出会いは3月(3)
憮然とした表情で良夜はお手洗いのドアの外側にもたれかかっていた。中からは水の流れる音に混じってアルトの鼻歌が聞こえる。もちろん『死ね死ね団のテーマ』ではない。どうも英語の歌のような気がする。穏やかな落ち着いたメロディラインと静かな歌声、こういう曲も歌えるのに、子守歌に『死ね死ね団のテーマ』をチョイスする当たりに、奴の悪意の深さを感じる。
ちなみに英語らしき歌詞の意味はさっぱり理解できない。日本の英語教育にはリスニングが足りていないな。もっとも、彼個人で言えば他が足りているわけでもない。
もちろん、好き好んでこんな所に突っ立っているわけではない。あの口の減らない性悪妖精に待たされているのである。素直に待ってしまう自分が可愛いくて大好き。
と、言うわけで話は数分前に巻き戻る。

言われるままにアルトをつれて手洗いに来た良夜。古い建物割りにはトイレは現代風の明るいパネル張り。ちょっと意外だ。よく見るとハンドドライヤーまで置かれているし、照明も新しい。
「意外だった?」
羽をつままれたままの癖に、何処か嬉しそうなアルトが首を上げ、良夜の顔をしたからのぞき込んだ。
「多少」
短く答え、アルトの体を洗面台の上に軽くなげ落とす。顔から落ちれば爽快なのに、と思ったのだが、彼女はふわっと軽く体をネコのようにくねらせると、器用につま先から着地して見せた。
「10点、10点、10点、9点、10点、9点」
両手を大きく広げ、満面の作り笑い。小ネタを入れ忘れない女である。
「はいはい、金メダル金メダル」
蛇口をひねり、未だポーズをとり続けるアルトの体をむんずとつかむと、その水流の中に晒した。
「あばばばば!!!」
何処かの世紀末救世主にやられた雑魚Aのような悲鳴を上げるアルト。その声を無視して、乱暴に体を洗い続ける。顔面に水流が直撃して、息が出来ていないかも知れないが、そんなことは知らない。って言うか、知っててやってる。これくらいはやっても罰は当たるまい。
「ぎゃっ!?」
気持ちよくアルトの体を洗っていた良夜の手に再び激痛が走る。ちなみに先ほど指されたところのすぐ横。この調子だと、危ない注射を楽しんでいる人のようになること請け合いだ。
「いっってな、おい!」
「殺す気満々だったでしょ!」
そもそも、こいつは死ぬのか?
「優しく洗いなさいよって言うか、良夜、自分が洗うつもりだったわけ?」
びしょびしょに濡れた服を整えながら、アルトは手に持つストローの置き場所を捜してうろうろしていた。
「その方が早いだろう?」
「・・・うわぁ・・・そう言う趣味だったんだ、最近、多いって聞いたけど・・・」
良夜から視線をはずし、替わりに鏡と壁の隙間をのぞき込む。丁度良い隙間を見つけたようだ。しかし、そこに口にするものを差し込むって言うのはどうなんだろう?
「そう言う趣味?」
ストローを鏡と壁の間の隙間に差し込み、安定しているのを丹念に確認すると、良夜の方へと振り向き、ぴしっと指を指し、名探偵が犯人を名指しするときの顔をしてきっぱりと言い放った。
「ロリコン」
単刀直入だった。
殺意だけで人が殺せたらどんなに幸せだろう?しかし、彼にはそんな特殊なスキルはなかった。なかったので、替わりに奴の長い髪をつかみ、顔を真上に向かせ、再び蛇口の真下においた。
「あががががががっ!」
十秒ほどの間、アルトを水攻めにする。
「もう・・・・ちょっとしたシャレじゃないのぉ。もしかして、好きな子に意地悪しちゃう小学生マインド?」
洗面台の上で四つん這いになってゼェゼェ言ってる割りには良く回る口だ。この調子なら、あと一分くらいは大丈夫だったかも知れない。
「と・り・あ・え・ず。服、脱ぐから出てけ」
水攻めの苦しみから復帰したアルトが、再び、びしっと指を指して命令する。
「リカちゃん人形みたいな体つきの癖に・・・」
「・・・」
無言のまま、三白眼で良夜を見上げる。視線に殺意がこもっている、直感的にそう思った。
「なんだよ・・・」
情けないことにその迫力に気圧されてしまう良夜。思わず一歩後ずさりしてしまったことは、永遠に秘密にすることが決定した。
「リカちゃん人形よりも小さくて悪いかっ!」
目に涙でも溜めて怒れば可愛げがあるものを、小さな体一杯に殺意の波動を背負って怒髪天に怒り狂われると、なんだか、ホラー映画に出てくる殺人自動人形のように見える。こうなると、濡れて乱れた髪というのもなかなかに迫力がある。
「一センチしか違わないわよ!」
誰もそんなことは聞いていない。しかし、このサイズで一センチ違うと、人間サイズになおしたら十センチ近く違うんじゃないんだろうか?ってなことを言ったら、間違いなく殺されるな。それは、予想ではなく確信である。
「解った、解ったから落ち着け。縮尺が違うだけで、スタイルはお前の方が良い」
体型の解りにくいヒラヒラのドレスを着ているから、スタイルなんてものはわかるはずもないのだが、女を怒らせた場合はこう言った方が良い、と良く父が言ってた。相手は母だ。情けないこと甚だしい。
「良いから出てけ」
逃げても良いと殺人自動人形様がおっしゃっているのだから、ここに居座る理由はない。もうちょっとからかえば楽しいかも、と言う欲求もあるが、これ以上からかう場合、それ相応のリスクを背負う必要がある。
「へいへい」
あっさりとリスクを背負うことを放棄するヘタレ。アルトに背を向け、ノブに手をかける。アルトに向けた背中がやけにすすけている。
「あっ、外で待っててよね。水道止めて貰わなきゃ行けないんだから」
ドアノブに手をかけたまま固まる。言わんとしていることは理解できる。開けないものを閉じられる道理はない。水を出しっぱなしにするのは良くない。
「第三者が見たら、良夜が出しっぱなしにしていったと思うわよ」
「へいへい」
口論しても無駄だ。それと迫力と実力行使でもかなわないかも知れない。ヘタレに育ててくれた父よ母よ、ありがとう。この恨みは一生忘れません。

