● 1月19日 国際医学生ゼミのエスペラント学会での報告。エス学会とソ医研は合同で集会をもち1956年レニングラードで開催された国際医学生ゼミナールに出席した東大インターン上田敏氏を招いて各国医学生報告、医学生の国際交流を話し合う。上田氏の『ラングーンで医学部長の司会で100名ほどの医学生に榊原教授の心臓外科や農村医学の映画を見せた。ビルマでは医師が少なく学問の自由に関する意識が高い。モスクワでは末端の医療施設を見学、医師は地区を受け持ち検診にあたっている。ソ連のエス運動は全国組織が出来て低調から抜け出した。チェコのエス運動も弾圧されたが、1948年に弾圧されたが1956年再建された。中国の保険制度は過度期ということを認めていて、問題は少ない。生活保護は広くいきわたっている。』

● 1月25日 医科歯科・社医研が懇談会。氷川下セツル参加報告などのあと、今後は理論に重点を置くことに。

● 1月26日 医学連関東ブロック会議・於医科歯科。インターン闘争の立ち遅れの克服、専門イ制度・国民皆保険の問題を今後検討。

● 2月1日 医学連は2・1国会請願デーで全学連・全教学協と共催で清水谷公園で集会。 
内容は32年のインターン予算は前年と同じく675万9千円で医学連は厚生省の大蔵省への予算要求学、8300万円を支持していたが、この決定で2・1行動へ加わり、社会党の組み替え予算中に盛り込ませようとした。
2・1の統一スローガンは@、沖縄の永久原水爆基地化反対。A、英のクリスマス当での原水爆実験反対。B、国鉄運賃値上げ反対。B、地財政法による教員採用制限反対。
1月26日に提示されていたスローガン詳細、@、沖縄の日本復帰、沖縄問題を国連に提出せよ、四原則貫徹 プライス勧告撤回、レム二ツアー声明反対、瀬長市長への不当干渉反対。A、原水爆の全面的禁止を国連に提出せよ、クリスマス島における英国の実験反対。B、国鉄運賃値上げ反対。B、文教予算を増額せよ。医学連は別に健保法一部改正反対。インターン予算増額をスローガンとして参加する。

● 2月13日 日本医大進学自治委員会 大衆犠牲の国鉄運賃値上げ反対決議。

● 2月23日 医学連は沖縄問題解決国民大会へ全学連と共に参加。(於、日比谷野音)

● 3月 2日 新潟大学・恙虫・リケッチア注射事件。

● 3月 9日 関東医学体育連盟結成の動き。関東地区医学部連合の体育連盟結成準備会。出席は日大・日医・医科歯科・慶応・東大。於:野球会館。

● 4月 1日 文部省の通達により、厚生補導部を学生部に、補導課を学生課に、補導係りを学生掛にそれぞれ改称した。

● 4月6〜8日 医学連六中委・「平和を守るため、特に水爆実験を阻止し、諸大国間に禁止協定を蒸締結させるため全力を挙げる。」石橋政府による国民皆保健の34年実施、専門医制新設の内容判明について論争。(於・東京衆議院会館)

● 4月19日 MD ・新M1歓迎ダンパ。M2ダンス研究会主催。於:山口ホール。

● 4月20日 関東医学体育連盟結成準備会。

● 4月23日 医学連六中委決定に基づき全国で街頭に立ち、原水爆実験反対の署名活動。

● 4月27日 医学連・全国学生総決起行動に参加。(クリスマス島実験抗議・沖縄永久原水爆基地化反対・安保条約破棄)

● 5月3〜5日 医学連第4回全国大会・「現行イ生に対する不満に終始せず、イ問題を医療制度・医学教育の中での正しい位置づけの必要性が反省された。」 委員長・医科歯科M2、池澤康郎君。副委員長・東北大、小林忠保君書記長・東大、石井保男君。中執に、天明佳臣(東邦大医)、田口関也(慈恵)、渡辺洋望(日医)、石川信義(東大)、青山英康(岡大)、今泉正臣(京大)。
尚大会は規約改正し医系学生自治会は加盟できるとし、医科歯科歯学部と東大衛生看護学科が加盟した。

● 5月16日 医科歯科・208名の参加で学生大会。東大・日医自治会の挨拶。17日の水爆反対行動に休校要望が圧倒的に採択され、要求が通らぬ場合はストが83対74で採択された。ただちに交渉委員会が結成され、その結果17日午後は全学休校と学校側から返事。

● 5月17日 原子戦争準備反対・全日本学生総決起デー。学生運動史上最大35万人が参加。日比谷野外音楽堂の集会には2万を超える学友が集まった。英国枕民主昌への抗議文と大会宣言を確認した後に防衛庁→文部省→三宅坂→半蔵門→英国大使館→九段のデモ行進、特に英国大使館前では怒りの蛇行デモが繰返された。
東大医16日、学内集会に全員参加決議。
医歯大16日、学生大会で全学休校決議をし、過半数の215名がデモに参加した。
日本医大で授業放棄、全員参加決議。
広大でも取り組み。
九大でもクリスマス島水爆実験抗議の全国学生決起、その一環として福岡市内の5大学2000名が集会。

