● 1月 8日 日本医大山村文化工作隊出発。

● 1月14日 日本医大 日本共産党日本医大細胞機関紙『明るい大学』第12号へ日本共産党中央執行部宮本顕治寄稿。

● 1月15〜16日 西日本看護学生の集い(於ける、京都市教育会館・京大学友会館) 京大・阪大・山口日赤他15校60名参加。

● 1月24日 日本医大 日本共産党日本医大細胞機関紙『明るい大学』第13号のスローガン
 MSA再軍備・軍国主義復活反対! 平和のために世界の青年と手を結ぼう! 原水爆国際医師調査団を皆で迎えよう!

● 2月25日 医学連・イ生の出勤日数増加の厚生省案粉砕全国統一行動。代表が厚生省に陳情。

● 2月 ×日 日本医大 日本民青団日本医大班結成!

● 2月25日 医学連全国統一行動 実地修練期間300日出席を280日に減らす内容で7月になり、この要求が通っている。
● 4月 1日 日大 岩手医科大学の委託を受け、進学課程(医学課程)の一般教育を三島教養部で1966年まで実施。
● 4月 1日 千葉大に進学課程設置。

● 4月 1日 九大医学部に医学進学課程を設置。

● 4月 1日 北大病院では医学部附属病院志願医員規定が設けられ、それぞれの診療科長を経て病院長の許可によって志願医員となることが定められた。(それまでは研修員という名称が用いられていた。)

● 4月7〜9日 医学連拡大中央委員会・全学連代表を迎え国際医ゼミ(ベルリン)代表派遣を決定。多くの学友を送るべく医学連は中央準備会を結成。これにむけブロックゼミ開催を決定。
全国ゼミナール・プログラム
  医学教育についての討議(医学の発展における生理学の役割、予防医学の問題などを含む)。
  農村の健康の問題、結核(学生の健康)についての報告・討議。
なお、1月19日に世界平和協議会で決定した原水爆問題のウイーンアピールを正式に支持し、6月中旬に延期された国際放射能会議を支持援助することが決定された。

      ● ウイーンアピール 1月19日の世界平和協議会で日本代表、安井都氏が日本に於ける2300万署名の一大国民運動を報告したときに、全員一致でこれを世界の平和運動に拡大する事が決議されて出されたものである。

         全文 今日、いくつかの政府が原子戦争を始める準備をしようとしている。
            かれらは諸国民にこれをやむをえないものだと思い込ませようとしている。
            原子兵器の使用はみな殺し戦争をよびおこすであろう。私たちは宣言する。原子戦争を始める政府は、その国民の信頼を失い、すべての国民の糾弾を受けるであろう。
            私たちはためらう事なく、原子戦争を準備するものに反対する。
            私たちは全ての国で、原子兵器の貯蔵が破棄され、その製造が即時停止されることを要求する。
                            1955年1月19日、ウイーン
             世界平和協議会執行極会議

● 4月 ×日 九州学連・看護学校自治連を創出。

● 5月 ×日 医科歯科・新自治委員会でも国際ゼミに全面協力を決定。医科歯科からも1名を送ろう、クラス討議で歯学部を含めて全学生の支持を受ける代表を選ぶことと成った。

● 5月18日 医科歯科が医学連加盟決議。医学連関東ブロックでは重要な位置を占めながら、遅れての加盟は歯学部加盟の要件を学部の全学自治会として医学連がのんだ事。

● 5月18日 医学連・京都で開催中の医学連第2回中央委員会へ医科歯科大の代議員会が歯学部も含めて医学連加盟したい旨、伝えられた。中央委員会は特例としてこれを認め、将来は同じ目的を持ち国際ゼミなど同じ土俵にいる歯学部の運動に違和感はない、すでにある全歯協との関係は歯学ブロックとして合併、医歯学連とする構想も東大から出された。これで重要な働きをしている医科歯科大の医学連加盟が実現をしたのだ。

