● 2月24日 全国医大連合第3回イ対策協議会・全国医師への廃止署名、衆参両院議員総会への廃止の訴え、及び各学校での取組決議。すでに京都(6割)、大阪(7割)の廃止決議を集める。岡大でも活発化。

● ×月×日 全国各学部別の全国組織で、主として各学部毎に特有な問題解決のために活動している産別学連として、結成は五三年秋の学園復興会議やまたは各国際会議のための代表派遣準備を契機としており、医学部では全国医科大学連合(全医連)があった。

● 2月27日 医大連合国会請願・衆院厚生委員会でイ制廃止を請願。各党控え室に政策をただす。

● 3月2日 イ制改正厚生省案・第1回案なれど抽象的。

● 3月×日 全学連第6回全国大会決議・〔今日ますます、凶暴化してゆく米日反動の政策は学園に対し、、、。 また、アメリカ教育制度の直輸入であるイ制をなんらの補償もなしに押し付け、国家試験や医学課程は深刻に医学部学生を苦しめている〕。医系スローガン(1イ制、国家試験を廃止し、医学課程を改善せよ。)

● 4月 ×日 島成郎・処分が解かれ、東大に復学をゆるされる。

● 4月 ×日 氷川下セツルメント40名で結成。(2000年4月解散)。

● 4月25日 医大連合西日本大会・イ制反対署名運動決定。

● 6月 4日 京大・、講和条約発効後の治安対策として立法化された破壊活動防止法(破防法)に対し、4日には経済・理・文・農・医学部と吉田分校で学生大会が開催されて、やはりストライキ実施が決議され、その結果学生一三名が認責処分を受けている。破防法は7月公布された。

      ● 6月 7日 各地の民診が合流して全日本民医連を結成。全日本民主医療機関連合会略称を「全日本民医連」、英語名Japan Federation of Democratic Medical Institutions.国際的呼称は「MIN−IREN」

● 6月11~15日 全学連第6回全国大会決議・『今日、ますます凶暴化してゆく米日反動の政策は学園に対して、、、、また、アメリカ教育制度の直輸入であるイ制をなんらの保障もなしに押しつけ、国家試験や医学課程は深刻に医学部の学生を苦しめている』
  医系スローガン、インターン制度、国家試験を廃止し、医学課程を改善せよ。

● 6月 ×日 阪大・阪市大 水害に医療班を数次にわたり派遣。

● 7月 ×日 参議院でイ問題が活発に取り上げられ7月始め公聴会にイ生や医学生の代表が代表が参考人として出席。同年インターン願書保留の決議を行うなど活発化。医学生は「インターン制度の内容充実、給与支給、国家試験の廃止」等の要求を掲げ、この要求の入れられないときはインターンの願書保留決議を35校で行うなど、活発な運動を展開、その結果、食・被服費として2500円が支給の改善案を厚生省が出したが大蔵省で予算化ならず(2億円の予算がわずか700万円)でお流れ。

● 7月16日 名大・名市大、教授の妨害を蹴り、セツル総会。活動内容(診療・衛生思想普及・環境調査・小中学生の学習指導)。名大医自より『内灘への調査代表団派遣』の提起。
金沢医の医療班に激励を送ることを決議。

● 8月 8日 国立大授業料問題・東大と医科歯科に書記局を置き国会陳情を繰返す。参院本会議で請願書採択。2年、1年から値上げ。10ヶ月の長丁場に。大石ヨシエ女子は「授業料は一切払うな、もし大学で払えと言ったら大石ヨシエに取りに来いと言え、、、」というエピソード。

● 9月13日 医大連合、西日本ブロック会議(不参加7校)が京大で開催、『次期国会で我々の要求が受け入れられるまで、西日本のみでも願書提出保留をする』と強い決議。

