● 1月 1日 全学連意見書日本共産党の危横と学生運動″(責任者 香山健一)発行
東大・石井 暎禧氏の述懐 60年安保闘争時に医学連書記長として参加。病院勤務のかたわら65年の第二次ブント再建時に政治局員。地域医療研究会世話人、日本病院会常任理事・医療制度委員長、中医協(中央社会保健医療協議会)委員などを歴任

 「とにかく五九年一月に僕は共産党細胞・ブント細胞のLCになる。そしたら四月にはもう医学連の書記長になっちゃった。医学連は各大学医学部自治会単位の加盟でね。それぞれ非常に組織率が高くて、加盟していないのは自治会もってない慶応の医学部とか、ほんの少しだけ。日大も医学部自治会なかったかな。医学連の幹部はだいたい拠点校が出すんだけど、東京の私学だと日医(日本医科大学)が拠点で、東邦(東邦大学)がたまに出したり出さなかったり。面白いことに北海道の拠点は北大じゃなくて札幌医科大だったんです。そこから下りてくると、東北は福島医大。東北大は弱くてね。ずっと下がって千葉大でしょ。東京医科歯科大でしょ、それから東大、慈恵医大、京都府立、岡山大……。
 医学連というと全学連の一部みたいに安易に扱われるけど、医学連として医学生ゼミナールなんてのをもってるぐらいだから、かなり独自です。大規模に全国ゼミナールやってたのは医学系と教育系だけでしょ。その後の学生運動の展開を見ても分かるけど、医学連には非常にクラフトユニオン的な色彩があるんです。将来の職業が決まっているというのは大きい。教育系もそうでしょ。でも教育系は学生運動やってパクられると将来にひびく。でも医学部の場合は、そういう気遣いがぜんぜんない。逮捕歴あっても関係ないもん。だから余計にクラフトユニオン的色彩を強めたのかもしれない。売り手市場なんだな。文部省のもっていた国家統制力みたいなものが、医療の分野には及んでいなかったんです。」

● 1月8〜9日 医学連中央委員会 連絡が悪く定足数に達せず、中央執行委員会として開催。第4回国際医ゼミが流れたため、場合によっては日本で開催も検討された。具体的な折衝のため、石井保男書記長を国際学連に歯検査売ることになった。
浅井副委員長の辞任(日医)、榎本(医歯大)の就任、伊藤(東大)中執の辞任が認められた。

● 1月20日 論説・日米安保条約改定案の狙い「自主性回復の裏に深まる対米従属化」医歯大新聞。59号

● 1月31日〜2月1日 医学連第二回中央委員会・

● 2月 4日 MD自治会規約改定。教養部自治会が独立。

● 2月16日 医学連・勤務評定粉砕まで共に戦い抜くビラ「日本労働運動の先頭に立って戦い抜いておられる先生方に!」を日教組臨時大会で配布。

● 2月25日 東大・石井保男君、全学連代表として、3月31日卒業予定直前に卒試を半ばに羽田空港よりプラハの国際学連に向け出発。同君は当時医学連書記長。

● 2月28日 医学連・安保改訂反対国民大会へ参加(帝国主義復活強化を目指す安保条約改定反対! 岸反動政府を倒せ! )。

● 3月20日 日本医大・前自治会委員長、江田君等被告6名に砂川事件無罪判決。<合衆国軍隊の駐留は憲法第9条第2項前段に違反し許すべかざるものであり>従って<刑事特別法第2条の規定は憲法第31条に違反>。刑事特別法事件で安保条約を違憲とする画期的な伊達判決だ。

● 3月 ×日 石井保男君'67年まで国際学生連合(IUS)副委員長を務める。'68年9月まで引き続き日本全学連代表としてIUS本部書記局に常駐する。

● ブント書記局員に東大医の三菱沢徳太郎 多田靖 両名が「労対」として入る。

● 5月1日 日本医大・社学同日医大支部、メーデー・スローガン 『日本帝国主義の強化を許すな! 日本の核武装、自衛隊の増強を阻止せよ!警職法の再提出を許すな!岸帝国主義内閣を打倒しよう!今、直ちに神宮外苑へ!

● 5月3〜5日 医学連第6回全国大会〔於・東京医科歯科〕、25校参加。安保改訂阻止をメインスローガンに決定。第5回大会以来の5・15エニウエトク環礁水爆実験阻止!国際医ゼミと安保闘争等の方針決定。委員長・池澤康郎副委員長・(医歯大再)榎本稔 書記長(医歯大再)・石井暎禧(東大)吉岡信一(岡大新中執)。中執に丸茂(医歯大新)。医学連から送り込むぜったく。全学連中執には乾達君(日本医大)。医学連の国際学連准加盟承認さる。当面の行動方針は安保改定阻止へしぼられ、5・15が提起されたが、取り組みは時間的に無理の声多数。

● 5月3〜5日 全セツル連大会・書記局案の「生産点の中へ」案で紛糾。全国セツルメント連合大会が早稲田と西武労政会館で持たれ、200人のセツラーが全国から集まった。全セツ連書記局は全学連の方針に同調し、今までどおりの日常活動さえすればいいという考え方を改めて、セツルの基本的任務として、平和と民主主義の運動を発展させようと呼びかけ昨秋行われた連合委員会代表者会議では目的遂行の為には生産点(労働組合)に入っていくべきだと提案をしてきたが、今回は書記局がその発展の上に立つ全てのエネルギーを生産点の中に注ぐべきであり、それこそが真の平和と民主主義をもたらす原動力であり、そのためには各部(法律相談、児童文化、栄養部)活動中心は否定されるべきだと提案した。
これを巡り、分科会、連合委員会、総会の三日間を通して、氷川下(東教大)、新宿(早大)、川崎(東大)の三セツルがことごとく対立し激しい議論が交わされた。新宿セツルは書記局案を全面支持、氷川下セツルは一セツルの目的は地域の文化、、経済的要求を取り上げ、改良主義の枠内で大衆の啓蒙を進めるものとしてゆずらず、一方川崎セツルはこの真っ向から対立する議論に関し、改良とか革命とかとかいう政治の枠をセツルという大衆団体に課するべきではなく、それは各セツルのイデオロギー闘争にゆだねるべきで各部の活動を否定してはならないと批判した。
一方地方のセツルはとくに目新しい発言もなく菊坂セツル(東大)、亀有セツル(東大)から出されたセツラーの意識的成長の場として各部活動の必要性を説いた消極論などが目立った。明年東大の北町セツルが生産点との結び付を掲げて地域転換論を唱え、解消する動きと相まってより、積極的に平和と民主主義を築き上げようという意欲と各セツルの苦悩がまざまざと写しだされた大会風景であった。
(取材記事・医歯大新聞会1959.5.20 第64号)

● 5月10日 全看学連(全国看護学生連盟)は前年8月に結成され労政会館で第二回総会を持つ。京都の書記局が不便で医科歯科大に移管。1、空きの医学生ゼミナール看護学生分科会を成功させよう。1、給費800円を再要求しようy。1、地方ブロックの確立、強化。1、自治権の確立などを整備。の要求。

● 5月12日 医ゼミ懇開催。MD第二臨床行動で全学連・全看学連・歯学連・医学連のゼミ実行委員、四者懇談会が開かれ、松江実行委員長(千葉医)から日程が発表された。今回の特徴は総会を医学生、歯学生、看護学生と分けたことでハウプトテーマは「日本の医療制度の諸矛盾」。
三者の連絡を充分にすべく池澤・丸茂(医学連)飯島・金山(歯学連)、林田・東大看学(看学連)の6名を選出した。

● 5月13日 MD・C 11日のクラス会、そして13日の学生大会の後に100名で市川市を国府台から市川駅までかつてない静かなデモ。

● 5月14日 日本医大・安保改定阻止学内抗議大会。☆自衛隊の核武装と海外派兵をもたらす安保改定を阻止せよ!

