四月十日
 四月初めの平日、暖冬だったり急に寒くなったりする妙な天気も落ち着き、平年並みに暖かい昼下がり。未だ春休み中という恵まれた大学生、浅間良夜は喫茶アルトへとやって来た。
 入り口付近で営業人格フル回転の貴美と軽く挨拶、その絶好調な営業人格に軽く苦笑いをしてから、いつもの窓際隅っこの席へ。そこで彼を出迎えるのは、コーヒー一杯で朝から夕方まで長居させられている直樹とその直樹のカップからコーヒーをかすめ取っているアルトの二人。
「よっ、また、アルトのアホがコーヒー、飲んでるぞ」
 先に座っている直樹に軽い挨拶をすませ、彼の正面の席へと腰を下ろす。
 少し前、タカミーズにその存在を知られ自己紹介を果たしたアルトは、以前にも増して直樹のカップから堂々とコーヒーをかすめ取るようになっていた。しかも、ブラックが良いと注文まで付ける始末。その注文を通訳させられる方の身にもなって欲しいものだが、直樹もその注文に素直に応じているのだから付き合いが良い。
「良いんですよ、大した量じゃないですし……それに、お金払ってるの、吉田さんですから」
「誰がアホよ!? 全く、折角いい話があるのに……教えないでおこうかしら?」
 直樹の微笑みながらの答えとアルトの口を尖らせた言葉、二つはほぼ同時に発せられた。
「えっ?」
「あれ、言ってませんでした? ここでの会計は――」
 いい話? の単語に良夜の動きと言葉が止まり、その一瞬の停止を違う意味で受け取った直樹が違う説明を始める。その言葉を「違う、違う」と制し、良夜は未だにふくれているアルトへと視線を向けた。
「とっておきの話。でも、アホと呼ばれた妖精さんは心に深い傷を負ったの。ブルマンで癒してくれなきゃ、きっと何も言わないわ」
 芝居がかった仕草でぺったんこな胸をアルトは両手で抱え込む。彼女が発する言葉はやっぱり芝居がかった口調。うつむき加減の表情も嘘泣きですと書かれたタグが貼り付けられそうな泣き顔だ。当たり前のように殺意を抱いてしまう。
「直樹、次、ブルマン飲む予定ないか?」
 アルトとの――見えない相手との会話を興味深く見ていた直樹は突然振られた話に「えっ?」と言葉を詰まらせる。そして、すぐに「ありませんけど……?」と不思議そうな表情で答えた。
「と、言う事だ。いい話とやらは壁のシミ相手に言ってろ」
 どうせ大した話でもないくせに、そんな気持ちをたっぷりと込めた言葉を吐き捨てるように言い放つ。
「あら、そう……本当にいい話だったのに」
 ちょっぴり残念そうなのは大好きなブルーマウンテンを飲み損ねた所為なのか、いい話とやらを披露できなかったためなのか。どちらにしてもアルトの思惑を外せた事が、良夜には少し溜飲の下がる思い。
 そんなちょっとした会話をしているうちに、メニューを抱えた貴美が席へとやってきた。彼女の顔に浮かぶのはいつも通りの営業スマイル、完璧なウェイトレスの仕草でテーブルにメニューとお冷やを置く。
 時間はお昼、この時間に来ると七分の五弱の確率で良夜は日替わりランチを注文する。残りの七分の二強は日替わりランチのない土日祝日なのだから、平日の彼にメニューは必要ないと言う事になる。必要はないのだが一応目を通すのが彼の日課になっていた。
 ざっとメニューに目を通しても、昨日見たのと変わりなし。今日もやっぱり日替わりで良いか……そんな事を考える良夜の目に一枚の紙切れが目に止まった。メニューに挟まれていた一枚の紙切れ、レジ横の電話台に置かれているメモ帳を破ったものだろう。良夜も数回目にした記憶がある。そこに書かれてあるのは――
『今日のおすすめ 「いい話」 千円 吉田さんに直接払う事』
 女性としては乱雑な印象を与える文字は、借りたノートで何度も見ている貴美の文字だ。その文面と貴美の顔を何度も見比べてみる。いつも通りに営業人格の営業スマイルを貼り付けた顔からは、その『いい話』とやらの中身をうかがい知る事は出来ない。
