。

● 3月25日 京府医大・300の学友・青医連・無給医・助手・看護婦・看学生・京大医・医学連中央オルグ団で3.21弾劾抗議行動。京大台Cまでデモ。

● 3月25日 岡大当局、封鎖解除・賠償請求の恫喝。

● 3月25日 病院反戦連合(準)・「70年安保と病院労働者」(於・文京公会堂)に50参加。高橋良彦氏、「病院労働者の戦い・歴史と展望」講演。医学連傍聴。

● 3月27日 全日本医学生新聞・号外見出し。京府医科大学長期閉鎖に病院封鎖で応えよ 京都府立医科大学全学共闘会議。大学閉鎖による府立医大闘争の圧殺を病院ストで粉砕せよ 全日本医学生連合中央執行委員会。

● 3月28日 阪市大・初の公開教授会を団交に。

● 3月28日 京府医大全共闘・ロックアウトに抗議して本館などを再封鎖。機動隊導入して20名病院玄関座り込み中を逮捕。医学連合宿実行委員長・木野村(慈恵)医学連書記長逮捕さる。

● 3月29日 第一次安田占拠第3回公判。(東京地裁)

● 3月30〜31日 医学連春合宿 京都市御所隣の盧山寺宿坊前の中庭へ京都府警包囲侵入、カエレカエレと80人で押し返す。京府・京大・阪市・阪大・東大・医科歯科・日本医大・関西医大・女子医大など多数校参加。

● 3月30日 京大病院前・2時府医大支援のため全国学友連帯集会。3時・蜷川府庁へデモ。

● 3月30日 徳島大・42〜44で単1青医連結成。

● 3月30日 東大・単一青医連、300で結成。世代別より個人加盟制に。「インタ−ン闘争・研修協約闘争・東大闘争を戦い抜く中で蓄積した質を更に発展的に持続せしめ、真に戦いの姿勢を有する自立的青年医師の運動体として、単一青医連東大支部が発足した。」

● 3月31日〜4月1日 医新連合宿(京都)に関西医大・日本医大・女子医など6校11人参加。『情勢に規定された学新編集を行い反権力統一戦線の下に討論の自由を保障、共同デスク・合宿などの活動を確認した。

● 3月31日 岡大・学生課長暴行で学生10数名を告発。

● 3月31日 京府医大・医学連関西動員300で府庁抗議デモ。

● 3月31日 福島医大・産婦人科民主化運動の学内公開。

● 3月31日 東大単一青医連結成・封鎖中の南研究棟(赤レンガ館)南講堂で40年入局者会議から44青医連準備会まで五世代、200人で結成。正式名称は「青医連東大支部」

● 3月 ×日 阪市・ニ外・ニ内・小児科で助教授以下の全員投票で医局解散決定、PSYなどの医局も近日中に解散する傾向であり、学生の闘争も熾烈化。

       大阪市立大学:民学同によると12月中核派の封鎖拡大に対して、1965年以来、医師制度改革の戦いを続けている医学部自治会、無給医員会、青医連が統一要求共闘会議を結成して、中核派とは別に医学部の改革闘争を展開、1969年3月教授会公開、教授選考中止等で前向き回答を得るとある。

● 3月 ×日 民青が医学生ゼミナール。1973年になってこれを第11回医ゼミと偽造。
於東大・医学連正常化連時代。

● 4月 1日 京府医大・医局占拠。病院内徹夜集会でロックアウト粉砕。

● 4月 1日 徳島大・青医連公認などを要求してスト突入。

● 4月 1日 京大・無給医無期限スト突入。

● 4月 1日 大阪医大教授・助教授による大教授会設置(副手、院生オブザーバ1)、副手の地位確立等大幅な改革案を教授会が提示。

● 4月 ×日 青医連東京医科歯科大(準)/「医局員から青医連医師への組織化を具体的にどうすすめるか」文書。

● 4月 ×日 東大医学部全学闘争委員会/「処分撤回闘争の経過」(68・3・12〜28)文書。

● 4月 3日 大阪医大副手のスト解除を最後として2月よりの闘争が終結した。

● 4月 5日 京府医大・3名起訴される。

● 4月 6日 慈恵・青医労(青医連の労組)。「覚書」批准を大会で承認、160数日のスト終結。臨床系を志す全員を病院長直属各課配置。団体交渉権は認める他。

● 4月 7日 京府医大・全学奪還自主入学式闘争、正面バリ。

● 4月 7日 京大・M図書館封鎖。M全闘・「弾圧一周忌」集会開催。

● 4月 8日 第一次安田占拠第4回公判。(東京地裁) 証人に大河内を予定されていた。

● 4月 8日 大阪市大医・ 学長が、学生等との事前合議、異議申立権を含む「大学改革について」見解を表明したが、拒否権を要求する学生側の封鎖により新学期の授業は全面的にストップ。
以後、一部学生の紛争解決を求める集会、教授会公開、医学部教員会の当直拒否、など曲折をたどる。

● 4月 9日 徳島大・大学側の全面譲歩で青医連スト解除。

● 4月 9日 東大・「安田講堂1・18〜19闘争が切り開いた全国学園闘争」安田講堂防衛隊長
http://zenkyoto68.tripod.com/imaik02.htm 今井 澄(東大医共闘) 東京拘置所〔3〜4号)

● 4月10日 京府医大・全共闘機関紙第5号「大学コンミュ−ン・医療ソビエト論」掲載。統一青医連準備会。

● 4月10日 北大・医学闘が入学式粉砕闘争。式の挙行が不可能になったことに対して堀内学長が、暴力学生はナチスの御用学生と同一であるという告示を行ったために、全学的紛争にまで拡大。

● 4月10日 東大「単一青医連より」昭和40卒森田興ニ(同日、鉄門だより)

● 4月11日 東大医共闘・青医連60名は病院前で4月4日4人の死者を出した「高圧タンク爆発事件」犠牲者追悼・抗議集会を開催。50名で脳神経外科医局封鎖し、封鎖声明を出す。
解除→封鎖を繰返す。14日完全解除。爆発事故を必然化せしめた医局社会―学会にしがみついた医局員に自己批判を要求し、責任追及の教授会団交を要求。
一方、東大病院職員組合・好仁会労組の呼びかけで300人が集まり、政府の低医療費政策と安全対策を怠った病院当局にあるとしあ。

● 4月12日 東大教授会・暴力団風の男に脳神経外科医局封鎖を解除させるも撃退。

● 4月12日 医学連中央執行委員会・書記長木野村睦(慈恵)。新入生諸君へアッピール。医学連機関紙61号で。このとき医学連は三上委員長(東大闘争)、渡辺副委員長(京府闘争)、その他3中執が拘留中。

● 4月12日 京府医大・病院前広場1時に集まり府庁へデモ。

● 4月12日 第一次安田占拠第4回公判。(東京地裁)40人参加。

● 4月 ×日 群馬大医進・統合移転反対張りすと70余日を戦う。医学部ではクロ−ズショップ制を除いて研修協約闘争に勝利。教授会に突入して、米軍資金導入を撤回さす。

● 4月12日 岡山大・機動隊学内導入抗議行動。投石で有本隊員1名死亡し、これを境に地元紙などで徹底的な反全共闘キャンペーン。医学部学生1名にも指名手配出る。

● 4月14日 九大・内科グループは5項目要求貫徹で1週間の研修放棄に入った。これ等の運動を集約してゆくものとして書記局体制の強化=機関紙「九大青年医師新聞」(4・21)を創刊した。

● 4月17日 東大医共闘・青医連など400人参加で脳神経外科高圧タンク爆発事故責任追及集会。医学部図書館・3階333教室

● 4月18日 第一次安田占拠第5回公判。(東京地裁)1時。

● 4月19日 医学連新入生歓迎集会(東大医学部図書館)に10校の新入生70名。関東私学医学部も参加。1・18死守戦の行われた医図書館333号室で行われ、東大医共闘などからの挨拶を受けた。

● 4月20日以降 岡大・暴力事件を口実にした機動隊学内導入に対し医・法文・教養教官有志8名が執行部の自己批判,辞任を要求し,当局の全学集会拒否の声明を出す。

● 4月20日 金沢・一外医局改革会議結成。

● 4月20日 全国単一青医連結成大会 於・東大医学部南研究棟 招請:青医連中央執行委員長 大渕辰雄 全国に広がる病院闘争のさ中、44部隊を戦列に加え!

● 4月20日 ●奈良医大・奈良医大生の李智成君は「満腔の怒りをもって佐藤反動政府の出入国管理法案、外国人学校法案に抗議する」との短い遺書を残して自らの命を燃やし尽くした。後に追悼遺言集が出版される。

● 4月25日 医学連三上委員長出獄(東大1,18医学部図書館防衛闘争で医共闘部隊23名と共に逮捕さる)。

● 4月25日 九大医学部闘争委員会・学生大会後、沖縄闘争で医学部事務本館封鎖。

● 4月26日 京府・全共闘決起集会。→全関西労学総決起集会へ。

● 4月26日 奈良医大・医学連支持候補のポスターを当局が撤去した事に関してに対して学生大会を360名中230名でもち教授会から誠意ある回答が得られず、全学スト。民青執行部の闘争放棄による研修協約闘争の不発、昨年の不正規入学追及のビラ一枚出さないというサボタージュに医進を中心に医学連へ結集。

● 4月26日 日本医大・闘う学友会執行部を選出。日医大においては4月26日、有効投票数の75%の信任票を得て委員長に堀内貞君、副委員長に上田基君(学部)、落君(教養)を選出。具体的な活動方針として三統一候補は@健保改悪阻止・安保粉砕、A新丸子学園闘争→独立学館・自治寮獲得、B看学闘争支援、C千駄木学生会館獲得、D学生祭としての千駄木祭貫徹→サークル運動の質的展開、E学生部粉砕を選挙時にスローガン化して全学友に提出している。スト解除後も粘り強い闘争を継続する看学自治会・4月からの寮監廃止、入寮自主調整権を勝ち取った意進寮友会との共同歩調を提起している。日医研修協約スト突入二周年記念日でもある4・28沖縄闘争には大衆的学内統一戦線である安保評議会(準)に約20名が結集して組織的に最後まで闘った。

● 4月27日 岡大・付属小中学校での「全学集会」粉砕

● 4月27日 MD・全学総決起集会。

● 4月28日 沖縄闘争 MDへ1000名泊り込み。病院外来バリ、病院前機動隊を粉砕して政府中枢占拠を志すも60年代武装カンパニアの軍事の壁に突き当たる。府立医大生2名、中央闘争で逮捕さる。全関西全共闘総決起集会(追手前公園)へ医学連参加。

● 4月28日 慈恵医大・院内に運び込まれる負傷者の奪還闘争を青医連4・28実行委員会と全学反戦行動会議50名で行う。50名くらいの負傷者が運び込まれたが、当局は私服・機動隊が入るのを容認する一方、当日は学生の病院内立ち入りを禁止。青医連を中心に学内パトロールを行った。

● 4月28日 日本医大沖縄闘争に20名参加。

● 4月28日 東大医共闘85名で沖縄闘争デモへ。

● 4月28日 福島医大も現地で決起。

● 4月28日 北大・日共は流動化する学内を「トロが病院封鎖をする」とのデマで封じ込めようとしたが、青医連と医学生は院内逆バリを突破して戦う。

● 4月28日 岩手医大・20名で沖縄闘争にヘル闘争。

● 4月28日 徳島青医連、医局講座制打破等項目を要求して無期限スト突入。45青医連に暮らすの全部が結集し、4月に結成された統一青医連に参加して戦う。

● 4月28日 九大医学部でも授業放棄、沖縄闘争に200名以上の学友が参加。板付基地にデモ行進。

● 4月29日 群馬大医進・移転反対向きスト。

● 4月29日 千葉大・精神科医局解体→精医連結成。

● 4月30日 第一次安田占拠第6回公判。(東京地裁)

● 4月 ×日 千葉大・医学連支持候補自治会戦で民青に勝利。

● 5月 1日 岡山大・警官死亡事故で自首してきた岡山大医学生を起訴。

● 5月 ×日 岡山大・医学部教授会は会議室占拠・封鎖のためホテルで行われた。

● 5月 3日 MD・4,28沖縄闘争の件で捜索を受ける。

● 5月 4日 青医連第二回全国大会・(於・京大医図書館バリ内)。19加盟校中13支部・3オブザーバー、40〜43青医連115名結集。新たに4支部が加盟申請した(阪医・神戸・東邦・北大)。青年医師連合中央執行委員会/青医連第二回定期大会議案「医局講座制解体―学会粉砕を軸に、第三次労働協約闘争=大学病院闘争を闘い抜こう!」@、反帝国際闘争の一翼を担い、沖縄−年安保を戦い抜こう。A、医療の帝国主義的再編阻止。B、医局講座制解体−学会粉砕を軸に、第三次労働協約闘争=大学病院闘争を戦い抜こう。C、大学病院闘争から市民病院闘争へ。D、青年医師ゼミナールで運動の集積と理論構築を。

● 5月 5日 東大闘争獄中書簡集 今井澄「4月9日東拘より」 獄中闘争書簡刊行委員会

● 5月 6日 日本医大・学友会全学第一回中央委員会では全員一致で看学自治会闘争支援(寮友会は総会で反対なしで決)を確認、代表3名が看学自治会に教授の学友会デマ流布の説明に出向き5・16を闘争委員会で闘い抜く事を確認した。

● 5月 7日 京府医大・自主講座(PSY主催)「現代医療批判」岡田靖雄医師。

● 5月 7日 弘前大医自選・公開討論会に70余名参加。
民青系統一候補の公約 @、過密カリキュラムの解消A、生協食堂の充実B、卒後研修制度の確立C、図書館を利用可能な図書館にD、スポーツ憩いの場の保障E、住みよく民主的新寮の建設F、医学連の正常化と一部暴力学生の排除。
医学連系統一候補の公約 学内の種々の要求は当然かち取っていくという前提に立って@、医学連の自主調整への参加A、44クラス会の運動を更に発展させるB、医学部封建制の根元たる学位並びに無実化した大学院ボイコットD、報告医制−専門医制反対。統一候補のM1西村正三君は「医者と患者の人間関係の回復を基調に、44生の運動を積極的に支持、かつそれを発展的に青医連運動、医学連運動に結びつけていくことが責務と発言。民青系学友による医学連分裂策動=医自連デッチ上げを許せないとして医学連第15回大会の正統性を具体的な事実を持って証明した。

● 5月 9日 京府医大・日共府職労行動隊を粉砕し医大参事室を封鎖。(蜷川知事の出先機関)

● 5月10日 福島医大・第一回臨時学生大会で5項目を採択(119対18対16対10で可決 民青案18対109対25対11で否決)。 @長期に渡り搾取と抑圧を続けてきた貴家−大川は即時退官せよ。 A中教審答申反対を教授会の名を持って声明せよ。 B学生ホール部室の自主管理及び講義室の使用を認めよ。 C依然存続する教授会の秘密主義を即時撤廃せよ。 D教授会の経理を即時公開し、父兄納入分を学生会に前面返還せよ。

● 5月10日 京府医大・府医大統一青医連第一回総会。PSY医局解散、精医連結成。

● 5月11日 青医連・第3回精神科ブロック会議(於・東大赤レンガ館午後6時)・

● 5月12日 東邦大・44青医連、教授会回答を不満として無期限研修ボイコットへ。

● 5月13日 弘前医自・選挙は81%の投票で173票を獲得した単独候補が委員長に、副委員長に139票で当選した民青系、書記長に129票の医学連系西村君が当選した。
<西村君の談話を何編か> ―再建自治会が確立されるまでの4年間の政治的空白についてどう思うか。「確かに弘大医の医学生の問題意識は全国的医学生の質とは違った質を保有していたと思う。しかし、自らの独自利害を追求するだけでは医療労働者や患者を犠牲にした排外主義に陥ってしまうと思います。昭和35~36年の全国的な看護婦ストに対して、当時の青年医師が『白衣の暴力団』として登場したのはそのよい例だと思います。」 ―弘大におけるそうした運動としては43,44の運動があると思うがその総括と展望はどうか。「43は医局改革のために非入局1年の方針を示したのは大きかったと思いますが、結局、入局改善運動にズブズブと嵌り敗北したが、44の運動は質的にそれを乗り越えているが、今日明確に青医連運動として位置付けることが要請されていると思います。ですから決して病院内圧力団体になってはいけない。つまり、医療矛盾を隠蔽してはいけないということです。」 ―自治会運動の基本的視点はどんなことですか。「『抑圧されている人間は普遍的苦悩を持つ』故に我々の運動を単に医療の分野あるいは学生の分野に限定することはいけないと思います。 社会の全的解放でなくてはいけません。そうする中でこそ医学生、青年医師、医療労働者との間の実践的真理を共有できると思います。」

      弘前大医学部学友会 自治会が崩壊した4年間も学友会は存続した。新歓と送別会・文化部運動部活動・学祭や運動会、バスハイクなどが主な役割だが、自治会と目的はほぼ同じであるとし、むしろ学友会はもっとラジカルであってもいいと学友会総務委員長の記。かつて、バスハイクの学友会・デモの自治会などといわれたようなことが自治会への不要な偏見を招き自治会崩壊につながったのでは、自治会との連携を密接にする事が必要だと。(弘前大学医学部新聞第38号)

● 5月14日 福島医大・右翼木刀で学生会を襲う。

● 5月14日 京大医学部南北の門を封鎖 , 教授は立ち入れなくなった。助講会や助院闘などが連日討論。

● 5月14日 弘前大・自治会再建。書記長に西村正二君。

● 5月14日 九大医学部自治会,大学立法・健康保険特例法延長に反対し全国の突破口を切り、圧倒的多数で無期限ストに入る(〜昭45.1.9)。5.17歯学部スト(〜9.8)。臨時学生大会が午後1時より開かれ、8時間に及ぶ激論の末、原案(第二次大管法立法化阻止!健保特例法延長阻止!外国三法粉砕!で無期限ストに起て!)と修正案(原案に「医学教育の抜本的改革!」と無期限ハンストを添加したもの)の採決に入り原案が採決されて、無期限ストに突入した。
<採決>
原 案 賛208 反125 保16 棄2
修正案 賛56  反238 保16 棄2
無給医会第14回代議員会において、KRI脱退を採決により決定。
<採決>賛10 反4 保4

● 5月14日 京大M闘・M基礎封鎖。スローガン @、大学立法−中教審粉砕。A、破防法−ASPAC粉砕。愛知訪米阻止。B、健保特例法延長阻止=健保抜本改悪反対、決議。

● 5月14日 徳島大・学部長選挙学生参加勝利全学スト。徳大医学部教授会・学生の要求で条件付公開を決定。

● 5月15日 九大医・中教審に反対して無期限ストに突入。

● 5月15日 福島・第二回学生大会で、6項目採択。医局解体の論理と方向を採択(157対111)。福島44青医連の身分規定の問題が1月闘争のぶり返しとして取り上げられ、これを6項目目に追加採択。

● 5月15日 京大・学生部再封鎖。

● 5月16日 医学連・青医連全国統一行動に日本医大など参加。全国で2000人、中央集会は600人が清水谷公園に集まり宇都宮青医連委員長が挨拶、医学連からは三上委員長が出獄挨拶。後、国会と厚生省へ行動隊を先頭に関東ブロック17校学友500名が抗議デモ。日医・慶応は80名余を動員、順天・女子医・東邦のそれに次ぐ動員、東大医共闘は東大闘争の関連で数十名しかできず、医歯大も3項目要求の大衆団交で全学1日ストで数十名しか動員できなかったが、医学連の運動が均一化している。 日大医学部闘争委員会(医闘委)は20名の行動隊を先頭に登場、自治会再建へ全力投球をしている日大へは12000円集会カンパ。弘前・信州・昭和・日大など医学連に再結集。
スローガン〔健保特例法延長阻止!健保抜本改悪反対!中教審答申案粉砕!医局解体単一青医連結成!第三次研修協約闘争勝利!報告医・専門医制粉砕!防衛大医学部設置粉砕!〕

