喫茶アルト―EarlyDays―(1)
 良夜がアルトもろとも実家に帰ってしまった翌日、美月は有り余る時間を倉庫のお掃除に費やしていた。もちろん、自発的行動ではない。掃除自体は嫌いじゃないのだが、倉庫は薄暗いし、フロアの雰囲気が伝わってこないしで、ここに閉じこもるのは余り好きじゃない。が、大掃除の分担を決めるじゃんけんで負けちゃったのだから自業自得だ。
「ふひぃ……ですよねぇ〜」
 芝居がかったため息を一つこぼし、彼女は秋口に使ったバーベキューセットを倉庫の片隅から別の片隅へと追いやる。セットの詰まった箱をどけても、段ボール箱があと五つか六つあったりする。それらの中身の確認をしつつ、捨てる物と置いておく物をチェックするのはちょっぴり面倒。段ボール箱の前にしゃがみ込み、中身を出したり入れたりしている内に、いつも明るい美月さんには余り似つかわしくない表情へと変わっていく。
「うーん……っと……ソーサーが割れちゃったカップとか、捨てちゃって良いんでしょうか……カップは使えるんですけどぉ……」
 新聞紙に包まれたウェッジウッドのカップ、割と良いお値段なのだがソーサーがないから店では使えない。使えないけど、カップ自体は使用に問題がない。もったいないような、邪魔なだけなような……と思いつつ、彼女は置いておく方へと――
 ぱっち〜ん!
 要る物の方へと置く手を気持ちいい破裂音と後頭部に響く衝撃が止める。ふえ? っと振り向けば喫茶アルトの巨乳の方……じゃなくて、金髪の方、吉田貴美さんのお姿。
「んなもん、残してどーすんよ? 受け皿の割れたカップとか蓋がなくなってるティポットとか! 要らないから!」
 仁王立ちで見下ろす姿をしゃがんだままに見上げれば、大きな胸が否応なく目につく。その大きくオーバーハングした胸の向こう側に見上げる顔には隠すことなく怒りの表情が浮かび上がっていた。
「いらないんですか? でも、ほら、使おうと思えば使えますよ? コースターの上に置くとか?」
「誰に出すんよ……?」
 あきれ顔の貴美に尋ねられ、美月は手にしたカップと彼女の顔を見比べて考え込んでみる。普通のお客さんに出すのは何となく気が引ける。でも、やっぱり捨てるのはもったいないような気がする。文句を言わなさそうな人……そう言う事に頓着のない人物、と言えば、彼女の中にぱっと一人の男性の顔が浮かび上がった。
「えっと……良夜さんなら許してくれるかも……」
「ああ、りょーやんなら気にしないで飲むかも……って、それを持ってりょーやんの席まで行くもんの身になってくんない? 体裁悪い」
「なるほど……ダメですか……じゃぁ、このカップ本体がないソーサーと合わせて使うとか……」
 そう言って彼女はやっぱりさっき、何となく置いている方へと置いた物を取り出す。新聞紙に包まれたうすべったい物体、それを開けば淡い花柄のソーサーが姿を見せる。
「ほら、サイズ的にぴったり」
「全然模様が合ってないから……捨てなって。去年の大掃除の時からそこにあったじゃん? 邪魔だよ」
「ふえぇ……そんな事、言われたらこの辺の箱、半分以上、なくなりますよ? 空間が寂しくなっちゃい――」
 ぱっち〜ん
 二度目に響くいい音。自分の頭だけど、何となく、空っぽっぽい音のような気がした。
「ふぇぇぇぇ!! 吉田さんがまた叩きましたぁ〜〜〜」
「空間が寂しくなって良いの! 全く、ボケもたいがいにしないと、今度は蹴るよ?」
