加同協ニュース №35     05/3/22
3月4日 加同協勉強会 報告
3月4日、加同協勉強会は加茂名小学校に約80人が参加し行われました。この日は、「虐待を考える・・・相談・サポートの現場から」 と題して、NPOなら人権情報センター相談員・福岡ともみさんに講演していただきました。
講演要旨
はじめに
2003年にも来させていただきました。お招きいただいて、感謝しています。
私は1999年からDV被害者女性のサポートをするようになりました。DVによって命を奪われたり加害者になってしまったりなどという悲劇は起きて欲しくないという思いで、講演や学習会の機会を頂ければ、来させてもらうようにしています。
レジメにそって話します。二つの事例も紹介します。両方とも了解は得ていますが、細かいことはプライバシーのこともありますので変えています。
DV (ドメスティック・バイオレンス) という言葉の意味ですが、ドメスティックとは家庭内、バイオレンスとは暴力という意味で直訳すれば家庭内暴力となります。しかし日本では思春期の子どもたちが親や保護者に行う暴力を家庭内暴力と呼んできたので、それとは違う意味で、パートナー間で起きる暴力、被害者の九割が女性だということをふまえ、英語のままでドメスティック・バイオレンスと呼んでいます。
3年前、北九州市で一家7人が暴力を受けて殺されるという事件が発覚しました。先日、内縁関係にあった男女二人の加害者に死刑判決が求刑されました。女性Oは男性Mから暴力を受けていました。ドメスティック・バイオレンスです。
そして彼女Oは最初の殺人に荷担させられます。そのことを脅しのネタとして、のちに女性の両親が男性Mに呼び出され監禁状態になりました。そして次に、Oの妹夫婦とその子ども2人も呼びつけられ監禁、次々と殺人の 「共犯者」 としながら、OとMによって全員が殺されていったのです。
Mの支配から、鉄格子もないところなのに、なぜ逃げられなかったのかと思われた方もいらっしゃると思います。これがまさしくDVの構造・仕組みです。マインドコントロール状態に陥っているのです。
マインドコントロールという言葉はアメリカの社会心理学の研究から生まれました。ヒットラーや毛沢東がなぜあれほどまでに人々の心をつかみ支配できたのかという研究から出発して、カルト集団などのマインドコントロールも研究されていきました。
マインドコントロールは、その人に自己否定させ、生命の危機を感じるほどの体験をさせ、行動、感情、思想、情報の四つを管理することによってなりたちます。そして何も遠いところでおきている状態ではなく、家庭という身近なところでも起きています。虐待は権力とコントロールによって成り立っています。
子どもへの虐待とは
子どもへの虐待とは、子どもに有害な行為をすること、すべてを指しています。殴る、蹴る、罵倒する、蔑むなどの行為・性的暴力。またことさらに管理し思い通りにコントロールしたがる (過干渉・過保護)。子どもに必要なことをしない、衣食住のケア、情緒的なケア (励まさない、見守られない等) をしないなどのネグレクトです。これらが児童虐待防止法に定義されています。
また昨年改正されたなかに、ドメスティックバイオレンスの目撃も児童の虐待とされましたし、親や保護者以外の同居人からの暴力も入りました。定義されたことは意義深いことなのですが、第三者が家族の中に介入するというのは難しいというのが現状です。
私の友人が関わったケースを紹介します。彼女の子どもと年格好の近い兄弟が近所にいました。年の近いこともあってよく遊ぶようになり、家にも来るようになった。汗臭いので子どもと一緒に風呂に入れる。風呂からあがってもなかなか家に帰らない。夕食を食べさせ、もう遅いから帰りなさいと言ってもなかなか帰ろうとしない。
そんなことが何度かあってネグレクトされているのかもしれないと心配になるやら、どんな関わりをしたらいいのか悩むようになった。学校にも行っていないようなので先生に相談しに行ったが、教師が言うには家庭訪問でも家に入れてくれないと言い、らちがあかない。
行政に聞きに行くと、それは学校が、となる。いろんな人に相談しながら、学校や児童相談所への連絡も何度もアプローチしていき、やっと見守っていく体制ができあがりつつあった。
そんなある時、母が学校行事に参加したことをきっかけに上の子が学校に通うようになった。一学期の終わりに上の子が不登校になって、再度、友人は、この子達を見守る体制をつくろうと学校や行政、地域を巻き込んで状況を共有する場を作った。
子どもたちは学校の先生をたよりにしていいんだと思えるようになった。子どもたちは変わっていった。ネグレクトを受けていた当時の顔と全く別人のように見えるくらい表情が生き生きとしてきた。上の子の変化は家族全体に影響を及ぼしている。