● 5月16日 徳島大医学部・医学連青医連全国統一行動 徳島大医スト。医局連、青医連、医学生会の3者共闘で教授会の欺瞞性・無能ぶりを暴露。

● 5月16日 京府医大・医学連・青医連全国統一行動 京府・10名上京。

● 5月16日 昭和大医学部・初団交が設定されていて5・16統一行動は不参加。

● 5月16日 MDPの医学連主流派がヘゲ確立。スト突入。真鍋教養自治会委員長、医学連機関紙・医学新63号に投稿。

● 5月16日 鳥取青医連支部・42・43・44が1日スト。午前は情勢分析、午後は亜青医連、助手、検査員、学生の参加で全学討論集会。京府医大の臨床助手山田氏が府医大闘争を踏まえて講演。当局は大衆団交要求を無視。

● 5月16日 徳島医学部・スト。

● 5月16日 女子医100名で学内集会。正式自治会結成へ取り組み。

● 5月16日 医学連東北ブロック・ゼネストで高揚する福島医大に集結。医学連東北ブロック総決起集会に弘前・岩手・東北・福島医大の450名。みちのくで学生運動不毛の地といわれた岩手医大で沖縄闘争に20名のヘルメット部隊が登場。弘前大では医学連に結集する諸君の手で自治会が再建された。東北大では民青の妨害を撥ね退け、一貫して政治闘争を担う医学生運動を展開している。福島医大では自治会選挙で地すべり的としか言いようがない票差で民青諸君に勝利した。街頭デモで2名逮捕されるも抗議闘争で即日釈放となった。

● 5月16日 北大医学部200名でデモ。日共は流動化する学内を「トロが病院封鎖をする」とのデマで封じ込め、逆バリでロックアウトしようとした。

● 5月16日 九大医学部・教授会と大衆団交。医学部中央講堂で1時より5時まで殆んどの教授の出席を以って、大学立法及び医療の矛盾について討論。これに先立ち学生自治会は全国46医学部、医科大学自治会に向け、無期スト突入に連帯して決起するように呼びかける檄文および自民党総裁、文部大臣、厚生大臣への抗議文を採択。
教授会は5時より法学部教官を招き「大学立法」についての法的解釈について講義を受く。

● 5月17日 九大医学部学生自治会・市民に天神町で「大学立法・健保特例法粉砕」のアッピールを1時から6時間に亘って行い、約1万枚のビラを配布した。。

● 5月18日 関西精神科医師会/「今後の運動方針と組織論的展望」文書。

● 5月19日 京大M・ヘルメット公判(第6回)。

● 5月19日 徳島医闘連・教授会傍聴に120の学生・医師・労働者で実力介入。議長の岡教授は流会を宣言。

● 5月19日 広大医学部・在監の医学連中執K君から編集部への便り。「前略、私は1月東大闘争を闘い、今なお東拘に拘留中ですが、出来る限り医学連の様子も知りたいと思います。そこで、医学生新聞その他資料、各校の闘争報告などを差し入れていただきたいと思います。差し入れは郵送でも可能です。沖縄奪還闘争に各大学の戦いに健保闘争にと厳しい毎日を過ごしておられることと存じます。がんばってください。草々。」

● 5月19日 九大医学部・無給医会第15回代議員会開催。全国統一行動に合わせて6月16日より一週間全面スト。二番目のスローガンとして大学立法反対をすえ、事態の重要性・緊急性に鑑み、時期を早めて強力な行動をする事が決定された。

● 5月19〜22日 第66回日本精神神経学会大会(金沢学会・台弘理事長)粉砕へ医学生も患者と共に介入。理事会不信任。評議員会解散勧告が提出される。全理事退任(学会刷新・認定医反対・医局改革を若手医師が迫る) 関西精神科医師会議がパンフレット『学会を告発する』を作成。
    精神医療改革の発端となった第66回日本精神神経学会大会(金沢大会)では、認定医制度  
設置をめぐって理事会を糾弾した。大学医学部内部での教授を頂点とした医局講座制という医師の階級制度と、その制度を支えるべく行われている研究が患者のためのものではなく、精神医療全体を歪めるものになっていると糾弾、理事長と理事会が解任された。

● 5月 ×日 都立大久保病院外科有志/「都立大久保病院人員要求闘争経過報告」文書。

● ×月 ×日 臨床研究医制度実施要項(四四年度改正版)

● 5月21日 九大・第一回全体自主講座講演討論会。京都府医大闘争の中間報告−府医大全共闘代表・渡辺哲雄君。 日大闘争の意味、九大工助教授・倉田令二郎。午後1時から5時まで、150名参加。

● 5月21日 長大医共闘・教授会に団交を要求。

● 5月22日 徳島医闘連・20名のみ傍聴可という教授会に百数十名で団交要求。教授会は流会を宣言。

● 5月22日 九大・400で医学部地区総決起集会。(参加団体、医学部自治会・歯学部自治会・薬学部3年・看護学校・青医連)午後1時から4時半まで活発な討論。

● 5月23日 東大赤レンガ館・医教授会による封鎖解除。赤レンガ館は1月東大決戦の際、学内唯一、赤旗が翩翻とひるがえり、視察に乗り込んできた佐藤首相を激怒させた精神科病棟である。

● 5月23日 九大医・大学立法粉砕で2000の全学総決起集会へ参加。学生の広範な参加がはじめて九大内でなされ医学部学生自治会が切り開いた無期限スト出発の一エポックを画した。集会後、自民党県連へ街頭デモが市内の目抜き通り一杯に繰り広げられた。

● 5月23日 京大・丸キ導入、東一条市街戦。

● 5月24日 群馬大・当局は日共・右翼と結び、前橋公園で権力護衛の下、全学集会をデッチ上げようとしたが、医進などの学闘連150の隊列の前に秋月学長は逃亡。

● 5月24日 大阪市大・基礎工学部に機動隊導入し駐留。教職員・学生の導入抗議デモ、医学部教官会「機動隊駐留反対」声明。工学部自治会、医学部無給研究者、抗議の一週間スト。

● 5月25日 全日本医学生新聞62号・社保論への基本視座、「簒奪された賃金=健保分析」を健保闘争クラス討議資料として掲載。

● 5月25日 九大医・学生自治会が第二回全体自主講座。外国人三法についての講演と討論が午後1時から5時まで。

● 5月26日 MD青医連・総医局長室占拠。

● 5月26日 九大医・四二青医連、医局講座制解体!大学治安立法粉砕!をスローガンに研修治療行為の無期限ストに突入。四三青医連、神経内科グループも無期ストに入る。第二外科無給医会、無期限全面ストに入る。

● 5月28日 MD・学長室占拠闘争。

● 5月28日 岡大機動隊再導入。

● 5月28日 東邦C・民青執行部を打倒し、臨時執行部を選出。習志野学友会(医進・理・薬)の民青日和見会長が学生大会をサボタージュする中で学生大会で弾劾され、会長辞任をかちとり、更に続く会長戦で戦う会長を医進から選出した。医学部でも民青自治会長が独断で他大学民青を呼び新入生歓迎会をしようとしたが、粉砕された。

● 5月28日 東大医・16ヶ月ぶりの授業再開阻止闘争。前夜よりMDに泊り込んでいた医共闘・医学連100名は機動隊の壁を破って東大へ突入。7医局で反対声明。東大医学部共闘会議によると各階層からの大衆団交に応ぜず、分断授業を行おうとしていた。

● 5月28日 九大医・定期学生大会が午後2時半より10時半まで中央講堂で開かれ原案(大学立法粉砕!健保特例法延長阻止!でスト貫徹)と対案(スト即時解除)につき討論、投票の結果原案が可決された。
<採決>
原 案 賛178 反122 保28 棄1
対 案 賛100 反210 保19 棄1
無給医会第16回代議員会において、二外科より「無期限診療、研究拒否に入ろう」という提案がなされ、賛成14 反対2 保留5で可決された。

● 5月29日 京都府医大・学長団交。

● 5月30日 慶応・44卒、青医連結成。

● 5月31日 東邦医学部・反戦青年委員会・反戦学生委員会による愛知外相訪米阻止闘争。

● 5月31日 徳島大医学部・大学立法粉砕総決起集会。

● 5月31日 千葉大医学部・「大学立法・健保・自衛官の大学入学阻止」で1日スト。

● 5月31日 九大医・愛知訪米抗議行動。医学部学生自治会主催の下に、薬学部・歯学部・化学科・教養部よりの参加者も含めて天神を通り西公園の米領事館まで街頭デモを組んだ。
同日、医学部学生自治会自主映画会・岩波の文革記録映画「夜明けの国」、仏・アルジェリア作品「アルジェの戦い」。中央講堂に300名。

● 5月 ×日 
1969年5月、本学第1外科で無給医局員により結成された医局改革会議が発足し、「@
医局長の公選、A教授以下すべての医局構成員をもって構成する医局会議を医局の最高決
議機関とする」との2項目を要求した。卜部教授との数回にわたる団体交渉の結果、この
改革案に教授も調印するに至ったが、他の教室はむしろ内容に批判的で、この決議は大方
の支持を得ることができなかった。その後、第1外科改革会議は二つに分かれ、助教授、
講師、助手らが教室員会を結成して対立した。こうした運動は学内全体に波及し、同年10
月には第1内科医員会が発足し、その人事委員会が医局員の病院への就職、出張、アルバ
イトの斡旋を担当し、人事の公募制をとった。
                       金沢大学50年史局編より

● 6月 1日 九大医学部・42・43・44青医連無期限ストに突入。統一スローガン 大学治安立法粉砕!医療の帝国主義的改編粉砕!医局講座制解体!
同日、無給医会・大学立法反対でスト突入。
無期限診療・研究拒否(一部診療のみ)一内・三内・一外・二外・脳外・小児・産婦・精神・泌尿・麻酔・胸研・整形・循内・耳鼻(9日より)。
三週間診療・研究拒否 眼科・二内。
一週間診療・研究拒否 神内。
<スローガン> 国の責任において有給の場における医師の研修と研究を保障せよ!大学治安立法阻止!低医療費政策に反対する!健保抜本改悪、大学病院への償還制導入反対!臨床研究生制度、登録医制度を撤回せよ!


● 6月 2日 北大医学部・20日まで無期スト。

● 6月 2日 京府医大・入管法粉砕闘争(神戸)に10名参加。

● 6月 2日 鳥取医学部・専門への進級式粉砕、自主進級式への呼びかけが進級生から発せられ、それに呼応した青医連によって、進級式は実質、教授会追及集会に切り替えられた。

● 6月 2日 九大スト実・他、法文経スト実、および各学部大学院スト実の主催で記念講堂において1968.6.2の米軍戦闘機RF-C ファントムの墜落抗議と大学の帝国主義的再編阻止!で「米軍機墜落一周年全学総決起集会」を開催。2000名の参加で5・23集会に続く盛り上がりをみせた。集会後自民党本部と米領事館に向けてジグザグデモや道一杯に広がるフランス式デモを繰り広げた。同日、九大学友会ら四者共闘の諸君は同日1000人の(教官700)参加で平和台まで静かに行われた。大学主催のデモは今年初めて。

● 6月 3日 九大医学部自治会(〜6.4),井上正治法学部長未発令問題に関し医学部教授会と団交,確認書を作成(以後,理,農,教養部においても同様の確認書が交わされる)。学生250名参加。この日、5月20日、事例が降りないまま評議会は井上氏の辞任を決定し、後任に問田医学部長を選んだことに対し、出席教授23名のうち、18名が「井上辞任は認められない、関田医学部長は学長事務取り扱いを返上すべきだ」と主張し、2名は保留、のこり2名については学生側から発言資格なしとしてサボタージュされ確認されなかった。ついで最終的に学生側は問田医学部長に5.20決定白紙撤回と、辞令の返上を要求したが、教授連の疲労の色が目立ったため、12時間後に再開続行を約して一旦休憩。

● 6月 4日 千葉県市川市国府台地区4大学共闘デモ、MDC,日医P,和洋女子大、千葉商科大など延べ400名。日医大医進国府台構内で連帯集会を持つ。MDC当局より日医P当局に抗議が来る。

● 6月 4日 群馬大・民青秩序派によるスト破壊学生大会を学闘連が破壊。

● 6月 4日 MDお茶の水・医科歯科大全学決起集会、400。 

● 6月 4日 九大医・大衆団交再開し5.20評議会決定の白紙撤回、席駄が口調事務取り扱いなどの文部省への辞令返上。博して会されない場合には医評議委員の総引き揚げなど確認して夜10時に終わる。学生側250名、教授側30名出席。

● 6月 5日 東邦C・医進東君を学友会委員長に選出。

● 6月 5日 福島医大学生会・スト権確立(174対86対30)第三次労働協約闘争。民青対案は戦術左翼として粉飾を凝らしたが31対135対57対2で否決。

● 6月 6日 福島医大・学生会・青医連が無期限ストに突入。学生会・青医連・教室員会が全学共闘会議(全学闘)を結成。

● 6月 6日 九大医学部自治会第三回全体自主講座。「レーニンの帝国主義理論と現代資本主義」講師 北九大 伊東弘文氏。

● 6月 7日 九大医学部体育会キャップ会が11サークルの参加で開催され、「本年度は西遺体にはストが続く限りは参加を見合わせる、スト解除の段階でキャップ会を招集して態度を決める」

● 6月 ×日 医学連東北ブロック会議(於・福島医大学)

● 6月 8日 長崎大医・大村収容所解体、入管法粉砕闘争へ医闘委70名のヘル部隊を送る。

● 6月 8日 九大医・大村収容所解体闘争へ全学とともに現地大村へ九大反戦を中心医15名で参加。九大医自は任意で5名参加。

● 6月 8日 府医大・父兄世話人会の佐野・間島が全共闘とのボス交を持ってくるもヘルメットデモ・弾劾集会で粉砕。

● 6月 9日 43青年医師連合/「六月国ボ体制の確立を六月国試阻止へ。六月国試阻止の確立を十二月国ボ体制へ」文書。

● 6月 9日 東大・すでに実力闘争に立ち上がった第二外科、胸部外科、精神科、第四内科、第一内科、神経内科等の代表および整形外科、第三内科等々6科の有志代表が集まり、実力行動決起各課代表者・有志会議(仮)が開かれ、次の確認を獲得した。@団交(全医学部集会)実現、分断授業即時中止、反対の実力行動に入った各科において実行委員会を作り、これに結集して東大病院連合実行委員会(仮)をつくるようにめざす。

● 6月 9日 九大無給医会・井上法学部長の講演会。演題「大学行政、政策の底流にあるもの」に400名余り参加。
同日、心療内科、皮膚科の無給医、二週間の診療、研究拒否に入る。

● 6月10日 府医大・自主講座「近代合理主義の欺瞞について」師岡氏 PSY主催。

● 6月10日 群馬大医・早朝に秋月学長は機動隊を率いて封鎖解除に出た。民青再三の学生大会デッチアゲは大衆的に粉砕。

● 6月11日 九大医・定期学生大会が開かれスト続行。原案(大学治安立法の粉砕!健保特例法延長阻止!無期スト貫徹!)とスト実の総括を中心に討論し決議さる。
<採決>原案 賛成155 反対63 保留25 棄権3.

● 6月12日 医科歯科・学生大会で民青右派諸君を大差(299対153対33対5))で破り、6月13日より60年安保以来の10日間全学スト(学部自治委員長・山本康夫 M1)。

● 6月12日 九大医・三内無給医会主催の講演会。「健保抜本改悪のねらい」全医労九州地方協議会議長、上田生涯三。

● 6月13日 府医大・自主講座「科学方法論」武谷三男 PSY主催

● 6月 ×日 府医大・看学自治会戦勝利。

● 6月 ×日 MD看学・戦わぬ看学連から脱退。

● 6月 ×日 信州大・委員長自治会戦勝利。中執11人中民青は3名で民青連絡会議からの脱退をかちとる。

● 6月13日 東邦大・44青医連スト権確立、ただちに無期スト突入。

● 6月13日 東邦大・無期スト中に樺美智子追悼70年安保粉砕当方政治集会。

● 6月13日 MD・23日までスト。

● 6月13日 九大医・講演会「社会の中の医学」東大物療内科講師 高橋晄正氏。学生・青医連・無給医会など400名参加。引き続き午後6時より10時まで討論会。
同日、医学生自治会は6月14日の音楽祭に関して文化総務キャップと討論。14日の5時半から記念講堂で九大再の一環として開催される予定であったが、同じ時刻に、反安保労学市民総決起集会が同じ記念講堂で開かれることとなり、音楽祭を中止するように申し入れ、そのための討論が文化総務キャップと医自治会、反戦学連、教養部闘争委員会の間で持たれた。

● 6月14日 福島・41〜43青医連一日診療ボイコット。41〜44で統一青医連結成。

● 6月14日 慶応医自・助手会に公開質問状。

● 6月14日 九大医・学生集会。午後1時から3時まで、労学市民総決起集会と音楽祭をどするかについて中央講堂で討論。記念講堂での音楽会をサークル側が自主的に取り下げたため、衝突なく午後6時半から11時まで集会。
同日、前日に引き続き討論会「社会の中の医学」東大物療内科講師 高橋晄正氏を囲んで午前9時より10時まで討論会。

● 6月15日 日本医大安保評を労学40名で結成。医学連統一行動へ35名参加。

● 6月15日 医学連安田講堂占拠1周年・「反戦・反安保・沖縄闘争勝利統一集会」(MD正面広場から日比谷公園へデモ。)に400名が参加。MD・慈恵・千葉・横市・東医・日医・順天・慶応・昭和・東邦・女子医・東大・東歯・日歯・4看学も参加。東大医学部主力と日大医学部は全共闘へ参加。医学連は解散地点で新橋に向けて霞ヶ関ビルを背に道一杯のフランスデモをした。

● 6月15日 福島医大・機動隊乱入・医大生3名逮捕。

● 6月15日 北大生・100人決起。

● 6月15日 九大医・反戦・反安保全国統一行動。福岡市で学生を中心に500名、市役所前で集会後、自民党県連、天神を経て米領事館へ。医学生100名他青医連が参加。

● 6月16日 新潟大・無給医300名が全国統一行動で7日間の診療拒否。

● 6月16日 慶応・青医連慶応支部、研修協約で団交を要求して病院院長室占拠。団交再開で封鎖解除。

● 6月16日 九大医自・評議員との大衆団交23日まで延期。福岡市在住の九大卒開業医5名とスト実学生懇談。
同日、放射線科の無給医会、一週間の診療研究拒否に入る。

● 6月 ×日 徳島大医学部・無期スト突入。

● 6月17日 関西医大・厳戒下で学長選強行。延期についての自治会による抗議の全学ストは132対259対25対8で保留。68年の自治会執行部に於いて、今回の学長選は学生参加が明確化されていたが反古にされたもの。

● 6月17日 順天医自・検閲撤廃・大学立法等の公開質問状を教授会に提出。

● 6月17日 九大医自・6月3,4日の確認書をどう履行するか19日午後5時までに回答するように公開質問状を教授会に提出。

● 6月18日 京府・全学奪還闘争。図書館封鎖・府職労がゲバルトを仕掛けてくる。

● 6月18日 九大合同青医連大会・午後1時大衆断固拒否に対して3時より教授会に介入。午後12時前に決裂。

● 6月19日 九大青医連・「大学立法粉砕を病院ストで戦おう」、要求が受け入れられなく外科研究棟を封鎖。
四つのスローガン、教授会解体!医局講座制解体!健保特例法延長阻止!大学治安立法粉砕!
同日、学生自治会が17日提出の公開質問状は教授会内部の討論が不足と20日に延期通告。
同日、医学部学生自治会と音楽系サークルとの討論会、自治会より10名出席し、午後6時から10時まで討論。

● 6月18日 福島医大・福島医大全学共闘会議結成。

● 6月18日 岡大南北道路バリケード破壊へ機動隊導入。

● 6月20日 慶応医進・学生大会で23日より大学立法粉砕スト。

● 6月20日 北大・学生大会でバリケード案の支持が民青案を上回るも共に否決。民青は右翼の1日ストに飛びつく。

● 6月20日 順天・大衆団交要求でスト権確立。

● 6月20日 MD・全学ゼネスト。

● 6月20日 東大・医共闘(1・18医図書館)分離公判。

● 6月20日 九大医学部自治会全体自主講座・「帝国主義と現代」−九大経済学部大学院−中尾氏。
同日、自治会は教授会に団交申し入れ、午後1時過ぎ、公開質問状に対し文書回答が届けられる。

