佐野屋                                 05/7/1
佐野屋・・・狭山事件のもう一つの舞台である。
今回の現調では行かなかったところだが、既に何回も行った友人たちがいる。その話をもとに、資料を参考にしながら紹介する。
また、リンクしてある 「狭山事件を推理する」 (盛況さん主宰) から写真 (撮影・盛況さん) を提供していただいた。ご協力に感謝します。
 張り込み
脅迫状で身代金の受け渡し場所として指定された佐野屋は酒類雑貨屋で、ここを指定するということは、犯人はこのあたりの土地カンがある人物と見られた。
佐野屋周辺・・・40年の移り変わり
狭山署は 「5月2日夜12時」 という指定の時間が 「5月2日午前0時」 かもしれないと考え、YNさんの姉TNが佐野屋に行き、警官10人で張り込みを行った。が、犯人は現れなかった。
翌夜、5月3日午前0時をはさんで、40人が張り込んだ。
TNは、再び佐野屋に立つことを嫌がった。しかし、狭山署長から依頼を受けたPTA会長のHMが説得し、自分も付き添うからということでようやくTNは佐野屋に行くことになった。
午後11時37分、兄のKNが運転する車で出発。佐野屋からおよそ500m手前で降り、風呂敷包みを持って歩いて行った。中には、白いハンカチで包んだKNが作ったニセの札が入っていた。
前日からの雨はやみ、10時ごろには月がでていた。午後11時55分、TNは佐野屋前に立った。
3日、午前0時10分ごろ、道路わきの茶畑の中から、「おい」 という男の声が聞こえた。
○佐野屋  ×犯人出現地点
犯人出現地点から佐野屋を望む 
「おい、おい、きてんのか」
『来てますよ』
「警察に話したんべ・・・そこに二人いるじゃねえか」
『一人で来ているからここまでいらっしゃいよ』
『ここまで来ているんだから、あんたの方から出て来なさいよ』
「本当に金持ってきているのか」
『ええ、もってますよ。ここまで来ているんだから出て来なさいよ。あなたは男なんでしょ。男らしく出てきたらいいでしょ』
10分ほど姉のTNと犯人のやりとりが行われた。ところが、犯人は 「とれないから、おら帰るぞ、帰るぞ」 と言って逃げ出した。しばらくして気づいた警官たちはあわてて後を追ったが、捕らえることはできなかった。
警察は脅迫状にある 「車でとりにいく」 という言葉に踊らされ、車の通れる道を中心に張り込んでいた。
しかも、「佐野屋」 周辺の現場地理もよく分ってない県警が、狭山署が立案していた張り込みの計画を直前に変更させた。混乱が生じていたという。
さらに、「年功序列」 というか・・・包囲網の中心 (犯人獲保の可能性が高いところ) には、年配の警官が配置されていた。しかも、投光器などの器材も用意されていないというありさまだった。
警官たちは、てんでに右往左往するのみであった。
 「自白」
石川さんの 「自白」 によれば・・・
午後10時ごろ、腕時計も持たず家を出た。下図のような複雑な経路をたどって佐野屋に接近。途中の山で30分ほど時間をつぶす。そしてさらに、佐野屋脇で30分~1時間、待っていた。
「おばさんのような人」 が来たので、「おばさん」 と小さな普通の声で呼びかけると、「おばさん」 が 「おーい」 と返事をした。
そして、逃走・・・この時、TNは 「白っぽい影が2mほど動く」 のを見た。
・・・しかし、身代金の受け渡しに時計も持たず出かけるってことがあるだろうか。時計が必要なら、この時点では既にYNさんの腕時計を奪って所持していたことになっている。この時点で、もうこの 「自白」 にはリアリティがない。
ところが、犯人に時間の感覚がないかといえばそうでもない。付き添っていたHMは、犯人が 「時間がないから帰るぞ」 と言ったと証言している。上記の問答は、YNの証言だから、HMの証言はこれを補足する意味がある。
さらに、脅迫状では、「夜12時」 をはじめ、「時が一分出もをくれたら」 「友だちが時かんどおり」 「友だちが時かんどおり」 「子供わ1時かんごに」 と時間に関する記述が5ヶ所ある。
これが、多いのか少ないのか、判断する根拠をもちあわせてはいないが・・・「夜12時」 は、まぁあたり前の時間の指定として、「ちょっとでも」 ではなく 「1分」、「すぐ返す」 ではなく 「1時間後」 とわりと細かい時間感覚を持った犯人のように思える。 
こんな犯人が時計も持たずに現場に行く訳がなかろうというもんだ。
また、10文半の石川さんは兄の9文7分の地下タビをはいて行ったことになっている。当時、石川さんは右足にウオノメもありゴム長靴を常用していた。
身代金を取りに行くのである。走って逃げなければならないかもしれないのだ。そんなところへきつくてはけないような地下タビをはいていくわけがない。常識的な話だ。
これは、佐野屋周辺で見つかった地下タビの足跡と、石川さん宅から押収した兄の地下タビを無理やり 「一致」 させようとしたために発生した非常識的な話なのである。
つまり・・・5月4日には、佐野屋で見つかった足跡は、関根技師の鑑定報告書に基づいて 「10文ないし10文半の職人タビ」 と記者会見で発表された。だが、石川さん宅から押収された地下タビは全部9文7分だった。
(・・・・・9文半→22.5cm  9文7分→23cm  9文8分→23.5cm
10文→24cm  10文3分→24.5cm  10文半→25cm・・・・・)
そこで、6月18日作製の関根・岸田鑑定書では、現場足跡は9文7分だと、あっさりと鑑定結果が変更された。ところが、今度は、10文半の石川さんの足には合わないという齟齬が生じることになった。
・・・そこで、きつくてはけないような地下タビをはいて、身代金受渡しの現場に向かうという非常識な物語が作られたというわけである。
 佐野屋への道
「自白」 によると、石川さんは午後10時 (午後9時という資料もある) ごろ家をでた。そして、上図のような複雑な経路で佐野屋に接近する。
もっとも最初の 「自白」 では、A地点からまっすぐ薬研坂を通って佐野屋に行ったことになっている。しかし、B地点には警官が張り込んでいたし、佐野屋周辺にはもっと多数の警官がいたのである。確認されないはずがない。
40人もの警官が張り込んでいたのである。犯人は、その包囲網を突破し潜入、かつ逃走した。面目丸つぶれの埼玉県警・捜査本部にとって、最初の 「自白」 経路はとても認められたものではなかった。
したがって、張り込みの場所を巧みに避ける形に 「自白」 は変更された。だが、C地点はどうしても通らざるをえず、確認されなかったのは、警官が配置につく前に石川さんが通過したからだ、ということにされた。
しかし、どこに警官が配置されているのかも知らない石川さんが、このように配置のウラをかいて佐野屋に接近することなど、できるはずもない。
配置の状況を知っていた取調べの警官が、石川さんを誘導して、かくのような経路を考え出したことは間違いない。