医学生史上、これまでになくインターン闘争が再燃。

、1962年同大学生協組織部に入り、一時四谷支部常任理事、1965年慶應大学学費値上げ反対闘争で全学副闘争委員長をし、全国初の大学バリケード闘争、全学集会での方針決定という全員参加の民主化闘争をし、自主講座運動に加わる。1966年慶應義塾大学医学部卒、41青年医師連合慶應支部長、小児科医師連合慶應支部長
都学連再建大会・東大・MD等参加。委員長に今井澄君(東大医3年)

● 3月 ×日 日本医師会・年度事業計画に「イ制廃止の検討を開始する」の一項目が加えられた。

● 3月20日 日本医師会武見太郎会長がのインターン制度廃止論を新聞が掲載。

      5月、医学教育制度委員会・全国国公私立大学医学部長会議・日本学術会議第7部   
         会医療制度委員会が各々インターン制度廃止の検討を始めた。医学部長会議で現行イ制度廃止決議。

● 5月25〜26 全日本医学生連合。第十回定期全国大会〔於・東京医歯大〕、現行インターン制度拒否を宣言(=インターン声明)TRIAS要求。@、教育の充実A、身分の保証B、経済の補償を決議。インターン闘争の開始。斉藤芳雄君(東大医)が議案書を書く。活動総括は書記局案と対案の何れも採択されなかったが、活動方針は書記局案が採択された。イ制度存続か廃止かは闘争過程で結論を出すこととし、当面はインターン制度反対ということで統一闘争を結び、当面の方針としては@、全国的な資料を収集して反対理由を明らかにする。A、待遇改善要求闘争を全国的に行う。B、医師会医学部長会議と接触を続ける。を決定。

● 5月31日 京大医自治会戦民青に勝利。京大自治会正副委員長選挙、法・経・教・薬・農は民青同系、文・理・エ・医は社学同中心に反日共系が当選

● 5月31日 「日韓会談・ポラリ−ス潜水艦寄港・ポポロ事件判決に反対する全国学生総決起統一行動」で都学連今井委員長(東大医が検挙さる)。

● 5月 ×日 医学教育制度委員会。・イ制廃止の検討を開始。全国国立大学医学部長会議は37年度総会決議を確認した。更に@、各大学は医学教育を整備してイ制に代わる教育を実施するという線に沿って学部教育充実を計る。A、学術会議その他の団体と連絡をとって足並みをそろえ厚生省にあたる、を決議した。

● 内科画廊
Naiqua Gallery
慈恵医大のインターン生だった宮田國男は、父親の死によって相続した新橋駅前の堤第二ビル3階の医院を貸画廊とし、内科画廊(Naiqua Gallery)と名付けた。1963年5月のハイレッド・センターによる「第六次ミキサー計画 物品贈呈式」を始め、閉廊の66年2月までに約125の展覧会が開催され、飯村隆彦、オノ・ヨーコ、篠原有司男、三木富雄、観光芸術研究所(中村宏、立石紘一)ら、ジャンルを超えた多くの作家の発表の場となった。また、当時の読売アンデパンダン展に代表される反芸術の傾向をもつ作家が多数参加した中原佑介の企画による「不在の部屋」展も、63年7月に同画廊で行なわれている。

● 6月13日 東大医自治会選挙で社学同系勝利。

● 6月15日 京府医大・「原子力潜水艦寄港阻止全関西学生層決起集会」(神戸)へ京都府学連1600と共に貸し切りバスで参加。

● 6月20日 大阪市大医学部が大学管理法反対闘争、改憲阻止闘争で半日授業放棄。

● 7月20日 厚生大臣の諮問機関である医師試験審査会の実施修練部会・「現行の実地修練制度がその目的を達成するための具体的右方策を検討」を続けてきたが7月20日、実施修練制度改善方策についての「意見書」として小林厚相に答申された。即ちその中で具体的改善方策を次の五項目に要約して提案した。@、実施修練訓練施設を指導体制の充分期待できるところに厳選する事。A、実施修練の内容を改善する事。B、実施修練者の身分と業務上の責任を明確にし、実施修練者を病院の組織に取り込みやすくすると共に実施修練者の生活不安定を徐越して実施修練に専念させるようにすること。C、実施修練施設に対する国の助成措置を飛躍的に強化すること。D、国試の内容を再検討する事。