● 6月21日 福島医大・42青医連無期限スト突入。羽仁五郎講演会。

● 6月21日 MD・第二内科医局解散。

● 6月21日 医系民青の中央集会・「大学弾圧立法粉砕・健保特例法延長阻止・医学界の旧体制打破」(於・ガスホール)に医学連30でビラまき。この日、医学連は拡大関ブロを開催し13校60名参加で反帝医療統一戦線へ意志一致。

● 6月21日 九大医自と工学部建築学科大学院生との交換討論会。@委託研究、A講座制、B井上問題について。
同日、教授会は団交を6月23日午後1時より開くように申し入れを受けたが現在教授会構成員、特に学部長、病院長、評議員は「確認書」の方向性に努力し、疲労の為に生理的限界にあり、出席が極めて困難である。これは話し合いを拒否するものではなく、呼び折衝を開くことを提案する。回答と同時に教授会との団交を30日まで延期するように。
同日、無給医会統一討論集会。午後1時より南科南講堂で。1、無給医運動のあり方 2、外科研究棟封鎖について の議題につき、青医連も交えて活発な討論が続き、6月18日の教授会声明(病院スト反対)の白紙撤回要求が満場一致で確認された。

● 6月23日 福島医大・43青医連もスト突入。

● 6月23日 金沢医大スト。250で街頭デモ。

● 6月23日 奈良医大・民青粉砕の下に無期限スト60日に突入。

● 6月23日 医学連第二波全国統一行動・東海地区総決起集会・100名参加。名大より20のヘル先頭に80で市中デモ。

● 6月23日 医学連第二波全国統一行動・医学連関ブロ中央戦術会議。(於・東京)

● 6月23日 名大M2医学評のへゲモニーでスト突入。

● 6月23日 九大医自・問田医学部長に辞令返上の履行を80名で迫る。1時に中央講堂で会う約束をしたが学部長の要請で学部長室に場所を変更。辞令返上の署名するように求めたところ「今は冷静でないので明日の10時まで待ってほしい」と主張。学生も譲歩して午後6時散会。

● 6月24日 日本医大医進課程1日スト。

● 6月24日 医学連第二波全国統一行動に600名・4時半清水谷公園統一集会。(地下鉄赤坂見附下車もしくは国鉄四谷下車ホテルニュー大谷下)5時出発→国会→文部省→厚生省→日比谷公園噴水前解散、6時からの日比谷野外音楽堂での外国人出入国法案粉砕集会の参加を呼びかける。

● 6月24日 福島医大でも医学連第二波全国統一行動・福島41青医連も無期スト突入。

● 6月24日 長崎でも医学連第二波全国統一行動・赤ヘル150を先頭に250でデモ。

● 6月24日 北大でも医学連第二波全国統一行動・医学部80、青医連30など200でデモ。

● 6月24日 九大医自・問田医学部長辞令返上の回答待ち10時より学生集会。
その間、学生自治会講演会・討論会。滝沢克己氏(文学部教授)「思想・学問の自由とは何か−その理解の虚実と大学立法」於・中央講堂。
10時回答待ちを待ってくれとのことで夕方まで待つ。午後8時過ぎ、問田医学部長と倉恒評議員が中央行動に姿を現し、評議会の審議状況の説明をした。「辞令は法的にみて返上することは無意味である。したがって問田学部長の辞任を認めた上で、5月20日を白紙撤回するつもりだ」と両評議員は主張したが、「これは全く6・4確認書に反している」として、学生自治会は即刻、現在進行され問田学長事務取り扱い辞任を正式決定せんとしている評議会の審議ストップを申し入れたが、両評議員がこれを拒否したため決裂。学生自治会は、確認書を履行させる為の具体的行動について早速検討。医学部事務本館封鎖の提案がなされ、夜遅くまで討論が続いた。

● 6月25日 日本医大医進課程・自主管理運営による学生会館を要求してスト突入

● 6月25日 九大医自・医学部事務本館を封鎖(以後他の地区でも,本部,工学部本館,教養部本館,法文系事務室,中央図書館等が封鎖される)。
前夜からの事務本館封鎖についての討論中に、評議会が正式に問田医学部長の辞任を決定したことが報道関係者から学生に報告されたため、討論に参加している学生で封鎖するか否かの採決をし、賛63、反8、保6で可決し、学生たちは即刻、午前1時に医学部事務本館封鎖の実力行動を敢行した。

● 6月26日 東邦医進・27日まで大学立法でスト。

● 6月26日 千葉大スト突入。

● 6月26日 九大・折原浩講演会(経済大学院主催)に参加。「私にとって大学闘争とは何か」東大助教授折原浩氏を招いて午前11時より午後3時まで氏の体験、特に教養課程の問題点について講演。記念行動に500人参加。
同日、病院外来の出入り口にロッカーなどが立てられ「封鎖を防御する体制」がしかれる。(教授会速報 No7参照)学生が病院を封鎖するという噂を教授会がキャッチし、教官・看護婦・職員を動員させ、徹夜で警戒に当たった。

● 6月 ×日 千葉大精神科医局解体・千葉大精神神経科医師連合を結成。(日精看ニュース7月1日・106号)

● 6月27日 MD・日本獣医畜産大(日本医大と資本系列が同じ)で大学立法スト。
動じる、MD深夜の神田デモ二百数十名。

● 6月27日 日本医大C・200名の学内デモ。M1スト権確立。

● 6月27日 長崎大・大村収容所、韓国への強制送還阻止。長大青医連も参加。

● 6月27日 九大医自・定期学生大会。原案(無期スト封鎖貫徹!)と対案(スト解除!封鎖反対!授業再開!)とが衝突し、討論の末原案が可決され、医学部事務本館封鎖は学生大会で承認された。
<採決>
原 案 賛143 反116 保20 棄3
対 案 賛 86 反184 保 9 棄3

● 6月28日 日本医大・全学大会でスト決行ならず。

● 6月28日 京府・「教授会・新入生・全共闘」討論集会。学長の「入学おめでとう」に新入生・失笑。この間の戦いに3名起訴さる。

● 6月28日 北大医学闘40・団交要求して座り込み。

● 6月29日 東邦医進・7月3~12日までのスト決。

● 6月30日 福島医大・県会の代表質問、福島医大を焦点に。

● 6月30日 九大医自・教授会との大衆団交を拒否さる。学生、外来病棟ロビーでティーチインを行い、井口・黒岩・北村・山元各教授と討論。井口・黒岩・両教授は、病棟ロビーでは集会禁止であるからティーチインを中止せよと説得に来たところを学生に討論の相手にされたものである。

● 7月 1日 九大医自・教授会との大衆団交を拒否さる。九大基礎系大学院入試を実力阻止!医学部教授会は懸案の基礎系大学院入試を10時より生理学講堂において実施せんとしたが、これに抗議する学生、青医連、基礎無給研究者連合の130名と、更に受験『希望者』5名の中止要請により、一旦入試は打ち切られた。

● 7月 1日 新潟青医連と医学部生・医局解体・自主管理を主張し第一内科、第三内科の研究室を封鎖。

● 7月 2日 九大医自・教授会との大衆団交を申し入れたがまたもや拒否される。

● 7月 3日 東邦医進・~12日までのスト。

● 7月 3日 九大医自・教授会との大衆団交を拒否さる。外来病棟ロビーでの第2回ティーチインが学生によりなされ、入江教授などと討論。
同日、遠藤教授事件明るみに。公明党の調査により、新薬のヤミ委託研究費問題の一端が明るみに出され、九大関係では、癌研科学部の遠藤英也教授が11回に亘り160万円を受け取っていたことが判明した。

● 7月 4日 九大・基礎無給研究者連合の提案している「研究者コース案」についての『団交』要求を教授会が拒否する。教官会議が始めて評議会の審議内容である「井上・問田問題に対する第一案(医学部、歯学部、教養部が支持)について」の討論を進めた。
第1案の骨子は次の三点である。
@、評議会として、5・20、21決定を振り出しに戻って考え、自己反省し、同決定が正しくなかったと判断することが前提である。
A、上記決定を白紙にもどし、発令拒否に強く反対し、、かつ大学の破壊を防ぐ為。
B、評議会は問田辞任に伴い、その前任者の事務取扱い復帰を求める。

● 7月 5日 九大・堅粕キャンパス(病院)総決起集会。医自・青医連・無給医会・看護教育確立闘争委員会・基礎無給医研究者連合・放射線技師学校・基礎教官有志・精神科無給医師連合・の参加の下に、医学部キャンパスで初の連帯を確認した集会となり、今後の統一行動を志向しつつ幕を閉じ、100名の自民党県連への街頭デモで締めくくった。
メインスローガン 健保特例法延長阻止! 大学立法粉砕!
サブスローガン  医局講座制解体!看護教育改悪阻止!大学院制度粉砕!

● 7月 6日 MD・研修医ルームで赤軍とBUNDが党派闘争。別党建設へ。塩見孝也率いる赤軍派フラクション150〜200名が、東京医科歯科大学で総決起集会を行った後、ブント合同会議(地区代表・学生細胞代表)が開かれる予定だった明大和泉校舎へ行き、破防法で指名手配されていたさらぎ徳二議長をクーデター的に監禁、逮捕された。

● 7月 7日 九大医自・教授会との大衆団交を拒否さる。

● 7月 7日  翌日には、報復的に、『叛旗』に結集する中大のグループ100〜150人が東京医科歯科大に行き、塩見以下を連れ去り、中大学館に2週間ほど監禁する。ここでブント分裂が決定的となる。

● 7月 ×日 大阪市立大学医学部教員会、厚生学院問題特別委員会/「現在の医療問題に於ける大阪市大付属厚生学院闘争の意義」。

● 7月 7日 九大・井上正治教授,文部省の総長事務取扱発令拒否に対し,名誉回復の訴訟を起こす。

● 7月 7日 京大・マル学同中核派京大支部医学部班(前進論文・441号)「健保特例法2年延長の反人民性」。

● 7月 7日 京府・公判闘争。

● 7月 7日 福島・40卒医連無期スト突入。

● 7月 ×日 9・14~15シンポジウム「70年代医療危機との対決」開催への呼びかけ。

● 7月 8日 日本医大C闘・キャンパス全面バリスト突入。私立医大では始めて、MD・Cまで武装デモ。

● 7月 8日 九大医自・教授会との大衆団交を拒否さる。

● 7月 9日 福島・病院スト(整形外科を含む10科連合無期限スト突入)。

● 7月10日 九大医自・教授会との大衆団交を拒否さる。同日、学生による大学立法粉砕全学総決起集会が記念公会堂に500名が参加して持たれ、医学部自治会からも50名が参加をした。
同日、教官会議において病院スト案は可決されず、「大学立法に反対して病院ストを決行する」旨についての投票がなされ、過半数以上の教官が賛成した。しかし、議長提案により、絶対多数でこれを重要事項である戸決定された為、三分の二以上の賛成が必要となり、結局病院ストは回避することでケリがついた形となった。
<採決内容> 賛92、反80、保1、棄1

● 7月10日 日本医大C闘・一時バリ自主解除スト凍結(145対3対3)夏季休暇へ。

● 7月10日 慈恵C・大学立法粉砕スト解除。

● 7月10日 MD・全共闘。本駒をバリ封鎖、MD・C大学治安立法粉砕スト解除。

● 7月11日 慶応・学生大会で8・4まで医闘委など大学立法スト突入。

● 7月11日 九大医自・定期学生大会(午後1時〜11時)封鎖拡大(図書館、研究室封鎖)の方針を打ち出した議案書可決保留となる。
第一回投票 賛129、反114、保31、棄2、白1。
第2回投票 賛129、反110、保21、棄3。
三回目投票動議は否決されたため再度13日に学生大会を続開することで了解。7月4日、7日の文書輸送に対する教授会弾劾、文書撤回要求決議を採択。
 賛153、反54、保20、棄3
、で午後11過ぎ散会。

● 7月12日 福島医大・大衆団交決裂。

● 7月13日 九大医自・臨時学生大会。11日の学生大会議案書に若干の口頭説明を添加を持って原案とする。原案に対する反対意見は全く出されないまま、賛128、反56、保26、棄3、白1で原案は可決され、封鎖拡大の方針は承認された。更に7月17日に教授会団交を持つよう要請することが決定された。

● 7月14日 九大医自・学生による健保修正案、大学立法反対デモ。闘争の主体の表現たるヘルメットが医スト実のデモンストレーションに始めて姿を現し、法文系大学院自治会の主催のもとに、大学治安立法粉砕、健保修正案粉砕をめざして、医自治会より100人、それに工共闘、理共闘等より300名で自民県連まで機動隊の規制にあいながらデモした。
同日、学生有志、MI2名が綜合外来で無期ハンスト入り。闘争における個人的理由とともに、教授会弾劾と教授会団交を求める。

● 7月15日 九大医自・大学立法粉砕集会とデモをヘル先頭に闘う。全学スト実の主催で法文系大学院・文自・医自・工共闘・C闘委が参加をして記念講堂前、理学部玄関前集会の後、400名の結集で街頭デモを遂行した。看学教育権確立闘争を中心とした看学生40数名も参加。デモ終了直前、県警前の角に差し掛かったとき、機動隊が突然でも隊列におどりかかり、医学部の学生1名を公務執行妨害の現行犯の理由で逮捕した。

● 7月16日 東邦・民青執行部の反トロ・キャンペーンを弾劾し、学内デモをM3ストを中心に。

● 7月16日 札医大・大学運営への学生拒否権などを要求してC校舎封鎖。

● 7月16日 福島医大職員組合が全共闘支持。

● 7月16日 九大医自・大学院問題討論集会、1時より内科南講堂で。@大学院の現状批判と否定の論理(研究者コース案の理念)A現代の科学、研究のあり方についてB大学院は医師の運動をどのように進めてゆくか。の、テーマに別れ200名の学生、無給医、青医連、基礎無給研究者、基礎教官、他学部大学院生が参加をして行われた。@、A、Bのテーマについては、それぞれ基礎無給研究者連合、学生自治会、青医連から基調報告。
同日夜、M1有志のハンストがドクターストップで中止へ。
同日、医教授会は問田医学部長、および倉垣、高木両評議員の辞任を認め、入江学部長、事務取り扱い、武谷、牧角両評議員を内定した。

● 7月17日 京府看護・学院舎の建設拒否権等を6項目要求で無期限スト突入。

● 7月17〜18日 京大医学部「9教授が学位返上」・基礎、臨床両助教授・講師会・臨床助手会・無給医会の四者連合は17日から18日にかけて学位問題について教授会と大衆団交、太藤重夫教授(皮膚病学講座)ら9教授は『現行の学位制度には矛盾がある』と「学位審査権を放棄し、自分の学位も返上する」と確約した。(読売7・19)

● 7月17日 阪大医学部「公開募集制打ち出す 阪大医学部の教官選考」・教授会(伴忠康学部長)は、助手・講師・助教授・教授の選考について公開公募制を原則とする方法を打ち出した。青医連の従来の手法で教授を決めるのは講座制を温存するだけだとの批判、空席増加への対応したもの。(読売7・19)

● 7月17日 九大医・4時からの医学部教官会議は3時50分教授会より同会開催で全員欠席と教官会議団長に通知。定足数に達せず、教官集会に切り替え、学生自治会、青医連基礎無給研究者連合、無給医会よりの「教官会議への要望書」が提出され、、教授会の策謀を糾弾し、「教授会」非難、「教授会は各層との団交に応ぜよ」という提案がなされた。その後、「教授会弾劾」の討論が続いたが最後には10名程度の造反教官(?)が残るのみで午後10時過ぎ、教官会議消滅の様相を呈して散会した。
同日、学生大会決議として要請した7月17日「教授会団交」を拒否する旨の正式通知が届く。

● 7月18日 千葉大・「無給医・助講会」などがゼネスト。

● 7月19日 九大医自・福岡ベ平連主催の「安保をつぶせ!市民集会」に参加し、医学部闘争のアピールを行った。午後3時より10時まで記念講堂に市民3000人が参加、小田実が講演。

● 7月20日 九大医自・市民集会に参加。午後4時より大学立法粉砕の労学市民集会が市役所前で行われ工共闘、文自・医自・C闘委、約300人が参加。6時より街頭デモ、市役所→自民県連→天神→呉服町→医キャンパスのコース。終始デモ隊に倍する機動隊が規制を加える。
同日、パトカーが医学部構内に入る。中央講堂で学生のデモ総括終了直後、午後8時過ぎ学生たちは福岡県警のパトカーが医学部キャンパスに入り、パンク修理中のところを発見。学生はその目的を質し、自己批判を要求した。パトカー乗務員2名は救急車を先導してきたことが判明したが、学生は官憲があらゆる口実術策を用いて大学への侵入と学生などの思想調査をしてきた歴史的事実より、彼らに対しても基本的には誘導は正面まででそれより先には入るべきではな買ったと説得した。パトカー乗務員2名はこれを認め、自己批判書にサインをして午後9時過ぎ、パトカーはキャンパスより出車した。この間裏門より他のパトカー3台が侵入し、交通警邏機動隊数人で学生をこづいたり、警棒を振り上げて恫喝し、更に正門より警官10数人がキャンパス内に一時乱入するという事件が起こった。その後、1時間ほど正門前にて県警本部はパトカー、警官、私服を集結させ学生と暫く対峙していたが、10時過ぎに引き揚げた。

● 7月21日 福島医大・地域の愛国党による立て看板を破壊。

● 7月21日 MD・バリ講座始まる。

● 7月22日 九大・医学部教官会議、議長団の努力に関わらずまたもや二度目の不成立。教官会議には80名のオブザーバーが出席したが、午後5時70名ほどの出席しかなく議長段の流会提案で流会。その後、教授を囲んで教官集会に切り替わったが、郭教授は肝心のところに来ると沈黙するという戦術(?)で、医自・青医連・基礎無給研究者連合の追及をかわしたため、全く討論にならず午後10時過ぎに散会。

● 7月 ×日 北大医進・バリスト。

● 7月 ×日 京大看学・自治会戦で民青に勝利。

● 7月 ×日 大阪医大・バリ闘争。

● 7月 ×日 慶応44青医連・7月から第二次研修協約闘争を病院長室占拠で闘い、全員の研修をかちとる。

● 7月 ×日 福島医大・県警包囲闘争に、逮捕状数名。

● 7月23日 慶応・70で大学立法単独デモ。

● 7月23日〜8月5日 東邦C・バリスト。民執行部の「米原いたる」学内講演を粉砕。

● 7月25日 九大医自・国会文教委での強行採決に抗議デモを行う。前日衆院文教委の自民党大学立法強行採決に全学スト実の定期により法文共闘、C闘委、医自の学生300人で討論集会・意思結集を図り、直ちに自民党県連へ向けてデモ出発。医自の隊列には特に私服数十名が張り付き逮捕すると頻繁に脅かす。これは、7月20日のパトカー侵入「自己批判」事件への警察の対応と考えられる。

● 7月28日 九大医自定期学生大会が不成立。定足数210名に足りぬ170名で学生集会へ切り替え。大学治安立法粉砕!健保改悪阻止!の方針が提起され、集会後90名で自民党本部へ向けて医学生単独デモを敢行、市民へアピールをした。
同日、青医連大会が開催され、医学部図書館封鎖が審議されたが図書館封鎖は早すぎるという意見が大勢を占めた。なお。新たに10項目要求についての討論が持たれた。
午後8時40分、精神科スト実の一部、及び青医連の有志約25名の手によって、中央図書館が封鎖された。主に現在の医学部ストの収束への歯止めと9月以後の闘争の布石として位置付けられている。

