晴れ舞台(2)
 さて、晴れ着を着ようと思い立ったら、探さなければならない人が居る。着付けをしてくれる人だ。全く自慢にはならないが、貴美は着付けなんて出来ない。覚えてみようかと思ったこともあるのだが、時間とお金の兼ね合いから覚える機会もなく今に至っていた。
 で。
 翌日、貴美は夕方のバイトを少し抜けさせて貰うと体育館に顔を出した。お目当てはここで練習をやっている演劇部、その裏方部隊総隊長河東彩音女史だ。夏休み、浴衣の着付けをして貰った時、彼女が振り袖の着付けも出来ると言っていたのを思いだしたのだ。
 入り口付近で台本片手に話し合っていた男子生徒をひっ捕まえて彼女のことを聞けば、彼女の前に答えはすぐに提示される。
「部室の方でお針子部隊の指揮を執ってますよ?」
 そう言われて貴美が二研も居を構える部室長屋に向かう。演劇部の部室はその一階、中央付近。『演劇部』という看板がぶら下がったドアを開けば、そこは――
 修羅場だった。
 畳十畳ほどの部室は二研とほぼ同じ、その中に五−六人の女性達、それも余り小綺麗とは言えない格好の女性達が手に手になにやらよくわからない布きれを持ってお針子仕事の真っ最中。その中央、彼女は目の下に真っ黒なクマを作っていた。
「あっ……ああ、吉田さん……いかがなされましたか?」
 見るからに覇気のない顔、汚れたジーパンにやっぱり汚れたトレーナー、しかも顔はどう見てもすっぴん。花の女子大生の姿とは思えない姿で彼女は部室入り口で貴美を出迎えた。
「……たっ、大変そうやね……?」
 引き気味の笑顔を浮かべて貴美が言えば、彩音はこっくりと大きく顔を頷かせる。
「また、急に演出が変わりまして……おかげで裏方も出演の方もてんてこ舞いでして……それで、どうしたのですか?」
『また』の台詞に強めのアクセント、苦々しい表情は普段の彩音とは大違い。犬猿の仲というか、喧嘩するほど仲が良いというか……そう言う監督と演出の関係はちょっぴり有名。大変だなと思う貴美に、彩音が「お手伝いですか?」と真顔で尋ねる。それだけはないと返して、言葉を続けた。
「来週の月曜日なんだけど……ほら、成人式でしょ? 着付け、やって貰おうか……――」
 と、言いかけた言葉は彩音に鋭い目つきと口調によって紡ぎきられることなく消え失せた。
「ご冗談でしょう!?」
 余りにも鋭い口調、日頃の彩音からは考えられない言葉にさすがの貴美もビクンッ! と体を震わせる。それは出してしまった本人すらも驚くほどの物だったのか、彼女はハッと息を呑むととっさにぺこぺこと何度も頭を下げた。
「……あっ、申し訳ございません……あの、翌週の土曜日が本番でして……三連休は本当に休む暇もないと……演劇部の後輩もお断りしているので……」
 怒鳴られた後、何度も何度も米つきバッタのように頭を下げられれば、貴美も無理強いすることなど出来るはずもない。困ったなぁ……と明るい金髪をボリボリとかきながらも、貴美は「そっかぁ……」と言葉を返すにとどまった。
「あの……着付けが出来て暇な方でしたら、一人、いらっしゃいますけど……」
 そんな貴美に掛けられる嬉しいお言葉。よどんでいた顔もぱっと明るくなる。されど、言ってる本人の顔はあくまでも暗め。もっとも、貴美の方はそんなことに気づきもしないで、弾んだ声で彩音に尋ね返した。
「えっ? 誰?」
 うつむき加減だった顔がチラリと上がり、貴美の顔をおそるおそる見上げながらに答える。
「お姉様……」

「ヒナちゃん、台詞がない影響で演出変わっても、やること、ほとんど増えてないんだって……」
 喫茶アルトに帰ってため息一つ。貴美は良夜と直樹が座る、窓際隅っこの席にやってくると早速先ほどの話をしていた。
「あっ、相手、オカマとは言え男じゃないですかっ!」
 もちろん、そんな話をして恋人で常々「一応独占欲はある」と言っている直樹がいい顔なんかするはずもない。もちろん、この刃で「どうぞ」なんて言い出せば、今夜の天気は『血の雨』の一点張りになること請け合い。内心、絶対に殺すと思っていた貴美としては一安心。
「でもさ、着付け、安くて一万台だろう? いいじゃねーか、下着は着てんだし……ほら、和風のキャミソールみたいなの、なんて言ってったっけ? アレを着るんだから、良いんじゃねぇ?」