● 9月14日 名大・自治庁通達反対で学生大会。

● 9月21日 医大連合、西日本の決議を受け、東日本ブロック会議で願書提出保留が論議。

● 9月23日 医大連合、近畿ブロック大会・大阪市大で願書保留へ脱落を防ぐよう、解除後も学生自身によるインターン生の適正配置を。願書管理委員会を作り、一切の権限を持たす。
1、仮願書と利下げの権限。2、病院申し込み人数の調整。3、個人申込書を委員会で管理すること。すなわち厚生省から学校に来た申し込み書を学生から管理委員会に提出させて委員会で一括して処理する。4、指定病院との交渉に当たる例えば情実の排斥、受付、期日、及び試験日、試験内容の調整をおこなう。尚、同委員会では4年2名、3年1名を選出。書記局より1名を選出して組織されている。ただちに他ブロックにアッピール、不安動揺を防ぐとした。

● 10月 2日 イ対策全国ブロック代表者会議(於、女子医)

● 10月 3日 医大連合、東日本ブロック会議は一部を除き、願書保留の態度をもって10月中旬の全国大会に臨む。しかし、具体的に願書保留の成果など不統一を表していった。慶応は医学部設置が新しく本学に残るもの少なく昨年のような不統一では効果が薄いこと、日大医も同様との意見。採決では願書保留賛成が8校、保留2校で管理委員会結成が了承された。
参加校は、群馬・慶応・信州・千葉・東大・医科歯科・東医・東京女子医・新潟・日大医の10校。

● 10月10〜12日 医科歯科・お茶の水祭。学内開放。公募されていた学生歌が発表される。

● 10月15〜16日 全国医大連合第4回イ対策協議会・イ制全面撤廃から3項目改善運動に方針転換。

● 10月17〜19日 第4回全国医大連合大会(於・東大)・全国43医科大学出席(久留米・鹿児島大・米子が欠席)。願保を決めてきた大学40校、反対は慶応のみ。願書保留反対の慶応を含めての幅広い統一を願う中央書記局と願保推進の千葉大「中央は全国しんがりから先頭に立ち、大会で決めた三項目をかかげ、通らぬときはイ廃止を主張せよ」との意見で論争、中央書記局は願保だけが目的ではないこと、現行インターン廃止の時にはどのように医学教育を充実させれるかも検討すべきこと、厚生省の補足的な改善案で我々の団結が沈滞なきことにしようとした。
結局、我々の問題はいかにしてよりよき医師になるかが主要目的である、最後には医学医療制度改善に眼を向けるべきである。今年は運動が遅すぎて願保・願書管理が統一的に出来なかったので無理はしない」に落ち着き願保は全国統一ならずであった。
全国大会で「極端に言えば関西がどうなろうがかまわない、東北・北海道だけでも願保をやるとした北海道と東北大から、関東から北海道・東北のイ指定病院を希望する者を知らせて欲しいと文書が届いていたが、結局取りやめになったと東北大から医科歯科に電報が届いた。

● 10月22日 イ対策協関西地区大会・願書保留を関西地区だけでも貫徹することを確認。

● 10月×日 全日本学園復興会議への道・大島渚(京大同学会副委員長)「、、、医学部に於いては、昨年9月からイ制が全学生、教授の間で問題になり、全国的な撤廃運動の先端を切ったが、その根底には普通の学生よりも二年長く在学し、しかもインターンを一年やらなければならぬ学生の経済的困窮と、ある教授の言葉を借りれば、一年のインターンで大学の実習の一日分の実績しか上がらぬという事実が存在している。また、大学の病院では邪魔者視され、一般の病院では看護婦代わりにこき使われるイ生が、保安隊委託になれば一万二千円ももらえるという点には大きな問題が潜んでいるのではないだろうか、、、、」。

● 10月30日 関東医大連合イ対策協議会参加の学生は先の関東ブロックの決定に基き、イ制度の改善を即刻審議するように国会と厚生省に集団陳情をした。日本医大、東京医大始め、9大学450名。医科歯科からは3年、4年生40名が参加をした。司会の東大が東大附属病院でのインタ−ン削減に気をとられて全国大会の空気を反映させえず、鋭い注意が飛んだ。また、中央書記局へも批判が向けられた。