● 6月 4日 日本医大5・16の3年ぶり学生大会で5年ぶりに全学連に再加盟し、6・4全学連大会で松崎君が全学連中執に。尚日本医大学生大会には東大医学部の全学連中執・島成郎君や、医学連書記長の石井保夫君(後に国際学連へ出向)がオルグ入り。日本医大学務課の今井課長が5・17参加者調査をしたことに全学連大会で抗議決議。

● 6月10日 MD・医学連傘下の医科歯科でも各クラスが10日より約10日間、原水爆禁止世界大会(東京)成功の為に街頭書名とカンパ活動を御茶ノ水駅等でおこなう。総カンパ24941円、署名数1941筆。

● 6月10日 MD・毎年市川国府寮で伝染病が発生、寮周辺が貧しい部落のゴミ捨て場になっている。医科歯科新聞41号。

● 6月22〜23日 医学連第2回拡大中執会議・各執行委員と名大、京府医大など7校のオブザーバー参加で衆議院第一議員会館で開かれた。第一日目は第4回全国大会以降の経過を「5・17行動デー」を中心として総括した。第二日目は内外諸情勢の分析と当面の行動方針を決定した。情勢分析ではアイク・ドクトリン―米国の原子戦略―体制が着々と進行して、国際緊張を激化させている事実、。国連軍縮小委員会に於けるゾーリン・ソ連代表の「二・三年間核実験停止」案によって禁止協定締結の具体的な明るい見通しが出来たこと、更に国内情勢では岸アイク会談が日本を米国の原子戦争準備に組み入れ、沖縄の永久原水爆基地化、憲法改悪への第一歩であること等を確認し、当面の行動方針を次のように決定した。
1、強まりゆく平和への国際世論を更に前進させる為に、第三回原水爆禁止世界大会の成功のために教授・医局員など広く学内のカンパ活動、街頭のカンパ活動を促印する。
2、インターン制度改善のために、7月下旬に「イ」対策全国委員会を開催し、調査活動の推進、。
3、7月8日からの砂川強制測量を中止させ、医療班も編成する。
4、東大医学部の戒告処分に学校当局に抗議する。
5、21日の日米共同声明反対デモの不当弾圧と学友の逮捕に抗議する。
などを決議して、午後8時過ぎに散会した。
後に中執ならびに各校代表は学友の不当逮捕に抗議して警視庁者前に座り込んでいる学友たちを激励し、行動をともにした。

● 6月27日 砂川基地闘争「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」・医学連も連日、全学連の隊列に。MD30名動員。医療班でも活躍。

● 7月 6日 大阪市立大学では学長選挙に対する学生の参加権を巡って、市大全自協(各学部学生自治会の協議体)が大学側の学長選挙内規委員会に信任権を求める申し入れを行った。しかし、市大全学協(全学の教授の協議会)は八月六日に従来通りの規約(学生の参加は各学部からの学長候補推薦選挙のみに認める−学生の信任権は認めない)で行うことを決め、学生が要求している参加の意向を候補推薦の方法にどのように折り込むかは各学部教授会に任せるということになった。学生はこれを不満とし医・理工学部自治会以外は候補推薦選挙をボイコットした。

● 7月8日 日本医大・江田文雄君、砂川闘争で不当検挙さる。
特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反で起訴された。

● 7月24日 全国各地で不当弾圧反対学内集会や街頭カンパ活動、日医大・東京農大・東京外大・教育大でスト決議。

● 7月28日~8月11日 モスクワでの世界青年学生平和友好祭に医科歯科・Dの太田章雄君が日本学生エスペラント連盟代表として参加。

● 8月12〜16日 第三回原水爆禁止世界大会・(於東京) 医学連から池澤委員長、小林副委員長ほか27名が参加し、原水爆被害対策と被害者救援をテーマとする第4分科会に主に参加をする。

● 8月25日 関東医学生体育大会。於:慶応日吉グラウンド。全14校の参加。

● 9月17日 医学連・「原水爆実験即時無条件禁止を国連に要求する全国学生総決起大会」に参加。

● 9月 ×日 医学連第7回中央委員会・医学連解消を決議。イ問題をはじめ諸問題の行き詰まりを打開する為に医学連はその組織を解体して、全学連に加盟し学生運動の一本化を図ることに決議した。この決議は『学生運動は全学連に統一せよ』の呼びかけに基いて行われたものであり、各自治会は個々に全学連に加盟しようとするものであって、一応来年6月までに医学連傘下の各校が全学連に加盟すべく積極的に運動することになったものである。この医学連解消の問題については、目下各校において色々と討議がおこなわれているが、医学連の解消を惜しむという声もかなり聞こえるが、今後、この問題の成り行きが注目されている。尚、本学においても医学連解消と全学連加盟の問題について全学的な討論が展開されようとしている。(医歯大新聞45号)

