淑女二人(1)
 その日、凪歩が翼と一緒に出勤してくると、喫茶アルトの様子がちょっとおかしかった。
 普段なら朝食に使った皿を洗っているはずの美月がキッチンにいなくて、朝食に使ったであろうお皿はシンクの上に山盛りのまま。しかも、その食器がどう見ても二人分よりも多い。コーヒーカップもお皿も五つか六つずつある。
 さらに倉庫兼用の事務所に荷物を置きに行ったら――
「申し訳ありませんが……ちょっと、今、大事な話をしてまして……」
 と、和明に言われて追い返された。
 挙げ句の果てが……
「あっ、おはようございます〜」
 窓際隅っこ、いつも良夜が座っている席に美月がいた。
「……」
 見知らぬ女の子と一緒に……
「その子……誰?」
 凪歩が尋ねた。
 年の頃は十歳かその周辺と言ったところだろうか? 中学生には見えない。やせっぽちで人の顔色をうかがうような視線で凪歩を見上げるも、彼女はすぐに視線を手元に落とす。その手元にはカップが一つ。中身はコーヒーではなくココアのようだ。甘い香りがふんわりと香っていて、まだ暖かいことが見て取れた。もっとも、それには手がつけられたような様子がなく、代わりに彼女はしきりに指を動かし、手遊びをしている。
「えっと……お父さんの従姉妹の娘さん……らしいです。私もお目にかかるのはこれが初めてなんですけど……」
 そんな子供に美月も対応を苦慮しているのだろうか? 彼女の声にも、微笑みにも力がなかった。
 この少女は和明の兄の娘のさらに娘、らしい。この娘の母親は、関東に住んでる兼ね合いで拓也とは彼が学生だった頃から時折顔を合わせ、年賀状のやりとりくらいは行っていたのだが、こちらとは疎遠であった。単に距離が離れているからというわけでなく、
「和明は兄と折り合いが悪かったらしいわよ。随分前にそんなことを言ってたわ」
 と、アルトが良夜に後に語った。単に『折り合いが悪かった』だけではなく、片方が――もちろん兄の方が『折り合いが悪いままに亡くなった』せいで、ますます和明、そして、和明の手元で暮らしている美月とは縁遠くなっていて居たらしい。
 その縁遠い親戚が美月の両親に伴われ、娘共々アルトにやってきたのは、今朝、和明が日課にしている早朝のウォーキングから帰ってきた直後のことだった。
 それからずーっと……四人で事務室兼用の倉庫に立てこもっているのだ。食事もその事務室で簡単に取ったらしい。
 美月は蚊帳の外。
「そろそろ、モーニングのお客さんも来る頃なのに……」
 一通りの説明を美月は凪歩と翼にした……と言っても美月自身よくわかっていないというか、全く説明されてない状態のようだ。むしろ説明して欲しいといった雰囲気。何か問題があったのだろうと言うことは、ぼけねーちゃんの美月も解って居るみたいだが……
「…………」
 と、自分の話をされていることくらい、この少女も気づいているはずなのだが、彼女は顔を上げもせずにじーっと自分の指先を見つめながら、ちまちまと意味のない動きを繰り返している。
 そんな少女を凪歩はちょっと言葉は悪いが、まあ、おつむが少し普通ではない子、とでも言えば良いんだろうか? そういう子供なのかもしれない……と少し同情気味に見ていた。
「……名前は?」
 尋ねたのは翼だった。テーブルに手を突き、彼女は少女の顔をのぞき込むように顔を近づける。普段の無表情でそんな尋ね方をするもんだから、傍目で見てるとまるで尋問しているかのようだ。
 が、少女はぷいっと体ごとそっぽを向いて、今度は少し短めのスカートの膝元でちまちま……と、また、手遊びを始める。
 そんな少女の様子に翼はすっと体を起こし、美月の方へと向けた。
 そして、彼女はいつもの鉄仮面で言った。
「……チーフ……この子、追い出そう……」
「えっ……えっとぉ……一応、親族ですから……」
「……無表情だし……暗いし……喋らないし……」
「……翼さん、ご自分のこと、棚に置くのはやめましょうよ……」
「……私は……表情筋が……サボりがち、な、だけ……」
(それを無表情って言うんじゃ……)
 と思ったのは、凪歩だけではなく、美月も同様のようだ。思わず苦笑いで絶句しちゃった二人を尻目に、ぷいっとそっぽを向いて翼はその場を後にする。
 彼女が残した言葉はたった一言。
「……仕事」