   問題の厚生省案要約・一、実地練施設の指定に当たっては厳選主義をとる。二、施設に対する修練生は原則として1人にあたり15床とする。三、修練生宿舎を三年計画で立てる。四、施設に対しては、一施設あたり、年一万円の補償をする。指導医に対する手当てを現今の月額150円から500円に改める。五、インターン生に対して国から食事手当て及び被服手当てとして月額2500円を支払う。

● 11月 8〜11日 学園復興会議に京府医大・医科歯科大・東大・奈良・大阪女子医大・阪大・神戸・熊本・京大など参加。京都を中心に全国より1000名が参加学生運動のしきたりを排するものとして運営。8日・総会。講師は日教組・全学連・など。日教組からは「現在の大学人の任務は学園の自由を守り抜くことである。9日・各学科別分科会。10日・各サークル革運動別。11日・総会。8日は京大で学生の生活を脅かすものとして再軍備があるなどと活発な討論。9日は医学部分科会があり、京府医大で10校が集まりポリクリなど討論。10日、サークル分科会では再軍備が学生の生活を圧迫しているとの意見の一致をみた。東大から「東京都学生互助会は先の警察手帳事件・メーデー事件で逮捕された学生の差し入れが始まる。この運動に一つの反省が生まれ、左翼の学生に限らず、困窮学生の全部を対象にすべきであると、まず病休学生の支援が4月から見舞い・カンパ・文通・が始まった。」 11日、荒神橋事件が起こる。

        荒神橋事件・京大当局が全日本学園復興会議最終日11日に開催予定の京大使用不許可で立命大に移されていたが、午後4時、京大から届出がなされていた「わだつみ像行進」に合流しようと京大・岡大・立命など150名が荒神橋に差し掛かったところ、警官隊に阻止され、更に欄干に押し付けられて15名が落下、市警本部にに850名で抗議に、催涙弾を投げ200名の警官隊が襲い掛かり、棍棒で乱打。女子学生の副は血に染まった。(東大学生新聞会)

● 11月 ×日 京大・同学会に対する全日本学園復興会議を理由の処分に三日間のスト貫徹。

● 11月 ×日 岩手医大・選挙権擁護闘争、学園復興運動への初参加。

● 12月2〜4日 全日本女子学生大会 北海道から九州まで300名の学生・高校生が港区赤坂公会堂に参加。看護学校の独立学科を望む声や就職差別などが活発に話され、看護学連結成や女医の立場向上が話された。医学部からは医科歯科・自治委員の橋本さんのみ参加。

● 12月12日 日本医大・早大との合併話で紛糾。教授会や学生自治会(秋草自治委員長)を含む賛成論に理事会は反対。

● 12月13日 京大医・学生スト医学部も参加。(朝日新聞)

● 12月13日 医科歯科で全国国立大の授業料値上げに「授業料対策全国大会」が開催。14日は全国大学代表が田中文部事務次官に面会。

授業料・1952年より国立大の授業料は年3600円から6000円に値上げされた。
    一方、医学部は新制医学部で

● 12月15日 全日本女子学生会全国大会・医系決議(1、看護婦学校連盟を作ろう! 看護婦学校の短大昇格)