● 9月24日 全国各地で砂川基地闘争不当弾圧反対学内集会や街頭カンパ活動、日医大でスト決議。

● 9月26日 日本医大・前自治委員長の江田文雄君、9月26日に釈放される。

● 9月29日 全学連緊急拡大中執委、逮捕者全員釈放に勝利の一歩と声明、11・1総決起を呼びかける

● 10月 2日 日本医大・前自治委員長の江田文雄君、砂川事件で東京地検に起訴される。

● 10月下旬〜11月初旬の10日間。 第4回国際ゼミ・於インド カルカッタ。

● 10月25日 日本医大・砂川事件で逮捕された全自治会委員長江田君を取り戻し、25日の原水爆禁止文京区民大会に大勢の学友が参加。
同日、東大医学部は半日ストで原水爆禁止文京区民大会に参加。

● 10月26日 日本医大と東大医の呼びかけで『核実験即時無条件禁止』の文京学生集会。お茶大・教育大・医科歯科大などへ呼びかけ。

● 10月31日 医科歯科学生大会。11月1日の国際統一行動へスト提起。全学連、都学連、医学連、日本医大より挨拶。討論に入る前にクラス討議の内容がクラス委員から紹介された。出席132、委任状127名で成立。圧倒的多数で全学休校が可決。

● 11月 1日(日) 核実験即時無条件禁止国際統一行動、医学連の全学連への統一機運高まる。医科歯科は126名参加。デモは日比谷公園から内幸町、新橋、数寄屋橋、銀座、国労会館前で流れ解散。学生大会で全員出席だったのにと問題化。進学2年クラスはほとんど全員参加。MD連日の寒波活動は大学当局の理解も預かって学連中、もっとも小さな大学でありながら相対的にも、絶対的にも全学連中、最高の成績をあげた。
金沢医大・京都府立医大同盟登校。医大でのスト多数。学生40万参加。九大でも原水爆禁止国際統一行動があり、市民集会に市内の大学合わせて九大新聞記事では3000名(西日本新聞では1700名)が参加した。

● 11月15日 医科歯科自治会後期代議員会。委員長は池澤康郎君(医学連委員長)。池澤君は談話で「前期は民主的なクラス討議と、二度の学生大会を開き原爆反対の5月17日と11月1日の巨大な行動になって現れた。学友の平和への関心に応えて原水爆禁止運動を本学で一層発展させ、学内問題も学友の期待に応える」と。

● 11月14〜17日 岡山大主管・第3回全国医ゼミ。県市の後援、北大からか鹿児島大まで殆どの大学から300名参加。医学連の打ち出す「全国民の利益に基く、医学生の利益を守る」方針で連日討論を戦わされた。医学連書記長の石井君(東大)が医ゼミの目的、即ち医療制度の現状矛盾について討論研究し、その科学的正確な理論に基くという目的を確認する挨拶。岡大準備委員会委員長青山君からの経過報告。午後に入って講演会「第三回原水爆禁止世界大会報告−特に被災者救援について」がおこなわれ、原水協事務局長の吉田嘉清氏の「原水爆禁止運動の流れ」なる講演、、記録映画「第三回原水爆禁止世界大会」が上映された。次いで医学連中執委員長池澤君から第三回大会における医学連の活動報告、ならびに医学連の原水爆禁止運動に関する活動報告に関して講演をした。続いて「長崎の子」が上映された。雰囲気が盛り上がらず出席者から不満の声も聞かれた。夜間は交換会もあり各校からの余興で盛り上がった。二日目は日本医療の現状と社会政策、とくに国民皆保険と専門医制度、新医療費体系について総会が開かれた。講師として厚生省公衆衛生院次長曾田長宗氏、医学連書記局長石井君、民間代表岡山県会議員流卿泰二氏を迎えた。議論は今尚保健の恩恵によくさない3000万の人々をめぐる国民皆保険の問題で活発な討論がなされた。次に国際医ゼミ準備会報告がなされ、東大小木君より前回モスクワ国際ゼミの詳しい報告があった。5時からの国際ゼミ準備報告会は総会が長引いた為150名の出席にとどまった。小木君より主レポート第二次要綱案が示された。三日目、分科会が開かれ、医学教育制度分科会、運動部・サークル分科会、文化部・サークル分科会、ソ医研分科会、看護分科会、自由研究分科会、社会医学分科会が持たれた。最終日は自由研究会と社会医学分科会が引き続き持たれた。午後はゼミナール総括がおこなわれ、閉会式では岡山県知事三木行治氏と岡山大医動物学山口佐沖教授の挨拶があった。産か各校の「今回の医ゼミで得られたテーマの統一性、運営法を生かし、、今後とも国内ゼミが全医学生の共通の場として更に世界とのつながりにまで発展することを期待する」という報告があり、最後に医学連中執委員長池澤君(MD)の挨拶で締めくくった。
このゼミで看護学生分科会を設けた。西日本を中心に10数校約百名が集まり、京大を事務局にして、ここで来年をめざして、看護学生自治会連合の結成が決められた。

