五千円の女

 深夜十二時……青年――不動沢厳ふどうざわげんは真夜中に夕日を見ていた。深紅の燃えるような夕日……もちろん、それは本物ではない。しかし、それは――その女の瞳は、深紅に燃える夕日とたとえるしかない代物だった。
 その瞳が随喜の涙に揺れて、青年を下から見上げていた。
 冷たい夜風が、開け放たれた車のラゲッジスペースにいる男女の裸体を優しく撫で、女の瞳と同じく夕焼けの色をした髪をなびかせた。
 彼は彼女の小ぶりではあるが形の良い乳房を少し強めに、乱暴に愛撫した。長くはあるが太くてごつごつした指先が女の柔らかな乳房に食い込み、ルビーのように透明感ある色の乳首をより強く勃起させる。
「ひゃんっ!」
 女の華奢な体が大きく跳ね上がり、同時に青年の首に彼女の細い腕がするりと巻き付く。
 そして、女は青年の唇を求めた。
 素直に青年は女の唇に自信の唇を重ねる。
 ねちねち……クチュクチュ……ねっとりとした水音が車のラゲッジスペースに響き、そして、車外、波の音と風の音しかしない夜空へと消えていく。
 その濃密な口づけの間も、女のその夕日のような瞳はジッと……と青年の顔を見上げ続けていた。
「閉じると相手が居なくなる気がする」
 夕日のような瞳と夕焼けのような髪の女は少し前に……始めて唇を重ねたときにそう言った。

 その日、彼には様々な事件が発生した。
 まず、日付が変わった直後にパソコンがハングアップし、夕方から五時間かけてかけて作ったレポートが吹っ飛んだ。泣いても喚いても仕方ないので、朝までかけて書き直した。
 一応、レポートは完成した。完成度は余り高くなく、再提出の憂き目もあるかも知れないが、まあ、一応は間に合わせた、問題ない。その安堵感と共に仮眠のつもりで横になったら、きっちり熟睡、そして、朝一の授業には思いっきり遅刻した。必須ではないが落とすと危ない授業だ。来週からは遅刻も出来ない。
 一方朝まで掛かって作ったレポートの方は、肝心の授業――精密機械概論が担当教諭急病に付き、休講だった。どうやら、急性虫垂炎で病院に担ぎ込まれたらしい。レポートの提出も次回授業まで延期だ……そもそも、来週も授業があるのだろうか? 少し、心配だ。それと同時に、そのまま死んでも単位が貰えるなら、死んでくれてもかまわないのに……とか、思ったのは秘密。
 昼からの時間がごっそり空いてしまえば、やることと言えば、一つしかない。
 お昼寝。
 いくら熟睡したとは言え、三時間睡眠はきつい。
 百六十五センチ、六十九キロの立派な体格をジーパンとトレーナー、それからデニムのジャケットに包んだ青年が、人気もまばらな授業中のキャンパスをのんびりと歩く。
 身長の割に体重があるのは肥満体だから……ではなく、むしろ、筋肉質だからだ。
 実家が古武術の道場をやっていて、それで柔道と剣道を両方、物心ついた頃からやっていた。一応、柔道の方は段も持ってるし、インターハイは二回戦で負けたが全国まで行く程度には強い。
 もちろん、今時、古武術なんぞを教えても習いに来る者なんてないし、ましてや、その強さだけで食っていける世界があるわけでもない。祖父の代で古武術道場の看板は外し、代わりに小学校のスポーツ少年団相手に剣道や柔道を教える道場として、細々と道場を守っていた。
 で、インターハイ全国二回戦負け程度の実力では柔道で喰っていくのも難しいし、他にやりたいこともないし……と言うわけで、ちょいと興味を抱いていたコンピュータ関係の勉強をするために、現在の大学――とある地方にある大きな大学の工学部情報学科に通っているというのが彼の現在の立場だ。
 そう言う立場の青年が、山の中腹にある大学を出て、てくてくと峠に向かって坂を登る。
 片側二車線、広くて急な坂道だ。
 四月、真っ青に晴れ上がった空、山間を抜ける風は心地よくて、散歩にはちょうど良い気候。そんな心地よい空気の中、大学から坂を登ること五分、峠直前に彼のアパートはあった。その最上階三階の角部屋が彼の居城だ。
 狭いながらも楽しい我が家……の鍵を開いたら、服すら脱がずにベッドに倒れ込んで爆睡。意識が落ちる直前、鍵をかけてないことを思い出したが、起き上がるのも億劫なのでそのまま、眠る。
 そして、結構な時間が過ぎた。
「…………ヤな夢見た…………」
 ような気がしての、最悪の目覚め。
 どんな夢をみてたかは覚えてないが、ともかく、イヤな夢だった……気がする。
 部屋の中はすでに薄闇に包まれていた。
(何時だ?)