● 8月 ×日 厚生省は改革草案を出し、@、に対しては指定病院を国立を中心とする大病院に限定して整備。A、は答申案通りで、無免許医師の取り締まり強化。B、はイ制の3分の2に対して月学1万円、総額2億6千万円貸与、実施修練には施設に対する財政援助強化に指導手当ても含めて総額2億5千万円。計5億1千万の予算を計上するとし、D、は検討する等を明らかにした。

8月6日、原水爆廃絶運動は被爆者を置き去りに、原水禁・原水協に分裂。 

● 9月18日 東大M4は全国の学友へ呼びかけ。@、実施修練部会意見書を、イ生の生活保障なしに実施することに反対する。A、実施修練期間中の生活資金としてつき2万5000円要求。B、生活保障がなされない場合には、実施修練部会意見書の実施が中止される迄、イ願書の提出を拒否する。
● 9月 ×日 名大の無給医が全国の無給医に呼びかけ,大学医局の無給医の全国的組織ができた。
● 9月 ×日 全日本医学生連合中央書記局/「インターン問題を医学生のヘゲモニーのもとに解決するため全医学生は九・二一厚生省デモに参加せよ!!」声明。
● 9月21日 医学連第一波三百名、インターン制反対で厚生省に白衣デモ。「イ生に月25000円を支給せよ! イ制を廃止せよ! 全医学生は9・21厚生省デモに結集せよ!
於参議院会館挨拶に立った武見日本医師会長が毒舌を披露した。医科歯科の清水教授が全国医学部長会議の報告をした。
鎗田謙二医学連中央執行委員(東京医大)をはじめとした代表数名が厚生省医事課長に面会し、インターン制度改革の要求を伝えた。

● 9月21日 医学連300、インターン制度反対で白衣デモ・東京医大生12名が参加。

● 10月13日 医学連全国自治会代表者会議、インターン制反対闘争、願書保留・国立病院ボイコット等を決定自主調整・願書統轄・凍結を決定。

● 10月 ×日 厚生省・20名通達(大学たたき出し)、「大学病院といえどもイ生採用は20名以内とせよ」

●  ×月 ×日 MD/池沢康郎氏の論文 「インテリゲンチャ運動論序説」(63年)。

● 10月 ×日 学術会議医療制度委員会・9月の学部長会議でのイ制廃止という運動方向を支持することを確認した。

● 10月17日 医学連・医学連は明示大学で行われた都学連の「全都学生総決起集会」へ参加。東大医の今井君(都学連委員長)からゼネストの提起があった。社会党岡田春男代議士の講演。樺美智子子さんの母親である樺光子さんの「東欧・中国から帰って」の話もあった。外国代表では「インドネシア人民の戦い」を留学中のダラス君、「朝鮮人民の戦い」を朝鮮青年同盟代表が語った。

● 10月30日 医学部自治会代表者会議・「厚生省直轄の国立病院ボイコット」「イ願書保留」を決議。

● 10月31日 医学連・医学連は明大に於ける都学連の「日韓会談・ポラリス潜水艦寄港全国統一行動」へ参加。

● 11月3日 医学連拡大中央執行委員会・言明「20名通達は正にイ生の無給労働力を国立病院を中心とする大学病院に重点的に配置して、教育内容向上という名目の下に労働強化を徹底させ、医療合理化をさせるものに他ならない。」イ関与予算・厚生省案5億1千万は4700万に削られた。