● 11月17日 国内医ゼミで岡大新聞部が主管となり、16校49名は協同デスクを組み取材、17日のゼミ終了後、翌年のゼミまで担当校にニュースを毎月各校は送り担当校は年2回以上クロニカルとしてニュ−スを発行することを申し合わせた。

● 11月21日 反戦学生同盟(反戦学同)第三回臨時全国大会〔報告〕日本医大・新潟大医・京府医大で支部結成。(反戦学同)は略称AG、アージェーとフランス読み。

● 12月×日 京大医・3年前の創立記念事件で解散を命じられた同学会再建を圧倒的に支持。
● 東日本医科学生総合体育大会  1957年に慶應義塾大学医学部の学生が中心となり、当時6年生であった芦刈宏之(ニューヨーク医科大学教授)を委員長として始められた。● 西日本医科学生総合体育大会  2012年で64回を数える。             ● 全日本医科学生総合体育大会  東西医体が合同して2012年で46回を迎える。
● 12月 6日 全学連・沖縄のミサイル基地化に反対し米国の弾圧下に苦しむ沖縄同胞を救おう。清水谷公園に2200名。医科歯科は11名参加。

● 12月20日 医科歯科・5・17以降学生の旗を杜の声が高まり、学生旗出来る。紫地に真ん中縦に大学白抜き、下に東京医科歯科大学と白抜き。




● 1月×日 全学連に関する資料を全学連医学生対策部と医学連書記局共編で出版。 

● 1月16日 日本医大の江田文雄君、第一回砂川事件で冒頭陳述。『日米安保条約に基づく刑事特別法第2条違反』とする検事に『測量及び立ち入り禁止こそが不法であり、更には刑事特別法自体が憲法違反として廃棄されるべきだ』と応酬。

● 1月24日 岡山大医学部厚生会・警職法反対で500名結集。

● 1月25〜27日 医学連8中委 『全学連との統一に関する決議』採択により、即時的医学連解体ではなく、全学連加盟は『国民的立場に基づいて学生の利益を守る』のテーゼを推し進め、AA共同行動の戦線統一を図る。『岸政府に反対する決議』『沖縄県民を激励する決議』『全学連との組織合同に関する決議』『第三回国内ゼミ準備会への感謝決議』『砂川の不当弾圧に抗議し、激励する決議』を採択して大会宣言を発表。

● 4月1日 京府医・生協創立へ医自治会の努力実る。一括加盟。

● 4月4日 医学連は全教学協、夜学連と共に全学連への組織統一と全学連との共闘強化の声明発表。

● 4月8日 医学連機関紙『全日本医学生新聞』創刊、編集長は榎本稔(東京医科歯科)君ほか、編集委員医科歯科5人、日本医大3人。担当中執、渡辺洋望(日本医大)。タブロイド版4ページを基本構成。編集方針は『国民の利益に基き医学生の利益を守る』テーゼ。創刊に当たっては、池澤委員長(医科歯科)、石井書記長(東大)などが中心となり、医科歯科新聞会の戸田・榎本両君が協力。

● 4月17日 MD・歯学連再建へ。歯学連運営準備会が医科歯科で開催。MDが委員校に。
同日、女子学生の会が開かれ、35名中、33名が出席。

● 4月19日 MD自治会・新入生歓迎会。自治会心づくしの饅頭をほおばりながら爆笑。池澤康郎自治会委員長が挨拶。5月1日メーデーには新歓ダンパが自治会主催で代々木文化会館で開催。国府台学生寮の新歓は4月20日に開催され、近所の酒屋から贈られたビールで乾杯。

● 4月25日 岡山医学部・学生大会で全学連加盟・エニウエイトク原水爆実験反対、勤務評定反対等の諸決議を満場一致で決める。勤評カンパ活動。

● 4月25日 日本医大 全国学生総決起デーに参加。(核実験禁止!)

● 4月25日 歯学連人事・第一回中央委員会で委員長にMD山下君。於:MD。

● 4月29日 4・25核実験阻止・勤評粉砕に全国10万の学生が決起す。(全学連・全教学連・夜学連・医学連)4・5月闘争速報より。

● 5月×日 九大・前期の教養部自治会再建大会開催、バス十数台を連ねて、医学部の講堂へ、参加者1000名。

● 5月 ×日 東大・医自治会委員長に石井保男君。

● 5月 8日 三重医・学生大会で5・15学生デーに決起を決める。

● 5月10日 阪大・創立記念講演に矢内原前東大総長.赤堀・岡田教授。

● 5月10日 関東医科学生綜合体育大会評議員会(関医大会)が東大で開催され、7校で定足数に足りなかったが、東日本大会への拡大が申し合わされた。

● 5月14日 MD・全学連加盟を学生大会で決議。(156:26:20)。MDは1949年2月以来全学連加盟校で、1949.1950年当時は全学連の有力な活動校であった事が紹介された。医学連の関係では、今直ちに医学連を解消せずに活動を続けてゆく、全学連内に規約を改正して医学生協議会を設置して特殊な医学生の立場は擁護されると池澤自治会委員長から説明があった。

