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2002.12.1
”楽しみは 毎日毎月 毎年の地道な実践 累積の時”
元学校長 山中 彌先生(1923.12.1)
今日79歳になられた山中 彌先生は退職後、独自の健康法を健康遵九
と名付けて実践されている大変お元気な先生です。その中の一つに楽しみ短歌があります。これは毎朝まず、たのしみはで始まる短歌10句作ってから先生の活動が始まります。毎朝10の楽しいことを捜す習慣は、素晴らしいことと感心しました。幾つになっても前向きで挑戦している素晴らしい人格者です。
2002.12.2
“
人生に下り坂はない。登り切った所が人生の最後だ。”
横須賀キリスト教会館長 阿部
志郎先生
1995.10.7
“一人で生まれ一人で死んでいく”(いのちの電話主催)の講演会がありました。じゅみょうとは寿の命と書く、人の死はメデタイことです。
2002.12.3
“
有難うという感謝の気持があれば、その人は必ず幸福になる。”
道塾塾主 境野
勝悟先生(1932.)
こだわるな!自分らしく生きることだ!と教わりました。
2002.12.4
“ 豊 か な 老 後 の 3 K
は
1.健康 2.甲斐性(生甲斐) 3.経済力
川崎幸クリニック院長 杉山
孝博先生
1991.3.24 若い時からの心掛けとして、教わりました。健康には特に血管の老化に注意することが大切(適度な運動)
歩け!歩け!そして歩け!!
2002.12.5
“
なるものにしかなれない!あなたは あなたになる為に生まれて来た。”
医学博士 篠原
佳年先生(1950.3.15)
大分県生れ徳島県池田町育ちの、わいわいクリニック理事長 篠原 佳年先生の講演会が1996.11.28 ワシントンホテルでありました。著書は「快癒力」「意識の扉をあけて」「生死同源」
「病気を治すのはあなた自身」等多数。
イメージを変えると健康になれる。2002.12.6
“ 元氣は元の氣。どこからきたか? 生 か さ れ て い る
ゾ! と思う時。”
脳神経外科医 阿部
聡先生(1953)
城南高校出身で、おもいっきりテレビで人気者の心療内科医・臨床心理士の阿部 聡先生から1997.1.25 聴きました。阿部
聡先生は病気を治すのは、医者でなく、患者さん自身なのです。医者は単なる手伝いにすぎません。が持論の名医です。
2002.12.7
“
自分が変わればすべてが変わる。すべて自分の責任です。”
形態波動エネルギー研究者 足立 育郎先生(1940)
1995.10.20 ホテルクレメントで足立 育郎先生の講演会がありました。宇宙は波動のエネルギーで構成されている・・・(先生のお話は、難しくて
なかなか理解できませんでした)自分で理解できたのは、ヒラメキや直感が大切だ。それが即 答である
でした。
2002.12.8
“ 病原体 と 体力
の関係は?”
病原体が入ってきても
体力(免疫性)が有れば・・・病気にならない。
病原体が入って
体力(免疫性)が無ければ・・・病気にかかる。
馬原医院院長 馬原 文彦先生の言葉(1941.11.20)
昨日徳島新聞ホールで医師会主催の講演会がありました。糖尿病の死亡率は、我が徳島が7年連続日本一(不名誉な記録)だそうです。糖尿病の原因は、過食、運動不足、夜型生活習慣です。生活習慣に気を付けましょう。例えばケーキ1個食べると、80分歩かなければいけないそうです。(一寸つらいね)
2002.12.9
“ 生命は自分だけのものではない。仏様の預かりものである。”
瑞應寺堂監 楢崎 通元老師(1926.2.27)
新居浜市 瑞應寺(永平寺別格本山)では、釈迦牟尼仏世尊の「おさとり」を記念して、
12月1日から8日までの
臘八接心(ろうはつせっしん)が行われます。特別に参禅をさせて頂きました。8日の早朝3.00から90分間僧堂で、一週間座り続けている修業僧と一緒に座禅をしました。貴重な体験そしてすばらしい雰囲気を味わうことが出来ました。心身共にリフレッシュしてきました。その他一連の行事にも参加して修行僧の禅問答など初めて見る事が出来、感動の一日でした。
2002.12.10
“ デジカメの 餌は何かと 孫に聞き ”
サラリーマン川柳 今年の最優秀作品
昨日NHKラジオで、雑誌「上方芸能」代表 木津川 計先生のお話に出てきました。
デジカメを買う
と言ってる孫の話を聞いたお祖父さんは
でじ亀を飼う
と思いこみ、初めて聞くその亀に一体何を食べさすのか?と孫に尋ねている。デジカメを知らないと時代に取り残されるよ!と比喩した作品。 私はデジカメは知っていますが、使い方、PCでの修正、ホームページへの取り込み方等、来年の課題です。取り残されない為に
!!