 そう思って彼は辺りを見渡した。
 スマホを何処かに転がしたような気がするが、どこに置いたかはさっぱり覚えてない。壁に時計を引っかけてはいるが、薄暗くてよく見えない。
 まあ、今日はバイトも休み、やらなきゃいけないことは、飯を作って喰うことと、風呂に入ることくらいか? やらなきゃいけないレポートの類いはないはず……と、考えれば、時間を確認するのも慌てる必要はなさそう。
『ピンポ〜ン』
 特徴的なチャイムが何処か遠くから聞こえた。
 セキュリティは甘いけど、みんなが使ってるから使わざるを得ないと、彼の周りではもっぱらの評判のメッセンジャーアプリにメッセージが届いた音だ。
 聞こえたのは多分、ベッドの下辺り……と思って、視線を向ければ、スマホがうすらぼんやりとした光をラグの上で発しているのが見えた。
「…………」
 猛烈にイヤな予感を感じつつ、スマホを拾い上げ、画面を覗き込む。
 その猛烈にイヤな予感が大当たりだった事を彼は知る。
『ごめん、好きな人が出来た』
 十日ぶりに来たメッセージはそんな書き出しから始まる物だった。後は色々な言い訳というか、如何に自分が苦しんだ上で結論を出したかを説明する、くだらない文章がつらつらと書き連ねられていた。
「こうなったか……」
 小さな声で青年は呟いた。
 覚悟はしてたから思ってたほど辛くはない。
 ただ、ため息が二つこぼれただけだった。
 送ってきたのは高校三年の春から付き合ってた女性だ。地元短大に進学した彼女と、県外の大学に進んだ青年。待っててくれる……と言ってたはずなのだが、この体たらく。まあ、美人でスタイルも良いから、こうなるのは目に見えてた様な気はした。それでも、やっぱり、心に来る物が無いと言えば、嘘になる。
 でも、ひと月保たないとは思わなかった……ってのが本音だ。
 彼はそのメッセージに特に返事を送ることもせず、スマホの画面を消した。
 ベッドの上に寝転がる。
 バイトが休みで良かったのか……悪かったのか……
 薄暗い天井と消えたままのシーリングライトを見上げて青年は思う。
 真面目にバイトなんてする気にもならないが、かといって、一人きりでこの部屋に居るのもイヤだった。
(とりあえず……どっか、いこ……)
 ため息をついて、立ち上がる。
 靴箱の上に置かれていたヘルメットに手を伸ばす。
 その隣には小さな鏡が一つ。彼女が『出掛ける前には身だしなみをチェックすべき』とか言うから実家にいたときに買って、靴箱の上に置いてた奴だ。それをそのまま、こっちに持って来ていた。
 いつもの癖で、その鏡を覗き込む。
 薄暗い鏡の中、ひどくしょぼくれた顔の男が映っていた。
 どこに行くか……それはまだ考えてる真っ最中で、全然、思いも付いてない。しかし、一つだけ、今、この瞬間、青年は決めた。
(知り合いの居ないところ……)
 これだけは絶対に譲れない。
 パタン……と鏡を倒して、青年は玄関を出た。
 見知らぬ隣人のドアの前を通り過ぎて、右に曲がったらすぐに玄関。二つしかない駐車スペースはいつも空き家。その空き家の駐車スペースを突っ切ったら、駐輪場、そこが第一の目的地だ。
 そこに彼の愛車は鎮座ましましていた。
 地方都市だけあって、この辺りは車の類いがないと非常に不便だ。このアパートも大学の傍だというのに最寄りの駅まで二十分以上掛かる程。しかも、その半分は急な坂。歩いたり、自転車ってのはかなり辛い。しかし、いきなり車だ、大きなバイクだというわけにもいかない。そこで原付スクーターの出番。この辺りでの普及率は妙に高い。
 御多分に洩れず、彼も真っ黒いスクーターを愛用していた。
 そのスクーターに鍵を突っ込み、エンジンをかける。
 ぺんぺんぺんぺん……スロットを握れば、中古ではあるが良く整備されたエンジンが気持ちよく吹き上がる。
 そして、スクーターにまたがり、国道を市内中心方面に向けて走り始めた。
 この期に及んで、未だ、どこに行くかは考えてなかった。ともかく、知り合いが居なくて、でも、ひとりぼっちを再確認しないですむところ……と考えていたら、バイクは自然と市街地へと向いていた。
 坂道を下りきった所には余り大きくないパチンコ屋が一軒、その前を通り過ぎるとき、ふと、思い浮かぶ。
(パチンコにでも良いか……)
 口の中、言葉にならない声で呟く。
 パチンコについて、詳しいわけではない。しかし、それでもあの喧噪の中ボサ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと玉が弾かれ、金が飲み込まれて行くの見てたら、ちっとは気が紛れるかも知れない……と、捨て鉢気味に考える。
 見かけたパチンコ屋はすでに後方はるか彼方。引き返すのはちょっと億劫だ。そう言えば確か、バイト先の本屋に行く途中に大きなパチンコ屋があったはず。本屋からスクーターで五分ほどの所にある駅、そのすぐ前。噂によると『設定が甘い』って話。