● 7月28日〜30日 医学連・青医連、第一回中四国ブロック会議(於・広大バリ内)。
鳥取大青医連が統一人事事務局に。

● 7月29日 九大・大学立法粉砕をスローガンに全学総決起集会とデモが行われ、記念講堂前で300名の学生・院生による集会のあと、自民県連へ街頭デモ。

● 7月29日 奈良医大・民執の手により、確認書批准の学生大会闘争・終息を強制。

● 7月30日 京大・医学部基礎臨床委員会(KRI),解散を決議。

● 7月30日 京府・5度目の機動隊導入で臨床研究等の封鎖解除。

● 7月 ×日 東大・沖縄出身医学生。与那原君を守る会から 京都での「沖縄闘争学生委員会」結成大会に参加し渡航制限撤廃闘争を闘う(元沖闘委委員長)。後に沖縄で琉球大学全共闘の結成にかかわる。

● 8月 1日 健保強行採決参議院通過。

● 8月 ×日 福島医科大学全学共闘会議/福島医科大全学―病院スト中間報告。

● 8月 2日 徳島医学部・バリスト。教授自ら黄色ヘル・ゲバ棒で封鎖実力解除に来る。

● 8月 2日 九大無給医会統一討論会。村上無給医会議長より、大学立法阻止・無期限ストの総括と今後の展望に関する基調報告と、それに基づく討論がなされた。特に、助手就任是非の問題が関心を集めた。午後6時よりデモに移り、自民県連を経て市役所まで大学立法反対のプラカードデモを黄昏の福岡の街で行った。

● 8月 3日 九大・学生による大学立法粉砕をスローガンに全学総決起集会とデモが行われ、教養部で400名の学生の結集で大学立法粉砕集会のあと、自民県連へ街頭デモ。医学部自治会から60名の参加で激しいジグザグデモ、道を覆いつくすフランスデモにかかわらず、機動隊は全く規制せず。

● 8月 4日 九大・学生による大学立法強行採決弾劾全学総決起集会と街頭デモ。前日の参院本会議での政府自民党による強行採決に抗議する全学総決起集会が六本松の教養部で行われ、医自・教養部闘争委員会、工学部共闘会議、反帝学評など500名。その後、自民党県連へ抗議デモ、激しいジグザグデモに対する規制は弱し。

● 8月 5日 九大・学生による記念講堂前全学総決起集会と街頭デモ。全学スト実の下に学立法強行採決弾劾!大学立法粉砕!集会後、自民県連にでも。医自より50名参加。

● 8月 5日 東大整形外科医局若手医師グループ、青年医師連合東大支部整形外科グループ/「9・28臨時総会(於東京)において学会専門医制白紙撤回を勝ちとろう!」。

● 8月 6日 千葉大・青医連支部。医学部記念講堂・学部長室をバリ封鎖。

● 8月 6日 京府・全学総決起集会へ250.日共=民青と衝突。圧倒的に粉砕。丸キ学内常駐体制。

● 8月 7日 「大学の運営に関する臨時措置法」(法律七〇号)成立。「臨時問題審議会」の指定を受ければ大学の休止及び停止」措置という最大限の恫喝。

● 8月 8日 九大医学部第三内科,医局制廃止を決議(以後各科医局の廃止が続く)。医員会議で運営。

● 8月8〜10日 医学連夏季合宿(於、東京三多摩)24校、55名参加。(北大・東北・福島・岩手・千葉・東大・新潟・東医・日本医大・東邦・女子医・昭和・慶応・順天・MD・慈恵・名大・京府・岡山・徳島・九大など)。

● 8月9日 九大医・定期学生大会が百数十名の参加でしかなく不成立。学生集会に切り替え、大学立法適用・実質化阻止!大学病院の営利化・合理化阻止!教授会弾劾!医局講座制解体!評議会解体!学長選粉砕!の基本方針が確認され、学生大会は9月10日となった。越夏体制を学生自治会が採用。

● 8月10日 九大医・大村収容所か痛い闘争へ30名派遣。医自は5・14無期スト以来のスローガン、外国人三法粉砕!(特に出入国法案)闘争に始めて取り組み、長崎県反戦・九大C闘委・マル学同中核派と共に大村市の大村朝鮮人強制収容所解体闘争に取り組んだ。

● 8月11日 福島医科大学全学共闘会議・ストに入らぬ5科を封印封鎖。

● 8月14日 福島医科大学・東大、MDからのオルグ団。4階より退去命令。福島医大へ右翼襲撃。

● 8月14日 大阪市大医・8月3日の「大学法」成立を経て、8月14日、医学部教授会が大学法を背に「学部の存立があやうくなる」と強硬警告。

● 8月15日 福島医大・右翼襲撃。

● 8月16日 慶応・病院封鎖解除後討論集会。

● 8月17日 大学立法発効。「大学の運営に関する臨時措置法」施行、福島医大も紛争校に指定。

● 8月17日 青医連東北連合結成大会(於・福島)

● 8月17日 九大・正門バリ。

● 8月19日 福島県立医大・楠・遠藤による看板撤去(官憲と間組)手引き、学友1名逮捕。

● 8月19日 九大医・医学部基礎臨床委員会(KRI)解散宣言。7・30の第670回KRI会議において、刷新委員会の一構成組織として20余年間活動を続けてきた、同委員会の解散を決議し、8月19日公示した。今後は教授を除く全教官の意思集約の場として再生を図ることにし、その組織再編を急いでいる。

● 8月19日 新潟大・講座制廃止を決定。

● 8月20日 福島県立医大・全共闘総決起集会、街頭デモ。官憲導入。

● 8月21日 福島県立医大・40卒医連「学位ボイコット宣言」

● 8月22日 東大・医中央館分離公判。

● 8月23日 北大・6項目闘争宣言。(医局解体に向けて、主力はチィ−テルの凍結)。

● 8月27日 福島医大・闘争勝利労農学市民総決起集会。のち街頭デモ。

● 8月28日 共産同赤軍派結成総会・政治局に上野勝輝(京大医)の名が。

● 8月28日 福島医大・合津地方に水害対策医療団を派遣。

● 8月28日 代々木系全学連大会 「全共闘と全面実力対決し、全学園から排除する」という内ゲバ路線を機動隊学園内出動が日常化している最中に打ち出す。

● 8月29日 日大総長選医学部会場へ乱入、「実力粉砕闘争」スト続行。+

● 9月 1日 京府・全共闘、授業再開阻止で機動隊と衝突。10名逮捕。

● 9月 1日 慶応・「大学立法」粉砕無期スト突入。

● 9月 ×日 東北・補導協三原則、その他についての団交2回。中教審委員、中村教授について団交1回。

● 9月 ×日 順天・日和見自治会委員長を不信任。

● 9月 ×日 北大M1に続き、M3で無期スト突入。学生大会で、戦う学友の方針貫徹。民青執行部リコール。

● 9月 ×日 東大病院精神神経科病棟(通称赤レンガ)占拠・自主管理 延々と〜1996.6.

● 9月 3日 日大医学生大会で8日より無期スト宣言、(大学立法粉砕・古田体制打倒・教授会権力打倒)

● 9月 3日 横市大医学部A君 9・3早大学館死守戦で検挙される。

● 9月 5日 全国全共闘結成大会(於・日比谷野音)。医学連も参加。赤軍派として福島・東大の一部など登場。

● 9月 ×日 阪大・全学バリの中で医学部が民青最後の拠点となる。10月中ごろには教授会室に20数名の(民青+右翼)のゲバルト部隊が2週間泊り込む。

● 9月 ×日 和歌山・授業再開。全共闘、反戦行動委結成大会。

● 9月 6日 九大・医学部闘争連絡会議が学生自治会・青医連・無給医会事務局・基礎無給医研有志により結成され医学部、大学病院の近代化、合理化に対する連帯の闘いを組む。

● 9月 7日 九大・地元有志など反動的な「九大医学部正常化期成会」の結成を明言。

● 9月 8日 日大医学部学生大会で無期スト決議。当局のロックアウトを400人で粉砕。

● 9月 8〜13日 岡大・学校側学部集会粉砕行動。

● 9月 9日 新潟大医・スト解除。

● 9月 9日 九大・九大医学部改革案が制度改革委員会により出される。その内容は、
@、付属病院を医学部から独立させ、学長の下に置く。
A、これまでの20の臨床科目を臓器別に再編成する。
B、教授は5年ごとに学内の資格審査にかけて教授の適否を問う。

● 9月10日 岡大医学部授業強行再開通告。

● 9月12日 慶応・学部長占拠を白衣の暴力団により解除。

● 9月12日 東大・医学部43名、青医連48名、卒試・医師国家試験の受験に方針変更。獄中で今井被告団長のみ受験拒否。

● 9月12日 長大・医学部に機動隊導入で封鎖解除。

● 9月12日 医科歯科大、早朝、機動隊導入で封鎖解除、2名逮捕。21日までのロックアウト・医学生と看護学生の分断を図る。

● 9月13日 医学連第16回全国大会(於、日医・二日目MDC) 42大学・29正式代議員校、4正式オブザーバー、400名参加。大会は会場のMDが当日未明機動隊にバリ解除され2名逮捕。正式代議員校:札医・弘前・東北・岩手・福島・千葉・MD・MDP・慶応・順天・日医・日大・東医・慈恵・女子医・昭和・東大(医共闘)・新潟・信州・金沢・京大・関西・京府・阪医・阪市・徳島・九州・長崎:慶応医進。 4正式オブザーバー・神戸・岐阜・山口・熊本。
MDがロックアウトされたので、予約しておいた千駄木の日医大・学部階段教室に移り開会。二日目は市川市のこれも予備に確保しておいた千葉市川市の国府台MDC2階教室で行われた。押収された議案書は直ちに印刷所で再印刷を手配して配布、議案は21・0・6・0で書記局案が可決。嶋津良一委員長(日医)、木野村睦書記長(慈恵)、慶応医進が加盟。各地で緊迫し岡山・広島自治会はバリ死守戦で参加できず。奈良医大20名上京参加。手配していた慶応四谷講堂は使用せずに終わった。
<大会スローガン> 70年安保粉砕し、佐藤帝国主義政府を実力打倒せよ!沖縄闘争に勝利し、日帝のアジア侵略の野望を粉砕せよ!院内反戦の強化を地区反戦と結合し、病院ストを地域マッセンストの突破口とせよ!医局解体闘争を病院ストへ深化し、病院ソビエト運動を開始せよ!秋期中央権力闘争に呼応する病院ストを克ち取ろう!病院ソビエト運動の一環としての、医学部・青医連を強化し、全医療労働者と連帯し、革命的医療労働運動を創出せよ!全国全共闘運動のもと全国学園闘争を勝利せよ!全ての医学生は医学連に結集せよ!

● 9月13日 九大医・学生大会。午後1時より徹夜で審議された結果、大学治安立法適用実質化阻止!医療の帝国主義的再編阻止!11月佐藤訪米阻止!70年安保粉砕!スト貫徹!)と対案(スト解除、封鎖解除、授業再開)いずれも否決される。
スト実案 賛110 反181 保21 棄5
対案   賛154 反142 保18 棄3

● 9月14日 長崎医学部に丸キ侵入。

● 9月14日 全国医学研究者共闘会議結成の大会・18大学。

● 9月 ×日 徳島・バリを教授・事務職員が襲う。(武器を持っていない学生を教授が棒で滅多打ちする)。その後もクラス単位でスト続行。

● 9月14〜15日 シンポジウム「70年代医療危機との対決」開催。800名参加。(於・東京荒川公会堂・文京区民センター)

● 9月15日 岡大・200の機動隊により医学部バリ封鎖解除さる。6名検挙。機動隊学内駐留は10月15日完全引き揚げまで一ヶ月続いた。

● 9月15日 看共闘結成準備会。(於・東京 青医連第8分科会)200名の看学生を結集。

● 9月16日 岡大医学部授業再開。

● 9月16日 東大・医共闘ほか「赤門共闘」結成。

● 9月 ×日 大阪市大・赤軍派・全共闘・医共闘問題で強制捜査。封鎖、全学に拡大。医学部・病院、機動隊により封鎖解除。

● 9月17日 日本医大医進・スト再突入。

● 9月17日 長大・バリスト解除さる。6名検挙。

● 9月18日 日大医闘委、教養校舎占拠に参加。

● 9月18日 九大医学部教官会を結成。

● 9月19日 MD・C 無期スト突入。

● 9月19日 長大・授業粉砕・医学部奪還闘争を戦う。

● 9月19日 九大・飯塚ホーク導入阻止行動に30名参加。

● 9月20日 日大医学部教授会に医闘委乱入、執行部と団交。本館2階をバリ封鎖。

● 9月20日 青医連中央書記局編『青医連運動』(日本の大学革命6)日本評論社刊行。

 目次
第一章 青年医師運動の背景
 一 インターン闘争前史
  1 占領政策下における医療体制とインターン制度導入
  2 インターン制度の矛盾
  3 インターン闘争前史
 二 第一次病院ストライキとその評価
  1 病院ストライキ闘争の医師、医学生への問いかけ
  2 第一次病院ストライキ闘争の背景
  3 病院ストライキ闘争の経過
  4 医師の主体をめぐる論争
 三 医師層の流動化
  1 医師会の政治舞台への登場
  2 国民皆保険体制と医療体制再編
  3 日本医師会の分解
第二章 青年医師連合の歴史
 一 インターン闘争のはじまり
  1 厚生省改善案粉砕闘争
  2 インターン制度をめぐる関係諸団体の動き
 二 医療体制再編への対決とインターン完全廃止闘争
  1 自民党・厚生省の動き
  2 インターン完全廃止の論理
  3 インターン完全廃止方針の大衆的確立
  4 医卒連結成
  5 大学医局との対立
  6 インターン完廃闘争下における医学生の意識
 三 青年医師連合結成準備
  1 医学連大会決定
  2 国家行政機構権力と大学医局
  3 「大学たてこもり」戦術と自主調整権闘争
 四 青年医師連合結成
  1 インターン制度完全廃止の実践
  2 大学院ボイコット闘争と無給医闘争の開始
  3 医者造りの懇談会路線
  4 六・二四全国無給医統一行動
  5 十・二一病職時限ストの支援
  6 国試ボ体制の準備過程
  7 第一次研修協約闘争
  8 東大における第一次研協闘争
  9 国家試験阻止闘争
第三章 大学制度と医学部問題
 一 医局講座制の形成
 二 医局講座制の崩壊の危機
  1 臨床医学の変貌
  2 勤務医層の形成
  3 医療政策の展開
  4 製薬・医療機器資本との癒着
 三 医局講座制の解体と帝国主義的再編・再統合
第四章 医局講座制解体と医師運動の展望
 一 第二次研修協約闘争の開始
 二 六・一五時計台占拠闘争と東大闘争
 三 研究棟封鎖闘争と医局解散、医師連合の結成
 四 医局講座制の中核・人事管理体制の解体
 五 大学医局の近代化、合理化、教室員会議路線
 六 医師運動の展望
第五章 医療労働運動への展望―70年代医療危機との対決
 一 社会保障制度とはなにか
  1 社保=労働力の保全
  2 社保=搾取の変容形態
 二「60年病院スト」の青医連の総括
  1 成果
  2 敗北
 三 医療労働とはなにか
 四 医療の帝国主義的再編
  1 はじめに―政治情勢
  2 国民皆保険体制の成立
  3 国民皆保険成立から健保特例法まで
  4 67年健保特例法(69年同法修正)の意味するもの
  5 70年代健保体制再編
 五 青医連運動と統一戦線
  1 個別闘争の位置
  2 統一戦線
  3 組織方針
  4 全人民的政治課題
 六 闘いの方向
  1 安保闘争を病院ストで
  2 医局解体・第三次労働協約闘争を最後の勝利まで
  3 医師管理支配機構との対決(総定員法・臨床研究医・登録医)
  4 大学病院の近代化・合理化・営利化との対決
  5 大学院ボイコット・学位ボイコット―闘う医学研究者組織の結成
  6 青医連運動を大学病院から市中病院へ
  7 健保解体派の総結集を

 『全共闘運動』(日本の大学革命5)日本評論社刊行W 
医歯大闘争の総括      村田恒有
 一 医学生運動が到達した局面
 二 スト突入時点の階級関係
  1 第二次研修協約闘争の位置
  2 当局の攻撃の性格
  3 処分撤回闘争
 三 外来封鎖闘争
  1 運動内容と闘争戦術
  2 外来封鎖闘争は如何なる位置づけと展望のもとに闘われたか
  3 総括されるべき問題は何か
 四 個別闘争としての研修協約闘争の指導に何が問われたか
  1 指導理論の特徴
  2 全共闘運動と活動者会議
  3 病院全面封鎖闘争の提起

X 東大闘争と東大全共闘 小西隆裕
 はじめに
 一 東大闘争の切り開いた新たなる地平
 (1)青医連運動の必然性
  1 医局社会と医療の帝国主義的再編
  2 青医連運動の戦略はなにか
 (2)第一次時計台占拠闘争は何故に闘争の全学化を惹起したのか
  1 国大協自主規制路線の本質は何か
  2 講座制を基盤とした産軍学協同の実態
  3 ベトナム反戦闘争の高揚
  4 戦後民主主義の神話の崩壊
 (3)全学バリケード封鎖への進撃
  1 日共=民青は何故に破産したのか?
  2 全学バリケード封鎖の内包する思想的、戦略的意味とは何か 
二 東大闘争の限界性とそれを突破する方向性について
 (1)膨大な秩序派の登場、それを惹起したものは何か  1 全共闘の否定的総括
  2 政府ブルジョアジーによる強権的闘争圧殺と大学当局による学内正常化路線
 (2)東大闘争の限界を突破する方向を求めて
  1 現代過渡期世界と国際競争闘争
  2 プロレタリア・ヘゲモニーの確立=ソビエト建設に向けて

● 9月21日 京大M全闘・丸キ導入に5名、医図書館で徹底抗戦をし7時50分バリ撤去さる。無給医など200名座り込み、教官、外来診療拒否闘争。

● 9月21日 医学連政治集会(於、千葉県市川市内の日本医大Cバリ内)160名参加し、10.21へ意思一致。

● 9月21日 九大医・飯塚ホーク設置阻止全九州統一行動。反戦青年委・べ平連をはじめ九州各地から700名。医自からは60数名が参加。午後1時より飯塚市役所前で集会後、陸自飯塚駐屯地に配備が決まった地対空ミサイルホーク設置反対のデモを敢行。
学生自治会は立法阻止闘争で捉えた問題意識から政治的課題への第一歩として取り組む。
● 9月22日 大阪市大医・ 「赤軍派」(共産同赤軍派)の武装闘争「捜索」を名目とする機動隊が医学部バリケードに強行突入して一旦は封鎖を解除。

● 9月27日 大阪市大医・ 医学部共闘会議が再封鎖。

● 9月22日 九大医・小児科青医連が結成され、11項目要求を掲げてストライキ続行宣言を出す。

● 9月24日 慶応・無期スト解除。

● 9月24日 九大医・学生自治会並びにスト実は機動隊導入に関する一切の事実を明らかにする事を要求して、教授会に団交を申し込んだ。

● 9月25日 福島医大全共闘によるスト解除、翌日より授業再開。

● 9月26日 大阪市大医・大阪市議会で市長の責任を追及する緊急質問等で追い詰められた大学当局が、機動隊導入を決意。大阪市大医 医学部バリへ機動隊。

● 9月26日 九大医・無給医会は@、6・18声明の撤回。A、団交権の確立。B、教授会を各科医員の1人として各医局会議の意思の集約機関とするという要求を掲げて団交を要求。

● 9月27日 日大・医本館解放闘争に200人で取り組み占拠する。

● 9月27日 鳥取医・右翼を眼科学会用心棒に雇用する。

● 9月27日 大阪市大医 医学部共闘会議が再封鎖。10月4日 大阪市大 大学本部などのある杉本町校舎に機動隊が導入され、封鎖を全面解除、10月20日、半年ぶりに授業再開。

● 9月27日 東大・医学部赤レンガ館を研究者たちが自主封鎖した。(精神科病棟を含む)

● 9月28日 九大医自・学生大会スト続行へ投票。
スト実案 賛137 反166 保32 棄3
対案   賛144 反168 保20 棄6
共に過半数の167に達せず否決。