 そんなことを言うのは何事にも概ね頓着を持たないと言われている浅間良夜だ。彼は使ってないスティックシュガーを指先でころころと転がしながら、余り興味のなさそうな顔で貴美を見上げた。
 ちなみに彼の言っている『和風のキャミソール』ってのは肌襦袢という奴。その下に和装用のブラやショーツも着けるので柔肌を直接他人に見せるという話ではない。
 が。
「じゃぁ、浅間くんは三島さんが二条さんに着替えさせて貰っても良いのですかぁ?」
 侮蔑の視線で良夜を見下ろし、努めて控えめな口調で言葉を投げ落とす。ついでに直樹もジトォ〜っとなにやら意味深な視線で彼を見詰めれば、良夜の顔色が途端に変わった。
「あっ、まあ、あれだな、知り合いってのはイヤかもな? でもさ、ほら、金、払うのがイヤなら諦めるしか――いてっ!」
 途端に挙動不審、しかも彼の手元辺りにいたのであろう妖精に掌を指されたらしく、スティックシュガーを弄っていた指先を慌てて引っ込める。引っ込めた指先をひらひらと降りながら、テーブルの上をひと睨み。取り繕うような表情でもう一度、貴美を見上げた。
「じゃぁ、諦めて一万ちょっと支払うのか?」
「……それがねぇ……はぁ、問題なんよ……一万くらいないわけもないんだけど……貯金通帳の残高が減るのってさ、もの凄く寂しい気分にならない? ただでさえ、誰かさんが無駄遣いばっかりするから、全然、増えないし」
「ぼっ、僕のせいですかっ!?」
 嫌みったらしい声に直樹ががばった顔と声を上げる。心当たりがあるらしく慌てる姿は不意打ちを食らった小動物のよう。貴美はクスッと小さな笑みを浮かべると、手にしていたトレイでポンと直樹の頭を一つ叩く。
「ふふ、まあ、この話は今夜にでもゆっくり……ね? それじゃ、仕事、まだあっから。ごゆっくり、お客様」
 ぺこっと頭を下げて窓際隅っこ、フロアからは死角となる席に背を向ける。そして、フロアに目を向ければ七割ほどふさがった席に新しい仕事が転がっている様子はない。無駄話をしちゃったかな……と内心軽く反省をするも、誰にも迷惑を掛けてる様子がないことに彼女は内心安堵の吐息を漏らす。
 からぁ〜ん
 乾いたドアベルの音、反射的に顔を上げればつい先ほどまで噂していた青年――とは言っても、女性物のワンピースにジージャンとショールを巻いた姿は女そのもの――が店に入ってくるシーンが目についた。もちろん、この辺りでこんなふざけた格好をしている男は一人しかいない。二条陽だ。
「いらっしゃいませ。ようこそ、喫茶アルトへ」
 急ぎながらも決して走ることはなく、優雅に出入り口へと足を進める。彼の目の前までたどり着くまでわずか十秒、それを待つ間に陽はさらさらとメモ帳にペンを走らせ、ズイッと貴美の前にページを広げて見せた。
『着付けてあげようか? 襦袢から』
「……大声出しますよ? この変態オカマ」
 小声、他の誰にも聞こえない程度の声でささやけば、陽はペラッとページをめくり、見開きにページを占領した一つの言葉を彼女に見せた。
『冗 談』
「……マジ、警察呼ぶよ? ッたく……カウンター席でよろしいでしょうか?」
 人生、ノリと酔狂とその場の勢いだけで生きていると言い切る陽、そんな彼から視線を逸らし、彼女は空いたカウンター席に向けて最初の一歩を踏み出す。
 も、その肩口を陽の華奢な指先がちょんちょんと軽く突っついた。
『良いバイトあり ロハで着付け 写真も撮って プラス日給五千円』
 振り向き見ればそんなありがたいお話。
「まじっ!?」
 仕事中だと言うことも忘れて、大声を上げる。BGMもなく静かではあったフロアだが、いっそう静かに……まさに水を打ったように静まりかえった。
 まずは今のお仕事。こそこそと、フロアの客が投げかけられる視線から逃れ、彼女は女装姿の青年をカウンターの一番端っこの席に座らせる。そして、陽から注文を聞くよりも先に、トン! と少し大きめの音を立てて、カウンターに右手を突いた。
「……コホン……詳しい話を聞こうかな? ヒナちゃん」
『モデルのバイト 振り袖二−三着着て 写真撮るだけでお小遣い』
 あらかじめ書いていたのだろう、彼はぺらぺらとページをめくって貴美にメモを見せる。もっともそこに書かれている文面は上記のような物、ニコニコとひとの良さそうな笑みをたたえた顔と合わされば、まるで――
「……AVのスカウト?」
『大丈夫 おにーさんを信じて』
