入間川駅                               05/6/4
 狭山市駅西口・・・事件当時は、入間川駅 (東口はなかった)。
1963年5月1日午後2時半ごろ、石川さんはここにおりたった。
2005年5月28日
1966年5月
1審内田判決は、「3時ごろ」 ここに帰ってきたとしている。しかし、所沢のパチンコ屋を出たのが2時ごろだから、2時半ごろには既にここに帰ってきていたことになる。
「午後2時半ごろ」 というのは、後述するが、実に重要な話になってくる。内田判決が、「3時」 としたのにも意味があるのだ。
 実際の行動
ここから、石川さんの実際の行動と、「自白」 の行動が分かれていく。
実際は、ほとんど駅正面から北西方向のこの道の方へ歩いて行った。
実際の行動・・・地図は1988年現在
2005年5月28日
この道沿いにある八百三という八百屋の前を通った時、店の息子のKZさんと顔をあわせた。顔見知りのKZさんと石川さんは 「パチンコかい」 「そうだよ」 と手振りであいさつした。
1970年5月 1983年6月
KZさんは、「その日にあったかどうかはよく覚えていないが、会ったとすればあいさつぐらいはしただろう」 と言っている。
さらに先の角を左折、石川さんがよく行っていたパチンコ屋オリオンの前を通り南下、荒井たばこ店で 「しんせい」 1箱とマッチ2個を買い、50円を出しておつりの4円はいらないと言って受け取らなかった。
1983年6月 1988年3月
 (たばこ店のあったところ・・・1988年3月) にポインターをあててみてください。
それから入間川小学校の方に向かい、そこでしばらく休んでいると雨が降ってきた。それで、駅の方へ帰り、荷小屋で雨宿りをすることになった。3時半~4時ごろのことである。
 訂 正                                    06/6/5
上のたばこ店の写真は訂正する必要がありそうだ。
向かいの八幡神社の入り口からとった写真だが、過去の現調では写真の × 印 の所と説明されたこともあったらしい。しかし、実際はそこより10mほど南で、写真の道路から5mほど入った所だという。
看板が 「水晶米の店」 の奥の路地、その向こう側に小さな駐車スペースがあるのが分るだろうか。そこが、くだんのたばこ店のあった所だそうだ。
こちらが正しいそうだ。  にポインターをあててみてください。