良夜と美月の休日(+アルト付き)(3)
「どんな子がいるか楽しみですよね」
 渋滞に巻き込まれてみたり、変な路地に入ってみたり、挙げ句の果てに反対方向へと走ってみたりと、波瀾万丈なドライブを二時間程こなして、目的のおもちゃ屋に到着したのは三時を少し回ったところだった。
 一歩、中に入った途端、美月は一刻も早くぬいぐるみコーナーに行きたいのか、キョロキョロと人であふれた週末の店内を見渡していた。アルトは店内どころか、車から降りたときから物珍しそうにキョロキョロしっぱなしだ。気分はお上りさんを引率しているツアーコンダクター。とは言え、良夜も週末のオモチャ屋が持つ独特の雰囲気に心が浮かれるような気分になる。これで二日酔い気味でなければ……自業自得なんだけど。
「これはどうでしょう?」
「ダメね、私の目はこんなに赤くないもの」
 一つのぬいぐるみに美月が手を伸ばすが、その手がぬいぐるみに届く前にアルトは美月の髪を二度引っ張る。
「では、こちらは」
「ダメよ、服の趣味が違うわ」
 美月の手が、そこから数個隣に座っているぬいぐるみへとたどり着く前に、アルトの手が二度動いた。
「だめですか、じゃぁ……」
「ダメ、問題外だわ」
 ぬいぐるみに手を動かすたびに、アルトは美月の髪を二度引っ張り「No」の気持ちを伝える。
 当初の予定では、良夜がぬいぐるみを見立てるという話になっていたはず。しかし、良夜は一つも美月にぬいぐるみは見せて貰っていない。こんな風に美月の肩に乗ったアルトが、美月が手に持つぬいぐるみを片っ端からだめ出ししてしまっているからだ。この調子ではいつまで経っても決まらない。そもそも、オーダーメイドで作ってもらう訳じゃないんだから、そっくりなぬいぐるみという物が存在するわけがない。
 良夜は美月の肩で次々とだめ出しをするアルトの羽を、ひょいとつまみ上げてその小さな顔を自分の顔の前に連れてきた。
「おまえな、適当なところで妥協しろよ」
「良いんですよ、色々と見て回るのも楽しいですから……あっ、良夜さん、退屈してます?」
「いえ、退屈はしてま――」
「女の買い物は時間が掛かる物よ。この程度で退屈するようだから、いつまで経っても恋人が出来ないのね」
 美月の言葉に答える良夜の言葉を、アルトの余計な一言が遮った。しかも、小馬鹿にしきった声で……超巨大なお世話である。人の行動を一つ一つをもてないって所に結びつけるな。しつこく言われると何となくそうなのかなぁ〜って気が自分でもしてきて、一生恋人が出来ないんじゃないのだろうか、と暗い気持ちになってくる。
「あぁ、もしかして、私に相手して貰えなくて、すねているのかしら? 子供ね」
 先日、すねまくった挙げ句にヒステリーを起こした奴に言われたくはない。
 アルトの言いように呆れた良夜は、アルトの体を自分の肩に乗せ、目を着けていたぬいぐるみに手を伸ばした。それは最初の方でアルトがだめ出しをした物なのだが、羽こそないが雰囲気が良く似ていると思っていた。
「羽がないし、服が下品だわ」
 同じ評価を美月が手に取ったときも下していた。
「ただの女の子のぬいぐるみだからな……服も雰囲気は似てないか?」
 同じ事は美月が手に取ったときにも思ったのだが、その時は言わなかった。アルトに髪を二回引っ張られた美月が、さっさと棚に戻してしまったからだ。
「私はゴスロリなんて着ないもの」
 呆れかえった口調でアルトは最後にそう言った。確かに、そのぬいぐるみは最近一部で流行のゴスロリっぽいドレスを身に纏っているのだが……
 その言葉を聞いた良夜は、自分の顔の前にアルトの体を置いて、その風体をじーっと見つめてみる。白を基調にしたフリルとレースたっぷりのワンピースドレス、それと同色のガーターベルト……手袋みたいなのと、頭の変な飾りはないけど、良夜の知識の中にあるゴスロリってのは、こういう奴を指すと思う。確信が持てるほどの知識はないが。
「言いたいことがあれば聞くわよ?」