 そう言われてしまえば、凪歩も美月もこのままここで子守をしているわけにはいかない。
 取り残された二人は互いに顔を見合わせ、ポリポリと気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「とりあえず……開店準備、しましょうか?」
「そだね」
 美月が立ち上がり、凪歩もきびすを返す。
 ちょうどそんな会話を終わらせた頃、一人の中年男性が倉庫からひょっこりと顔を出した。疲れ切った表情に無精ひげ……胴回りの余計な貯金(凪歩の父命名)がないだけスマートに見えるが、服は部屋着っぽいジャージで毛玉一杯だし、頭もなんかぼさぼさ、寝不足なのか目の周りもくぼんでいて……一言で言って『臭そうなおっちゃん』だった。実際、猛烈なタバコの匂いもしてる。
「あっ、お父さん、何があったんで――わっ!?くさっ!?」
「美月には関係ない!」
 鼻を摘まむ美月に父はぴしゃりと一言。
「えっ?」
 それに美月はぱちくりと数回瞬き……摘まんだ鼻から指がするりと落ちる。
「それから、俺は臭くない!」
 そんな言葉を投げ捨てて、彼はフロアの隅っこへとツカツカと足を向けた。トイレの前、余り使われていないテーブルだ。そこに腰を下ろしたかと思うと、すーすーと彼は居眠りを始めた。
「なっ……なんでしょう?」
「さあ……怒ってるみたいだったよね?」
「……臭いって言ったからでしょうか?」
「……まあ、臭いって言われたら怒るよね……」
 結局、凪歩と美月は、手遊びばかりしている奇妙な少女に「ここでおとなしくしててね」とだけ言って、仕事に取りかかることにした。
 遠くでトラックのフォーンが鳴った。
 少女の前に置かれたココアがゆっくりと冷めていく……

 良夜がその日、アルトに顔を出したのは、午後からの授業が始まった直後くらいのことだった。
 朝からゼミでキーボードを叩いていたら、気づいたら午後からの授業が始まりそうって時間になっていた。興が乗ったらたまにやってしまうことだ。
 で、この時間になると、
「しまった……ジャムパンも残ってねーぞ……」
 って事になるので、割と切羽詰まる。
 すると、同じく朝から自分の端末で作業をしてた教授が、顔も上げずに「アルトに行ってきたら良い」と言ってくれたので、じゃあ、取りかかってる作業も一息ついたし、久しぶりに……と思った次第。
 風は少し冷たいけれど、日当たりの良い国道はのんびりと歩くには悪くない陽気。その国道をのんびりと歩けば、喫茶アルトまであっという間。
 から〜んとアルトのドアベルを鳴らして入ると、別の客をレジで対応していた凪歩が良夜に声をかけた。
「あっ、いらっしゃい。久しぶり」
「久しぶり……になる?」
「たぶん、二週間ぶりくらいだよ」
 そんなもんかなぁ……と青年は頭の片隅で考えた。まあ、美月が三日にあげず部屋に遊びに来てるから、こっちに顔を出す頻度が多少減っていても仕方がないかもしれない。
「でも、美月さん、相変わらず、カレンダーにバッテンつけてるから、たまには来ないと不機嫌になるよ」
「購買でジャムパン囓ってるのが、ばれてるからなぁ……まあ、いいや……日替わり、まだ、だ丈夫?」
「残念、さっき、終わった」
「じゃあ、カルボナーラをパンのセットで。それからベイクドチーズケーキね、ブルーベリーソースで」
「豪勢だね、仕送りでも来た? あっ、それから、いつもの席、埋まってるから」
「脳みその使いすぎ、糖分補給しないと昼から動かない……って、ああ、そうなんだ? りょーかい」
 そう言って、良夜は昼の授業も始まって人影もまばらなフロアをのんびりと歩いた。
 確かに良夜がいつも座ってる窓際隅っこの席は埋まっていて、一人のくたびれた女性とその娘らしい少女が座っていた。
 親子連れというのは喫茶アルトではあまり見ない客だ。
 それが珍しくて良夜はことさらに見ると言うほどでもないが、自分の指定席に座る親子連れに意識を奪われながら、通路を歩いた。
 ぼんやりと放心したように外を眺める女性、その瞳はどこかうつろで焦点が合ってないような……そして、その対面に座った少女、やせっぽちで余り可愛いとは言えない感じの子供だ。その少女が手にしている小さな人形が目についた。金髪が綺麗で背中に一対の羽、それから右手に握りしめた針……どこかで見たことあるなぁ……って思ってたら――