と、言うわけで彼はラブホテルで恋人を待っている男よろしく、アルトがシャワー(便所の水道)を浴び終わるのを待っているのである。
「どうかしましたか?」
ドアにもたれボンヤリと外の景色を眺めていた良夜に、いつの間にか近くに来ていた店主が声を穏やかな声をかけた。
「あっ・・・ええ・・・まあ・・・ちょっと・・・」
なんと答えるべきかと逡巡しながら、所在なげに胸の前で組んでいた手を頬に動かした。
「アルトですか?彼女は我が儘ですからね」
トイレ傍のテーブルに腰を下ろし、深い皺の刻まれた顔で優しく微笑む。
「あの、店長さんもアルトが昔は見えてたんですよね?」
老紳士の向かいに腰を下ろす。白いワイシャツに蝶ネクタイ、それが極普通に似合う老人というものを初めて現実に見た。こういう老人になれるとしたら、老いも悪くないのかも知れない。
「ええ、見えましたよ。ずいぶん前に見えなくなってしまいましたけど・・・信じられませんか?」
「いいえ・・・それじゃ、他の人には見えてないんですか?」
良く考えれば、アレが他の人に見えないという話は誰にも聞いていない。良夜の勝手な思いこみとアルトの「見える人間は十年ぶり」という言葉だけだ。
「何年かに一度、見える人は居ますが、大抵は大学生ですからね。卒業してそれっきりですよ。たまに会いに来る方もいらっしゃいますけど、滅多には・・・ここは田舎ですから」
立地条件を考えれば、主な客層は大学生であるのは間違いない。だから、卒業してそれっきりというのも解る。
しかし、それなら、どうしてこの人は見えなくなったのだろう?それは聞いても良いことなのだろうか?まあ・・・良くないか・・・。初対面の人間が聞くことではない。
「良夜、終わった〜」
ドア一枚向こうから、彼にしか聞こえない声でアルトが呼んでいる。ちょっとは気を遣え。
「あっ、すいません。アルトが・・・」
「はい、彼女と仲良くしてやってください」
良夜が席を立つと老紳士も立ち上がり、恭しく頭を下げた。親が子供の新しい友人に子供のことを頼むようだった。
「・・・善処します」
胃に穴が開くのが早いか、適応できるのが早いか。
「あはは、傍若無人に羽が生えたような娘なのは相変わらずですか?」
「昔からですか?」
「変わるような娘だと思いますか?」
それは言わぬが花という奴だろう。ただ苦笑いを浮かべ、老紳士に背を向けアルトの待つ手洗いの中に入った。