このケースのように、いろいろな所に相談に行っていたとしても、すぐに「問題解決」することは難しい。そもそも「問題解決」とは何かと問いかけてみることではないでしょうか。一人一人の奪われてきた生きる力をどう取り戻していくか、という視点が大切ではないかと思っています。そのためにちいさな変化を見逃さず、それを活かしていくサポートネットワークが大事です。ひとりで抱え込まず、コミュニティーの力でアプローチしていくという試みです。
このことは,多くのケースに応用できるかもしれません。ただ子どもが生命の危機にさらされている場合は、危機介入が必要です。日頃から危機介入の判断根拠と対応マニュアル (エコマップ) をネットワークの中で確認しておくことも必要でしょう。
奈良県のこども家庭支援センターの調査では、児童虐待の加害者は7割ちかくが女性です。そして5割ちかい被害者が0歳から就学前の子どもです。全国的にも共通の特徴があるようです。問題は子育てを女性に押しつけて何もしない男性、地域社会のケア力の低下にもあると思います。
最近虐待防止策で注目されているひとつに産後うつへの対策があります。イギリスはマタニティーブルーから産後うつのケアは整っているようです。妊娠した女性はホルモンのバランスが崩れるという意味でも非常に不安定になっており、男性や地域社会の助けがない場合はかなりのプレッシャーとなります。
イギリスには以前、生後すぐの子どもを殺した母親について罪を問われないという法律があったほどです。今は当然なくなっています。福岡市では精神科医が中心となってイギリスの制度を取り入れようとしています。定期検診や家庭訪問の保健師が母親の状態を聞き取ったりして、小児科医、精神科医、保健所、行政などが連携して母親が孤立しないようにフォローできる体制を作っているそうです。
家族間に起きる暴力のメカニズム
しつけと虐待はどう違うのでしょうか。しつけのつもりでやったと大人は言いわけします。しかし、それは子どもが決めることです。しつけとは子どものためにすること。大人への敬意を育み、生き方のモデルとして大人の存在を示すという大切なことです。
虐待とは子どもとの関係の乱用 (abuse=アビューズ)。自分の不安感やストレスを発散するために子どもとの関係を利用することが虐待なのです。子どものためにしていないことで子どもを怒っても、子どもは大人の怒りの正体を感じています。皆さんの子ども時代もそうではなかったですか。
虐待による恐怖は人間の行動を凍らせます。物まねはできるが、クリエイティブな活動ができなくなっていきます。徐々に困難に対応する力が奪われていく。そうすると自分を痛めつけるか、他者を痛めつけてしまうようになりがちです。人間をおいこんでいく、それが虐待の本当の怖さだと思っています。
家族は本当に安全なのだろうか。家族には一定の形はありません。またさまざまに危機がやってきます。ライフサイクル (子どもの成長、親の病気・死、自身の老化など) の変化、予測できない変化 (事故、不慮の死、慢性疾患、事故など)、歴史的事件 (政治状況・戦争、不況、自然災害など) などにさらされています。家族が平和・安全などというのは幻想にすぎません。
また仕組みの問題としてどんな組織にも言えることですが、1人の人に権力が集中すると危険です。日本の家制度は家長=男性に全部の権限が集中するように制度化されてきました。
また家族、夫婦、恋人など親密な関係は、他を排除することを属性としがちです。多くの場合、「家族のことは他人には漏らさない」 という 「暗黙のルール」 のようなものがあります。秘密性と排外度が高いというのも特徴です。だからこそ第三者が介入するときに知恵をしぼらないとだめなんです。
家族をとらえるとき、ジェンダーの問題もみておかなければなりません。女性と男性は対等やと思っているがそうだろうか。男性は、女性が社会の中でどんなメッセージをうけて暮らしているのかに無頓着です。
週刊誌の広告などが電車の中で見ることがあるが、女子アナヌードなどという見出しを 「男性アナヌード」 と読み替えてみてください。見出しのすべてを男性に読み替えてみてください。男性の皆さんはどう感じますか。女性というのは性的に評価されると価値が上がると思わされますが、同時に 「ふしだら」 とも評価を受けます。
1995年に沖縄で米兵が小学生の女の子に強姦をした事件に対して糾弾の声が沖縄だけでなく日本中を席巻しました。男性が声をあげた理由は多くは日米安保への抗議でした。私たちは、自分がその少女の立場になったらどうしただろうか、「私のようなことが二度とおきないために」 と事件の翌日に現場検証に立ち告発するということができただろうか、と問い返しました。
