鴨居2006                              06/6/8
今回の現調では、まず現地事務所に。だから本当はこの鴨居が最初だった。でも、「自白」 コースにそってということで最後に回した。
ボクは2回目・・・だからなのかもしれないが、昨年より見えやすいと感じた。「えっ、こんなに低かったっけ?」 って感じだった。
初参加者たちも 「なんでこれが分からないの」 と怪訝な顔。「だから、でっちあげだというんだよ」・・・納得。
説明する現調ベテラン組と聞く初参加者
ボクは、石川さんの無実を証明するのには次の二つの事実で事足りると思ってきた。・・・もっとも、勝手に思ってきたのだが・・・。
一つは、脅迫状の筆跡・・・上申書とは誰が見たって別物だ。誰が何と言おうとそう思う。
もう一つは、万年筆の発見過程。3回目の家宅捜索で、普通の鴨居の上からなんて、しかも、石川さんの兄に取らせるなんて、ありえないのだ。
ありえないことが起こったということから導き出される結論はただ一つ、警察による証拠のでっちあげ・ニセモノ万年筆の登場、これ以外にはない。
しかし、これほど明々白々たる事実があるにもかかわらず、検察や裁判所の分からず屋どもは、差別裁判の隠蔽と自己の保身に汲々として、有罪判決・決定を出し続けてきた。
脅迫状を巡っても弁護側は様々な鑑定書・意見書・報告書をだし、これでもかこれでもかと迫ってきた。・・・追い詰められた分からず屋どもが挙句の果てに出してきたのが 「書字条件」。開いた口もふさがらない。
万年筆にしたってそうだ。捜索した本人たちが 「捜したがなかった」 と言っているのに、「記憶が定かでない」 と強弁し、行き着いた先が 「知らなかった論」 から 「見落とし論」。ええかげんにせぇよ。
弁護団は、この 「知らなかった論」 「見落とし論」 に対して、5月23日の第3次再審請求において、新証拠として、「鴨居の家宅捜索に関する元警察官の報告書」 を提出した。
資料を全文掲載する (なお、「解放新聞2271号」 にも載っている)。
 万年筆関係
本件万年筆の押収経過には疑問があり、「秘密の暴露」 があるとはいえないことを立証する新証拠。元警察官による捜索に関わる報告書。
報告者は、各警察署、県警本部で15年6ヵ月捜査に従事した元警察官。県警察学校の教官を4年勤め、外勤などを6年6ヵ月勤めたベテラン刑事である。その間、捜索差押に従事した回数は50回におよぶ。
その経験や捜査実務から、警察における捜索・差押に関する教育、捜索・差押における一般的方法、留意点をふまえたうえで、狭山事件においておこなわれた3回の請求人宅の家宅捜索について所見を述べたもの。
異常・不自然な点の発見に努めること、かもい、天井裏、神棚など人の気づかないところに注意することなど、警察で捜索・差押がどのように教えられているかを詳細に説明。
とくに 「重要事件では、上級幹部の指揮下で組織的・計画的に捜索の実行を期し、各捜査員に綿密・周到な捜索を行うよう指示、説明をし、捜索の徹底を期し、万が一にも見落としがないようにしなければならない」 とされていることを指摘。
そのうえで、狭山事件における第1回、第2回とも、捜索の一般的方法と留意点に従っておこなわれている。捜索の記録・写実から第1回捜索では脚立が使用され、第2回授索では、神棚とその付近の高所を捜索している。
「捜索は徹底しておこなうものであり、かもいの上は必ず捜索しなければならない場所のひとつである。
かもい上を直下から眺めたとか、あるいは背が低いから見えないものであるとか、背が高いから見えるというようなことは、捜索活動において問題にされるべき点でない。
・・・捜査員において証拠物が隠匿されやすい場所と認識されている室内のかもいの上などが捜索から漏れていたとは考えられない。」
ほかの部屋では高所を捜索しており、「当然勝手場においても踏み台や脚立の上に乗ってかもいを含む高所を捜索したものと考えられる」
などの所見を述べている。
また、6月26日の捜索・差押えの不自然さを指摘している。(万年筆の置かれた状況の写真撮影をしていない。立会人家人に証拠物を触れさせている。)
本当なら、物事をちゃんと見る人なら、こんな報告書も必要ないぐらいの話だ。事実調べを行い、裁判官自らこの鴨居の検証をやればいいのだ。
事実調べ・証拠開示・・・いかにこれらを実現していくか、第3次再審の正否がかかっている。