で、そこにいるのは洗ったらしい服を着直し、濡れた体と服をハンドドライヤーで乾かしている自称妖精さん。
濡れた服を着たまま乾かすってのはアリなのだろうか?とか、ハンドドライヤーのセンサーにこいつが反応するのか?とか、ハンドドライヤーで体を乾かしても大丈夫なのだろうか?とか、そもそも、妖精がそんな物をつかったら夢も希望もありゃしないじゃないか、とか、それはもう、突っ込み所満載の絵面。
「遅いよ。もうちょっとで乾くから、水道止めて待ってて」
今日、『あきれ果てて物が言えない』と思ったのは何度目だろうか?水道の蛇口を閉めながら、ボンヤリと彼はそう思った。
「服は脱いで乾かした方が良くないか?」
「でも、それだと乾くまで水が止められないわ」
なんでこいつはこんな所だけ常識的なんだ?存在そのものが非常識な癖に。
「もう、いいや・・・さっさと行くぞ」
「はぁい」
目的は果たせたのか、ふわりとハンドドライヤーから飛び上がると、そのまま良夜の肩に腰を下ろした。シャボネットの独特な消毒薬臭い香がする・・・こいつ、シャンプーの替わりにシャボネット使いやがった。
「・・・風呂上がりの女には、夢と希望と萌えがあるものだと思ってた・・・」
「それを楽しむのは現実の恋人が出来るまで取っておきなさいな」
肩の上に上機嫌で鼻歌を歌う妖精を乗せたまま、冷えきった妖精のだし汁入りコーヒーが残る席に座り直すと、彼女は良夜の肩から飛び降りた。
「って、帰ってきたのは良いけど・・・そろそろ、帰って引っ越しの片付けをしないとな・・・」
「あら、コーヒーが残っているわよ」
「お前・・・それを飲めって言うのか?」
「あら、コーヒーが残っているわよ」
先ほどよりも抑揚を押さえ、言葉を句切るように言う。いわゆる、ドスをきかせた声という奴だ。
「お前が風呂代わりにしたコーヒーだろうが・・・これ」
「あ・ら、こー・ひー・が・の・こ・って・い・る・わ・よ」
彼女に引く気は一切ないようだ。
「飲むよ、飲むから、その針を俺の腕に向けて振り上げるのは止めろ」
カップを手にすると一気に残ったコーヒーを飲み干す。とりあえず、妖精のだし汁は味に影響がないようだ。ただ、たっぷりと入れた砂糖が、口の中でジャリジャリ言っている。
「良くできました。美味しいでしょ?ここのコーヒー。それと、これは針じゃなくてストロー」
手に持ったストローをピュンピュンと振り、満足げに空になったカップをのぞき込む。
「コーヒー風味の砂糖水・・・」
しかも、溶けきってない。
「砂糖を入れすぎね、今度からはブラックを勧めるわ」
「じゃぁな、俺は帰るよ」
「ええ、また、明日ね」
良夜がテーブルにおいたカップの上に腰を下ろして手を振る。その彼女に手を振り返して「毎日は無理」とだけ答えた。
「じゃぁ、期待しないで待ってるわ」
「期待しないで待ってろ」
入ってきたと同じように、ドアベルの乾いた音を立てて良夜は妖精の住む喫茶店を後にした。

「と、言ったのに、まさか、当日にまた来るとは思ってなかったわ」
「冷蔵庫の中が空だって事に気がついた時には、我慢できないほどに空腹だったんだよ」
良夜は六時間前と同じ席に座り、六時間前と同じアルトの顔を見ながら、六時間前と同じサンドイッチのセットを食っていた。
ただ違うのは、彼女がコーヒーカップの中ではなく、目の前にある椅子の背もたれに腰を下ろし、彼が食べている様をニコニコと笑っているところだけだった。

後書き
と、これで「出会いは三月」編終了です。書き始める前に考えていたネタはこれで終わりです。本当に後書きって書くことないな・・・書くの、止めちゃおうか?

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