● 65年精神衛生法改正は、精神衛生法第29条による措置入院の強化の歴史で、私宅監置から社会的施設への監置に移行。

● 1月15日 医学連中央委員会・(於・MD) 日韓会談・原潜寄港・南ベトナムへ軍事医療断派遣反対、イ闘争・学生運動の現状について、の3点を討論。「全学連」の再建を叫んでいる民青「平民学連」の即時解散を。そして真の全学連再建は全国的な闘争(統一行動)の過程で実質化されなければならない。「大学たてこもり」「願書提出拒否」戦術の4月以降への継続確認。

● 1月16日 イ委員会連絡会議・学4代表者を結集し、 @、願書提出拒否を4月以降も行うために医学生卒業者連絡会議結成を推進する。 A、医師法改正粉砕闘争を大衆行動として展開する。 B保健所実習は行わない。 C、1月末医卒連準備大会を開く。 D、医学連20円カンパを行う。

● 1月16日 岡大イ委員会・厚生省通達の願書提出期日(3月31日)を突破して願書拒否方針決定。

● 1月25日 慶応医・学費闘争で学生大会。

● 1月25日  医学連全国統一行動、中央集会〔日比谷野音〕に関東甲信越ブロックの千百名参加、新橋までデモ

● 1月25日 岡大・学2クラス会が、卒業試験にクライン追加を反対決議。

● 1月27日 慶応医・この日自治会を解体し30人委員会を創出し、権力移行。

● 1月28日 慶応医・スト。

● 2月 1日 慶応医・武見医師会長来校(卒業生)、学生側に妥協案を迫る。

● 2月 4日 岡大M2クラス会で「卒試にクラインを追加」に反対決議。

● 2月 5日 医学連第3波全国統一行動、中央集会〔於・清水谷公園〕、願書提出拒否続行を確認、厚生省に抗議デモ。

● 2月16日 医学連「イ制」完廃全国統一行動。福島医大・学生大会で参加決議。

● 2月20日 全国大学医学部長イ問題小委・全国大学病院長イ問題委、同常置委との合同会議は3月31日の同会議に於いて、@、実地修練は自主的同義的に行う。A、医育機関が責任を負う、を確認。願書○名、または無回答を決め、厚生省、自民党には「学生を説得できない」と対決した。

● 2月21日 岡大医学部新聞・出席率向上の為、昭和42年卒業試験よりクラインの試験を加えることで論説「話し合いの場必要 クライン卒業試験問題」108号。

● 2月26日 医学連・対厚生省ゲリラ戦 中庭座り込み。

● 2月28日 社学同第6回大会で東京社学同書記局・医学連の活動を評価。

● 2月 ×日 共産主義者同盟(MLブント)が分解、政治局多数派(黒岩卓夫・石井暎禧など)と社学同書記局少数派(斉藤芳雄など)はブント統一派に。政治局少数派と社学同書記局少数派(今井澄など)はML派に。

● 3月 4日 厚生大臣と医学連会見(参議員面会室)、外に座り込んだ260の学友は機動隊に排除される。その後、厚生省に行き、上村医事課長と面会。200の機動隊が出動。

● 3月 7日 医卒連結成準備大会で「医卒連結成」が27対5対7で可決。イ運動の1965年への発展。

● 3月16日 岡山大・学4イ委員会。 医卒連岡山大支部結成大会では育英会奨学金ボイコット、さらに「願拒」が長期化するならば保健所実習をもボイコットする方針を決定して、5月中旬に予定されている仮免医師法に対決する姿勢を示した。

● 3月20日 岡大卒業祝賀会・20万円の資金のうち14万円を医局に頼る現状に対して、担当のM2で討論、結局少しばかり医局資金をあおぎ開催となった。(於・医学部運動場)

● 3月30日 東京医歯大での医学部卒業者連合(医卒連)結成大会に44大学中39大学参加。
組織原則は@、願拒 A、奨学金ボ B、保健所実習ボの三項目を加盟条件と決定。資格検査の結果31大学2000名結集。
対厚生省総力戦の感があった。

● 3月30日 健保改悪反対中央医連絡会議で医学連発言。

● 3月30日 慶応医学会、「日韓会談粉砕、ベトナム侵略反対全国学生総決起集会」の共同提案自治会連署。

● 3月 ×日 東邦大医学部生等、昨年8月の名古屋での売血実体調査に続き調査入り。4月に関東ブロック血液問題研究会が発足。

● 3月31日 3000名国試願書拒否。『出願せねば国試を受けさせない』と恫喝受ける。

● 4月 ×日 岡山大・学4イ委員会。 第3期の分析。4月にはいると医卒連が切り崩され日に日に脱落校が増え、細そまっていく。病院長会議・学部長会議の「実地修練生の氏名の報告は、当人の意思を尊重すること」との3月31日決定にもかかわらず、九大病院長の厚生省への学生には無断の報告で九州ブロックが最初に全滅し、ついで東北ブロック、そして中四国ブロックも岡山・徳島を除いては全員提出という状態が出現し、岡山でも4月16日学部長・病院長連名の提出勧告が出された。その理由は「国家試験が受けられなくなるから」というものであった。
しかし23日の支部総会では、願書拒否の4月突破を圧倒的多数で再確認をし、少なくとも5月の通常国会終了までは願拒闘争を継続する決定がなされた。この決定は「自分達の運命は自分達で決定し、いわゆる親心には頼らない」ことを全クラス員的になしえたことと同時に「医師法改悪案」にあくまでも対決するところに意義があった。

● 4月 8日 厚生省・自民党社会部会に案件提出。「卒業即、国試。合格者は名簿登録。一年間は指定病院で義務的実地修練の後、医師登録を行い正免医師。」

● 4月 慈恵医大・学部入学式から2日後、100人の学1(医学部1年クラス会)は、授業放棄をして医学連統一行動のデモに参加するためのスト権を確立した。新聞会の関伸二がクラスの指導的立場にあった。学1のスト決定は、他の学年に波及し、学2、学3、学4のクラス会も次々スト体制を整えた。各クラスから4人ずつ選出されている学生委員達は、調布市の医学部進学課程にオルグに出向いて、進1(医学進学課程1年クラス会)も進2もスト権を確立した。全学ストの体勢は1週間で整った。教授会は直ちに「ストを実行した場合、24人の学生委員全員を処分する」と学生会に伝えて来た。翌日、各クラスでは緊急クラス集会が招集され、昼休みと放課後に大講堂で全学集会が開催され、スト権は放棄された。しかし闘争当日、600人の全学生のうち300人以上が授業を放棄し、医学連の統一デモに参加した。学生委員会では「名を捨てたが、実質的なスト状況をつくりあげた」と総括した。この時の学生委員長は新聞会員でもある学3の木下信一郎である。(この項・ブログ藪寿司より)

● 4月 ×日 医卒連第2回大会。26大学支部。

● 4月20日 自民党、厚生省・一応合意をみた案。「卒業と同時に国試、合格者に医師免許、一年間は指定病院で臨床体験、又は臨床研究をつまねばならない。」 この案は病院長会議、医卒連の願拒、医学連の統一行動などの反対運動によって粉砕された。

● 4月23日 医学連・第一波全国統一行動、中央集会(清水谷公園)に2500名結集。厚生省前座り込み。関西決起集会・京都府立医大に1000名結集し丸山公園までデモ。東大・医科歯科・日本医大・慈恵医大・群馬・京府医・群馬・名大・三重・山口・京府・関西・岡山・鳥取・和歌山・広大・徳島医でスト。阪大・京大・岐阜・名市で半日スト。関東は2500名が参加し、厚生省前道路座り込み。慈恵は当局のスト処分恫喝をはねのけ300名参加。北海道50名。東北300名。関西決起集会〔京都府立医大〕1500名で近畿医務局へデモ、円山公園までデモ。東海450.中四国は岡山で400の白衣デモ。全国で10000人決起。(全国の医学生総数は23000名ほど)東大生1名が逮捕され200名の抗議団に厚生省は丸キを導入。

● 4月24日 「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(「ベ平連」)が初のデモ行進をした。発起人は、小田実、開高健、掘田善衛、高橋和己、篠田正浩、吉川勇一らにより結成。慶応医学部や医科歯科・東大医学部・日医大など医学生でベ平連の活動に参加する者も多くでた。

● 4月28日 北大・仮免案抗議集会。100名。

● 5月 2日 全国イ委員会連絡会議。

● 5月 3日 医学連中央委員会開催。

● 5月11日 社会保障推進協議会の運営委員会(於・総評本部)。医学連のイ闘争満場一致で支持。

● 5月13日 医学連・医卒連 第二波全国統一行動、医師法改正に反対し厚生省抗議デモ。厚生省と自民党に抗議団を送る。全国で10000人の医学生が決起。厚生省正面玄関前に座り込み、医師法国会上程阻止の決意を示威し東大生1名逮捕さる。その後関ブロ200名の抗議団が医務局次長に会見を求めて省庁車内に座り込み、厚生省は丸キ(機動隊)を導入して排除という暴挙。医科歯科・群馬・名大・三重・山口・京府・関西・岡山・鳥取・和歌山・広大・徳島医は全日スト。 阪大・京大・岐阜・名市は半日スト。 
北海道ブロック 北大・札医統一デモ150名。
東北ブロック 東北大抗議集会、地方医務局に抗議300名。
関東ブロックは2500名参加で厚生省座り込み。
東海ブロック450名、名大・三重全日スト、岐阜・三重半日スト。
関西ブロック1500で近畿医務局へデモ。京府・関西・和歌山全日スト、阪市・京大半日スト。その他の大学で授業放棄。
中四国ブロックは岡山で400名の白衣デモ。山口・岡山・鳥取・広大・徳島医は全日スト。
      各大学で抗議集会。

● 5月 ×日 医卒連第4回大会。16大学に減少。

● 5月14日 長崎大全学・学生会館建設に学生案が反映されていないことから200名が大学評議会に抗議して本部会議室前に座り込み。大学当局は機動隊を導入して暴力的に排除、検挙する。
これに抗議して以後、ストが起きる。

● 5月15~16日 岡大医学部社研が寺で合宿・4月に25人が参加して始まった社研は名古屋医ゼミでの大内力氏の講演「社会政策」を文献に、夏休みまで佐口卓著「医療の社会化」(勁草書房)を文献に各人がレポーターを持ちまわり、現在問題となっている医療の社会化の分析を試みる。