● 5月15日 MD・学生デーに参加、全学連加盟が1万数千名の学友に披露された。エニウエトク、クリスマス島水爆実験阻止・勤務評定粉砕総全日本学生総決起大会に雨中200で全学連の先頭を自治会機を掲げてデモ参加。集会では安井原水協代表が「グロムイコ声明によるソ連の一方的核兵器実験停止宣言にもかかわらずなお実験を強行する米英両国を激しく非難し、現在の運動を原水爆実験即時無条件停止にしぼり、またこの運動を濃い区民から浮き上がらないようにしながらさらに前進しよう」と挨拶があった。
同日、東大医学部はストで全学連学生デーに参加。


● 5月15日 三重大医、全学連加盟。

● 5月15日 千葉大医5・15デモに決起。

● 5月17日 MD・学生自治委員会で全学連へ意見。5・15行動で総括。デモ指揮、コースの不徹底に議論が集中。無原則的蛇行デモについての批判などを中央書記局へ伝えることとなった。また、千葉大学の代議員会(自治会)でMD教養から議長、書記長が選出された件で、千葉大当局から他大学の役員は遠慮願いたいと辞職勧告がなされたが、これは自治会への不当干渉だと満場一致自治委員会で決定し、抗議。『医科歯科教養の学生は千葉の学生である』と言う千葉大の今までの線から離脱しており、池澤委員長は千葉大学生課に20日、要請文を手渡した。

● 5月20日 MD・池澤自治会委員長は20日、和歌山での勤評闘争に参加のため、19日夕、和歌山へ向かった。

● 5月21日 医学連中執会議。於:和歌山。

● 5月 ×日 信州医・協同組合を軌道に載せる。

● 5月 ×日 東医・全学連加盟(賛成98、拒101、保留68)で保留。

● 5月 ×日 岡大医・5月の運動を通じて全学連に加盟。

● 5月 ×日 九大・医歯自治会の分離運動へ。

● 5月 ×日 福島医大・学生会結成の動き。

● 5月 ×日 群大医・夏山診療へ。

● 5月24〜25日 歯学連大会8校で開催。歯科産業ホール。医学連とは交流するという線で落ち着いた。

● 5月25日 MD・池澤自治会委員長は和歌山での25日の第二波勤評に向けて医学連運動の為、現地にとどまり闘争方針を組む。

● 5月25〜27日 全学連の推進母体・反戦学生同盟第4回大会は全学連大会に先立って開かれた。 日本社会主義学生同盟(社学同)に改組、第一回大会を持つ。
組織を従来の反戦平和を第一義的目標としたものから、社会主義の実現をめざして運動をより意識的、革命的に発展させるべきであるとの立場に改めた。共産党も支持。

● 5月28〜31日 全学連第11回全国大会経過報告・任務方針(部分)。全学連書記局「更に全学連第11回大会における組織統一達成をめざすとの全教学連・夜学連・医学連との共同声明を発表し、全国の学生に決起を呼びかけた闘争宣言を発した。」医科歯科池澤委員長は中央委員に選出された。於:杉並公会堂1000名参加。昨年6月より新規加盟20大学24自治会。全学連は120校231自治会30万人となった。

● 5月30〜6月2日 弘前医・開学祭。

● 6月1日 全学連第11回大会の終了翌日「6・1事件」といわれた共産党内の衝突事件が起き、党中央と学連との対立が決定的になり東大医学部にも深刻な影響。共産党代々木本部に招集された全国グループ会議席上、党内反対派であった全学連指導部が共産党中央委員会不信任決議をして、共産党と袂別をする。そして12月に共産主義者同盟(ブント)を結成する。

● 6月6〜8日 医学連第五回全国大会〔東京〕 米英の核実験阻止・全学連加盟促進などを決議。委員長・池沢康郎(医科歯科)、副委員長・浅井亨(日本医大)、大森文太郎(岡山)、書記長・石井保男(東大)。東大当局は医学部講堂を使用前日に使用不可に。中央労政会館へ。3日目より後楽園・北部労政会館を使用。夜6時半より、九段の学生会館で全学連医学生協議会を30名で持つ、全学連より中央執行委員浅野君(日医)伊藤中執(東大)を招く。大会は28校、90名参加。議題は全学連加盟問題に集中した。広島医・神戸医から批判が出、その結果強力に推進(賛成21、否定0、保留3)で採択。他団体の挨拶は山下歯学連委員長、小島全学連副委員長、多田社学同執行委員よりあった。和歌山現地で勤評反対運動に参加している岡山大学医学部の林・大里両君を医学連正式代表とする広島大の動議を満場一致で可決。
最後に国際学連の歌を全員で合唱して終えた。
<スローガン> ○米英はソ連提案を受け入れ核実験を中止せよ! ○自衛隊の核武装反対、日本への核兵器持込反対! ○帝国主義者はアルジェリア、インドシナから手を引け! ○小選挙区制反対、憲法改悪を許すな! ○勤務評定粉砕!民主教育を擁護せよ! ○東西首脳会談を開催せよ!