● 11月14日 関東ブロック「イ」委員会に全校(16校)参加して正式発足

● 11月15日 医学連インターン闘争、中央集会〔清水谷公園〕に全国三十一大学代表・関東ブロック学生二千名参加、のち厚生省にデモ。20名の代表、厚生省内に。

● 11月15日 医学連インターン闘争・関西ブロック学生が京都に550人参加。

● 11月22日〜24日 第9回全国医学生ゼミナール 医学連主催(岡山大学医学部自治会主管) 1963年第9回医ゼミ総会では竹内芳郎氏(哲学者)講演(1924〜・著書に「サルトルとマルクス主義」他多数)。同志社大の西村豁通教授の福祉国家論。講演録より「国家独占資本主義の社会政策」。医学連史上・質的な転換期といわれる岡山での医ゼミとなった。
岡大と広島大以外から600名の参加。初日にケネデイが暗殺され23日の朝、医学生が投宿していた古びた旅館街は騒然となる。医ゼミを境にインターン闘争が大きく盛り上がり自主調整が着々進む。

● 11月25日 医学連臨時大会(於、岡山大)・厚生省改悪案撤回を要求し、願書保留、国立病院ボイコットを決議。その後、全国46大学の大部分が、無期限願書保留闘争始まる。

● 12月 ×日 北大・学4でイ問題クラス決議。1〜3年クラスが支援決議。

● 12月4〜6日 医学連・全国学4イ委員会議はイ病院(国立病院を除き) 志願調整を行った。

● 12月10日 医学連、願書提出締め切り第一次突破、願書保留。第二次全国統一行動が行われ、中央交渉が持たれ社会問題化さる。

● 12月16日 朝日訴訟の朝日茂さんのアルバムを水落理氏が上海市衛生局に中華医学会上海分会副会長である王希孟先生を訪ねて手渡す。中国医学会の支援に対するもの。

● 12月 ×日 10人委員会発足。

● 12月 ×日 社労委・イ問題を取り上げる。




● 1月 ×日 岡大学4イ委員会結成。イ制には不満だがそれをどのようにすればいいか分からぬ中から11月16日に大学たてこもりを決定し、イ制の歴史と戦いの中からイ制度廃止に持ってゆく 第一段階があったと分析。

● 1月12日 全国イ委員会連絡会議・「@、願保は1月20日第2時締め切りを突破し、1月31日まで続行する。A、1月25日には全国医学生統一行動を各ブロック、各大学で展開する。B、これ等二つの戦術を軸に、医師試験審議会、実施修練部会、国会社労委、マスコミ等に徹底的に書かせる。C、厚生省に対する団交、関係諸機関(審議会・厚生省・学部長会議・医師会・医学連等)の合同会議の実現に努める。D、イ生連合を結成し、イを含めたポストグラジュエイトの教育、医局制度、医療体制の核心を目指す」を決議。

● 1月20日 医学連・願書提出第三次締め切りを突破。朝日、毎日、読売が一せいに報道。テレビや週刊誌もインターン生の実態から、無給医局員の現実の姿まで伝え、厚生省案とインターン闘争の経過を詳しく報道。

● 1月25日 医学連第三次全国統一行動、中央集会〔日比谷野音〕には関東甲信越ブロックの1500名参加、新橋まで白衣デモ。「厚生省案完全粉砕!実施修練の抜本的改革案阻止!低医療費構造打破!」

● 1月25日 医学連行動にあわし医療誌検診議会と実施修練部会の合同会議が開催され、事態終止の意見書が厚生省に出された。「イ制の根本的改善について審議する協議会」(通称12人委員会、あるいは10人委員会)の結成を決定。

● 1月26日 医学連と厚生省の会見は決裂。

● 1月28日 平民学連、IUS書記局に電報で石井保男全学連中執(プラハ駐在・東大医)の解任・全学連除名を要請、平民学連の加盟を申入れ

● 1月29日 医学連と厚生省、医療教育関係者の三者会談において、医療教育関係者から『今後は学生に代わって積極的にイ制度の根本的改革を図ってゆくから』との調停案が示され、願書保留戦術は第二次締め切りを突破したが、解除されることが決定。