● 5月17日 医卒連代表、厚生省で上村医事課長と会見。

● 5月17日 九大医学部学生約220人,医師法改正およびインターン問題について抗議集会,市内デモ。

● 5月17日 北大・神戸・阪大などの代表を含む医卒連代表15名は厚生省会議室で上村医事課長と会見、その際上村課長は次のように語った。
1、臨時国会には必ず医師法改正法案を上程する。万一臨時国会で成立せねば、国立病院関係予算を増しておいて、秋の通常国会で成立を図る。
2、登録医師制は放棄する。現在与党の意向に沿って法案の準備を進めている。その骨子としては、 イ)卒業時に国試を課して、その合格者に医師免許を与える。免許取得後、一年間の実地修練を必要とする。実地修練病院は厚生大臣の定めた病院とする。 ロ)免許取得後、一年間の修練期間中は、特定場所に於いてのみ、正式医師である。従って、それ以外の場所での医行為を行った場合は、当然、懲罰の対象となる。懲罰は罰金以上体系を含む。一年以上指定病院で勤務後、免許に「研修済」の印を捺す。この証明印によって始めて通用する。 ハ) 国で生活保障は行わない。それは大学付属病院の無給医との関係から当然である。ただし、国立病院での修練生については雇用関係を結び、給料を出すようにしたい。一般的には大学付属病院以外は、国立病院のように行政指導を行う。大学付属病院については文部省の問題である。
2、大学に残る場合は、大学院専攻生の期間内に、義務的実地修練期間が含まれると解釈してよい。大学病院は20名に制限する。この案は、自民党社会部会の原案に基いて作られ、法律的に以前から問題にされていた。「正式医師に、義務的実地修練を課すことが出来るか否か」という点については法制局との間で「場所の制限」を付した「正式免許」ということで了解に達している。

● 5月18日 大阪市大全学自治会 暖房費徴収問題で団交、医学部では実験実習費の受益者負担を巡って団交。

● 5月19日 長崎大全学・学長に誠意ある回答を迫ったが突っぱねられ、学長は「狭心症」を理由に逃れ出た。

● 5月20日 長崎大全学・教養部長に面会し、「評議会にあわせる」との確約を行ったが、履行せず。

● 5月21日 MD.C 民青執行部を打倒し、都学連の下に結集。日韓連続闘争に多数デモ参加。MD・MD.Cはゼネスト参加。
この年、村田恒有、教養自治会委員長に。100~150/300規模を連続動員。


● 5月21日 岡大医学部新聞・第111号。厚生省の医師法改悪対応に「いかさまの正式免許」の発案と批判。

● 5月23日 長崎大C自治会・C委員長の医進2年生青木君他7名に対し、学館闘争に報復退学8名、これに先立ち長大は米軍側にたち南ベトナム医療団を派遣している。

● 5月25日 全日本医学生連合/「医学連のイ闘争の全体の運動の中での位置―その学生運動としての労働運動的側面」文書。

● 5月27日 全国国立大学病院長、事務局長会議(MD)議長・足立MD院長。「イ願書提出拒否問題については、できるだけ早く医卒連が願書を提出しうる条件をつくって、説得に当たることが、論議された。」

● 5月30日 医卒連第3回大会(於・MD)21校参加。

● 5月31日 全国国立大学医学部病院長会議。イ制問題討議。

● 6月 1日 全国国公私立大学医学部長会議。(於・私学会館) 議長・松林慶応大医学部長・イ問題小委員会が昨年まとめた廃止案、@現行イ制は廃止する。A卒業時国家試験を行ない合格者に医免許を与える。B卒業後の修練については医育機関が責任を持って行う。を満場一致で確認。

● 6月 1日 厚生省・医務局長より各医育機関付属病院長宛に6・1通達。「実地修練者載用及び実地修練者名簿の未提出、又は同報告書の採用者数の保留もしくは未記載の願書の提出を6月15日迄に当局医務課長までに回答するように」再度の提出勧告。これにより厚生省は先の3月31日までに云々の通達は無視せざるを得なくなった。このためかイ問題責任者の上村医事課長は更迭された。

       それに対して願書提出拒否を行っている各大学の病院長が『人数報告』によって回答したため、今後厚生省が出してくる『仮免医師法案』に対して全卒業者が一致して国家試験をボイコットでもしない限り医卒連のインターン闘争は終わりを告げることになった。 (岡大医学部新聞 1965.6.21 第112号)

● 6月5日 岡大医学部新聞会主催・5党演説会。自民党、公明党は欠席。参加者が学生・職員30名と少なかったが、社会党、民社党、共産党の座談会形式で、五島正規君の司会で行う。

● 6月8日 医育者側・6・1通達を巡って全国医学部長会議イ問題小委、全国病院長会議イ問題小委との合同会議を開き、それまでの方針を撤回し、医局制度温存の為の「大学病院及び大学が推薦する病院で仮免医師として臨床実習を義務付ける」という、いわゆる医局仮免を打ち出し、我々の犠牲において厚生省との妥協を行う態度を見せ、同時に6・1通達に対しては、「人数のみ報告する」と申し合わせた。岡大においては6月1日通達に47:49で人数・氏名とも報告を行う決定をして、願書拒否を解くことと成った。教育制度として完全に形骸化したイ制度が国家独占資本主義の要請として出されてきた医療合理化政策(いわゆる医療機関整備6ヶ年計画)の中にきっちりはめ込まれ、学問への情熱にあふれて卒業した医学生たちを何らの保障も与えないで名実ともに「安価な医師代理」に組み込んでしまうという現実を大衆的段階で確実に把握で来ていなかったということである。(岡大医学部新聞6月21日号)

● 6月 8日 岡大・昭和40年度学生会委員長中桐伸五君(学2、22歳)の元で評議員会が開催され、インターン委員長に五島正規君を選出。

● 6月11〜12日 医学連第12回全国大会〔東京医歯大〕、46医科大学48自治会全ての参加。400名参加。社学同系執行部の運動方針を採択。@、仮免医師法、7月臨時国会上程を阻止するため、全国医学生の中央闘争を組織する。A、いかなる義務的実地修練制度も拒否し、その前提としての国家試験ボイコットを行い全員完廃を追求する。全国的連帯下で「青年医師連合」を設立するを、圧倒的に決議。(委員長、山下浩志・MD)
日韓・ベトナム・学館・学寮闘争を巡り平民学連系と激論し粉砕する。書記局案、圧倒的に承認。(賛 35〜27 否 4〜8)
長崎大学監闘争を戦っている諸君からのメッセージが述べられ、共に大学の自治を守る為に闘うことが満場の拍手で確認された。

● 6月13日 全国医学部・医科大学卒業者連合(医卒連)第五回全国大会。
厚生省と野合する医育者(全国医学部長・医科大学長会議。イ問題小委員会、全国大学病院長会議、イ問題委員会、同常置委員会。)にイ制完廃要求無視と、「抗議声明」。

● 6月21日 岡大医学部新聞112号論文「インターン問題に寄せて ムード的進歩主義とその限界」学4・竹崎治彦君。

● 6月22日 医学連関東ブロック、日韓正式調印に反対し、全都統一行動へ参加。慈恵、東医、東北などから医学生220名。

● 6月22日 MD・学生大会で授業放棄を提起。

● 6月22日 全国医学生総決起集会(医歯大)

● 6月24日 北大付属病院の無給医局員(インターン)、身分・待遇の改善を求めてスト決行(11月にも)

● 6月30日 精神衛生法改定公布(通院医療費の1/2公費負担、私宅監置制度廃止、精神衛生センター設置など)

● 7月 2日 岡大学生大会・定員に足らず集会で終わったが学生集会前に議案書が一人ひとりに渡される。学2中桐伸吾君が学生会委員長(新医学連中執)に。

● 7月 2日 医学連書記局・国家試験係りを追及。

         ● 7月 8日 発売の「女性自身」で米軍の依頼で細菌兵器の研究を『群馬・阪市・北大・慈恵』が行いアジア財団が府医大に対して委託研究をしていることが暴露。ほぼ全国の教室を巻き込むBCR兵器の製造に抗議の声が上った。

● 7月 3日 岡大医進・第2回医進シンポ「テーマ 大学教育の変遷」に教育学部生を含む200名。第一レポート 問題点の多い中教審答申「教育課程改編の意味」。第2レポート 他大学の教科課程「岡大との相違」。 講演は教育専門化の海老原治善氏と東京杉並組合病院の川上武氏で演題は、「社会と自然に共通の科学的態度で −医学教育の歴史と現状−」。
第2レポート 他大学の教科課程「岡大との相違」
  調査対象 東大・東北大・京大・阪大・金大・九大・神大・広大。
@、岡大は他大学に比べると教養部に於ける最低取得単位数が少ない。
A、自然科学系列の選択を許していないのは岡大だけで他大学では選択が許される。
B、数学の講義は岡大ではすこぶる貧弱である。ほとんどの大学で微積分の外に線形数学(阪大)、統計数学(東北大)、代数幾何学(広大・金大・京大)が組まれている。
C、外国語科目においても岡大は単位数は大差ないが種類において劣る。ラテン語(広大、東北、九大、金大)、仏語必修(金大)、ロシア語選択可(京大)、といった具合である。
D、教養部専任教官と学生の比から教官一人当たりの担当学生数は大阪11.7人、東京第13.2人、京大13.5人で岡大では19.2人と負担が多い。金沢以外の大学では岡山の2〜4倍もの専任教官の陣容を誇っている。
以上、総合してみると他大学と比較して岡大が決して優れているとは言えず今後各方面に対して積極的に働きかけてゆく必要がある。

● 7月8〜9日 都学連(三派系)再建第十四回大会〔全電通会館〕、11大学・東大医学部自治会など26自治会から76代議員、約300名の学生が結集した。再建準備委の情勢・任務方針を採択、委員長・山本浩志(東京医科歯科大)。

● 7月 9日 全学連第22回大会(革マル)に札幌医大。

● 7月16日 医学連関東ブロック事務局会議。(於・医科歯科大)

● 7月17日 医学連中央執行委員会。(於・医科歯科大)

● 7月18〜20日 医学連関東ブロック合宿。(於・五日市)130名。

● 7月21日 イ中央闘争委員会。(於・医科歯科大)

● 7月22日 イ中央闘争・夏季休暇にもかかわらず医局仮免阻止へ全国より600名参加。岡山大からも25名上京。小雨の中日比谷公園までデモ。おりから都議選が始まっており、自民党大敗が予想されており厚生省で意思表示にも、警官隊はうかつには学生に暴力をふるえなかった。
スローガン『あらゆる義務的実地修練反対』『イ制度完全廃止』『健保三法改悪反対』『仮免医師法粉砕』『医局仮免反対』。