「……何? これ」
 そのメモ書きをつまみ上げ、貴美の方へと向けてひらひらさせる。ついでに直樹へと視線を向けるが、彼もその『いい話』とやらに心当たりはないらしく、フルフルと数回首を左右に振ってみせるだけ。
「本日限定の『いい話』です。聞かないとしばらくはへこむ事になるお話を千円で提供してます」
 返される言葉が普段通りの営業口調だが、彼女の目と口が笑っている。営業中にこの笑顔は気になる。大体、今日ここに来てわずか十分と経たない間に二人から「いい話」とやらを持ちかけられたのだ。気にするなと言う方が無理。
 良夜がちらっとテーブルに足を投げ出すアルトへと視線を向ける。一応、同じネタか? と言う気持ちを込めたつもり。そのつもりを察したらしく、アルトは大きく頷いて見せた。
 ならば考える事は一つだ。単純な損得勘定をコンマ五秒で終わらせ、良夜は視線をテーブルの上で楽しそうにストローを振るアルトから、傍らに立つ貴美へと向けた。
「良いよ、アルトにき――」
「三日」
 そらした視線の死角から響いた冷静な声が彼の言葉を遮る。反射的に視線を戻せば、彼女の小さな手が両端の二本を除いて全て天井を指し示していた。
「汚いぞ!? アルト!!」
 良夜の口は彼の意志を離れ、反射的に大声を上げる。そして、彼の突いた手が置かれたばかりのグラスを数回、軽やかなステップを踏ませた。
「なに? アルちゃんも同じネタ?」
「アルちゃんって呼ばないで! って、貴美に伝えなさい!」
「――と、言ってる……」
「じゃぁ、貴美って呼ぶな!」
 カッと目を見開くアルトの言葉を素直に通訳すると、貴美の顔から営業スマイルが剥がれ落ちる。そして始まる口論With良夜の通訳。
「貴美は貴美じゃない! 私はアルト、アルちゃんじゃないの!」
「――と、言ってる……」
「吉田さんって呼べば良いんよ!」
 アルトが良夜を挟んで貴美と口論をし始めると、それを見ていた直樹が「ああ……」とでも言うような表情で窓の外へと視線を向けた。良夜も一緒になってそっぽを向きたいところだ。
 貴美とアルトが良夜を挟んで行う口論は、アルトが貴美に対して自己紹介を行った時からの恒例行事になっていた。主な理由はお互いの呼び方。
 貴美は貴美と呼ばれる事を極端に嫌っている。が、アルトは名字で呼べと言われて素直に呼ぶような妖精ではない。むしろ嫌がってるのを知った上で貴美と呼ぶような妖精だ。しかも、アルトには返事をしないという貴美が普段使っている技が通用しない。なぜなら、直接呼びかけるのはアルトの言葉を通訳している良夜、だからだ。貴美が返事をしなければ、良夜は『吉田さん』と呼びかける。しかし、アルトは相変わらず『貴美』と呼びかけ続けている事は想像するにたやすい。それが貴美には我慢が出来ないらしい。
 だから、対抗して貴美がアルトの事を「アルちゃん」と呼ぶようになったのだが、アルトがこんな呼ばれ方を承諾するはずがない、当然。
 だから、そのことについて毎度毎度、良夜の通訳を挟んで口論をするわけだ。面倒くさいったらありゃしない。
「だーもう、喧嘩は良いから! いい話ってなんだよ!?」
 普段から面倒くさいと思っている喧嘩は、今日みたいに気になってる事がある日はさらに面倒くさい。良夜はもう一度テーブルを叩いて、大声を上げた。
 すると二人の口論はぴたりと止まる。アルトがテーブルの上から貴美の顔を見上げ、貴美はテーブルにいるアルトの顔を見えていないはずなのに見下ろす。そして、二人は同時ににやぁと邪悪と言うにふさわしい微笑みを浮かべた。
「ブルマン、一週間」
「二千円」
 阿吽の呼吸により結ばれた価格カルテルにより倍まで値上がりした。さっきまで良夜の通訳を挟んでいたというのに、こう言う時だけ彼女たちの間に通訳は必要ない。
「公正取引委員会に訴えるぞ……お前ら」
