求聞持法について   (高野山時報より) 浅井覚超著

三、悉地成就

穀蔵菩薩求聞持法は奈良時代から既に行われていた。大師に至るまでの伝承では善無畏、道慈、善議、勤操、空海とされる。これは主に『性霊集』、「故贈正勤操大徳影讃」の序文に基づいている。ここで奈良朝から平安初期にかけて虚空蔵求聞持法が流布していたことについて一言。道慈律師の法脈は極めて需要であるが、真実に法が広まるのはその秘法に通達した瑜伽行者、即ち悉地成就者の存在あってのことと思われる。一般にはまのあたり、成就者の想像を絶する能力を認めた場合、はじめて儀軌の説く意味を理解できる。それは記憶力というより悉地成就者としての境涯から滲みでる人格、心理の言葉、乃至それに伴なう諸の神通力においてである。顧みて道慈の場合、道慈十七年(七0一~七一八)の在唐にあって、善無畏より求聞持法を受け、帰朝後、専ら求聞持法を修行した。その法を大安寺の善議、慶俊に授け、善議は勤操と安澄に付している。これ等の大徳において、道慈は単に求聞持法の儀軌を請来したばかりでなく、おそらくは求聞持法の悉地を成就したと思われる。道慈が単に高僧の立場にて付法したとは考えにくい。その成就者いますが故にこの法が流布し、山岳寺院にて修せられるに至った。又、慶俊も専ら真言を修習していたことから、求聞持法に通達していたと思われる。そのほかに弘法大師より以前、求聞持の成就者はいたかどうか知るべくもないが、中国から来朝してきた僧の中に存在していた証があった(唐僧、比蘇寺の神叡も成就者と思われる。他にも存在した)。そういった僧の求道に徹した精神よりほとばしる言葉は何よりも修行への熱を駆りたてたものと思われる。さりとて、記憶力増進のため、一切の経法の文義を暗記する能力を得て、国家試験に合格し公度の僧になろうとなどと考えている修行者がいたとするならば、その欲を捨てぬ限り、求聞持法に備わる真の意義を体得できなかったであろう。聡明になろうとして求聞持法を修しても真の聡明を獲得した者は一人もいない。聡明になろうという心を捨てねば真の聡明者になれないのである。話しはとぶが、大師の『三教指帰』序においては文章の抜けているところを読む必要がある。一切の教法の文義が暗記できるという能力が備わると儀軌にあっても、大師はいつまでもそれにこだわってはいなかっつた。如何となれば求聞持法は徹頭徹尾無欲の大道に自身を置かねば悉地成就でき得ぬ大法であるからである。大師の清浄にして堅固な求道心が求聞持法という解脱法を短期のうちに成就させた。それにしても死にもの狂いの修行であったと思われる。法は万人に等しく門戸を開かれていても、修行する側に立って観察すると、必ず適不適がある。とりわけ求聞持法は決して誰でも真言行人ならば修するべきという修法ではない。かえって魔境に陥って高慢心の飾りを一層募らせて成満する行人も存在する。或は拙き己が行を華美な言葉で宣伝したがる若人もいる。悉地成就ということわさておき、本尊、大師をはじめ有縁の神仏に感謝し、それなりの前行をし、特に他言せず、心境を整えて修するならば、その人、その行に相応しい功徳を御本尊より賜った方々も随分おられる昨今である。  四、『三教指帰』序へ続く