初デート・・・か?(5)
卵づくしの昼食が終わり、食後のコーヒーを一杯頂いき、良夜の部屋の片付けを開始したのは二時を少々過ぎた時間であった。なお、食後のコーヒーがインスタントだったので、それを飲んだアルトが機嫌を著しく悪くした。勝手に飲んで、勝手に不機嫌になって、勝手に耳元で騒ぎ立てるのは本当にやめて欲しい。
「うう・・・口の中が変だわ・・・」
あれからたっぷりと30分は経っているというのに、アルトは未だ良夜の肩で不平タラタラである。
「早く終わらせて、アルトでブルマン飲みましょう?この際、ブレンドでも良いから」
何がこの際で、この際とはどの際なんだか。アルトも飲むであろうと思っていた良夜は、コーヒーを入れる貴美に「多めに」と頼んでしまったのだ。が、アルトは数滴飲んだだけで「要らない」と言って飲むのを辞めてしまった。おかげで、普通の1.5杯分、しかも「好きならもっと飲む?」と貴美に勧められ、お代わりまでしてしまった。今日はもう、コーヒーは欲しくない。
「インスタントなんてお代わりするのが悪いのよ」
貴美と直樹に手伝って貰っている手前、遊んでいるわけにもいかないし、この二人の前でアルトと話せば一発で「イタイ人」扱いが決定してしまう。しかし、アルトは良夜が黙って片付けをしていることを良いことに、ペラペラと耳元で不平とコーヒー講座を続けている。
「うるさいよ」
とだけは何度も呟いているのだが、アルトの耳には届いていないようだ。いや、耳には届いているが、小さな脳みそには届いていないだけか・・・むしろ、うるさいというたびに、聞いていることを確認し、更に講義に熱が入ってるようにも感じる。
「ところで、りょーやんは彼女とか居ないの?」
黙々と手を動かすことに飽きたのか貴美が、背後で同じく黙々と手を動かしている良夜の心に言葉のナイフを突き立てた。
「年齢=彼女居ない歴で、更に童貞!」
その言葉に良夜よりもアルトが先に答える。ちなみに、良夜はアルトに「自分は童貞」とも「年齢=彼女居ない歴」とも答えたことは一度もない。ノーコメントで通しているのだが、アルトの中ではすでに「年齢=彼女居ないの童貞」と設定づけられている。また、その設定が間違っていないことが血を吐くほどに悔しい。
「居ないよ」
「へぇ〜もてそうな顔してるのに・・・ね、なお?」
やけに良い手際で段ボールを開き、中に入っている物を床の上に出しながらそれをテキパキと片付けながら、直樹にまでその話題を振った。
「・・・吉田さん、僕に振らないくださいよ」
そう言って、直樹はなんと言って答えたらいいのか、よく解らないというような困った顔を貴美に向ける。間違っても「そんなことはない」とは言えないし、「そうだ」と答えれば、良夜を貴美の設置した地雷原に押し込むことになる。貴美地雷原の恐ろしさは直樹が一番よく知っているのだ。いや、地雷は動かないが、貴美地雷原は勝手に近づいてきて、勝手に爆発するのだから更にタチが悪い。
「高校が男子校だったんだよ」
受かるとは思っていなかった私立の進学校、受けたら受かってしまった。「せっかくだから」という理由で進学してしまったおかげで、三年間、きっちり女っ気のない人生を歩むことになった。中学の頃に良い感じだったクラスメイトともそこに進学したおかげで切れてしまったし。ちなみに大学も工学部である。下手すると更に4年間、女っ気のない人生を歩むかも知れない。
「努力が足りないのよ」
その言葉の意味することを的確に察したアルトが、呆れたような口調でそう言いきった。
「・・・あっ・・・ああ・・・」
『男子校』という言葉を聞いた直樹が、力一杯大きなため息をついた。
「男子校がどうした?」