 がっくりとうなだれ、良夜は半泣きになりながら守銭奴二人との商談を開始。必死の説得により、アルトにはブルマン一回、貴美にはケーキセットまで妥協させる。
 その価格に満面の微笑みを浮かべる悪魔二人、彼女たちが語る『いい話』とは至極簡単な事だった。
「本日四月十日は三島美月嬢の誕生日」
 貴美の澄ました声を聞いた瞬間、良夜の座っていた椅子がガタン! と大きな音を立てた。ついでに良夜の口からは「聞いてねえ!」という叫び声も上がった。
「しかも、美月ったら良夜に教えてないって事も忘れて妙に浮かれてるのよね」
「あの浮かれ具合からすると、今日、何もしなきゃ――」
「バレンタインデーの二の舞ね」
 アルトと貴美が分担して語る話は、良夜の血相を変えるに十分な破壊力を持っていた。一度くらいは聞いておくべきだったか……と後悔しても後の祭。
「遅い! せめて、昨日、教えろよ!!」
 言うやいなや、良夜の足が向かったのは喫茶アルトの出入り口。椅子のすっ倒れる音と貴美の「注文は?」という声が背後から聞こえるが、それに返すのは「キャンセル!」の大声だけ。振り返りもせずに答えると、良夜は大股でフロアを横切った。
「……吉田さん、絶対に楽しんでるでしょ?」
「もっちろん」
 窓際隅っこの席にはひと組のカップルだけが取り残される。男の方は駆け去る背中に深い憐憫のまなざしを送り、女の方は首尾良くせしめたケーキセットに頬をゆるませていた。

 春霞なのか黄砂なのかは判らないぼやけた太陽の下、一度アパートに戻った良夜は、一路新市街へと向けスクーターを走らせた。
 新市街というのは戦前からある商店街を中心とした旧市街に対し、戦後新しく作られた官公庁を中心とした区画を指す俗称だ。官公庁の他にも大きなオフィスビルが建ち並び、ブティックだのバーだのと言ったおしゃれな店も多くある華やかな地域は、はっきり言って良夜には全く用のない地域だ。実際、この一年でここまで来たのは数えるほどしかない。
 国道を制限速度オーバーで駆け抜け、たどり着いた場所は新市街中心部近くにあるデパート。新市街の中でも一番古くからあるデパートは地下一階地上七階建てのビルが新館旧館合わせて二棟がどーんと建ち、駐車スペースは約二千台という大きな物。食品は近所のスーパー、身の回り品も百円ショップやユニクロで済ませている身には圧迫感すら感じる建物だ。
「小市民」
 懐から聞こえる声とその持ち主に一瞥を与え、良夜は入り口へと近づいた。そして、フロアガイドの前に立つ。行き交う人の流れを遮る邪魔者であり続ける事数分、一言彼は呟いた。
「さっぱりわからねえ……」
 大体、『婦人服』と書かれているフロアが新館と旧館に三つずつの六つもある。その隣に各種婦人服ブランドなんかが書かれてはいるが、そんな物良夜に判ろうはずがない。組曲ってクラシック? と思う人間に聞くだけ無駄。
「だっさぁ……」
 馬鹿にし切った口調が彼の顎に向けて投げかけられる。顔は確認していないがきっと表情も小馬鹿にしているか、芝居けたっぷりに同情するふりをしている事だろう。
「それで、何を買うの?」
「ハンカチとかスカーフとか……その辺」
「安直……しかも安上がりに仕上げようって本音が見え見えだわ……」
 貴様らがブルーマウンテンだのケーキセットだのをたからきゃもうちょっと良い物が買えるんだよ。心の中でだけ呟くがそれは口に出さず、代わりに美月が愛用しているブランドを尋ねてみた。
 問われた妖精はじっくりとフロアガイドに視線を走らせる。そして一分ほどの沈黙の後、「新館の六階ね。良いお店があるわ」と答えた。
 彼女の視線を追いかけ、フロアガイドにもう一度視線を走らせてみても、並んでいるのは見覚えのないブランド名だけ。ともかく他に当てはないし、婦人服最上階は六階。だったら六階まで上がって順番に下りてくるのも一つの手だ。良夜は言われるままにエレベータで六階にまで上がった。