 満面ではありながらもどこか嘘くさい笑み、無駄に演技力のある表情を見せながら彼は、ヒラヒラとメモ帳を貴美と自分の顔の間で左右に振る。
「ごめん、全然、信じられない。どこでどういうバイトなんよ……? なんか、割が良さそうだけど……」
 ペチンとメモ帳をはたき落とし、貴美はメモ帳で半ばほど隠れていた陽の顔を真っ直ぐに見詰める。騙している……とまでは思わないが、なんとなく裏のある話のようにも思えて仕方がない。
 されど、陽はいぶかしむ貴美の顔を見上げてフルフルと数回、赤い髪の頭を振った。
『そーでもない』
「ン? 何が……? 割、悪いん?」
『プロは最低 二−三倍 貴美ちゃんならこのくらい』
「貴美って呼ぶな……へぇ……プロのモデルって高いんだ……で? 雇い主は? まさか、ヒナちゃんがあやちゃんではかなえられない妄想を私の写真見ながら……って話なら、マジで警察呼ぶよ?」
 メモ帳を掲げながら彼は,もう一度フルフルと顔を左右に振る。赤い髪がヒラヒラとなびいて、辺りにシャンプーらしき香をふわりと放つ。男性とは思えない仕草と色気……ではあるが、
『ウェスト 足りない』
 メモに書かれた台詞はこれだ。
 貴美はもう一度そのメモ帳をペチリと叩き落とし、ジロッと陽の顔を睨み付けた。
「足りたくない……じゃぁ、誰? 雇い主」
 肩をすくめる貴美に突き出されるメモ帳。開いたページには余り丁寧ではないが読みやすい文字で『ウチ』と書かれていた。その言葉を言葉に出して読みながら、貴美がその意味合いを取りかねるように小首をかしげると、陽は突き出したままのメモ帳をペラッと数ページめくった。
『呉服の二条』
 えっ? と貴美の目がわずかに見開かれる。お金持ちだという噂――金持ってなきゃこいつの異常食欲は支えきれない――は聞いたことがあるのだが、まさか呉服屋だとは思っていなかった。むしろ、食べ物関係かと……
 次のページ、あらかじめ書かれていたと思われるページはすでにいくらかの手垢がつき、シワもいくらか入っていた。そのページと誇らしげに微笑む陽との顔を見比べ、彼女はそこに書かれていた文字を読んだ。
「創業天保年間……180年の伝統が生きる呉服の二条……振り袖、紋付き、和装小物、着付け、仕立て直し……着物のことならなんでもお任せ」
 チラシから丸写しにしたようなページが貴美の前に提示されれば、そんなお店の名前も聞いたことがあるような、ないような……そう言えば、時々、テレビのコマーシャルでそう言うフレーズを聴いたことがある。
「へぇ……着物って興味なかったから……それでバイトって言うのは?」
「吉田さんのアルバイトはここでコーヒーを運んだり、軽食を届けたりすることなんですよ? 覚えてますか?」
 背後から聞こえる冷ための声、キリキリと音を立てて首を捻ってみれば、そこに立つのは黒髪美しい妙齢の女性だった。胸が不幸せな自称フロアーチーフはニコニコと笑いながら、貴美の両手に大きなトレイをトンと押しつけた。
「五番テーブルさんですよ? サボってると、来月のお給料は時給二十円しちゃいますよぉ?」
 有無を言わせぬ迫力。自身の背中に冷たい物が流れることを感じながら、貴美は「はぁい」と軽やかな声を上げて陽に背を向けた。ただ一言だけ、
「仕事がおわったら、メールする。詳しい話はまたその時にっ!」
 それだけの言葉に陽が『I see』と書いたメモが掲げられたことを確かめると、剥がれ落ちてた営業人格のお面を顔に貼り付け直す。いつものお面、営業スマイルを浮かべて彼女はいつもお仕事、喫茶アルトのウェイトレスに戻っていく。
 いつも通りのアルバイト、いつも通りの営業人格。されど、笑みはいつもよりも二割り増し。弾む足取りで彼女は午後の一時、夕方少し前の喫茶アルトで「コーヒーを運んだり、軽食を届けたり」の仕事を続けた。

 んで、その立ち去る背後では……
 美月が陽のメモ帳と――
「……ねえ、良夜? さっきから美月がちょこちょこ動いて、こっちを見てるんだけど……」
「……うわっ、何考えついたんだ……あの人?」
 良夜(と、たぶんアルト)の顔をチラチラと見比べていた。
 今回、概ね関係ないであろうと高をくくっていた良夜の背中に、冷たい物が流れたらしいが、それは今回の主役、吉田貴美さんの知らないことだった。
 

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