● 12月16日 医科歯科大新聞合評会・職員、学生に年末合評を呼びかけ。




全国医大連合が医学連に発展的解消。ゼミナール活動、原水禁運動に取り組み開始。

● 1月×日 全日本学生新聞連盟(全学新)に日本医大新聞、岩手医大新聞等が加盟して活動。

● 3月1日 久保山愛吉さんがビキニ環礁で水爆に被爆し、9月23日に国立東京第一病院で亡くなる。

● 4月 ×日 島成郎・東大本郷細胞へ。医学部は11月発足の医学連初代委員長、ブント財政部長にもなったになった遠藤幸孝君など元反対派に属した党員ばかりだった。

● 4月2〜6日 全学連第5回中央委員会が神戸大・大阪市大で開催され主に学生生活に重点を置いた討議、医科歯科大学からも代表を送る。

● 4月28日 医学生の国際ゼミ・今夏オスローで予定・8月1〜11日まで開催予定の手紙が全医連に届く。オスローの医学部学生会議とI・U・S(国際学連)が受け入れ準備。各国代表は40名ほど。5月29〜30日医科歯科・学生ホールで開催の全医連中央委員会で代表者、資金、パスポートなど諸議題を検討。出席となれば日本から原水爆症が特別報告の予定。

    全医連の一般方針 イ運動が発展して、全国医学連合が結成されたが、その中央書記局はイ運動の外に取り上げるべき問題が多くなって来たので今年度の運動方針として次の
ような見解を述べている。
イ運動の発展と情勢の変化で医学生の要求を充たす為には狭い意味のイ運動のみでは不充分となった。既に国際ゼミ、学生生活擁護、原爆が全国的な問題となり始めている。医学生の現在唯一の全国組織である全医連がこれを取り上げていかねば成らないし、又そのことがイ運動をも発展させる。しかし現在のイ委員会がこれを皆引き受けることはかえって混乱を生じることになる。従って各問題ごとに出来るだけ対策会議をもつようにして、全医連自体はそれらを統括して自治会(または学友会)を基礎にして再組織し、イ対策もその一部分となることが必要であると考える。これ迄のインターン問題についても五月初旬に全国一斉に医学生の生活、学問、健康について実態調査をする為関東で草案を審議し、中央委員会で決定する予定で今後の運動方針の参考資料としたい。各校は調査について要望があれば書記局まで送って欲しい。(医歯大新聞4月28日)

● 5月22〜23日 東大・五月祭で医学部M1クラス、原爆症及び、国際管理について同年3月1日被爆した第五福竜丸を中心に「原水爆展」展示。石井保男君が原爆展を諸活動の原点と捉える。

● 5月×日 東大医・五月祭で作った水爆展の巡回興行。(いずみ誌1996.10青春を語る)

● 5月×日 慶応・M2を中軸に平和運動を、自治会で原水爆反対決議。

● 5月×日 東大・看学の学生大会で原水爆禁止決議。

● 5月25日 日本医師会で原水爆反対と実行委員会結成の動議が満場一致採択。

● 5月29〜30日 全医連大会・この第5回医大連合大会で、前年の方針、願書保留戦術がとられた。イ闘争の運動は停滞し、政治の季節が始まった。
インターン対策協議会全国大会で「単にインターンだけの運動ではダメだ。医学生のぶつかる様々な問題を取り上げてこれらを解決していく中でしかインターン問題は解決しない。」

@学問・生活・平和等との結合の中で「イ」対策実委を自治会の下に統合一本化。 A国際ゼミ、原水爆と「イ」対策委員会を統合する医学生組織の創出。B医系サークルからも医学連結成の希望。以上を討議し、秋に医学連結成を決定。
・全医連「イ」対委は医学連に吸収。
・全学連とは友好関係を持つが組織的関係を持たぬ自主組織。
・関東自治会代表者会議が軸となり、規約の起草。

● 6月 ×日 全国歯科学生協議会・大会で委員長に医科歯科の大友君(学部自治委員長歯学部三年)。全歯協は創立3年目。中央事務局も医歯大に。

● 7月26日 医学連日本代表高木謙三代表(東医3年)、オスロ―で開催された第一回国際医学生ゼミナール(8月1日から11日)が選ばれて渡欧。(日本から1名の参加)、総出席者は20か国から約50名。テーマは「健康管理」、高木君は、原水爆に関するスライド(被爆による症状など)で講演した全人類の平和と健康への願い。東大からのスライド、阪大原爆センターからの資料で説明をしたと後日報告あり。7月26日羽田発、9月16日帰国

