メリークリスマスの戦場(1)
十二月も十日が過ぎる頃には、街はクリスマスムード一色になってくる。それは良夜達が暮らすド田舎の町でも同じ事。行きつけのスーパーではBGMにジングルベルが使われ始め、時々遊びに行くゲームセンターの入口にはちょっとしたツリーが飾り付けられていた。そして喫茶アルトでは――
「良夜さん、クリスマスイブはお暇ですよねっ!」
「りょーやんだもん、暇を持て余してんよね」
「良夜のことだもの、部屋でくだらないゲームをしているだけに決まってるわ」
昼飯を食べに来た良夜をウェイトレス二人とオマケ妖精一人が取り囲んでいた。
別にこれはクリスマスの風物詩ではない……あってたまるものか。
ドアにクリスマスリースが飾り付けられた喫茶アルト、そのドアを良夜が貴美と直樹の二人と一緒にくぐったのは、今からほんの数分ほど前のことだった。普段ならば、貴美はヘラヘラとした普段の表情から上品な笑みを浮かべた営業用人格に切り替え、直樹を一日最初の客として出迎える。それはバイトを始めるときの儀式のような物で、直樹が二研の会合などでアルトに食事をしに来ないとき以外は必ず執り行われるものだった。
だが、今日だけは違っていた。
直樹は黙って早々にいなくなり、貴美は良夜の手を問答無用で握りしめると有無を言わさず、彼をキッチンへと引っ張り込んだ。そして、気がついたら、良夜は美月とアルトと貴美の三人に取り囲まれ、「クリスマスは暇だろう?」と念を押され続けていたのだった。
「お暇ですよねぇ〜良夜さん。クリスマスなんてっ!」
「あっ、りょーやん、部屋でゲームをするって言うのは予定のうちに入んないから」
「後、テレビを見るとか、ネットをするとか、音楽を聴くとか……まかり間違っても勉強するなんて事も予定に入らないわよ」
彼女たちの愛らしい唇が奏でるメロディは、微塵の疑念すら感じさせぬ断定のお言葉。それが概ね正しいというあたりが血反吐を吐くほどにくやしい。確かに彼にはクリスマスイブの予定なんて物はない。無いのだが、ここまで断定されるとむかっ腹が立ってくる。
憮然とした表情で良夜が三人の顔から視線を逸らした、いや、逸らそうとした。しかし、壁際に追い詰められた上に周りを取り囲まれているのだから、逸らすことが出来ない。どちらを見ても、美月の悪意こそ感じないが良夜が暇だと言うことを確信している表情か、貴美のヘラヘラとした笑みの裏にたっぷりと悪巧みのエキスを感じられる表情か、アルトのストレートに彼を小馬鹿にしている表情、そのいずれかが一つ、もしくは二つか全部が目に入ってくる。いっそのこと、目を閉じてしまおうかと思うくらいだ。
「そりゃ無い……けどさ」
どの顔を見ながら自白しようか、そんなことを数秒考えた後、良夜はひとまず美月の顔を見ながら蚊の鳴くような声でそう言った。
「はい! 私は良夜さんを信じてしましたっ!」
「ほらやっぱり〜ご褒美にまたエッチなゲームを調達してきてあげっから」
「ダッサ……来年も童貞のままなのね、可哀想」
口々に良夜をはやし立てる三つの唇。この唇三つを瞬間接着剤で封印してしまうことが出来たらどんなに気持ちいいだろう? 思っても出来ない自分が可愛い。
「でも! 俺、二十二日の夜には帰省する!」
良かった良かったと、何が良かったのかは知らないが安堵の言葉を続けていた三人の声がピタリと止まった。
良夜にはクリスマスイブの予定なんて物はない。いや、それどころか、冬休み全体を通しての予定すら全く立っていない。それはもう、もの凄く「寒い」冬休みになることは予想するにたやすい。しかし、夏休み、色々あって帰郷しなかった所為で、実家の家族が正月くらいは帰ってこいと言ってうるさい。だから、帰省ラッシュが始まる前の二十二日からUターンラッシュもいい加減終わった年明け八日まで、のんびりと帰郷してくる予定にしていた。
「ふぇっ!? こっちにいないんですかっ!?」
「何よ! どうせ、地元に待ってる女なんて居ないんでしょっ!? こっちにいなさいよっ!!!」
なんて事は、喫茶アルトの面々に言うのは今日が始めて。安堵の表情を浮かべていた美月とアルト、二人の表情が音を立てて凍り付いた。特に美月の方などは、あたふたと挙動不審のパニック状態に突入している。