「イ性は我々が根気よく改革してゆきますから」と医療教育関係者から申し入れがあったからといって、願書保留を解いてしまってはならないのである。我々はあくまでもイ闘争を闘う主体であり、われわれが主体的に闘うことによってのみ、医療教育関係者、医療担当者をわれわれの側にひきつけることが出来るのである。そうでなければ彼らのいう改革なるものの内容がいつのまにか厚生省の中身に変わらなくなってしまうのである。このことは、今迄我々のイ闘争が盛り上がるまで、彼らが何ら根本的対策をこうじなかったことによって如実に示されている。(岡大医学部新聞 1964.3.21 99号)

● 2月 1日 医学連・願書保留の解除指令。各ブロックのイ委員会から一斉に発表。医学連は某医学図書出版社のご好意で「全国インターン志望病院自主調整名簿」を作成した。

● 2月 ×日 教育担当側・病院側・厚生省・文部省の各代表10人よりなるイ制の抜本的改革のための協議会が発足した。

● 2月 ×日 医師免許を持ちながらインターン制度により無給で大学医局で働かされることへの医学生・医卒者の不満蓄積は医師試験審議会が厚生省に『大学の医学過程を卒業した直後に医師国家試験を行い、合格者に免許を与える。但し、独立して開業をするものにはさらに一年間・教育病院で実地指導を受けることを義務付ける』と答申したことでついに爆発。全国46の医学部・医大卒業者が『全国医学部卒業者連合』(医卒連)を結成への動き。

● 2月22日 岡山大学3年・学4目前に各グループからイ委員を選出し、初会合を持った。

● 3月 ×日 卒後研修関係予算が国会で正式に決定。要求額5億1千万円に対して、2185万円。

● 3月 5日 10人委員会・第一回会議。@、イ問題に関する検討法。A、実地修練との関連に於ける医学教育・医療制度内容。現行イ制は無意味で改善の見込みがないから廃止すべきだという意見が多数。

● 3月10日 医学連中央委員会(於・医科歯科大)昨年イ闘争の社会問題化に成功、日韓会談を帝国主義的再編と捉えて反対運動に取り組むことを決定。イ闘争においては方針明確化をさける。
イ制の行動方針.@、直ちにイ制度廃止のスローガンを出さずにあくまでイ生の生活保障の予算化を厚生省に要求する。A、厚生省の行っている国立病院中心の医療合理化を阻止するため国立病院ボイコットを引き続き行う。の2点にしぼり国民大衆や労働者とともに低医療費政策打破のために戦う。
日韓条約の締結は日本帝国主義のアジア侵出の端緒、東南アジアの新植民地化であり、医学連も全日本の労働者とともに、学生運動の統一を闘う中で日韓会談の粉砕を組織化する。

● 3月24日 ライシャワー事件勃発。精神衛生法第29条による措置入院の強化、私宅監置から病院への流れが世論誘導される。

京大 1963年の医学部入学が上野勝輝さん。橋本利昭氏は、1964〜65年 京大同学会副委員長(3回生)。そのときの委員長は赤軍にいった高原浩之氏。

● 4月 ×日 医学連は願書提出。国立病院ボイコット貫徹。

● 4月 2日 名大で初の全国無給副手会が開かれ、「全国医学部無給医局員対策委員会」発足。
全国無給医代表者会議が開催され15大学の代表50人が参加。

● 4月 8日 自民党・社会部会にイ問題小委を設け検討事項の骨子を発表。@、大学の医学教育修了者に医師免許を与える。A、しかし大学卒業後一年間は主治医、開業医、死体検案書等重要書類の作成もできない。B、主治医、開業医になる為には、医師として一年間、厚生省指定病院で実地修練をして開業医試験に合格し、開業医免許を取る事。(自民党仮免案)