● 5月15日 医科歯科大、安保改定反対で授業放棄! 日本医大でも学生集会。全学連は6000名を動員。1名検挙に座り込みで抗議、警視庁へ数十名の抗議団。

● 5月20日 第5回医ゼミへ・医科歯科大九実行委員会と千葉大実行委員会の間で懇談会。、

● 5月24日 第5回医ゼミ発会式。・東北大が事態の為、急遽千葉大へ移管。医科歯科大・千葉大に医学連池澤委員長など20数名出席。

● 5月21日 歯学連大会開催・本年事務局東歯大。対外行動なし。

● 6月5日〜8日 全学連第14回大会。議長人事で主流派220票、反主流派130評票。所謂階級闘争路線。学生を中間層と規定することとの決別。医科歯科から中執に医4の池澤康郎君(医歯大)。医学連からは石井保男君(東大)

● 6月6日 医学連拡大中執委・5日〜8日の全学連第14回大会の安保改訂阻止へ全力を!に同調決議。

● 6月20〜21日 第7回民医連大会・焦点定まらずに幕。総会を麻布公会堂、分科会を日本青年館で行った。綱領に1、国民の要望にそう親切なよい診療に徹しよう。2、国民と手を結んで医療と健康を守ろう。全日本の1%の診療をするほどに成長。理事会提案の経過説明書は具体性に書ける。又もっと民医連は綱領に則り階級性を打ちだしてゆくべきだとの声有り。

● 6月23日 MD・自治会機関紙「自治」創刊。

● 6月25日 東大・医科歯科大、安保改定に対し学生大会成立。医科歯科大は40名が全学連の第三派街頭闘争に参加。日本医大で学生集会・スローガン (造兵学科の復活を許すな!軍機保護法復活反対!安保条約の改定・調印を阻止せよ!自衛隊の核武装計画を阻止せよ!岸帝国主義内閣を打倒せよ!6・25学生・労働者の総決起で安保改定を阻止せよ!

                  暴力の やから騒げば
                  輸送車は 地軸をゆすり
                  法守る 聖なる怒り
                  精鋭の 胸にたぎりて
                  出動は 怒涛の如し
                  ああ力 我等機動隊
               
                朝日新聞1959.7.26・「機動隊出動の歌」より

● 6月 ×日 日医・氷川下セツル保健部(日医、お茶の水、教育大)からゼニン菊坂セツルに移り氷川下セツル保健部は消滅。

● 7月 4日 関東医学新懇談会・於順天(当番校)。東医・日医・MD・順天・横市・千葉・慶応より20数名の参加で関東医学生新聞懇談会が開催。

● 7月4〜5日 都学連大会が秋に延期。(解説>このように都学連大会が混乱をしたのは、現状分析の視点の異なる二つのグループ、即ち現在の最大矛盾を、東西陣営の対立とみるグループと、資本家階級と労働者階級の対立とみなすグループがあり、更に後者の中にも二つの異なる理論を持つグループがある。この三つのグループの理論的な対立が根本であるがそれぞれのグループが主導権を握ろうと争い、議長が自派に有利に議事を運ぼうとしたり、不利と見ると欠席戦術に出るなど、派閥的な動きをする分子があり、これが混乱に導いた直接の原因であろう。大衆闘争の中で学生運動を有効に組織するうちに学生自身の論理が確立されるのであって、いたずらに派閥的な動きをする事は学生不在の学生運動と非難されるのみであり、学生運動を破壊するものである。空虚な論争の中でなく、現実の闘争を行う中で真実の学生運動を確立しなければならない。
(医歯大新聞会1959.7.20 第65号)

● 7月28日〜30日 医学連・全国医学生サマーキャンプ。福島医大主管、乾達中執(日本医大)総責任者。於、裏磐梯。【1960年5月医学連大会議案書の部分 未掲載】バス7台で34校400名参加。学校別にバンガローに宿泊、キャンプファイヤーが医学連書記局の挨拶の後に開かれ、お国自慢やダンス。29日歯磐梯山登山。各校自治会が5・15集会、原水爆禁止世界大会、医学連ゼミ、を中心に学内活動の報告。各校新聞界がキャンプを批判し、医学連ゼミの取材を検討する連絡会。医学連新聞による医学生生活を語る座談会も持たれた。30日は閉会式のあと「又来年会おう」と再会を約して別れた。

● 8月3〜5日 歯学連の第一回サマーキャンプは日大歯主管で軽井沢で昨年阪大歯主管に倍する9校150名の参加。

● 8月 6日 MD自治会・広島大会に池澤・玉井(医1)塩谷・河村(教養)を派遣。又新聞会も共同デスクに3名を送った。 
原水協は政治課題にも取り組む路線に転換し、安保反対を表明。

     ● 8月25日 国立高田病院で看護婦に「出産制限」という人権侵害を加えていたことが暴露され、医科歯科でもアンケートをとると@、通勤結婚を許可して欲しい。93 A、勤務交代を正確に。78 B、白衣靴下貸与希望。74 C、看護婦定員の確保要求68 D、法的に守られた組合希望 72 E、研究会の改善要望。68 F、婦長の選出の要望。64
池澤医学連委員長の話・民主主義を貫く為には、私たちの権利を擁護する為には働く人たちが団結することはどうしても必要だし、憲法にも保障されていることです。看護婦会がこの問題を取り組んだのは当然であってできるだけ援助をしていきたい。

● 9月3〜6日 第二回全日本歯科学生体育大会。

● 9月 6日 医学連・全学連・日教組・支援労組と共に上野で行われた道徳教育指導者講習会阻止を戦う。日本医大の東副委員長ほか2名が暴行を受けた上、逮捕された。

● 9月 7日 歯学連中央委員会・歯ゼミ。歯学部よりも歯科衛生士学校の自治会加盟数が多くなってきたこと、歯学連の規約改正など、活発に話されたが結論は出なかった。

● 9月 9日 医学連・伊勢湾台風災害救援に全学連・看学連・全セツ連・松川対・私学協・全生協などと共に東京本部を医科歯科自治会に置いて医療活動。三重・名大・名市大など現地の学友に東大3名・医科歯科7名・日本医大2名・慈恵4名・千葉大医の学友が参加。愛知県当局が圧迫を加える。学内カンパは東邦、東医、昭和、女子医、順天、千葉、三重、名大。
名古屋大ではCを中心に「安保か、救援か」でし真剣な議論。
【1960年5月医学連大会議案書の部分 未掲載】