そんな中、ただ一人、貴美だけは違っていた。パニックになる美月を尻目に、彼女はへらぁ〜っとした笑みを更に崩した。そして、ポンッと良夜の肩を一つ叩く。
「良かった。帰省の予定だったらバイト、休みにしてるっしょ?」
「なっ?!」とポンポンと何度も肩を叩かれ、良夜は絶句した。
「帰るんは二十五か六からにしとき。どーせ、チケットを予約してるとか、ホテルの予約があるとか、そんなことは全然してないっしょ?」
絶句する良夜の前に貴美は一歩踏み出し、彼の顔をにやぁ〜っとした表情で見上げた。そして、ポンポンと流れるように言葉を紡げば、それを受けて他の二人も顔色を明るくし、彼女の言葉を自分の言葉として良夜を追い詰めてゆく。
「もし、黙って地元に帰ったら……りょーやんがクリスマスをエッチなゲームの抱き枕と一緒に過ごしてたって言う噂をばらまいてやっから」
茶髪の悪魔はそう言って微笑んだ。
理由も判らぬまま「クリスマスはとってもお暇」と言うことにさせられた良夜、美月と貴美はひとまず彼に「詳しいことは後で」というと二人しかいないウェイトレスが二人ともさぼっている所為で軽く修羅場と化し始めたフロアへと帰っていった。
「お帰りなさい」
良夜がフロアのいつもの席に帰ってきたとき、彼を出迎えてくれたのは非常に顔色を悪くしている直樹だった。
「……直樹、お前、俺に何か言うことはねえか?」
いつものように直樹の正面へと腰を落ち着け、良夜は極めて冷静かつ押さえた口調でそう言った。見つめる先は正面でおどおどとしている少年……いや、同い年の青年の瞳、それはキョロキョロと周囲を見渡し落ち着くことがない。
(野郎……やっぱり知ってやがったか)
問答無用で連行される良夜を、直樹は何も言わずに見送った。この事実だけで彼が何らかの事情を知っていることは想像に難くない。
「お兄さん、怒らないから素直に……ゲロれ」
「僕の方が三ヶ月年上ですから……クリスマス、忙しくなるから手伝えって話だと思います」
オドオドとした立ち振る舞いで自白する直樹の言葉に、良夜はガックリと気の抜ける思いがした。
「しょーもな……それだけかよ……」
軽く睨んでいた直樹の顔から視線を外し、良夜はそのまま冬枯れに近付く山にそれを動かした。
確かにここの手作りケーキは外注とはいえ非常に美味しく、近隣で他にケーキが買える場所と言えばスーパーの機械作りケーキくらいしかない。当然、クリスマスだのバレンタインだのと言うイベント事があれば来店者は途端に増えてしまうだろう。だから、臨時の人手が必要だと言うのも想像が付く。だったら、最初から素直にそう言えばいいのだ。持って回った言い方をした上に強迫沙汰だなんて……貴美かアルトの様式美って奴だろうか?
「それだけ……です……はい」
「それだけ……って訳でもないかったりして」
視線を逸らしたままの直樹と肩の上でくつろぐアルト、二人の言葉は真っ向から対立した。この場合信用できるのは挙動不審な少年ではなく、肩の上でかかとでリズムを取りながら鼻歌を歌っている妖精……安心するのは早かったかも知れない。
――そしてその不安は見事に的中した。
やって来ましたクリスマスイブ、午前十時。その時、良夜は喫茶アルトにいた。
裏の倉庫から引っ張り出してきた長テーブルの上にケーキの箱を山積みにして、寒風吹きすさぶ喫茶アルト玄関の『外』に。
「寒いぞっ!?」
ただいまの気温、摂氏三度。晴天。放射冷却で夜明け前から冷え込んだ気温は未だ上がることはなく、良夜の吐息を真っ白に染めていた。天気予報では、北から張り出してきた寒気団の影響で西高東低の気圧配置だとか云々……と言っていた。要するに今日はもの凄く冷えるぞって言う日だ。
フロアの中では美月が焼いたチキンが来客者に提供され、店の外ではお持ち帰り用のケーキを売る。ただでさえ混むクリスマス、お持ち帰りのケーキを取りに来る客まで入れたのでは店が回らなくなると言う事で、お持ち帰り用のケーキは外で売るのが恒例になっているらしい。で、問題はその売り子。