● 9月29日 日本医大C闘・キャンパスバリストに突入。40名でバリ構築。

● 9月29日 阪市・医学部に機動隊導入で封鎖解除。

● 9月29日 福島医大・団交でスト解除。

● 9月29日 MD・第二次奪還闘争。

● 9月30日 日大全共闘の神田カルテェ・ラタンに医闘委も「五人組」編成で参加。

● 9月30日 全都助手共闘連合結成・東大助手共闘、医科歯科大助手共闘参加。

● 9月 ×日 広大医・民青・職員が電撃的にバリ封鎖を解除し、自治会を民青が握る。青医連ロックアウト。青医連と45青医連結成準備会が当局に身分保障の戦いを組む。

● 9月30日 九大医・教官会は代議員会で医局長返上、学部長などの選考委員選出権の保留、医学部機構改革五原則など決定。

● 9月30日 阪市大・大阪市議会で市長の責任を追及する緊急質問等で追い詰められた大学当局が機動隊導入を決意。9月30日医学部、10月4日には大学本部などのある杉本町校舎に機動隊が導入され、封鎖を全面解除、10月30日、半年ぶりに授業が再開された。

● 10月 1日 日大医学部第1回団交予備折衝を持つ。

● 10月 1日 九大医・教授会が留年問題に絡ませて授業再開に関する文書を出す。

● 10月 ×日 北大・教授会団交。徹夜も含み8回行う。

● 10月 ×日 信州大・医学部長室及び会議室が封鎖された。

● 10月 ×日 大阪医大・教授会(教授会の新たなる再編・助教授、講師をも加えるとする欺瞞)粉砕闘争。 3回の議場突入。封鎖、勝利す。学生大会で教授会粉砕決議を可決。行動隊、学・青 合わせて60~70名。

● 10月 2日 慶応・精神神経科会議・医局解体等項目要求。

● 10月 4日 大阪市大・「全学解除へ機動隊 時計塔めぐり攻防戦」(毎日新聞10・5)
9月23日の封鎖解除以来立ち入り禁止の市大医学部基礎校舎にヘル学生20数人が突入を図り、14人が建造物侵入の疑いで機動隊に逮捕された。10月20日、半年ぶりに授業再開。

● 10月 4日 九大医・外来座り込み実行委員会より11項目を要求し獲得する為の実力行動として外来座り込みが提起される。

● 10月 4〜5日 第6回精神病理・精神療法学会は機能停止・解体。

● 10月 ×日 慶応・病院合理化阻止のための実行委員会を創出。

● 10月 6日 東大・退官表明の豊川医学部長を授業出席学生が追及。

● 10月 7日 九大・学生大会で無期バリスト続行決議。原案136対73対26対5。

● 10月 8日 順天・学内連帯集会。各層より150名。

● 10月 8日 名大・民青系医学部団交・差額ベッド廃止など確認書に署名。

● 10月 8日 全国大学病院統一行動・関東では東大→日医→順天→医科歯科と文京地区4大学周辺を300名でデモ。

● 10月 8日 全国大学病院統一行動・慶応大学病院合理化阻止実行委員会の結成で戦う。

● 10月 8日 慈恵医大・大学病院統一行動に医学連に結集する学友も取り組み。

● 10月 9日 北大全共闘結成大会(医学闘、社学同、C闘委、学部共闘、中核、反帝学評、安保共闘など250名)。

● 10月 9日 看学共闘会議結成大会・20校80名参加(於・日本医大Cバリ内)

● 10月 9日 徳島・学部長室へM共闘・学生会・青医連で団交要求。

● 10月 9日 九大医自・8項目要求に基づいて教授会に団交を申し込む。

● 10月10日 北大・ティーテル審査を粉砕。

● 10月10日 医学連400・安保粉砕10万人カンパニア(明治公園)へ参加。島津良一委員長(日医)がアッピール。

● 10月10日 仙台始めての瓶・ゲバ戦。医学反戦連合先頭に立ち、東北大本部周辺を8時間に渡り制圧。

● 10月10日 病院精神医学会を実質的に解体。(於・金沢)

● 10月11日 小児科学会・理事会追及に逃亡。

● 10月11日 九大医自・入江学部長事務取扱名で封鎖を続けている学生自治会とは団交拒否と。医自と青医連などは入江教授の研究室を封印封鎖。団交拒否に対する抗議、機動隊導入反対を含む反合理化闘争の突破口とする。
同日、脳神経外科無給医一同により学位ボイコット宣言。脳神経外科学会認定医拒否宣言が出される。これは学位制度、学会が医局講座制の矛盾を支える要素となっていることを批判してである。
 
● 10月13日 4・7京大青医連でっち上げ裁判・京都地裁で3名公判。(田原・幸寺・大浜)

● 10月13日 九大医自主催の機動隊導入決定抗議集会。ヘルメット、白衣姿の学生・青医連など60数名参加。

● 10月14日 九大・機動隊約4400人による九大全学の封鎖解除(機動隊の学内駐留始まる。〜11.26)。医地区に機動隊一個大隊400人導入。青医連、無給医会、基礎研連(基礎無給研究者連合)がバリケード前座り込む。
医自は教養部における本館死守戦を支援。

● 10月15日 九大医自・本館前で九大医学部自治会とストライキ実行委員会。看護労働者・看学生・教官を含む500人で抗議集会。この際、写真撮影に抗議した講師が1名逮捕された。集会後に導入と不当逮捕抗議の構内デモ。

● 10月15日 医学連政治集会・15校・160名参加。10.21へ意志一致(於・日本医大Cバリ内)

● 10月16日 九大医学部本館前 メットやデモが禁止された戒厳令下で、青医連等医学部キャンパス奪還闘争。九大医学部自治会とストライキ実行委員会・病院職員・看学生・教官を含む400人機動隊導入に抗議集会。数十名の赤ヘルを先頭に構内突入デモ。集団公務執行妨害として51人全員逮捕さる。残された学友は再びメットを被って最後まで本館奪還闘争を貫徹。
同日、午後5時、院生協議会の合流により、医自本館前で機動隊導入、大量不当逮捕の抗議集会が開かれる。
同日、教官会議は総会で、「機動隊導入」「細美講師逮捕に関して教授会の不誠実」「大量逮捕」に抗議して日当直または外来診療を拒否することを決定。教授を除く教官会議は授業非協力を160対2で決議。

● 10月16日 福島医大生で元医学連中執、梅内恒夫君(赤軍派)は産婦人科教室で、「鉄パイプ爆弾」を開発し、4人の仲間と阿武隈川で爆発実験を成功させたとされる。
ウィキペディアの伝える福島医大
1960年代は全国各地の大学で学生運動が激化するとともに、とりわけ医学部ではインターン制度への反対活動が一体となって教育現場は混乱を極めていた。本学も例外ではなく、1964年(昭和39年)には学生会によるインターン委員会が作られ、デモ活動などを通して抗議姿勢が示された。全国青年医師連合とつながりのある強硬派の中からは、1966年(昭和41年)春の医師国家試験を集団ボイコットする者も現れた。
1968年(昭和43年)の医師法改正によるインターン廃止後も、学生会を中心とした全共闘結成など運動は止むことがなく、秘密主義撤廃・一部の教授の退官などを求めて教授会との対立が続いた。1969年(昭和44年)の授業放棄・附属病院ストとそれに伴う附属病院への機動隊突入により緊張は頂点に達し、これ以降は学生・教職員の処分などで事態は収束へと向かったが、教育・研究・診療機能の著しい停滞とともに後々まで禍根を残す事件となった。

● 10月16日 慈恵・病院労働者、看護学生とともに労学反戦集会。

● 10月17日 昭和大医学部・昭和大学反戦準備会、60年安保以来空白になっている学生戦線の確立へ。当日当局は会場使用を拒否、全学4時限休校の処置がとられ、まもなく全教室に鍵をかけて学内立ち入りを禁止。18日の同様試みも敗北に終った。

● 10月17日 九大医・「機動隊導入」、「51名の大量不当逮捕」に抗議する集会が医事本館前で持たれ、九大医学部自治会・青医連・無給医会・基礎無研連・職員・教官など500名参加。

● 10月18日 昭和医大・昭和大反戦は講義ビラを出し再度集会を持とうとしたが同様に会場使用は拒否さる。昭和においては某教官いわく「我々は優秀な医学生を養成するのではない。猿を養成するのだ。座席指定制など当然でむしろ学生は感謝すべきだ」。

● 10月18日 日大医学部・官憲による医学部包囲。

● 10月18日 九大医・「機動隊導入抗議集会」が医事務本館前で行われ学部自治会・青医連・無給医会など300名近くが参加。集会後20名の赤ヘル部隊が本館実力奪還闘争を敢行。皮膚科が夜から宿日直勤務拒否闘争に入る。

● 10月19日 日大医学部官憲導入、医学部ロックアウト。

● 10月20日 日本医大C・学館闘争勝利し51日目のバリ解除、21日の闘争に備える。

● 10月20日 阪市大・半年ぶりに授業が再開された。

● 10月20日 鳥取・医右翼、学生大会を呼びかける立て看板を焼却。

● 10月20日 九大医・教官会は機動隊導入に抗議して、臨床全科が宿日直拒否闘争に入る。

● 10月21日、福島医大・大学当局の手で封鎖解除。

● 10月21日 医学連・戦闘団が神田から銀座へと国際反戦闘争へ。20名の部隊と15校、300名の後方支援レポ編成で戦い抜く。青医連は治療班に、関学共闘は救体活動を行った。

● 10月21日 順天・神田カルチェ・ラタンに残された唯一の国際反戦デーを呼びかける立て看。直後、当局は学生を学園追放。

● 10月21日 慈恵・60名参加、ほとんどが看護婦、16名検挙さる。10・21救援会を結成し、カンパ・宣伝活動を開始。当局は父兄を警察に協力させたり、組合を通じて反戦派組合員の除名をはかってきた。労働組合は愛宕警察の私服・制服・守衛に守られ処分大会を開催しようとしたがヘルで会場へ突入、マイクを奪い、抗議して中止させた。その後、一票投票をも実力で中止させた。第二の日医大を許さず、日医反レパ闘争と連携をはかった。

● 10月21日 日医・国際反戦闘争へ3名の武装軍団への送り込みと30名の後方支援部隊編成。


 一九六八・一〇・二一 東京大学精神科医師連合設立宣言● 10月21日 東大・青医連ルームが立ち入り禁止に。

● 10月21日 東北大では10.21国際反戦デーをM自治会・全共闘系集会に組織参加。

● 10月21日 九大医・午後3時より医事本館前で国際反戦デー集会、医闘連・看学生・職員など300名。
五時よりの警固公園→領事館へ無給医や看護学生を含め150名で決起。九大全共闘(準)は反戦派労働者など2000名とデモ。大湊公園での総括集会で九大医スト実より、機動隊導入、教授会による不当弾圧に対して抗議がなされる。

● 10月21日 奈良医大・P1〜M1スト。地域学生共闘会議結成。11月へ20〜50人を動員。

● 10月21日 北大M4青医連(准)で山猫スト終結。60名の医学生部隊、20名の青医連で道庁突入を図るも、札幌駅付近で丸キと市街戦。翌朝まで市街バリを維持し、日本階級闘争史上初めての二日にわたる主要幹線道路をべ平連も合わせて3000名の部隊で制圧。

● 10月21日 京大医・北大阪制圧闘争へ、医学部中核派は首都へ。

● 10月21日 新潟医・市中火炎瓶闘争へ参加。

● 10月21日 鳥取・青思会によるステッカー「青医連解体・学内秩序を守れ」が張られる。

● 10月21日 長大・「マイク・立看板・集会禁止」をはねのけ実力街頭闘争。

カルチェ・ラタン パリ大学医学部学生と教官は政府の医師養成制度の見直し、医師過多なので選抜試験をするという制度の見直し政令を巡り10月、ストに突入。

● 10月21日 3・14医学連関西ブロック統一行動で1名起訴され、京都地裁で11時より公判。

● 10月22日 東大・医学生、沖闘委で戦い琉球大正門前で革マルとぶつかり機動隊が介入、凶器準備集合罪で検挙される。

● 10月23日 日大医闘委の医学部奪還闘争(メット80人)。ガードマン・右翼・官憲を粉砕する。以後11月1日まで連日大学周辺デモ。

● 10月23日 九大医・教官会において青医連により、桝屋論文がでっちあげであることが暴露され追及された。

● 10月24日 九大医・堅粕キャンパス総決起集会。医闘連(医自・青医連、無給医会、基礎研連=基礎無給研究者連合)主催。「夜間滞留禁止突破」「機動隊による戒厳令体制粉砕」をめざして午後5時より医事務本館前で集会。途中、機動隊が東公園に出動の報が入り、大量逮捕をさける為、切り上げられた。

● 10月25日 九大医・教授会出席による抗議集会を前提に教官会議は宿日直拒否闘争を26日で打ち切ることになった。

● 10月26〜31日 日本医大・第12回『千駄木祭』「自己−学問−社会」(副題)−矛盾と疎外の中から新しい学問象を模索して−をテーマに開催。映画『市民ケーン』『オレはロボットか−パリ国鉄労働者−』上映。講演『生誕幻想論』批評家・詩人・吉本隆明、『コンピューターと人間』東京大学工学部教授・南雲仁一、『医療労働運動を展望して』青医連委員長・宇都宮泰秀、『不毛の球体』女優・緑魔子。

● 10月29日 京大M民青・学生大会をデッチアゲ!(スト解除・授業再開決定)。

● 10月29日 九大・教官会議の席上で教授会は遂に大衆団交を約束。機動隊導入抗議の為の教官会議が教授の出席のもとに開かれた。井上問題、機動隊導入問題に関する質問に対し、教授会側から明確な答えが得られないまま約束の閉会時間6時となったために、医闘連代表から医闘連主催の全学抗議集会に教授全員が出席を要求する提案がなされるが、教授会側の返答がないまま議長は閉会宣言。退場する教授を医闘連側は入り口で阻止、即刻抗議集会を開くように迫るが機動隊出動の情報により一週間以内に抗議集会を開くという線で妥協。

● 10月30日 岡大での公衆衛生学会で阪大の丸山教授が『森永砒素ミルク中毒の被害者が、事件発生以来14年が過ぎた今も後遺症で苦しんでいる事実』を報告、14年前に全員治癒、後遺症はないとする森永と学界の欺瞞が明らかに。

● 10月30日 九大・医闘連主催の抗議集会に吉川病院長が出席、4日をめどに全学集会を開くと述べ、学生・青医連が追及したところ、私服、機動隊に守られて退去。
同日午前5時頃、火炎瓶が正門に投げられる。
教授会は機動隊の常駐を一週間延ばすことにする。これは学内各層からの教授会追及に対する物理的な抑止力になる。

● 11月 1日 九大・河田医学部長事務取扱就任。入江医学部長事務取扱の学長就任に伴い、後任に河田耳鼻科教授が選出された。
同日、桝屋論文調査委員会が発足。第一回桝屋論文調査委員会が、三内教官・三内無給医会・九大無給医会・青医連からの委員計12名の参加で開かれ、客観的資料を収集するなどの調査方針の大綱が決定される。
☆黒岩教授をボイコット。神経内科医局員は、4日に予定されている医学部集会を取りやめた事などにあらわれている教授会専制に抗議して、黒岩教授を医局会に参加させないなどでボイコットを始める。

● 11月 2日 日大当局の医学部集会(両国講堂)を完全粉砕。

● 11月 2日 九大・教授会は、五者(教官会・無給医会・基無研連・青医連・学生自治会)による医学部抗議集会への出席を拒否する旨、告示を出し、集会開催は不可能となる。

● 11月 3日 鳥取・医右翼により、錦祭・M1闘争委の立看破壊。後に庶務課長補佐、学生会の意志を無視してこれを焼却。学2コンパ席上、活動家数人に暴行。後学生会執行委員に暴行。

● 11月 4日 日大医学部学生委員会・全学集会を粉砕。 今秋、安保決戦前段階に日帝による日大・大反革命の登場を阻止しえた68年に地代闘争から1年余、唯一古田体制にストで闘い続ける医学部学生委員会(自治会)は二日、日大講堂に私服・機動隊を導入しての全学集会を全員で糾弾し、4日からの授業再開には近くの公園に350名を結集し、約250名で学園に抗議デモをかけた。しかし、ロックアウト下の大学には体育会右翼、機動隊が出動して、学園なき闘いへと深化している。

● 11月 4日 北大医学部の医学闘と青医連が教授室を封鎖

● 11月 4日 九大・大衆団交約束当日、教授会は逃亡。機動隊粉砕、正常化策動粉砕全学抗議集会が四者主催で行われ、約百名が参加。

● 11月 5日 日大医学部で8名逮捕。10月23日の日大医闘委の医学部奪還闘争に18名の逮捕状。

● 11月 5日 京大医・上野勝輝君 大菩薩峠の軍事訓練で逮捕さる。

● 11月 5日 九大・福岡地検は、10月16日、医学部構内でデモをしていた51名が「集団公務執行妨害罪」で逮捕された事件で、医学部生2名を起訴、これに対して「警備の行き過ぎである。戦前の治安特高警察の復活だ」という批判が各層からおこる。

● 11月 6日 九大・教官会執行部は「教授会と同数の代表を送る」という方針を検討していたが、総会で「教授会の制度や権限をそのままにして参加してみても、問題の根本的解決にならず、さらに、重要な問題が評議会レべルで決定されている現状では有効ではない」として先の方針を撤回、総会で了承される。
同日、機動隊駐留をさらに一週間延長。
同日、皮膚科医局は7日からの脈管学学会総会、第二内科医局会は、11月からの日本アレルギー学会に非協力の方針を打ち出す。

● 11月 6日 北大・M1学友1名道庁へ突入、逮捕起訴公判。本部死守戦に呼応する。

● 11月 7日 日大医学部で授業再開を強行。連日闘争が起こる。右翼とのゲバルト15日まで続く。

● 11月 7日 九大・四者主宰の機動隊導入抗議総決起集会が内科南講堂で開かれ、その後学内でもが20名で行われる。

● 11月 7日 鳥取・医右翼、執行委員の片山君にテロ、入院する怪我。

● 11月 8日 北大医・本部死守戦に参加。

● 11月 8日 鳥取・医右翼、全山陰安保粉砕共闘会議の立看板を破壊。

● 11月 8日 九大・小児科・第一内科・第二内科・第三内科・心療内科・循環器内科の教授室が同科青医連によりビラなどで封印封鎖される。また、抗議集会と学内でもに100名が集まる。
同日、第二回桝屋論文調査委員会が、新たに学生自治会と教官会委員が参加して開催され調査報告とこれからの方針が出される。また報道関係の取材申し入れに応じ、調査事実のみを中間報告として公表する。桝屋教授は報道関係に「内容については講師を信頼している。トップネームを出したのは医学界の慣例だが悪かった」と語る。

● 11月10日 北大病院無給医会と青医連の院内研修医、無給医の有給化を求めて、医療放棄を含む2時間のスト決行

● 11月10日 東大・今井医師と看護婦2名、佐藤訪米阻止、公務員のスト権奪還を要求し、無期限スト突入。『日を継ぐ者』として医学生に呼びかけ。

● 11月10日 鳥取・医右翼、学生会の対教授会団交要求の立看を破壊。

● 11月11日 慶応医当局・構内への機動隊導入と校舎・図書館の一部ロックアウトし、四谷赤ヘル軍団=反帝戦線への弾圧。

● 11月11日 福島・福島医大全学共闘会議書記局論文「佐藤政府の要請による木村知事の社会開発政策に占める医療の役割と再編について―福島医大の目的別大学化―」 全日本医学生新聞67号から。「― 5、整形外科による県立病院からの医師総引き上げを支持する」。

   コラム・自律神経 きみが飛行機に乗ったからといって、きみがまるで自分の力で飛んでいるかのように自覚してはならない。▼きみが少なくとも反戦メンバーであるのなら組織確認によるきみの仕事―おそらくは日常に於けるおびただしい事務であるだろうが―を放棄してはならない。大衆の爆発的なエネルギーの噴出が何か魔法のように得られるはずが無いのだ。▼10.21の深刻な敗北は僕の中の戦いの中に生じた様々の不均等発展を露呈させた。再び「やるのかやらないのか」という問いかけに身を晒さねば一歩も進まないという民青あがりの僕にとって始めての「消耗」を体験した。▼ところがきみは「されど我等が日々」など信じるには、あまりにもガツガツと貪り食う革命的楽天主義者だし、今ではねばりっこくない医系民青など論外などと大笑いしている。きみに変なカバイダテは無用だと思う。▼重要な戦略の環―地区マッセンスト(病院スト)に向けて医学連組織にエンジンをかけよう、ブルッ・ブルッと。
                         (1969.11.11 全日本医学生新聞67号)

● 11月11日 日本脳神経学会・抗議行動により中止。

● 11月13日 京大・京都庁拠点闘争。教官、医療労働者スト、外来拒否闘争!