● 6月9日 医学新結成大会。全日本医学生新聞連盟が20校35名の参加で日本橋至サービスセンターで行われる。岡大から提案の規約草案を審議、若干訂正ののち可決。6月末に第一回クロニクル発行予定。委員長滝田斉(医歯大)、副委員長黒田弘子(岡大医)、書記長戸田浄(医歯大)。

● 6月11日 MD・医ゼミを医科歯科で11月20~23日行うことを、評議会が自治委員会の要望を受け入れ正式に決定した。医3保崎君を実行委員長に、名誉会長に長尾学長、会長に宮本学部長。実行委員会は30名。

● 6月21日 MD・和歌山での全国自治会代表者会議と医学連中央委員会に池澤医科歯科自治会委員長出席。和歌山で全学連数十名の学生が活動入り。教組と部落会報同盟の動きが著しい。
和歌山医大が勤評闘争に動き始める。

● 6月21〜28日 MD・原水爆禁止で街頭カンパ活動。御茶ノ水駅頭で教養1年からM3まで一日づつ取り組み、教養Aクラス55名参加、1700余の署名と20000円余りのカンパ始め、全学で400名中333名参加、6240名の署名と、80951円のカンパを集めることに成功した。かつてない盛り上がり。原水協大会には5名出席予定。

● 7月 4日 第二回全国医学部長・医科大学長会議が開催され、専門医制は時期尚早と。

● 7月 4日 京大・インターン有志ら他団体との共同声明。同学会再建と処分問題について大学院学生はこう考える。ビラ

● 7月21日 第14回医学連中央委員会。於:衆議院第一議員会館。原水禁大会へのカンパの割り振り、和歌山・高知など勤評闘争への医学連の取り組み。9月末から10月には情的に取り組まれる全学連の勤務評定反対運動への医学連準備。

● 8月16日「勤評阻止平和と民主主義を守る青年婦人学生全国大会」後のデモに右翼と警官が殴る蹴るの襲撃をかけ多数の負傷者が出たが、府学連傘下からも入院が必要な負傷者が数名出て、執行委員の佐道正彦(阪大医学部)が逮捕された。

● 8月 1日 島成郎は全学連中央執行委員会・都学連書記局・社学同・東大細胞に属する党員主要メンバーを集め、7月30日まで開催された日本共産党第7回大会の報告をし、新しい組織をめざして全国フラクション結成を提案。

● 8月12〜20日 医学新共同デスク。第4回原水爆禁止世界大会へ医学新初参加、全学新と共デス、労組機関紙も交え100名でニュースは一本に統一して全国配布。

● 8月12〜20日 第4回原水爆禁止世界大会へ医学連参加(於・九段会館)

● 8月17〜18日 全日本看護婦学生達盟結成=看学連(京都)。

● 8月18〜20日 医学連サマーキャンプ(信州)。信大医事の努力で上高地で開催。

● 8月23〜25日 歯学連サマースクール(阪大歯)。伊勢志摩和具阪大臨海保養所。9稿8人参加、歯学連の活動なども討議。この頃の歯学部生数は3000名弱。

● 8月25〜31日 東医体発足・18校参加。22種目。東大主管(駒場グランド)。

● 9月2〜3日 医学連拡大中央委員会。定足数に達せず、15校で拡大中央執行委員会のかたちで持たれ、勤評闘争への認識不足が語られた。

● 9月4〜6日 第一回オールデンタル・全国歯科学生体育大会。歯学連主催。7歯大、3衛生士学校の参加で東京歯大市川グラウンドやMDコートで開催。

● 9月15日 MD・医1 11名、医2 18名、医3 14名、教養80名などが参加。 全国で50万が参加したという勤務評定反対闘争。全学連は日教組・総評に呼応し清水谷公園に都下33校、65自治会4000名の参加で香山委員長の経過報告などの後に3時過ぎ、5挺団に別れてデモ出発。

● 9月15日 東大医・勤務評定粉砕第2波でスト。

● 9月19日 第4回全国医学生ゼミナール(於:MD)に向け医学連書記局と初会合。昨年の開催校、岡大初め中国、関西、東海ブロックへオルグ派遣の計画。勤評闘争で忙しい最中であるが医学連は7人からなる社会保障問題のブレインを作り、週一のペースで研究する。日本医師会と朝日新聞社が後援。
総会テーマ「日本の医療の現状と政府の社会保障政策」。初日11月20日
第1日目、開会式典・和敬塾講堂。特別講演、武見日本医師会長、安井原水協理事長、対がん協会吉田富三先生、MD新島廸夫先生。、アトラクション、ヴァイオリン岩淵龍太郎氏。
第2日目、総会・於医師会講堂。講師、小沢医務局長近藤大阪市立大商学部長、丸茂日本医師会理事、総評高野事務局長。会長レセプション、於:学士会館。
第3日目 分科会、社会医学分科会・ソ医研分科会・医学教育分科会・自由研究分科会・文化活動分科会・運動部協議会・看護学生分科会・歯科医学分科会。
第4日目 分科会、総括、閉会式。