● 4月24日 自民党・イ小委員会社会部会会長に実地修練制度に関する答申。@、現行イ制度の廃止、卒後直ちに国試・仮免。A、実地修練は6年間の教育課程に繰り入れる。その措置を急速に講ずる。B、国試は前期基礎医学、後期臨床医学について行う。C、奨学金についての配慮が望ましい。

● 4月 ×日 学術会議第7部会(医学)、イ制廃止の勧告案をまとめたが、総会での結論を秋に持ち越し決定。

● 5月23日 十人委第二回会談に厚生省別案が提示。@、医師になろうとするものは大学の医学課程を含めて卒後国試に合格し、厚生大臣の免許を受けねばならない。A、医免を受けた後、最低一年以上厚生大臣の定める大綱に従い診療に関する実効の研究を受けねばならない。尚、この場合厚生大臣の指定した病院に於いても当該病院の指導を受けるのでなければ医業を行うことができない。(イ制存続改善案)=仮免構想。

● 5月 ×日 イ連合結成。

● 5月 ×日 福島医大・専門4年生がインターン委員会を組織。

● 6月6〜7日 医学連第11回全国大会〔東京医歯大〕、45大学150名参加、平民学連系のインターン闘争放棄に批判集中、社学同系が中執多数派掌握。イ制完廃路線を敷く。
イ制完廃、国立病院ボイコット、医師一律免許要求、大学立てこもりを決議した。国の制度を認めないという画期的な方針である。中執案24:10:10で可決。
東北・名大・北大の修正案に賛成6(医学連委員長に斉藤芳雄君・東大)中執提案通りインターン闘争を半合理化闘争と位置付け。運動方針としての『インターン制度完廃』『正免要求』が次回大会まで各校において追求する事が決定。
東京医大より中央執行委員に小穴康功君(学1)、中央委員に工藤龍彦君(学2)が選出された。


11回大会では、南ベトナム軍事医療団派遣に関する反対決議をとり、インターン闘争の国試ボ・大学結集戦術により、米軍病院(相模大野―陸軍)(横須賀−海軍)インターン生募集に日大M4の全国提起による実力阻止行動を取っていった。

● 6月13日 都自代・7月上旬都学連再建を確認。群大連署、有志で東大・MD。

● 6月14日 東京医歯大教養・東大の医学連委員長斉藤芳雄君が昼休みに学生ホール前で医学連に結集して戦おうとハンドマイクでアジ演説。

● 6月16日 全日本医学生連合中央書記局/「医学連書記局通達」No.1

● 6月24日 全国医学部長会議声明・「我が国の現行インターン制の実情に鑑み速やかにこれを廃止し、尚大学医学部(医科大学)卒業生に対しては卒後直ちに医師免許証を授与すべきである」とし、イ制度廃止を決議。

● 6月29日 医学連臨時大会・「イ制」完廃=正式一律医師免許を要求する」を北大等の「存続改善」を採決取り直しの末一票差で破り決議す。戦術として、@、大学立てこもり、A、願保の二項目を可決。
中執案への北大医学部新聞(民青)の理解は「@インターン制度は教育制度としては形骸化し、国立病院などの労働収奪に利用されてきた。日本帝国主義は現時点では医療への膨大な投資を行うことが出来ないから、存続改善は望み得ない。A厚生省の現行インターン制度廃止、新たな改悪案に対立するスローガンになりうる。B医師層を学生、実地修練生、主治医の如くに分断する政策に反対する政策に反対する等の要旨で『インターン制度完全廃止=正式一律免許を要求する』を提案。」とある。

● 6月29日 全日本医学生連合/「インターン制」完全廃止決議にもとづく要望。

● 7月15日 医学連・南ベトナム援助に関する抗議文発表。

● 8月 ×日 順天・山形村にセツル診療・調査入り。

● 8月 ×日 第9回医・看学生大山国立公園サマー・キャンプ(鳥取大医学部・同付属看護学校主管 医学連・看学連主催)。全国医学生看護学生サマーキャンプ実行委員会。
大仙での開催にテント等の装備設営、輸送に自衛隊を導入。