● 9月18日 MD・砂川事件伊達判決支持・安保改定阻止統一行動へ医科歯科大30名、都内4箇所から6000名が求心デモ。学生1000名は清水谷から警官の足で蹴るなど挑発にのらず日比谷公園まで行進。夜に入り8時から夜学連800名がデモ。

● 10月 1日 国鉄学割値上げ、9月30日、全学連がスト指令。

● 10月 9日 伊勢湾台風災害救援・医学連から派遣された医療班第一陣は東大、日医、医科歯科の8名。9日の早朝に名古屋につき早速名古屋市瑞穂区の名大桜鳴寮に荷物を解く。ところが現地は日赤、YMCA、社会党、民医連、自衛隊、保健所、名大などの医療班が入り乱れて開設をしており、横の連絡はなく新規参入を拒み、9、10と空しく過ごした。池澤さんの交渉で大阪民医連の協力を得て南区の千鳥小学校付近に診療所を仮設。サラシに「全国学生被災者救援隊・大阪民医連合同医療班」の旗を立てる。昼頃鉄舟に乗って戸別診療を開始、舟をこぐのはどこからか現れた共産党の4人。途中、自衛隊の船とすれ違うが双方ともニヤニヤ笑うだけ。救助に左右の対立もないらしい、、、。(医歯大新聞会取材、)。

● 10月 5日 福島医大学生、入学時寄付金増額反対で後援会に抗議行動、後援会流会。

● 10月 ×日 医学連第一回中央委員会・【1960年5月医学連大会議案書の部分 未掲載】11月から年末にかけて

● 10月11日 看学連・中央執行委員会。医ゼミへの取り組みが強まる一方、看学連が発足して未だ一年足らずなのに伊勢湾台風被害救援への涙ぐましい健闘が伝えられる。

● 10月18日 中国・四国医学生美術連盟結成(岡山)。

● 10月30日 安保改定阻止・岸内閣打倒全学連全国総決起中央集会、中央集会〔日比谷野音〕に1万人、医学連参加。

● 10月30日 MD生協発足へ学生大会決議。生協は1948年施行の「消費生活協同組合法」により規制されている。安保改定反対闘争への呼びかけ、全都の学生1万が参加した「全国学生安保改定阻止総決起中央集会」には58名が参加をした。激しい雨中を整然と進む学生に待ちゆく人は温かいまなざしを向けた一方、文部省前などでの一部ジグザグデモをするのみで不完全燃焼に終わらせた学連(全学連)指導部へ激しい参加者からの批判の声も有った。

● 10月30日 千葉大医・1000名を結集した完全なストライキが戦われ、デモが行われた。

● 11月 1日 第5回関西医学生ゼミ(阪大医学部主管)。

● 11月14日 歯学連主催「映画と講演の会」。

● 10月11日 看学連・中央執行委員会。

● 11月20日 第1回ソ医研ゼミ。

● 11月22〜24日 医学連・第5回全国医学生ゼミナ−ル(千葉大)46大学1000余人が参加。ハウプトテーマ「日本の社会保障の諸矛盾」。25校医学新で共同デスク。総会講演、大河内一男教授「日本の『貧困』と社会保障」。吉田秀夫教授(医療保障制度の諸予算について)ほか。医ゼミ副委員長・吉川武彦(千葉大)。
第5回より第9回(1963)まで「医療制度の」諸矛盾についてを主テーマとした医ゼミの中で、社会保障批判という社会科学的視点を確立していった。初日開会式と総会、中日7分科会、終日自由研究分科会・総会と閉会式。分科会は労働者をテーマにした企画が多くなる。

● 11月22〜23日 夜間に医学連拡大中央委員会(第6回医ゼミ主管、神戸に決定)。

● 11月27日 医学連、全学連・島成郎らの指揮の下に反安保闘争の前哨戦を行う。「国会突入時には、これも石川信義と共に国会の横柵を越え、正門の鉄扉を叩きつづけた。いずれも島成郎の信条に共感した行動であった。論理を越え、自らの行動をもって、亡びゆかんとする人間的情念を呼び起こす魔性こそ、島成郎の本質だった。」(広田伊蘇夫)。
『議会制民主主義の幻想を打倒する初めての戦いだった。』(1969.11.11全日本医学生新聞)。

       石川信義・日本で全開放制の精神病院を作った。群馬県太田市の三枚橋病院でおこなわれた全開放の病院づくりは『心病める人たち──開かれた精神医療へ』(岩波新書)
広田伊蘇夫・『精神病院〜その思想と実践』(岩崎学術出版社)、1981年 広田伊蘇夫・戸塚悦朗編:『日本収容所列島〜精神医療と人権T』亜紀書房、1984年   広田伊蘇夫・戸塚悦朗編:『人権後進国日本〜精神医療と人権II』(亜紀書房)
● 11月27日 日本医大・26日の学生集会決定で安保改定阻止国会周辺デモへ。

● 11月27日 安保改定阻止東大医学部スト。

● 11月27日 安保改定阻止医歯大・20名デモヘ。全国650箇所350万人が参加。国会請願団4万人、そうこうしゃを乗り越え労働者と学生2万人が国会に突入。
同日、教養自治権が侵害される。『単位の話しがある』との名目で篠塚学生課長が学生全員を会談教室に集め学生大会は全員参加の義務があるから出るように。本日の国会デモは違法であると圧力。紛糾し、見解の相違があったと代議員会で収捨。

● 12月 9日 MD・午後5時から第九次統一行動前に自治委員会は新聞会の協賛の下に安保改定阻止国民会議の総評国民会議次長の岩垂寿喜男氏、社会党元衆院副議長の原彪氏、新日本文学会の窪川鶴次郎氏を招いて『安保批判講演会』を持った。84名の学生・職員が9時まで聞き入った。

● 12月10日 岡大法科,教育,農学部,医学部の各自治会は連絡協議会をもち,話し合い,年内にもといわれていた岸の渡米を阻止するため,12月10日の統一行動にとりくんだ。1週間クラス・オルグ,研究室討議がくりひろげられ,当日は全学300名の学生が街頭デモに加わり,前年度の警職法をうわまわる闘いとなった。

● 12月10日 日本医大・安保改定阻止学内集会を持ち第九次行動デー。
同日、全学連1万人が国会へ。

● ×月 ×日 京大・1953.11.12天皇京大訪問事件で解散させられていた、全学の学生自治組織である"同学会"再建準備委員に今泉正臣(医)がなり再建された。2000.10.17に逝去した安保ブント書記長「島成郎君とお別れ会」実行委員会(代表 古賀康正)に今泉正臣氏の名前が見える。







● 『日本の夜と霧』(1960)大島渚監督の学生運動を総括した「日本の夜と霧」は封切4日目に松竹によって上映中止に追いやられた。直後の女優小山明子との結婚式は上映中止に対する抗議の総決起集会のようであったという。大島は京都大学法学部在学中、後に防衛大学校校長になった猪木正道に師事。学生運動で活動し京都府学連委員長を務め、1951年(昭和26年)の京大天皇事件や、1953年(昭和28年)に松浦玲が放校処分になった荒神橋事件等に関わっている。1932年(昭和7年)3月31日 - 2013年(平成25年)1月15日。