   イ制度完廃中央闘争の6月段階(医学連定期大会)における闘争目的は『仮免医師法案』の臨時国会上程を阻止することにあった。その臨時国会が開催される7月22日に中央闘争が持たれた。しかしながらその厚生省仮免医師法案も医学生・医学部関係者・大学病院関係者の猛反対に会い、遂に厚生省は、上村医事課長の更迭をもって、医師法改悪案を放棄した。
   一方、7月段階において、医学部長会議・大学病院長会議と、日本医師会の若干の後押しによって「医局仮免制」が出てきた。今までの医学生の『大学たてこもり』『願書拒否』は、一方において医局・大学病院長とのアベック闘争であった。
   医局仮免制はインターン制の医局への締め付けである以上、『インターン制度完全廃止』『あらゆる義務的義務的実地修練反対』』の医学生の闘争目標からは、拒否されなければならなかった。それ故、中央闘争のスローガンに『医局仮免制繁多』の一項が書き加えられた。
             (岡大医学部新聞 第114号 1965.9.21)

● 7月22日 弘前大でも第9回東医体・弘前主管(東日本医科学生体育大会 5000人規模)東医体前夜祭の日に作りすぎたプラカード50枚を30名で両手に持ち、インターン闘争の市内デモ。東京では新装成った日大講堂で東医体資金稼ぎのダンパも盛大に挙行された。

● 7月23日 医ゼミ全自代、(於・医科歯科大)28校出席。

● 7月24日 医学連全国活動社会議(於・医科歯科大)36校150名。

● 8月 3日 厚生省、6・15人数報告後「8月25日までに氏名の報告をせよ」という厚生省医事課長私書を出し、8月25日医育者より氏名報告がなされ、この結果イ制を拒否した制度の自主的実地修練生は厚生省の名簿に「4月1日よりインターンをやったもの」として登録された。この時点で事実上、医卒連(全日本医学部卒業者連合)は崩壊した。

● 8月17日 医育関係者は6月8日、医局仮免案を展開していたが一時発言を停止していた。
8月17日、病院長、医学部長の各イ小委員会の合同会議でイ制存廃に関して次のような6項目を確認した。

1、現行イ制廃止。
2、卒業後の臨床修練は不可欠。
3、それは法的義務的に規制すべきものではなくて道義的・自主的に行うべきもの。
4、卒業後直ちに国家試験を行い、合格者は医籍に登録し、実地修練は正式の医師として行う。
5、実地修練は大学病院及び、これが適当と認めた病院で行う。
6、以後臨床実地修練を検討する審議会のようなものには、必ず、病院長会議、学部長会議の正式代表を若干名加える。

医育者は、この6項目をまず厚生省に持っていったが受けつけられなかったので自民党の社会部会イ小委員会に陳情した。これに対して自民党は、現在名にもうごっことが出来ない厚生省に成り代わって、事態の収拾に乗り出した。

● 8月 ×日 全国病院長・学部長会議・氏名報告。

● 8月22日 医卒連大会。(MD)、願拒体制の終焉を確認、保健所実習ボイコットも解除す。

● 8月25日 医卒連崩壊・イ制度を拒否した制度外の自主的実地修練生は厚生省への病院長の氏名報告により全員強制的にイ生にならされる。

● 8月26日 自民党が事態収拾者として登場。医育関係者は6項目を自民党社会部会イ問小委に陳情した。自民党は『先生方の意見も聞きましょう』という態度に出てきてイ制存続に関する結論を9月中に出す予定。厚生省は6月段階で仮免法案を認めていたが、現在イ制存続に関する態度を明らかにせず、全面サボタージュ態勢に入り、唯来年度も現行イ制で行く方針を確認し、イ制の権威づけを行っている。

● 9月 2〜3日 医学連中央委員会。イ闘争現状分析の視点としては、
1、自民党と医育者との話し合いの結論が医局仮免案でおさまる可能性がもっとも大きいこと。
2、この自民党案は、議員立法という形で法制化しようとしていること。
3、厚生省は法制化するときには、どうしても指定権の所在は厚生省にあることを主張している。
4、厚生省の動きに注目する必要がある。

任務方針 @、米軍病院ボイコット貫徹。A、9月末自民党の方針にイ制完廃を突きつけ、医局仮免許制度を粉砕するために、9・29全国統一行動を持つ。B、医育者に完全廃止方針の要請。(賛成14,反対0、保留1)。
日韓条約・ベトナム反戦闘争へも論及。
イ闘争・現状分析の視点。@、自民党と医育者の結論が医局仮免で収まる可能性が最も大きいこと。A、この自民党案は、議員立法という形で法制化しようとしていること。B、厚生省は法制化するときには、どうしても指定権の所在は厚生省にあることを主張している。C、厚生省の動きに注目する必要がある。

 
● 9月 4日 全国精神障害者家族会連合会結成

● 9月 5日 医学連関西ブロック会議。(於・神戸)

● 9月 7日 医学連関東甲信越ブロック会議。(於・女子医)

● 9月12日 全国卒業者代表者会議。(東京)

● 9月12日 医学連中・四国ブロック会議。(於・広島)

● 9月14日 ●大阪医大卒業生のインターン・川上昌洋君逝去(医学連元中執)。同君はイ闘争の最中、上京して翌日トンボ帰りで帰った直後にバイト先の誰もいない宿直室、大阪郊外の二百数十ベッドがある精神病院の粗末な寝具の上でで心臓麻痺で倒れた。夜間アルバイト・過労の蓄積が原因。阪医当局と精神病院長と警察はグルになり、バイト行為を隠し、変死として無免許医師は闇に葬り去られた。

● 9月16日 医学連関西ブロック会議。(於・京大)。

● 9月17日 九大・医学部学生約220人,医師法改正およびインターン問題について抗議集会,市内デモ。

● 9月17日 医学連関東ブロック学四、90名、は厚生省での面会要求に対し、再度100名の機動隊と私服30名を導入。遂に5人目の不当検挙。(指揮寺野君)。

● 9月18日 医学連中・四国インターン委員会に100名参加。(於・岡山)。

● 9月19日 医学連九州ブロック会議。(於・久留米)

● 9月19日 医学連中・四国インターン委員会連絡会議にM4生 70余人参加で10月3日まで医師国試ボイコット決定。(於・岡山医学部)

● 9月20日 鳥取・寮闘争で学生大会。

● 9月 ×日 医学連第12回大会 山下浩志中央執行委員長・医師国家試験ボイコット宣言「われわれ医学生は不退転の決意を持ってイ制全面撤廃へ向けて戦うことを宣言する」方針。

● 9月21日 医学連関東甲信越ブロック会議。(於・昭和)千葉大医民青執行部・スト破り公言。

● 9月23日 民青「医学系学生連絡会議」結成。(於・東京日ソ会館)。今まで平民「全学連」による「全学連医学生活動者会議」が医学連大会決定に反し、スト破りする事に中執が抗議行動、30名参加。

● 9月26日 関東M4連絡会議。千葉大民執・火事場泥棒的に条件のよい病院結集を公言。

● 9月26日 東大・自衛官侵入に医学部自治会60人で阻止。制服自衛官40名(自衛隊中央病院婦人自衛官養成所=看護学校)のトラックで乗りつけた。

● 9月29日 医学連・医師法改悪粉砕全国統一行動、中央集会〔清水谷公園〕に七百名参加、のち厚生省・自民党本部にデモ。

● 9月29日 医学連関西ブロックも医師法改悪粉砕全国統一行動に500名。

● 9月30日 岡大M4クラス、中四国ブロックでは鳥取に続き、国家試験ボイコットを決定。

● 10月 3日 医学連中央執行委員会。(於・医科歯科大)

● 10月 5日 都学連の日韓闘争。国会前座り込みに東大医・医科歯科大が参加。

● 10月11日 医学連関東ブロック自代・米軍病院阻止実行委員会を結成。

● 10月12日 医学連関東ブロック・インターン委員会。同日、医学連は日韓闘争に参加、この日明治公園は10万の参加者。

● 10月14日 医学連関東ブロック戦術会議。 医学連全国ブロック代表者会議(於MD)。

● 10月15〜16日 米軍病院ボイコット闘争。現地に結集・座り込み。医学連部隊編成す。(相模大野=米陸軍)

● 10月15日 関西医大半日スト。

● 10月16日 米軍病院受験阻止闘争(東京)。オルグも地方から上京して、受験者に対応。160名参加、3名不当逮捕。トランシーバー3台と自家用車を駆使、ラブホテルを本部に使う。

● 10月 ×日 鳥取大スト権確立、(新寮管理運営権・入退寮選考権・負担区分問題で)。

● 10月23日 医学連関東ブロックM4連絡会議。

● 10月23〜24日 第6回女子医大祭・ゼミ方式からフェステイバルへ。無医村研究会やインターン委員会の発表も。

● 10月29日 日韓条約批准阻止全国学生統一行動、医学連500が決起。東京医歯大でスト。東大で全日ストを追求。

● 10月30日 医学連中央委員会・17校参加。「国ボ・大学結集」国鉄運賃値上げ阻止を決議。

● 10月30日 東京医大M4(学4)インターン制度に抗議して国試ボイコットを決議した。

● 11月10日 福島医大・授業料値上げ県会上程(5日発表)に対して学生大会後、市内デモ。12日に値上げは県会で可決。

● 11月12日 労働者3万の隊列に都学連も加わる。医学連も合流し、国鉄法案の衆院強行採決阻止ストを支援。
この日、12 国立大医学部長会議、インターン制改正案決定。

● 11月13日 日韓条約批准反対で京都府立医大。北大全学、大阪市大全学スト、名大スト。


● 11月21〜23日 第10回全国医学生ゼミナール・京都府立医大自治会主管(於、京府+京大大教室+立命館講堂)全国医ゼミ2000名参加。テーマ「医療労働運動の探求」 講師・高橋良彦(60年病院スト指導者)、山元一郎、高橋晄正、原功、若月俊一、朝倉新太郎、青山英康、前田重治。21日昼総会講演、夜自治会交流会(日韓、学園闘争)。22日昼分科会、夜は医・看学生交流会(医療労働運動を中心にインターン闘争、保助看法)。全国医ゼミ第1分科会・(医療労働分科会)@帝国主義的傍聴を辿る日本資本主義に於ける医療部門の位置付け、A階級政策、B健保改悪を巡って、(医療誌本論)C国立病院・国立療養所、D地方自治体病院、E日赤・済生会病院、F民間病院資本、G医療労働運動論、H医療費と医療資本、第2分科会・(医療運動論)@体制側の展開する医療運動=医療政策、A反体制側の展開する医療運動、B国家独占資本主義から捉えた無医村、C無医村地区の民主化組織、衛生組織の展望、D農村における医療、E大企業に於ける健康管理と合理化、F中小企業に於ける健康管理の問題、G産業医者の分析、H地区医療生協の分析、I公害問題と医療運動、第3分科会・(フィールドワーク報告)@無医地区の健康と医療の実情の特徴とは何か、A国民の医療要求を規定する因子について、B現代治療医学の批判、C真の医療の社会化とは何か、D血液問題を中心にして、第4分科会・(研究方法論)医学史の方法論的考察、Aクロードベルナールの異議と限界、BHans Selyeに於けるStress Theoryの考察、CNeruimの問題点、D精神身体医学の方法論的検討、E精神医学に於ける方法の問題、F高橋晄正氏の方法論に於ける問題点、G分析的理性と弁証法的理性、第5分科会・(医学教育制度研究体制)@教育制度の問題、A医局問題、Bインターン問題。

