地域に開かれた鳴門教育大学の児童図書室 −20年のあゆみ− (2006年)

も く じ


開室20周年によせて   学長 高橋啓               
地域に開かれた鳴門教育大学の児童図書室 −その20年のあゆみ−   附属図書館長 田中雄三
「夢つつ深く植えよ」 −地域と大学をつないだ20年−   児童図書室長 佐々木宏子
 

 第1章 教育大学の中に地域に開かれた児童図書室をつくる .....1
   1 設立理念 −開室に向けて−(昭和59年11月)..... 1
   2 附属図書館運営委員会の図書館構想の中に「児童図書室」の設置が承認される (昭和60年11月)..... 4
   3 学科新設図書費が児童図書室開室準備のために計上される (昭和61年度) .....5
   4 児童図書室利用要項が策定される(昭和62年4月)..... 5
   5 児童図書室ボランティアの育成(児童文化研究会の発足)(昭和62年5月)..... 5

 第2章 地域に開かれた児童図書室の誕生 .....9    
   1 児童図書室の誕生−昭和62年5月から平成3年3月まで− .....9
   (1)児童図書室の配置 ..... 9
   (2)鳴門市およびマスメディアからの期待 ..... 10
   (3)恒常的な児童図書費の措置(昭和62年度より) ..... 10
   (4)附属図書館運営委員会選書専門委員会の中に「児童図書室選書専門小委員会」が設置される
      (昭和62年度より) ..... 10
   (5)学生ボランティアの悩み ..... 13   
   2 児童図書室の組織的整備がはじまる −平成3年4月以降.....13  
   (1)鳴門教育大学附属館規則の中に「附属図書館内に児童図書室を置く」と明記される
      (平成3年4月1日) .....19
   (2)児童図書室運営委員会と児童図書選書委員会の設置(平成3年4月1日)....19
   (3)「児童図書室運営規定」が策定されあわせて「児童図書室の管理運営について」が明文化される
      (平成3年4月1日).....19
   (4)児童図書室長の誕生(平成3年4月1日) ..... 19   
   (5)児童図書室利用要項の一部改正(平成15年10月1日) ..... 21

 第3章 児童図書室における活動の拡大と理念の推移 .....23
   1 児童図書購入費と選書の方針の推移 ..... 23
   2 児童図書室の活動内容の変遷 ..... 24
   3 フレンドシップ事業への参画 ..... 32

 第4章 学生はボランティアを通してどのように育ったか .....51
   1 児童図書室における学生達の日常 ..... 46
   2 児童図書室日誌から ..... 51
   3 私と児童図書室 −在学生、卒業・修了生から ..... 76

 第5章 地域との連携 −地域を育て地域から育てられる− .....83
   1 子育て支援 ..... 83
   2 利用者家族との交流と感想 ..... 91
   3 地域ボランティアの協力 ..... 94  
   4 図書館ネットワーク ..... 98   
   5 メディアとの関わり ..... 99
   6 森下雅子専属事務補佐員の14年 .... 106

 第6章 地域に開かれた児童図書室が残したもの 
   1 地域連携にとって最も大切なこと −地域からコーディネーターを−.....114
   2 教員養成の文化的・知的教育基盤を豊かに創る .....115
   3 事務職員との連携 .....117
   4 学生の主体的な活動を引き出すということ .....118

 巻末資料.....120   
   1 鳴門教育大学附属図書館児童図書室統計(蔵書数・登録者数・貸出者数・入室者数).....120   
   2 児童図書室のあゆみ(年譜).....121  
   3 児童図書室の中から生まれた修士論文一覧 .....123   
   4 児童図書室関連文献一覧 .....124   
   5 第147回 国会文教・科学委員会(平成12年5月16日)会議録資料 .....125   
   6 児童図書室ボランティア(延べ人数) .....126

 編集後記 ...127


「夢見つつ深く植えよ」  −地域と大学をつないだ20年− 

児童図書室長 佐 々 木 宏 子

 いったい、この小さな教育大学の小さな児童図書室は、20年の間に何を生みだし、それは新しい時代の大学のあり方にどのような示唆を与えたのだろうか。教員養成という特別な任務をもつこの教育大学に、どのような教育力を付与したのだろうか。この児童図書室に通ってきた子どもたちや保護者は、大学の児童図書室の何に惹かれて通ってきたのだろうか。ボランティアとして熱心に活動した学生・院生たちは、何を求めて通い続けたのだろうか。そして、教師として巣立っていった彼女(彼)らに、未来を創ることにどのように役立ったのだろうか。
 1987年(昭和62年)に開室してから約20年、この児童図書室の誕生からずっとこの空間を育て見続けてきた者として、何か大きな感慨はあるかと問われれば正直ドラマティックなものは「特にない」という答えがふさわしいように思われる。この児童図書室は、私がこの大学に赴任するにあたり今は亡き前田嘉明初代学長との約束の下に創設したわけだが、その設立の了解を得るため当時の一部、二部の諸先生方に話しかけたところさしたる強い賛成も反対もなく、ある意味では「寛容な無関心」と言う言葉がふさわしいようなスタートであり、それは現在もそのまま続いているように思われる。
 そのような中でたった一人、当時助教授ですでに他大学に転出された情報関係の先生が、「この児童図書室の理念とは何か? どのような方針で何を目指すのかを明確にされてはいかがか」というようなアドバイスをくださった。穏和で人間関係も良く、好ましいお人柄の先生であったので、「そうですね」というような生返事をしたのだが、その時の私の中には「いや、そうではない」という、柔らかな違和感が広がっていた。
 とはいうものの、文部省(現・文部科学省)への趣意書や教授会向けの設立の理念は書かねばならない。そのしかつめらしい文章は第一章の「設立の理念」に掲載しているのでご覧いただければ幸いである。これは、いわば柔軟に流動する実体そのものを防御する外皮である。理念という外皮は、内側に存在する多層性をもつ実体によってこそ生きる。
 「柔らかな違和感」を、その当時は言語化することが難しかったが、今はとても良く自覚できる。開室して数年目に、ある読書関係の雑誌から児童図書室について何か書いて欲しいといわれたとき「このように美しい自然環境に恵まれた大学には、海や山、それに花や風が当たり前のようにあるのと同じく、地域に開かれた児童図書室が静かにあればいい」と、書いた記憶がある。
 出発点のとき、読書が狭い意味の「教育活動」ととらえられることへの危険性をすでに認識していた。児童図書室が何かの明確な活動計画のもとに、それを「達成する」ことに走り始めると、子どもが本を読むことの本来の意味を保証する自由を損なうことを強く感じていた。ある意味では、明日に役立つ教育ではなく「夢見つつ深く植える」(メイ・サートン)営みである。教育大学の教育力を厚くする文化的・知的教育基盤の一つと言ってもいい。私は、児童図書室の意味はそこに集う人々が創りあげてゆくものであり、自律した文化空間としての発展と展開は、自ずからのリズムに任せればよいと考えている。



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