 そんなことを考えながら、アルトの体とぬいぐるみを見比べる良夜、その目の前でアルトのストローが揺れる。彼女の視線は『下手なことを言ったら刺してやる』と如実に語っている。脅迫しながら、言えも何もあった物じゃない。
「これ、先ほどアルトがダメって言った子ですよね?」
 視線で牽制し合う二人の横で、良夜が選んだぬいぐるみを見つめていた美月が声を上げた。
「えっ、ええ。似てると思うんですけどね……」
 良夜の答えを聞きながら、美月はそのぬいぐるみを先ほどよりも丹念に見つめ、手触りや抱き心地もよく確かめていた。ひとしきりそのぬいぐるみを調べ終わると、彼女はアルトがなんと言ったかと尋ねた。
「えっと、羽がない、服が気に入らない、ですね」
「そうですね、羽は妥協して貰うしかありませんけど、服は着替えて貰えると思いますよ、この子」
 アルトのわがままにもう辟易と言った良夜の声を聞くと、美月はもう一度ぬいぐるみを調べてそう言った。どうやら、何カ所かの縫い目をほどけば、服は着替えさせられるようになっているらしい。
「じゃぁ、良い服を捜してくるわ」
 美月の言葉に、アルトは座っていた良夜の頭の上からぽーんと飛び上がり、混雑する店の中へと消えていってしまった。
「あの……美月さん、既製品であるサイズなんてあるんですか?」
 それを止める暇など、良夜は持ち合わせていなかった。ただ、呆然と店内に消えていくアルトを見つめるだけ。
「ないと思いますよ? お裁縫はあまり得意じゃないんですけど、がんばりますね」
 アルトが飛んでいったことなど、気づくはずもない美月は至ってのんきだった。のんきに新しい家族の抱き心地に満足していた。
「ですよね……アルト……どうするつもりなんだろう?」

 店内に消えたアルトは、しばらく戻ることはなかった。十年の間、喫茶アルトで引き籠り生活をしていたアルトにとって、オモチャ屋という場所は、その好奇心を満足させるのに十分な場所であった。
 良夜が飛んでいったアルトのことを美月に説明しても、美月は相変わらずのんきである。
「大丈夫ですよ、アルトも子供じゃないのですから」
「だと良いんですけどね……しばらく、この辺で待ってますか?」
 下手に知恵が回る分、子供よりもタチが悪いかも知れない。そんな思いが一瞬、心の片隅によぎった。
「ええ、そうしましょう……ねえ、良夜さん。良夜さんはアルトがこんな風に見えるんですよね」
 新しく家族になるぬいぐるみを、美月は何度も愛おしげに撫でていた。そのまま、良夜の方へ向かずに小さな声で尋ねた。
「そのぬいぐるみの方が可愛いかも知れませんね」
 少なくとも、そのぬいぐるみは頭にストローを刺したりはしないし、毒もはかない。それだけで、十分、可愛いと評するに値する。外見だけなら、どうなのかな……コロコロと良く変わるアルトの表情と、いつも笑っているぬいぐるみの少女とでは比べるのが難しい。平均値で考えれば、やっぱり、ぬいぐるみの方に軍配が上がるかも。
「私はもっと可愛いと思ってました」
 顔をぬいぐるみから良夜の顔へと上げた美月ははっきりとそう言いきった。
 彼女にとってアルトは、遠くで輝く月のような存在だった。いくら手を伸ばしても届くことはなく、祖父が話してくれた断片的な話と、髪を引っ張る小さな手から想像するだけ。自らの心の中に描くそれを祖父やアルト自身に見せることが出来ない以上、正しいのか、間違えているのか、それすら判らない。
 美月はぬいぐるみの頭を何度も撫でながら、ぽつりぽつりとそんな話を良夜に向けて語った。もしかしたら、そのぬいぐるみは、撫でることの出来ないアルトの頭の代わりなのかも知れない。
「良夜さんは月まで行っちゃった宇宙飛行士さんですよ。月にウサギさんは住んでないと知っています。私はその月を遠くから眺めて、ウサギさんが居るかもと想像してるだけ。少し、嫉妬しちゃいますよね」
 相変わらずぬいぐるみの頭を撫でながらそう言う美月の顔は、嫉妬しちゃいましたというには優しすぎる笑顔だった。そして、その表情のまま、でも……と言葉を続けた。