● 11月23日 (於、京府)第10回医学生総括ゼミ。「医ゼミの性格とあり方は、医学生運動の中に求められる。医学生の利益を守る観点から運動を組織する医学連に対し、ゼミナールはその戦略戦術の根拠をなすデータを与える役割を果たしている。そのデータとは階級情勢を明確に示しうるものであるが、殊に医学、医療界に関する分析が必要である。ゼミが理論の場である以上、これに参加する個人は理論を獲得し、社会矛盾を深く認識するようになり、したがって状況に深く関わっていくようになる。全国ゼミナールが提起する問題は各種サークルの活動目標であったし、その研究発表の場がゼミナールであった。ゼミナールを支えてきたものはこういったサークルであったが、逆にゼミナールがこれらのサークルに新しい刺激を与えてこれを支えてきた側面もある。(ゼミナール論)

京都らしく用意されたダンパもお寺で開催。
初日京府から宿泊所までデモ、慈恵医大の指揮者が検挙される。
23日分科会。総括の後、京都駅まで100名で送別デモ。
後日、日本医大進学課程では医ゼミ参加者に補講をしていただく。

● 11月24日 医学連による卒後・自主調整会議。(於・京都知恩院)

● 11月28日 医学連「国鉄運賃闘争のために」パンフ発行。

● 11月30日 医学連第二波統一行動・「保助看法改悪反対、医療従事者制度の全面的改悪を医療労働者との共同闘争で粉砕しよう」を加える。

● 12月 2日 原潜阻止自治会代表者会議に結集する全学連加盟自治会が「平民学連(民青)の全学連再建≠ノ対する声明」を出す。内容は平民学連(=民青)の「全学連」再建は、全学連規約を無視した私的なものである。何故なら、@全学連加盟自治会の代議員数半数に満たない。
(全代議員数五二〇人の内二一七人で成立しない。)他とするもので、署名自治会のうち医系自治会は次の通り。札幌医大自治会・東京大医学部自治会・東京医科歯科大自治・京都大医学部自治会・京都府立医大自治会・大阪大医学部自治会・大阪市大医学部自治会・岡山大医学部自治会・九州大医学部自治会。以上は全学連加盟校。

● 12月 ×日 阪市大・生協食堂設置を要求して無期限スト。

● 12月18日 医学連関東甲信越ブロック自治会代表者会議。(於・順天)

● 12月19日 大阪市大医学部・新館食堂の生協経営を要求する座り込み。

● 12月20日 第二次自主調整会議。(於・東大医学部図書館内鉄門委員室)

● 12月20日 名古屋大学、群馬大学、東京大学等で身分保障を要求し「1日診療拒否」が無給医局員の「研究専念日闘争」(診療拒否)として実施され、無給医問題がマスコミを通して社会に訴えられた。
この闘争には3大学340人が参加し,経済的裏付けのない無給医局員の実状を訴えた.

● 12月22日 (医局スト)3大学無給副手会スト・群大・名大・東大(耳鼻科)で午前中診療拒否。スローガン@、無給医局員の定員化A、身分保障B、大学教育の充実C、奨学金の増額D、大学院卒業者の即時定員化。 なんら指導的組織によるものでなく自然発生的な不満の爆発であった。医学連は医局闘争の機が熟している証拠として、青医連運動の必要性を提起した。(医学新42号)

● 12月25日 医学連中央執行委員会(於・東京)

● ×月 ×日 慶応・黒部信一氏。1965年慶應大学学費値上げ反対闘争で全学副闘争委員長をし、全国初の大学バリケード闘争、全学集会での方針決定という全員参加の民主化闘争をし、自主講座運動に加わる。




● 1月 ×日 北大・無給医の解消を目的として、北大医学部副手会が発足した。その後全国的な流れに加わるようになる。北大百年史部局史
11月、三日間の診療拒否を行い、抗議集会、公開討論会などを聞いた。文部省は一九六七年三月、無給医に一日四OO円の診療協力謝金を支給することを明らかにした。しかしこれは根本的解決からは程遠いものであった。北大百年史部局史

● ×月 ×日 全日本学生新聞連盟(全学新)に福島県立医科大新聞、岡山大学医学部新聞会等が加盟して活動。

● 1月12日 東大・教授会会場入り口で百数十人の学生集会。「自主調整が受け入れられなければストをも辞せず」との各クラス会決議を持って迫る。

● 1月13日 全国医学部長会議イ問題小委、全国国立大学病院長会議イ問題常置委員会・合同拡大会議に医学連関東ブロックと東大100名で抗議。

● 1月14日 医学連中執会議(於・東京)

● 1月15日 医学連臨時大会・山下(MD)委員長(於、東京医科歯科大) 一、日韓闘争総括と国鉄運賃・健保改悪・ベトナム軍事医療団派遣反対・原子力空母横須賀寄港阻止闘争への取り組み。二、新医局仮免粉砕・大学結集・願拒国試ボ・保健所実習ボ・イ制完廃をかちとるために。「大学結集・願拒・保健所実習ボ・奨学金辞退」の4条件が青医連参加資格。
日本医大、医学連に復帰。(40自治会が参加)

● 1月21日 東大医学部・青医連(40部隊)結成準備連絡会議東大支部は臨床系大学院ボイコット決議。(1)我々は、医局無給医制の廃絶を目指す。@、最新の医療技術の習得は我々の権利として要求する。A、その習得は医療労働を通じてのみ行われ適切な報酬を要求す。(2)無給医局制を制度的に固定化する臨床系大学院をボイコットす。

● 1月 ×日 医科歯科大は自主調整獲得闘争勝利。卒試ボ・無期限スト決議を武器にペテン師足立病院長に、他3名の教授と学生多数の見守るなか、77名無条件受け入れを誓わせた。

● 1月 ×日 順天同大学新聞が医授業料値上げ(10万→15万円に)問題でアンケート。医3父兄の79%がやむをえない。学生の83%が一方的であると回答。

● 1月20日 順天同大学新聞・が区長室で授業料問題など懇談会。

● 1月23日 東大医学部、インターン自主配置学生案の実施を要求して卒業試験ボイコット(26日当局、要求受諾でボイコット解除)

● 1月24日 東大医学部、インターン自主配置学生実の実施を要求してM4卒試ボ決。学3以下も24日、26日と授業放棄で、学内デモ。

● 1月26日 東大医学部、無期限スト。圧倒的に学生大会で決議。教授会159名の受け入れ承諾でボイコット解除。

● 1月29日 日本医大・6年クラス会は自主カリキュラム、人数氏名報告など四つの要求事項を3病院長が認めない限り、2月4日から無期限卒試ボイコットを賛成多数で決定。のち、要求は勝利。

● 2月2日 イ闘争全国総決起集会、各地で統一行動。 医学連関東ブロック主催・イ制完全撤廃決起集会(清水谷公園午後2時)に1500名参加。文部省前で東医の学友が後ろから羽交い絞めにされ一名逮捕さる。日本医大医進課程135名バスで全員参加。昭和230、日医は200、東医・慈恵・女子医・東邦各校150。集会は山下医学連委員長、北村副委員長が厚生省と病院長の裏交渉に反対し、NEO仮免粉砕と青医連に向けて団結をして行こうと挨拶があった。続いて病院長の学4自主調整切り崩しに全力を挙げて闘っている東大、医科歯科の各委員長からの挨拶があった。全国で始めてバイト日、自主カリキュラムを獲得した日医から挨拶があった。東医からは小穴委員長が挨拶。デモ指揮は関ブロ事務局長の小川君。同日夜7時からの関ブロ・インターン委員会で私学に比して東大・医科歯科の動員が少ないことが批判され両校から反省と遺憾の言葉が述べられた。この2校では前週、自主調整権を巡って病院側と授業放棄・試験ボイコットで戦い消耗していたからで、先進的に戦いつかれたときはいつでも私学が取って代わらなければいけないと話し合われた。

● 2月2日 東医・イ闘争全国決起集会で東医の小穴君らが決意表明。東医では統一行動にむけ学3、12名のイ委員会を中心に早くから取り組みクラス参加を決議。学2でも前の週からほぼ毎日クラス会を持ち,完廃方針は全員確認まで至らなかったが、新カリ免反対クラス全員参加を決議、また進1では当日のクラス会で全員一致して休講で参加する。東医学友デモで1名検挙。

● 2月 3日 医学連関東ブロック・厚生省実地修練部会へ要望書を携え10名で。場所を旧居変更していたが法曹会館「梅の間」であることを突き止め抗議行動。実地修練部会は医大病院長会議とは別個のもので日医武見会長や沖中虎ノ門病院長らも厚生省側につき「罰則は刑事罰よりも免許取り上げなどの行政処分がいい」等の具体的法改正が検討されたという。

● 2月 ×日 医学連臨床系大学院ボイコット。

● 2月 7日 関東ブロック・統一行動。

● 2月17日 臨床系大学院ボイコット闘争(東大、阪大、京大、岡大=医卒連の生き残り)

● 2月18日 青年医師連合結成準備連絡会議東大病院支部/「臨床系大学院ボイコットの実行宣言」

● 2月20日 全国医学部無給医局員対策委員会・(東大学士委員会)16校参加。

● 3月 4日 虎ノ門イ生採用試験阻止闘争・都文京区のお寺に泊り込み、百数十名で虎ノ門へ。二重のバリケードを前に階談で座り込み。中病院長による機動隊導入で医学連山下委員長、とMD自治会長の川島君が不当逮捕される。

● 3月12日 青年医師連合結成大会/「結成宣言」。自主調整・全指定病院ボ・願書拒否・国ボを確認しての青医連結成。
 
● 3月15日 厚生省記者会見「法改正で行くか予算措置で当面やるか未定」(イ制について)。

● 3月19日 厚生省医務局通達「病院長は、実地修練予定者一人一人から文書を持って問う病院で修練する確認を取れ」。

● 3月20日 日本医師会ニュース・「医学教育はイ問題を含め変わった様相。これが解決されぬと医療制度の混乱と結びつく危険」。

● 3月21日 41青年医師連合(青医連2100人)結成大会〔東京〕、全国医学系大学34校参加、インターン制廃止・国家試験ボイコット・奨学金ボ等運動方針を決定。委員長・今尾貞夫(東大)。41は昭和41年卒業の意味。