● 9月22〜23日 九州医ゼミ(鹿児島大学医学部)。

● 9月 ×日 名古屋市大・医学新に加盟。医学新加盟校は19校になる。熊本大医学部新聞部と6月に創刊号を出した新潟大医学部新聞部は9月より大学側から公認された新聞部となる。

● 9月23日 医学部長会議。皆保険成立へ「皆保と医学教育」を議題に。於:学士会館。

● 9月25日 歯学連の歯学連新聞が復刊。医科歯科の高木君(歯3年)が中心に。

● 9月25日 三重県立大医・学生大会の常時登校数の78.3%を結集、授業放棄を決定。
MD勤評第二派行動に120名が日比谷野音に参加。

● 10月 5日 国立大学医学部長会議。皆保険を議題に。於:信州大。
同日、医ゼミオルグがMDから岡山へ、ブロック会議へは徳島・鳥取・山口・岡山が参加、岡山を中心に取り組みが進行。

● 10月11日 第4回国内医ゼミへ、大阪大で大阪地区懇談会を開く。阪大・阪市・阪大歯から参加があり、阪大アルファー会と自治会の取り組みが話題となった。

● 10月12日 医学連第10回中央委員会・於:MD大学院長会議室。東大・医科歯科を除く勤務評定闘争への取り組みが低調であったこと、警職法阻止へ全学連から医学連も手を取り合って行動の要請がなされた。第4回国内医ゼミの報告と中執人事、辞意の慈恵近藤君の後任にMD榎本君。辞意を表明している東大の伊藤君と日医の渡辺君の進退と後任人事は中央執行委員会に一任された。

● 10月13日 第4回国内医ゼミへ、京都での学内体制作りとして、京大、京府、全看連書記局を交えて懇談会、歴史ある学生運動の伝統を感じさせる展開で京大ソ医研は「ソビエトでの結核問題を中心とした社会保障」を発表準備、セツル・自治会も参加。府医大はセツル、社医研を中心に新聞会が参加の意向。

● 10月15日 警職法阻止・勤評粉砕全国統一行動、中央集会〔清水谷公園〕に一橋大、東大文・医、法政大二部、早大二文等ストで千名参加、国会デモ。
東大医ストで国会へ。警職法闘争スト決行では石井保男の発案で処分を最小限に絞るために、執行部の中から一人を選び議長とスト提案者とを兼任する。その一人に4年の高橋国太郎がなり退学処分とされたが1年で救済された。

● 10月 ×日 福島医大・全学連加盟は保留になる、医学祭を開催。

● 10月24日 奈良での道徳教育指導者講習会阻止を全学連が取り組み、医学連は京大医・阪大医などが参加。奈良での戦いは「道徳教育の砂川」として全力を挙げて戦われた。文部省は10数台のバスを八方に散らして会場を隠蔽しようとし、それぞれにタクシーを貼り付けて追尾し会場を探し出した。

● 10月25日 日本医大・全学連デモ指揮で浅井君逮捕完黙。道徳教育指導者講習会阻止闘争でも東・木村・松井君逮捕さる。

● 10月28日 日本医大 警職法改悪反対学生集会の決定に基づき各学生が連日署名、カンパを街頭で行う。総額2万円と2000名の署名を集める。国民集会は65000が首都で決起。

● 10月28日 全学連・警職法粉砕全国総決起へ医学連も参加。日本医大・医科歯科・信州大医学部など等でスト。府医大で午後授業放棄。

● 11月4日 MD・非常事態宣言の中、警職法反対学生集会。5時より163名で持つ。於:第一講堂。

● 11月5日 全学連始まって以来の動員数・国会上程の警職法反対で東大医・日本医大・外語大・医科歯科などの300人が6時から国鉄労働者を守れと上野駅へ。全学連指令で東北本線・上信越線の関門赤羽の信号所ピケへ。
九大でも警職法改悪反対運動があり福岡で2000名の集会。福岡地区では九大の各学部自治会、西南学院大学、福岡学芸大学(現福岡教育大学)自治会、福岡女子大学自治会が統一行動をとり。九学連(九州地方学生自治会連合)が統一集会を主催。
札幌医大・自治会発足以来の学生大会を開きちょうちんデモに80名参加。
三重県立医大・医学部各級5名づつのスト実をつくり、スト入り。夜は7000名の街頭デモに全員参加。
名古屋大・医学生大会。
MD・前日に続き二度目の学生集会を10時半より230名で持つ。於:第一講堂。国鉄ストを支援し、混乱を防ぐ為に、31名の乗客説得隊がつくられた。医歯大新聞に寄れば「国会包囲の再確認が行われた。席上、『説得隊の行動に曖昧な点が見られた。』『反対運動とイディオロギーの関連』等について追及があり、デモの形態にも激しい応酬があった。最後に長期戦を予期し、街頭進出をさらに強化し、生活点への呼びかけ、30円のカンパなどの決議を、高ポテンシャル裡に採決、午後の行動に移った。」
国会前では1万の抗議の中に医科歯科100名の学友も居た。