 そう言って貴美はぺたんと床に座り、箱の中身をてきぱきと仕分けしていく。いや、仕分けというか彼女の手にかかるとほとんどがゴミと断ぜられている。その勢いと言ったら、片隅を占領していた段ボール箱が半分どころか、七割引になりそうなほど。下手に手をこまねいていたら、美月の隠して置きたい物や残して置きたい物も発掘されてしまうかも知れない。
 そう思うと美月の手も活発に活動を始める。貴美に負けず劣らずの速度で箱から物を出しては、必要な物をキープしたり、彼女の黒歴史を歴史の闇へと埋没させていく。
 そんな時だった。
「あれ……美月さん、これ、何?」
「何って……写真立てですね?」
 手渡されたのは色あせたカラー写真が収まったガラスプレート。それにはちょっとした足が着いていて、立たせる事が出来るようになって居た。
「いや、中身の方。右端は美月さんちのパパ? バックがこの店なのは良いとしても……周りを女の人が三人も囲むってどー言う事なんよ? しかも、全部、美人だし、清華ちゃん居ないし。大問題じゃない?」
 貴美の言うとおり、その写真は喫茶アルトをバックに一人の男性が三人の女性に取り囲まれているという幸せそうな写真。その右端に映っている男性、喫茶アルトの制服を着込んだ男性は確かに少し若い頃の拓也に見えなくもない。しかし――
「あっ、これ、お父さんじゃなくて、お祖父さんですよ? 前にアルバムで見た事があります」
「えっ? ああ、そっかぁ〜良く似てんねぇ……」
 そう言って貴美はもう一度写真を覗き込む。それにつられて美月も写真へと目を落とせば、もう一つの事実に気がつき、アッと呟いた。
「でも……お祖母さんらしき人がいませんね……」
 そう言って美月は荒れた指先で写真を覆うガラス板をツーッと指先で撫でた。その指先に白い埃が積もり、代わりにガラス越しに見える写真を明るくしていく。
「お祖父さん……知らない人、知らない人、知らない人、ですねぇ……」
 右端の和明らしき人物から順番に、喫茶アルトの制服を着た女性、眼鏡を掛けたOL風の美人、白い調理服を着た女性……そのどれもが幼い頃、仲の良かった祖母とまるで違っていた。
 と、なれば彼女の取るべき道は一つしかなかった。
「これはもう聞きに行くしか――いったぁい!」
 脱兎のごとくに走り始めた美月の顔が有無を言わさず真上を向く。顔全体までもが引っ張られているような感覚に視線だけを後ろに送れば、彼女の緑なす髪を握りしめている女が居た。
「掃除……終わってからにしてよね。私、明日にゃ、帰るよ?」
 と、言うわけで気になるお話は掃除の後で。

「おや、懐かしい写真を見つけてきましたね。これ、この店の開店当時の写真ですよ?」
 冬休み、しかも年末押し迫った喫茶アルトはがらんとしていて、三人の店員以外には大掃除を手伝わせようとしたら邪魔をし始めた直樹ただ一人。彼もカウンターに呼び寄せられて、四人は一つの写真を中心にカウンターの内と外に別れて輪っかを作っていた。
「それでお祖母さんは? お店、結婚直前に始めたって聞きましたけど……」
「真雪さんが撮った写真ですからね。本人は写ってませんよ」
「へぇ……真雪さんって確か……英明の黒雪姫って呼ばれてた人でしょ? あやちゃんのずーーーーーっと、先輩」
 そう言ったのはその辺の話を後輩である彩音から聞き及んでいた貴美だった。彼女はごく普通の口調で言ったのだが、和明の態度が一瞬だけ固まり、磨いていたパイプがぽろりとカンターの上に落っこちた。