● 3月 ×日 医学連・過半数の大学「0名」回答。

● 3月22日 関東ブロック自治会・イ委員会の合同会議(MD) 。

● 3月27日 インターン制度に反対して出願拒否を続けている医学連関西ブロック(井上善博・京府医大代表)は宣言書を出した。

● 3月27日 金沢大医学部は金沢市街を「厚生省改革案反対」で白衣デモ。

● 3月29日 最終閣議「イ法案提出できず」。

● 3月31日 医学連(斉藤芳雄委員長)46全医科大学18000人加盟は「インターンをやらぬ」と宣言。

● 3月31日 各校で「ゼロ名回答要求」団交。

● 3月 ×日 民青・全学連医学系学生連絡会議。「インターン闘争発展のために」発行。

● 3月 ×日 福島医大・卒業生が青年医師連合(青医連)福島支部を作る。 

● ×月 ×日 1966年慶應義塾大学・黒部信一氏、41青年医師連合慶應支部長、小児科医師連合慶應支部長に。

● 4月 1日 青医連関東ブロック・70余名で厚生省前(イ制ボ)願書拒否4月突破集会。インターン願書が小さく破られて厚生省の原価に落下の舞い。

● 4月5〜6日 医学連・関東ブロック合宿「日韓闘争の総括」を基軸に。千葉大・日医・東大・医歯大・女子医他参加)於・千葉内房保田海岸の旅館。

● 4月 5日 毎日新聞社説「インターンの改善を望む」。首相「無給医問題再検討指示」。

● 4月 7日 願拒現在「ゼロ名」回答25校。無回答と保留16校。一部提出校(日大・名市・岐阜・三重・九大)、全員提出校(千葉大)。

● 4月 7日 精神神経学会・「医局制度実態調査」を発表。

        ● 千葉大チフス菌事件:4月7日に逮捕された日本医大出身の「外様」医局員である鈴木充医師による単独犯行とされたが冤罪ではないかと言われている。 このチフス菌事件があぶりだしたのは大勢の『無給医』の存在だった。
チフス菌事件を契機に5月に作られたのが『医者づくり懇談会』。これが無給医問題も含めた医師養成制度の検討を始めることとなった。

● 4月 8日 仲村文相記者会見「三年で無給医1000人の有給化」。

● 4月8〜9日 医新連(準)春合宿(鎌倉海浜荘)。岩手・神戸・阪医・慈恵・関西・女子医・昭和・順天・京大・金沢・日医の11校参加。

● 4月 9日 毎日紙上・三浦医事課長、「医局の抜本的改革を」。

● 4月 9日 都学連の早大・東京学生会館支援全都集会・医学連から「イ闘争」を報告。

● 4月10日 インターン終了後の医局無給医が青年医師連合入局者会議(青医連)を8校700人で結成し、入局問題に取り組んでゆく。これが奇跡のカムバック、不死鳥の青医連入局者会議といわれた。東大を中心として『教育という名の労働収奪反対』実践の為、臨床系大学院ボイコット(東大・京大・阪大・岡山大)全国無給医ストに東大中心となる。6・24スト提起。

● 4月10日 医学連中央執行委員会。(於・京都)

● 4月 ×日 厚相・仮免上程言明。

● 4月11日 医学連中央委員会(京府)。スローガン△小選挙区制反対!△自衛隊の海外派兵反対!△自衛隊の海外派兵反対!△大学設置基準改定反対!△寮学館闘争を勝利しよう!△仮免医師法案粉砕!△イ制完廃!△病院長会議は○(ゼロ)名報告を完全に行う!△病院長・学部長会議はイ制完廃を確認せよ!△学4は青医連期成会議に結集しよう!4・28ゼネストを戦え!
この決定で関東ブロック学4連絡会議と中央執行委員会が責任を持って5月29日の全国学四(四十二年)青医連期成会議結成大会を準備。

● 4月11日 青医連中央委員会・34大学青医連結集を確認。定数25校のうち17校参加。(於・京府)

● 4月16日 青医連関東ブロック第一回カリキュラム委員会。

● 4月20日 医学連関東ブロック会議(於・女子医)。

● 4月22日 第051回国会 文教委員会 第20号
出席委員 委員長 八田貞義君 委員外の出席:参考人。(千葉大学医学部付属病院長)鈴木次郎君(青年医師連合入局者会議財政部長)宇都宮泰英君(青年医師連合中央執行委員長)今尾貞夫君(順天堂大学医学部長)懸田克躬君(聖路加国際病院内科医長)日野原重明君

● 4月24日 青年医師連合/第一回大会(於・MD)。議案「4・28青医連・医学連統一行動に決起し、仮免今通常国会上程を阻止しよう!」。 加盟校27校参加。

● 4月28日 医学連関東ブロック主催・イ制完全撤廃決起集会(清水谷公園)に1500名結集。厚生省へデモ・座り込み。山下医学連委員長・今尾青医連委員長挨拶。出発点の清水谷公園入り口で丸機指揮者が今日は揉んでやるぞと公言したとおりの暴力的なデモ規制、医学連デモに初めて武装警察が出動して座り込もうとしたデモ隊に弾圧、5名重軽傷。東大女子学生鎖骨骨折。1名逮捕。日大医学部は厚生省にアッピールをすると大勢で風船を持って登場、日比谷公園での総括集会で慈恵や東京医大など関東私学の他大学から「お祭りじゃないぞ」とヤジが飛び乱闘寸前に。 中執と日本医大の隊列が割って入って収める。日頃は暴力反対を言う民青は肝心な時に対応出来ず。
関西では大阪・京都で集会。阪大病院前6支部600名がジグザグデモ。京都3支部、200名。鳥取でも半日ストで200名で市中デモ。岡山全日スト(医進1年2組を除くスト)200のデモ。山口午後半日スト。徳島大の半日ストと市中デモ。岐阜・札幌などでの学内集会とデモなど。「仮免」今国会は見送られる。
4・29 4・30各新聞が報道。
都学連は全国学生統一行動。都学連は早大に2000人が結集して、大学設置基準改悪阻止・教員免許法改悪阻止・外国人学校制度設置反対のデモ。デモ隊がすれ違って手を振り合ったのはこのときかもしれない。

● 4月下旬、慈恵医大・学生会主催の新入生歓迎コンパを開催。

● 5月 ×日 医学連関東ブロック「イ」委員会事務局声明。「民青医学部東大班による組織的窃盗行為に厳重に抗議し謝罪と盗品返還を要求する」。イ問題資料70部が東大医学部本館1階自治会室から窃盗され、民青「全学連」分裂組織「医学系学生連絡会議」によって配布された。

● 5月 6日 医学連中央執行委員会、提案採択スローガン。仮免法案国会上程阻止! 医者づくり懇談会(猿芝居)粉砕! 五月闘争に決起せよ! イ制即時撤廃! 医育者は完廃路線を貫け! 青医連42部隊に結集せよ! 5・20青医連期成会議に結集せよ!

● 5月 ×日 医育者懇談会発足。

● 5月 ×日 東大で3名のインター問題スト処分が出る。

● 5月 8日 医学連全国インターン委員会連絡会議(於、東医)。

● 5月12日 医学連関西ブロック・国公立大医学部長会議へ200徹夜の座り込み抗議団。
10億円と引き換えに員数氏名報告を許さず!

● 5月13日 医学連関西ブロック主催・インターン制廃止全関西医学生集会〔中之島公園〕に1500名参加、開催中の国公立大学医学部長会議〔新大阪ホテル〕にデモ・坐り込み闘争展開。負傷者を出す。『10億円のささやきとひきかえに青医連の員数氏名報告をもって、闇取引に入ろうという大学側の動揺を圧し0名回答を病院長に迫る各校のスト態勢』が組まれる中で、全国の代表を迎え1500名の学友が大阪中ノ島に結集した。激しいジグザグデモと座り込み、機動隊の規制で代表を残し阪大までやむなくデモ。東京でも負傷者が出た。

● 5月13日 関西医大150動員座り込み。

● 5月14日 医学連関西ブロック・国公立大医学部長会議へ100参加。朝9時からホテル前に座り込み、参加してくる学部長にアピール文を渡し、代表発言を10分という短時間認めさせた。医学生の戦いと国立系、私立系などの意見の不一致により、この日は厚生省仮免にも医局仮免にも意見の一致は出ず、13日の国立系の決定は独走であると非難を受けた。国公立大医学部長会議としては、従来の三原則にとどまった。

● 5月15日 青医連関ブロ(於・慶応)

● 5月16日 医学連関ブロ(於・東医)

● 5月18日 横市・80名で本学より伊勢崎町白衣デモ、国鉄関内駅周辺で解散。学4が13日のデモに参加をしないで単独デモは分裂行動だと指摘、厚生省ばかりでなく市民向けとの説明。白衣着用に批判。

● 5月18日 医学連関ブロ 自治会代表者会議。

● 5月20日 青医連第2回関東ブロック委員会。

● 5月21〜22日 岡大医学部学内開放祭・2万人の市民が詰め掛けるが、その前に学内医ゼミを開いてその成果を市民に知ってもらう必要がとか、反省が出る。

● 5月25日 京大西部講堂へ私服と制服があらわれ、生協の調査。医学生を含む200人の抗議。民青は私服、学生部と一緒になって警官を救出。

● 5月26日 医学連・青医連関東ブロック 1500名が日比谷野外音楽堂に集まり、文部省で立ち止まり、厚生省前で座り込み抗議。横市大は危険な座り込みはしないとその間、車道に10分間とどまり、シュピレヒコールを繰り返した。5・13に負傷者を出したので各校から10名の行動隊員が出されデモ指揮をとった。

● 5月26日 医学連・青医連関西ブロック 『国立大学病院長会議』(於、京都国際会議場)に1000名動員。関東ブロックからも、東大、医科歯科大、日本医大、慶応、横市、東北・群馬から参加。座り込んでいる学友がまばらな早朝、病院長を乗せたバスがいち早く会議場に姿を消す。
9時頃80名に成ったので討論の席につけるように要望し交渉を続けた。12時半、玄関前に座り込みに入ったが5分としないうちに足から逆さづりにして引き抜くという酷いごぼう抜きにあった。騒ぎを聞きつけて出てきた関係者にかろうじてわれわれの意向を伝えた。宝ヶ池の会議場前の座り込み人数は増え、ごぼう抜きを許さぬ部隊となった。午後3時には代表発言が許され報告を聞き、午後5時には500名に増え病院長の代理と合うという約束を大衆的なものにする為に玄関前に座りこんだ。
関東では日比谷野音に1700名参加。一年ぶりに厚生省前座り込み。各校10名の行動隊を出しデモを指導した。横市は危険な座り込みに同調しないと座り込みを敢行せず。仮免国会上程は阻止した。デモ後医科歯科