 もしかしたら、神様が哀れな青年にお小遣いをくれるかも知れない。
 そうと決まれば話は早い。
 アクセルをふかして、バイクを加速させる。大学の二輪車四輪車研究会(通称二四研)で買った中古原付はリミッターが外されていて、アクセルを開ければ開けるだけ速度が出せた。
 頭の中のもやもやを振り払うように青年はアクセルを吹かし、速度を上げた――
『おらぁ! そこのスクーター、何キロ出してやがるんだ!?』
 ――ら、白バイにナンパされるって事も、まあ、たまにはある物だ。
 二十キロ未満の速度超過で七千円の罰金……だ、そうだ。ちょっとオマケしてくれたらしい……って、そんな配慮はいらない。
(いっそ、殺せよ……)
 心の中で呟きつつ、嬉しそうな(主観)白バイ隊員への対応。紙切れにサインをしたり、拇印を押したり、振込用紙を貰ったり。それが終わったら、ヘルメットを被り直し、お巡りに「死ね」と小さく、聞こえない程度の音量で毒を吐き、その場を離れる。
 そして、予定通りにパチンコ屋へと向かう。
 さらに走ること十数分。
 着いたのは沿線で一番か二番目に大きな駅だ。その裏にある駐輪場にスクーターを止める。
 そして、駅前にある大きな老舗パチンコ屋へと青年は向かった。
 店に入れば耳をつんざく喧噪。若干の後悔の念が心によぎるも、初志貫徹。結構な人で埋め尽くされた台の間できょろきょろすれば、一人のおっさんが台を蹴っ飛ばして立ち上がるのが見えた。どうやら、店から出て行くようだ。
 とりあえず、その席に座る。
 そしたら、五千円で大当たりになった。
 そして、連荘。
 気づいたら大量の玉がパチンコ台からあふれ出し、閉店まで打っていたら、彼の財布には今月ひと月くらいは楽に生活できそうな金が転がり込んで来ていた。
「なんて日だ……? 今日は……」
 蛍の光に名残を惜しみながら、彼はパチンコ屋の外に出る。
 外に出れば、春の冷たい夜風が青年の頬を撫でた。
 いくら繁華街最寄り駅とは言え、地方都市だ。この時間になれば、コンビニの類いを除けば、大半の店が閉まり、人通りも随分と減る。飲み屋街や風俗街まで行けば話は別なのだろうが、ここからはその灯はまだ見えたない。
 そして、こんな夜でも腹は減る。
 青年はバイクを止めてる駅裏の駐輪スペースではなく、それとは逆方向に向かった。
 そちらには誘蛾灯のように無駄に明るくきらめくコンビニの看板。
 徒歩一分足らず、あっと言う間に到着。
 自動ドアが開き、彼を明るい店内へと導き入れる。
 明るい店内、アニメで聞いた覚えがある音楽が賑々しく鳴ってた。
 その中で青年はサンドイッチにホットドッグ、肉まん、缶コーヒー、決して少ない食い物で袋一杯にしたら、店の外に出た。
 ぼんやりと明後日の方向を眺める。遠くに風俗の看板らしき、ピンク色の下品なネオンが瞬いているのが見えた。それを意味もなく眺めながら、青年はコンビニの外でサンドイッチを口の中に押し込む。
 マスタードが良く利いたカツサンド。
 しかし、これは利きすぎだ、と思う。
 利きすぎてて、涙が目の端ににじむ。
 それでも青年は黙々とサンドイッチを口の中に押し込んでいった。
 ふと……その涙で霞んだ視野の片隅で、真っ赤な何かが揺れた。
 その真っ赤な何かに釣られるように青年は視線を動かす。
 それは女性の髪……
 赤毛って言うのはたまに聞くがそれはもっと茶色に近い物のはず。これは赤は赤でも夕焼けのような鮮やかな赤だ。一切の癖がなく、さらさらと流れるような夕焼け色の髪……
(すげー髪してんな……)
 泣いていたことも忘れて、青年はぼんやりとコンビニへと入っていく赤毛女の後ろ姿を見送った。
「まあ……余りじろじろ見ても仕方ないか……」
 小さな声で呟き、マスタードが利きすぎたカツサンド、その最後の一つを口に押し込み、そして、缶コーヒーで流し込む。
 ちなみに缶コーヒーは砂糖が利きすぎてて、凄くまずい。
 そして、次はホットドッグ……肉まん……漫然と口に押し込む。
 普段は美味いと思って食べてる物が、今日は全く味気がない。砂を噛む思いという奴だ。しかし、それでも、腹の虫は満足したらしい。パチンコ屋で鳴ってた腹も今では静かな物だ。
 ポケットからスマホを取り出せば、時間は十一時ちょっと過ぎ。
 帰って寝るにはちょっと早いか?
 せっかくパチ屋で小銭を稼いだんだから、何かに使っても良いか……いっそのこと、風俗で全額豪遊してしまうってのもありかも知れない。
 罰金を支払うための七千円だけを残して……
(そー言えば、そこの駅の裏……『立ちんぼ』が居るとか……誰か言ってたっけ……?)
 いわゆる売春婦って奴だ。ばあさんだったり、不細工だったり、もしくはその両方併発してたりで、ろくなもんじゃないが、ともかく、安い、だそうだ……詳しくは知らないし、会ったこともない。
(病気とか大丈夫なんかね……?)
