波乱万丈の人生?


日々徒然




波乱に満ちた半世紀をエッセイ集風に・・・書き下ろせたらと考えております。

と、申しますのも余りにも色々の出来事に遭遇、現職当時上司から小説でも書いたら

と進言されたほど?知名度でもあればネ!ちょっとしたベストセラーに?などと・・・

直木賞は難しいでしょうが
(>_<)

HPを立ち上げたのを契機に、足跡として自分史を書きたいと思っております。






第一話


徳島県は北西部上板町、高級和菓子に使用したりお茶受けのお菓子として有名な
和三盆糖(岡田精糖)の製造地、詩人の生田花世(徳島の女性文学の草分け)を
輩出した地で1942年の厳寒にY家の二女として生を受ける。父は自分に良く似て
いると喜んだそうです。が、その喜びも束の間と申しましょうか、生後50日の私と
兄姉四人を残し出征したそうです。そして1944年ビルマ(現ミャンマー)で戦死、母の
話によればマラリアでの戦病死とか?物心がつくまで仏壇に置いてあった白い骨箱
の中は空っぽだったのを憶えています。その後、母は女でひとつで五人の子供を教
育、結婚させました。この時代では同じような家庭は多く、自分が母子家庭であるこ
との寂しさ悲しさなどは感じず育ちました。生活が苦しい事は幼心にも分かり、小学
校低学年のころ教科書代を当日の朝まで言い出せなかったのを思い出します。母は
前もって言わなんだら・・・米を売るか、借り入れるか?準備期間が要ったのでしょう。

私も言い出せず辛かったですが、それ以上に母は経済的に苦しかったのでしょう。


第二話


母の実家は隣町の家柄で父とはいとこ同士の間柄で、聞き合わせもしなくてすむ
小姑換えで(父の長姉が兄嫁で是非弟にと見込まれ)Y家に嫁いできたそうです。
今、考えるととても血の濃い婚姻関係であったように思います。三世代(祖父母、
両親、自身夫婦)小姑と大家族の中での生活でしたがとても大事にしてくれ、両親
祖父母が亡くなるまでは裕福な生活だったそうです。父は大黒柱である両親が先
に死に続いて祖父母を亡くし、家長になって自分で自由に采配出来ると、もともと
庄屋だったとかで有った財産を飲む打つ買うで、戦地に行くまでに殆ど散財し母は
実家の兄の助言で田畑を母の名義にし財産を守ったとのことです。





                                                つづく