● 8月30日 京大細胞機関部・『嵐をついて』No.16田中セツルメント、帰郷活動について。

● 9月 ×日 医科歯科にビキニ環礁での米国水爆実験による死の灰被害を受けて、各学年からなる原水爆対策委員会が発足。

● 10月×日 日本医大自治委 原水爆対策委員会が学生祭で幻燈『死の灰』を上映。

● 10月23〜24日 MD「お茶祭」で原水爆対策委員会が水爆展。視点は純粋な学術展示と人々が見て原水爆の怖さを理解できる原水爆禁止運動の一環たれ、という論争が行われて後者に決定した。
また「お茶祭」では下町の「氷川下セツルメント」がセツルハウスを中心に活動していることが紹介された。

● 11月1日 千葉大医・軍医委託生募集案内を一括返上、「アメ帝と日本反動派は毎年多数の脱退者を出す軍医委託生の募集をイ生の上にだけでなく経済的に急迫する学生の中に持ち込もうとしている」。

● 11月6日 中国紅十字会代表団歓迎京都集会(於、立命館大)。日赤の拒否で流会。代表40名と懇談会開催。

● 11月6〜7日 九大・看学で「実習の名による労働強化」に抗議の声。(第一回九州地方女子学生大会議事録より)

● 11月 ×日 全国医大連合は「インターン問題の独自の解決はありえない」とし、「医学生生活の向上、医学生の自主的勉学の発展と学園自治の擁護、内外医学生間の交流」の目的を掲げて、全日本医学生連合に発展的に解消をとげた。そして、ゼミ活動や原水禁運動、授業内容改善などの運動が進められたが、次第にインターン問題からは焦点がそれてきた。そして1958年に至りインターン闘争は眠りについた。

● 11月12日  全日本医学生連合結成大会。 All-Japan Federation of Medical Students (Igakuren) 東大医学部一号館で医学連結成大会が開かれ46大学医学部中39校出席、7校が欠席した。全学連結成から6年、医学連結成はインターン闘争と久保山愛吉さんのビキニでの水爆被曝死に突き動かされたものが多い。(全医連第6回大会でのこと)
大学院制度についての議論を深める、序行内容の改善、原水禁運動の推進などが話し合われた。

目的 @ 医学生生活の向上 
A 医学生の自主的勉強の発展と学園の自治の擁護 
B 内外医学生間の交流の促進 

出席校:北大、札幌、弘前、岩手、東北、福島、東大、MD(東京医科歯科大学)、慶応、日大、日医、慈恵、東邦、東医、東女子医、順天、千葉、横市、群馬、信州、新潟、名大、名市、岐阜、三重、京大、京府、阪大、阪市、大阪医大、神戸、金沢、和歌山、岡山、山口、九大、長崎、熊本、鹿児島。39校
欠席校:昭和、大阪女子(後の関西医大)、鳥取、広島、徳島、久留米大。7校
大会時26校が加盟、医科歯科など各学年で検討。

〔12日の総会日程〕
12日の総会日程は議長団選出の後、
 1、インターン中央書局案、日大は独自案を提案している。
 2、医学連準備中央書記局案、
 3、九州ブロック案
の三議事日程を討議し、三案の日程を満場一致で決定。

厚生省への交渉に各ブロック代表が出発。そのあと、インターン中央書記局と医学連準備中央書記局より報告。
休息後国際ゼミナール準備会より報告の後、各校、各ブロック報告。
(1)、講義内容改善運動。
(2)、三月一日のビキニ事件以来、原水爆禁止運動にほどんどの大学が参加をしているとの報告。
東大、MD(東京医科歯科大学)、千葉、信州、岡山、京大、阪大、九大等では創った展示や幻灯をもって地域にはいっている活動報告があった。
阪大では原爆症研究会が軸に大阪府・各団体・大学を動かし大阪地方連絡会を結成。又、百枚のパネルの大水爆展を市内で行なう、夏休み中に医学生全員で4、5万の原爆反対署名を集める。MD、横浜、慶応等で原水爆国際医師視察団招請の署名、資金運動を展開。
(3)、インターン闘争で九州・関西が願書保留が出来、関東で出来なかった事への討論が行なわれる。
(4)、学生生活への圧迫強化。暗黒化が報告された。
東京女子医大ではロシア語講習会が禁止の弾圧。
鳥取、厚生補導部で手紙の検閲が行なわれる。
日本医大では部室・サークル名簿・研究会の講師等に大学当局が干渉して来る。