 考え、決めあぐねながら、青年はゴミをコンビニの入り口に置いてあるゴミ箱へと突っ込んだ。
 カラン、カラン……
 最後に放り込んだ空き缶がゴミ箱の中で小気味良い音を鳴らす。
 そして、また、彼の視野の端に赤い髪が揺れた。
 顔を上げれば、先ほど後ろ姿を見送った女と視線が交わった。
 髪と同じく夕焼け色の瞳、真ん丸な瞳はまるで夕日のよう。二重の切れ長、まつげも長くて息を呑むほどに美しい。
 視線が交わったのはホンの一瞬だと思う。
 その一瞬、女が口角を少し上げて、まなじりを少し下げる。
 彼を見て笑ったのだと気づくのに、かすかな時間が必要だった。
 ぽかん……と青年の口が間抜けに開く間に、夜の街、夜の闇に女は消えていった。
 気づけば再び、夜の闇と誘蛾灯のようなコンビニの明かりだけが彼を包んでいた。
 すぐに頭をブンッ! と振って、青年もその場を離れる。
 妙に高まった鼓動を押さえるように、青年は足早に駐輪場へと向かう。
 そして、駅裏の駐輪場……小さな外灯がいくつか灯ってこそ居るが、十分な明るさというのはほど遠い。ナンバープレートを確認するのがやっとと言ったところだ。その薄暗い駐輪場の中、青年は記憶を頼りに自分のスクーターを捜す。
 そして、青年が愛車を見つけるよりも先に、澄んだ声が聞こえた。
「おにーさん、私のこと、見てたでしょ?」
「えっ?」
「えへへ……五千円で良いよ。その代わり、生中出し、青姦、良い?」
 外灯の小さな明かりだけが照らす、狭い世界の中、夕焼け色の髪の女が妖艶な笑みを浮かべていた。
「はぁ? 生で青姦、五千円?」
 思わず、青年は素っ頓狂な声を上げた。
「だから、ゴムなしで、中に出してくれて、場所は空の下で良いなら、五千円で犯らせてあげるって意味、解らない?」
「イヤ……解る」
 思わず、素直に首を左右に振って見せた。
 年の頃は……青年よりも少し年上だろうか? 二つか三つ……二十歳を一つか二つ越えた所に思えた。冗談のように明るい赤毛――夕焼けのような髪こそ異彩を放つが、小顔で細面、深紅の瞳は大きくて、美人と言って良いだろう。スタイルも良い。黒いワンピースに亜麻色のコート、どちらも短くて、ロングブーツと短いスカートの間から除く真っ白い生足の太ももが妙に扇情的だ。
 まあ……厳が想像する『立ちんぼさん』とは偉い違いというか、対局にいる女性と言って良いだろう。
 その女の姿を確認しながら、青年はほぼ無意識のうちに呟いていた。
「イヤ……生って……子供とか……病気とかは?」
 その言葉に女は事もなく、軽い口調で答えた。
「ああ、大丈夫、大丈夫、私、子供、出来ない体質だし」
「あっ……ごめん……」
 バツが悪くてうつむけば、彼女の軽い調子の声が聞こえた。
「あはは、お兄さん、良い人だね。あと、病気も、私は大丈夫」
「私は大丈夫って……?」
「私には移らないって意味。移らないから持ってもいない」
 人を食ったような表情で女はニコニコとしながらそう言った。
 正直、普段ならば――今日でないならば、相手にするのを止めて立ち去ったところだろう……いくらなんでも言ってることがメチャクチャ。それこそ『Welcome To World Of AIDS!』なんて事態にもなりかねないところだ。
 が、今日の彼は違っていた。
 尻ポケットにねじ込んであった財布を引っ張り出す。黒い牛革財布。まだ真新しいのは、これが父からの大学入学祝いであるからだ。そのろくに使い込まれていない財布の中から、換金所で貰ったぴん札の五千円札を一枚取り出し、女の方に突き出す。
「……良いよ、じゃあ、五千円な」
「ナイス捨て鉢!」
 薄暗い中でも解るほどの満面の笑顔、茶化してるって言うか、馬鹿にされてる感百パーセント。何より突き上げた右親指に腹が立つ。
「捨て鉢になんないと飲めない条件だって……解ってんなら言うなよ……」
「気にしない、気にしない。大丈夫、大丈夫、ウェルカムエイズはないから」
 ひょいと女はその五千円札を手に取り、コートのポケットに無造作にねじ込んだ。そして、彼女はするりと厳の腕に自身の腕を巻き付ける。華奢で触れれば折れるかと思うほど細いのに、同時に柳のようなしなやかさとふりほどけない力強さを感じた。
 あと、割と小ぶりな胸。
(あいつ、でかかったからなぁ……)
 青年が心の中だけで呟いたのとほぼ同時、腕にぶら下がるような感じになっていた女がじろっと青年の顔を見上げて言葉を放つ。
「今、ろくでもないこと考えてるよね?」
「別に……」
「そう? 私、そういうの割りと当たるんだけどなぁ〜まあ、いいや、こっち、いこ?」
 そう言って女はずるずると厳を引っ張り始めた。特に抵抗する気もないが逆に従ってるつもりもない……はずなのに、彼女が行きたい方向へと連れて行かれる。
(馬鹿力……)
「やっぱ、今、ろくでもないこと考えたでしょ?」
「……なんで、解るんだよ?」
「解るって……っと、こっち……って事はさっきもろくでもないことを考えてやがったか……」
 女が吐き捨てるように呟くも、それはマルッと無視。女の方も特に反応は変わらず、相変わらず、ぐいぐいと何処かへと厳を引っ張り続ける。
 薄暗い夜道を五分ほど……連れて行かれた先は、タワーマンション。結構な高さ、見上げれば首が痛くなるほど。多分、二十階建てよりかは高い。
 その地下駐車場。
「おまっ、ま、まさか!?」
 思わず声がこぼれ、体がこわばる。
「……ここは『空の下』じゃないよ」
 笑って女は更に青年のこわばる体をずるずると引っ張る。
 真新しいコンクリートにまぶしい蛍光灯の光。薄闇に慣れた目に痛みを感じるほどだ。止まってる車も3ナンバーの高級車ばかり。場違いなところに来てるようですさまじく居心地が悪い。
 とんでもなく広い駐車場の中、ずるずると引き摺られ、青年は一台の車の前に引っ張り出された。