● 1月1日 共産同(ブント)中央機関紙「戦旗」創刊

● 1月13日 阪大医学部自治会室で大阪府学連・兵庫県学連・和歌山大・立命館大自治会等八大学(阪大・市大・大阪府立女子大・大阪学大・神戸大・神戸外大・和歌山大・立命大)自治会が懇談会を開き、全学連の民主的運営と臨時大会開催を求める声明を出した。

● 1月15日 全国医科大学自治会代表者会議、午後1時東邦大学医学部に多くの代表が泊り込みで16日羽田闘争を戦う。(札医・横浜・京府医大など上京)。全学連に出向の石井暎禧(東大医)、島成郎(東大医)の指示で指揮をとる。【1960年5月医学連大会議案書の部分未掲載】

● 1月16日 全学連の羽田空港闘争をMD新聞会が取材。夜11時アジ演説に700の学生の士気上がる。レストランへバリケードを造りたてこもった学生に警官隊が突入し、流血。見物のボーイが『学生なんてチョロイや、ざまあみろ』と怒鳴る。年配の職員が『気の毒に今日はもう勉強も出来まい、俺の息子もあんなになったら大変だ』とつぶやく。未曾有の78名逮捕、21名起訴さる。『国民共闘との戦いの中から逸脱した戦いは一定の成果を認められながらも、戦術面で反省が行われている』と編集部注。
同日・MD社医研からも羽田闘争参加。

● 1月23日 東京女子医大と医科歯科大で永川下セツルに保健部を設立の話し合いがMDの病理微生物実習室でMDの連絡責任者榎本君ら17、看学5、紫茗1、女子医2、日医2、永川下診療所1、菊坂セツル1の29名で持たれた。

● 1月26日 MD教養にも新寮建設要求で当局5名と学生26名が会合。

● 1月×日 医学連臨時大会 「日本の医療・医学教育制度の中での明確なイ制度の位置付けがイ問題解決に不可欠である」「体制及び、社会の根本的変革を追及しない限り医療従事者の解放も有り得ない」という見解が出された。

● 1月×日 札医大15人を含む150の北海道学友「一六の羽田」へ出発。羽田へ!羽田へ行こう!

● 1月16日 東大医・全学連の岸首相渡米阻止羽田デモを支持し参加。日本医大自治会も年頭アピールで参加を呼びかけ。 【5月医学連大会議案書の部分】。
医歯大社医研が安保デモに参加。

● 1月18日  全学連唐牛委員長ら76人が東京地検に送検。《東大23,早稲田6,中央3,日本医大3,明大2,その他の大学39人。76人が拘置請求を受けたのはメ−デ−事件以来のこと。》

● 1月28日  全学連、新安保条約批准反対第1次統一行動に札幌医大などが全日ストや授業放棄、全国50カ所で数万人が参加して集会、デモ。

● 1月31日 阪大を含む関西の全学連反主流派八大学自治会、関西自治会懇談会を大阪大医学部自治会室で開催、全学連中執の闘争指導を非難し国民会議の統制に服するよう共同声明を発表。

● 1〜2月 MD社医研・厚生白書の読み合わせ。 セツル誕生をめぐる討論。

● 2月 6日(土)MD自治委員会総括作業。34年度自治委員会の総括が行われ、昨年一年を通して闘われた安保問題を中心に岩久委員長以下8時間にわたり、国会デモ、羽田デモを主要話題に語り合った。両デモに本学自治会も積極的に取り組んだが、結果として全学連が独走しすぎたのではないかという意見もかなり強かった。だが戦術面の拙劣を認めても羽田デモの岸政権に与えた打撃を高く評価するというのが多数の意見であった。
また冬期休暇中に各家庭に送られた自治委資料については多数の悲喜劇を生んだがこれからもどしどし出すという結論を得た。安保の批准闘争については試験中から取り組む。
大学祭についても自治会側の強力な指導と連携の上に創造的に形態で行うことを決め、第一儀的に学生の満足を中心として組むことにし、学友会各部の活発な活動が期待されるゼミナール形式をとろうとの声も高く、新しく選出された準備委員会側と、徹底的な討論を組んでゆこうとの声が一致して採決された。

● 2月 8日 MD教養部代議員会・『安保阻止小委員会』を設け全学連の全面支持を可決。委員長小野重五郎氏(1A)ら代議員14名が春も活動。

● 2月 9日 社学同全国大会。

● 2月12日 医科歯科大学社学同結成さる。

● 3月 5日 MD教養部自治会・『安保改定批准をどう戦うか』学生大会。春休み闘争体制へ。

● 3月16〜17日 全学連第15回臨時大会・280名の代議員、700名の評議員・傍聴者を集めて目黒公会堂で開催するも、反主流派は別個に大会。MD、東大、日医など多数派は主流派に参加、安保闘争方針を決定。医学連も同調。

● 3月19日 全学連・医学連、国民共闘の安保改定阻止第13次統一行動に参加。全国で500万決起。

● 3月 ×日 金沢大医学部、南町を多数で安保反対デモ。

● 3月 ×日 MD社医研・中佐の件で代々木病院と交渉。

● 4月 5日 MD・全学連統一行動へ。

● 4月 9日 MD・教養と全学拡大中央委員会開催。

● 4月 ×日 東大・石井 暎禧 医学連書記長に。

● 4月15日 日本医大・5年クラスを中心に国会請願へ参加。

● 4月15日 MDも全学連請願行動に参加。全学連3000名、国会へ。警官は暴行を加える。

● 4月16日 医学連は全学連の旗の下、社共の国民会議焼香デモを弾劾しつつ戦闘的にデモ。

● 4月20日 医学連・安保改訂阻止白衣デモ。東大、医科歯科220(内教養100名)、東邦、慶応、慈恵など400名。白衣を着ていたからこそ4・15のような警官の暴力に合わずにすんだが、群がる警官の中での請願は何か悪いことをしているかのようだ、との一学友のコメントを医歯大新聞が掲載している。折からバスで出発する社会党議員団にシュプレヒコールで見送ったところ浅沼委員長はバスの窓を自ら開けて応える。

● 4月23日 国会正門前に行こうとする全学連を、地下鉄線国会前を停車させないなどして追い散らす。MDなど参加。

● 4月25日 MD・生協設立準備会が満場一致で代議員会で決まる。

● 4月26日 全学連全国ゼネスト、北大・札幌医大がストとデモ。全学連全国で約90校、20数万人がストや自主的な授業放棄で参加。医科歯科大50名国会へ。11時50分、東大医学部、農学部約250人が旧チャペルセンタ−前に到着、国会正門に向かおうとして警官隊約300人ともみ合い。学生続々と集結歩道を埋める。4時頃までに東工大、お茶の水大、教育大、学芸大、横浜国大、早大、明大、中大、慶応大、日本医大(20)、女子美大、社会事業短大、千葉大及び高校生約200人等が集結。
医学連は全学連の旗の下、「エセ左翼のドグマに毒たれることなくデモ「国会へ!国会へ!」。お焼香国会請願に対して戦闘的なデモ。
同日、大阪市大医学部授業放棄。
『4.26から6.15に至る戦いにおいて国民共闘会議における二つの論争こそが問題にしなければいけなかった。』(1969.11.11全日本医学生新聞)。