「……助けなさいよ……」
 と、低く抑揚のない声で喋った。
 思わず足が止まる。
 少女の小さな手の中でもみくちゃにされてる妖精をジッと見つめること、だいたい三秒……
「あっ! アルト!?」
 素っ頓狂な大声に少女の母親らしい女性は怪訝な表情で良夜を見上げるし、少女はぎゅっと胸元にアルトを抱いてしまうし、助けろと言われても助けられるはずもない。
「えっ、いや、あっ、えっと……なっ、何でもないです!」
「ちょっと!?」
 しどろもどろの台詞を吐いたら、少女の胸元からアルトが叫ぶも、それを見捨ててぱたぱたとその場を逃げ出す。
 数歩の逃亡、少女の背後に回ったおかげで、アルトの姿は見えなくなったが……
「覚えてなさい! 後でぶっ殺してやるから!!」
 って、叫んでるアルトの声が聞こえてるのがすごく怖い。
(その子を殺せよ……俺じゃなくて……)
 って、思うけど、まあ、小学生くらいの少女に暴力は振るえないのだろうか? そー言えば、随分前に子供と動物は苦手だとか言ってたような気がする。
 ともかく、座るところを探さないと……と思って辺りをきょろり。すると、ちょいちょいと手招きしているカップル……と言うには少々薹<とう>が立ちすぎてる男女二人、の片割れ、女性の方……と言うか美月の母親、清華だ。相方の男性は確か拓也とか言っただろうか? もちろん、美月の父親だ。
「アレ……珍しい……」
 と、呟いたのは、彼らが盆も正月も帰ってこないともっぱらの評判の夫婦だからだ。主に旦那の方がアルトに会いたくないからって理由で帰ってこない。
 つーか……俺が何かしでかしたのだろうか? と不安になったのは、つい先日、この夫婦の娘に手をつけちゃったから。もっとも、不安になったからと言って、まさか逃げ出すわけにも行かず、彼はトイレの前の席に素直に顔を出した。
「……ご無沙汰してます」
 妙に緊張するのを自覚しながら、彼はぺこりと頭を下げて、二人に挨拶。
「座って?」
 清華がそう勧めるので、座らざるを得ない。
 白いワンピースの清華はともかく、ジャージ姿で無精ひげのおっさんが不機嫌そうな顔で座ってるところに同席するのは、正直すごく嫌。はっきり言って針のむしろだ。
「あの子がどうしたの? 大声出してたけど」
「あっ? ああ……はい。あの子がアルトを握りしめてたから……」
 清華に問われ、良夜が答えると、驚きの声を上げたのは拓也の方だった。
「えっ? アルトを?」
「はい……握ってたし、アルトが俺に声をかけたらなんか、隠すような仕草してたし……」
 そこまで言ったところで、良夜は「アレ?」と小さな声を上げた。そして、あごに手をやり微かに考え込むと、まるで誰かに確認するかのように呟いた。
「……あの子、アルトが見えてる?」
「そうなの?」
 と、清華が尋ね返すも、良夜は首を振って答える。
「……知らない子だから、声をかけるわけにも行かないし……」
「まあ、そうだな」
 そう言ったのは、拓也の方だ。
「あっ、知り合いなら……返して貰うというか、開放して貰うように……」
「どうなってるんだい?」
「オモチャにされてぐったりしてますね……」
 拓也に問われ、説明していた良夜の言葉が止まった。
「…………」
「…………」
 二人が沈黙した。
 遠くで車が急ブレーキを踏む音がした。
 ぽつりと拓也が言った……
「……暫くしてからでも良いか……」
「……そうですね」
「良くないわよ、あなた達……」
 清華が突っ込んだ。
「…………」
「…………」
 その突っ込みに、二人はまた沈黙した……
 遠くで喫茶アルトのドアベルがから〜んと心地よい音で鳴った。
「いらっしゃいませ〜」
 対応する凪歩の声が聞こえた。
 口を開いたのはやっぱり拓也の方だった。
「……何も知らない由美子……ああ、母親の方だが、彼女になんて説明するか……」
「……一つ間違うと、イタイ人ですしね……説明、して貰えます?」
「……私はアレのことが見えないから……」
 ため息をつきあう二人の前で、清華が一人、軽く頭を押さえていた。
「……この二人、駄目な方向で割と似てる……」

 ひとまず、拓也が母親を連れ出して、良夜が少女の対応に当たるという方向性で話し合いがもたれた。