2002.12.11
“
健康であるのは、健康になる為に色々な事をしたいという意志と実行があるからだ。意志と実行は、すべて脳が命令する。すなわち健康なのは頭脳の働きがいいからだ。”
勉強会シーマ主宰 森 清孝先生(1932.12.1)
森 清孝さんは1979.1.30現役時代から年代、職業、に関係なく誰でも加入できる勉強会を発足、最低毎月1回の例会を続けられ、24年になります。シーマの会は、未知の人々との交流を拡げ、情報・意見交換を通して会員相互の親睦をはかり、自己啓発に役立て、豊かな心づくりと健康な身体づくりを目指しています。健康になるには努力がいる。と教えてくれました。
2002.12.12
“ 丈夫な身体に生んでくれた親に感謝しています。”
武田 イクさん(1919.12.12〜1998.10.19)78才
武田 鉄矢さんの母親 武田 イクさんの講演会が1997.11.18
阿波観光ホテルでありました。明るくて大変エネルギッシュな方で笑いと涙の人生奮闘記 と題して 面白 おかしく
お話をお聞きしましたが、11ケ月後にお亡くなりになり、ショックでした。人間の寿命は、本当にはかないものですね。今日は武田
イクさんの誕生日です。
2002.12.13
“ 長たる者は部下の誰よりも損をすべし(我が経営に裏表なし)”
タニサケ会長 松岡 浩先生(1944.2.7)
1995.8.19
御殿場の研修会で知合いになって以来親しくご教示頂いている方です。当時はゴキブリダンゴで有名なタニサケの社長で、イエローハットの鍵山
秀三郎社長(当時)を師と仰ぎトイレ掃除に力を入れていました。会長になった今も一番早く会社に来て、一番汚いトイレ掃除をする方針を続けている素晴らしい経営者です。明るくいきいきと働いている社員そしてごみ一つ落ちてないトイレまでピカピカの綺麗な会社には、毎日全国から見学者が絶えません。田中
真澄先生からトップが一番早く出社する会社で倒産した会社は一つもない。と学びましたが、松岡 浩会長を見ていますと、大繁栄する基本と感じています。
2002.12.14
“
心は無限!心はいくら使っても減らないし、病氣にならない。”
心身統一合氣道 悠心館館長 庄田
幸生先生(1950.12.14)
徳島生まれで岸和田在住の庄田
幸生先生は、第3土曜日に勢見町観音寺にて教室を開いています。病氣になるのも治るのも心の問題ですと教わりました。幸せに生まれて幸せに生きている庄田
幸生さんと話をするだけで癒されますし生きる元氣が出てくる不思議な人です。
2002.12.15
“ 利 他 愛 ” (自己愛の反対でギブアンドギブの精神)
田畑健康食品社長 松田 行芳先生(1942.6.17)
1992.8.21 御殿場の研修会で50才の松田
行芳さんに出会いました。30才位の青年に見えました。以来健康法だけでなく人間としての考え方、経営の心得等、色々と教えて貰っています。健康法でも一つの方法では健康にならないと全一健康法を提唱しています。食物、食べ方、水、運動、生き方考え方、人間関係など全てに気を配り、実践努力する事こそ真の健康法と考えています。松田
行芳さんは雑誌やすらぎを毎月発刊、9年前から指宿(出身地)に全一健康道場(食だけでなく総合的な体験道場) を開いています。一生他人様に喜んでもらえる事を探して生きていきたい・・・これが松田
行芳さんの口癖です。素晴らしい私の友人です。
2002.12.16
“
本気になれ!本気になると自分が変わる。”
本気塾塾長 戸田 勝身先生(1944.1.13)
坂村 真民さんの本気という詩を読んで、感動し 感激して
本気塾を開設、コンサルタントとして活躍されています。私は2回お話を聴く機会に恵まれましたが、ものすごい迫力です。戸田
勝身先生は何事も命懸けで取り組め!そうすると必ず成功すると教えてくれました。
2002.12.17
“
得意の時うぬぼれるな!失意の時へこたれるな!”