● 4月26日 MD新聞会取材・全学連の労学連帯行動、全都3000の学生が参加。砂川判決支持、安保体制打倒。

● 4〜7月 MD社医研・「社会保障」(大河内一男編)読書会。この間は安保闘争で6月15日、部員が官憲により不当逮捕され、また重傷者が出た。救援活動に参加、社医研としてのサークル活動は一時中止に。

● 5月 1日 MD・働くものの祭典、メーデーに6名の学友参加。学生の参加と中小企業の参加が目立つ。

● 5月3〜4日 医学連第7回定期全国大会、全国から30校代表90名が参加し(未加盟の京府・東薬・及び神戸医・大阪大学医学部を含め)全学連の全面支持、安保五・一三ストと国会デモ等を満場一致で決儀。(於・衆議院第2議員会館)
昭和医大加盟。これで加盟校は40校になり、未加盟校は6校となった。委員長に松江寛人(千葉)、副委員長に山口君(神戸医大)と丸茂君(医歯大)、書記長に石井暎禧(東大)、会計に玉田君(医歯大)。書記局は前年に引き続き医歯大に置き書記局員に医歯大の沢登君(中央委員兼任M1)、斉藤君(M2)、花田君(D2)が決まった。
第一日目。各校報告に次いで書記局から59年活動総括と国内ゼミ方針が出され討議、採択された。
論議は安保問題に集中した。
【信州大】・一体今にも安保が通らんとしているときに何をしなければいけないかを考えると国民共闘のやりかたで本当に安保が阻止できるか疑問に思う。
【医歯大】・共闘ということは空間的・時間的に同一の行動を起こすことではなく、同一の目標に向かってそれぞれの可能な限りの力を発揮して戦うことだ。
【札幌医大】・ただ統一することが重要なのではなくて、相手にどれ位の打撃を与えれることが出来るかが重要なのだ。
と、国民共闘の戦わぬ方針に多くの不満が出た。
【岐阜医大】・また、国民会議のやり方には不満だが地方都市だと戦う組織がそれしかなく、実際には医学部独自の戦いが出来ない。
という悩みも聞かれた。
二日目も安保に討論が集中し、全学連を支持し安保条約批准阻止で最後まで闘うことが決定された。国内ゼミは正式に神戸医大と成り、ハウプトテエマが『医療制度の諸矛盾』となった。分科会はテーマ別であるが自由研究分科会が重要視され、特に科学方法論シンポジウムがもたれることとなった。

● 5月3日 歯学連第4回全国委員会大会は東歯大で開催、歯学連ゼミは医歯大、委員長に日大歯の黒木正昭君、副委員長に医歯大の佐藤君、書記局は日大に移された。

● 5月×日 日本医大・自治会満場一致で5・13国会へ決定!4.26には清水谷(全自連)へ行った若干の学友もそのばかばかしさに今度こそ国会へ!と満場一致決定。

● 5月4日 東大医11対1で自治委員会・5・13国会デモ決定。

● 5月9日 全学連書記局〔5・13南部工業地帯5000の労働者と共に国会包囲に断固たて!〕

● 5月13日 (全学連書記局通達―5・13に決起し、延長阻止から批准阻止への展望を切り開け!)

● 5月13日 安保阻止全学連全国総決起、東京ではチャペルセンター前に都内学生四千名参加、国会正門に向けてデモ、のち中央集会〔日比谷野音〕に都内学生五千名参加、東京駅までデモ。
同日、日本医大自治委員会・医科歯科学部・教養各自治会・東大医学部は機関決定で国会デモ。

● 5月19日 北大医学部・札幌医大がストとデモ。

● 5月19日 医歯大、学友会やお茶祭が会議を取り辞め、20日衆院通過の報に学友50名がデモへ。統一行動の最後まで40名が残る。19日朝、政府自民党は松葉会・義人党等数百名を国会議事堂に入れ安保批准の審議打ち切りと会期延長を強行したのだった。

● 5月20日 大阪府学連は、安保改定阻止大阪府民共闘会議の下で、六〇年四月以降連日のようにストライキと街頭デモ。20日も4500名。大阪市大は医学部を含む全学部スト。

● 5月20日 医学連は国会へ、300名の白衣デモ。北大・札幌医大なども札幌2000名のデモに参加。東京医科歯科大200名、日医大70名は全学連主流派へ。
同日、医歯大は緊急学生大会を開催。雨の中16次統一行動へ参加。6万労働者、2万学生がデモに参加。

● 5月20日 医歯大新聞75号論説・「 (三) 言うまでもなく、一年有余にわたって展開されたこの安保闘争は戦前、戦後を通じ、真に国民の間からもり上った政治闘争である。現在、十九,二十日を軸に国民の多数の統一された勢力は増大しつつある。請願行動が単にそれだけでは一つの限界に達したといわれる現在、最も期待されるのは二十六日、六月四日の短時間ゼネストである。この盛り上がりが基礎をつくる。我々はそれを中核として進まなければならない。
一部学生、労働者の中には最終段階に入った安保闘争に対し、「これが通ってしまったので一切はあしまい」という一面的な情勢分析にまだまだ陥っているし、統一行動にヒビを入れかねないような過激な行動を指導している人もある。しかし、それは真の革命の要素、大衆の盛り上がりと連帯を無視した行動であって、統一の真の力を信じない分子のおちこむ焦燥のルツボに過ぎないであろう。我々は大衆の一員として、この統一行動を守り、つねにこれを引き上げていく努力をつづけていかなければならない。いかなる障害はあろうとも、これこそが大道であることをうたがわない。我々は今後もこうした線を軸として進む。読者諸氏のご叱正、ご支援を希望します。」

● 5月25日 群馬大学医学部学友会も授業放棄を決議

● 5月26日 医学連、岸内閣打倒・国会即時解散を安保粉砕へ!東京15万の労働者と共に国会へ!東京医科歯科大100名、日医大10名は全学連主流派へ。

● 6月 3日 6.4ゼネスト医歯大全学総決起集会・看護学校・衛生士校・技工士校生徒や教職員なども含めて200名近く集まる。
 
● 6月 4日 医学連は全学連指令で「6・4全国学生ゼネスト・国会デモで、労働者階級の政治ゼネストを爆発せしめよ」のスローガンの下に国労支援に尾久、東十条駅の配置に向かう。参加校は東大C・法政と医学連の日本医大・医科歯科(60)・慈恵・信州医等の1500、全体で5000となり警職法闘争時の3000を上回った。
総評・中立労連傘下の52単産400万人が動員されたが、戦後最大規模のストにもかかわらず、乗客とのイザコザが全くなく、労組と学生の乗客説得班の演説は乗客から拍手で迎えられた。

