![]() ● 1月 中旬 医専連絡会が発足。東京・昭和・順天・帝国女医などの提唱で東京近在の医歯大など医専10数校が医専連絡会を結成。 ● 1月19日 医歯大教授会が学生の意思表示如何にかかわらず出世席制復活とのこと。 ● 1月27日 昭和医大より医専のA・B制ならびにインターン国家制度反対のためにもと31日のデモを進める書状。 ● 1月28日 大学新聞連盟発足。 ● 1月29日 慈恵において医専改革論議あり。中央委員会を組織する事に。 ● 1月31日 京都府立医大・渡辺君、生活危機突破全京都学生大会の司会を務める。 ● 1月 ×日 1月初め、ソ連はGHQに対し、石井四郎や石井機関の医学者たちの身柄を引き渡すよう求める。 ● 1月31日 早稲田大学の主唱で関東学生自治連盟が20校で結成し、31日の宮城前学生デモとなった。医科歯科は結成大会にオブザーバーで出席するも自治連デモには学生の総意として不参加と拒否。31日のデモでの医専に関する条項は削除されたと医専連絡会より連絡。 ● 1月 ×日 東京医学専門学校(後の東京医科大学)・当時24歳の山田
誠也(せいや)。
● 2月 1日 医歯大で医専中央委員会が開かれる。 ● 2月 9日 慈恵で医専中央委員会、変化する情況に保守・急進の意見あり、一時議場混乱するも結局中庸を選び、採決は後日に持ち越し。 ● 2月12日 阪大医学部・阪大病院内の大ホールで阪神学生協議会第二回準備会。 ● 2月13日 順天医専第二期生会・杉並の順天医専仮校舎で二期生会が開かれ、鹿児島・徳島・大阪医専など地方からも参加。医歯大からも4君が参加し挨拶をした。 占領軍見解・先日のマッカーサー司令部見解によれば、学生の学校行政への直接の参加は行き過ぎであって、教授会に対して意見を具申するか、学生自治体を組織して、その面を通して学校行政の上に学生の熱意を反映させるほどでなければならないとのことであった。その理由は学校運営者は学生をよく理解した民主主義的人物でなければならないからである。(東京医歯科新聞第5号) ● 2月22日 高知女子医専・廃校阻止に生徒代表数名は手にした紹介状を持って上京し、県にゆかりの吉田茂など政治家、実業家に陳情して帰高した。 ● 2月23日 学生図書協会設立・現在まで各校の協同組合の本の入荷は学生書房を通じてであったが、今回社団法人日本学生図書協会が設立され、出版会と直接取引をする事となった。なお学図協の設立総会は2月23日に行われる予定である。(東京医歯科新聞第5号) ● 2月 ×日 在外父兄救出学生同盟・最盛期には全国28箇所、約18000人の学生が参加したが、あっけなく消滅(解散)。医療班活動はもう少し続いた様子。 ● 3月 1日 大学新聞連盟が早大で総会。仮事務所を明大新聞編集室に。連絡所を一橋新聞(産大)に置き連盟の活性化を図る。医歯大新聞加盟。 ● 3月24日 九大医学部附属病院労働組合を結成 ● 3月29日 医専校長会議でA・B制が本決まり。B級校は戦災などで莫大な被害を受け普及困難な長崎医大医専、福岡医歯専医科、山梨医専、秋田、高知、山梨各医専の6校、それから徳島医専はA級であるが三・四年はB級、それ以外の医専はA級と決まった。医科歯科の医科は病院、新館、講堂を失ったが優秀な講座と狭いながらも使いこなされている病院、急速に増加する患者数でA級認定された。 ● 3月31日 戦争末期の1943.1944年に急・乱造された医専は全国で20数校。何れもバラックの貧弱施設ながら文部省に存続を許可された。だが、甲府、秋田、高知の女子医専が不許可廃校となった。B級判定とされたのは全7校で、いずれも医学科は廃校となり多くが旧制高校に転換(戦後特設高校と呼ばれている)、高知県立女子医専は女子専門学校に転換して、それぞれ学制改革を迎えた。