「……いろいろある子だから……優しくお願いするよ」
 って拓也に言われたのは良いのだが、そういうお願いをするなら親族が行けば良いのに……とも思った。まあ、アルトが見えないから仕方ないと言えば仕方ないのだが……
 ともかく、説得してみる。ダメでも死にはしないだろう。意外と丈夫に出来てる妖精だし。てな事を考えながら、一人になった少女の前に、青年は腰を下ろす。
 が、少女はすでに良夜がアルトを狙っていると言うことを理解してるのか、良夜が席に着いた途端、アルトの小さな体をぎゅっと胸に抱いて、良夜に背を向けた。小さな顔もうつむいて、固く目を閉じる様は、全身で拒絶されているようで結構凹む。
 もっとも……
「……ボスケテ」
 少女の胸元、ぐったりしながらもネタを交える余裕を持ってる事に一安心……ツーか、見捨てても良いんじゃないか? と青年は改めて思った。
 たまにはひどい目に遭うのも良い薬だろうとは思うが……いつまでも溜飲を下げてばっかりでは居られない。青年は、少しテーブルの上に身を乗り出して、出来るだけ優しく彼女に語り掛けた。
「……それ、お兄ちゃんのだから……返してくれるかな?」
 って言ったら、アホが速攻で言った。
「違うわよ! 美月だけで我慢なさい!」
「おまえ、助けて欲しいのか、欲しくないか、どっちだ?」
「助けなさいよ!」
「じゃあ、黙ってろ!!」
 と、怒鳴った物だから、少女はますます体を丸めて、まるで、アルトを良夜から守るかのような格好になってしまう。
「あっ、いや、ゴメン……別に怒ったわけじゃないから……」
 声をかけたところで少女は左右に首を振るばかり。会話するどころか、良夜の声を聞くことすら嫌がってるようだ。
「参ったなぁ……」
 ため息を吐いて頭を掻く。
 少女は動かない。
 時計の針だけがゆっくりと動いて……
「お待たせしました……浮気中ですか?」
 美月がやってきた。
 手にはカルボナーラと小さめのフォカッチャにもちろんコーヒー、それから追加で頼んだチーズケーキの皿が所狭しと並んだトレイ。
 タイミング的にも余裕のある時間帯なので、キッチンを翼に任せて、こちらに顔を出したようだ。
「アルトが捕まってるから、開放して貰おうと思ったの……」
 それから良夜は、軽く美月にアルトの状況と自分が誰にここに送られてきたかを説明すると、彼女は大きな瞳をぱちくりさせて言った。
「ふえ? もしかして……?」
 そう言ったら、今度は美月が説明する番だ。
 彼女はテーブルの上に良夜が頼んだ料理を並べながら、この少女が朝からずーっと手遊びし続けていることを青年に伝えた。そして、
「……あれは手遊びじゃなくて、アルトをいじくり回してたんですねぇ……」
 と、言ったら、すぐに答えが返ってきた。
「そうよ!!」
 丸まった少女の背中越しに聞こえる声は、割と元気が良くて、暫く死ぬことはあるまいと青年を安堵させた。
 どう見ても、この調子ではこっちの言うことは聞いてくれないだろうし、拓也に連れて行かれた少女の母も向こうでなにやら真剣そうな顔で話し合っている。しばらくは時間がありそうだ。
 そういう判断で、青年は並べられた料理に手をつけた。
 まずはパスタ。たまごと生クリームがたっぷりのカルボナーラは黒こしょうが良いアクセント。それを二口三口とすすったら、最近アルトで出すようになったフォカッチャをぱくっと一口。イタリアのパンは少し塩味がして、これもすごく美味しい。
 そのフォカッチャを一つ、ぺろっと食べると、青年はお冷やを一口飲んで、美月の方へと視線をあげた。
「美味しいよ、これ。美月さんはご飯食べた?」
「ありがとうございます〜ついさっき食べました。もうちょっと早くに来てくれたら一緒に食べられたんですけどね〜」
 空になったトレイを胸元に抱いて、美月はクスッと軽く笑った。
 と、放置してれば寂しくなって、こっちに興味を抱くかと思ったら……
「……もう、好きにして……」
 アルトをオモチャに遊ぶのを再開。万歳させてみたり、体操させてみたり、振り回してみたり、スカートめくってみたりと、好き放題だ。割と楽しそう。
 とんでもないガキである。
 それを美月に説明すれば、彼女はどこか懐かしそうな笑顔を浮かべて言った。
「良いですねぇ〜私も子供の頃からそう言うの、一度やってみたかったんですよ」