 大きな4ナンバーのミニバン。光沢ある黒一色のボディ、リアの窓には塗りつぶしてるんじゃないのか? と思うほど黒いスモーク。中をうかがい知ることは出来ない感じが不安を煽る。
 まさか……と思いつつ見てたら、案の定、女は脇にぶら下げていた小さなハンドバッグから鍵を取りだし、ピッとスイッチを押した。
 がちゃん! 無駄に大きな音を立てて、鍵が開く。
「……ああ、俺、ハイエースされるんだ……」
 青年は思わず、呟いた。
「止めるなら、お金返すよ?」
 運転席側のドアを開き、女が少し高めの運転席へと乗り込む。
 解放された右腕が妙に軽かった。
 青年は黙って、助手席側へと周り、ドアを開く。
 そして、シートに深く腰を下ろす。
 椅子に腰を下ろして、青年は改めて車内を見渡した。
 ゆったりとした広い車内、シートも恐ろしく座り心地が良い。インパネもシートも黒一色で統一された中、要所要所に付けられた木目調のパネルが高級感を際立たせていた。大画面のカーナビの他になんかよく解らない液晶パネルも付いてて、その役目に興味をひかれる。ダッシュボードの上に小さな仕事を選ばない事で有名な白猫お姉さんの置物が、ちょこんと、運転席側に飾られているのが、唯一の女性らしさと言えた。
 業務用車で有名なハイエースではあるが、どう見ても業務用として使われている様子は皆無だ。そもそも、この車を作った人間が業務用として考えているかどうかも怪しいほど。それほどまでに車内は高級車然としていた。
 ただ、後部座席と運転席の間に分厚い遮光カーテンが後付けで付けられているのが若干気になった。
 その分厚い遮光カーテンの向こう側に女が自信が脱いだ亜麻色のショートコートを脱いでねじ込む。脱いだ女の格好は、なぜかこの時期だというのにノースリーブのワンピース。むき出しになった白く細い腕がなまめかしい。
 そして、彼女はシートベルトを絞めた。
 青年もそれに習って、シートベルトを締める。
 その様子を見ていた女が言った。
「人生、捨て鉢になっちゃダメだよ? どんなどん底でも逆転の目はあるって」
 ニマッと笑った底意地悪そうな笑み。その笑みからプイッとそっぽを向いて青年は言う。
「だから、捨て鉢になんないと乗れないような条件を課すなよ……」
 その言葉に軽く笑みだけを残して、女はエンジンをかける。
 大型ディーゼルとは思えないほどの静かなエンジン音。そして、聞いたことのない妙にアップテンポな英語の音楽が車内を満たす。特徴的なシンセの音、ユーロビートとか言う奴だろうか? 余り詳しくはないが、深夜の峠レースのアニメでBGMに使われていたのを聞いたような気がする。同系列と言うだけで同じ曲ではないのだろうが……
 その音楽に合わせて女が指先でハンドルを軽く叩きながら、軽快に車を飛ばす。気持ちよさそうに鼻歌も歌っているようだ。
 駐車場から表の道へ……それから太い国道、そして、五分も走れば車は海っぺりへと滑り出す。
(どこに行くんだ?)
 疑問に思う青年を置き去りに、車は切り立つ山と海の間を縫うように走る。
 湾になっているのか、海の向こう側には赤や黄色に瞬くコンビナートの灯が見えていた。
 そのまま、更に五分ほど……車はひょいと一本の真新しい道に入り、橋を渡った。
 それまで右側に反り返っていた山と左側に見えてた海はなくなり、両側には造成したばかりの埋め立て地。『関係者以外進入禁止』の看板までもがちらほらと見えていた。
 ガタゴト……不整地になったのだろうか? それまでスムーズに走っていた車が揺れ始める。
「良いの?」
「底は擦らないと思うけど?」
「……じゃなくて、入って良いのか? って聞いてんだよ」
「ばれなきゃ大丈夫だし、ばれないから大丈夫」
「……大丈夫じゃねーじゃねーか……」
 埋め立て地域、一番奥、海っぺりにある区画に入り、車が止まった。
 五十メートル四方は優にありそうなだだっ広い空き地。埋め立てと造成こそは終わっているのだろうが、建物の類いを建ててるような様子はなく、地面は埃っぽい山土がむき出しになっていた。よく見れば、隣の敷地には最近流行のソーラーパネルが漆黒の闇夜を睨み付けている。もしかしたら、こちらの敷地もメガソーラーとか言う奴になるのかも知れない。
「ここ?」
「そっ、ここ。誰も来ないし、静かだし、開放感最高でしょ?」
 そう言って女がエンジンを切った。
 かすかに聞こえていたエンジン音と爆音のユーロビートが消えた。
 聞こえるのは風の音、潮の音、そして、遠くに聞こえる霧笛の音……
 女がドアを開いて車から降りた。
 青年もそれに習う。
「お疲れさん、ドライブ、好き?」
「何考えてんの?」
 青年は真上で輝く満月とぶちまけた宝石箱のような空の星々だけが照らす女の顔をいぶかしむように覗き込んだ。
「犯ること」
 あっさりと女が答える。
 屈託のない笑みではあるが、底意が読めない……気がした。
 まじまじと青年が女の顔を覗き込んでいたら、女はクスッと肩をすくめて言った。
「例えば、私が定期的に男の精液を採らなきゃ死んじゃう化け物だ……とか言ったら、信じる?」
「…………タワーマンションに住んで、高そうな車を乗り回してるのに、一回五千円の『立ちんぼ』で生活してる……ってよりかは信じられる」
 ぶっきらぼうに応えた青年の言葉に、女は笑みを崩さぬまま、背を向けた。
 そして、ザリザリと赤土むき出しの地面を数歩歩いて、愛車の後部へと、女は回る。
 そして、かちゃ……小さな音を立てて、スムーズにリアハッチが開かれた。
 遮光カーテンと黒いスモークに隠されていたラゲッジスペース……後部座席は潰され、広いスペースが取られてる中、柔らかそうなフロアマットが奇麗に敷かれているだけ。他に目につくのは、女が放り込んだ亜麻色のコートと隅っこの辺りに転がされていた毛布が一枚、それから真っ黒いスモークを貼った窓に、更に取り付けられてる分厚いカーテンくらいか?