● 5月27日 医学連・大阪城大手前公園での全関西学生総決起集会に参加。5.27大設令―教免法改悪反対(大学設置基準崩壊悪−教員免許法改悪)、小選挙区制答申阻止のスローガン。機動隊のデモ規制に負傷者続出。集会は1000名参加。

● 5月28日 東京医科歯科大学「里見寮」は民青の全寮連乗っ取りに対応し、新寮協結成に参加。

● 5月29日 全国学四(四十二年)青医連期成会議・圧倒的に成立。(於、MD)。36校の学4代表で結成大会。6・24無給医局員ストの項が保留多数で採択されなく今後の課題とされた。

● 5月29日 青医連第関東ブロ研究会ハウプト会議。

● 5月29〜30日 青医連関東ブロック合宿。

● 6月 1日 岡大・「原潜寄港抗議医学部集会」を5月初旬に結成した沖縄問題研究会主催で持つ。

● 6月 1日 横市・臨床講堂での総医局会に無給医改善運動の高まりと呼応し100余名。

● 6月 1日 岡大・5月結成の沖縄研究会は「原潜寄港抗議医学部集会」を持つ。

● 6月 3日 関ブロ(於・順天)。

● 6月4〜5日 青医連関西ブロック合宿。

● 6月4日 41・42青年医師連合合同書記局/41・42青医連合同大会議案「青年医師運動の目指す方向」文書。

● 6月4日 「完廃理論の更なる強化のために」論文 医学連副委員長 井上善博 全日本医学生新聞44号。

● 6月 7日 青医連第関東ブロ研究会ハウプト会議。

● 6月 7日 岡大医学部学生会は小野昭雄君(学3)が信任441、不信任74、保留5で信任され学生会執行委員長に推されていたが、7日の評議委員会で副に中桐伸吾(学3)と児玉克子(学1)が、三村教務連絡委員長、岡田インターン委員長、保田医進委員長、大川学友会委員長、牧原福利厚生委員長が選出された。

● 6月 7日 弘前大学医学部学生大会流会。(自治会)

● 6月 7日 医学連関ブロ 自治会代表者会議。

● 6月10日 弘前大学医学部学友会総会。満場一致で役員を選出。

● 6月10日 横市・学生会でM4提出の民青全学連加盟否決動議(賛24否67保留10)。医学連への敵対など暴露される。『一部同調者で全学連内に医学系学生連絡会議を作っている』

● 6月11日 青医連・大会に於ける基調確認とレポーター会議。

● 6月11〜12日 第13回医学連全国大会に日本医大からも久々の代表権参加。大会は46大学全てが参加をし46大学48自治会200余名で行われた。(+医科歯科C・横市C)〔於・東京医歯大第一講堂〕、まず資格審査で加盟日滞納の札医・横市C・長崎・金沢各自治会に対し、即刻或いは早急の完納の宣誓と引き換えに代議員証を発行する。(加盟費は1人年間30円)。民青同系自治会の対案(北大・横市・名古屋・三重)を否決し執行部のインターン闘争方針を採択。民青は日韓強行採決に象徴的に見られた『議会制民主主義』の空洞化の指摘を『民主主義の否定』とすりかえていた。イ闘争以外の大会スローガンは @、国公私立大学の授業料値上げ阻止。A、大学設置基準省令改悪阻止。B、国連協力案=海外派兵粉砕。C、小選挙区制を粉砕しよう。D、米帝のベトナム侵略に反対し、日帝の侵略加担に対決しよう。E、防衛庁・省昇格反対。F、全学連を再建しよう。他にサマーキャンプ主管の長崎大学より、今年からは自衛官の通信・設営等の支援を断り自力で行うと決意表明。民青はイ制廃止へと路線転換。
大会ではヘルと棍棒に蹴散らされた長崎大学館闘争、他学部の先頭に立って寮闘争を闘い他学部の闘争放棄の中で自滅した鳥取大、カリ学則変更を戦いとった京府、民青の指導放棄を乗り越え戦う東北、阪大(前)学4クラスなど生々しい報告が続いた。
議場閉鎖による新執行部15名は3分の2以上の圧倒的票差で中執系が選出された。
選出中執15名 木下信一郎(慈恵)、寺内恒敏(京大)緒方道輔(九大)大渕辰雄(東大)村田恒有(医歯大)佐瀬輝夫(慶大)山下浩志(M4医歯大)上田有子(阪市)片山正一(阪大)佐々木貞雄(関西医)星野征光(府医大)油井泰雄(医歯大)田中紀章(岡山大)志賀洞一郎(岩手医大)池亀信(慈恵)。
互選で委員長に木下信一郎(慈恵M4)、副委員長に佐々木貞雄(M3関西医大)と油井泰雄(M2医歯大)、書記長山下浩志(M4医歯大)が決まった。
再建全学連への動議は総括文書では賛成21、反対8、保留12、棄権4で可決されたが、任務方針では賛成22、反対9、保留15、棄権2で賛成多数ながら採択されなかった。
         (既に革マル系全学連、民青系全学連によって学生運動は分断されている)
採決結果・1日目 賛成・反対・保留・棄権
日韓問題 対案 8・22・10・5 否決  中執案 21・8・12・4 可決
「イ」問題 対案 7・32・6・1 否決  中執案 32・7・ 7・0 可決
イゼミ問題 対案 5・26・9・6 否決  中執案 25・5・12・4 可決
・ 2日目
一般情勢  対案 8・23・13・4 否決  中執案 22・9・15・2 
医療情勢  対案 6・23・ 7・2 否決  中執案 31・7・ 9・1 可決
ゼミ方針  対案 6・23・13・6 否決  中執案 23・5・15・5 可決
サマーキャンプ                中執案 賛成47・保留1  可決

第11回全国医ゼミ宿題レポートに関する位置付けと獲得すべき内容の討論及びレポートの決定。
スローガン採択では「全学連を再建しよう」のスローガンは議案で採択されていないから降ろすべきだとの動議が出たが、賛成14、反対24で否決され次の14項目のスローガンが採択された。
一、仮免法案国会上程阻止 一、医育者は完廃方針を貫け 一、医者づくり懇談会(猿芝居)粉砕 一、青医連42部隊に結集せよ 一、第10回サマーキャンプ(主管校長崎・雲仙)に結集しよう 一、第11回医ゼミ(主管校医歯大)に圧倒的に結集しよう 一、「イ」制即時撤廃 一、国公私立大学の授業料値上げ反対 一、大学設置基準省令改悪反対 一、国連協力法案=海外派兵法案粉砕 一、小選挙区制を粉砕しよう 一、米兵ベトナム侵略に反対、日帝の侵略加担に対決しよう 一、防衛庁省昇格反対 一、全学連を再建しよう

● 6月 ×日 全日本医学生連合/「医学・医療の軍事協力に徹底した痛打を浴びせよ!」文書。

● 6月13日 全日本医学生新聞会連盟(医新連)・23校で結成、第一回総会。東日本支部・順天。西日本支部・関西医大。中央事務局校・日本医大。

● 6月16日 医学連・医者づくり懇談会(於・国立教育会館)へ雨中150名の抗議団。村田恒有君(MD)の指揮により到着すると入り口は30分前から閉ざし、丸キと私服が配置されていた。医学連と青医連は医学・教育関係者へ要望書を提出。

● 6月20日 医学連関ブロ、6・16の総括。

● 6月24日 青医連・医学連初の統一行動、インターン制廃止・無給医局員の有給化等を要求して全国病院統一行動、全国医学部無給医局員対策委員会の呼びかけにより16国公立大学四千名が「1日診療拒否」・集会等を展開。待合室や玄関でビラを配り,無給医局員のただ働きの実情を訴えた.東京では早朝統一ビラ配りを駅頭で行い1965年12月22日のストより規模拡大。イ闘争から医局闘争への様相。
中央統一行動には500名の学友が鉄兜の機動隊の弾圧にかかわらずデモ。
青医連・医学連統一行動、北大医自全日スト・医局スト。東北大集会。福島医大6.24無給医師全日ストの全国統一行動へ参加。新潟大学生授業放棄・全医局全日スト。群馬大医自・全医局と青医連全日スト。昭和・順天・東邦。日医・慶応がスト。
東京医歯大医自・全医局・青医連全日スト・横浜市大・東大医自半日スト、3医局・青医連前日スト。千葉大集会。信州大一部の科で部分スト。京府M4スト。京大全医局・青医連・M4 全実スト・M3,M1半日スト。全国無給医医局対策委員会による国公立付属病院での無給医統一ストと集会。日大集会。名大・医自と全医局全日スト。名古屋大学では540人の医師が「適正医療」の名目でストに入った.適正医療とは,病院の診療には責任のない無給医にさせるのではなく,有給医のみが診療に当たるべきであることを意味していた.名古屋大学の無給医は名古屋駅前で3万枚のビラをくばった.
金沢大で討論集会。阪大・全医局・入局者会議・青医連・M3M4半日スト。岡大では学生実質全日スト、8医局で(無給助手会)の無給医スト、入局者会議青医連全日スト。学生100、計250で集会し100で市内デモ。副手会結成を呼びかけ。鳥取大・労組・看学・青医連・学生で集会。九大スト。長崎大医自の医学部スト。
「16の国公立大学で診療拒否が行われたが,各大学病院の足並みがそろっていたわけではない.東京大学では精神神経科,耳鼻科の無給医だけがストに加わった.医学部の医局は無給医の生殺与奪を持つ教授をトップとしたピラミット構造であり,医局において教授は絶対的権力を持っていた.そのため診療拒否闘争はボスである教授に逆らうことを意味しており,自分たちの現状を変えようとする闘争は,自分たちの医師としての将来をかけた闘いといえた」。
「医学博士の学位をもらうまでの数年間はこの状態が続くことになるが,もし大学に残って教授の地位を狙おうとするならば,この状態は更に長く続くことになる。よほどの金持ちの息子でもないかぎり,過酷なアルバイトをしなければ生活は出来なかった。
 無給医局員は労災や病気の保障はなく,もしものことがおきれば,無収入となって妻子を路頭に迷わせてしまう不安定な立場にあった.文部省の調査によると,昭和41年の国立大学病院の無給医局員は8238人,教授から助手までの有給医局員は4147人であった.全ての医科大学を合計すると有給医局員は1万3000人に達していた.つまり大学病院で働いている約7割の医師が無給医で構成されていたのである.さらに大学病院には2400人の無給の大学院生が診療していたので,大学院生を加えると無給医局員はゆうに8割をこえていた.医局の構造はまさに異常な状態であったといえる.このように無給医局員が異常に多かったのは文部省が予算を出さなかったことであったことが原因であるが,これでは腰を落ち着かせて診療,研究などできるはずはなかった」。ブログ『平成医新』の「無給医局員診療拒否闘争」より。
無給医が全国国立大に8000人居て運動が波及。院内各層との共同で医学生のエリート闘争として国民から浮き上がることを阻止しようと(岡大医学部新聞124号)。

