● 1月 8日 日本医大山村文化工作隊出発。 ● 1月14日 日本医大 日本共産党日本医大細胞機関紙『明るい大学』第12号へ日本共産党中央執行部宮本顕治寄稿。 ● 1月15〜16日 西日本看護学生の集い(於ける、京都市教育会館・京大学友会館) 京大・阪大・山口日赤他15校60名参加。 ● 1月24日 日本医大 日本共産党日本医大細胞機関紙『明るい大学』第13号のスローガン ● 2月25日 医学連・イ生の出勤日数増加の厚生省案粉砕全国統一行動。代表が厚生省に陳情。 ● 2月 ×日 日本医大 日本民青団日本医大班結成! ● 2月25日 医学連全国統一行動 実地修練期間300日出席を280日に減らす内容で7月になり、この要求が通っている。 ● 4月 1日 九大医学部に医学進学課程を設置。 ● 4月 1日 北大病院では医学部附属病院志願医員規定が設けられ、それぞれの診療科長を経て病院長の許可によって志願医員となることが定められた。(それまでは研修員という名称が用いられていた。) ● 4月7〜9日 医学連拡大中央委員会・全学連代表を迎え国際医ゼミ(ベルリン)代表派遣を決定。多くの学友を送るべく医学連は中央準備会を結成。これにむけブロックゼミ開催を決定。 ● ウイーンアピール 1月19日の世界平和協議会で日本代表、安井都氏が日本に於ける2300万署名の一大国民運動を報告したときに、全員一致でこれを世界の平和運動に拡大する事が決議されて出されたものである。 全文 今日、いくつかの政府が原子戦争を始める準備をしようとしている。 ● 4月 ×日 九州学連・看護学校自治連を創出。 ● 5月 ×日 医科歯科・新自治委員会でも国際ゼミに全面協力を決定。医科歯科からも1名を送ろう、クラス討議で歯学部を含めて全学生の支持を受ける代表を選ぶことと成った。 ● 5月18日 医科歯科が医学連加盟決議。医学連関東ブロックでは重要な位置を占めながら、遅れての加盟は歯学部加盟の要件を学部の全学自治会として医学連がのんだ事。 ● 5月18日 医学連・京都で開催中の医学連第2回中央委員会へ医科歯科大の代議員会が歯学部も含めて医学連加盟したい旨、伝えられた。中央委員会は特例としてこれを認め、将来は同じ目的を持ち国際ゼミなど同じ土俵にいる歯学部の運動に違和感はない、すでにある全歯協との関係は歯学ブロックとして合併、医歯学連とする構想も東大から出された。これで重要な働きをしている医科歯科大の医学連加盟が実現をしたのだ。 医学連とは 今年本学が歯学部の問題も含んで加盟を申し入れた医学連については、既にクラス会などで充分に話されたことと思うが、一年生諸君のために、又今迄の活動を全学友に理解してもらう意味で、少し説明したいと思います。 ● 5月22日 第二回国際ゼミ日本代表団派遣選出会議が東京医大で行われ、阪大・島津君 京大・江藤君 日本医大・藤田君の3名の代表が決まった。 ● 6月 1日 東大・国際ゼミ資金集めに映画会を開催。 うたごえ 医科歯科大うたごえ会、木曜の昼休み。一枚の楽譜を持って肛門際の芝生で市街電車の音にもかき消されないうたごえが。曲はアコーデオン伴奏で、「オオ、ブレネリ」、「トロイカ」「バイカル湖のほとり」など。 ● 6月11日 第3回歯科学生の集い・日大法文系教室で歯学生・衛生士学校・技工士学校の学生が多数出席して全国歯科学生協議会による集いが持たれ、映画なども上映、医科歯科からは合唱団も参加をした。 ● 6月15日 名大・医自治会「小牧を守る会」結成、小牧基地拡張反対闘争を帰郷運動で展開することに決定。 ● 6月16日 東大・国際ゼミ資金集めに再度映画会を開催。 ● 6月 ×日 日大・日本医大。国際ゼミ資金集めにダンスパーテイを開催。 ● 6月18〜19日 医学連大一回関西医学生ゼミナール・(於・京府)。参加校は20数校。 ● 6月25日 医科歯科で授業内容改善・設備改善の話し合い。授業改善は医学連加盟各校でも札幌医大の4年生が中心になったTBのゼミナール、東北大生のCPC,東大2年生の各科目委員選出と授業の簡素化の動きがある。 ● 6月 ×日 西医体(西医学生競技会)が毎年盛大に行われているが関東でも医学連の運動として、日大を中心に準備が進んでいる。 ● 6月30日 医学連後援でシャンソン大会。国際ゼミ資金集めにシャンソン大会を神田共立講堂で開催。 ● 7月 ×日 実地修練既刊300日出席を280日に減らす医学連全国統一行動の要求は7月に通った。 ● 7月9日〜22日第二回国際医学生ゼミナールがベルリンで開催される。(於、フンボルト大学)24カ国参加。日本医学連から(予防医学)阪大・島津君 (国際協力)京大・江藤君 (医学教育制度)日本医大・藤田君の3名参加。 ● 8月3〜5日 第一回全国医学生サマーキャンプ・福島医大主管、野口英世の生家を見て裏磐梯へ。20校144名参加。 ● 9月11日 京都の『荒神橋事件』重傷者三名、軽傷者三名は府立医大病院に収容。九月の全学連中央委員会の決議に基づいて学園復興会議が11月8日から五日間京都で開催された。そして会場に予定されていた京大法経第一教室使用をめぐり京大当局と対立し、これに警官が介入することによって、7日には学生40名前後が負傷し、11日は遂に荒神橋で警官に圧迫され15名が川原に落下重軽傷の流血を起こした事件。 ● 9月13日 関東ブロック「イ」会議(於、東京医科歯科大学)全国協議会へ方針討議。 ● 9月16〜18日 インターン運動全国協議会(於・名古屋)参加39校、終了後にレセプションを開催。13項目の確認事項は、@300日問題、280日になったのは運動の成果。A身分保障。B定期券問題。C厚生省予算について。D願書管理(保留)。E実地修練基準。F定員。G自衛隊「イ」医官について。自衛隊「イ」医官にはかなりの給与が出るのに「イ」生の経済的裏づけがないのを広く訴え、我々の望む「イ」制を確立すべく努力する。H「イ」生の思想調査について。思想調査を「イ」生採用条件にする事には断固反対する。I祖指揮について。J「イ」連合結成と学生の交流。K調査。L中央交渉と世論化。 「イ」運動の全国統一化。名古屋大学を中心とする東海ブロック会議、具体案以下提出。 ● 10月22日 第7回関東医大新聞懇親会 (於、大森ヤマニバー2階) 東邦、東大、群馬、慶応、慈恵、女子医、日本医大が参加。 ● 10月7〜9日 第一回全国医ゼミ開催。 京府医大・京大・阪大の三大学主管。於:京府。参加校30数校、300名参加。才一日目は国際ゼミ参加報告。第二日目は各分科会に別れ、第一会場は各大学のセツルの成果や現状報告がなされた。第二会場では健康診断や、集団調査について。第三会場では千葉大の発表を中心に東洋医学研究その他が行われ、第四会場では、寄生虫調査の結果が発表された。更に綜合発表が午後から行われ、放射能障害について物理学、病理学、内科学の各方面からの京大教授助教授人からの発表が行われた。学生側からも阪大の発表があり活発な討議がなされた。第三日は現行医療制度について開業医、病院医師の立場からの批判が行われ、名古屋のインターン大会の報告が行われた。最後に本医ゼミの反省か行われた。 (総会第1日) (総会第2日・第3日) 尚、今次大会に於いて医歯大、山口医大が加入し、46大学中、33校が加盟 中央書記局校は日本医大。 ● 11月12日〜13日 医学連大会場の第三議員会館で・インターン委員会。 ● 11月18日 国際医ゼミ報告。東北、北海道へ全国大会の決定に基づき日本医大・藤田、中島君が出発。 島津、江藤君(阪大・京大)は西日本を報告活動。 ● 11月24日 国際ゼミ代表帰国記念音楽会、医学連関東ブロック主催。(於、豊島公会堂) 国際ゼミとは 国際医学生ゼミナールは1954年国際学連の後援によりオスロ−で開かれたのが最初であり、その目的とするところは、一、国際交流の一環として各国医学生の経験交流。二、各国医学生生活改善の為の経験交流。三、各国の有名教授の学術講演による最新医学研究の紹介。四、各国医学生間の友情と等でありこれに沿って前二回のゼミナールがオスロー、ベルリンで開かれた。各国医学教育を参考として日本の各校で改善がなされており、日本の各校に於ける学生の自主的活動が盛んに成りつつある姿で日本に大きな意義をもたらしている。 ● 11月26日 第7回関東医大新聞連合懇親会。(於、群大)群大、東大、東医、東邦、女子医、日本医大が参加。 ● 11月27日 全国セッツル連合結成大会。(於、教育大)10月の国内医ゼミを頂点に全セツの計画実る。 ● 12月23日 第8回関東医大新聞連合懇親会。(於、女子医)。昭和、千葉、慈恵、医歯大、慶応、東医、東邦、女子医、日本医大が参加。中国視察から帰られた心臓外科の榊原教授の中国医学生の生活についての有意義な談話とスライド映写後、心臓研究所を見学した。 医学連中央委員会・政治闘争へ方針転換。イ制闘争を「放棄」。 ● 1月6〜7日 医学連第3回中央委員会・衆議院会館第三議員会館で。中央委員長未決定のまま終った全国大会の不備を補うために開会。福島医大の菅野君が中央委員長に選出。@、委員長選出の関東ブロックよりの努力。A、国際医ゼミへの諸問題。B、国内医ゼミ主管とテーマの決定。C、学生健保問題について。D、イ問題の現実的運営。 ● 1月28日 第9回関東医大新聞懇親会。(於、昭和)昭和、千葉、慈恵、医歯大、慶応、東医、東邦、女子医、日本医大が参加。連合31年計画について討議。 ● 1月28日 都内有志医科大学懇親ダンスパーテイ。プリンスホテルで都内有志校自治会(医学連加盟校)東京医大・東女医大・日医大・日大医・医科歯科自治会の共催で医学生の親睦を深めるための懇親パーテイが開かれ盛大であった。純益は、医学連の借金返済に充てられた。 ● 2月 2日 日本医大・全学連4000人の授業料値上げ反対デモへ参加。 ● ×月 ×日 熊本 クラス80名の意見をまとめ授業料値上げを撤回さす。 ● 5月 ×日 医学連第4回全国大会。国内医ゼミ主管校である慈恵医大からの次の原則案が承認された。即ち将来立派な医師となるためにというスローガンの下に、我々を取り巻く生活野中からいくつかの観点を取り上げ、その点から取り組もうという考えであって、その観点とは、 ● 4月 末日 医学連・国内医ゼミ関東ブロック準備会開催。 ● 5月16日 医学連・東京日比谷野外音楽堂での全国学生総決起集会へ参加。「原水爆禁止、小選挙区法案粉砕、教育三法案反対と国際学連の旗の下、全学連に結集せよ。」 ● 5月16日 医科歯科大自治会・「原水爆禁止、小選挙区法案粉砕、教育三法案反対」の訴えを出し、小雨降る中日比谷野外音楽堂に於ける全学連3000の集会に水島副委員長を送る。 ● 5月27日 医科歯科大自治会・「原水爆禁止、小選挙区法案粉砕、教育三法案反対」、にクラス討論を開き全学連集会、水島副委員長と30数名の学友が参加。 ● 6月20日 医学連は全学連の呼びかけに応え、国鉄当局に抗議。 ● 7月×日 国際医学生ゼミ・医学連代表3名レニングラードへ出発。来年の国際ゼミは日本提案の(医学教育制度・医学生の諸問題・後進国の問題)。