「あれ・・・・」
と、直樹が指さすそこには、ウットリと目を細め口の中で『男子校』という言葉を何度も反芻する貴美の姿。
「良いよね・・・男子校・・・」
テキパキと動いていた手も止まり、視線は虚空をさまよう。よだれまでもたらさん勢いで貴美はその言葉の甘い響きに酔いしれていた。そこに3年間通った良夜にはさっぱり理解できない甘さである。
「吉田さんはそう言う趣味の人ですから・・・」
小さな手で液晶テレビを設置していた直樹が、もはや「僕にはどうしようもありません」といった顔と口調でそう言った。
「「そう言う趣味?」」
アルトと良夜の声が見事なハーモニーを奏でる。ちなみにアルト(女性最低音パート)という名前の割りには、その声は見事なソプラノである。良夜にしか聞こえていないのが非常に残念である。
「吉田さんはボーイズラブが好きで好きでしょうがない人なんです」
直樹は完全に諦めきった表情で小さくそう呟いた。
「りょーやん!」
たっぷりと男子校という言葉を反芻し尽くした貴美が、良夜の方に振り向き、びしっと指を指した。人を指さす物ではありません。
「なっ・・・何?」
その妙な自信に良夜は気圧されてしまった。やっぱり、ヘタレである。ジークヘタレ。
「やっぱり、男子校って、そう言うのあるよね?ぜーったい」
そう言うのってなんですか?お姉さん。そんな「コーラを飲んだらゲップが出るよね?」的な世の中の常識を確認するような、自信満々な顔をされても困る。
「そー言うのって?」
「そりゃ、男同士の友情を越えた愛情とか」
友情を越えた愛情って・・・高校時代の友人の顔を思い出してみる・・・ないな、100%。
大きめのちょっと茶色い目を限界にまで広げ、ワクワクという擬音が聞こえてきそうなほどに輝かされても困る。
「・・・ないよ」
なんだか貴美と目を合わせるのが怖くなった良夜が、少しだけ視線をはずして小さく答えた。
「そっかぁ・・・だから、良夜は彼女居ない歴=年齢で童貞なんだ・・・可哀想」
と、アルトだけは妙な納得をしている。どこまでが本気でどこまでが冗談なのか解らない妖精である。存在そのものが冗談なら良かったのに、と良夜は小さく思った。
「それじゃ、拳で語り合う友情とか・・・」
「進学校だから、喧嘩なんてほとんどなかった」
「じゃぁ、トイレがイカ臭いとか・・・」
「ヤニ臭いときはあった」
「修学旅行の夜に一晩中・・・・」
「麻雀打ってた」
「卒業式の後、後輩に第二ボタンをせがまれたとか」
「うち、ブレザー」
「何それ、そんな男子校あるわけないじゃん」
「夢と希望と妄想を現実社会に持ち出すな」
「つまんない・・」
ガックリとうなだれる貴美。
「じゃぁ、もしかして、なおを見ても欲情しないとか?」
恐る恐ると言った感じで、貴美が最後の希望を口に出す。嫌な希望もあった物だ。
「なあ・・・直樹、お前、なんでこんなのと付き合ってるの?」
「・・・スイカにかけられてる塩みたいな物だと思ってください。僕はそう思うことにしてますから」
「その塩は致死量の毒よね」
お前が言うなよ、アルト。
とまあ、貴美の青磁ビブロスで培った歪んだ男子校への希望がもろくも打ち破られた以外は、さしたる問題もなく、数時間で良夜の部屋の掃除は終わった。時間は5時を少し回ったくらい。夕飯には少々早い。
「掃除も終わったことだし、乾杯しない?」
貴美が自室から持ってきた3本の缶ビールをそれぞれに手渡し、返事を聞く前にプルタブをあけてしまった。グビグビと缶のままのビールを白い喉に流し込む。若い女性がグラスも使わずに飲むというのはいかがな物かと思う。しかも、座ってる場所はベッドの上だ。
「用意が良いな」