「……もう五十年も経ってるのに、その名前が残ってたんですか……?」
「……らしいよ? スノーブラックとフォーグレムリンとか言われてたらしいじゃん?」
 苦笑いと言うには少々引きつり気味の表情を浮かべ、彼は落っこちたパイプではなく、テーブルの上に置かれていた写真を手に取る。そして、その写真に並ぶ三人の美女を指さしていった。
「フォーグレムリンの三人ですよ、そこに写ってるのは……そうですね。ちょうどお客さんも居ませんし……年寄りの昔話でも聞きますか?」
 写真を手に取り彼が言えば、居並ぶ三人の若者に否はなかった。

「さてと……どこから話しましょうか……? そうですね。高度経済成長期という時代、皆さんご存じですか? ……――」

 今を去る事半世紀、1950年代後半。忌まわしい戦争の傷跡を未だ社会の各所に残しながらも、日本という国はのちに高度経済成長期と呼ばれる時代に突入していた。田舎の町工場が数年で世界的な企業へと成長したり、田んぼだった土地に巨大な道路が出来上がったり、国起きる疾風の時代と呼ぶにふさわしい時代だった。
 と、言ってものちに喫茶アルトが営業を始める某地方都市の片田舎には余り関係なかったりした。特に――
「黒沢……寝に来るの、止めてくれないかな……?」
 五十年後には真っ白になってしまう髪も未だ黒々、幼さを残す顔が半世紀後にはシワだらけになっちゃうとは思えない。どちらかと言えば『精悍で男前な男性』に類させる青年、名前を三島和明、当時ハタチ。英明女学園のすぐそばにある小さなレストラン「ロダン」は煉瓦造りのおしゃれな店構えとオーナーシェフが作る美味しい料理がおすすめ。そのオーナーシェフの遠縁に当たり、ここで見習いとして働いてるのが和明、彼には経済成長云々の話は余り関係なかったりした。彼にとって最大の問題は……
「うなぁ〜……」
 ランチタイムが終わり、ディナータイムが始まるまでの準備時間、ほかの客が誰もいない店内のど真ん中でスピースピーと心地よさそうな寝息を立てる女子高生が居た。英明女学園のセーラー服を着た少女、黒沢真雪≪くろさわまゆき≫二年生。翌年生徒会長に就任し、『英明の黒雪姫』『スノーブラック』と呼ばれ、そして数十年後には『喫茶アルト初代フロアチーフ』もしくは『日本一働かないウェイトレス』と呼ばれるに至る女性だ。彼女も和明とは逆方向ではあるが、この店のオーナーの遠縁に当たる女性だ。それは良いのだが、彼女はそれを良い事に授業が終わったら三日に一度はここに昼寝をしに来る。家に帰って寝ればいいと和明は毎回のように言ってんだが、聞きやしない。
 彼にとって最大の問題はこの女をどうやって追い出すべきか、である。
「って、起きろよ。掃除するぞ……起きろって言ってんのが聞こえないのか!?」
 和明の手が突っ伏している真雪の後頭部めがけて一直線に振り下ろされる。
 ぱっち〜〜〜〜〜〜〜ん
 気持ちいい音が無人のフロアに響き渡る。そこまでしてようやく彼女の顔がぺこっと上がった。
「うなぁ……かずくんだぁ〜かずくぅん……」
 黒と言うよりも藍色に近い髪の毛、少し伸びた前髪の間から大きな瞳が涙に潤んで彼を見上げる。甘えたような声で名前を呼ばれるとそれが真雪であったとしても、若い男にはちょっとうれしい。
 が。
「――お休み」
 ポテッともう一度顔がテーブルの上に落っこちる。一秒とかからず、心地よさそうな寝息が聞こえ始めれば、うれしかった気分も数秒と持たずに怒りへと成り代わる。彼はもう一度、先ほどよりも大きく手を振り上げると、やっぱり、先ほどよりも強い力込めて振り下ろした。
