求聞持法について (高野山時報より) 浅井覚超著
六、虚空の意味するもの
御本尊、虚空蔵(Akasa-Garbha)菩薩の御名のうち、虚空とは梵語でアーカーシャ(Akasa)である。このアーカ―シャは単なる虚空ではなく深い意味がある。モヌエルの梵英辞典なは、空、空間の外に「微妙にして霊妙な流動体、即ち宇宙(天地万物)に満ち溢れており、生命と音声の独特の媒介物」。又、「エーテル」の語もあり、単に大空というより宇宙に溢れているエーテルを意味し、宇宙そのものがエーテル質であることを想定せしめる。虚空は単なる空間ではない。即ち虚空蔵菩薩の意味としては一切の生命と音声を伝えるエーテル即ち虚空の(福徳と智恵)を蔵(おさ)めた菩薩と理解できる。即ち大虚空蔵そのままが一大仏身である。ところがこの宇宙がエーテルに満ちているということ、大虚空がそのままエーテル質であるということについて、ある優れた瑜伽者は次のような言葉を残している。『人は皆、エーテルの中に住み、また全身も意識も、欲望も、エーテルに貫かれて活動して、自分で知らないものによって支配されている。空間ばかりでなく、エーテルは凡ての物質を貫いて、宇宙的に拡がっている。エーテルを伝って流るるエネルギーは、一瞬間に全宇宙を貫くが、空間エネルギーの速度は音響のようにのろい。空間を伝って流るるエネルギーは、芳香のように中間でわからなくなる。しかし、エーテルを伝って流るるエネルギーは、時空を超越して思想と関係深いもの』と。
求聞持法の悉地成就の場合でも、その仏心を絶ゆまざる努力により一身に成就させると精神がエーテル界に開け、そこに偉大なる時空を超越した神通力がそなわる。即ち、エーテルの宇宙に意識が自在になり、時空を超越して、なお一層の利他の活動がある。一点の宣伝も、高慢のかけらも無い。仏に敬いつつも人と語るかの如く、犬、猫等有情の心を知りて育くむ。動物のその時その場の思いも、人の言葉を聞く如く理解する。しかしながらなお、一切智智に向かって修行が続く。成就者は語る。
『現実に苦しむ人に仏の言葉、教えを伝え助けていると、世の人は拝み屋と見る。今の世は我流にて拝み、釈尊の歩まれた、大師の求めた悟道を求めぬ者が多い』アーカ―シャ、即ちエーテルの世界は記憶層とも言われ、アカシック・レコードという言葉もある。過去のカルマ、音声、人生等々全て記録されている層ということである。層といっても宇宙に広がっているのであるから形容し難い。必要に応じて利他のためそれを予見する。人はえてして、過去、未来は論外としても、まず現実の認識がない。現実の自己を認識することができないのである。過去、未来をみて一体どうなのかということ、この今、現実の自身(心)をよく知らしめんがための方便である。むろん敢えてそれを故意に強調したりはしない。成就者はアーカーシャの世界に自由に往来する。このアーカ―シャ、すなわち虚空の意味するところは甚だ深いと言わなければならない。最後に、求聞持法の求も知らぬ私が、偏見と独善にて綴った文をここまで読んで下さった方に感謝致します。理解に苦しむ箇所多きことをお詫び致します。
七、求聞持句日記へ続く