● 8月22日 長崎大医学部新聞の軍事医療団派遣反対の論説に弾圧・。(岡大医学部新聞106号掲載)長大医学部新聞『ぐびろヶ丘』の記事、学内医局から医師4名、看護婦2名の南ベトナム医療団派遣に対して他民族抑圧の尖兵となるなという記事に同窓会へ配るな等の直接妨害が大学側からあり、退部勧告までなされた。

● 9月10日 平民学連・「全学連債権の呼びかけ」北大・東北・名大医自等連署。

● 9月15日 医科歯科教養・原子力潜水艦横須賀寄港反対デモに参加。

● 9月23日 医学連臨時大会・於医歯大。願書提出拒否・大学立てこもり、及び4月以降の「医卒連」構想を決定。組織原則として、@、自校立てこもりA、若干の調整B、米軍病院ボ を決議。朝10時から夜半過ぎまでイ闘争の報告と闘争戦術で白熱。

大会は「中執提案である大学たてこもりに対して、、大学側の収容能力が無いこと、学生側でも他の機関に出てみたいこと、経済的問題で大学に居られないことなどを理由として、これに反対する大学が私立大学や、中央からはなれた遠隔地の大学(東医・慶応・女子医・横市・名大・名市・徳島・鳥取・広大・山口)などにみられ、これに対する賛否は非常に激しい討論となって現れたが、中執提案に対する採決の結果、九大・東北大・名大・東大などの修正案を否決し、中執案は過半数賛成(24票賛成、16票反対、6票保留、神戸は賛成)で採択された。これにより、卒業後も大学にたてこもりながら願書提出拒否を最大限行うことになった。
    また米軍病院インターンにおいて、この病院は米国の医療制度の中の存在であるが、厚生省が日本のインターン一年終了と同資格と認める点、米軍病院インターンを日本のインターン制度が排除しない限りにおいて、これも日本の定医療政策に組み込まれたものであると結論した。がすでにこれに提出された願書は全国で66(神戸1名提出)の多きに達しており、インターン制度完全廃止のため、日本のインターン制度をボイコットしていくという全医学生の統一した運動に対し、明確な分裂行動をとっているこれらの諸君に願書撤回運動を呼びかけることになった。
    「大学たてこもり」では国ボのときのように学生が1月末から全国に散る状態を防ぎ、46大学にのみ結集してゆく状況が作られ、全員大学において互いに願書未提出を確認しあいながら願拒ができる。これによって、厚生省が進行させている国立病院を頂点とする「厚生省ヒエラルキー」に強固にその組みこまれを拒否することが出来、これに対決することが出来る。また四月以降は、組織的結集として「卒業者連合」(仮称)を設け、現4年生が全国に散る状況を最大限防ぎ、46医学部にだけ結集し、その内で学校側と交渉し実質的内容をかちとり、今後の医局闘争の展望を切り開いていくことが出来る。このようにわれわれが遂行しようとしている運動は、戦後18年もの長きにわたって放棄され、反対にその矛盾を被覆されていた悪制度を根本から改革しようとしているのである。
(神戸医大新聞 1964.10.21)

● 9月25日 医学連全国統一行動。東京で1500名がデモ。

● 9月28日 東大医自・東大医本館に自衛官が侵入、医自60名が機敏なスクラムで食い止める。自衛隊中央病院婦人自衛官養成所の制服自衛官でトラックに分譲してやってきたもの、大学当局は曖昧な態度に終始した。

● 10月 2日 医学連関西ブロック・800名でイ制反対の統一デモ。神戸大200余り参加。

● 10月 9日 8人委員会・厚生省への最終答申。@、現行イ制は廃止する。A、大学に於いて正規の医学課程を修めて卒後国試に合格した者には医師免許を与える。但し、独立して医業を行うためには、卒後特定の病院に於いて、最低一年間義務的訓練を医行わねばならない。B、これと平行して、学部教育の充実及び教育病院における教育の向上をはかる為教官及び教育、診療設備を充実させること。C、上記の施策、特に国試及び研修方法等の具体的実施については更に専門の審議会にはかると共に、上記の施策を実施する為、政府は指導要員、受研修者の処遇をも含め必要な予算処置を講ずること。

