求聞持法について   (高野山時報より) 浅井覚超著

 一、大師の「聞持」の解釈
周知の如く求聞持法とは聞持を求める法と訓じ、聞持を求める法とは聞持の能力を得る法の意味である。聞持とは単に言葉の意味としては,聞いたことを忘失しないことであり陀羅尼のもつ主な功徳である。但し、単に聞いたことを忘失しない陀羅尼が聞持陀羅尼かというとそうではない。大師は『梵字悉曇字母并釈義』の中で聞持陀羅尼を人に約して次の如く説いておられる。『又、五種の惣持あり。一には聞持、二には法持、三には義持、四には根持、五には蔵持なり。一に聞持とは謂く、耳にこの一字の声を聞いて具さに五乗の仏教及び顕教密教の差別を識り、漏らさず、失わず、即ち妄(忘)聴せざるなり・・・。中略
仏地瑜伽等の論には四種の陀羅尼(一、法、 二、義 三、咒、 四、菩薩忍陀羅尼)を説く。若し、大毘盧遮那及び金剛経等の秘密蔵の中に於いては具に如来自受用の五智等の相応の趣を説けり。故に五種の陀羅尼を説く』従って聞持陀羅尼による虚空蔵菩薩求聞持法とは密教独自の法であり、その功能として耳にこの一字の声を聞いて顕密の差別を識り、妄聴しないことである。大師が、『十住心論』、『二教論』を著したのも、この求聞持法の功能がもたらしたものと言えよう。通仏教と密教と表現した。インド、チベットでは通仏教を波羅密乗という。大師が顕教と用いたのは、中国の表現法による。『易経』には浅深の教えを顕と密という語を用いている。即ち、大師が『弁顕密二教論』として、他の仏教と密教の相違を著した時、おそらく当時の知識階級はその題名において大きな興味を覚えたであろう。実に当時の人々の心をとらえた題目である。ともかく、聞持陀羅尼が顕密の差別を識るという功能は求聞持成就者の大師にとって教判の原動力となったことが想定される。 二、求聞持法と金剛頂経へ続く 
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