「……ああ、今、貴女が私のことを見えなくて、心底良かったって思ってるわよ……」
 と、言ったアルトは現在、逆さづりになって必死になってスカートを押さえている。顔が真っ赤だ。
 まあ、仕方ないから、とりあえず、飯を食おう。パスタが伸びるし冷える。
「……覚えてろ……」
「……忘れる」
 そんなやりとりをしてとりあえず、絶賛逆さ吊りのアルトを見捨てる。
 すると、今度は美月が少女の前へと回り込み、窓ガラスと少女の椅子とのせまい隙間に体を押し込み、しゃがみ込んだ。
 美月の視線が少女の目の高さに……まっすぐに見つめる。
「その子、離してくれませんか?」
 美月が優しい口調でそう言うと、少女は素直にアルトを開放……するわけはない。
 先ほど、良夜に対してやったのと同じように、彼女はぎゅーーーーーーっとアルトの小さな体を抱きしめて、体を小さく丸めてしまった。その格好で嫌々と首を振る姿は、やっぱり、全身で対話を拒絶しているように見えて、若干……ではないほどに、向かっ腹が立つ。自分の親族なら一発ぶん殴って取り返しているところだろう。
 だが、美月は少々違っていた。
 大きな窓から差し込む暖かな光、その光が照らすテーブルの上へと美月の手が伸びた。
 少女の顔をのぞき込んだまま、美月の最近あれ具合がずいぶんとマシになってきた右手がつかんだのは、良夜の前に置かれたチーズケーキのお皿。
「あっ?」
 と言う良夜の声には対応せず、彼女は言った。
「交換……とは言いませんから、その子、テーブルの上に置いて上げませんか? それと、好きに遊んで良いですけど、もうちょっと優しくして上げませんか?」
 そして、良夜のチーズケーキが少女の前に差し出される。
 ちらりと少女の顔が上がる。
 チーズケーキを見やる。
 そして、遠くから聞こえるタイヤの音にすらかき消されてしまうほどの小さな声で、ささやいた。
「……ココア……」
「はいはい」
 笑って美月はぱたぱたとその場を後にする。
 残されたのは、アルトをテーブルの上へと返し、その空いた右手にチーズケーキの添えられていたフォークをつかんだ少女と、
「とりま、覚悟は決めてるのかしら?」
 すごむ妖精。
「……優しくしてね?」
 そして、カマっぽく身をくねらせる馬鹿の三名。
「キモイわよ!!!」
 吐き捨てるように言って、彼女はトーンと良夜の頭の上へと着地。大きく背を反らしたかと思えば、全身のバネを浸かってストローを突き刺す!
「ぎゃっ!!」
 短い悲鳴、脳天に刺さったストローが自立していた。
「ふぅ……こんな所かしらね?」
 妖精は一つ息吐いて、立ったままのストロー引き抜くと、ひらりと宙に舞い上がった。そして、とんとテーブルの上に着地を決めると、チーズケーキを食べてる少女の手元へとトコトコと近づいていった。
 そして、少女の顔を見上げて、にっこりと笑みを浮かべて見せた。
「私は妖精のアルトよ。淑女同士、仲良くしましょ? それから、いつもの質問をさせて貰おうかしらね?」
「……するなよ、馬鹿……」
 って、良夜の突っ込みはスルーされた。
「名前は? 大学生? ……な訳ないわよね? 小学生? 何年生? 恋人なんて居るわけないわよね? それから……処女?」
「……馬鹿じゃないのか?」
「……西部伶奈<にしべれな>……六年生……恋人、居ない……しょじょって、何?」
 消えるような小さな声だった。
「セックスしてないって事よ」
「……小学生に何を教えてるんだ!? おめーは!!」
 アルトの小さな体をつかんで、久し振りに金髪危機一髪状態。
 されど彼女はいっこうに気にせず、平気な顔で答える。
「ほら、最近の子供早いって言うじゃない?」
「あほか!? 早いにもほどがあるわ!」
 って、大声で言ってたら、少女が答えた。
「……違う」
「「えっ?」」
 ぽとっと良夜の手のひらから妖精が落ちて……その妖精は飛ぶことも忘れて尻餅ついて……
 遠くでトラックが狂ったようにホーンを鳴らしているのが聞こえた……
 でも、少女の小さな声ははっきりと聞こえた。
「しょじょじゃ、ない」
 そして、少女は身を震わせながら、静かに涙をこぼし始めた。
 

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