2012  みちのく一人旅

退職して初めてのサイクリング。
4月下旬に徳島を出発。東京で数日を過ごし、その後新幹線で一関まで。
ローカル線でJR金ケ崎駅まで行きそ、こからサイクリングの旅をスタート。
2週間をかけてゆっくり南下してきました。

体力的にばてることを想定して一関・松島・仙台・宇都宮は連泊。
体力は問題なかったけど、悪天候にあい結果オーライでした。
2週間のサイクリングで晴れていたのは3日で、後は雨あられなどひどい天候でした。
いろんなことを想定して重装備になり、後から思えば不要な装備がありました。
            
            その代表: 電子navi・・・地図があれば迷うことはない 
                    電子辞書・・・現地に行けば看板に詳しく情報が書かれている
                    予備の靴下・ズボン・着替え・・・宿舎に入ってすぐ洗濯すれば翌朝は乾いている。
                                         
            自転車のパンクの修理道具は一度も使いませんでしたが、これは保険!


退職後のサイクリングで最初の訪問地 「胆沢の柵」。 
JR金ケ崎駅では、小雨模様。輪行袋から自転車を出して組み立てている間に小降りになってくる。
カッパなしで胆沢の柵に向けて出発。

 胆沢の柵は、現在は畑になっていて、ご覧のような杭が立っているだけでした。
ぐるっと一周しましたが、2方面は川の崖。生り物の木や畑が広がっていました。
サイクリングから帰ってから調べると、道路の反対側に資料館があったようです。

その後、北上川を渡りNHKの撮影地「えさし藤原の郷」見学。2時間は遊べました。
その後、元の道まで戻って平泉へ。


中尊寺 金色堂
金色堂はエアコンのきいた建物の中にありました。藤原4代の御遺体もミイラ化されてそこにあるそうです。

その後、毛越寺・義経終焉の地・無量光院跡など散策したが、数人しか観光客がいなかった。
かつて藤原氏はこの地でおおくの寺院を立てる財力があり、独立国家並の繁栄していたのかな。


達谷の窟毘沙門堂(たっこくのいわや)
平泉から10kmほど西に走る。
1200年前、この地を拠点に東海まで略奪に来ていた蝦夷:悪路王を征夷大将軍・坂上田村麻呂は討伐。
戦いに勝ったことに感謝して砦のあった場所に建立したと言われている。
戦いに負けた蝦夷側からは、権力に最後まであらがった英雄である。

お腹がすいていた記憶があるが、なぜかお腹が出っ張ている?

下の写真は毘沙門堂のHPから引用


一関から石巻へ

松島はブルーインパルスの町
航空自衛隊の基地を訪れましたが、「日曜日は見学可能ですが本日はできません。」と断られました。
ここは2m高さの津波に襲われて、F2支援戦闘機(ブルーインパルス)が、壊滅しています。


航空隊基地から近くにある石巻の被災地
この時は何で青色のこいのぼりがあるのか知りませんでしたが、宿のTVのニュ-スで理由を知りました。
亡くなった弟さんの弔いです。全国から賛同の方々から青の鯉が寄せられたそうです。
新築の家は外観は残っていましたが、ガラス戸が津波にやられて中は濁流が流れていました。
周りには、がれきの山がいたるところにありました。


ボランチアのおじさんがいて説明してくれました。遺跡は埋め戻されて土の中です。
数人の方の見学者がいましたが、みんな地震の事ばかり聞いていました。
近くに東北歴史博物館があり歴史的な意義を詳しく説明しています。



塩竃神社
階段が240数段あることは火野正平さんの番組で知りました。
サイクリングに疲れていた足は、階段を登りきるころにはブルブル震えていました。
ここは標高がありますが、海からここまでは津波に襲われて、車で避難の方が津波にのみこまれています。

石巻から仙台市まで海岸地を走りましたが、津波で被災した場所は沿岸部のみ。
標高の高い場所や内陸部は町並みは無事で、被災地との格差が激しいことに驚きました。


仙台 青葉城
仙台市内で宿泊。お城を目指す。
城壁の石垣が一部崩れていました。自転車だったので横を通してくれ、ここまで最短距離でこれました。
5月のゴールデンウイーク中なのでたくさんの人出でした。
写真を撮ったころは暑い陽気でしたが、この山から下ったとき突然空が暗くなり、ヒョウに見舞われました。
人生で初めての経験で、目の前の道路を親指大の白い氷がはねていました。
ヘルメットに当たった氷の粒がカンカン音を立てていました。


伊達家 歴代の廟  きれいと思ったら再建されたものでした。


角田のスペースワールド公園
仙台から福島に行く途中にあります。 客は私一人でさみしかったです。


会津  飯盛山
偶然に一緒になった地元出身の方が言うには「帰省するたびに変わっていく。」

福島の宿で天気予報を聞いていると、浜通り・中通り・会津の三つに分けていた。
なんでだろうと思ったが、サイクリングしてみるとよくわかった。山がその間にあり気候が異なるみたい。
この日は、晴れ間はなく大変蒸し暑い一日でした。


会津 鶴ヶ城
中の展示を見ると、いまだに薩摩・長州には敵意を持っているのが感じられます。
大手門では桜が満開でした。
来年この城を舞台にNHKで大河ドラマがあるそうでパンフレットがあちこちに見られました。


すぐそばまで来てるはずなのに場所がわからず、前の道を3往復してしまいました。
この地には白川城と白河城があり、地元の方に道を尋ねると「どっちのお城で」と聞かれました。

宿の近くの新白河駅の看板に書かれていました。
白川の3有名人・・・松平定信・沖田総司・小原昭介さんだそうです。


白川市から外れて旧街道経由で白河の関をたずねました。
歴史に登場する関ですが、義経の時代にはすでに場所がよくわからなくなっていたそうです。
義経が平泉から鎌倉に行く途中で、戦勝を記念して立ち寄っています。
しかし場所がわからず、ここらだろうと矢を松の木に射たそうです。

江戸時代に松平定信が再建したと看板に書かれていました。
来るまでは、峠にあるのかと思っていましたが、峠と峠の間の平野の中心にありました。
ほとんど人と会うこともなく那須方面に向かいます。


道の駅「那須与一」
なかでは私一人のために、源平合戦の形劇をやってくれました。
この一週間は天候が不順で、寒暖晴雨の繰り返しで、体がついていけません。
この後、さくら市で雲行きが怪しくなりまたヒョウに見舞われました。
昼食の時間だったので慌てて吉野家に飛び込みました。それぐらいの量でした。
、宇都宮市に入ると今度は、みぞれ交じりの大雨に会いました。
ずぶぬれで宿にたどり着きました。チェックイン前の時間でしたが、部屋に案内してくれました。


日光東照宮 修理中の陽明門
福島原発事故での放射能の影響で修学旅行生が来なくなったと聞いていましたが、1校出会いました。
ここを訪れると、他の神社仏閣が貧相に見えてしまう。
修理中でいたるところビ二ールがかかっていて残念な気持ちになりました。

東照宮の入り口にある五重塔  
家臣の庄内藩:酒井忠勝の寄贈。家臣といえども親藩は金持ちだったんだ


東照宮の左横にある、徳川家光の廟・大猷院に至るいい雰囲気の道 i
写真の右側が東照宮ですがこちらに人出はありません。


JR日光駅  いい雰囲気の駅舎でした。


帰りのフェリ-の待ち時間にお台場を一周してきました。
明日の昼に徳島につきます。
フェリ―の乗り場はここから自転車で15分ほどにある有明フェリ−ターミナルです。

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