「寝直すな!!」
 もう一度顔が上がる。先ほどよりかは幾分眠気も失せた表情、まなじりに浮かんだ涙が人差し指でぬぐい取られる。そして、彼女はもう一度、和明の顔を見上げて口を開いた。
「眠いもん……寝かせてよぉ……疲れてるんだから……」
「何してだ? 親のすねをかじるのが忙しいのか?」
「ほら、うちの学校、今、立て替え中でしょ? それで、工事現場のおっちゃんと交渉して、生徒会室に流し台つけさせて貰ってるのぉ……」
「……えっ?」
「だから、流し台、私が作ってるのぉ〜今。夜中に、こっそり」
 聞いてるうちに和明のぽかーんと開き始める。なんでもどこかで適当に拾ってきた建材の切れっ端を使って、生徒会室に水道を引き込もうとしているらしい。ちょうど生徒会室の裏はトイレなので簡単にできるだろうと思っていたらしい。
「それが意外と面倒なのぉ〜ステンレスのシンクは高いから、自分で型枠作って、自分でコンクリート流し込んで、タイル貼ってぇ〜もう、ゆきちゃん泣いちゃうからぁ〜だから、寝かせて、お休み」
 眠たそうな声ながらも一気にしゃべり終え、彼女は再び、パタンとテーブルの上に頭を落として寝息を立て始める。気持ちよさそうな寝顔と寝息、それに引き替え、取り残された和明はぽかんとしっぱなし。ただ、一つ思う事は――
「ダメだ、こいつ……」
 だけだった。
 授業が終わっての夜中にそう言う事をやってんなら、きっとテコでも起きないだろう……と和明は思う。そもそもこれ以上、彼女と関わっていたら、夕方の営業が始まるまでに掃除が終わらない。ひとまず、彼女の居る辺り以外のテーブルを掃除し、それが終わったらもう一度起こしてみよう。そんな事を考えながら彼は台ふきを用意し、周りのテーブルを一つ一つ丁寧に拭き始めた。
 ガタガタと、テーブルや椅子が控えめにこすれ合う音と真雪の心地よさそうな寝息だけがフロアを支配し始める。そんな時間は三十分ほど続き、ドアベルの音で終わりを告げた。
 カラン……
 ドアベルの乾いた音が鳴り響き、照明の消されたフロアに外からのまぶしい光が差し込む。和明がそちらへと視線を向ければ、逆行の中にたたずむ、一人の少女が居た。
「あのぉ……うちの副会長、また、ここで寝てますか?」
 まゆきと同じセーラー服を着た少女だ。そんな少女がおどおどとした口調と顔色をうかがうような視線で薄暗い店内を覗き覗き込んでいた。真雪がここで昼寝をするようになってから、すっかり顔見知りになった英明の生徒会役員、名前は高槻明菜≪たかつきあきな≫、と言っただろうか?
「そこに一人いるよ……回収してくれるんなら、ありがたいね」
 掃除をする手も止めず、和明は投げやりに答える。少し前までは丁寧に対応していたのだが、ここふた月くらいは面倒くさくなってきていた。
「はい、では失礼いたします……」
 されど彼女は態度を変えない。初めて会ったときとと同じく、店内に入るのは恭しく一礼をしたのち。店に入ると真っ直ぐに真雪が眠るテーブルに近づき、彼女のすぐそば、背後に立った。明菜は決して真雪を声で起こしたりはしない。起きない事を知っているからだ。だから、いきなり実力行使へと移る。
「……物、壊さないでね」
「善処いたします……」
 半袖のセーラー服から伸びる手が真雪の眠る椅子を握りしめる。そして、彼女は大きく深呼吸をしたかと思うと――
 一気に引いた!
 がんっ!! ずでっ!