 青と黒、チェックのフロアマットの上に女が座った。そして、片膝を立てるとロングブーツのジッパーを下ろした。まずは右、続いて左。ブーツが赤土むき出しの地面に投げ捨てられ、コテンとこける。
 真っ白い生足が露わになり、左膝を立てたままの股間から、短いスカートの中が見え隠れ……
 ゴクリ……と青年が喉を鳴らした。
「で、信じるとして……する? それとも帰る? お金は返すけど、ここで帰るとか言う男を送る気にはならないから、歩いて帰って貰うよ」
「…………捨て鉢になってるから犯る」
「捨て鉢になるのは良くないよ?」
「だから、捨て鉢じゃなきゃ渡れないような危なっかしい橋ばっかり用意するなよ」
 そう言って青年は女の体を荷台に引かれたマットの上に押し倒し、その上に覆い被さった。
 誘われるように女の唇に自身の唇を重ね合わせた。
 ツルンとしたつややかな唇、かすかに開いて、甘い吐息をこぼす。そのこぼれる吐息を切り裂いて、青年の舌が女の中へと割り込んでいった。
 それに女の舌が応える。
 クチュリ……クチュリ……と、小さな水音が二つ三つ聞こえた。
 女の唾液が甘い。
 見開いたままの夕焼け色の瞳が青年の瞳を見つめていた。
 ゆっくりと唇を放す。
 互いの唇から唾液が一筋の橋を作り、そして、落ちた。
 互いの唇が指一本分くらいの幅で離れる。
 互いの吐く息が互いの唇と頬を撫でる。
「……目、閉じないんだな?」
「私はキスの時に目を閉じない主義なの。お兄さんは?」
「……男は閉じない物だ、と思ってるだけだよ。てか……どう言う主義だよ?」
「目を閉じると開いた時に、相手がいなくなってる気がするんだよね」
 頬を緩めて、冗談めかした口調で、彼女は言った。そして、青年の首の後ろに腕を回すと、彼女が体を少しだけ起こした。今度は彼女から唇を求め、重ね合わせた。
 また、小さな水音が聞こえた。
 やっぱり、目は開いたまま……だから、青年も目を閉じず、彼女の瞳を見つめる。
 夕日のような色の瞳だ。
 互いの目を見つめたまま、互いの舌を絡め合い、唾液を与え合え、そして、飲み干す……
 飲み干した唾液が媚薬のように男の体を熱くする。吹きさらしの海っぺり、開けっ放しのリアハッチから冷たい潮風が流れ込む。それでも彼は寒さを感じていなかった。むしろ熱いほど。その熱さに促されるまま、青年は着ていたデニムのジャケットを脱ぎ、車内に放り出した。
 そして、もう一度キス。
 今度は女がチロッと舌を出したので、それをぺろぺろとなめたり、唇で挟んだり……その度にどちらの物とも解らない唾液が、互いの唇から顎へと流れ落ちる。
 ひとしきり互いの唾液を味わい合うと、青年は見つめられる気恥ずかしさをごまかすように視線を逸らした。そして、薄手のワンピースの上から乳房に手を当てた。
 こう言うことをしてるのだから、着けてないかも……と期待もしたが、小ぶりな膨らみをしっかりと支えるワイヤーの感触が指先に伝わった。
 女が少し背中を浮かせる。
 誘われるままに背中に手を回す。
 背中のジッパーをゆっくりと下ろす。
 半ばほどまで下ろせば、女が自発的に袖を抜いた。
 胸元の下くらいまでワンピースが下りる。
 そのワンピースの下には白いのキャミと青いブラ。
 キャミの肩紐から腕を抜かせ、肌とブラを露わにさせる。
 傷一つない美しい肌は、病的なまでに白かった。胸元の辺りには青白い血管が浮かび上がるほど。しかし、その肌は生命を感じさせる熱を持っていた。
 その胸元に青年は唇を押しつけた。
「あっ……」
 女が甘い吐息をまた漏らした。
 汗の香りとも違う、化粧品の香りとも違う……発情した雌の香りが女の肌から香っているような気がした。
 その香りが青年の理性を溶かしていき、獣性を呼び起こすかのように、頭の中にしみこんでいくのを感じる。
 その匂いに誘発されるまま、青年は女のブラをはぎ取るように脱がせた。
 露わになった乳房は少し小ぶりではあったが、形が良くて、真っ白い膨らみの上に乗った小さな乳首は髪や瞳と同じように奇麗な朱色をしていた。こちらは透明感のある朱色はルビーのようだ。
 その乳首をぺろりとなめる。
 ぴくん! と女の体が駿馬のように跳ねた。
「……噛んで……」
 甘えた声で女がねだる。
 ねだられるままに右の乳首を噛み、左の乳首を指先で転がす。
 小さめの乳首が青年の口と呼ぶ先に弄ばれる度、女の体が跳ねる。
「くんっ……あっ……はぁ……ああ……んっ……はぁ……はぁ……」
 甘い吐息がいくつも漏れる。
 つま先だけでスニーカーを脱ぎ捨て、荷台の上へ……空いてる腕を腰に回して、青年はいっそう強く女の乳房と乳首を自身の顔に押しつける。柔らかい乳房が彼の顔に押しつけられて、淫らに変形する。