● 6月 4日 大阪市大全学は安保スト体制へ、医学部はストを組みえず。

● 6月 4日 医歯大60人・全学連主流派安保デモへ。

● 6月 4日 日医大80人・全学連主流派安保デモへ。

● 6月 4日 昭和医大70人・全学連主流派安保デモへ。

● 6月 5日 千葉大医・安保闘争で自治会医療班を吉川武彦君らが組織。

      ● 6月10日 全学連反主流派・都自連や総評5000人は羽田でハガチ−米大統領新聞係秘書の乗用車を包囲、海兵隊ヘリで辛くも脱出。
6月13日、警視庁は東京教育大や法政の自治会室を捜索。

● 6月11日 MD・文化人のデモに医葉大教職員50余人も参加。

● 6月13日 日本医大自治会ビラ。 事態収拾の欺瞞性を見抜こう。安保阻止・岸自民党内閣打倒への唯一のみち。それはこうだ! @今日以後、昼夜を分かたぬ国会包囲。参議院本会議を開かせてはならない。単独審議・採決を阻止しなくてはならない。 A6・15ゼネストを支援し、これを成功させ、岸へのとどめの一撃としなくてはいけない。 B反米闘争に摩り替えることなく、すべてのエネルギーを安保阻止へ向けねばならない。

● 6月15日 安保闘争この日東京で・死者1名、重軽傷者712名、被逮捕者167名。

● 6月15日 活動家メモ「……医科歯科大の池沢来る。やはり合流することになったという。活動家を明治大にまわすという。(医科歯科大では全学生の1割くらいが社学同に加わっていた。)
……7時40分、4,5人死んだらしいという話が伝わり始める。東大医、医科歯科大生、自発的に救護班を作り活動をはじめる、救急車どんどん来る……」。
救援本部を社会党内に、全学連・医学連・社会党を中心に設置。東大、日医(50)、千葉、信州、医科歯科(120)などの学生が国会突入。4名重症、うち樺美智子さん死亡、丸山文昭(東京医科歯科大学、医学連副委員長)、黒岩卓夫(東大医学部自治委員長)ほか1名が重症。日本医大40名参加、2名負傷。医科歯科100名参加、3名検挙。16〜22日、全学ストへ。東大60名参加、4名検挙、16日から授業放棄。千葉大70名参加。群馬大上京。横市で100名集会。信州大76名上京、7名検挙・数十名負傷。以後10名医科歯科に泊り込み。16日より授業放棄。医歯大の9名が反主流派デモへ。

● 6月15日 京都府学連 1万人。戦後最大を動員。府立医大300人、白衣の京薬大生105人参加。
● 6月15日 名大医72時間スト。

● 6月15日 阪大・本部前2000の集会。医教官からも挨拶を受ける。

● 6月16日 ブント同盟員・樺美智子の虐殺に全国の学園で憤激高まる。アイク法日中止決定。
追悼デモに3万人。『日共はトロの一人や二人が死んだからといってなんなんだ』と。

慶応大学法医学教室で樺美智子司法解剖
中館教授
《精密検査が済んでいないので詳しいことは言えないが、致命傷は圧迫による内蔵器出血、外傷はあまり大き なものはないが下肢の方に細かな外傷がかなりある。また傷のてんからみて仰向けに倒され腹部にかなりの外力が加わったことは間違いない。警棒で殴られた形跡は認められない。内蔵出血が相当広範囲にわたっていたため即死に近い急性死だった。》

樺教授側見解。
《内蔵出血は膵臓からであり、また喉に絞められたようなうっ血が認められた。腹部には靴のような大きなものによる圧迫があるうえ、右前額部に傷がある。》

● 6月16日 東大全学2000の国会デモ。

● 6月16日 群馬大医・授業放棄。

● 6月16日 岐阜医・数名上京。

● 6月16日 京大・京府・阪大医学部で授業放棄。

● 6月16〜17日 慶応医60がセツル中心にデモ。

● 6月16〜18日 金沢医授業放棄。

● 6月16日 医歯大・350安保全学連主流派デモへ。9時半から全学総決起大会を開き、医学部のほか教養学生、看護、衛生士、技工士学校生、さらには教職員など500が参加。『6・15不当逮捕抗議、犠牲者救援総決起大会』を開き岸政権と警官隊の不当弾圧に抗議して、18日まで授業放棄を満場一致で決議し、信州と新潟の医学生とともに救護班ができるように白衣持参で国会前の抗議デモに参加をした。
同日、教養部学生自治会は18日までのストを満場一致で可決。
同日より18日まで本学生が救援カンパ、お茶の水他で大々的な街頭カンパにより実に39万円の巨額を集める。15万円を社会党の救援本部に送る。
全学連主流派の意見として、「昨夜の全学連医歯大としての行動は正しい。民主主義が侵されんとしている場合には死を持って抵抗するのが正当である。国会へ入ったのは一人ひとりの意思によって入ったのであり、決して国際共産主義者の指導によるものではなく、集まった人々の意思の結集の上に立って行われた行動である。」
今後の方針は、一、抗議デモに参加し、医療班の要請にこたえられるように白衣及び赤十字マークを用いて参加。一、教授に呼びかけ、医療品を集め街頭カンパを行う。という自治会提案を可決。加えて、流血を招くような行動は避け学校全体として盛り上がった活動(学校閉鎖)にしてゆく、が付帯提案として採択された。
終わりにこの日のスローガン、◇不当弾圧に断固抗議する! ◇不当逮捕者を返せ! ◇岸内閣打倒、国会解散! ◇新安保批准を粉砕せよ! ◇日本の民主主義を守れ!
"デモで傷ついた学生を救うために"のスローガンをたて、同時に"安保反対"岸内閣打倒"国会解散"を叫びながら16日は看学が中心になり、学部と教養が積極的に加わり、御茶ノ水駅で午後3時から7時半までカンパ活動に取り組み学内2万数千円を足して、10万円が集まる。
 
● 6月16日 日医大50人・全学連主流派樺美智子追悼デモへ。【警察機関:安保闘争におけると内動員推移表(都内大学)より。 (主)は全学連 (反)は日共=民青系】

● 6月17日 医学連300人が救援対策活動。6・15救援対策本部が東京新橋の社会党本部に設置された。責任者として社会党の坂本代議士があたる事となった。医療関係では久保新日本医療協会事務局長が指揮をとり、全学連、医学連、社会党からそれぞれ3名づつの代表者と都自連からの1名によって構成される。人事は財政・池澤(医学連)、法務・神保(全学連)、情宣・浅井(医学連)、渉外・遠藤(医学連)・伊藤(全学連)である。6月18日の33万人動員のデモには実際に活動し、学生では救護班として、医学関係の医歯大200人、東大医、東邦大医、慶応大医、慈恵医大、信州医など300名が活躍した。【医歯大新聞 76号】

● 6月17日 MD・C 前日に倍する人員で街頭へ! 教養は午前8時から午後7時までお茶の水、浅草橋、秋葉原、市川、亀戸駅等で、ファイトにあふれるカンパ活動、15万数千円が通行人の理解と協力で寄せられる。学部は午後のみ秋葉原、錦糸町、御徒町、高円寺で行い、2万数千円、看学はお茶の水で数千円。計、19万円。
学部学生集会では全学授業放棄で臨もうとの声強し。
● 6月17日 阪大医・歯、街頭カンパに31万円集まる。
同日、国大協が大学の秩序確立に関して声明。