● 11月13日 九大医・外来占拠闘争!学生・青医連・無給医薬129名、沖縄統一スト支援の病院ストを志向して、外来病棟に座り込み、佐藤訪米阻止、医療の営利化阻止、教授会解体を訴えた。これに対して大学側はすぐに退去命令を出し、機動隊出動を要請したために学生等は座り込みを解き、学内デモに移り機動隊ともみ合った後、構外に押し出され東公園で集会を開く。診療には大きな影響は出なかった。

● 11月13日 東北医・駅前方面制圧に参加。

● 11月13日 岡大医・佐藤訪米阻止闘争。

     岡大糟谷孝幸君虐殺  11月13日,佐藤訪米阻止闘争を大阪の地に於いて闘った岡大法科2年生糟谷孝幸君は機動隊の残虐な警棒の乱打によって虐殺され,21才の短い生涯を閉じた。14日未明になってようやく,しかも完全な設備のない行岡病院で,脳外科の門外漢の手で手術が行れた。午前6時半頃,京大病院脳外科の佐藤医師が援助を申し出たが,病院は全くとりあっていない。午後1時頃糟谷君の容態は悪化し,自力で呼吸することすらできない危篤状態に陥いり,そして午後9時,糟谷君は一言もしやべらぬまま死亡した。弁護士,佐藤医師の立ち合いのもとで行れた司法解剖の結果,死因は脳機能障害,脳挫傷,脳種脹,頭部打撲であり,遺体の情況は硬い鈍体による打撲跡が十数カ所にあり,頭骸骨の縫合部にズレが生じている事が判明した。
 この明確なる機動隊の虐殺に対し,警察側は路上衝突説,火炎ビン説,鉄パイプ説等で殺人事件としてデッチ上げ,60年安保の樺さん,67年羽田での山崎君虐殺と同じく自らの犯罪を隠蔽しようとしている。15日280名,16日200名をもって岡山で,19日1,500名による大阪で虐殺弾劾・安保粉砕集会が開かれた。30日には350名の学友,労働者,高校生が参加して,大学当局の会場使用拒否,不退去罪警告を粉砕して法文20番教室に於いて人民葬が行れた。(岡山大学学生運動史)

● 11月13日 名古屋医・封鎖闘争。

● 11月13日 日大精神科医局スト権確立。

● 11月14〜17日 九大・連日50~70名で街頭デモ。14日、医学部有給者有志の会(教官124名)は、医学部付属病院の制度改革の最終案をまとめ、教官会に報告。同改革案は@、現行講座制診療科の解消と再編成。A、教育・研究・診療の合理的分離と再編成。B、学位制度の廃止。C、卒後研修の検討。D、教官の任期契約制など五項目を提案している。

● 11月14日 長大・10数名の部隊を中央権力闘争へ上京さす。

● 11月15日 九大・教養部で行われた佐藤訪米阻止総決起集会に医学部自治会からも参加をし、天神までのデモを行った。その際、医学部学生1人が道路交通法違反で逮捕された。

● 11月16日 医学連・佐藤訪米実力阻止闘争に戦闘団、蒲田へ出撃30名。支援のレポ・ゲリラ300名で戦い、3名検挙さる。地方の医学生を含むと10数名になる。

● 11月16日 北大・医学部長・教務主任・病院長、辞任。

● 11月16日 羽田空港へ阪大医が動員。

● 11月16日 京大医・東京蒲田現地闘争へ参加。

● 11月16日 府医大・10数名上京。

● 11月16日 順天・佐藤訪米阻止→学内集会デモ貫徹。ロックアウトを粉砕。

● 11月16日 九大医自・羽田へ15人。福岡明治町公園で行われた佐藤訪米阻止総決起集会に医学部自治会からも80人が参加し、明治町公園→板付→警固公園のコースでデモを行い、医学部学生2人、医進学生1人が逮捕される。機動隊の規制は凶暴を極めた。

● 11月17日 岐阜・一日スト。

● 11月17日 日大医闘委18名の逮捕により大衆的に闘争敗北。


● 11月17日 九大医自・佐藤訪米阻止労学総決起集会と早朝デモ、及び夕方からの佐藤訪米抗議集会に参加。

● 11月18日 神戸大・政府は学生参加で選出された神戸大医学部長に対して、教授会自治を侵すものとして発令を見合わせていた了解に達し発令。

● 11月 ×日 阪大医・病院長室座り込みをやるも大衆の広範な支持を受けられず。

● 11月19日 東北大医・医学部有志無期スト突入・無期ハンスト、機動隊導入粉砕。

● 11月20日 九大・入江学長は関係部局と話し合い、「医学部の授業は遅くとも来年1月から再開する」ことを確認し、学生課長が上京し文部省に状況を説明することになった。

● 11月21日 青医連東海ブロック活動者会議。(名大・名市・岐阜)

● 11月21日 京大医学部全学闘争委員会・医学部図書館死守戦、京大に侵攻した機動隊2000に徹底抗戦。一面火の海となる。

● 11月22日 九大・入江学長は放射線科教授室で武谷・吉永両教授と共に学生・青医連有志約50名と6・23以来初めての話し合いを行う、しかし話し合いは平行線を辿り、何の了解もないままに散会。
同日、学生自治会・教官会は「外国人留学生に限り、滞在期間に限りがあるので授業を再開する」ことで教授会と了解に達し、24日から授業を始めることとなる。

● 11月22日 全愛知活動者会議(愛学園・X線・看・同朋・日福・名大・名市・岐阜)参加。

● 11月23日 東北大医・機動隊導入で封鎖解除。3名逮捕。医学部スト実抗議デモ、2名逮捕。その後、団交4回。

● 11月23日 北大M1・スト解除。

● 11月24日 阪市医・スト解除決議、授業再開。

● 11月24日 九大医・教育学部が授業を始め、授業を行っていないのは医学部だけとなる。

● 11月25日 九大・教授会は「学生大会の決議を待たずに授業再開の可能性がある」旨の文書を学生宛に送付した。

● 11月29日 九大・第五回桝屋論文調査委員会が、各層の参加で開かれ、報告書最終文案が可決され、最終報告書を出すことが決定。

● 12月 1日 順天・内科研修医会19名、外来新体制実施に対して、新患受け持ち拒否闘争。第一次病院ストにみられるように『白衣の暴力団』として登場した病院当局に従順に奉仕してきた若手医師の初の造反。

● 12月 2日 日大医学部学生 27名処分。

● 12月 3日 日大医学部 処分撤回医学部本館前集会。100名参加。

● 12月 4日 東北医・永続闘争宣言を発し、有志無期スト解除。

● 12月 5日 東邦医・148対143で自治会奪還。私立医大唯一の足場を民青は失う。

● 12月 5日 九大医・授業再開を望む学生グループは「スト実が、約束の二週間毎の学生大会を開かない。このままストが続けば、医学部の廃部の危険性がある」という内容で、授業再開のアンケートを求め、125人の賛成を得たとして、教授会と教官会に授業再開要請文を渡す。

● 12月 7日 慶応医・日曜日午前9時半自治会室、私服警官20数名による赤ヘル軍団=反帝戦線に対する不当捜索。学生部長が警官隊を先導。

● 12月 8日 金沢大医学部・学生ストライキ開始(1970年5月7日まで)。

● 12月 5日 九大医・県警機動隊は当局の要請で、医学部における8日までの駐留を18日まで延長。

● 12月 6日 金沢大医・12月、医学部学生自治会が教授会に対し学生自治の公認など6項目の要求を出し、これがいれられなかったため学生大会でストライキを可決。

● 12月 8日 金沢大医・スト。以後、翌年5月に至るまで、5ヵ月間に及ぶ医学部開闢以来の長期ストが続いた。スト中の経緯は『十全同窓会報』第41号及び『百年史以後の三十年史』に詳しい。卒業試験のボイコットと強行をめぐって紛糾。

● 12月 ×日 和歌山医大・M4中心に医研連結成。診療制度に対する2回にわたる全学構成の公聴会から団交へ。

● 12月8日 助手大学院生闘争委員会(助院闘)は研究再開を決議した。

● 12月10日 京大・医闘争委、授業再開実力阻止闘争展開。

● 12月10日 九大・教授会は再び、学生大会決議の有無にかかわらず、授業再開の意向を学内に告示。医教授団は「医学部の氏名・講座制の問題点・教育研究上の問題点など」を取り上げた「医学部改革の基本的理念と構想」をまとめる。

● 12月12日 九大・教官会の総会は、教授の一方的な授業再開と助手定員減に反対して、教授会に団交を要求することを決め、教授会に申し込んだ。

● 12月12日 千葉医・スト解除。

● 12月13日 医学連反自衛隊闘争・礫川公園2時集合・自衛隊市ヶ谷基地に向かい信濃町慶応医学部までデモ、2名検挙、250名参加。「安保粉砕・日米共同声明粉砕 自衛隊沖縄派兵阻止・反戦兵士支援闘争を戦い抜き70年代階級闘争を切り開け」。(全日本医学生新聞第68号一面トップ見出し12月17日付け)

● 12月13日 日本医大・11.16佐藤訪米阻止闘争検挙者のレッド・パージ阻止総決起集会。

● 12月 ×日 慈恵・ 官憲、大学、労組一体となって、10.21検挙者(16名の労組員)にレッド・パージ。

● 12月 ×日 医学連冬季活動者会議。

● 12月16日 九大・授業再開阻止総決起集会。学生自治会・青医連・無給医会は、午前10時から内科講堂で、授業再開阻止総決起集会を開き、その後、学内デモを敢行。

● 12月16日 金沢・学生大会でスト突入。6項目要求、第一外科医局改革への弾圧に抗して。
以後一月ごとにストを確認し150日続いた、

● 12月17日 京大・タイムリミット突破。毎日授業粉砕闘争(ほとんど、粉砕)。自主講座運動(科学論等)。

● 12月17日 九大医・医教授会は授業を22日から再開することを決め、医構内に告示を出す。また、「当分の間、機動隊の駐留期限を延ばす」ことを決定。これに対して医教官会は緊急執行委員会を開き、「授業再開には協力をしない」方針を決定。また、学生自治会・スト実は「授業再開粉砕」の態度を打ち出す。

● 12月18日 女子医・正式自治会結成決議を、学生総会であげる。規約委発足。

● 12月18日 九大医・授業再開告示公文書を破っている医学生1名(公文書廃棄罪で学友1名逮捕)。3日後に起訴される。また、夜の教官会の代議員会では授業再開に非協力の態度が決められた。

● 12月19日 九大医・教官会総会で助手定員削減問題と授業再開問題が討論される。助手削減について、教授会の「削減する」という態度と「総定員法成立前後の態度とが違うとして、論議がなされる。授業再開については、非協力で行くとの基本方針が確認される。そして、二つの問題について、教授会との団交を要求するとともに、22日から毎朝1時間の時限ストを行うことが決定された。(のちにストは25日に延期される)
同日、小児科医会は「一方的授業再開に反対する」とのビラを配布。

● 12月20日 九大医・授業再開実力粉砕総決起集会。学生自治会・青医連・無給医会ら150名は医事本館前で集会後、学内デモに移ったが一部がヘルメットをつけており和佐野教授が退去を命令した。しかし、そのままデモを続けようとしたので機動隊が排除にかかろうとしたので、デモ隊はヘルメットを脱いでデモを続けた。
同日、教授会は授業再開で教官会の協力が得られないので教授数人による綜合講義方式を取り入れた授業計画を決定。

● 12月22日 九大医・医学部授業再開。連日阻止闘争。医学部の授業が制服機動隊200名、私服150名に守られて再開され、41名の学生が受講した。学生自治会・スト実・青医連・無給医会ら100余名は正・東・裏各門で入構する学生に授業を受けないように説得する一方で、授業のある三つの教室の入り口を固めた。このため、各教室の前で教授、受講学生、警官とストは学生や青医連の間に小競り合いが起こった。特にM!の教室の前では、教授が青医連に暴行を働くなどの事件があった。また、各教室の前では私服警官10数人が授業中ずっと逆ピケをはるなど正常化ならぬ青常化(機動隊の制服は青色)の様子を呈した。昼休みには、各学年の受講生は私服警官に守られて痛烈な説得の言葉が飛ぶ中を恵愛団に連れて行かれ、食事をとった。午後はこの異常事態に驚いた午前中の受講生の一部が抜けた為に、受講生数は33名となった。

● 12月22日 千葉医・機動隊導入して封鎖解除。20名逮捕。

● 12月23日 九大医・受講生は前日より減って31名。放課後受講生は各教室に横付けされた大学差し回しのバスで下校した。

● 12月23日 順天・44クラス病院再編合理化阻止でスト。C1年もスト。順天とそれを規定している国の問題であると42・43・44クラス会・精神科有志・学生自治会により代表者会議が設定され、@、内科臓器別再編阻止。A、医局講座制解体。B、営利追求の再編合理化阻止など5項目を大学当局に要求した。誠意のない回答に44クラスはスト入り、精神科有志は新患拒否を持って応えた。当局の隠し撮りという緊迫した中で病院前集会が開かれ、各組織から合理化批判が話された。

● 12月24日 九大医・受講生は前日の下校時のようにバスで登校。総数は32名であった。以後、自治会のスト解除まで受講生は朝、須崎公園に警官に守られて集まり、夕方、天神で解散するという大学差し向けのバスでの登下校を続けた。

● 12月24日 福島医大・ブンド赤軍派の爆弾倉庫の疑いで捜索される。

● 12月25日 九大医・受講生数は更に減って29名となった。
同日、教官会は教授会と団交を開くため予備折衝を続けていたが、教授会側が団交に応ずるという意向を示したのでスト入りを27日まで見送る。

● 12月26日 九大・学生大会。スト続行決議。約300名が臨床大講堂に出席して開かれ、まず学生有志が提案した「授業再開、団交要求」などを内容とする対案を賛103、反173、保12、棄6、無効1、で否決。ついでスト実が提案した@教授会に対する6項目の要求が受け入れられるまでストを続行。A教授会に医学部全体との大衆団交を要求する。B1月15日に再び学生大会を開く、などの原案を賛161、反101、保24、棄4、無効2で可決。なお、この日の講義は全部行われなかった。
六項目要求
教授会は
@、機動隊導入を自己批判し、以後導入するな!
A、大学病院の営利化、合理化に反対し、その一環としてある助手定員削減を拒否し、返上せよ!
B、枡屋問題を自己批判し、枡屋教授は辞任せよ!
C、製薬資本との癒着を断ち、経歴を全面公開せよ!
D、これまでの闘争圧殺を自己批判し、学内各層に対する処分をするな!
E、7・18文書(教授会の団交についての態度を示したもの。九大医報39巻2号105頁)を白紙撤回し、以上のことを大衆団交で確認せよ!

● 12月27日 九大医・教授会は、医学部長事務取扱および医学部学務委員会名義で、学生に宛てて「講義を6分の一以上欠席すると留年する。1月7日からの授業に出席するか、授業放棄するか知らせよ。知らせない場合当学部において、教育を受ける意思がないものとみなす。」などを内容とする手紙を送付。同時に、29日付の学部長事務取扱の、同様の文書を父兄宛に郵送。(学生からの返事は1月12日現在で、受講を希望する者168名、授業放棄26名、保留・白票6名であった。)

● 12月 ×日 山口大医学部・大学側は登録医及び臨床研修医制度を導入しようとし、12月末の中四国ブロック会でこれに対して、導入反対の闘いを進めるべく確認された。

● 12月 ×日 医学連も加わった都民の戦いで、米軍野戦病院は閉鎖に追い込まれた。
● 12月 ×日 文部省の発表によれば、紛争校は27、いわゆる重症校は京大医学部、
横浜国立大学教育・工学部の3学部のみに。




● 1月 1日 横市大医学部のA君より獄中通信。69年秋期一大決戦の突破口として、9・3早大学館死守戦を担ったA君より東拘からメッセージが届いた。

● 1月 ×日 和歌山大学医学部・青医連は研修労働組合に発展的解消。

● 1月 ×日 医学生新聞論文選 51~70号〒共200円 全日本医学生連合中央書記局・刊 発行。

● 1月 6日 九大医学部・討論集会。12月27日付河田文書について討論されるはずであったが出席者少数の為、不成立となり学生集会になった。次回学生大会は1月9日。

● 1月 7日 九大医・授業再開73名が受講。スト実や青医連が集合地の須崎公園や学部各門で説得をしたが、受講生や教授たちは警察の車に守られたバスで教室に向かった。

● 1月7〜9日 医学連関東ブロック医学生ゼミナール 安保闘争論・院内反帝統一戦線論・医療労働運動論・医療運動論・自由課題。主催・同実行委員会。於・東京

● 1月 8日 京大医学部・M自治会自らの手で学生大会によりスト解除決議。

● 1月 ×日 金沢大学・医学部自治会の学生大会で、ストを1ヶ月間延長決定。

● 1月 ×日 医学連中央委員会・於東京。

● 1月 ×日 鳥取医・新館完成により、全国的な例に漏れず、例えば4内科(1内、2内、3内、脳研内科)で診察科の臓器別再編、内科専門医制コース導入、更には看護婦に対して、管理支配体制の強化、即ち副総婦長制度・副婦長制の導入が行われんとしており、これ等を粉砕していくために、医学生会・青医連で結成している学内共闘会議による共闘と、さらに院内統一戦線の創出が必要とされている。

● 1月 ×日 岡山大医学部・青医連結成。研修項目を当局に提出。全国M4 に自主調整発送。

● 1月 9日 九大医・臨床大講堂での学生大会で、昨年5月14日以来の無期限ストを解除。学生自治会提案の条件付スト解除原案を賛179、反20、棄9で可決。
条件とは
@、 処分が行われたとき、
A、 起訴された学生の後半日
には、自治委員長の権限で、スト権を行使するというものである。また、昨年末より行われてきた授業は無効とし、スト解除後の授業を一定期間凍結し、その間、学生・教官会・教授会の三者で話し合うことを教授会に提案。これに対して、河田学部長事務取扱いは「スト解除は歓迎するが、これまでの授業は無効にできない。また、ルールを無視した話し合いには応じられない」と語った。
一週間、教室闘争で授業をストップさす。

● 1月10日 九大医・教授会は学部長事務取扱と学務委員長名で全学生に「お知らせ」文書を送り、「カリキュラムの短縮は出来ない。早急に受講しなければ受験資格を失う」などの教授会の態度を示した。

● 1月12日 九大医・授業再開に反対する学生は、講義の中で教授を追及する戦術をとり、講義をしようとする教授に対して「医学とは何か、枡屋論文をどう思うか、教授の言動と態度とが食い違う」などの質問をしたり、床を足で鳴らすなどをしたが、待機した私服機動隊員に、一人ひとりがごぼう抜きにされ、教室外に排除された。
同日、「リンチ事件=松原寮事件」で学友5名告訴される。逆に右翼−教授会−公安の一体化が暴露される。受講派学生で元学生大会議長のS君は授業再会に反対する学生5名を「2時間余り、殴る蹴るのリンチを受けた」として、東福岡署に告訴した。5人は後日、逮捕・起訴された。