ゴトウ経営社長 後藤 昌幸先生(1933.12.17)
私が営業の神様として尊敬しているご存知 滋賀ダイハツ販売グループオーナー後藤 昌幸先生69歳の誕生日です。初めてお話を聴いたのは、1991.10.22
ですがセールス誌でよく登場し、一度直接逢ってみたいと思い続けていた先生でしたので、感動でした。以来色々学んでいます。先生の言葉は「やるからにはナンバーワンを目指せ」「ピンチはチャンス!」「朝が生命だ!」「言ったことは絶対やる」「経営のポイントは自分が動くことだ」などすべてが赤字会社を再建してきた経営のノウハウ。理論と実践に裏打ちされた心にひびく言葉です。
2002.12.18
“
はがきは相手の名前を借りて自分への励ましである。楽しんでやるのが長続きする。”
はがき道伝道者 坂田 道信先生(1940.2.20)
森 信三先生に出会って坂田 道信先生は複写はがきを書き続けておられます。私は1989.2.18 初めて出会いましたが、本当に心の綺麗な先生です。坂田先生のお話ぐらい飾らず、そのままで難しいことは何一つなく、それでいて涙が溢れてくる講演を聴いたことはありません。蟻馬さんセールス道は、1.人に逢う 2.電話をかける 3.はがきを書く ことです。と教えてくれました。
2002.12.19
“
仕事、家庭、趣味をバランス良く、日々のささやかな幸せを先送りしないで、楽しみつつ生きていきましょう。”
武生
地蔵院住職 松野 宗純老師(1928.1.22)
初めて松野 宗純老師に出会ったのは、10年前の1992.8.21
御殿場の勉強会でした。エッソの副社長から退職後、出家して大乗寺で修行中と聞き、すごい人がいるものだと驚きました。現在全国PHP友の会会長としてご活躍ですが、昨年もPHP友の会徳島大会にご来徳されました。
今を精一杯生きること、自分らしく生きること を教わりました。
2002.12.20
“ 腰骨を立てる!立腰なくして立志なし。”
元小学校長 西本 岩夫先生(1928.6.16)
1990.6.23研修会で出会い、1991.3.16 勉強会にお招きしました。39年の教員生活で生徒がだんだん無気力
無感動に成ってきたことを嘆いておられました。現役時代は生徒指導に立腰教育を取り入れた校長先生として有名です。退職後は立腰教育実践人研修会副会長として立腰教育に取り組んでおられます。
2002.12.21
1.腰骨を立てる
2.朝の挨拶は人より先に
3.はがき活用の達人となれ
4.足下のゴミを拾うこと
元実践人の家常務理事 寺田 一清先生(1927.3.15)
1990.3.17 勉強会にお招きしました。寺田 一清先生が38才の時森信三先生に出会い学んだ事だそうです。寺田
一清先生からは、多くのことを学びましたが
行わなくては
わからない真理がある。まず実践すること!が一番心に残っています。
2002.12.22
“ あなたの最高の良識を働かして下さい。”
小松島商工会議所会頭 平山
晃千(1947.6.8)
平山建設社長 平山
晃千さんは、社員には
常に自分の良識に恥じない仕事をすることを徹底して教えていますので素晴らしい社員が育っています。若い経営者ですが立派な経営姿勢に敬服させられます。なかなかの勉強家で船井
幸雄先生の一番弟子(私が思います)。学ぶことの多い尊敬すべき経営者です。
2002.12.23
“ 病気はなるべくしてなった。自分で治すこと。”
船井総研会長 船井
幸雄先生(1933.1.11)
1992.6.5 講演会で長生きのコツを学びました。経営の話だけでなく健康の話も船井 幸雄先生は
モデルは自然!自然の摂理から学べ!と教えてくれます。
人間も商品もすべて本物しか通用しないと正論を説きます。
2002.12.24
“ ハイ!喜んで・・・・します!”