● 10月11日 医学連関西ブロック会議・於大阪医大。大学たてこもり戦術に対する具体的な闘争段階に入り、討論はそこに要約された。京大は医学生が「イ」の低医療労働にあくまでも反対するとの立場から実地修練までも拒否するような形態でなければならないとし、阪大においては準医局員みたいな身分で大学内にたてこもりロティテング方式一部くみ込みを主張した。
次いで全国情勢も大方、大学病院たてこもり戦術態勢が整いつつあるとの報告がされた。

● 10月13日 医学連全国自治会代表者会議、インターン制反対闘争、願書保留・国立病院ボイコット等を決定

● 10月13日 岐阜大・学生会と学友会(後の同窓会)は合同総会を開催し第2内科後任教授辞令の撤回及び教授会の構成と運営の改善を求める決議を行う。

● 10月14日 同日の新聞によると、八人委員会は名目「イ」制度廃止、実質的に存続の答申案を厚生省に提出し、来年の国会に提出する構え。

● 10月15日 医学連・東京では日比谷の集会に2000名参加。イ制廃止を決議し厚生省に抗議デモ。

● 10月15日 北大・白衣デモ。学生大会では、インターン制度完全廃止、ω卒業と同時に正式免許の交付、等の要求を決議し、約280名が白衣による街頭デモを行った。

● 10月15日 神戸医科大学(後の神戸大)・午後1時半より200名の白衣デモが校旗と横断幕を先頭に「インターン完全廃止」、「一律医師免許要求」、「医師法の一部改悪反対」のスローガンを掲げ、大学から元町、三宮までデモ。

● 10月15日 福島医大、医学連の全国統一行動へ学生大会で参加。

● 10月 ×日 医学連・願書提出拒否宣言。

● 10月 ×日 岡大・学1有志の「自然科学概論」読書会が始まる。

● 10月21日 神戸医大新聞主張「巨視的カリキュラム改革論」抜粋。

「また、卒業時国家試験を行う考えらしいが現行国家試験は、戦時中の医師乱造に対その粗造を阻止する目的のために設けられ、インターン修練中に得たと思われる知識の再整理をめざしていた。しかるに戦後20年間、インターに於ける教育の目標は不定のままにされてきたため、この制度は不必要な教育価値しか有しなくなってしまった。(これを厚生省は改善しようとせず、むしろ安上がりの医労働力として利用してきた。)当然の成り行きとして、国家試験も価値なきものになりきっていたわけである。イ制廃止を唱えながら卒業時に、国家試験を行うという考えがどうも解せぬが、あえて考えるならば政府は大学に於ける教育は価値なき、信頼ならぬものと考えているのであろう。政府がめざす医学教育の目標が我々大学、学生側の医学観と異なるゆえ試験によってそれを吸引しようと考えているのだろう。」( 神戸医大新聞 第48号)


● 10月24日 第一回全国インターン委員会連絡会議。この会議に於ける学4交流会を始点として関東ブロックの活動と、4回にわたる全国会議を経た願書拒否医卒連結成。

● 10月25日 岐阜大・付属病院玄関前で13日の決議によりハンストと授業放棄に突入。

● 10月30日 岐阜大・教授会、学生会と共に紛争解決にむけ四方博学長に裁定を依頼。

● 10月28日 全日本医学生連合書記局/「願書提出拒否の実力闘争で厚生省案粉砕・イ制完廃を勝ち取ろう インターン出願を一括管理し出願拒否体制を常時点検せよ」―インターン出願拒否宣言(「医学連書記局通達」より)。

