富士見集会所                            05/6/3
 富士見集会所
狭山市立富士見集会所。2階建ての集会所だ。・・・事件とは何の関係もないところだが、今回の現調の起点になったので紹介。
おそらく、これまで多くの人々が、ここで石川一雄さんや早智子さんの話を聞き、また、ここから現調に出かけていったのだろう。
 ポリシー?
2005年5月28日・・・実は、ボクは今回、初めて現調にきた。
現調が盛んになり始めたころ、「現調に行って石川さんの無実を確信した」 という話を聞くと、「なんでや」 とつっこみたくなった。これほど、明確な差別捜査・差別裁判が、現調に行かなければ分からないのか?
そのうち・・・みんながみんな現調に行けるわけじゃあないのだから、現調に行かなくても狭山は闘えるということを実証する・・・これが、ポリシーみたいなものになった。とんだポリシーだが・・・。
もちろん、現調の意義を否定していたわけではない。何度かは行く機会もあり、そのつもりだった。が、その度に別件が割り込み、おじゃんになっていた。そうこうするうちに、結構大変な病気になったりもして・・・ついに、今日に至ったのだ。
今回は、このネット現調を作るために、何があっても参加することにしていた。3・16島田決定より前に現調参加は決まっていたのだが・・・3・16をうけ、一雄さんや早智子さんにもぜひとも会いたかったし・・・。
 実 感
資料を見る限り、事件当時、現地はまちがいなく首都近郊の農村地帯であった。40年を経た今、現場とされた雑木林や農道は住宅地となっていた。
案内の解放同盟埼玉県連のYさんは言っていた。「当時の状況を伝えるのが難しくなってきた。リアルなのは鴨居だけかもしれない」 ・・・確かに。
だが、実際に現場に立つと、本や資料で分ったつもりになっていた位置関係・距離感がリアルに実感できる。それだけでも意味がある。