LMP経営塾塾長 横井 悌一郎先生(1943.11.30)
1990.5.8
常念必現の講演会で聴いて心に残った言葉です。何を言われても、
ハイ!喜んでやります。これは素晴らしい事ですね。
人生はその人の考え方、やり方が決めるのです。サイン帳に
進歩無限と書いてくれました。
2002.12.25
“
多く知って行わぬより、少なく知って実行する方がよい。”
瑞巌寺住職 内藤 大然師(1940.12.25)
内藤 大然住職62才の誕生日です。禅友の会の一員として、毎月座禅と内藤
大然師の法話を聴いています。私へのおおいなる反省を込めて今日の言葉にしました。いつも
目の前のことに全力で!と教えてくれます。
2002.12.26
“ より良きことをするようにと病気を賜った。”
富士医院 石川 富士郎院長(1943.1.13)
平成5年に
体が踊れば心も踊る!脳血管障害などで手足の不自由な方もリハビリのため「阿波おどり」を楽しみましょうという趣旨の
『ねたきりになら連』を立ち上げ、今年は10周年になりました。1995.11.14 石川 富士郎先生ご自身が脳内出血で倒れ、様々な機能回復訓練の甲斐あってめざましく回復。患者の痛みがわかる医者として復活された時の言葉です。
何があっても良かったと受け止める事が出来る人素晴らしいですね。
2002.12.27
“
小川の水も、大きな河の流れもすべて受け止めて悠然と構えているのが太平洋であり、何事にも大きな心で対応すること。”
おがた光内装 尾形 光俊会長(1930.3.8)
シーマの会で色々ご指導頂いている国際派で、人生経験豊富な方です。昭和28年ブラジルへ移住、昭和39年帰徳までの11年間の体験から
物の見方、考え方が地球規模的でスケールが大きく大人の風格が感じられる尊敬すべき先輩です。
2002.12.28
“
小さいことを考えていると、人柄も小さくなってしまう。大きいことばかり考えていれば大きくなる。”
三洋電機創業者 井植 歳男さん(1902.12.28〜1969.7.16)66才
松下 幸之助夫人 松下 むめのさんの弟で、三洋電機創業者 井植
歳男さんの生誕100周年記念日です。ワールドワイドに活躍する企業にしようと、太平洋、大西洋、インド洋、三つの洋をとって三洋電機と命名した名経営者の言葉です。
2002.12.29
“
生きる勇気と希望と喜びを与えている限り、不況はない。”
エドガー・ケーシー研究家 光田
秀先生(1958)
1998.11.21 光田 秀(ミツダ
シゲル)先生の講演会で一番心に残った言葉です。
我々がやろうと思った瞬間、今すぐ変えられる!2002.12.30
“
出来ない理由をさがすより、出来る方法を見つける人が成功者となる。”
HR協会理事長 山田 宏先生
1995.2.9
講演会
ピンチはチャンスで聴いた言葉です。以来常に心掛けていますが、出来なかったのはやらなかっただけ!と反省することが多いです。2日後には2003年を迎える、さあ!心機一転来年こそ
出来ない方法をさがすより、出来る方法を追求しよう!と
2002.12.31
“
何がお客様へのサービスかを常に自分に問いかけなさい。”
松下 幸之助翁(1894.11.27〜1989.4.27)94才
私が脱サラして保険代理店を始める際、人生の師 松下
幸之助翁に名前を付けて貰いました。蟻馬は字が難しいから片仮名でアリマ、保険は漢字でないとイメージがわかないので漢字にしよう。サービスは何がお客様へのサービスかを常に自分に問いかけなさい。これを忘れないために社名にサービスを入れよう。株式会社は後がいい。アリマ保険サービス株式会社と決めて貰いました。今日は蟻馬に逢えて良かった!蟻馬の保険に加入出来て本当に良かった!と感動して貰うことが私はお客様への最高のサービスと考えて毎日営業活動に励んでいます。
完
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