  医学連とは 今年本学が歯学部の問題も含んで加盟を申し入れた医学連については、既にクラス会などで充分に話されたことと思うが、一年生諸君のために、又今迄の活動を全学友に理解してもらう意味で、少し説明したいと思います。
昨年国際ゼミナールに日本代表を派遣する運動が全国の医大で行われ、その結集された力により、従来行われていたインターン問題を更に強力に推し進め、更に医学を学ぶ為によりよき条件を作り出す意味で、医学生の組織が必要であるという動きに変化してきた。そこで、今迄中心的に活動してきた東医大・東大・医歯大・慈恵大・日医大などが関東の各校に呼びかけ、関東医学生連合会が正式に発足した。しかし当時インターン対策連合との協力がスムーズに行かず、医学生の統一体としての役割を充分はたし得なかった。一方、全国の医大に照会して各校における授業内容改善の運動を知り、関東医学生懇談会を開くなど、地味な活動を続け、昨年11月全日本医学生連合結成全国大会が東大で開かれたのである。北は北海道、南は九州鹿児島からも代表が参加し、文字通り全国大会が開催され、医学生の当面している種々の問題が徹底的に話し合いされ、ここに正式に医学連が出発することになった。即ち全日本の医学生の学生運動を統一し次ぎの様な事項の実現を期する事になった。
一、医学生生活の安定向上。
二、自主的な学問、勉学の発展と学園自治の擁護。
三、内外の医学生間の友情と交流の促進。
この様な方針のもとに、東大遠藤幸隆君が書記長に就任し、活動を進めてきたのである。現在各地方毎に地方医学連があり、授業内容改善、インターン問題、スポーツの交換、ゼミナールなどの活動を進め真に医学生の学生運動の統一体としての役割を果たしつつある。これ等を具体的に説明するならば、授業内容改善については、札幌医大で4年が中心になり、TBのゼミナール、東北大の学生CPC、東大2年の各科目委員選出と授業の簡便化などの動きであり、本学でも昨年厚生補導部との話し合いによる授業内容改善、設備改善の話し合いが行われ、この6月35日にも開くことになっている。スポーツの交換であるが、西日本医学生競技会が毎年盛大に開かれており、関東でも日大が中心となって、現在計画中である。ゼミナールは昨年同様国際ゼミナールに3名の代表を送ることに決定し、全国の医大で資金カンパ、資料作成に努力しつつあり、本学でも医学部二年クラスが自衛隊医営貸費学生制度に反対し、全国医大にアッピールして、再軍備下の日本の医学生の現状を代表に託そうと準備中であり、今年は歯学部も2年生が中心になって、歯学教育制度の実情を調査して資料にまとめた。そして、6月18日から2日間に亘る国内ゼミへM2石岡君、D2森君が参加した。この様にして医学連が単なる医学部だけの組織でなく、実質的に歯学部の組織もともなって来たことは、喜ぶべき現象であり、又この姿こそ本来の姿でもあろう。(医歯大新聞6・20 第30号))

● 5月22日 第二回国際ゼミ日本代表団派遣選出会議が東京医大で行われ、阪大・島津君 京大・江藤君 日本医大・藤田君の3名の代表が決まった。

● 6月 1日 東大・国際ゼミ資金集めに映画会を開催。

     うたごえ 医科歯科大うたごえ会、木曜の昼休み。一枚の楽譜を持って肛門際の芝生で市街電車の音にもかき消されないうたごえが。曲はアコーデオン伴奏で、「オオ、ブレネリ」、「トロイカ」「バイカル湖のほとり」など。

● 6月11日 第3回歯科学生の集い・日大法文系教室で歯学生・衛生士学校・技工士学校の学生が多数出席して全国歯科学生協議会による集いが持たれ、映画なども上映、医科歯科からは合唱団も参加をした。