なお旧医専には戦災により壊滅したことがB級判定の原因である学校も含まれる。 ● 4月 1日 東京女子医大・吉岡弥生教職追放。 ● 4月15日 医科歯科出席制・『概報のごとく今学期から出席制をとることになったが、今回は出席簿を作らず、教授が自分の手帳に控えを取る程度になるらしい』。(東京医歯科新聞7号) ● 5月14日 長崎大附属医専を廃止。戦災による甚大な被害が「再建に支障」と判断され、在学生は特設高校および他の医専・附属医専部への転校をよぎなくされた。 ● 5月 8日 全国22校よりなる全国薬学生連盟は厚生省に薬事法改正反対運動。全国主要都市盛り場で署名運動、東薬・東女子薬などの代表が厚生省に申し入れた。 ● 5月23日 医科歯科予科・水戸高での自治連に合流。 ● 6月 1日 医科歯科予科に反共同盟結成。自治選をめぐり、大野教授の選挙干渉とする反共学生と社研などが対立。大野教授の排斥運動から秘密細胞の発覚に至ったという記事。(東京医科歯科大学新聞第18号) ● 6月 1日 学費3倍値上げに対する不払い同盟が全国に拡大し、各階代表、労組などの支援の下に教育復興学生大会が開かれる。 ● 6月 3日 医学生連合発足へ発足予備会議・(於・慈恵)。かねて医科連(医科学生連合会)と私医連の間で合流が計られてきたが、最後の会後を持ちて準備委の草案規約を了承し、合同することとなった。参加校は東大医学部・同付属医専・慈恵医学部・同付属医専・慶応医学部・日本医大・順天医大・東京医大・東京女子医専であった。 千葉医大と昭和医専は近々加盟の運びと成る模様。 ● 6月 4日 この間、医歯大では先に予科は自治連に加盟し値上げ反対運動を進めてきたが学校当局からの話しがあり自治委員会で3:6で不払い運動不参加が可決され学生大会で不払い推進が再確認された。 ● 6月16日 都下に医学生連盟発足(於・東大) ● 6月 ×日 関東のキリスト者学生集会が日本医大でもたれた。そして数校の学生が毎週土曜日に集まるようになり、その後まもなく、「キリスト者学生会」と命名された。これが現在のKGK(関東キリスト者学生会)の母体となった。 ● 6月16日 第2回の全国国立大学学生会議が開かれ、「大学理事会法案反対、国交私立の差別撤廃、戦災校の復興、学生会館設置、育英資金の増枠、医学部インターン制度改善、教職員組合との交流」などが決議されている。 ● 6月28日 医科学生連合会発足・東大五月祭で慈恵医大学生の発起により、慈恵医大で発足。参加校は東大医学部・同付属医専・慈恵医学部・同付属医専、昭和医専・横浜医専・東京女医専・帝国女医専の8校。『厚生省はこの会の結成をいち早く知り、これが有意義を認めてその支持後援を約された医学科創設以来三年有半校長始め教授方の真剣なご協力によって幸い今日有るを得たが併もなお、吾人の意を満たすのに遠いものであることは果て何に起因するか。兎も角、現状のままでは、卒業後のインターン病院等にめぐって何かしら心寂しい気がするという訴えは私が改めていうまでもなく多数の諸君の日夜抱いている悩みの一つであろう。これ等の問題は学校ならびに病院の実質的な発展緊張及び、一層の社会的地位の向上とによって一切解決することであろう。』(東京医科歯科新聞・11号) ● 6月29日 毎日新聞全国版は「6月にいたり給食は雑炊となり大部分の学生がビタミン不足で倦怠感・無力感を訴えるような食料事情急迫により6月25日に帰郷を早めるよう予科長と話し合い。これを学校側も認めたと報道」。医科歯科予科自治委員会誕生。 市川自治寮で「ダンス教えます」。