「良夜さんがアルトを見てくれたおかげで、私とアルトの距離がほんの少しだけ縮まりました」
 そして、ぺこりと頭を下げて礼を言った。言われた良夜は恥ずかしそうに頭をかいて「近付きすぎて、がっかりしても知りませんよ」と照れくさそうに答えた。
「がっかりするほど、色々なことを知りたいです」

 良夜と美月の話が一段落付くの待っていたかのように、アルトが二人の元へと帰ってきた。しばらくの間、こいつの存在、忘れられてたのにな……と思うと、ため息が出てしまう。
「なるほど、私が居ない間にフラグを立てていた訳ね。このスケベ」
「帰って来やがったか……この性悪妖精」
「帰ってきたわよ……この童貞」
 トンと軽やかに良夜の頭にアルトが着地を決めた。
「お邪魔なら、しばらく気を利かせるわよ……なんて事、私が言うと思ってるのかしら?」
 頭の上に腰を下ろし、額を木靴の踵で蹴飛ばす。まだ、二日酔い気味なのだから、頭の上で暴れないで欲しい。
「アルト、帰ってきたんですか?」
 二日酔い気味の額を蹴飛ばされ、軽く額を抑えた良夜に美月が尋ねた。
「帰ってきました……」
 それじゃ、レジを済ませて帰りましょう、と美月は新しい家族を抱いてレジの方へと足を向けた。しかし、アルトはそれを許さない。
「ダメよ。せっかく良い服が見つかったのだから」
「ぬいぐるみのか?」
「ううん、私の。ぬいぐるみの服なんてなかったわ」
 そんなことに今頃気がついたか、この間抜けと。と心の中で呟く。聞かれたら、髪を抜かれそうなので言わない。
 アルトの言葉を美月にも伝えると、美月はパァと顔色を更に明るくした。一刻も早くアルトの服を買ってあげたい、その表情だけで美月の気持ちが手に取るように判る。
「甘やかすとつけあがりますよ」
「いえいえ、今日はアルトにもお付き合いして貰いましたから」
 本人が嬉しそうなのだから、問題ないよな……アルトを頭に乗せ、ぬいぐるみのコーナーから人形のコーナーへと移動した良夜はそんなことを思っていた……が!
「お前、ふざけてんだろう?」
「淑女のドレスは高くて当たり前だわ」
「えっと……あの、良夜さん、あまり怒らないであげてください……ね?」
 アルトが指名した人形のドレス、それはアルトの趣味に合わせて白で統一されたフリルが多めのドレス、センスは悪くないと思う。見慣れているからかも知れないが、アルトには白がよく似合うと思う。白い外見と黒い腹の内。しかし、問題はそのお値段、一着諭吉さん二名と少々。その値段に切れる良夜、平然と挑発をするアルト、切れた良夜をなだめる美月。
「誰がこれを買うんだ? 誰が」
「良夜」
「ふざけんなよ?」
 もちろん、アルトはふざけてなんか居ない。おもいっきり本気で真面目に言っている。
「えっと、あまり怒らないであげてくださいね?」
「じゃぁ、美月さん、買います? これ」
「あは……あははは……ちょーっと……無理ですねぇ……」
 流石の美月も頬を引きつらせる。車のローンもまだ残ってるし、先月は里帰りもしたし、里帰りした所為で仕事は一週間ほど休んでしまったし、その時に服とぬいぐるみを買ってしまったし、今、抱いてるこの子はすでに家族のつもりだし。正直、二万円もする服をアルトにプレゼントする余裕はちょっとない。
「あら、こういう場で女にお金を出させようとするの? ホント、甲斐性なしね」
「こっちにしろよ、こっちなら買ってやる」
 と言って手に取ったのは、千円で楽におつりのある安い物だった。デザイン自体はアルトが選んだ物と良く似ているが、アルトが選んだのはシルク、良夜のはナイロン、良夜自身の目から見てもチャチな代物である。
「えぇ、それはダメですよ〜きっとアルトには似合いません」
 アルトも当然のようにだめ出しをしようとしたが、それよりも先にだめ出ししたのは美月の方だった。
「美月さぁん、あなたはどちらの味方なんですか?」
 美月にあっさりと裏切られた良夜の目には、涙が浮かんでいた。そもそも、見えないのに似合うも似合わないも判らないのではないのだろうか?