● 6月15日 名大・医自治会「小牧を守る会」結成、小牧基地拡張反対闘争を帰郷運動で展開することに決定。

● 6月16日 東大・国際ゼミ資金集めに再度映画会を開催。

● 6月 ×日 日大・日本医大。国際ゼミ資金集めにダンスパーテイを開催。

● 6月18〜19日 医学連大一回関西医学生ゼミナール・(於・京府)。参加校は20数校。
予防医学は予防医学研究会の京大生についての調査と阪大からの乳幼児死亡率のレポートが提出された。京大公衆衛生学西尾教授、関西医大公衆衛生学東田教授の健保、T・B,保健所を中心とした講演があった。医学教育については京都府立医大弓削教授、大阪市立大水野教授から1953年の講演リポートを中心にして、日本の教育制度や授業内容、学生の勉学態度について極めて内容の豊かな講演と東大の授業内容の改善運動の成果、鳥取大学の学校設備のすさまじい不完全さのスライドによる報告、更に医科歯科大学から日本の歯科教育の現状についての報告があり、ついで医学生の問題について、授業内容、アルバイトその他の医学生の生活問題。医科歯科より提出された自衛隊医官学生制度についての討論が行われ、国際医ゼミへの多くの資料と経験が集められた。国内ゼミに医科歯科からはM2、D2と歯学部からも参加があった。東京医大からは、高木庸一君(学三)と前医学連中央書記局員坂崎善暢君(学二)。

● 6月25日 医科歯科で授業内容改善・設備改善の話し合い。授業改善は医学連加盟各校でも札幌医大の4年生が中心になったTBのゼミナール、東北大生のCPC,東大2年生の各科目委員選出と授業の簡素化の動きがある。

● 6月 ×日 西医体(西医学生競技会)が毎年盛大に行われているが関東でも医学連の運動として、日大を中心に準備が進んでいる。

● 6月30日 医学連後援でシャンソン大会。国際ゼミ資金集めにシャンソン大会を神田共立講堂で開催。

● 7月 ×日 実地修練既刊300日出席を280日に減らす医学連全国統一行動の要求は7月に通った。
● 7月 5日 大阪市立大学・米軍兵舎となっている接収された杉本町校舎の全面返還運動を全学的に展開し、米軍から7月5日返還通告、9月20日に校舎全面返還を実現。

● 7月9日〜22日第二回国際医学生ゼミナールがベルリンで開催される。(於、フンボルト大学)24カ国参加。日本医学連から(予防医学)阪大・島津君 (国際協力)京大・江藤君 (医学教育制度)日本医大・藤田君の3名参加。 
(原爆症)岩崎教授。原水爆反対の講演には絶賛の拍手を得た。
会議終了後、31日ワルシャワの三君は第5回世界青年学生平和友好祭に出席。百数十カ国、約三万人参加。

● 8月3〜5日 第一回全国医学生サマーキャンプ・福島医大主管、野口英世の生家を見て裏磐梯へ。20校144名参加。

● 9月11日 京都の『荒神橋事件』重傷者三名、軽傷者三名は府立医大病院に収容。九月の全学連中央委員会の決議に基づいて学園復興会議が11月8日から五日間京都で開催された。そして会場に予定されていた京大法経第一教室使用をめぐり京大当局と対立し、これに警官が介入することによって、7日には学生40名前後が負傷し、11日は遂に荒神橋で警官に圧迫され15名が川原に落下重軽傷の流血を起こした事件。

● 9月13日 関東ブロック「イ」会議(於、東京医科歯科大学)全国協議会へ方針討議。

● 9月16〜18日 インターン運動全国協議会(於・名古屋)参加39校、終了後にレセプションを開催。13項目の確認事項は、@300日問題、280日になったのは運動の成果。A身分保障。B定期券問題。C厚生省予算について。D願書管理(保留)。E実地修練基準。F定員。G自衛隊「イ」医官について。自衛隊「イ」医官にはかなりの給与が出るのに「イ」生の経済的裏づけがないのを広く訴え、我々の望む「イ」制を確立すべく努力する。H「イ」生の思想調査について。思想調査を「イ」生採用条件にする事には断固反対する。I祖指揮について。J「イ」連合結成と学生の交流。K調査。L中央交渉と世論化。

「イ」運動の全国統一化。名古屋大学を中心とする東海ブロック会議、具体案以下提出。
@ イ生度は学内、特に下級生でどの程度関心を寄せているか。
A 300日問題、願書管理はどのくらい問題にされているか。
B 講義内容改善運動の成果。
C イ生と学生の交流、イ生の要。
D 毎年の運動でイ生と学生の交流、イ生の待遇がどのくらい変わったか。
なお、総会終了後、看学生との懇談会が行われる予定であり、1、全看学連について。2、対外活動について。3、自治会活動と生徒の動き。4、正看との連絡態勢について、を討論。