床の上に座っていた良夜も、それにならい手渡された缶ビールのプルタブを開いた。まだ、高校を卒業したばかりと言うこともあって、良夜はあまりビールを飲んだことはない。あると言えば、修学旅行の夜、悪友達とホテルを抜け出して飲んだのが1回、卒業式の夜にこれまた悪友達と別れを惜しんで飲んだのが1回の計2回だけ。
「吉田さん、まだ、夕方ですよ?」
とはいえ、二人が開けているのに開けないほど、直樹は常識にあふれた人間ではない。隣に座る貴美がグビグビと飲み始めるのを見ると、結局自分もプルタブを開き、それに口を付けるのだった。
「日のあるうちに飲むのがダメ人間っぽくて良いのよ」
全く理由になってない理由を吐く頃には、すでに三分の一程度は開けていた。
「良夜、私も欲しいわ」
早速ダメ妖精のアルトが良夜の手に持つ缶ビールの上に腰を下ろすと、飲み口の中にストローを差し入れそこからチューチューと黄色い液体を吸い上げ始めた。ビールまでストローで飲むとは、油断できない奴である。
「飲みにくいよ」
一口しか飲んでいないビールの飲み口を占領するアルトを見下ろしながら、良夜は他の二人に聞こえないように小さな声で呟いた。しかし、缶ビールの縁にちょこんと座り、ストローでチューチューと飲むアルトの姿は十分に愛らしく、無理に除けることもないと思った。そんなにビールが大好きというわけでもない。まだ、3回目だし。
「乾杯、しないで飲んじゃったね」
すでに半分以上飲みきって居る缶をぶらぶらさせ、中身を確かめながら、貴美は残念そうな顔をした。
「吉田さんが最初に飲み始めたんですよ」
直樹は舐めるようにと言った仕草で飲んでいるため、その中身はほとんど減っていない。まるで、ホットミルクを舐めるネコのようだ。あまり美味しそうな飲み方には見えないが、ニコニコとしている顔を見ると、美味しいのだろう。
「新しい生活の第一歩を祝う酒宴としては締まらないね」
そう言いながらも、ビールを飲むことを辞めない貴美。クビクビと白い喉を鳴らして、ビールを流し込み続ける。
「まあ、俺は二日目だけどな」
缶に腰掛け、トンボのような羽をパタパタと動かしながらビールを飲むアルト見つめる。こいつと知り合ってまだ一日ちょっとしか経ってないと思うと、少し不思議な気分になる。二日前には、まさか、喫茶店に住む妖精と一緒にビールを飲むことになるとは夢にも思っていなかった。しかし、その事に違和感というものはすでにない。
「どぉしたの?りょうやぁ?」
ストローでビールを飲んでいたアルトが、良夜の視線に気づき、顔を上げた。透き通るように白かった頬は薄桃色に染まり、瞳は少し潤んでいる。
「お前、少し飲みすぎだよ」
ひょいとアルトの羽をつまみ、肩の定位置に座らせる。そして、飲みやすくなったビールに口を付ける・・・と、半分以上なくなっている。
「えっ?」
「りょぉやぁ・・・あっつぅ・・・」
肩の上でフラフラと立ち上がり、身につけているフリルだらけのドレスを脱ぎ始めるアルト。どういう構造になっているのかはよく解らんが、背中の羽をドレスから引き抜き、ドレスをすとんと良夜の肩に落とす。ぺったんこな胸を飾り程度に覆うブラ、白いパンティ、そして、ガーターベルト。うむ、完璧。って、魅入ってちゃいけない。
「おっ、おい、アルト・・・」
出しそうになった大声を飲み込み、脱ぎ捨てた服を拾い上げ、もう一度顔をよく見てみる。薄桃色言うよりも、もはや真っ赤。いや・・・赤紫?
確か、アルコールの効き具合は、体重とかに比例するわけで、アルトの場合、体重はあっても一キロをちょっと超えたくらいだろうから、大体、五十分の一?飲んだのが缶ビール半分だと、単純計算で25本分?