● 6月25日 「青医連42部隊結集を全大学でクラス決議せよ」医学連新中央執行委員長・木下信一郎 全日本医学生新聞45号掲載アピール

● 7月2〜4日 全寮連大会・医科歯科大学友(国府台寮)は全寮連の民青による私物化に対して戦う。

● 7月 ×日 第5回医対会議 14校、無給医の実態を訴える。

● 7月 3日 42青医連期成会議第一回大会。単なる学4のクラス会連絡会ではなくイ制完敗闘争に勝ち抜き、青年医師運動を切り開く闘う青医連をバックアップし、やがては更に乗り越えていく部隊である。

● 7月 6日 岡大・学部長室で教務連絡委員会を開き事前連絡のない学1臨床ガイダンス開始は混乱をもたらしたので、以後は今後学生と教官が教務連絡委員会を開いて十分に討論する方向性が確認された。

● 7月 6日 円山公園で開催された社会・民社・共産と総評などの「7・6ベトナム侵略戦争反対・日米合同委員会粉砕全関西集会」(1万2千人)へ。

             <来日ラスク長官 戦争の使者に抗議 凶暴化した機動隊>
             負傷した学生の話 「このたびのデモに対してとった官憲の態度はあきらかに暴力である。最初から我々学生に対して逮捕するんだという姿勢で切り崩してきた。我々の言論の自由、集会の自由など基本的人権を次から次へとこのようにして侵害してゆく官憲に対し断固として戦い抜きたい。早急に学友の前で事実を暴露し、団結を勝ち取ってゆく。」
              岡大医学部新聞7月21日号 (このとき負傷者実に200名)

● 7月11日 第2回医者懇阻止行動。

● 7月14〜17日 民青全学連第十七回大会(189加盟自治会)・横市医進自治会出席。於・世田谷区民会館。

● 7月17日 民青全学連医学生連絡会議第2回大会。

● 7月16〜17日 都学連 決議部分『イ制反対。医学連の戦いを支援しよう。』都学連参加自治会 東大医・医科歯科大・日本医大。支持自治会 医科歯科教養・慈恵・東医。副委員長に山崎順一(東大医)、中執に村田恒有(医科歯科大)、三吉譲(東大医)。

● 7月20〜22日 医新連(23校、本部日医大)夏季合宿(於・蓼科高原)岩手、女子医、日医、順天、昭和、京大、関西、岡山から17名参加。春の準備合宿では、新聞の歴史、言論統制の実態など新聞運動論的なものが多かったが、今回は開業医の調査、医局問題、スポーツ論など内容的なものへ。
東日本支局を順天に置き東医体を取材して共同新聞を発行すること、、西日本支局は関西医大に置き8月末に合宿を持つことが決まった。

● 7月27日 指導医講習会阻止。

● 7月30〜31日 青医連・医学連・青医連入局者会議共催、医局問題中央討論集会。(於・東京)北村実行委員長。

● 8月1〜2日 医学連臨時大会。(全学連を再建しよう)。

● 8月 4日 青医連臨時大会。

● 8月5〜7日 第10回雲仙医看学生サマー・キャンプ(長崎大医学部・同付属看護学校主管)。全国医学生看護学生サマーキャンプ実行委員会。コースA九千部岳 B妙高岳 C普賢岳。会費3000円。医学連主催。今回、看学連日共指導部参加を拒否。岡大医学部からは27名、内看学生12名参加。新調テントを各校に買ってもらうことでテント準備を解決。
今年からは自衛官の通信・設営等の支援を断り自力で行う。

● 8月5〜7日 看学連第9回全国大会(於・東北大)70名参加。

● 8月8〜10日 看学生ゼミ・700人参加。

● 8月7日 第6回全国無給医対策委員会全国代表者会議。

● 9月1〜3日 関東17校参加。ブロック合宿(箱根)。南ベトナム軍事医療団派遣阻止決議。

● 9月 1日 昭和大当局、9.1発行「医新連共同編集新聞」の「東医体批判」を非難し、焼却。堅実な運営を続ける西医体に比して予算規模の膨張、総得点主義などがり総じて大学の枠組みに組み敷かれることを記事はついていた。

● 9月 5日 南ベトナム軍事医療団派遣阻止闘争・全亜協会へ。

● 9月6〜7日 中四国医学生・看学生美術展。於・岡山県綜合文化センター。(毎年1回中四国5大学持ち回り)

● 9月15日 全国イ連絡会議(於・京大医学部講堂)。

● 9月17日 岡大・寮祭で沖研が「ベトナム」上映、蚤の市の収益をベトナム人民支援に送る。

● 9月20日 医学連秋期第一波統一行動。サブ・スローガンに南ベトナム軍事医療団派遣阻止。
東邦大が全学的動員(全員参加決議)、女子医・群馬が授業放棄。信州大から代表1名上京。文部省前では10分間の抗議行動で1名が不当逮捕。厚生省前での抗議には前もって散水され警官隊の壁の中を抗議行動を許されずに日比谷公園に押し込まれる。全体集会についで各学校別に集会を持って6時半に解散をした。
また、各校代表の抗議団が『医者づくり懇談会』=医者懇 の行われている共済会館に向かい医者懇副座長の美甘義夫氏に抗議文を手渡した。

● 9月20日 岡大・9.20青医連・医学連全国統一行動岡山集会は岡大第一講義室で70名の参加で開催、6月に発足した医者造り懇談会への圧力(2400名有給定員化構想反対)、仮免許阻止の意思再確認、青医連の再構築、南ベトナム軍事医療団派遣反対で提起された統一行動だが、岡大医学部新聞126号は日常的討論の不足がイ闘争を低迷させていると報告している。
スローガン採択後街頭アピールのビラまきを行った。

● 9月20日 東北大・カリキュラム委員会がインターン委員会のもとに初会合を持った。

● 10月 6日 女子医・42青医連結成、自主調整会議参加。6年生67名中40名他大学へ。

● 10月 6日 順天堂・医進1年生、体育学部1年生が全員入寮する習志野体育学部構内、啓心寮で集団しごき事件(土の上に上級生による1年生全員の正座強要)が起こる。

● 10月 6日 京大医学部講堂で41青年医師連合の第4回臨時全国大会が開催され、46医学部中加盟35大学の代表70名が集まり、医学連と共闘して、現在国試ボ決議25校(札医・東北・岩手・福島・信州・東大・医科歯科・群大・慈恵・東邦・順天・女子医・慶応・日医・京大・京府・関西・和歌山・岡山・広島・鳥取・徳島・山口・九大・鹿児島大)を増やしてゆくこととなった。イ制度完全廃止の為闘争をしている全国の医学生を媒介して生まれてきた青医連のスローガン、『イ制完廃・正式医師免許要求』『インターン願書拒否・大学結集』『仮免医制拒否』。後続の42部隊を編成しているところは42校にのぼり19校(信州・東大・医科歯科・群大・慈恵・東邦・順天・日大・京大・京府・関西・和歌山・岡山・広島・鳥取・徳島・山口・九大・鹿児島大)で国試ボ決議。

● 10月 8日 医学連中央委員会(於・慶応)。14校参加。

● 10月8〜9日 全国自主調整会議,46校全てが結集。名大・三重・名市・千葉の4校が「大学結集・願書拒否・青医連結成」の参加資格に失格。

● 10月 9日 全学連(三派)再建準備会で医学連特別報告。準備委員に石井保男(国際学連・東大医)、橋本利昭(京大医)、村田恒有(医学連・医科歯科大)。派遣自治会 群馬医・医科歯科大・医科歯科教養・京大医。 支持自治会、慈恵・東医・日本医大・阪医・京都府立医大・岡山医学部・鳥取医自。

● 10月13日 女子医・寮会、来年度から1年生のみの寮にしたいという教授会決定で厚生補導部長からの案に公開質問状を川野辺厚生補導部長に提出。

● 10月14日 京大医自・マル学同の旗の下、第二挺団でベトナム闘争を戦う。

● 10月15日 女子医大文化祭・講演会「専門職における女子学生の立場」、演者は朝日ジャーナル「大学革命提言への論文」当選者・藤井治枝氏。

● 10月15日 「第11回医学生ゼミナールへの招待」・砂川正勝医ゼミ第一分科会座長の論文。「9回医ゼミまで単なるサークル交流の場や、理論追及の場であったが何をなすべきかという問題意識が全体的に提起された。一方、インターン闘争がトリアス要求(身分・教育・研修)から大衆的に高揚している今、医療労働運動を中心テーマにした。」全日本医学生新聞46号。
同紙には、東大山本健一医師の『新しい科学運動としての青年医師運動の方向』「山健」論文と大映映画「白い巨頭」の大きな宣伝広告。

       医学新としては珍しい週刊誌風な「医局を告発する―知らされずに入局するという悲劇を繰返すな―」特集を46号紙は組んでいる。
「博士号にまつわる聞くも涙、語るも涙の物語」の中から一話だけ「ティテルはいらねえぞと開き直ったお話」を以下に紹介。

       ― 虚々実々、二枚舌の渦巻く医局世界の中で「弱気者の最大の武器」は゛開き直る゛ことである。
医局世界の゛支配原理゛は「餌」である。その典型的なものがティテル(更にジッツなど)である。これは中四国の岡山大学の小医局の実話である。
       この医局では、数年間にわたり、入局者が皆無という状態が続いていた。そこへひょっこり1人の新入局者M君が現れた。大喜びの医局は、M君を隅にも置かない歓迎ぶりを見せた。希少価値の特権を利用してM君は、かねて心の中にあたためていた研究テーマをやらせてくれと申し入れたところ教授は、そのテーマは教室の研究方針とは関係ないので、別のテーマにするよう説得にかかった。一度言い出したら後に引かないM君は頑として譲らなかった。
       遂に教授は、堪忍袋の緒を切って「それならばティテルはやらんぞ」と恫喝した。
       そのときM君少しも驚かず、「ああそんなものはいりませんよ。僕は好きな研究をする為に入局したのですから」。
       驚いたのは教授の方で自由な研究をやってもティテルが貰えず、教室の方針に従った研究にはティテルが与えられるということが事実として宣伝されると今度は自分の首を絞めることになる。そこで手のひらを返したように、M君に対して「どうかティテルをとってもらいたい」と懇願してきた。
       すっかりつむじを曲げたM君は頑としてティテルをボイコットして、<自分の選んだ研究テーマ>に取り組んでいるという。゛
       医局の方では、何としてでも、M君にティテルをとってもらうべく説得これ努める、というマンガみたいな話もある。
       しかし、その中に潜むものは今の近代社会の中に、依然として存在しているギルド制封建社会、゛すもう界゛と゛大学医局゛における武士の刀たる象徴、(医学界ではティテル)を、自ら捨てさるものが出てくる過程から、ギルド社会の崩れ去るのを防ごうとしている姿が、ありありとうかがえるではないか。―