● 10月22日 第7回関東医大新聞懇親会 (於、大森ヤマニバー2階) 東邦、東大、群馬、慶応、慈恵、女子医、日本医大が参加。

● 10月7〜9日 第一回全国医ゼミ開催。 京府医大・京大・阪大の三大学主管。於:京府。参加校30数校、300名参加。才一日目は国際ゼミ参加報告。第二日目は各分科会に別れ、第一会場は各大学のセツルの成果や現状報告がなされた。第二会場では健康診断や、集団調査について。第三会場では千葉大の発表を中心に東洋医学研究その他が行われ、第四会場では、寄生虫調査の結果が発表された。更に綜合発表が午後から行われ、放射能障害について物理学、病理学、内科学の各方面からの京大教授助教授人からの発表が行われた。学生側からも阪大の発表があり活発な討議がなされた。第三日は現行医療制度について開業医、病院医師の立場からの批判が行われ、名古屋のインターン大会の報告が行われた。最後に本医ゼミの反省か行われた。
● 11月8〜12日 9月全学連大会の方針で京都で全国学園復興会議が開催され、この期間を通じて会場に予定されていた京大法経第一教室の使用をめぐって京大当局と学生が対立し、これに警官が介入することによって、7日には学生四〇名前後が負傷し、11日は遂に荒神橋における流血事件まで引起した。四時四五分、学生の先頭が東方から荒神橋中央部をわたった時、市警中立売署員約二〇名が不法デモを理由として学生たちを阻止しにかかった。実力で阻止しようとする警官隊はもみ合ううち学生達を橋上において南側の木製欄干につよく押しつけた。その瞬間、腐朽した欄干は一〇米余にわたって折損し、前部数列の一〇数名が約五米下の河原に折かさなって墜落流血の惨事をひきおこした。
 負傷者のうち重傷者四名は第二日赤病院に、重傷者三名、軽傷者三名は府立医大病院に収容された。脳底骨折、顔裂傷、骨盤骨折、背椎打撲、左・右腕骨折、脳震盪などの負傷で、そのうち一名は瀕死の重傷を負っている。
 会議は8日の同志社大明徳館における総会で始まり、100余校約800名の代表が参加して、学園復興問題のシンポジウム、各校の実情報告があり、9日から各分科に分れて討論が行われた。インターンで経費がかかりすぎると医学生よりも報告。
● 11月11日〜13日 医学連第2回全国大会(於、東京衆議院第3会館) 加盟31校・未加盟5校、計36校百十数名の参加。関西医学生新聞連盟からメッセージが送られてきた。
第1日目終了後親睦のためにレセプションが東京医科大学学生ホールで行われた。全国医学部学生代表100名が参加。食事はグリル三平のハンバーグライス。東京医大ブルーハワイアンズの演奏、児童研究会のシルエットなどの出し物。その後地方色豊かな飛び入りが続出、珍芸に哄笑の渦となる。最後に「若者よ」の大合唱で会が閉じられた。

   (総会第1日)
遠藤委員長の年間活動報告、北海道をのぞく各ブロック報告、国際医学生ゼミ・赤松君(日本医大)40万の赤字処理。国内医ゼミ・上羽君(京府)、サマーキャンプ・梅津君(福島医大)の報告と質疑応答。

   (総会第2日・第3日)
1、国際ゼミ。来年度ゼミに参加日本からの問題提起。
2、国内ゼミ、医学連主催で行う。テーマは@寄生虫の問題 A農村調査 B授業内容 明年開催決定。(於・京府)京大と京府医大の共同開催として第一回医ゼミがもたれる。
3、第2回サマーキャンプ。医学連の年中行事として行い、次回開催は鳥取大、大仙。
4、授業内容改善問題。具体的結論に至らず。
5、学生健康保険、文部省案に反対。
6、大学院と専門医。東大から大学院白書を提出。専門医を中央でまとめる。
7、広島大学医学部移転、現在地呉市と広島市の政治的策謀戦は医学部存続問題に発展。医学連は廃止に反対。
8、財政問題。未納校が多いことに対して、学生一人に対して15円と決定。