「私はチキンを焼く人ですからぁ〜」
「私が出ても良いのですが、コーヒーを煎れる人が居なくなりますから……」
「糞忙しいクリスマスをりょーやんとなおでさばけるわけないじゃんか」
上から美月、和明、貴美。三者三様の理由は反論の余地もほとんど無く、かといって今更逃げ出すわけにも行かず。哀れ良夜と直樹はクリスマスイブを凍えながら過ごす羽目になったのだった。
「お前、こうなるって事判ってただろう?」
「だっだって……ばらしたら、僕一人で売り子させるって言うから……」
「友達がいのない奴だよな」
「じゃぁ、良夜君は逆立場だったらどうするんですか?」
「そりゃお前、全部押し付けて、俺は逃げるよ」
「うわぁ……最低だ、この人」
くだらない会話を続けながら少しでも寒さを意識の中から追い出そうとする涙ぐましい努力、それは長テーブルを倉庫から引っ張り出してきたり、その上に古い予備のレジをセットしたりしている間は功を奏していた。しかし、一通りの準備も終わり後は客を待つだけ、と言う状態になったらそうも行かない。仕事は突っ立っているだけという状態になった良夜の体を木枯しがさいなむ。
「さむっ……」
両手で自分の体をギュッと抱きしめ、その場で駆け足をするかのように足を忙しく動かす。これがどの位の効果を持つのかは知らないが、やらないよりかはいくらかでもマシなはず。
「ホント……寒いですよね。今日は」
良夜の独り言に返事をする直樹、その言葉とは裏腹に直樹は意外と平気そうだった。良夜のように足踏みもしてないし、唇が震えているというわけでもない。
「お前、寒さに強いな……」
「ああ、下に防寒のインナーつけてますから。こういうの、冬場の単車乗りには必須ですから」
直樹がズボンの裾を捲れば、ウォームビズとか言うキャンペーンで繊維メーカーが開発したという温感素材の肌着が顔を出す。なんでもコレ一枚で数度は体感気温が違うという優れもの。らくだのももひきにも見えるが、一応、最新素材……らしい。
「くっそぉ〜俺も用意しとけば良かった」
それに引き替え良夜の方はと言えば、制服の下はありふれたTシャツが一枚だけ。一応、冬服と言うことで上着とベストも支給されてはいるが、防寒よりも見栄えを優先されたそれは師走最終週に外に放り出された人間を守ってくれる物ではない。
「ああ、もう、本当に寒いって……死ぬぞ、俺」
バタバタと何度も駆け足を繰り返し、温かそうな喫茶アルトのフロアを窓越しに眺める。中では数人の客がコーヒーとケーキ、それに美月がローストした鶏のもも肉に舌鼓を打つ姿……それと、ニタァ〜っと嫌みったらしい笑顔でくつろぐ腐れ妖精の姿があった。
こういうイベントには参加したがるアルトも、今日は朝から一歩も外には出てこない。寒いから嫌らしい。それに先月、学祭の配達を手伝ったお給料も貰い、それで冬服も購入済み。特にお金も必要としていないので、今日は――
「私、そろそろ、良夜も独り立ちする時期だと思うの」
物も言いようとはまさにこのこと。
とってつけたような言い訳で良夜を見捨てたアルトは、手伝う代わりにずっと良夜達の姿が見える国道側の席に座って、にたにたと笑っているだけだった。
これには良夜も軽くカチンと来た。無理矢理にでも捕まえた上に、一緒に寒さに震えさせなければならない。これは自分の義務だと、思った。もちろん、アルトは逃げるだろうが絶対に逃がしはしない。地の果てまでも追いかけて、奴にもこの寒さを味わわせてやる。
しかし、敵も然る者。彼女は地の果てではなく、喫茶アルトにおいて最も安全な場所に逃げ込んだ。ここに逃げ込まれれば、良夜に手出しをすることなど出来るはずもないって場所だ。
それは貴美の頭の上。
こんな所に座ってるアルトに手でも出した日には、貴美に何を言われるか、いな、やられるか判った物ではない。それを理解している彼女は、良夜が店内に入れば貴美の頭の上に腰を下ろしてニヤニヤ。そして、出て行けば良夜の姿が見えるところに座って、これまたニヤニヤ。タチが悪いったらありゃしない。
イブが終わってもし生きていたら、奴を殺そう……
良夜は寒さと彼女への怒りに震えながら、硬くそう誓った。