しかし男性は自分に少女に起きたことが起きるとは思っていない人が多かった。性的な侵害に対する男と女のズレがあります。ただ男性にも性的な暴力を受けた被害者がいないわけではありません。声をあげることができないというのが現状です。これもジェンダーの問題と言えます。
女性は常に相反するメッセージにさらされています。男性に対して従順であれということと、女性は自立しなければならないというメッセージです。従順と自立は矛盾します。女性のうつ発症率は男性の二倍です。社会的な病いともいえるのではないでしょうか。
女性性とは他者優先とも言えます。自分のことをさておいて、親のこと、夫のこと、子どものことを気配ることを求められます。○の娘であり、○の妻であり、○の母としてしか自分が表せない、「私」 を消されていくという社会のシステムのなかで女性の抱える葛藤は深いと思います。
DVのケース
私と在日女性でサポートした女性のケースをお話しします。彼女は小学校5年生で日本にやって来ました。お母さんはブラジルの日系二世です。彼女は頑張って日本語を覚え、小学校、中学校、高校へも進学。ところが頑張ってきたひずみがでてくる。
バイト先で知り合った一つ年下の寂しそうな男の子と会う。彼が家を出たいという動機と彼女の不安定な時期とが重なって彼女は同棲、高校を中退する。妊娠して結婚。しかし二人の生活は彼女のバイトで支える。定職につかない夫。
彼女は、バイト先で知り合った男性から連れ去られたことがあった。その連れ去られた間に、7ヶ月の赤ちゃんが夫に殺されてしまう。夫は過失致死で執行猶予の判決を受ける。一回目の相談にきた時は離婚したいと言っていた。
しかし夫の親がやり直してくれと懇願、離婚すれば夫は法律的に窮地に立つからである。結局彼女は別れなかった。一応もう一回暴力をふるったら離婚するという確認をして離婚を断念した。ストーカーに連れ去られたことが関係して、子どもが死んだという負い目もあったからです。
それでも、夫の暴力は治まらなかった。二ヶ月に一度は腹をけり、殴り、首を絞める。やめてと言うともっとひどくなるのでしまいには、彼女はやめてということすら言えなくなる。夫は自分の気がすむまで殴り続ける。「お前が俺の気持ちをわかってくれない」 と言って虐待を続ける。
「おまえだけや、おれをこんなに怒らせるのは」 「怒らせるおまえが悪い」 「あほっ」 毎日毎日言われる。彼女には夫が切れる時がわかるという。目つきが変わってくるので彼の好物を出そうとする。いったんは収まるが、それでも彼の気分で彼女を殴る。彼女は何とか対処しようとするが彼女の努力は報われない。
彼女は何度も実家に逃げるが、「離婚届だすから」 と彼が実家を訪ねてくる。迷いながらも帰ってしまう彼女。ある夏の日の深夜、首を絞められ気を失いかけた。「このままいたらほんまに死ぬ」、亡くなった子どもに 「ごめんもうあかん、離婚する」 とつぶやいて、ついに彼女は逃げました。そしてもう一度私たちのところに相談が入りました。
DVにはサイクルがあります。緊張形成期があり、爆発して、ハネムーン期というのがあるとされています。これはアメリカでの調査で浮かび上がったものです。ハネムーン期に、被害者の方は何かが変わると期待するのであるが、加害者は決して変わりません。加害者は彼の気分で殴りたいから殴ります。感情をコントロールできない。怒りの感情は出しっぱなしで、受けとめるのが女なんだという関係しか知らない。
彼女もまたサイクルを繰り返しやっとの思いで離婚にこぎつけました。ところが彼女はうつになります。夜中に足が痛くなり目が覚める (それは彼女が殴られていた時間帯と殴られていた箇所でした)。過食がとまらない。突然死にたいという気持ちが湧き上がる。そんな状況が続きました。
現在、通信制の高校へ行き、がんばっているが、まだまだ安定的ではありません。ニューカマーという立場も影響しています。頑張っていないと自分は認められないのではないかという不安感が彼女にまとわりついています。ブラジルの名前を嫌がります。自分のあるがままを自分自身で抱きしめてあげられない、自己尊重感を満たすことがなかなか作りづらい状況があります。
例えば彼女はブラジルではまだ離婚は成立していません。領事館に離婚届を出さないと成立しません。またブラジルには裁判離婚しかなくて、日本の調停離婚では受け付けてもらえません。私は知りませんでした。ひとつひとつのケースに取り組む中から学んでいます。
また中国籍同士の方が結婚していて、日本で離婚しようとするとどうするか。住所地の役所に届けを出せばいのですが、それを職員が知らない場合がありました。在日外国人の人たちがどんな法律で守られているか、あるいは守られていないかを私たちは、もっと知っていく必要があります。