 支えを失った真雪の体は重力が導くままに落下!! 尻餅と言うには強すぎる勢いで落っこち、真雪は夢の世界から冷たい現実へと引き戻される。
「ギャンッ!! いったぁい!! お尻がッ! 私の可愛いお尻が四つに割れたから!!」
「おはようございます、副会長」
 真雪は冷たい床の上で転がり回り、それを黒髪のセーラー服は静かに見下ろす。それも電気を落としたレストランのフロアで。遠目で見てるとちょっとしたホラー映画を思わせる。
「いたぁい、いたぁい、かずくぅん、私のお尻――あっ……」
 和明の方から明菜の顔は逆行になってよく見えない。が、彼女と目があった途端、しっぽに火をつけられた子猫のように転がり回っていた真雪の動きがぴたりと止まった。
「あっ……あはは、おはよ。あっきー。今日も良い天気だね?」
「はい……会長が副会長をお呼びです」
 棒読み台詞の真雪に明菜が返す言葉はあくまで礼節を保った物だった。しかし、その声を聞いているだけで室温が先ほどよりも二十度ぐらい低くなったような感じがするは、きっと気のせいではないだろう。
「そぉなんだぁ……でも、ゆきちゃん、眠いからぁ〜」
「眠いのは私も同じです。副会長……戻っていらっしゃるか、それとも――」
 いったん言葉を切り、彼女はプリーツスカートのポケットに手を入れる。そこから取り出される何か――たぶん、鉛筆削り用の小刀――が、薄暗いフロアの中、カーテンの隙間から差し込む光を反射し、鈍色の光を放った。
「永眠いたしますか?」
「あっきー、刃傷沙汰は止めようよ?」
「では、戻ってくださりますか?」
 小刀が反射する光の中、少女は冷たく笑う。それに真雪もあきらめがついたのか、それとも本気で刺されると思ったのか、彼女は尻餅をついていた体を起こし、和明へと手を振った。
「しょうがないなぁ〜じゃぁね、かずくん。また、明日来るから」
「明日こそは来させませんから……殺してでも引き留めますから……」
 そして、二人は並んでロダンを後にした。
 取り残されるのは和明ただ一人……と、数分後、騒ぎの余韻も消え去った頃にひょっこりとキッチンから顔を出すロダンの店主さん。
「いやぁ〜最近の女の子は怖いね」
 恰幅の良い中年男性がそう言うと、彼は静かに思った。
「……あんなの、最近の女の子の標準にされたら、世の中の『最近の女の子』が気を悪くするって……」
 これが三島和明ハタチ当時の日々だった。高度経済成長もクソも関係のない、賑々しい毎日を、彼は某地方都市洋風レストラン『ロダン』で送っていた。自身の夢を叶えるため、自分の店を持つという夢を……

「まあ、結局、真雪さんは翌日もいらっしゃいましたし、翌日も高槻さんが小刀を持って真雪さんを呼びに来てましたね」
 和明のお話も一段落。若者達の前に置かれたコーヒーカップが空っぽになっている事を知ると、彼は話をいったん打ち切り、ネルとサーバーの前へと動いた。
 直樹はぽつりと言った。
「吉田さんみたい……」
「いや、私だったら、やるべき仕事はちゃんとする。昼寝はした後……てか、私、睡眠を余り必要としない人間だから」
 こともなく貴美が答えると直樹の顔がもの凄く苦い物へと変わり、その変わった顔を貴美の右ストレートが射貫く。ギャンッ! と言う間抜けな悲鳴、いつものやりとりはすでに美月も和明もとりたてて相手にしない。美月は二人のやりとりを一瞬だけ見つめた物の、すぐに視線を和明の方へと向けた。
「お祖父さん、でも、今のお話だと何となく、おつきあいって雰囲気じゃないですよね? どうしておつきあい、始めたんですか?」
美月の言葉に、祖父は褐色の液体が滴るネルから孫娘の方へと視線を移して、柔和な笑みを浮かべて答えた。
「さあ……どうしてでしょうね? 覚えてませんよ。なにぶん昔の事ですから……」

 と、老人はすっとぼけていたが、実はしっかり覚えていた。

 真雪が三年生に上がる少し前。英明の新しい校舎も落成し、彼女の夜間こっそり工事も終わっていたはずだ。それなのに、彼女は相変わらず、放課後、ロダンに昼寝をしに来ていたし、やっぱり、明菜が小刀を持って彼女を起こしに来ていた。
 そんなある日、テーブルの上で眠り続ける真雪の上で彼はぼそっと小さな声で尋ねてみた。
「お前、俺に気でもあるのか?」
 答えを期待してない問いだった。そもそも、聞かれる事すら期待していない。むしろ、聞かれていない事を期待していた問いだった。されど、どんなに呼んでも、揺すっても、テコでも開かなかった瞳がぱちっと開き、彼の顔を真っ直ぐに見上げた。
「あっ……」
 と、彼が思ったときはすでに手遅れ。薄い唇がニパッと開き、彼女は答えた。
「うん、あるよ」
 これが二人のつきあい始めたきっかけだった。

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