国府台の学生自治寮で本校から看護婦さん達が来てダ ● 6月23日 医科歯科豫科・東京医科歯科大学豫科生徒自治委員会。全国的な学園復興運動の一環として授業料不払い同盟、同盟休校へ合流。 ● 7月 1日 医科歯科豫科・東京医科歯科大学豫科生徒自治委員会が家庭通信第一号を発行し学費不払い運動を父兄に事情説明。 ● 9月18日 東大・全学学生自治会発足。 ● 9月 ×日 千葉医科大学社会医学研究会 キャスリン台風による大水害を受けた埼玉県まで大型ジープに千葉医科大学救護隊の幕を貼り付け出動。これ以前にも市原郡五井町(現市原市)で結核検診と寄生虫検便に従事。 ● 9月 ×日 制度としては2回目のインターン。1年を通してのコースを受けるのは初回。大学入学の書類には卒業すれば医師免許を与えると明記しているから約束違反とGHQ発議のイ制度導入に反対し医学生代表者が上京して生活保障も含めて反対陳情するも、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のMS(医務部)から『占領政策違反』と恫喝される。GHQからは一喝されて、問題にされなかったのだ。制度変更を厚生省へも陳情。 ● 11月19日 慶応医・都下学校共産党細胞地区代表者会議に出席。慶応医細胞の闘争目標要点 ①戦災復興闘争を通じての塾の民主化、②授業料値上げ反対闘争を通じての自治会の強化、③顕微鏡よこせ運動を中心とした日常闘争。議事録配布細胞→南部(昭和医大・共立薬専) 西部(女子医専・慶応医科) 中部(湯薬女子部・日本歯科) ● 11月 ×日 医歯大豫科・「ひいらぎ」ひいらぎ新聞7号(茨城県稲敷郡安中村)。吉田明治氏庶務課長に就任か!追放せよ吉田勢力、なる冒頭記事。豫科長交代に際して村の反動陣営を代表して執拗に学校を餌にしているとの批判による。また同号には『D市に於けるソ連兵と日本人生活』なる中国東北地方でのソ連兵の蛮行告発記事。 ● 11月22~23日 医科歯科・千葉市川市「国府台医院」開院式に付随して校友会の学生等により、開院記念祭が1万数千人の市民参加で行われた。 ● 11月24日 都下医学生細胞キャップ会議・ ● 12月 1日 都下医学生細胞キャップ会議。医専連を医科学生連合会と合同し、医学生の広範囲なる統一戦線を結成する。細胞会議を持ってキャップ会議へ出て来ること。医学生新聞対策、静観しない。昭和医大よりフラクを出すこと。各学校で新聞部を確立すること。社医研連を東大・慈恵・東邦・順天がkernになり組織化。佐藤先生病気見舞い、診療所拡大カンパ。 ● 12月14日
文部省が4国立大(文理・工・商・千葉医)の地方移譲をほのめかす。 ● 12月23日 文部省、千葉医大など地方移譲をほのめかし、23日地方移譲に反対する4大学学生対策実行委できる。学生側、"関東総合大学"案を提示。 ● 12月 ×日 医歯大豫科・「ひいらぎ」ひいらぎ新聞8号・『自治の為の自治委員会を配せ、寮生の幸福に立脚せよ』一面見出し論文。 ● ×月 ×日 『在外父兄救出同盟』が消滅し東大生山本俊一(東大闘争時の公衆衛生学教授)らは浅草東本願寺校正会で活動。 インターン生連合結成、学生定期やイ生の学割を獲得。 ● 1月15日 京都府立医大・府立医大インターン協議会結成、インターン制度運用の欠点是正、待遇改善を決議。 ● 1月24日 岡山医大生・六高学生等が、文部省による中四国に一つ国立の総合大学設立構想に「中国総合大学岡山設立促進学生連盟」結成で誘致運動に加担。1949年5月31日、5学部の総合大学として設置さる。 ● 1月24日 岡山医大・学生連盟が中国総合大学誘致の署名運動。 ● 2月 1日 医歯科大・「インターン制は準職員 二割休むと証明書不交付」なる記事も散見。 ● 2月 7日 岡山医大・中国総合大学岡山誘致学生大会を開催(於・岡山医大) ● 2月10日 京都府立医大・学生大会。敗戦直後の民主化闘争で追放した教授の復帰反対運動起こる。 ● 2月13日 国立大学医科連合第一回大会開催(於、東大)。インターン制度施行細目案作成などを決議。論議の要点、1)イ制の法的社会的保障無く充分な実習が出来ない。受け入れ病院の不備。2)イ病院の設備、スタッフの不足。 ● 2月21日 千葉医大・東大学生へ講座解放・講義の自由選択を東京商大・理大・工大とともに申し込む。 ● 2月 ×日 新潟医大・金沢医大、国学連『教育復興闘争』で授業料不払い決議。 ● 2月 ×日 九大医学部自治委員会を結成。 ● 2月 ×日 赤十字病院では看護婦の養成は旧軍医将官が教鞭を取り、しつけと規律は戦時中のままでした。日赤中央病院における手紙の検閲、親が危篤の場合には帰宅宿泊をみとめろとの要求は無視され、看護学生の入水自殺未遂、服毒未遂事件が起きる。抗議に対して自治会活動を認めるなどを約束したが反故にされ学生16人の退学となった。 ● 3月 4日 千葉医大・学生大会で『自治連の線に沿って行動』を決定。 ● 3月11日 九大生体解剖事件の横浜軍事裁判開始,九大関係者14人を含む30人起訴。8.27横浜裁判判決。 ● 3月 ×日 日本患者同盟の結成。結核患者を軸に患者自治会を結成し、強制退所反対、直るまで入所を保障せよと一致して戦った。1951年には4万人の大きな勢力となった。 ● 4月14日 米子医専・自治委員会で満場一致、授業料値上げ反対決議。 ● 4月20~21日 東大学生自治会中央委員会が600円から1800円への月間授業料アップではやっていけないとのアンケート結果を出す。(84.1%)。授業料不払い闘争は82.2%支持。 ● 4月24日 授業料の3倍値上げに早稲田32番教室で自治連合会が開かれ東大提起で不払い運動提案。文部省も強硬方針で扇動学生の処分を打ち出す。医科歯科代表はこれを持ち帰り圧倒的に不払い可決、署名を求めた。(東京医科歯科大学新聞 17号) ● 4月28日 全国国立大学学生自治会連代表者会議(国学連)に新潟医大、千葉医大、金沢医大、長崎医大(委任)、東大、京大、九大などが参加。〔新潟医〕自治会確立を今学期から始めた。授業不払いに賛成73%。 ● 4月23~24日 医科歯科予科・新入生入寮。2名の女子入寮者を含む。「新制大学切り替えの際に優先入学という淡い夢を持しているらしい」。 ● 4月28日 新潟医大医専・授業不払いに賛成60%、学生大会で3倍値上げ反対、強行の場合は不払いを決議、職組も反対決議。 ● 4月 ×日 前橋医専・生徒自治会にて値上げ反対決議、不払い同盟を結成。 ● 4月 ×日 金沢医大付属薬専・学校の妨害けり98%の不払い署名。付属医専と緊密に連絡。 ● 5月 1日 横浜医専・西郊(にしおか)文夫等メーデーで救護班員を務める(生徒自治会設立初代委員長)。間もなく関東一円の医学生の間に沸き起こった医科学生連合会の結成創立委員となる。社会医学研究会を持つ。 ● 5月 2日 医科歯科・全国大学高専代表者会議に代表を派遣。 ● 5月 2日 前橋医専・全国官公立高専学生自治会連合自代で運動を推進。メーデーへも参加、労働者も支持した。 ● 5月 4日 労農救援会は医療活動の基本方針を「人民の健康を守る必要な条件を作り出す為に医者と人民の為に世話をやくこと」にありとし、救援会第二中委は医療救援の活動方針として、A、医療救援に参加した医師のいる病院に班を作り救援会の班として出動させること、B、全逓、国鉄そのほか有力組合の病院にも親組合より連絡して班を作ること、C、医科学生の動員、D、救援会として医務室的な診療所を持ちその医師を機動的に活動せしめることなどが決定。 ● 5月 8日 北大・全学学生会結成。21日に全学学生評議委員が決まる。医学部より柳田君。 ● 5月15日 医科歯科・授業料の3倍値上げに予科で世論調査。値上げは不当72・3% やむをえない15・6% これを阻止すべき73・0% 阻止すべきでない10・0%(東京医科歯科大学新聞 17号) ● 5月25~26日 全国国立大学医学生連合結成。 ● 6月 5~6日 九大・長崎医大・久留米医大・熊本医大・熊本医専などが全九州学生連盟代表者会議に参加。〔報告〕長崎医大は現在迄学費値上げ不払い。久留米医大、医専、予科の本年度授業料は1万円にもなる。官学と同調して不払い強行。久留米医大では学生から顕微鏡使用量さえとっている。 ● 6月中旬 北大・国学連と国専連が合併し全国官公立高専自治会連盟(全官公自連)結成、授業料値上反対ゼネスト提起。柳田(医)と高橋(医専)が出席。 ● 6月15~16日 MD(東京医科歯科大)予科、北大医専、千葉医専、前橋医専の各専門学校で依然として授業料不払い続行。(全国官公立大学高専代表者会議) ● 6月16日 東大医専が授業料値上げ反対スト。 ● 6月24日 北大・全学社研連合会結成。医専ら参加。 ● 6月26日 GHQは大学の地方移譲案を示し、旧7帝大を除く国立大学を地方に移譲し、銀行や大企業に大学運営を明け渡そうとしていた。これに対し、学生は「大学地方移譲反対、学費値上げ反対」を掲げて全国116校30万人のゼネラルストライキに立ち上がった。 ● 7月22日 道学連第2回大会、(於北大)北大医・女医専参加。 ● 7月24日 日赤女専・進歩的教師・生徒の首切り問題が起こる。 ● 8月 2日 文部省学校教育局長、医学部および歯学部を有する大学総長に対し、医学部および歯学部の新制大学切替えについて通達。旧制大学における医学歯学教育刷新の問題は戦後早くから取り上げられ必要な改革が行われていたことにより当面新制大学の1学部として承認し、審査は2年後に実施するとする。 ● 7月27日 7月27日に大学法反対で京大職員組合がスト決行、同学会が支持しなかったため、医学部他の学生大会で同学会不信任案を決議。 ● 8月27日 横浜の占領軍第8軍軍事法廷は米軍捕虜に対して生体解剖実験を行ったとして九州大学医学部関係者、軍部関係者ら14人の内、5人を絞首刑、4人に終身刑を言い渡した。 19歳の学徒兵が操縦する戦闘機の空中特攻でB29が撃墜され、搭乗員12名が捕らえられた。死刑を知った九州帝国大学卒で病院詰見習士官の小森卓軍医は、石山福二郎主任外科部長(教授)と共に、8名を生体解剖に供することを軍に提案した。捕虜は収容先が病院であったため健康診断を受けられると思い、「サンキュー」と言って医師に感謝したという。生体解剖は5月から6月ににかけて行われた。医師18人が有罪となった。当時、医学生として解剖実習室に出入りしていた東野利夫医師は、「いかに戦争というものが人命を預かる人間でもここまで狂ったというか、そういうことが二度とあってはならないが、戦争時代にあったという事実、軍が良いと言ったからとやったという言い訳はもう今後は二度と出来ない」と語っている。 ● 9月15日 九大医学部・附属病院・附属医学専門部,生体解剖事件判決に関する「反省と決意の会」を開催。 ● 9月18~20日 全学連結成大会。 結成宣言『我々はファシズムと戦争に反対する』。 ● 10月 1日 大阪女医大と女医専が自治会を結成、全医科連加入。授業料年額1万円値上げ反対、父兄会に生徒の出席(父兄の委任による)を認め、議決権を与えよ!