● 6月17日 神戸大医・単独デモ。

● 6月17日 千葉大医30、国会デモへ。

● 6月17日 金沢大医・上京。

● 6月18日 教授団先頭に学生7万人がデモ。医学連も参加。医科歯科大180徹夜で国会前へ。東大医も60(全学では3000)。日本医大150名参加。慶応大医100。慈恵・東邦・昭和・女子医も参加。千葉・全員国会へ。横市80が国会へ。信州100上京。新潟大医6名上京。京大医数十名が上京・泊り込み参加。神戸大医・数名上京。東北大上京。名大医・市庁舎前でデモ。看学連200デモ。

● 6月18日 MD・カンパ活動は学部が中心となり、教養学生、看護、衛生士、技工士学校の協力でお茶の水、四谷、大井町、大手町、浅草橋、水道橋で行い、10万円を集めた。
この三日間で39万円という多額の救援資金が集まったのは樺美智子さんの死に対する同情、負傷学生への同情もさることながら、それにもまして警察の行き過ぎを非難する力であり、また岸政府に反対する声であり、安保反対の叫びであることを物語っている。
Sさんの談話「高校の女子学生がクラスで集めたものですとまとめて箱で持ってきてくれる者、激励してくれるものがいてうれしかった。」
石原・田宮凌教授を先頭に50名の先生方が『学生を殺すな』と声をはり上げられた。

● 6月18日 名古屋県学連 3000人動員。名大医・C自治代のジグザグデモ行進否決(4対11)に反対し、深夜まで広小路デモ。

● 6月18〜19日 医学連関係【医歯大新聞抜粋 76号】・国会構内には鉄兜の暴徒警官が立ち並び、自衛隊には禁足令が出た。政府は徹底的な国民弾圧の旨を明らかにした。
6月15日の惨事の再現に備え抗議隊側も右翼、警官の襲来に備える警備隊、あるいは監視隊を組織し、社会党には救援隊本部が置かれ、民医連関係、医学連傘下校の学生が白衣姿に腕章をつけてこれにあたり、抗議隊に大きな力となった。午前零時を回るにしたがい国会周辺は異様に緊迫し、一触即発の兆候が見えたが、各人の意識は根強く、表面はことなく過ぎ、そのまま座り込みは徹夜で行われ、夜中、批准無効の抗議の声は国会周辺にとどろいた。この日の動員数は30余万人の多数に上った。

信州大医 未だ5名帰らず。5名の不当逮捕者の為、信大医の学友は今なお苦しい活動を続けている。本学学生ホールの片隅に仮本部を設けているが、遠来の学友が少しでも活動しやすくなるよう気を使ってあげよう。【医歯大新聞 76号】

● 6月19日 熊本大医デモ、自然成立の晩は自民党県連の前に座り込み。

● 6月20日 医歯大新聞76号論説後半・「 −弾圧の後に来るものを見よ− この日の警官の暴虐は、新聞・ラジオ・テレビとあらゆる報道機関が生々しく報道し、誰もがその凶暴さに眼を見張り、憤怒の情にかられたのである。国民をあらゆる危険から守るべき警官が国民の血を流したのである。我々の学友は惨死し、多くのものが負傷を負った。議会政治を守るべきものが議会政治を破壊し、国民の危険を守るべきものが国民を血を流し、平和を求め血を嫌うものが自ら血を流さなければならなくなった。全てが矛盾のかたまりである。この多くの矛盾をもたらし、国民を危機に陥し入れたる者は、外でもない、国民の多数の支持を得たはずの岸とその政府である。この恐ろしい事態を惹き起こしたにも拘らず、岸政府は国民の支持が未だにあるかの如く、政権の座に安居して、全ての責任を国際(ママ)共産主義者同盟に転嫁し、尚も高姿勢を続け、新安保を自然承認で乗り切ろうとし、新安保に関係する法案全てを自民党単独審議で採択した。6・15の惨事以後のデモ隊のシュピレヒ・コールは、岸を倒せから岸を殺せに変わった。岸政府に対する怒りは憎しみまでも生み出したのである。しかし、憎しみを抱いての闘争は、それをいずれの側が抱いても危険である。それは自ら暴力を肯定することになるからだ。暴力はファシズムににつながる。我々は国民の自由と平和を守る為には、岸政府は倒さなければならない。そして、いかなる努力を払ってもファシズムの芽は早期に摘み取らねばならない。

医歯大新聞76号一面コラム『楽苦我記』部分、 「▼流血の惨事、アイク訪日中止、そして遂に新安保は19日早暁自然成立を迎えた。民主主義、議会政治という大義名分は徒にもてあそばれ、その実、今度こそ日本が民主主義の一本の雑草すら育むことのできない不毛の地であったことをいや応無しに暴露した。そして議会政治の名のもとにあの5月19日の衆院に於ける安保単独採決を強行した。政府与党の言語道断なる腐り切った行為はもはや政治という名の受けるべきなにものでもあるまい。▼我々は19日、午前零時その時、を汗とほこりと万余の学友の人いきれの中で断腸の想いで迎えた。あの憎しみと悲しみとは将に筆舌には尽くしがたい。長きにわたったこの闘争もかくてここに一段落を告げ、更に新たな戦いが既に始められている。この間、我が学友の闘争は不断に世評の前にさらされ、そして決して正当な評価を受けてきたわけではない。それは岸政権の、狡猾極まりない陰謀であり、おのが非を他に転じた悪辣無上な術策であった。我々は今こそ権力の衣を借るものの本体を冷静に看破すべきであろう。  中略
▼本学においても、多数の負傷者を出した後、学友たちは間髪を入れずその総力を結集して立ち上がった。街頭に叫び続けたカンパ隊は実に予想を絶した資金を受け、デモ隊は救護班として医学徒の使命を全うすべく待機した。この全学の発奮こそ、次代を荷う者の頼もしき姿であり、果敢なるエネルギーの発揚であると信じる。▼最後に闘争をより有効な形で勝ち取るために、もし我々が今後激情に駆られ、心奥に秘めた冷静な眼を失うようなことがあれば、それこそ相手の思う壺であることに留意したい。」

● 6月20日 MDC・「海の家」を教養部は千葉県安房郡富浦に旅館を借りて仮設。利用者は一日3食300円、(但し一日米合5持参もしくは合現金60円を持参、連絡は水泳同好会。
 
● 6月20〜22日 MD・教養部学生自治会は20日朝、新事態に至った安保闘争に対処する為に学生大会を開き、総評を中心と刷る労働者ののストのゼネストが行われる22日までのストライキを続行することを決議した。