  尚、今次大会に於いて医歯大、山口医大が加入し、46大学中、33校が加盟 中央書記局校は日本医大。
    (インターン分科会)
2、3日目に自民党、社会党などの社会労働委員が出席し、質疑応答が行われた。
決議ならびに確認事項要旨
@身分保障の問題。「インターン生は上司の指導の下に医療行為を行うことができる」を基に法文化への努力。東北・及第が担当。
A予算獲得、(31年度)のための問題。大蔵省主計局との中央交渉。
B世論化の方策
 イ、医系議員との密接化、医系議員と懇談会を関東ブロックで持つ。
 ロ、三大紙(朝日・毎日・読売)に投書。
 ハ、地方では放送局、地方新聞に夫々、独自の方法で働きかけ利用する。
 二、県医師会に働きかける。
C、定期券問題。意見の一致をみず方針保留。
D、イ生連合結成の問題。各校で現学4のイ生連合の必要性、打診。
E、イ生生活実態調査集計、東北大が集計。
F、「イ生手帳」。厚生省案について討論。

● 11月12日〜13日 医学連大会場の第三議員会館で・インターン委員会。

● 11月18日 国際医ゼミ報告。東北、北海道へ全国大会の決定に基づき日本医大・藤田、中島君が出発。 島津、江藤君(阪大・京大)は西日本を報告活動。

● 11月24日 国際ゼミ代表帰国記念音楽会、医学連関東ブロック主催。(於、豊島公会堂)
―ジョイントリサイクル―純益は国際医ゼミ代表派遣費に。

   国際ゼミとは  国際医学生ゼミナールは1954年国際学連の後援によりオスロ−で開かれたのが最初であり、その目的とするところは、一、国際交流の一環として各国医学生の経験交流。二、各国医学生生活改善の為の経験交流。三、各国の有名教授の学術講演による最新医学研究の紹介。四、各国医学生間の友情と等でありこれに沿って前二回のゼミナールがオスロー、ベルリンで開かれた。各国医学教育を参考として日本の各校で改善がなされており、日本の各校に於ける学生の自主的活動が盛んに成りつつある姿で日本に大きな意義をもたらしている。

● 11月26日 第7回関東医大新聞連合懇親会。(於、群大)群大、東大、東医、東邦、女子医、日本医大が参加。

● 11月27日 全国セッツル連合結成大会。(於、教育大)10月の国内医ゼミを頂点に全セツの計画実る。

● 12月23日 第8回関東医大新聞連合懇親会。(於、女子医)。昭和、千葉、慈恵、医歯大、慶応、東医、東邦、女子医、日本医大が参加。中国視察から帰られた心臓外科の榊原教授の中国医学生の生活についての有意義な談話とスライド映写後、心臓研究所を見学した。



医学連中央委員会・政治闘争へ方針転換。イ制闘争を「放棄」。

● 1月6〜7日 医学連第3回中央委員会・衆議院会館第三議員会館で。中央委員長未決定のまま終った全国大会の不備を補うために開会。福島医大の菅野君が中央委員長に選出。@、委員長選出の関東ブロックよりの努力。A、国際医ゼミへの諸問題。B、国内医ゼミ主管とテーマの決定。C、学生健保問題について。D、イ問題の現実的運営。

● 1月28日 第9回関東医大新聞懇親会。(於、昭和)昭和、千葉、慈恵、医歯大、慶応、東医、東邦、女子医、日本医大が参加。連合31年計画について討議。

● 1月28日 都内有志医科大学懇親ダンスパーテイ。プリンスホテルで都内有志校自治会(医学連加盟校)東京医大・東女医大・日医大・日大医・医科歯科自治会の共催で医学生の親睦を深めるための懇親パーテイが開かれ盛大であった。純益は、医学連の借金返済に充てられた。

● 2月 2日 日本医大・全学連4000人の授業料値上げ反対デモへ参加。

● ×月 ×日 熊本 クラス80名の意見をまとめ授業料値上げを撤回さす。

● 5月 ×日 医学連第4回全国大会。国内医ゼミ主管校である慈恵医大からの次の原則案が承認された。即ち将来立派な医師となるためにというスローガンの下に、我々を取り巻く生活野中からいくつかの観点を取り上げ、その点から取り組もうという考えであって、その観点とは、
一、学生生活の面から 一、研究調査の面から 一、我々の生活している生活の面から、という三つである。
次にこの三つの原則に従って、三日間に討論される予定の、総会及び分科会でのテーマを挙げる。
一、医学教育制度について 二、現行医療制度について 三、寄生虫について 四農村問題について 五、医学生と経済状態(学生健保を含める) 六、医学界の封建制について 七、医学の方法論 八、結核研究 九、集団検診及び健康管理 十、その他。