山口では医学の封建性に対する取り組みが。
長崎では戦災校舎での授業に対する取り組み。
(5)、サークルの発展。ロシア語講習会からソビエト医学研究会へ発展の見通し。
日本医大、千葉、横市でコーラスに数十名が参加。セツルメント、社医研の発展。

(6)、学生政治改善へ。名大から報告。
(7)、中央体制の確立を。
(8)、学生の利益を。身近かな問題からと岡山から。クラス会討議の徹底が自治会
の強化にと九大から。
同じ悩みの解決には全国的な協力をと鹿児島から。この後、ブロック代表者会議に移っ
て大会を終わった。

〔13日の総会日程〕
6項目が議題とされ討議された。
 1、インターン運動の基本方針は医学教育の充実にある事。
 2、各校報告に基く学生の現状について。
  a 学生と委員の遊離、委員の責任感希薄について。
  b 学校側の圧力に関して。
  c 各校の当面する問題を如何に取り上げ、交流するか。
 3、医学連にインターン対策委員会を包括する事について。
 4、財政問題。
 5、自治会組織のない学校の医学連参加について。
まず、1については京府医大、名大より発言があり、インターン運動が一つの枠に止まる事なく大きく総合された運動の一環として発展すべきこと、授業内容改善運動に止まらぬ事、が強調された。機構に関しては、医学連中央書記局案、インターン中央書記局案と日大案、九州ブロック案の修正動議が出され医学連と九州案の折衷案が賛成35、反対なし、保留3で可決。夜から14日にかけて医学連とインターン分科会が開かれた。

〔14日の総会日程〕
両分科会終了後、総会を開催し、全国統一機関紙、中央新聞を中央執行委員会が発行する事を賛成28、反対1、他は学生にはかり加盟の努力の旨を約した。即時加盟登録22校。
最後にインターン対策委員会を医学連の一分科会として強力に運動を押し進め、インターン中央書記局に出来るだけ仕事をやってもらう提案を可決して全体会の議事を終了した。
大会により、インターン委員会・原水爆対策委員会・国際医ゼミ委員会が医学連の参加に入った。
他に授業改善国内医ゼミや自衛隊医官問題が取り上げられる見込み。結成宣言採決、
人事として、中央委員長未定、書記局長東大(学一)遠藤幸孝君、会計東京医大(学三)小暮文雄君。

● 11月14日 医学連結成大会の終了時に関東セツルメント連合結成大会が開催された。

● 11月26日 日本医大反戦民主同盟第一回総会 @総括A方針B綱領・規約の決定及び人事

● 12月 ×日 医科歯科で自衛隊医官・貸費学生募集に医4・医1クラス会が反対声明。
医4クラス会は「戦前の軍委託制度の再現であり医学教育に対する不当な干渉と従属の第一歩である。現存する自衛隊そのものが、政府が既成事実の積み重ねにより作られた軍隊で、国民が総意により決定した憲法に違反したものである」と声明。M1も同様の反対。自治委員会は「自衛隊医官貸費学生の問題は、政治的な要素もあり、結論を得ず慎重な態度をとっている。貧苦のために応募する人も中にはあるかもしれないが、これ等の人に対しては経済的援助も考えずにただ反対することは精神的圧迫を加えることとなる。」
なお医学連としても反対表明は行うが、慎重な態度をとっている。(医科歯科大新聞28号)


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