● 6月20〜21日 医学連、6・15救援街頭カンパ。

● 6月21日 医学連・国労支援へ。

● 6月22日 樺美智子・全学連慰霊祭。日比谷公会堂で盛大に行われた。東大・医科歯科など参列。

● 6月22日 医歯大15人・全学連主流派デモへ。

● 6月22日 日本医大スト、90名がデモ。群馬大・千葉大スト。

● 6月24日 樺美智子・国民葬。日比谷野外音楽堂で行われた。東大・医科歯科など参列。

 扼殺の疑いが濃い樺さんの死因
去る6月16日、慶応法医学教室で行われた樺美智子さんの司法解剖に立ち会った中田友也医師(代々木病院副院長)、坂本昭医師(参議院議員・高知)の剖検所見によると眼日眼且瞼結膜の出血、心外膜の出血、肺肋膜下の出血、心臓および大血管内の流動性血旅、肺臓のうっ血、膵臓出血などが認められ、一方病的所見は認められず、外傷にも致命傷と認められるものがなかったことから、両氏は結論として窒息死を挙げ、扼死の疑いが強いとし、膵臓出血は比較的面積の狭い、かたい鈍体が協力に作用したものと推定している。

● 6月25日 医歯大救援対策本部中間報告。逮捕者4名、重傷者1名、軽症者10名。カンパ支出概略 社会党、全学連、医学連共同組織による6.15救対本部への寄付、11万円、病院支払い2万円、他大学への援助1万5千円、行方不明者捜索費3万円、その他若干。

● 6月28日 医歯大15人・安保で全学連主流派デモへ。

● 7月4〜7日 第16回全学連大会、日共系(都自連)と革共同系の不参加で別集会。医学連からは学連救援活動報告が大会の最後に、医科歯科大インターン池澤君からなされた。負傷者は1000名を超え、中等度の負傷、特に頭部の裂傷が多かった。カンパは133万円集められたが、今後の法廷闘争に120万は入用。MDよりは歯学生3年の岩久正明君が中執入り。

● 7月〜9月 MD・安保闘争での6月16日から22日まで連日の国会闘争での実習不足を夏休み一部返上で乗り切る為、7月16日まで補講。9月5日から補講。

● 7月27〜29日 医学連主催、第6回サマーキャンプ。三重に70名の看護学生を含む400名で開催。「自衛隊の協力でどうやら水は確保できました。書記局はなんと言いますかねとにやりと現地実行委員」(医歯大新聞8月20日号)。

● 7月末日 MD社医研・国内医ゼミ参加の打ち合わせ。

● 8月2〜3日 関ブロ医学生新聞会編集者会議・群馬県赤城山寮で開催。群大・昭和・東邦・横市・医歯大・順天の6医学部新聞会10名が参加、群馬県民擁護連盟副議長の金子氏を招いて問題提起、夜は第6回医ゼミと共同デスクに関する討論、そしてMD新聞会斉藤君による三井三池医療班の生々しい報告は同宿他サークルからも傍聴に来るほど。2日目は付近をピクニック。
 
● 8月 6日 第6回原水爆禁止世界大会へ医学連など参加。29カ国10国際組織、国内1万名の参加で東京体育館で行われる。全学連主流派は軟弱な原水協に対し、脱退を声明。

● 8月 MD社医研・調査について代々木病院とオリエンタル危機との話し合いがまとまった。

● 9−10月 MD社医研・お茶の水祭のシンポで『中小企業の問題週』『新宿宿泊所における日雇い労働者からの集険からの若干の問題点』を発表。

● 10月 1日 MDセツルメントでは日医大五味斑政人氏と民医連会長の須田朱八郎氏を呼んで「小児麻痺について」、「新しい中国の医療制度」の講演会。

● 11月 1日 11月1日より全国的に看護婦を中心に安保闘争を受けて闘われた「病院ストライキ」は、医療労働組合運動史上はじめての産業別全国統一闘争だった。病院勤務医の給料も国家公務員の給料より安かったがアルバイトで生活費を稼ぐことが出来たから病院スト参加はまれで、労働組合結成に動いた医師は次々に医局に呼び戻された。多くの医師は無給でも病院と患者を提供されているという意識であり、賃労働を行う医師は彼の全生涯を医局ヒエラルキーの監視下におかれている。(医学新42号)。

● 11月11日 MD学生大会で満場一致生協設立へ。教養でも同日学生大会。

● 11月20〜23日 医学連第6回全国医ゼミ。(神戸大)「医療制度並びに医学教育制度の諸矛盾について」。記念講演は岸本教授の『現代資本主義と社会保障』と吉田法政大教授の『最近の医療情勢と改革の課題』。分科会は『社会保障制度』、『労働者層における社会保障』、『農漁村に於ける医療制度』、『医学教育制度』、『医師ならびに医療従事者における医療制度』、『自由研究』、『看護学生』分科会の7つで、「歯科学生」は歯ゼミへ分離移行。「都市における医療制度」分科会は『労働者層における社会保障』に統合。6.15〜18安保へ学生運動への認識を高める為サークル交流会が新たに設けられる。
46医科大学・医学部、1000余名の医学生と43校300余名の看学生が参加。共催をより実質的なものにすべきと医学連・看学連から総活時に挨拶があった。初日が総選挙日、そして医スト東京医労連のスト中であったが、医ゼミは研究主体で一切の決議文は出さないこととなった。

● 11月26日 MDC・教養の和同会が生協設立運動に伴う1Aから出されていた「不買同盟」案を早合点して食堂を閉鎖。

● 11月 MD社医研・調査研究が積極的に行われ、国内ゼミ前に1週間の合宿をし『中小企業労働者の労働条件と健康の実態』を第二分科会で発表した。
後、本年度活動総括ならびにゼミ参加総括が行われ、来年度活動計画が作成された。

● 12月3〜4日 歯学連主催で医ゼミから分離して歯科医師会と、医歯大で医ゼミから分離をして第1回歯科学生ゼミナール。ハウプトテーマ『わが国の歯科医療制度の諸矛盾』。神戸大と兵庫県立厚生女子学院の協力により、1300名参加。

● 12月 4日 氷川下セツルメント保健部がショウフウ会館でおでんをほおばりながら合評会。セツル保健部の雑誌『あしぶえ』2号発行。

● 12月 4日 関東医音連発足・参加校は千葉・東邦・東医・女子医・日医・慈恵・横市・昭和・医科歯科の9校で当番校は医科歯科。1961年秋に音楽祭を開催予定。

● 12月10日 関ブロ医学生新聞連盟書記局を医歯大に置くことを懇談会で決議。

● 12月20日 医歯大新聞82号よりに所謂『池澤論文』(医師の階級的本質と医療の社会化)掲載開始。第6回医ゼミ医療従事者分科会のために書き下ろし、大きな反響を呼んだ。

● 12月 MD社医研・「資本論」の読書会。既に数回行われ、次の点が指摘された。1、社医研の性格について部員相互に統一した見解がない。2、部員数が少なく一部活動家に仕事がしわ寄せされた。3、したがって、科学的な調査や充分な研究が少数部員による努力にもかかわらず充分ではなかった。今後の問題として、部員を養成することが急務となっている。サークル活動の全般的な沈滞の中でわれわれは日本に於ける文化活動の方向についても展望を持たねばならないと思う。

● 12月 MDC社ゼミ・教養の社会科学ゼミナールは週一回の社ゼミ例会を軸に六つの分科会を設けた。資本論を読む会・唯物論研究会・近代経済学研究会・現代史研究会・社会学研究会など。

 

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