出会いは3月(2)
せっかくほのかに暖かかったサンドイッチの卵はすっかり冷え切り、普通のサンドイッチになってしまっている。それでも美味しいのだけど・・・それを口に押し込みながら、コーヒーカップの湯船でウワァ〜とやけにオッサン臭い言葉を吐いている妖精を見つめる。
色々とむかつく・・・。何がむかつくって、濡れたドレスの張り付く小さな体を「可愛い」と思ってしまった自分にむかつく。しかし、自分に怒りをぶつけるほど、彼は自虐的な人間ではないので、怒りをぶつける相手は一つしか居ない。
シュガーポットからスプーンを取り出し、それにたっぷりと砂糖をすくうと、それをウェッジウッドの湯船でくつろぐ親父の頭の上でひっくり返す。
「わぁぁ!?」
夢見心地でコーヒー風呂に浸っていたアルトがすっとんきょな声を上げて飛び上がる。間抜けな顔をして周りをきょろきょろと見渡し、それが頭の上でひっくり返されたスプーンからこぼれ落ちる砂糖である事に気がつくまで数秒。
その数秒の間にも少し粒の大きなティシュガーが、サラサラとコーヒー風呂の中でくつろいで居た親父妖精の体に降り注がれる。
「ちょーやめやめ、わわわわ!!!」
コーヒーで濡れたアルトの体に白い砂糖が降り積もる。塗れた砂糖で奴の体と服がベッタベタにすると、ほんの少しだけ溜飲が下がった。
「一体、どれだけの砂糖を入れるつもりよ!糖尿病になるわよ!!それにコーヒーはブラックで飲むものよ。ここの豆は良いのを使ってんだから、味わって飲みなさい、味わって!」
アルトは体の上に降り積もった真っ白な砂糖を小さな手で、パンパンとカップの中も外もかまわずにはたき落としながら、小さな目(と・・・顔との比率を考えれば大きいか?)でにらみつけてきた。
「うわぁ・・・突っ込みてぇ・・・」
言ってる事とやってる事のギャップを無視しているのか、気がついていないのか、彼女は自らがどっぷりと肩までつかっているコーヒーの講釈を偉そうに続ける。手に持った極細ストローを忙しく左右に振っているのは、教鞭のつもりなんだろうか?
もちろん、コーヒーなんて美味いか不味いか程度にしか興味がなく、それもその辺で売っているカップコーヒー程度でも「美味い」と感じる良夜に、コーヒーの健康効果なんぞまで語りはじめたアルトの言葉が届くはずもない。
コーヒーについて熱く語るアルトを放置し、サンドイッチとサラダを交互に口に運ぶ。本当はコーヒーが欲しいところなのだが、うさんくさい妖精のだし汁がたっぷりと抽出された上に、砂糖が飽和状態になって底に堆積してそうな液体に口を付ける勇気はない。
そして、最後のサラダとサンドイッチを口に放り込み、デザートのチーズケーキに手をつける。うん、こっちも美味い。濃厚なチーズの味が口いっぱいに広がる。多めのサンドイッチを食べた後だと、少し重いかも知れない。これなら、コーヒーとセットで3時のおやつにすれば良かった。
これでうるさい妖精が居なくて、コーヒーも最後まで飲めれば、最高の新生活初日を迎える事が出来たのに・・・
しかし、妖精ねぇ・・・もう一度、コーヒーカップの中でコーヒーについて熱く語っているアルトに視線を向ける。確かに、妖精だ。コーヒーカップの中でコーヒーまみれになってコーヒーについて熱く語っていると言う点を除けば、妖精に見える。しかし、何処かで見た構図だな・・・どこで見たんだっけ?
眺めているうちに、彼女のコーヒー講座に更に熱がこもり始める。身振り手振りが更に激しさを増し、そのたびにコーヒーのしずくがテーブルの上に飛び散る。この後片付けは誰がやるんだろう?アルトがやるわけはない。出会って15分にもならないが、それくらいは解る。
まあ、いいや・・・アルトのコーヒー講座に飽きてしまった良夜は、また視線を窓の外へと向けた。大きな窓から差し込む暖かな陽光と山の緑は春が始まっていることを示している。このまま、ここで寝たら気持ちが良いんだろう。客もあまり居ないし、少しくらいなら寝ても良いか・・・
寝ると言えば、部屋の荷物を片付けなきゃ、今夜の寝る場所が取れないなぁ・・・でも・・・この穏やかな陽光の誘惑には逆らいにくい・・・
「聞いてんのかっ!?」
穏やかな陽光の中、意識を手放そうとしていた瞬間、彼がテーブルの上に置いていた左手の甲に激痛が走った。
「くっ!?」
窓の外へと向けていた首を、ゆっくりと時間をかけてその激痛の元へと動かす・・・そこには体半分をコーヒーカップからはみ出させたアルトが、手に持った極細ストローを良夜の手の甲に深々と突き刺しているシーンがあった。
「イッテェ!!!」
見た途端に更に痛くなった。
「良夜、コーヒーは静かに楽しむ物よ?」
手の甲に刺したストローを一気に引き抜いたアルトがニヤリと微笑む。
思わず大声を上げてしまったことに慌てて、きょろきょろと店内を見渡すが、間の良い事に先ほどまで居たサラリーマン風の客はすでになく、店主の老紳士もキッチンの方へと行ってしまったおかげで、店内には良夜とアルトしか居ない。
「てってめぇ・・・ギャグとして受け入れるにはギリギリでアウトだぞ」