 カーゴが六階にまで上がり、エレベータホールに降り立つ。そして、あっちとアルトが指差すまま、相応に人の行き交う廊下を歩いた。するとそこは予定通りとあるブランドの婦人服売り場が見え始める。そこに出入りしているのは良夜と同年齢から少し上くらいの女性かカップルばかり。男一人で入る奴など皆無だ。
 あそこに入らなきゃいけないんだよな……
 冷静に考えてみれば、少々と言わずに気が滅入る。しかし、滅入ったところでアルトが買いに行けるわけもなく、良夜が逝く以外の道はない。字が違うのは多分気のせいだ。
 で、たどり着きましたブティック入り口……良夜の足がテナントの入り口一歩手前で止まる。止まった懐からアルトがヒョコッと出した顔には、喜色満面と呼ぶにふさわしい代物。彼女はトンと良夜の胸板を蹴っ飛ばして、宙へと舞い上がる。そのまま体当たりでもするかのような勢いで飾られている商品――
 ゴスロリドレスへとダイブした。
「素敵……」
 うっとりとした表情、シルクの滑らかな肌触りとふんだんに使われたレースの質感にアルトの頬はゆるみっぱなし。唖然と見守る良夜を置き去りにし、彼女は花から花へと飛び移る蝶のように何枚ものドレスの上を行ったり来たり。挙げ句の果てには、一枚のドレス――当然人間用――の上に座って買えと言い出す始末。
 何しに来たんだっけ? と思わず良夜は天井を仰ぎ見る。そしてそこに埋め込まれているダウンライトの明るさをチェック。無駄に明るく、外のぼやけた太陽とはえらい違いだ。
 なんて言う現実逃避をする事数分、周りの客から危ない人と思われ始めた頃、良夜はひときわ大きな溜息をついた。そして、ショーウィンドウのガラスを数回ノックする。
「何? 呼んだ? 買ってくれるの?」
 パタパタと帰ってきたアルトの体を掴み、急ぎ足でその場を離れる。目指す場所は人気のない場所。この馬鹿と口論をおっ始める完璧な自信を持っていたからだ。
 彼女の体を掴んだまま、大股でエレベーターホールへ。掴まれたままのアルトが何か文句を言っているが聞こえない振りをする。ロリとか犯罪者とか美月に言いつけてやるとか、その辺の台詞を無視するのはかなりの努力を必要とした事だけは伝えておく。ちょっぴり自分をほめてあげたい。
 たどり着いたエレベータホールは、エレベータが出たばかりなのか運良く無人だった。周りを見渡し、自らの眼前へとアルトの体を掲げる。吐き出す台詞は少し前から決まっていた。
「死ねよ、ゴスロリ妖精」
「私はゴスロリじゃないって何回言ったら判るのよ!?」
 良夜の目線と同じ高さに置かれた金眼がキッと彼を睨み付ける。そして、言い切る言葉に返される言葉は想定の範囲内。妙に口の回るアルトにしては珍しい話。ポイとアルトの体を宙に投げ出し、良夜は小馬鹿にした視線で断じた。
「あそこで売ってるのは全部ゴスロリって言うんだよ、ゴスロリ妖精」
「屁理屈は嫌いッ!」
 一瞬の沈黙、くるんととんぼを切った彼女は余勢を殺さず、良夜のつむじにストローを突き立てた。

 さて、良夜が別のブティックでレースのショールを購入し終えたのは、それから三時間が経過した頃の事だった。六階から順番に回って二階まで下りて、もう一度六階にまで戻ったのだから、彼の苦労はいかばかりの物か想像出来るだろう。昼飯抜きでこの運動はなまった体には酷だ。
「恋人にプレゼントするのだもの、それくらい当たり前じゃない?」
「まさか一階まで下りたところで、やっぱり六階で見たショールが良い、なんて言い出すとは思っても見なかったよ」
 それを彼にさせたのはびた一文出さないくせに、口は三人前出してたアルトだ。あっちだこっちだ、誰が誰のために買い物をしているのか判らなくなるほどに、彼女は口を出しまくっていた。まあ、おかげで値段はそこそこで美月が好んで着る服に似合いそうなショールを買う事が出来た。彼女が居なければ、本当になんの変哲もないハンカチでも買っていた事だろう。
