零式艦上戦闘機

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試作機  12試艦上戦闘機

エンジンの出力(950馬力)不足を機体の軽量化で克服。海軍の要求以上の性能を獲得。
本来は空母に搭載される機体なので、生産機数は多くないと思って設計されている。
アメリカとの戦いが始まり、海軍の主力戦闘機になってしまった。
戦争終結まで大量生産されたが、生産工程がやたらと多い飛行機であったような。
手仕上げ中心で、熟練工の手になる芸術的な機体になってしまった。
アメリカのP51ムスタングの、生産工程は3倍で、手間のかかる生産になったようです。
ちなみにP51は、大量生産を前提として設計されています。
それでも1万機を超える生産数で、初戦は欧米機を性能で圧倒しています。
アジア人に飛行機は作れないと言われていた時代に、アメリカ・イギリスを恐怖に陥れた、「名機」に間違いはない。


11型
1940年に中国大陸で活動した機体。エンジンの振動からペラを3枚にして生産されている。


21型
ハワイの真珠湾攻撃時、空母「赤城」搭載機。   11型を空母で運用するように装備を追加した機体。


岩本徹三氏搭乗機
生涯で自己申告202機・公式80機の撃墜数を誇る。胴体後部が撃墜マークで赤かったらしい。


昭和17年6月に、アリューシャン列島で不時着している機体を米軍が発見。
評価試験を行い、長所・欠点を調べ上げて、対抗策を立てている。
   

32型
南太平洋海戦時の空母瑞鶴搭載機。  エンジンの出力を上げ、翼端の折りたたみ部を廃止削除している。


22型
ラバウル基地で活動した機体。  32型の翼端部を元の長さ12mに戻して航続力を伸ばした型。


52型甲
最多生産された型。現代のわれわれの目から見れば、大型のプレス機の導入や治具の改良で、
素人でも生産できる方法を採用できなかったのかと思う。
そうすれば大量生産が可能で、破損機の修理と部品交換も容易であったと思うが・・・。


52型丙
戦後、マレーシアで捕獲され評価テストされた機体。TMCクラブの展示会のテーマ「捕獲機」で製作。

62型



54型
エンジンを出力の大きい金星に積み替えている。時すでに遅しで量産1号機で終戦になっている。
配備されていれば写真のようにロケット弾を装備して、対地襲撃に使われたかもしれない。