私たちのところのケースで加害者が謝罪したケースは一件しかありません。残念ですが、珍しいです。加害者の男性の友人・3人が何日も夜を徹して話し合って謝罪することになりました。加害者が変わるという第一歩は、自分がしたことの意味を考えることであり、本人がちゃんとした認識を持ってこそ変わります。女性の言葉よりも、加害者は男性の言葉に耳を傾けるます。
虐待の連鎖という言葉があるが、はたして連鎖なのであろうか。連鎖というと遺伝を連想してしまってあまり私は好きではありません。確かに加害者の男性の多くは父親から虐待を受けている。でもそれは人間関係、とくに女性への関わりを学習した結果であり連鎖ではないと思います。また社会が妻に暴力を振るう男性に寛容であることが問題です。
虐待の与える心理的身体的影響
虐待というのは生きる力の源である自己尊重感を奪っていく行為です。まず身体への影響ですが、骨折、あざ、やけど、性器の損傷、栄養失調、腹痛、発熱、不眠、悪夢、拒食、過食、PTSDなどがあります。
また他者との関係にも表れます。いじめるというのは親からされていることを自分より弱いとみなすものにやっていくこと。またいじめられるというのは、人とどんな風にしていったらいいのかわからなくなり、孤立してしまいがちになるということです。くさいとか,お風呂に入れてもらえないといじめのキーワードにされやすい。
私たちにできること・・・一人で悩まない
心に受けた傷は必ず回復することができます。最初にいったネグレクトの子どもたちの話では、私の友人の存在によって、その子の人生をとりまく、いくつものサポートのまなざしが形成されました。たった一人の大人の存在が大切です。一人ひとりに大きな力が潜んでいます。また同世代の仲間を育む仕組みを作る必要もあります。
サポートの鉄則は被害者の声に耳を傾けるということです。サポートする側の体験に基づいて、勝手に被害者の置かれている状況を描かないことです。DVの場合、年令も10代から80代まで様々。職業も様々多種多様。女性も専業主婦の方が多いが、教師、保育士など様々である。収入、社会的地位、政治信条、国籍、地域にも関係ありません。
虐待を防止し、被害者の回復のために、大切なのは子どもたち・彼女たちを孤立させない地域のネットワークです。対等な人間関係が成り立っていける社会こそ一人一人の人間が大切にされる社会ではないでしょうか。これからも、個人的な問題は社会的な問題であるという視点でサポート活動を続けていきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。
質問・・・DVについての関わりで、女性の側からの相談を受けて、男性に手だてがうちにくい。お母さんから聞くことしかできないのであろうか。
答え・・・本当にそう思います。話を聴くことです。被害者の声をまだまだ言葉にしてあげられていない。被害者のことを受けとめることが大切。緊急の場合に逃げることを確保していることも大事。自分一人になれる場所を確保していく。彼女のネットワークを作る手伝いをしてあげることです。
自分の精神的よりどころを探しだし、逃げ場所をたくさん作り、暴力の現場から逃げるすべを自分で作って離婚までこぎつけたサバイバーの方もいらっしゃいます。
加害者は、自分が悪いという認識がないと変わらない。加害者に関わるとき、下手をするとDVがよけいにひどくなる場合がある。
生き延びるために彼女の社会資源をたくさん一緒に作ってあげる。自己尊重感を高めてあうことが大切。逃げられる、相談できるというのも力です。
相談を受ける側も1人で解決しようとしないことです。1人でやるとしんどくなる。私たちの場合、3人でシェアリング (分かち合い) をやっている。整理し直す。スーパービジョンという外から見る視点もが必要になる。そうでなければ自分が持たない。
対人援助に関わる方は、ちゃんとしようと思うと,機能過剰になったり他者に関わりすぎると自分の葛藤をどのようにシェアするかが難しくなる。1人ではなくシステムとして対人援助を行う必要がある。
加害者がいなくなって葛藤がなくなってしまうわけではない。揺れ続ける。自己尊重感をアップすることが大切。うばわれてきた自己尊重感を取り戻す。すごい遠い道のりのように思われるがそれが、1番近い。
自立への道は、毎日揺れながら、しかし暴力の現場から離れるという作業(安全・安心感を実感すること)を通して回復は少しずつはじまる。でも、それは一人ではできません。個人的な体験をしゃべられるようになると、社会に返すことによって自己尊重感は高まっていきます。ぜひ、ネットワークでサポートしてほしい。