「りょぉや・・・きぼちわるぅ」
「ちょーっと待て!」
周りに人が居ることも忘れ、大声を出す良夜。
「えっ?りょーやん?」
「良夜くん?」
このままでは、妖精のゲロをかぶった男して、血の十字架を背負って生きることになる。そんな全世界歴史上空前絶後のお間抜けさんは良夜ただ一人に決まっている。二人目が居たら指さして笑っちゃる。三人目が居たら一緒に肩を抱き合って泣こう。
「ワリイ、急用!勝手に帰っててくれ」
アルトの体をつまみ上げて、バタバタと駆け出す良夜の背中を、タカミーズの二人が呆然と見送った。
「良夜くん、酔うと走り出したくなる体質なのかな?」
「走り酒?最低ね・・・」
思い出したくもない惨劇であった。急性アルコール中毒になった妖精を介抱した人間など、世界中捜しても他には居ないはずだ。居たら、そいつとは無二の親友になれるに違いない。
「うぅ・・・頭、痛い・・・」
ここは良夜のアパートの裏。すでに日もどっぷりと落ち、空には美しい星が瞬き始めている。
「お前、酒、飲んだことなかったのか?」
「あるわよぉ・・・10年前」
アパートの前に置かれた自販機でスポーツドリンクを買ってアルトの前に置く。確か、卒業式後の飲み会で、飲み過ぎた良夜に悪友の一人が買ってくれた物と同じものだ。酒を飲んだ後のこれがやけに美味かったことを覚えている。
良夜の開けたジュースにストローを突き刺し、透明なジュースをチューチューと飲むアルト。
「もぉ、要らない・・・帰る・・・」
一口か二口、人間なら数滴と言ったところでアルトは飲むのを辞め、パタパタとつたなく羽を動かし空に舞い上がった。とは言っても、全然、高度が出ていない。良夜の腰にも届かない高さだ。
「ほら、ポケットに入れよ。下着姿じゃないか」
「ありがとぉ・・・暖かいわね」
慌てて飛び出してきた所為で、アルトの服は部屋の床に置いたままだ。そのため、アルトは下着姿のままである。あの服、あの二人に見えなきゃ良いなぁ・・・もし見られたら・・・考えるのは辞めよう。妖精の服だから、誰にも見えないはずだ。
未だに帰宅ラッシュの車でにぎわう国道を、峠に向かってゆっくりと歩き始める。無駄に税金をかけた明るい街灯の明かりが、星のほのかな明かりをかき消し、代わりにヘッドライトの天の川を照らし出している。折角の田舎なのだから、無駄な明かりなんてない方が良いのに・・・。まあ、これで街灯がなければ、あと2時間もすれば女は出歩けない場所になってしまうだろうが。
「今日は楽しかったわ」
黙って歩いていた良夜にあるとがポケットの中から声をかけた。その声は珍しく少々弱い。二日酔い決定の立場を考えれば、それでも元気な方か?ポケットの中から顔を出しているだけなので、その表情はよく見えない。もしかしたら、少しは殊勝な顔をしているのかも知れない。だとしたら、それが見えないのは非常に残念だ。
「そりゃ、良かったな、俺は疲れたよ」
それだけでまた、二人の会話は止まってしまった。しかし、それは二人にとって悪いものだとは感じられなかった。
宵の口の散歩は十五分ほどで終わりを迎えた。アルトの正面にある駐車場。そこからは、まだ営業中の喫茶アルトには、数人の客を相手にする穏やかな老紳士と美月が外からでも見えた。
「コーヒーでも飲んでいく?」
「いや、いいや・・・今日は沢山飲んだし、タカミーズを置き去りにしてきてる」
「じゃぁ、ここで良いわ・・・」
「良いのか?」
ポケットからはい出てきたアルトの顔をのぞき込む。正直、あまり顔色が良いとは思えない。
「大丈夫よ、美味しいブレンドでも飲んで、ゆっくり寝たら明日には治ってるわ」
当人がそう言うのなら、その通りなのだろう、と思うしかない。コーヒーも飲む気がないのに、アルトに顔を出すのがためらわれるのも事実である。
丁度、一人の大学生らしい客が入り口のレジで精算を終わらせ、出てこようとしているのが見えた。アルトは「また明日ね」だけ言って、ふわっと良夜の肩を踏み台に、その客が開けたドアから、店の中に滑り込んだ。
「また明日ね・・・か、毎日はいかないって言っただろうに・・・」
レジで精算していた美月の肩にアルトが止まるのを確認して、良夜はそこを後にした。何となく、明日も一度はアルトに足を運んでしまいそうな予感・・・いや、予感よりかは少々確信に近いものを覚えながら・・・