● 11月5日 国内医ゼミ・サンケイ会館国際ホールで記念ダンスパーテイ。

● 11月9日 全日本学生寮自治会協議会(全寮協)結成

● 11月9日 医学連第4回中執委・(MDゼミ室)。総括では労働者階級の立ち上がりが日本帝国主義の復活をめざし、核武装、海外派兵、弾圧体制を画する岸政権への戦いとして、意義が唱えられた。ゼミの基本方針が承認され、これからの10日間が戦いの山場であると行動方針が提起された。MDに置かれた医学連書記局強化に医歯大より、松井・丸茂、東大医と衛看各1名を書記局員として新たに加え、榎本(医歯大)、渡辺(日医)両中執の7名で書記局活動を行う。

● 11月20〜25日 第4回医学生医ゼミ・医歯大主管。日本医師会、朝日新聞社後援。
41校478名と歯科・看学生総計1354名参加。 医学新は共同デスクを設置。13校48名。
〔第1日〕武見日本医師会長・宮本医科歯科大医学部長、吉田日本対癌協会長・新島医科歯科大教授からの特別講演があり、岩瀬龍太郎氏のヴァイオリン演奏に喝采を送る。 
〔第2日〕テーマ『日本の医療の現状と政府の社会保障政策』講師、阪市大教授・近藤文二。法政大講師・吉田秀夫。日本医師会常任理事・丸茂重貞の講演。 
〔第3日〕社会医学、ソヴィエト医学、医学教育、自由研究、文化活動、看護学生、歯科医学の分科会。ゼミ分科会担当医学連中執を今年初めて決めて、社会医学(豊田・東北、伊達・三重県大)、ソヴィエト医学(渡辺・日医)、医学教育(森本)・阪大、自由研究(武井・信州)、文化活動(大森・岡山)、看護学生(榎本・医科歯科)、歯科医学(池澤・MD)、運動部(池澤・MD)が担当。
〔第4日〕宮本医ゼミ会長、医学連、医ゼミ実行委員長の挨拶。総会議長は渡辺医学連中執、(日本医大)。祝電やメッセージは都知事、日本医学会、日本歯科医師会、全日本国立医療協同組合、民医連などより多数あり。

    国際学連 祝辞・Please transmit our warm Greetings to Seminar Considered as
Very important here Best succes in your work for improvement of
Public health in your country and international cooperation  原文のまま

● 12月10日 共産主義者同盟(ブント、島成郎書記長・東大医学部)結成 。医歯薬ビルに約45名参加。

● 12月13〜15日 全学連第13回大会選出中央執行委員長・塩川喜信(東大医)、中執に石井保男(東大医)、池澤(MD医3 医学生対策部長)。石井は議長団を勤め、後に1959年2月、国際学連(本部・プラハ)に出向、国際医学生セミナーの日本誘致も課題だった-。島成郎は全学連からひき、ブントに専念する。
1日目、国際学連の歌で始まった。2日目、草案に沿って議論。労働者階級と手をつなぎ勤評・警職法の戦いはかつてな医学生運動の昂揚をもたらした。その不成功の部分は日教組幹部、労働者幹部の日和見主義によるものだ。最近の相対的な運動の低調さは一つにこれら労働者幹部、革新政党の明確な指導方針欠如によると草案。採決では260人の出席代議員により審議され、8人の代表質問の後、賛成186、反対50、保留24で可決された。
3日目、社会主義国の評価が今までの中ソ一辺倒から脱して、充分な批判をするようになった。出席代議員242人、賛成183人、反対33人、保留26人。

● 12月20日 『全国ゼミの感想と期待』法政大講師・吉田秀夫。医歯大新聞58号。
同号の33年度医歯大10大ニュース。1、第4回全国医学生国内ゼミナール 2、警職法反対運動 3、第4回原水爆禁止運動 4、勤評反対闘争 5、自治会全学連加盟再確認 6、進学課程設置 7、和同会食堂問題 8、進学課程生吊尾根遭難事件 9、本校創立30周年記念祭 
 10、医学教育制度問題との取り組み。

● 12月27日 アカハタ1面トップ全断抜きで「島(成郎)ほか7名の除名について」などの幹部会声明を掲載、正月に全国の学生細胞に直接中央委員などを差し向け、一斉弾圧をしてきた。



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