徳島分教会の初代鈴木伊平は、明治17年、妻のチョウが患っていた疥癬を土佐卯之助先生におたすけいただいたことがきっかけとなり入信した。その後、熱心に信仰をするようになった鈴木伊平の布教により、お道は蔵本村から佐古町に延び、伊平を講元として講が結成された。この頃、卯之助先生は、鈴木の家に足を運び、また、時には何日も滞在し、集まってくる信者たちに熱心におてふりの手を教えた。
 伊平は、当時の撫養支教会で理事という立場をいただいており、明治24年7月26日、佐古集談所を開設の際、初代所長に任命された。
 紆余曲折ではあったが、明治27年1月29日、鈴木伊平を初代徳島出張所長として、末代の道の第一歩が踏み出された。
初代会長 鈴木伊平の入信
三代会長 三ツ井今太の入信、就任
 初代会長出直しと共に、後継者の問題が起こってきた。
 そんな中、大正5年4月29日、撫養大教会理事を勤めている岩朝脇次郎先生が、徳島支教会二代会長に就任のお許しをいただいた。後継者として徳島支教会部内に適当な人が無く、これまで徳島支教会の上に、撫養大教会の立場から、足繁く運んで下さり、物心共にご援助、ご丹精下さっていた関係から、こうした結果に落ち着いたことと思う。
二代会長の就任
教会史
(徳島分教会史より抜粋)
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