狭山事件の真実
サイト開設 2000/9/1 最終更新日 2024/  
狭山事件とは ( 「さっちゃんのHP」 ~ 「冤罪 狭山事件」 より )
・・・・・1963年5月1日埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、脅迫状が届けられるという事件がおきました。
警察は身代金を取りに現れた犯人を40人もの警官が張り込みながら取り逃がしてしまいました。女子高校生は遺体となって発見され、警察の大失敗に世論の非難が集中しました。
捜査に行き詰まった警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、なんら証拠もないまま石川一雄さん (当時24歳) を別件逮捕し、 1ヶ月にわたり警察の留置場 (代用監獄) で取り調べ、ウソの自白をさせて、犯人にでっち上げたのです。
地域の住民の 「あんなことをするのは部落民にちがいない」 という差別意識や、マスコミの差別報道の中で冤罪が生み出されてしまったのです。1審は死刑判決、2審は無期懲役、1977年無期懲役が確定。今、第2次再審請求棄却に対する異議申立 (異議審) 中です。
第2次再審請求中の1994年12月21日、 31年7ヶ月ぶりに仮出獄をした石川さんは、狭山事件の真相と公正な裁判を求める ための訴えに全国をまわっています。    (部落解放中央共闘・2000年発行ビラより抜粋)
見えない手錠を解き放て!~狭山事件の真実   
ネット・狭山現地調査 2005・2006年現調    
徳島「さやまの会」・・・狭山事件を考える徳島の会
BGMは 「差別裁判うちくだこう」 「うたごえ喫茶・のび」 より