● 10月29日 原潜寄港阻止抗議集会。東大医(SSL内ML)授業放棄。

● 10月29日 金沢大医学部・スト。

● 10月30日 学術会議・イ制完廃を満場一致で決議。

● 11月 1日 岡大大学祭で来岡の中野重治に20人の学生が暴行、同行の正木ひろし弁護士にも間違えて暴行。自治会連合会が呼び、学友会学生がタクシーを取り巻く学生からすくらむで学生会館まで誘導路を作りおくる途中に襲い掛かる。反対学生は「中野は帰れ」とのビラを貼り講演阻止に出たもの。(中野重治氏は同年共産党を除名になっている)

● 11月 ×日 医学連・私学連絡協議会・討論資料発行。

● 11月6〜7日 国立大学医学部長会議、「@、イ制廃止後の改善策としての実施修練不足が考えられるので、イ制に相当する教育を学部教育に組み入れるか、希望に応じて臨床各科で一定期間に実施する制度を設ける。A、国試に関しては原則として卒業と同時に医免を与えるべきである」の2項を決定。

● 11月8日 岡大・第6回学内開放祭 基礎と外来診療4会場で20000人見学。統一テーマ『予防医療』。

● 11月12日 医学連統一行動。岡大学4クラス会、『イ願書』提出拒否を決定。

● 11月12日 岡大・アメリカ原潜佐世保寄港抗議に岡大からも参加。

● 11月15日 医学連インターン闘争、中央集会〔清水谷公園〕に全国三十一大学代表・関東ブロック学生二千名参加、のち厚生省にデモ

● 11月15日 徳島大・中四国ブロックゼミを50名で開催。

● 11月16日 岡山大・学4イ委員会。第二段階として方針としての「大学たてこもり」体制を、自主的実地修練・自主カリ編成でほしょうするインターン教育の再検討し具体化してゆく。更に1月16日に至り厚生省通達の願書提出期日(1965年3月31日)を突破し、願書拒否を行う方針を決定し、3月16日の医卒連岡山大支部結成大会では育英会奨学金ボイコット、さらに「願拒」が長期化するならば保健所実習をもボイコットする方針を決定して、5月中旬に予定されている「医師法一部改正案」(所謂仮免医師法)に対決する姿勢を示した。
この第二段階までの目標を要約すると、 @、イ制完廃。 A、医師正式免許・卒後直ちに付与。 B、厚生省仮免に反対し国会上程を阻止。
すなわち、この三つの目標を持ち、実現手段として「願書提出拒否」「大学たてこもり」の二つの闘争方針を軸として医卒連岡大支部を結成し、4月突破を行った。

● 11月19日 平民学連、IUSに大会への代表派遣と平民学連代表を唯一の日本学生代表と認めるよう打電(27日(東大医学生)国際学連石井中執より代表出席は九対一で否決と入電)

● 11月21日・岐阜大医学部。四方裁定が下されて医学部内の運営と意思疎通の改善などが図られ学園紛争は終結。

● 11月21〜22日 イ問題全国討論集会(於、京府)400人参加。テーマ @、低医療費政作、A、公的医療機関の整備、B、医療整備計画、C、保助看法改悪、D、自衛隊の分析、E、日赤の分析、F、医学教育、G、大学医局、H、イ制度改悪の分析


● 12月 6日 都学連の再建声明、東大医連署。

● 12月 中旬 厚生省・国会に医師法一部改正案件(厚生省仮免) 、即ち@、卒誤直ちに国試を行い、一年間の厚生省指定病院で義務的実地修練制度を設ける。A、病院指定校は厚生省が持ち、指定病院外の医療行為は処断するを上程した。  

● 12月13日 民青「全学連」再建大会、スローガン部分「低医療費政策に反対し、イ生の身分、経済生活、勉学条件の改善。保助看法改悪反対」

● 12月16日 岡大・医進シンポ。進1・進2、両クラスからの実行委員会で医進カリの検討。

● 12月18日 都学連再建準備会結成大会の基調報告・MD連署。

● 12月21日 米原子力潜水艦寄港に反対する。岡大新聞会声明 106号




 

return to the top1965-1966