● 4月 末日 医学連・国内医ゼミ関東ブロック準備会開催。

● 5月16日 医学連・東京日比谷野外音楽堂での全国学生総決起集会へ参加。「原水爆禁止、小選挙区法案粉砕、教育三法案反対と国際学連の旗の下、全学連に結集せよ。」

● 5月16日 医科歯科大自治会・「原水爆禁止、小選挙区法案粉砕、教育三法案反対」の訴えを出し、小雨降る中日比谷野外音楽堂に於ける全学連3000の集会に水島副委員長を送る。

● 5月27日 医科歯科大自治会・「原水爆禁止、小選挙区法案粉砕、教育三法案反対」、にクラス討論を開き全学連集会、水島副委員長と30数名の学友が参加。

● 6月20日 医学連は全学連の呼びかけに応え、国鉄当局に抗議。

● 7月×日 国際医学生ゼミ・医学連代表3名レニングラードへ出発。来年の国際ゼミは日本提案の(医学教育制度・医学生の諸問題・後進国の問題)。甲府困難視されていた香港→中国→ソ連への旅券も発行の見込み。

● 7月9〜18日 医学連・レニングラードでの第3回国際ゼミナールに参加。菅野(福島医大)、墨田(東邦医大)、上田(東大医)が参加し、医学的な講演と討議、学生の自主的研究と討論、研究所などの視察がなされた。過去の医ゼミが学生から浮き上がっていることが批判され、つながりを密にする努力がなされた。

● 7月〜8月 東京医大学友会・医学連中央書記局を担当することになり、事務担当者を選出。学4宮崎秀樹君(のちの自民党参議院議員)、学1鈴木弘文君、進学2年平沼比呂志君。

● 7月12日 医学連・サマーキャンプ・40校180名参加。於・鳥取大山。

● 7月 ×日 第1回東医体開催・(東日本医科学生総合体育大会)。相次ぎ東西医体の発足。

    ● 8月 6日 厚生省案として日本医療体系の今後の方向として『専門医と家庭医に分け
専門医制度を推進する』と毎日が報道。以後医師会、各学会、医学連などで問題化。

● 8月 9日 医学連・原水爆禁止世界大会に日本医大米田君が参加。学生運動の指導的立場として、医学連が存在し、医学制度の前進に責務を果たしている旨を発言。

● 9月13日 医学連は全学連等と共に国鉄値上げ反対の対等委員会発足へ。

● 9月17日 医学連関東ブロック会議(関ブロ)於・MD。国際ゼミ・学生健保・イ制度・国内ゼミの報告。医療情勢。医学連新書記局設置 遠藤・石井(東大)、天明(東邦医大)、米島(日医)、池沢(医科歯科)、この他東医・慈恵から参加予定。連絡先は東大。

● 10月6〜7日 医学連第5回中央委員会(参議院議員会館第3号館第一会議室)。春からの教育三法・小選挙区制反対闘争へ取り組んでいるが、全学連による砂川闘争が焦点化。
医学連は原水爆禁止世界大会に日医の米島君を長崎に派遣、今後とも学生運動の一環として、医学生への指導団体として、、さらには医学制度への前進的発言者として大きな発展の途上にある。しかし、各医学生の日常的諸要求も、またその根本的解決としての政治的発言、及び、その指導を行う最高の機関になる筈の医学連中央書記局は、従来は三ヶ月の各大学の持ちまわり制であった。このことは学生運動の急速なテンポの、また反動的諸立法の中で、次第に影の薄くなりつつある社会保障の諸制度への適切な発言指導に多大の支障が感じられるようになった。
5中委は砂川など基地問題、さらに学生健保、インターン問題、その他医療行政一般に及ぶ活動方針が打ち出された。医学連大会を前に,東大、医歯大、日医大、慈恵医大より半常任的書記局を持って書記局を構成する。医歯大からも池澤君(医1年)が書記局入り、中央委員選出校であるので、医3の中島君が中央委員に選出されている。