● 10月17日 青年医師連合入居者会議東大支部執行委員会、青年医師連合東大支部執行委員会/「10・21ストライキの支援行動を呼びかける」。

● 10月 ×日 全日本医学生連合中央執行委員会/京大生「山崎博昭君虐殺抗議! 官憲とマスコミのフレームアップを打ち破り、10・21(佐藤サイゴン入り国際反戦闘争)」闘争を成功させよう!」声明。

● 10月19日 医学連・横須賀基地内米軍病院,インターン生募集阻止緊急動員、30名参加。

● 10月20日 医学連・立川・座間基地内米軍病院,前年10月15〜16日に引き続き、インターン生募集に「いかなる義務的実地修練制度も拒否する」立場よりスト破りを阻止。多数が不当検挙さる。

● 10月20日 青年医師連合入局者会議東大支部執行委員会/「10・21国際反戦=10・26東大病院職員組合休暇闘争を支援せよ」文書。

● 10月20日 医科歯科・ベトナム反戦闘争へ学生大会を持って大衆的に参加した医科歯科とその教養。

● 10月14・17・20・21日 ベトナム反戦に東京では東医・東邦を中心とした関東医学生共闘会議が活躍。従来の医学生の政治闘争の最大拠点校として中心的な存在だった東大が不発。

● 10月21日 ベトナム反戦に関西では京都府立医大・関西医大・中心とした大阪医学生共闘会議が活躍。

● 10月21日 岡山大・医進は国際反戦集会の前に始めて学内学部デモをかちとった。岡山大医学部は半日スト。ベトナム反戦統一行動で市内デモ450名へ授業放棄で医学部からも参加。
 '65から始まった米軍による北ベトナム爆撃は益々はげしくなり,ついに'66・8にハノイハイフォンを爆撃し,ベトナムを焼き払おうとした。日本の総評は世界に先がけ,その10月21日にベトナム反戦ストライキを提起した。岡大もこのストライキを国民的包囲によって成功させようと,何年ぶりかの授業放棄闘争で闘った。これが大成功をおさめ450名のデモンストレイションをやり岡山市民にベトナム反戦をよびかけた。このために夏休み明けからほとんどのクラスにベトナム研究会が組織され,集会では20クラスが決議文を読み上げるといった盛り上りだ。

● 10月21日 大阪市大全学スト。

● 10月24日 女子医・大学側から唐突に1年生全寮制にするから、上級生は出るようになど寮規制に対し、学生部・寮生一同のなで公開質問状。

● 10月24日 順天堂・正座事件で開催された懇談会(寮監・寮生委員・医進1年の3者)の場へ医進1年生より『正座事件』の投書が提出さる。

● 10月27日 医学連・イ制廃止を要求し、文部・厚生省にデモ。関西ブロックからの15名を含む75名(女子医20名)で医科歯科から教育会館を議場封鎖し座り込み、医者づくり懇談会の分解を誘う。抗議行動で会場変更した文部省前でも座り込み、遅れて到着した吉川教授と直接団交、機動隊出動で日比谷公園へ、医歯大で総括集会。各校とも文化祭で動員できず。

● 10月29日 日本医大学友会で諸経費をもち「全国私立大學医学生招待討論会」。

● 10月31日 名市大・市大医局員懇談会準備会開催。

● 11月2〜7日 日本医大・大学祭であった『千駄木祭』を学生祭「医学と医療への全体的アプローチのために」として復権。「水俣病」を世に出した写真家・桑原史成の水俣写真を展示。 「千葉大チフス菌事件」の暗部をえぐる企画などを立案した。(日本医大卒の外様医局員がすべての責任を背負わされたでっち上げ事件)との視点。映画『かくも長き不在』(仏)。講演会『健保制度と開業医の立場』川上武(開業医・順天堂卒)、『新しい医学方法論を求めて』塚本哲、『新しい時代の芸術』岡本太郎。

● 11月5〜6日 名市大看学自治会・新病院移転に更衣室がなく邸医療政策による営利主義と実習ボイコット。

● 11月5〜7日 第7回女子医祭・統一テーマ「精神医学」。学生部は「女子医大生の主体性確立と思考性回復のために」討論会開催。高橋晄正先生の「新しい医学への道」、7日には皆川綾先生の「期待される女性像」講演が行われた。他にインターン委員会のイ問題、1年生の「精神医学史」、演劇「女学者」など。

● 11月 6日 青医連第四回臨時全国大会〔於・京大〕、インターン制完全廃止実現のため来年度国家試験ボイコット等の闘争方針決定。25大学参加。

● 11月 ×日 全日本医学生連合中央書記局/「11・30登録医制国会上呈阻止医学連統一行動へ向けて」文書。

● 11月15日 女子医だ学生新聞・熊本大学長等の女子大生締め出し記事に対し特集記事「女子学生亡国論から現状大学を考える」。

● 11月15日 東大主任会議へ「三項目」要求提出。

● 11月19日 青医連43結成準備会発足。(於・慶応)32校加盟。

● 11月20〜23日 第11回全国医学生ゼミナール(医科歯科大主管・於総会:九段会館)に全国から参加。『イ闘争至上主義の克服を』。ハウプトテーマは「医療労働運動の創設を」。600名参加。高橋良彦氏講演。20日には九段会館に近接し皇居横・近衛連隊旧兵舎で「学生運動の梁山泊」といわれ、朝日ジャーナル誌でも紹介された学生寮・東学館(東京学生会館)で建物取り壊しによる強制代執行があり、医ゼミ総会場で救援アッピールがなされ、支援部隊が皇居田安門からはいいって向かった。
第1、第2合同分科会 <政治・経済・階級情勢とこの中における医療情勢の分析>世界から日本に及ぶ、全般的な情勢野中での医ゼミレポートの位置付けと、その方向性を明確にすることで冬レポートの問題意識を頭に踏まえながら、それを全般的な情勢の中で、再度捉えなおす作業を行う。第1分科会 <医療労働運動の現実> 過去数年にわたるインターン闘争の大衆的高揚の中で医学生は現在の医療の根本的矛盾であろう大学病院の営利化と医療機関の独立採算制を軸とした合理化と低賃金、、さらに一般的に低医療費政策といわれるものに起因するこをを確認した。
また具体的に大学病院内部で拠点を築きつつある青医連は明確に自らを医療労働者だと規定し、、医療情勢の全体的変革を他の医療労働者との共闘、統一戦線の問題として実現しようとしていることを再確認し、、更に理論を推し進める。第1分科会の宿題テーマ。A 医療資本の蓄積過程と医療機関の独立採算制下の機能。 B 医療労働者の医療誌本に対する対応。 C 医師層の分析女子医大…{イ}闘争中間総括に基く「青医連}運動の中間総括と運動。 第2分科会 <医療運動の有効性と限界性の追及> 昨年度の諸々の医療運動を徹底的に分析する作業を更に緻密化し、その有効性と上限性を明確にし、特に医療運動を位置づけることである。
第1分科会 <医療労働運動論> 今回の医ゼミの中心テーマである。個別病院内である「賃労働と資本」の関係を明らかにし、医師層の運動の分析を行う。
第2分科会 <医療運動論> 医療運動の有効性と限界性を追及する。
第3分科会 <医学論(医学・医療のあり方)> 全体的人間の医学を追及する。
第4分科会 <医学教育研究体制> 現在の医学教育研究体制を分析し、その問題点を明らかにし、医学教育の視点を明らかにする。
第5分科会 <自由研究会> サークル運動論やフィールド活動の方法論も討議され、サークル、研究会の研究発表も行われる。

● 11月20日・MD学生・市川MD国府台寮生など東学館強制立ち退き支援に決起。

● 11月24日 青医連結成準備会。

● 11月 ×日 イ闘争、自主調整会議。

● 11月 ×日 徳島学4クラス会。人数、カリ、国試ボ、医師としての研修を受け入れさす。

● 11月25日 反戦青年委員会主催の集会に青年医師が多数参加。医学生も。

● 11月26日 医学連関ブロ・(於・慈恵)

● 11月29〜31日 青医連・医学連・全国統一行動。無給医局員の有給化を要求して全国12大學で診療拒否闘争。

● 11月30日、福島医大で授業放棄。

● 11月30日 東大スト決議、3日間の授業放棄で「同意書」調印。

● 11月30日 医学連関西ブロック、登録医制国会上程阻止統一行動、二百名参加

● 12月 1日 MD・自主管理権闘争で@、研修医身分。A、人数300名。B、自主カリで無期スト突入。(賛130、否0、保10)

● 12月 1日 青年医師連合東大支部/「研修医三百を全面受諾、青医連東大支部、東大病院に対する団交権確立、青医連・学四学生大会無期限スト突入から事態一変、団結して二年目研究体制確立、更なる前進を」。

● 12月3日 医学連関東ブロック、全国医学部長・病院長合同会議阻止統一行動、700名が東京医歯大に結集、隣接の順天堂大までデモ、合同会議に団交を要求して坐り込み、会議は仮免許医制度決定できず。
同日、東大医・東京医歯大でスト中。

● 12月 8日 慈恵・スト権確立し、8日期限で交渉。

● 12月9日 医学連統一行動参加の関東ブロックの学友は全国医学部長、病院長合同会議阻止行動。700名で医科歯科に結集し隣の順天堂までデモ。合同会議に団交を要求して座り込み、会議は仮免許医制を決定できず。
同日、東大・医科歯科大でスト。

● 12月14日 東大・自主カリキュラム提出。

● 12月16日 国鉄運賃値上げ反対市川デモ。国府台より国鉄市川駅まで200。MD・Pと日本医大進学課程が参加。駅前でカンパ活動。

● 12月17〜19日 全学連(三派系)再建結成。医学連より山下君(MD)を中執として派遣。

● 12月20日 名市大・昭和40年(1965.11.15〜1966.11.14)自治会総括項目。@新入生からの実習費徴収問題。A9項目諸要求。Bインターン運動Cカリキュラム委員会。D文化・スポーツ活動。E名簿問題。F機関紙発行。  会計収入173,450 支出172,489

● 12月22日 南ベトナム軍事医療団派遣阻止闘争。

● 12月28日 MD・学生大会で教授会の第二次回答書受け入れ28日間のスト解除、敗北。


 

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