 女の鼓動を唇と肌で感じながら、更に強く愛撫をする。
 痛くする方が感じるのだろうか? それとも単なる悲鳴なのか……そこは解らないが、強めに噛む度、強く爪を立てる度に女は甲高い声を上げ、体をひときわ強くねじらせる。
 ひとしきり、女の乳房を弄ぶと、青年は乳房に当てていた手を下腹部、裾の乱れたスカートの中へと滑り込ませた。
 彼女の太ももは思ってたとおりに滑らかで、弾力があり、そして、うっすらと汗を滲ませていた。
 その汗が青年の手のひらを彼女の太ももに貼り付けさせた。
 奥へ……最奥へと手を滑り込ませ“そこ”に指先が触れる、その直前、それまで意味にならないあえぎ声と吐息しか漏らしてなかった女の唇が、久しぶりに意味のある言葉を吐いた。
「はぁ……はぁ……おにーさん……名前、教えて……?」
 声に顔を上げる。
 トロン……ととろけきった表情……夕日のような瞳は涙に濡れて、半開きになった唇、そのつややかな口角の片隅からはとろりと唾液の雫が一本、顎の方へと流れ落ちていた。
「……厳、そっちは?」
「アイ……アイラブユーの愛」
「……厳しい、の厳だよ」
 名前も知らない相手とこー言うことをしていたという事実が青年に自嘲気味の笑みを浮かべさせ、同時に少しだけ頭に冷静さを与えた。
 もっとも、今更辞められるほどの聖人君子ではない。
 改めて、女の陰部を指先が撫でる。
「ひゃんっ!」
 女はひときわ大きな声を上げた。
 下着、そのクロッチは撫でただけで解るほどに濡れていて、男を誘っているかのようだ。
 その誘いに乗るようにショーツの脇から指を差し入れる。
 指を中に入れればあるべきヘアーの感触はなく、感じるのは開き始めた小さめのラビアとそこからあふれ出す蜜の感触。ためらうことなく、指を差し込めば――
「ふわっ!? ああああ!!!」
 簡単に彼の中指は一番奥にまで滑り込んでしまった。
 無数のヒダが指に絡みつく。
 女の心臓が脈打つ度に、女の膣が収縮し、青年の指を締め上げる。その収縮に合わせてヒダがうごめく。それは青年の指が女のヴァギナを攻めているのか、女のヴァギナが青年の指を攻めているのか、解らなくなるほど。
 そして、男はもう一本、指を入れた。
「ひぐっ!? あっ、くぅ……だっ、ダメ、ダメだって……ああ!!!」
 二本の指先が最奥、こりっとした物をノックするように軽く突き上げ、締め上げる媚肉を押し返すように、広がったり閉じたりを繰り返す。
 女の背中が青年のトレーナー越しの背中に爪を立てる。
「げっ、厳……ああ……もう……もう、欲しい……」
 コクン……と頷き、青年はズボンのジッパーを下ろし、反り返った物を取り出した。
『捨て鉢にならなきゃ渡れない』リスクはもや忘却の彼方。女が欲するのと同じ……イヤ、それよりもはるかに強く、青年は女を求めていた。
 トロトロにとろけた女のヴァギナから指を引き抜き、うっすらと汗をかいた太ももに手を当て、青年は彼女の足を押し広げた。
 真っ白だったはずの頬を朱色に染めて、女は言う。
「早く……」
 望まれるままに女の中へとペニスを押し込む。
「ふわぁぁぁぁ!!!」
 悲鳴にも似た声が上がった。
「くっ……うっ……」
 青年も声を漏らす。
 思ってた以上に女のそこは良かった。
 無数のヒダが極上のローションを持って彼の物を攻め立てているようだ。ヒダの一つ一つが意識を持って、攻め立てていると言っても良いほど。
 気を抜けばすぐにでも果ててしまいそう……
 唇を噛み、女の太ももに爪を立て、強く突き立てる。
 腰を動かす度にグチュグチュ……ねちねち……と、濡れた粘土を捏ねるような音が響き渡る。
「はぁ……はぁ……あああ! あっあっあっ! 凄い……凄い……」
 女が甘ったるい声を上げ、青年の背中にしがみつく。
 吐息と声が耳を撫でる。それだけでもとろけるような快感が青年の体を襲う。
 ひと月する度に女の小ぶりな乳房が上下に揺れ、真っ赤な夕焼けのような紙がフロアマットの上で波打ち、広がる。
 そして、女の雌の香りが強くなる。
 何度も何度も……その度に、二人の繋がった部分からは粘着質な液体がしみ出し、女のお尻の方へと流れ、そして、フロアマットの上へと流れ落ちる。
 女の甘い声。
「はぁあっあっあっ、あああ!! くんっ!! はぁ……」
 男の荒い声。
「はぁ……はぁ……」
 二つの声が重なる。
 先ほどまで病的なほどに白かった肌に朱色が差していく。まるで生気を取り戻しているかのようだ。
「あっあっあっ……あああぁぁぁぁぁ!!!! ダメダメダメ!! もう、ダメ!!」
 次第に女の声が切羽詰まった物へと変わっていき、青年も女の与える快感に我慢の限界が近くなってくる。
「くっ……あっ、出るっ!」
 小さく宣言するのが精一杯だった。
 どくんっ!!!!!