         医学連第5回中央委員会 議題
        @、第4回拡大中央委員会以後の活動報告(前中央書記局より)
        A、第3回医学連全国大会の運営準備(議題・日取り等)の決定。
        B、第3回医学連全国大会までの運動方針。
           (イ) 一般方針
           (ロ)専門医制度対策
           (ハ) インターン制度対策
           (二)学生健康保険問題
           (ホ) 国鉄運賃問題
           (ヘ)国内ゼミナール
           (ト) 国際ゼミナールの報告、活動
        C、原水爆禁止長崎大会の特別報告(日医大・米島君)
            (附) 全日本原水爆禁止協議会に加盟の件。
        
● 10月18日 医歯大新聞に「無名時代の石原慎太郎」なる文章を 医3・石岡忠夫君執筆。

● 10月21〜22日 MD・第5回お茶の水祭を開催。

● 10月28日 医ゼミ前夜祭。合唱と演劇。

● 国際学連の分裂  ハンガリー政府に対しての10月28日蜂起・いわゆる「ハンガリー動乱」。今で言うハンガリー革命を巡って国際学連ICU(The International Union of Students)の分裂。西側諸国からは日本全学連以外は脱退して、ISC(International Student Conferences)に移行し、CIAの援助を得る。1949年に労働運動はマーシャル・プランの評価を巡って世界労連から自由労連が分裂するから学生版の「自由学連」とでも訳せようか。東側はソ連、チェコなど国家からの財政援助があった。

● 10月28〜31日 医学連第2回全国医学生ゼミナール 於・慈恵。 〔テーマ〕「日本の医療の現状と政府の社会保障政策」医学教育制度。医療制度。 〔分科会〕@医学教育制度、A医療制度、B医学の方法論、C寄生虫、D結核、E集検と健康管理、慈恵医大セツルF農村と医療、Gその他。  〔報告〕原水禁第2回大会、国際医ゼミ、アナフィラキシー、国際遺伝学会報告。
28日、前夜祭で音楽・演劇など。29日、総会・分科会・国際ゼミ報告。

● 11月23〜25日 医学連第3回大会(35校、200人参加)無理論、無方針の自己批判。「情勢の正確な分析に基づく、医学生の利益・平和と民主主義を守るための方針」の五中委を発展。
〔第一日〕新加盟の新潟医大・広大の紹介。地方報告の後、基本方針の必要性を採択。於、全造船会館。 〔第二日〕情勢分析を岐阜・金沢は必要性ナシとし、書記局・名大などが説得。混乱。〔第三日〕於、衆議院第三議院会館。五中委決議の原水禁への加盟と書記局の当面の行動方針を可決。満場一致で「平和を守るために」「民主主義を守るために」「日本の医療・医学を守るために」など8項目全部を採択。
(当面の運動方針)「国鉄、私鉄の値上げ反対運動。32年度予算増額要求・イ生身分確立立法化・イ生待遇・指導の充実を厚生省・各病院へ要求・専門医についての立場確立の研究論争。」
(人事)委員長に東邦大・天明君、書記長に東大・石井保男君。石井君が東大医自推薦で中執に。中執には京大・今泉君、医科歯科・池澤君、日医大・松崎君、米島君。

● 11月24〜25日 全自代・全学連主催。医学連・私学連などの共催。国鉄値上げ、砂川闘争支援などを討論。

● 11月 ×日 医学連は厚生省・各病院へ抗議。12月20日から臨時国会で政府「健保改悪」に。

● ×月 ×日 厚生省への32年度「イ」予算増額要求はわずか610万に終った。
● 11月 ×日  1956年の北海道は冷害で農民は大変苦しいものとなりました。そうした惨状を自らの目で確かめようとして、北大医学進学課程の学生たちがその年の11月、日高の穂別村に向かいました。そこで、彼らは人形劇などを行い、そこの子どもたちに大変喜ばれ、次からもずっと訪問を続けることを決意し、北海道初のセツルメント「どんぐり会」を医進生の岸が結成(1984年「札幌」に吸収され消滅)。

● 12月21日 医科歯科・池澤康郎レポート。「ハンガリヤ問題 平和は脅かされたか」池澤康郎M1。(医歯大新聞38号)


return to the top1957-1958