「さすが美月ね、趣味が良いわ。それに引き替え……」
 強力な味方を得たアルトが良夜を小馬鹿にしきった視線を向けた。
「うーん……良夜さんに買わせるわけにも行きませんし……」
 美月は自分が抱きしめていたぬいぐるみを渋々、元の棚へと返そうしはじめた。その背中はやけに小さく、しかも、返すときに『ごめんなさいね』とか『来月まで待っててね』とか言う声が聞こえる。
「あぁ、もう、判りました! 判りました!! 半分、持って下さいね、美月さん」
 その罪悪感に耐えきれるほど、良夜の神経は太くなかった。半ばやけになって宣言すると、ズボンのポケットにねじ込んでいた財布を取り出し、そこから諭吉さんを一人取り出した。本当はゲームでも買おうと思っていたお金なのに……本当に早くアルバイトを始めないと、そのうち破産してしまうに違いない。
「ありがとう、良夜」
 良夜の頬に一万円の価値があるアルトの口づけが一つ与えられた。

「良夜、振り向いたり、ルームミラーやバックミラーを見たら……殺すわよ」
「誰が人形の着替えなんか見るか、タコ」
 美月と良夜に半分ずつ出して貰った新品のドレス、それをアルトは車の中で早速着替え始めた。
「本当にごめんなさい……」
 半分出させることになった美月は恐縮しっぱなしだった。
「……ツケで食事させてくださいね」
「賄いの時間にいらっしゃってくれれば、無料で……」
 一気にピーピーになってしまった二人は、帰りの車の中で深いため息をついた。次の仕送りまで、夕飯は喫茶アルトにたかってしまおうかな……美月の新しい家族を抱いて助手席に乗った良夜はそんなことを考えていた。
 二人をピーピーにしたアルトの方はと言うと、そんなことはお構いなしに、真新しいシルクの肌触りにウットリとしている。
「サイズも丁度良いわ。それにデザインも素敵ね。似合うでしょ」
『似合う?』と聞くのではなく『似合うでしょ』と先に断言してしまう辺りがアルトらしいな、良夜は思った。そして、実際によく似合ってると思ってしまい、敗北した気分になった。
「見えないのが残念です」
 アルトが身につけるまでは美月にも服が見えていたはずなのに、アルトが身につけた途端見えなくなってしまった。その辺のルールというか、仕組みというか、そう言うのが全然判らない。もっとも、アルト本体が見えなくて服だけが見えるという風になっても困るのだが……
「……美月さん」
「なんですか?」
「こんな『月』にもっと近付きたいんですか?」
 美月の新しい家族の頭に顎を置いた良夜は、ダッシュボードの上で即席のファッションショーをやっているアルトを見つめ、ため息混じりに尋ねた。
 尋ねられた美月は、いつも通りにのんきな笑顔を浮かべたまま、はっきりと言い切った。
「そうですね、他で無駄遣いをしなければ大丈夫ですよ」
 こうして、二人の休日は終わりを迎えた。

 追伸
 数週間後、美月が一生懸命作ったぬいぐるみの服を見せられた良夜は、コメントをすることは出来なかった。だから、と言うわけではないがアルトがコメントをしてくれた。
「……元の服の方がマシよね、実際」
 それでも美月は上機嫌でツギハギだらけの服を着たぬいぐるみを車の後部座席に座らせ、たまさかの休みに出かけるのであった。

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