を決議。 ● 10月 1日 京都府医大、飯塚教授提出の封建的誓約書に反対し、インターン生起つ。学生は憲法違反、人権蹂躙として反対、民主主義学生同盟も反対運動。 ● 10月 8日 無産診療所・津川武一医師は戦後の民主化運動を弾圧した占領軍総司令官マッカーサーの指示により逮捕された。容疑は「政令二〇一号」違反。官公労働者の争議権と団体交渉権を奪った「政令二〇一」に対して国鉄労働者に反対運動をあおったというもので逮捕状が出ても33日間市民に匿われる。重税反対運動が高まって、津川は10月8日、農民への重税を取り消せと税務署との交渉に公然と姿を現し逮捕される。『津川武一の逮捕状を撤回せよ』と要求して裁判所まで4000人がデモ。 ● 10月 ×日 京都府医大、授業料年間3600円値上げに反対運動。 ● 10月 6日 占領軍の総司令部新聞課長インボデン少佐は早稲田大学での講演で学生新聞に対して「党派的・政治宣伝を排せ」と論述。 ● 10月 7日 関東医科連・慈恵医大で国家試験・イ問題を議論。 ● 10月 8日 文部省は学生の政治活動に対して「発学458号」の次官通諜を持って見解を明らかにした。フラク活動極力回避、などと。 ● 10月 9日 全学連関東地方支部総会。日本医大、東京女子医学専門学校、東大医学部、東邦女子医専、千葉医大が出席する。 ● 10月 9~10日 国立予科練を発展解消し、70校(医専を含む)の全国医科学生連合会を結成=全医連(於、京大)イ制の生活保障・国家試験の改善などを決定。関東・関西・九州など諸ブロックに分かれていた医科学生連合会が一丸となった。インターンの身分に関する議題に絞られた。医科歯科から提出の、23年度からのイ前国試案は否決され、イ生の身分保障等を要望。 ● 10月25日 岩手医大・全学連東北代表者会議に出席・主に秋田師範自治会委員など18名の処分問題を討論。 ● 10月27日 大阪女子医大・学生大会。自治会結成・授業料値上げに対し実習費の公開などを決議。 ● 10月28日 京大医・ 医学部学生大会開催。大学法試案要綱への反対を決議。 ● 11月1日 新生「日本医師会」が認可設立。 ● 11月11日 京大医専・全学連・同学会へ加盟。 ● 11月13~14日 医学連、連絡会議(於、東大)イ制で各党へ運動展開を決定。 ● 11月 ×日 京大医自、眼科不正事件闘争。 ● 11月15日 全医連・イ制で各政党へ。〔民自党・村上委員〕専門でないからイ制とは何か知らぬが請願を出してくれ。〔民主党山崎議員〕少しは知っていたが君たちの話を聞いてでたらめなことが分かった。学生委員会に出席させるようにするが、今すぐ改善することは難しい。〔社会党政策委員〕君たちのいうことはもっともだ。データをくれれば厚生委員会で取り上げる。〔共産党徳田書記長〕医療の国営化は英でも行われているし、ソ同盟では医師、技師の研究に8時間労働中4時間が当てられている。現予算から1500億は削れるから詳しいデータを出してほしい。 ● ×月 ×日 インターン生によるインターン連合結成・学生定期券の学割、宿直用加配米の適用要求。要求通るが設備改善、身分保障は無視された。 ● 11月19日 岡山医大・六高・師範・農専学生などが岡山総合大学建設促進学生連盟を結成し、県民に募金協力を呼びかけ。 ● 12月11日 熊本医大・大学法国会上程阻止で無期限スト突入。 ● 12月18日 金沢医大・教授会、教職員組合、学生自治会三者で大学法の対策協議会結成。 ● 12月 ×日 東大・厚生女学部。寮の民主化運動。 | |
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