 今までに感じたことのないような強い快感が男を襲い、そして、吸い取られるのかと思うほどに大量の精液が女の中へと流れ込んでいく。
「くぅぅぅぅ!!!!!」
 気がつけば女の足が青年の腰に巻き付いていて、背中は彼のトレーナーを破らんばかりの強さで爪が立っていた。
「はぁ……はぁ……」
 ぐったりと女の上に倒れ込む。
 女はそれに応えるかのように、青年の頭へと手を当てた。
 しばしの休憩……とでも言えば良いだろうか?
 聞こえるのは風の音、潮の音、そして、遠くに聞こえる霧笛の音……そして、二人の荒く甘い吐息の音。
 そんな時間がどのくらい続いたのか……もしかしたら、少し寝て他のかも知れない。
 不意に女が――愛が口を開いた。
「……厳……」
「何?」
「ちょっと……ごめん……」
 そう言って女は厳の下で体を少しくねらせる。そして、床の上からぽっこりと顔を出してるタイヤハウスの向こう側、壁に穿たれた小さなポケットに手を伸ばした。
 そして、そこから一本の油性ペンを取り出したら、青年に手渡した。
「これ……」
「……何?」
「どこでも良いから、横線書いて……私の体で」
 その言葉の意味をゆっくりと解釈するのに必要だったのは、十秒ほどの時間だった。
「……えっと…………」
 大粒の汗が浮かぶ女の額、そこに張り付いた夕焼け色の髪を少しだけかき上げて、彼は言った。
「……正の字、書けってやつか?」
 その問いかけに彼女は扇情的な笑みを浮かべて、答えた。
「うん。縦線四本引いて横に一本って奴でも良い……消えるまで反芻できるんだよね……」

 女の内太ももに正の字が一個とTの字が一個、出来た。
 さすがに、少しきつい……
 床に引かれたフロアマットにはどちらの物とも解らない汗や体液が小さなシミを作っていて、異臭を放っていた。それに厳も愛も真っ裸。愛はともかく、厳はここが海に作られた埋め立て地で、外だって事も忘れきるほどに盛り上がっていたらしい。
「……さすがに、もー無理……」
「あはは……うん、まあ、ひとまず、もう良いかな?」
 病的なほどに白かった肌は健康そうに上気していて、彼女の体をいっそう妖艶に飾り立てていた。
 そして、女はふらふらと膝立ち、四つん這いになったら、フロアマットの片隅に転がっていた自身のショルダーバッグへと手を伸ばした。そして、中を広げてゴゾゴゾ……
「ん?」
 何をしてるのか……その真意も読めずに彼は彼女の姿を眺める。
 彼女が中から取りだしたのは大きめの財布。赤い牛革の……ちょっと高級そうな財布だ。
 あぐらをかいて女はフロアマットの上に座り直す。開いた足の間から、散々に蹂躙し尽くした雌の穴がぱっくりと広がり、ヒクヒクと痙攣しているのが見えた。
 そして、その取り出した財布を膝の上に置いたら、彼女は言った。
「最後にもう一回、危ない橋、渡ってみない?」
「…………好きにしろよ…………今更、性病でした……とか、ヤクザ呼ばれたくなかったら、金寄こせって言われても困るぞ」
「あはは、そんなんじゃないよ〜簡単なゲームだよ、ゲーム」
 そう言って、女は財布の中から一枚の五百円玉を取りだした。
 ぴーん……と親指でその後百円玉を弾く。車の高い天井付近にまで五百円玉が跳ね上がり、そして、女の手の中へと帰った。
「これを投げて、裏か表が出たらこの五百円玉、上げる」
「……裏と表以外に何があるんだ?」
 いぶかしむように青年が尋ねた。
 その言葉に女はクスッと笑う。
「じゃあ、これが立ったら、厳の命をちょーだい」
 とても本気とは思えない口調で女は言い切った。
「はぁ? 五百円玉一枚と命?」
「そりゃ、万馬券以上でしょ? 立つのは」
 ニマニマと女は底意の見えない笑みで青年を見つめる。挑発しているかのようにも見える……
 その深紅の、夕日の瞳を細めで睨み付け、青年は尋ねた。
「外で? それとも、中で?」
「外の方が良いでしょ?」
 女が答えた。
 そして、青年は視線を外に向けた。
 未だ、外は月明かりと遠くのコンビナートの灯以外何も見えない薄闇が支配していた。霧笛の音すら聞こえなくない。
 そして、リアから顔を出し、自身のスニーカーと女のショートブーツが転がる地面へと視線を落とした。
 山土むき出しの地面は一応の整地こそされているが、良く見れば細かな凹凸だらけ。投げて立つなんて言うのはもちろんのこと、真面目にコインを立てようとしても、多少の手間は必要に思えた。
 それと同時に、単に五百円玉を厳にプレゼントしたいが為に彼女がそんなことを言ってる……とも思えなかった。
「…………じゃあ、乗ってやるよ、そのゲーム」
「ナイス捨て鉢」
 そう言って、女は素っ裸のまま、裸足のまま、ぽーんと空き地の中に飛び出した。
「おっ、おい……」
 思わず、青年が声を掛けるも、女はお構いなし。灯らしい灯のない闇に、真っ白い裸体と真っ赤な髪が優雅に踊った。そして、女は厳の方へと向き直り、少し大きめの声で言う。
「じゃあ、行くよ? せーの!」
 そう言って、振りかぶったかと思ったら――
「えっ!?」
 ――五百円玉を地面に叩き付けた。
 ざく!!!
 気持ちいい音と共にコインが半分ほど地面にめり込み、そして、立っていた。
「残念、表でも裏でもありませんでした」
 素っ裸の女が腰に手を当て、屈託のない顔で笑った。

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