甲府困難視されていた香港→中国→ソ連への旅券も発行の見込み。 ● 7月9〜18日 医学連・レニングラードでの第3回国際ゼミナールに参加。菅野(福島医大)、墨田(東邦医大)、上田(東大医)が参加し、医学的な講演と討議、学生の自主的研究と討論、研究所などの視察がなされた。過去の医ゼミが学生から浮き上がっていることが批判され、つながりを密にする努力がなされた。 ● 7月〜8月 東京医大学友会・医学連中央書記局を担当することになり、事務担当者を選出。学4宮崎秀樹君(のちの自民党参議院議員)、学1鈴木弘文君、進学2年平沼比呂志君。 ● 7月12日 医学連・サマーキャンプ・40校180名参加。於・鳥取大山。 ● 7月 ×日 第1回東医体開催・(東日本医科学生総合体育大会)。相次ぎ東西医体の発足。 ● 8月 6日 厚生省案として日本医療体系の今後の方向として『専門医と家庭医に分け ● 8月 9日 医学連・原水爆禁止世界大会に日本医大米田君が参加。学生運動の指導的立場として、医学連が存在し、医学制度の前進に責務を果たしている旨を発言。 ● 9月13日 医学連は全学連等と共に国鉄値上げ反対の対等委員会発足へ。 ● 9月17日 医学連関東ブロック会議(関ブロ)於・MD。国際ゼミ・学生健保・イ制度・国内ゼミの報告。医療情勢。医学連新書記局設置 遠藤・石井(東大)、天明(東邦医大)、米島(日医)、池沢(医科歯科)、この他東医・慈恵から参加予定。連絡先は東大。 ● 10月6〜7日 医学連第5回中央委員会(参議院議員会館第3号館第一会議室)。春からの教育三法・小選挙区制反対闘争へ取り組んでいるが、全学連による砂川闘争が焦点化。 医学連第5回中央委員会 議題 ● 10月21〜22日 MD・第5回お茶の水祭を開催。 ● 10月28日 医ゼミ前夜祭。合唱と演劇。 ● 国際学連の分裂 ハンガリー政府に対しての10月28日蜂起・いわゆる「ハンガリー動乱」。今で言うハンガリー革命を巡って国際学連ICU(The International Union of Students)の分裂。西側諸国からは日本全学連以外は脱退して、ISC(International Student Conferences)に移行し、CIAの援助を得る。1949年に労働運動はマーシャル・プランの評価を巡って世界労連から自由労連が分裂するから学生版の「自由学連」とでも訳せようか。東側はソ連、チェコなど国家からの財政援助があった。 ● 10月28〜31日 医学連第2回全国医学生ゼミナール 於・慈恵。 〔テーマ〕「日本の医療の現状と政府の社会保障政策」医学教育制度。医療制度。 〔分科会〕@医学教育制度、A医療制度、B医学の方法論、C寄生虫、D結核、E集検と健康管理、慈恵医大セツルF農村と医療、Gその他。 〔報告〕原水禁第2回大会、国際医ゼミ、アナフィラキシー、国際遺伝学会報告。 ● 11月23〜25日 医学連第3回大会(35校、200人参加)無理論、無方針の自己批判。「情勢の正確な分析に基づく、医学生の利益・平和と民主主義を守るための方針」の五中委を発展。 ● 11月24〜25日 全自代・全学連主催。医学連・私学連などの共催。国鉄値上げ、砂川闘争支援などを討論。 ● 11月 ×日 医学連は厚生省・各病院へ抗議。12月20日から臨時国会で政府「健保改悪」に。 ● ×月 ×日 厚生省への32年度「イ」予算増額要求はわずか610万に終った。 ● 12月21日 医科歯科・池澤康郎レポート。「ハンガリヤ問題 平和は脅かされたか」池澤康郎M1。(医歯大新聞38号) | |
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