● 1月13日 九大医学部・教授会は、「平静に授業を受け、一切の授業妨害をしないことを約束します。」と印刷された受講表を用意して、教室の前で学生に書かせる。このため反対派学生は教授と押し問答をしたが、結局教室に入らず、クラス討論を行う。この後、教室では授業中、放課後ともクラス討論は禁止され、討論しようとすると教授の要請により、私服警官に排除されることになる。

● 1月16日 京大医学部・『京大闘争一周年=闘争貫徹、三里塚決戦勝利』で1日スト。M自選に勝利し、M自執行部掌握。

● 1月 ×日 京大・「44青・43・無給医」で統一青医連結成。

● 1月16〜18日 日本医大C闘・処分策動粉砕マラソン団交。12・26に進学教授会で処分案を決議していたことも隠蔽。議事録を突きつけるまで態度を変えなかった。

● 1月17日 日本医大Cの16〜17日、大衆ストを背景にC闘委武装行動隊を中心に医学連・看学共闘・国府台地区学評・習志野反戦などの同志と国府台総決起集会後、座り込みに入った。

● 1月17日 九大医・教官会の総会は、「教授会、学生自治会との三者会議で合意した後、授業に参加するのが原則だが、教官会と教授会、教官会と自治会の二者会議でもよい」という執行部原案を可決。

● 1月18日 日本医大医進キャンパス・38時間の午前4時教授会と合意『処分を出さない旨の決議を22日に行う。但しストを下ろす、という内容の誓約書に判を押してきた。』の後、朝方、大学当局が高橋末雄理事長・石川正臣学長他30名、上野精養軒よりプラカードを持ちCキャンパスに乗り込み協定破棄。市川警察に駆け込んだが、拘束はしていなかったし、『解放』要求もなかったので教授監禁罪は成立せず、起訴は出来なかった。

● 1月20日 九大医自・スト破り学生=医教授会のファッショ連合を粉砕せよ!文書。

● 1月21日 金沢医・21日まで7項目要求スト。

● 1月22日 日本医大C・無期停学7名、そのうち2名は退学、譴責9名の大量処分。ただちに撤回で無期スト突入。M1・M2が時限スト入り。

● 1月25日 九大・内科学会粉砕全国総決起集会。

● 1月26日 九大医・教官会の総会は、@学生自治会はすでにスト解除し、授業を受けている。A共感会のメンバーが授業に参加をした方がより良い講義が出来る。〜などの理由で、授業非協力の方針を解除。

● 1月27日 日本医大・学部で開かれた進学課程教授会粉砕闘争、逃げられる。

● 1月28日 日本医大・譴責処分者の父兄呼び出しを実力で粉砕。

● 1月29日 日本医大・M1・M2が処分撤回で無期限スト

● 2月 2日 九大医・松原寮事件勾留理由開示裁判。学生自治会・青医連・看護学生など約150名は、勾留理由開示裁判へ向けて、午前中ストライキで起ち9時から学内集会、ヘルメットデモを敢行。ヘルメット部隊には古川病院長より退去命令が出され、なおもデモを続けようとして機動隊に排除される。その後、デモ隊は電車で地裁に向かう。地裁では傍聴制限をしようとする地裁側と、全員傍聴、ヘルメット着用を要求する学生らの間に押し問答が続き、改定が遅れる。結局約50名が傍聴、閉廷後被告人を送る拘置所の護送車の前を約50名がデモしたが、機動隊に排除される。また拘置理由は『罪障隠滅の恐れ及び証人に対して心理的圧迫を与える為』とされたが、被告団、弁護人から反論が有った。

● 2月 3日 九大医・ 臨時学生大会不成立で学生集会へ。沖縄闘争へ向けての臨時学生大会は百数十人の参加でしかなく、不成立。しかし、沖縄全軍労ストと現在の医学部体制について熱心な討論がなされ、4日に半日ストに起つことが集会決議として可決された。

● 2月 4日 日本医大C・逆バリ・ロックアウトを大衆的に突破。当局は鉄条網など250万で設置。支援カンパは国府台寮友会気付け全学闘争委員会で受付。

● 2月 4日 九大・沖縄闘争勝利、全学総決起集会に参加。1名逮捕。医学部自治会は沖縄政治ストに連帯して半日スト。自治会・青医連・病院反戦など約200名は医事務本館前の集会、学内ヘルメットデモを敢行し、その後教養部で開かれた「全九州学生総決起集会」に参加、それに続く市内でも。この日のデモで自治会執行委員長が松原寮事件に関連した「証人威迫」容疑で逮捕される。

● 2月 4日 大阪市大 沖縄全軍労支援デモ。

● 2月 5日 東大・東大病院スト・報告集会。

● 2月 5日 九大医自・前日の「委員長不当逮捕抗議集会」が自治会や青医連の参加で行われた。

● 2月 6日 九大・東大助手共闘の最首悟氏講演会が医学部臨床大講堂で開かれ、250名が参加。

● 2月 8日 長時間保育体制粉砕全都保育労働者総決起集会、美濃部都知事公舎へ100名でデモ。医学連からも代表参加。

● 2月 9日 日本医大・反レパ医学連都総決起行動。1時文京区千駄木日医大・学部。

● 2月 ×日 北大医・大学院学位論文審査強行せんとする会場に60名で突入し粉砕。全学部討論集会を青医連・医学闘のヘゲモニーで貫徹。以後、教授会団交を3回持つ。

● 2月10日 日本医大C・正門、松戸街道バリ・火炎瓶反レパ闘争。

● 2月11日 奈良医大・紀元節粉砕橿原市内デモ。帝塚山学園・北和反戦など。八木駅前での総括集会を1000人の市民と共に持つ。

● 2月11日 医学連・小西三曹叛軍闘争へ参加。

● 2月11日 医学連・青医連中四国ブロック第二回会議。(岡大医)

● 2月 ×日 京大・反動的教官授業ボイコット闘争。各クラス闘争委員会が結集。(持続的闘争集団へ)。

● 2月11日 大阪市大・病院精神科病棟移転阻止闘争。看護婦・看学生と病院前座り込み。反レパ闘争、地域闘争として問題が具体化。

● 2月13日 東大・不当処分撤回闘争(東大本郷)へ医学連も参加。

● 2月14日 九大・教授会は学部長事務取扱いと付属病院長の連名で「長期にわたり、診療・研修・研究を放棄したもの、または現在籍を持たないものが、診療・研修・研究に従事する場合は、それぞれ当該科長の指示に基づき、手続きが必要」とする告示を出した。

● 2月26日 九大堅粕地区・。九大の全共闘系医学生、青医連・無給医、及び教職員は薬学部本館前で反安保沖縄闘争勝利、沖縄全軍労第三波スト支援、入江ファッショ体制粉砕、レッドパージ粉砕のスローガンでの全学総決起集会、(1500名)に参加。集会後ヘルメット部隊400を含む800名で学内デモについで警固公園まで。学内デモの段階から機動隊600人のの規制は厳しくけが人が続出した。

● 2月29日 和歌山県立医大・スト権確立(民青執行部案粉砕す)、教授会団交。で3月14日までスト。

● 3月 4日 日大医学部より 中村君虐殺抗議集会へ参加。

● 3月 9日 北大・極秘で医師会館で9名のテイテル審査強行。学部長室で学部長、教務主任、ほか2教授と2昼夜に渡り団交するも解決なし。M1無期限授業ボイコットに入る。(4月10日まで)。

● 3月11日 日大医学部・中村君虐殺弾劾日大全共闘の集会へ参加。青医連の小島医師、撲殺の真相を証言。

● 3月14日 岡山医・記念会館開放について団交。以後数回。

● 3月 ×日 順天医・入学試験で受験者にビラいれ。

● 3月 7日 福島医大・学生3名に無期停、4名を1年停学。譴責4名。44青医連レッド・パージ。数名に別件逮捕。述べ60数名の学生処分に対して無期スト突入。

● 3月20〜22日 九大医・自治会合宿(8ヶ月のスト総括)。

● 3月21〜23日 民青が医学生ゼミナール。1973年になってこれを第13回医ゼミと偽造。
於東大・医学連正常化連時代。

● 3月24日 全国病院統一行動・(於・日比谷公園)。スローガン「AMO設置粉砕! 保助看法改悪阻止! 病院合理化粉砕!」へ医学連も参加。

● 3月24日 京大・全学の卒業式を行えず、医学部ではそれぞれで卒業証書を授与し(ただし医学部は1968年度の卒業生)、また、最も授業再開が遅れた医学部では、以後1972年度卒業生まで半年遅れの卒業という措置がとられた。

● 3月25日 和歌山医大・診療医試験闘争に敗北。

● 3月31日 東大小西君隆裕君(医学連前中執 25歳)を含む赤軍派学生9人,日航機〈よど号〉をハイジャック。4.3乗客ら103人を解放し,山村運輸政務次官を人質に『我々は明日のジョー』だと共和国へ旅たつ。(日本初のハイジャック事件=フェニックス作戦)乗客には内科学会総会に出席する学会ボス連の姿も。ボス達は震えていたと彼らは平壌で証言している。
日野原重明氏の姿もあり、同氏はハイジャッカーから『カラマーゾフの兄弟』を借りて読んだ。

● 3月31日 東大42青医連、山田真医師が九大M4クラス入り「東大闘争の現状」を報告。

● 3月31日 九大・3月まで青医連75名パージ。

● 3月 ×日 東医学友会委員長に無期停弾圧・定員増(100→130)に対し学長カンズメ、団貢献確約に対する報復。M4に対しては卒業試験中にもかかわらず、東医運命共同的な愛校心の下実は試験を通してやるという裏約束を行い下級生への個人的恫喝と学長のボデイガードとなり、戦う学友への白昼公然とのテロを加えた。それに対して入試時にロックアウト、ガードマン動員に対して「戦わねば腐敗する』と受験生にビラいれ貫徹し、受験生との話し合いが持てた。
昭和45年〜昭和46年定員増反対闘争(近藤真言学友会委員長)

● 4月1〜3日 九大全共闘・全国青医連により九大内科・「治安」学会粉砕闘争。学会場前方座席に背広姿で導入された機動隊によりリンチを受ける。

● 4月 ×日 順天・10号館、クラブハウス問題で大学当局の一方的説明会を粉砕。

● ×月 ×日 徳島大学医学部基礎A 棟を、学生により封鎖・占拠。

● 4月 1日 国立大学病院に非常勤医制導入。

● 4月 3日 医学連全国春合宿。

● 4月 8日 九大・800名を集めた処分粉砕・反レ・パ全学集会へ医学部も参加。

● 4月12日 岡大・岡大闘争一周年集会に医学部からも参加。

● 4月13日 九大・自主入学式集会に医学部からも参加。

● 4月14日 岡大医・日本原基地反自衛隊闘争へ参加。

● 4月14日 医学連支援の平和台病院労組の戦いで14日、23日の二度にわたり労組員5名が逮捕。

● 4月 ×日 日大看護学院・もの言わぬ看護婦養成の卒業資格「卒論制度」に疑問を持つ三年生数名が卒論説明会で抗議、当局は学校の教育方針と一蹴。

● 4月17日 九大・保助看法粉砕行動へ医学部からも参加。九大看学は半日スト。

● 4月22日 熊本大・生協解体攻撃粉砕闘争。九大医学部よりも20人派遣。

● 4月22日 大阪市大病院反戦結成。

● 4月 ×日 日大医12月処分組全員復学。医学部活動者会議への活動家結集。

● 4月 ×日 北大医進・機動隊学内常駐体制化で学部進学は一ヶ月遅れる。

● 4月 ×日 京大教授会・非常勤医制・報告医制を提出。44右派多数が教授会に収約される。

● 4月 ×日 和歌山医大、全共闘に対する大量留年弾圧。15名抗議活動。

● 4月26日 九大医・全共闘の最強部隊として丸キの壁を突破して、デモを赤ヘル=M自が貫徹。80名。

● 4月28日 国際反戦デー・奈良医大P2、M1スト。

● 4月28日 大阪市大・沖縄闘争に参加。

● 4月28日 国際反戦デーMD・50数名参加。

● 4月28日 国際反戦デー大阪医大20数名参加。4月の自治会再建できず。

● 4月28日 国際反戦デー九大医で80決起。

● 4月28日 国際反戦デー東北医・2000人規模の国際反戦集会に参加。処分反対闘争開始。

● 4月28日 国際反戦デー北大・青医連70名で単独デモ貫徹。

● 4月28日 京大医・一日政治スト学生大会勝利。沖縄闘争を東京派遣と京都組で戦う。学部長声明『ストは遺憾』。

● 4月30日 臨床研究医制度廃止,医員を設置〔文大病279〕(4.1実施)。

● 4月30日 東大医スト実・スト終結。明治公園より150名でデモ。

● 4月30日 長大・街頭デモ。

● 4月 ×日 東京医大・昭和45年〜昭和46年定員増反対闘争(近藤真言学友会委員長)

● 5月 ×日 神戸大医・無期限スト突入。

● 5月 6日 久留米・100名定員を大幅に超える130名の入学に対して、医学部長と常務理事に対して200名余で追及。@経理の公開、A寄付金制度の公開、B入試選抜法の公開。

● 5月 7日 金沢大医学部学生大会・前年12月8日からのでスト中止が決定、スト解除。

● 5月 9日 医療3法(保助看法)粉砕デモ・(於・清水谷公園)。看学共闘120はじめ、青医連、医学連など250。

● 5月 9日 熊本大・熊大生協解体攻撃粉砕闘争。九大医学部自治会よりも35人参加。

● 5月11日 女子医・自治会建設・自治委員長選で民青に勝利(349対120民青)。

● 5月 ×日 日大医療反戦登場。一闘委・三闘委が再建クラス委選挙に勝利.

● 5月13日 九大M自・『アジア反革命会議粉砕、愛知訪ジャカルタ阻止全学総決起集会』へ参加。

● 5月16日 鳥取・医学部学生大会で学生会活動に敵対するテロ行為弾劾決議。

● 5月16日 長大医・「パルチザン前史」を上映。

● 5月19日 九大医・『4・17スト処分粉砕・医学部地区集会』で職組と対立。

● 5月 ×日 和歌山医大・和歌山部落研結成、向陽高校高教組幹部(日共)の差別発言への取り組み。県立看護学院生との連帯。

● 5月 ×日 神戸医・無期限スト突入。

● 5月 ×日 慶応病院反戦準備会結成・別館の人間ドック化粉砕闘争。

● 5月 ×日 徳島医・自治会戦に勝利。

● 5月 ×日 九大・医学部自治会戦に勝利。

● 5月 ×日 長崎・医学部自治会選に勝利。

● 5月 ×日 千葉医・自治会戦勝利。

● 5月24日 阪大・基礎工学部機動隊導入と駐留に対して教授と学生の抗議デモ。医学部教官会が機動隊駐留反対声明。医学部無給研究者が一週間の抗議スト。

● 5月25日 鳥取医・医学部右翼による暴力行為に対する抗議集会を80名余りが結集して学生会が持つ。

● 5月20日 九大医学部教授会,欠員講座担当教授選考の開始を決定。

● 5月28日 岡山医学部・学生大会。

● 5月29日 京大医・カンボジア侵略粉砕政治スト。

● 5月29日 九大医・米軍カンボジア侵入弾劾・インドネシア革命戦争勝利全学総決起集会へ参加。

● 5月29日 名大医学部・全国学園ゼネストで30人山猫スト。医学連中央総決起集会へ派遣。

● 5月29日 慶応医自治会・全国大学ゼネストに呼応。代議員会スト権確立。

● 5月29日 岡大・医学記念会館解放闘争。(医学部百年祭粉砕闘争)。

● 5月29日 東大・北病棟阻止に医学連32校200人。

● 5月30日 医学連・看共闘中央総決起集会に参加、東大病院反戦・東大全共闘と200名の部隊で北病棟移転阻止にむけデモ。。

● 5月30日 岡大医・岩国基地撤去闘争へ参加。医学部新試験制度粉砕闘争。岡山救援連絡センターが発足、代表は岡大医学部衛生学助教授・青山英康。

● 5月30日 九大医・岩国叛軍闘争へ参加。

● 5月30日 長崎大医学部よりも3名上京。「70年医療戦線」・第2回シンポジウム(於・東大)に参加。集会は400人、医学連も250名参加。北病棟移転阻止デモ。

● 5月 ×日 大阪市大・ベトナム革命戦争勝利、反基地・反軍闘争。

● 6月 1日 医歯大新聞再刊。「防衛医大へ教官を送るな!」と教養自治会の声明を掲載。日本医科大学学生新聞会からの祝文『何よりの朗報』記事も。(前号1972・4・22)

● 6月 1日 全日本医学生新聞コラム『疾風知勁草』 【セクトと僕たち】「… ところで僕らはセクトが活動の軸を、大衆運動や自治会運動と、そのヘゲモニー問題に置くのは反対である。セクトの活動の軸は世界に如何なる権力闘争を実践してゆくかということに核心がある。15回当時の日共の医学連ハイジャック失敗の事件を持ち出すまでもなく、階級闘争の構造をとらえきれず、ヘゲモニーや主流派運動に置くことは反対である。我々はセクトに対しては実践し、そのよって立つ基盤とイデオロギーにおいて批判もし、ともに行動もしていくだろう。」

● 6月 1日 全日本医学生新聞第78号 砂上の楼閣 日共革命論批判。第5章日共『医療労働運動』批判 ―議会主義に転落した「医労協」運動、 稲村健一。

● 6月 2日 九大医・『ファントム2周年板付基地闘争』。板付へデモ。

● 6月 2日 東大・北病棟へ突入、当局はロックアウトで対抗。

● 6月 3日 東大・0時過ぎ青医連・医共闘等、新病棟に通ずる通路をバリケード封鎖し、約30名で立て篭もった。北病棟前文京地区労学集会。

● 6月 4日 東京女子医科大学・自治会結成への処分勧告に対して中庭座り込み抗議集会。

● 6月 4日 東大・北病棟強行移転。丸キ600導入。東京大学付属病院の新病舎移転に反対して、病院の一部を占拠していた全共闘系学生と青医連の若手医師が機動隊に排除され、四十二人が不退去罪で逮捕される。

● 6月 4日 熊大医・学生会の団交要求を教授会は拒否。九大医も参加。

● 6月 5日 女子医・自治会結成への処分勧告に5日も中庭座り込み抗議集会。

● 6月 ×日 京大医自治会・前期自治会選に民青に勝利(11対9)。M3クラス会、反動的教官ボイコット。=自主ゼミ運動。

● 6月 9日 新潟大医学部学生自治会・学内課題と安保粉砕で10日から無期スト突入を決議。

● 6月10日 東北・プロ独派のヘゲモニーで学生大会開催。6月闘争を戦闘的に推進、医学部を中心に北部地区共闘を結成。

● 6月10日 千葉大医学部採血公判闘争委員会が千葉地裁公判へ、医学生も支援。

● 6月11日 京大。23日まで長期スト。(226対143対21対6)。京大全学学生大会で全学スト確立。

● 6月14〜23日 MD・23日まで連日100名動員。

● 6月14日 医療戦線・800のデモへ医学連も参加。(代々木公園より)

● 6月14日 慶応医・6月闘争委員会に学内100名結集。

● 6月14日 京大・代々木公園へ結集。学内は6月講座メニュー「新病棟問題。大学院入試粉砕。日共批判。入管法について』。

● 6月14日 九大・反安保、50名参加。

● 6月14日 和大医・首都結集。

● 6月14日 奈良医大も東京に18名結集。

● 6月14日 岡大医・東京へ。

● 6月14日 北大医・札幌でデモ。

● 6月14日 京府医大・10名上京。

● 6月15日 九大医救対・九大全体で300名、内医学部80名の被逮捕者。80名、内医学部16名の被逮捕者をこの間の闘争で出していると。「医療戦線」2号1970.6.15