 軽く感謝の気持ちを抱きはするが、それを口には出さない。普段通りに軽口を叩きながら、一階の軽食コーナーでとんでもなく遅い昼食を良夜はアルトと共に取っていた。
「ところでさ、お前の誕生日っていつだ?」
「ん? 知らないわよ」
 某ハンバーガーチェーン店のアイスコーヒーに泥水以下という厳しすぎる評価を下すアルトが、自分のストローに残っていたコーヒーをぷっと吹き矢のように吹き出しながら答えた。あまり興味がない、と言うよう感じだろうか? 読み取りにくい表情だったが、良夜はそう感じた。
 時間は四時少し前、あまり目立たない席を選んだ事も相まって、周りに人はまばら。少し離れたところで女子高生のグループがジュースを肴に楽しげな話の華を咲かせているだけ。妙な寂しさを感じさせる時間と空間。
「健忘症か? 老化の一歩だな」
「かもね? ところで私のは? こう言う時、さらっと私宛のプレゼントなんかを買ってたらフラグが立つのよね」
 軽い調子で話題を変えるアルトに良夜は「バーカ」とだけ返す。そして……
「帰るか?」
 最後に残ったポテトを口に放り込み、立ち上がった。
「バイト、あるの?」
 トレイに飛び乗り、その端っこにちょこんと腰掛ける。投げ出した足がプラプラと空気を蹴っ飛ばし、リズムを取る。そして、首だけを背後へと向けると、彼女は良夜を見上げた。
 その言葉に「ああ」とだけ頷き、良夜は出入り口そばに据え付けられていたゴミ箱にトレイのゴミを放り込む。空になったトレイはゴミ箱の上の定位置へ。トントンとステップを踏んでアルトが肩に帰ってくるのを待ち、軽食コーナーを後にする。
 エントランスから駐輪場までは歩いて数分。遠い距離ではないが何時間も歩きっぱなしだった足には少々堪える。良夜は特に会話もすることなく、アルトを肩に乗せて歩いた。
 そして駐輪場。中古おんぼろスクーターのメットボックスを開く。手に持っていた荷物――薄緑色の包み紙にピンクのリボンでラッピングされたレースのショール――をヘルメットと交換でメットボックスの中へと安置する。
 そして、ヘルメットをシートの上に置いて……
「今日が誕生日で良いんじゃねーのか?」
 肩の上でリズムを取るアルトに告げた言葉は、軽食コーナーからここまで数分の道のりで考えた事だった。しかし、彼女の返事は実に素っ気ない。
「バーカ」
 照れでもすればかわいげがあるのだろうが、彼女の口調も表情も平然そのもの。眉一筋動かずに彼女は言い切った。そして、言葉を続ける。
「……誕生日なんかよりもずっと楽しい毎日だもの!」
 その言葉を言い終わった時、彼女は満ち足りた微笑みを浮かべていた。

 この後、喫茶アルトまで戻った良夜は美月に無事誕生日プレゼントを渡した。時間はすでに五時過ぎ、春休み終了間際のアルトは夕食の仕込みが忙しい上、良夜自身のバイト開始まで余裕もあまりない時間帯。おかげで良夜は美月に「おめでとう」の一言程度しか言う事が出来なかったし、美月もキッチンでてんてこ舞いのさなかに渡されたのだからキョトンとするばかりでお礼もろくに言う事は出来なかった。
 お互い、あまり格好良い誕生日とは言えない祝い方と祝われ方。挙げ句に買ったショールを実際に巻いてみるのはちょっぴり後というのだから、本当に格好が付かない。
 ……
 そう、彼女がショールを巻いてみせるのは、これよりもほんのちょっぴり後の事。良夜のバイト終了後に行われた恐怖の酒乱、美月を交えた飲み会って物が開催された時にお披露目される。
 もちろん、その飲み会の主催は吉田貴美、その人。
「絶対に楽しんでるでしょ……吉田さん」
「あったり前じゃん?」

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