狭山事件 ― 発端 |
|
1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、脅迫状が届けられるという事件がおきた。 |
|
|
|
5月3日午前0時すぎ、警察は40人もの警官で張り込みながら、身代金を取りに現れた犯人を取り逃がしてしまった。そして、5月4日、女子高校生は無惨にも遺体となって発見された。 |
この年の3月末には東京で 「吉展ちゃん事件」 という幼児誘拐事件がおこり、その時も警察は身代金を奪われたまま犯人を取り逃がしていた。 |
わずか一月あまりの間に、東京・埼玉と連続した警察の大失敗。当然のごとく非難が巻き起こり、警察の権威は地に落ちた。 |
5月6日、重要参考人が 「自殺」 した。当時の国家公安委員長は 「こんな悪質な犯人は生きたままふんづかまえてやらねば」 と歯軋りしたという。 |
かくして、埼玉県警に課せられたのは、警察の威信回復のための 「生きた犯人」 の逮捕という 「成果」 であった。 |
|
脅迫状 |
5月1日、埼玉県狭山市内の女子高校生 (1年) YNさんは授業の後、しばらく自分の机で本を読んでいた。そして3時20分頃、クラスメートに 「さようなら」 と言って小雨の中、自転車で学校を後にした。16歳の誕生日であった。 |
下校後、YNさんは、オリンピックの記念切手を予約するため学校近くの郵便局に立ち寄った。そしてこの後、行方不明となる。 |
もっとも、時間的には下校直後とみられるが、通学路とは全く反対の方向にある西武線のガード下で、「誰かを待っているような様子のYNさんを見た」 という証言がある。 |
4時半ごろから雨は本降りとなる。夕方になっても帰ってこないので、6時40分ごろ、心配になった兄のKNが軽トラで迎えに行ったが見つからなかった。1時間ちかく捜して帰り、納屋に車をいれた。7時30分であった。 |
ところが、10分後、出入り口につづく土間のテーブルで一人うどんを食べていたKNが入り口のガラス戸に白い封筒がはさまっているのを発見した。 |
|
 |
脅迫状がはさまっていたガラス戸・下から2枚目は透明 |
|
|
封筒は、一度封をしたものが破られており、切れ端は翌朝KNが入口近くで発見した。中にはYNさんの学生証と脅迫状が入れられていた。 |
「子どもを誘拐した。5月2日の夜中の12時に 『佐野屋』 という店のところに、女性が20万をもってこい。警察に話したら子どもは死ぬ」 という内容の脅迫状であった。 |
家族はすぐ警察に通報しようと外に出た。すると、兄が止めた車の横に、YNさんの自転車が止められていた。いつも自転車をおいている場所だった。 |
|
失 態 |
5月1日、午後7時50分、通報を受けた堀兼駐在署は狭山署に、狭山署は埼玉県警に連絡した。そして、「5月2日、夜12時」
というのが 「5月2日午前0時」 かもしれないと考え、警官10人で張り込みを行った。 |
だが、この夜は、犯人は現れなかった。・・・翌夜、40人が張り込んだ。 |
兄のKNが作ったニセの札を白いハンカチに包み、さらにそれを風呂敷に包んで持った姉のTNが再び佐野屋前に立った。3日、午前0時10分ごろ、道路わきの茶畑の中から、「おい」 という男の声が聞こえた。 |
|
 |
○佐野屋 ◎TNさん ×犯人 ◎~×30m |
|
|
「おい、おい、きてんのか」 |
『来てますよ』 |
「警察に話したんべ・・・そこに二人いるじゃねえか」 |
『一人で来ているからここまでいらっしゃいよ』 |
『ここまで来ているんだから、あんたの方から出て来なさいよ』 |
「本当に金持ってきているのか」 |
『ええ、もってますよ。ここまで来ているんだから出て来なさいよ。あなたは男なんでしょ。男らしく出てきたらいいでしょ』 |
|
 |
○佐野屋 ◎TNさん ×犯人 |
|
|
10分ほど姉のTNと犯人のやりとりが行われた。ところが、犯人は 「とれないから、おら帰るぞ、帰るぞ」 と言って逃げ出した。しばらくして気づいた警官たちはあわてて後を追ったが、捕らえることはできなかった。 |
警察は脅迫状にある 「車でとりにいく」 という言葉に踊らされ、車の通れる道を中心に張り込んでいた。こうした配備の様子を知ったかのような犯人の現れ方と逃走であった。 大失態である。 |
|
|
|
そして、5月4日、山狩りの消防隊員によって、農道に埋められていたYNさんの死体が発見された。事件は最悪の展開となってしまったのである。 |
|
04/4/25 |
|
 |
峯田孝治・井上直樹 作成地図 (「狭山差別裁判9・10号」 1974年) |
|
①入間川駅 ②すずや ③荷小屋 ④荒神様 |
⑤出会い地点(「自白」) ⑥雑木林への道 ⑦「殺害現場」(自白) |
⑧スコップ・芋穴・死体 ⑨ゴム紐・カバン・教科書 ⑩石川さん宅 |
⑪腕時計 ⑫佐野屋 ⑬ ID養豚場 ⑭被害者宅 ⑮高校 |
⑯狭山市立富士見集会所(事件とは何の関係もない) |
⑭~⑮通学路約5km(直線距離4km弱) ⑤~⑦700m ⑦~⑧200m |
|
|
|
|
おことわりとお願い |
参考資料は、「狭山差別裁判・第3版」 (1972年5月10日・部落解放同盟中央本部) をはじめ、「狭山差別裁判・臨時号~冤罪・狭山事件 無実の叫び40年」 (2003年5月23日) など最近のものまで多数にのぼります。 |
出典を正確に記すのが本来のあり方だとは思いますが、非常に困難です。ボクなりに、取捨選択した結果の記述だということでご理解ください。 |
また、資料によって微妙に日付や年齢などが違っている場合もあります。さらに、ボクの認識の間違いや、まだ知らない事実 (勉強不足) ということもあろうかと思います。お気づきになった方はぜひご一報をお願いいたします。 |
|
04/5/31 |
|