流石に貫通はしてないが、手の甲からはうっすらと血がにじみ出ている。本来なら大声で怒鳴りたいところだが、無人とはいえ、公共の場で大声を・・・それも第三者からは独り言にしか見えない場面で・・・出す勇気はなく、ぼそぼそと小さな声で抗議する。
「あら・・・ギリギリアウトなの?」
ケロッとした顔で答えるアルト。それを涙目でにらみつける・・・女の子がやったら効果あるのだが、男がやっても情けないだけだ。
「ギリギリセーフだとでも思ってたか?貴様」
「ううん、大幅にアウトだと思ってた。意外と許容範囲広いのね。度量の大きい男は好きよ」
こっ・・・こいつはぁ・・・アルトのあっけらかんとした言葉に毒気を抜かれたような気がして、手のひらをさすりながら再び視線を窓の外に向ける。
「お褒めにあずかり、光栄の至りだよ・・・」
もう、どうでも良いや・・・今夜寝るところがなくても良いから、ここで寝てしまおう。うるさい妖精の戯言もBGMだと思えば、気にならないはずだ。それよりもこの暖かい春の日を楽しもう。もしかしたら、寝ておきたらこのうるさい妖精も消えているかも知れない。
肘を枕に顔を窓の外へと向け目を閉じる。頬に日の光をたっぷりと浴びれば、学生時代にこうしてよく居眠りしていたことを思い出す。だから、第一志望と第二志望に滑るんだよな、と、嫌な事実を思い出した。
「ねえ、良夜、寝ちゃった?」
俺はのび太君じゃねえ、目を閉じて3秒じゃ寝れない。と、言いたいが、言えば起きていることがばれるので黙っている。
「ふぅん、寝たんだ・・じゃぁ、子守歌歌ってあげる。〜〜〜♪」
透き通るような静かな、それで居て十分な声量でアルトが歌い始める。
♪しね!しね!しねしねしねしねしんじまえ〜
黄色いブタめをやっつけろ〜
金で心をよごしてしまえ♪
「死ね死ね団のテーマかよ・・・」
寝たふりをし続けるつもりが、つい、反射的に突っ込みを入れてしまった。
「この間来た大学生がiPodで聞いてたのよ、それも大音量で」
ただ者じゃねえな、その学生。覚えてるこいつもただ者じゃない。ついでにそれが解る良夜もただ者じゃない。
「続きも覚えてるわよ」
「あぁ、良い、歌わなくて良い。良いから寝かせろ」
「だから、子守歌」
「子守歌にふさわしいと思ってるのか?それ」
「ううん、全然」
「お前、悪意があるだろう?」
「私から悪意を取り除いたら、たぐいまれな美貌と明晰な頭脳とウィットに富んだ話術しか残らないわ」
「・・・ずいぶんと色々と残るんだな」
「あら、そう言えばそうね。優れた女は大変だわ」
「・・・」
「・・・こう言うとき、言葉につまった方の負けよ」
「呆れかえってんだよ、ド阿呆」
「勝ち誇ったりしないから、遠慮せずに負け犬の気分を楽しみなさい」
コーヒーカップの中で仁王立ちになり、薄っぺらい胸を大きく反り返っている。どう見ても勝ち誇っているようにしか見えない。そして、相手が勝ち誇っていると、見ている方は、思い当たることがなくても負けたような気分になる。
しかし、このまま、黙っていると更に負けたような気分が強くなってしまう。さっさと言い返す言葉を考えないと・・・
「ところでさ、良夜」
と、軽く思案に暮れていた良夜に、また、コーヒーカップの中に腰を下ろしたアルトが言葉を発する。
「なんだよ・・・」
「そろそろコーヒーが冷たくなってきたんだけど・・・」
「そうだろうな、もう、30分は経ったもんな」
「それに、羽にかかった砂糖が固まってきて、動かしにくいんだけど・・・」
「そりゃ良かったな」
「お手洗いはそこのドアの向こうよ」
「だから?」
「羽が固まって飛べないのよ」
「そりゃ大変だ」
「うん、大変」
「歩いていけば?」
「私が自分の手で蛇口をひねれると思う?」
「努力が大事だ、人間、努力すれば都合良く超能力に目覚められる」
「私は人間じゃないわ」
「人間じゃなくても努力は大事だぞ?」
「努力して報われた妖精を知ってるの?」
「・・・居る居る、知り合いに3人。カルタスとエスクードとワゴンR」
「それは良いわね、今度紹介してよ」
「解ったよ、今度、す」
「スズキのディーラーに連れて行くって言ったら許さない」
「ず・・・あっ・・・」
良夜が言おうとした言葉の続きが唇から漏れるのを防ぐように、自らの唇に手を押しつけるのを、アルトはにやにやと底意地の悪い笑みを浮かべて見つめていた。
「ほれ、続きを言ってみなさい、良夜」
「・・・カー雑誌を持ってきてやる」
「イマイチな切り返しね。良夜の負けで良いかしら?」
ペチペチとストローを自らの手のひらに叩きつけ、勝ち誇った笑みを浮かべる。しかし、このストロー、役立つ小物になってるな。
胸を張って勝ち誇るアルトの羽をひょいとつまむと、そのまま、言われた「そこのドアの向こう」へと歩いていく良夜。こいつに口ではかなわない。今、はっきりとそう思った。
「ありがとう、でも、紳士が淑女を連れて行くのなら、お姫様だっこと相場は決まっているのじゃないかしら?」
「身長が150センチを超えたらやってやる」
「15センチに負けなさい」
ぽたぽたとドレスからコーヒーが滴り落ちる。他人からそれがどう見えているのか、それを考えると少し楽しくなってしまうのも事実。しばらくは、この奇妙な妖精に付き合ってここに通うのも悪くはない・・・と、思ったことに最大の敗北感を覚えてしまった。