● 6月15日 岐阜・民青執行部の方針が否決され、戦う学友の方針が可決。1日スト。

● 6月15日 大阪医大・C一週間のスト。「安保粉砕・医療の帝国主義的再編粉砕」で常時20〜30結集してデモ。

● 6月15日 大阪市大医・23日まで全学と足並みをそろえてスト。安保闘争へ。

● 6月15日 阪大医・沖縄返還阻止でスト。

● 6月15日 名大医・スト。6月安保闘争は名大・奈良など医自治会を民青が握る中でもわれわれのヘゲモニーで30数医学部でストライキが持たれた。

● 6月15日 長大。樺美智子追悼デモ。

● 6月15日 岡大全学学生大会成立。5日間の全学ストライキ可決。

● 6月17日 阪大医・沖縄返還阻止で再スト。

● 6月17日 千葉大医学部採血公判闘争委員会がシンポ。講師井上正治+多田なお、千葉大医学生も参加。

● 6月18日 東北・非常勤医制と処分粉砕の声明(医学反戦連合・医師連合)。

● 6月18日~23日 奈良医大・全学的スト、圧倒的に貫徹。20〜30の行動隊で。

● 6月18日 九大・公害シンポ「水俣病・三池COを巡って。」講演・宇井純。

● 6月19日 和大・民執のスト決議案に対してスト提起。

● 6月19日 北大医・デモ。

● 6月19日 九大医学部・全学総決起集会へ参加。

● 6月19日 大阪医大C・22日までスト。

● 6月19日 岡大23日まで安保・スト。

● 6月 ×日 慶応・学部長と病院長選挙抗議、別館前集会。(人間ドック粉砕、医療の帝国主義的再編粉砕、慶応病院の営利化阻止)。

● 6月21日 岐阜・闘う学友の手で23日まで3日スト。

● 6月22日 長大医・23日まで安保スト。

● 6月22日 九大医自・学生大会。

● 6月22〜23日 京大・PSY小児科医師連合が政治スト。新病棟移転阻止へ2名の看護婦無期スト突入。100数十名が決起。

● 6月23日 和大・全和歌山安保粉砕労学総決起集会へ(和大・和医大・県看・部落研ほか)。

● 6月23日 日大医学部40、看学30結集。医療研、文研による活動家再結集
同日 6・23反安保集会・全都の看学共闘、独自隊列200で戦う。日大看学約40名初参加デモ。(明治公園から日比谷公園まで)当局は政治活動を認めるといいながら親を呼び出し、各個人に恫喝を加える。

● 6月23日 東京医大において安保条約の自動延長に抗議して、授業ボイコットを行い、100名の隊列をもって大学から病院まで独自デモ(先頭の7,8名は赤線のない白ヘル)を行う。

● 6月23日 全都の看学共闘単独200で戦う。日大看学初参加デモ。(明治公園から日比谷公園まで)

● 6月23日 京府医大・60名が山猫スト。

● 6月23日 岡大医・4日間全学スト・自治会選挙で民青を粉砕。

● 6月23日 名大・M2〜M3安保粉砕スト。

● 6月23日 北大医・全道5000人規模の安保デモに参加。

● 6月23日 長大医・反安保マッセンスト貫徹。(学生大会で圧倒的に勝利)

● 6月23日 阪大医・6月行動委員会3日スト提起するも支持されず。非常勤医師については一定の前進とし、受け入れ賛成。御堂筋デモに民学同と参加。

● 6月23日 九大・医自治会、九大全共闘を先頭とする労学5000名のアメリカ領事館前総括集会に参加。全学11自治会より民青放逐。医学部130名の隊列。

● 6月24日 岡大医救対・岡山地裁での40名の4.12統一公判。

    ● 7月1~3日 日本医師会が診療拒否闘争。

● 6月28日 千葉大医学部採血公判闘争委員会が千葉地裁公判へ、医学生も支援。

● 6月 ×日 6月安保闘争では医学連のヘゲモニーで名古屋、奈良を含む30数大学でのストが闘われた。

● 7月 1日 関西医療戦線の結成。

● 7月 ×日 日大医・医療地区反戦を準備。

● 7月 2日 順天・医自スト権確立。6・24警告書白紙撤回。

● 7月 4日 九大医・伝習館闘争第一波。

● 7月 4日 女子医・自治会結成に対し3名の学友に譴責処分。

● 7月 5日 医学連行動隊40名で東大医図書館地下での民青「医学連」再建準備会を粉砕。

● 7月 5日 女子医・7月4日の3名の譴責処分に対して抗議集会。9日に抗議文を教授会に提出。

● 7月 8日 大宮日赤看学・日赤の『平時事業』である『重度心身障害児救護活動』拒否よりはじまった、帝軍看護婦活動反対闘争。

● 7月 9日 女子医・3名の譴責処分に対して、抗議文を教授会に提出。

● 7月 ×日 和医大・和歌山大での内ゲバに介入、勝利するも負傷者多数。また、被差別部落での診療活動に携わる。

● 7月 ×日 名大医・非常勤医問題。移転問題。

● 7月 ×日 京大医・大学院入試粉砕闘争。医研共闘60時間のハンガースト・座り込み(7〜8月も)。新病棟移転阻止に向けて、新病院長団交。(M自・N・反戦)。労研、婦長団交と総長団交。大阪市大からも参加。

● 7月 ×日 大阪市大・能勢ミサイル設置阻止闘争。逓信病院不当処分撤回闘争、合宿。

● 7月10日 岡大・第一回医大反百年祭実行委員会。

● 7月11日 順天医・スト凍結。

● 7月15日 長大医・大村収容所解体闘争。

● 7月16日 奈良五条山精神病院・野田、石井医師を解雇。

● 7月17日 九大医自・代議員総会で民青粉砕、中執全員を全共闘側で。九大11自治会すべてを民青は失っている。

● 7月20日 日大医・自治会(学生委員会)が日大全共闘系の「連合戦線」連合戦線編集委員会発行に発起団体に名を連ねる。創刊準備号発刊。

● 7月20〜24日 九大医・M1合宿。

● 7月22日 九大医・カネミ油を告発する(北九州)市民集会に参加。

● 7月23日 東北医・小西叛軍闘争に向けての統一行動に参加。

● 7月23日 新潟医自治会・新潟大医学部グラウンドでの第一回公判闘争決起集会へ参加。

● 7月23日 九大医・病院内労働者総決起集会へ医学部生も参加。

● 7月31日 九大医・でっち上げ桝屋論文の屋三内教授辞任。17三内欠員ポスト争い決定。

● 7月25日 なら「五条山病院」が良心的精神科医2名を不当解雇、奈良医大精医研など関西ブロックで支援。

● 8月 1日 全国看護学生共闘会議アピール・「看学連基本方針を斬る」。日本医大付属看護学生寮気付・小笠原あけみ。

● 8月1〜4日 九大青医連合・M自治会同合宿・九重高原山荘。@医療情勢分析、A九大青医連総括、B地域医療戦線の構築、Cその各グループよりの問題提起。費用一日800円。

● 8月 ×日 和歌山県立医大。部落地区に於ける医療調査から診療所設置行政闘争へ。

● 8月 ×日 全国被爆者青年同盟結成へ広島大学医学部生が参加。

● 8月1〜3日 京大・M自治会合宿。 

● 8月 2日 岡大医・日本原兵舎建設阻止へ参加(団結小屋を造る)

● 8月 6日 岡大医・広島反戦集会に参加。

● 8月 7日 長大医・大村収容所実力解体闘争。赤ヘル100で貫徹。

● 8月 7日 九大医・大村収容所実力解体闘争に参加。

● 8月 8日 岡大医・岩国反戦集会に参加。

● 8月10〜12日 医学連・夏合宿(京都)。

● 8月17〜22日 熊本大医・九大医 看学生と水俣へ。

● 8月23日 看共闘・30人で看学連シンポに介入(日比谷公会堂)。論争の中に全看学生を巻き込む。

● 8月22〜23日 北九州医療シンポに300名参加。

● 8月 ×日 大阪市大・能勢叛軍キャンプに参加。

● 9月 ×日 九大医学部学生自治会・青年医師連合。・秘密裏に進行する新病棟建設について教授会への公開質問状。回答期限は26日。

● 9月 2日 日大看学卒論ボイコット闘争。

● 9月 4日 看学卒論抄録提出拒否者3年生6名に処分

● 9月 8日 日大医学部・当局と看護学生が大衆会見。当局は「思想弾圧は当然であり、教育者はパージする権利を持つ」と学院長。

● 9月11日 日大医学部・8日に続き当局と大衆会見するも団交拒否。3年生18名が卒論発表を拒否。

● 9月20日 全国医療戦線活動者会議(於・東大赤レンガ)。100名参加。

● 9月25日 新潟医・小西叛軍公判第2回闘争へ参加。

● 9月26日 日大看学自治会主催の高橋晄正東大講師講演会に30数名の医局員・講師・ガードマンのピケ。ロックアウト下、自治会室で自主講座を持つ。この後、31名に対し親を呼び出し自主退学を迫ってきた。学院玄関前で座り込み。

● 9月27日 全日本医学新聞で医学連書記長『軍事外交路線の下、AMO設置、防衛医大新設粉砕』木野村レポート発表。

● 9月27日 医学連拡大中央委員会(於・MD臨床講堂)。11時開会。スローガン「日帝の反革命統合医療体制粉砕!AMO(アジア医療機構)粉砕!防衛医大設置構想粉砕!健保抜本改悪粉砕!保安処分―中間施設構想粉砕!学会専門医―臨床研修医―報告医制度粉砕!非常勤医師構想粉砕!12月京大新病棟移転阻止闘争勝利!保助看法実質改悪―医療衛生士制度粉砕!公害―薬害闘争勝利! 安保決戦に先立って広大闘争を戦い抜いた広大医自が医学連再結集。
中央委員校25校中19校参加。議長に順天・神戸大・九大。看共闘、リハビリ共闘の連帯挨拶。
獄中の委員長の代行に医科歯科大の山本康夫君選出し産別医学連運動を更に推し進めることを意思一致。提案は13対0対5で採択。(鳥取は採決に加わらず)。中央委員校:岩手、MD、日医、順天、慶応、東邦、JK、慶応P、昭和、新潟、京府、阪医、神戸、京都、鳥取、広島、九州、長崎、東医。 非結集校:福島、日大、MDP、関西医、阪市、熊本。 オブザーバー校:東北、女子医、東大医共闘、奈良。

● 9月30日 大阪市大・930からの三里塚農民3日間戦闘で農民の新しい闘争に飛躍しつつあった三里塚闘争に接点。

● 10月 4日 全国看護学生討論集会(日本医大学生会館)。60人参加。

● 10月 6日 日大看学当局、学生7名を停学処分。

● 10月 7日 医療戦線・関東統一行動(清水谷公園) 医学連・看学共闘・歯共闘・病院反戦・地区叛軍など150名参加。日比谷公園へデモ。医学連と地区叛軍との間に若干の意思不統一が生ずる。

● 10月 7日 久留米・懇談会において理事長回答は来年度内に経理の公開。寄付金公開は私立医学部長会議で非公開と医学部長より。

● 10月 8日 医療戦線・九州統一行動。大阪市大でも10・8闘争。

● 10月13日 順天・叛軍行動委員会創立。

● 10月16日 日大看学闘争支援へ看共闘がカンパ。(東京)

● 10月17日 医療戦線・関西統一行動(於・京大)。京大病院前で集会、新病棟にむけて学内デモに280名参加、後に京都市中デモ。京大、京府、関西医大、大阪医大、奈良医大、大阪市大など。京大M共闘・自治会の司会の下10.21に向けて教養部ストを戦い抜いている大阪医大の学友、教養2年のスト権を確立し全学ストに向けて戦っている奈良医大の学友、入管闘争を戦い抜いている大阪市大の学友からも発言があった。

● 10月17日 日大看学闘争・度重なる退去命令にも屈せず続けられたハンストはドクターストップで終了。

● 10月21日 徳島医学部・自治会選勝利。

● 10月21日 医学連・防衛庁闘争(国際反戦デー)に参加、200人。看共闘・病院反戦と共に日比谷野音から明治公園へ、そして防衛庁へ。

● 10月21日 阪市大医・沖縄返還協定批准阻止でスト。

● 10月23日 東北大医学部闘争委員会・女川原発阻止に取り組み、3000名の現地総決起集会。68年から東北電力が立案したもの。

● 10月29日 新潟大医・小西誠「叛軍公判闘争」に結集。法廷内ヘル着用に弾圧、実質審理に入れず。

● 10月 ×日 「激動と荒廃を超えて:安田神話の崩壊と第二次札幌医大闘争の記録」出版・札幌医大全学共闘会議出版。

● 10月31〜11月3日 日本医大・第13回『千駄木祭』「医学医療の荒廃」(副題)−再度根源に帰って−をテーマに開催。映画『戦カンポチョムキン』(セルゲイ・エイゼンシュテイン監督27歳の作品)『禁じられた遊び』『ヒロシマ−ナガサキ・1945年8月』上映。講演『三里塚の闘い』三里塚空港反対同盟委員長・戸村一作、『医学原論』東大物療内科講師・高橋晄正、『烏山病院』烏山病院闘争委員会・佐藤医師。

● 11月5日 医学連中央執行委員長代行・山本康夫『反革命統合医療体制粉砕を』と決意表明全日本医学生新聞73号

● 11月 ×日 大阪市大・民学同との党派闘争。看護学生による民青批判。

● 11月 7日 新潟大医学部・小西叛軍裁判闘争を口実に医学生を事後逮捕

● 11月7日〜8日 医学連第17回定期大会(於、東邦大臨床講堂)29自治会45校350名参加。正式代議員校(29/50)岩手・福島・順天・東邦・慶応・慶応P・日大・日医・慈恵・MD・MDP・東医・昭和・新潟・女子医・群馬P・京大・京府・関西・阪市・阪医・岡山・広島・鳥取・徳島・九州・長崎・熊本・久留米。
オブザーバー校(16/50)、北大・弘前・東北・千葉・東大・信州・横市・横市P・奈良・阪大・岐阜・名大・名市・山口・和大・群馬。 名大医学生協議会は20数名が上京。
他結集しつつも緊迫する情勢などで参加出来ず、は神戸・札医・金沢・群馬。総計350名。
看共闘は独自に80名で登場。
スローガン「日帝の反革命統合医療体制を粉砕し、階級的医療労働運動の革命的再編を勝ち取れ」
7日、市まず委員長の基調報告で開会。名大は名大医学生評議会20数名が参加。新潟大医学部からは小西叛軍裁判闘争を口実に事後逮捕されたとの報告が入り、学友1名を残し急遽ひきかえした。新潟医では12月7〜9日の全国叛軍結成へ動いている。九大では研修医ルームの大学当局による取り壊しに対して全面実力闘争を展開中、新病棟移転阻止へ! 広島では学館取り壊し粉砕闘争へ。群馬Pは民青との選挙に勝利正式加盟。8日、議案は18対0対8対3で可決。医学連に対して600の民青「都学連」武装部隊を引き入れ暴力的な破壊活動をした東大「医学部自治会」の権利停止を満場一致で可決。中執15名を選出、メインスローガンを満場の拍手で採択し、インターを斉唱して終えた。
選出された医学連中執 委員長山本康夫(医歯大)、副委員長山口(東北大)・佐藤(九大)、書記長上田(東邦)、中執杉原(医歯大)・河瀬(東大)・竹内(医歯大)・中尾(千葉大)・平田(府医大)・千住(関医大)・住田(京大)・奥田(阪医大)大円(鳥取大)・正木(慶応)・原(東北大)
11・8討論資料(医学連中央書記局編)、1、財政特例法改悪、2、チョーライ病院、3、対外協力審中間答申、4、防衛庁・来年度予算で医科大設置調査費要求、5、臨床研究医制度、6、国立大学附属病院の医員取扱について。

● 11月11日 名大医学部・第17回医学連定期大会報告集会。100名参加。

● 11月13日 名大医進・第17回医学連大会医進報告集会。医学連中央執行委員長・山本君をむかえて100名で克ちとる。学部、名市大からも参加。医療問題研究会への参加呼びかけ。
インター斉唱後学内デモ。

● 11月13日 医学連通達2号 17回大会総括の視点。

● 11月16日 東大北病棟移転阻止闘争第4回公判・1時東京地裁に医学連支援。

● 11月17日 九大病棟建設を理由とする九大青医連ルームに病院長名の立ち退き命令。

● 11月18日 九大青医連・医学部学生,九大全共闘による附属病院東病棟建築阻止行動,医自も参加200で座り込みに私服100、機動隊200名と作業員が導入される。学外へ押し出されるが何回と学内突入が企てられ13名が公務執行妨害や不退去で逮捕。

● 11月20日 東大・「医自」民青執行部は半日スト提起を可決に持ち込めず。

● 11月23日 小児科学会・造反があり、小児科認定医制度廃止を決議。

● 11月23日 「日本の医療を守る全ての人々の集い」準備会・来春『反・日本医学会総会』を開始することを決定。医学連など100名参加。(於・東大)高橋晄正氏にみられる超近代主義的な傾向を医学連は批判。

● 11月23日 大阪市大・三里塚反対同盟戸村一作委員長講演と討論。

● 11月27日 順天堂高等看護学校自治会・看問委主催で「戴帽式」テーマに全学討論。

● 11月 ×日 ●群馬大医・精医研の吉野君が病死。

● 11月 ×日 徳島大・『栄養学連の建設を』アピール・徳島大学医学部栄養学科専門委員会。全日本医学生新聞73号。

● 12月 5日 医学連・統一行動。愛知・東京で取り組まれる。関東ブロックは東京後楽園の礫川公園より市ヶ谷自衛隊駐屯地とAMO本部(市ヶ谷会館)に第一波150名でデモ。
スローガン 日帝の反革命統合医療体制粉砕!AMO粉砕!防衛医科大学設置阻止! 従軍看護婦制度粉砕! 72年健保抜本改悪阻止!

● 12月 5日 医療戦線80は東京杉並区の昭和医大付属烏山病院へデモ。

● 12月 5日 医学連・統一行動に順天・日医・北里など150名。愛知では、名大・名市・三重・岐阜大医学部などと、福祉大・衛生大・X線技師・看学なども結集。
関東ブロック・スローガン 『市ヶ谷自衛隊、AMO本部に対する波状的な戦いを展開しよう!
★日帝の軍事外交路線と対決せよ!★日米共同声明−日米安保粉砕!★沖縄の侵略前線基地阻止!★全国基地解体−叛軍闘争勝利!★日帝の反革命統合医療体制粉砕!★AMO(アジア医療機構)粉砕!★防衛医科大学設置阻止!★日赤従軍看護体制粉砕!★72年健保改悪を阻止せよ!★保安処分−昼間施設構想粉砕!★京大新病棟移転阻止闘争に勝利せよ!』礫川公園よりデモ。

● 12月 6日 東海福祉戦線・結成。

● 12月 7日 東大・北病棟移転阻止闘争、第4回公判。3名の医師・2名の学生起訴者中心に戦う。

● 12月10日 新潟医・小西誠叛軍闘争に参加。

● 12月13日 民青『医自連』結成、破産(於・東大医本館)。呼びかけ校の13校にも満たない10校で結成強行。医学連70名で抗議行動。民青は都学連ゲバ隊を導入し医学連に殴りかかり、投石など暴力を振るう。

● 12月19日 順天高看・「問われる戴帽式 自治会・クラス会で討論される」順天堂高等看護学科本科自治会新聞編集委員会発行しらかば11号。

● 12月23日 昭和・松島医師解雇処分粉砕行動。

● 12月23日 日大看学当局、京浜安保共闘系学友に退学処分。レッド・パージ 。

● 12月24日 千葉大・採決ミス公判。千葉大の看護婦・学生60名参加。

● 12月28日 関西医大・大阪山本病院での労働者ビラ配布「たった一枚のビラのために」労使一致しての首切りに対して大阪の医学生が取り組み。

  日大闘争支援弁護団と日大闘争救援会の調査による犠牲者は、逮捕者1608名、勾留595名、起訴132名、死亡者1名、負傷者7500名である。
  インターン闘争の全時期を通しての犠牲者は1968年からの日大闘争に匹敵するが、負傷者の多さでは日大は群を抜く。「病院」という後方兵站を持つ治療面でも医学連は恵まれていた。

● 12月30日〜1月5日 医学連・都山谷越冬闘争に医療班で参加。医学新93号に報告文。

● 12月 ×日 大阪市大・三里塚現地闘争へ派遣。


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