絵本は赤ちゃんから −母子の読み合いがひらく世界− (2006年/新曜社)
< 目 次 >

はじめに−絵本が赤ちゃんにもたらす時間   

第1章 つなぐものとしての絵本−聴くこと話すことへの強い好奇心          
 1 ストーリーテリングへの強い好奇心                                  
   (1) 「桃の子太郎」 の語りに合わせて口からぷくぷく泡をとばす                  
   (2) 「桃太郎」 のお話を反応も豊かに6分間集中して聴く                       
 2 オノマトペ(日本語の音韻・リズム・メロディ)への集中
   (1) 『もこ もこもこ』 は、いまや「赤ちゃん絵本」
   (2) 『ちへいせんのみえるところ』
   (3) 身体表現や童謡が好き
 3 電車と自動車絵本へのあくことなき執着
   (1) 1歳11ヶ月頃から、雑誌 『鉄道ジャーナル』 の定期購読者になる
   (2) はじめての長編幼年童話 『ぺんぎんたんけんたい』
 4 赤ちゃんと絵本を読み合う姿勢について

第2章 赤ちゃんの反応に驚く−「こーれは楽しいぞ!」
 1 赤ちゃんはオノマトペをリズミカルに歌ってもらうのが好き
 2 わたしが読んでいるのと同じ事をいいますね−言葉の母なる大地
 3 自分で絵本作りを始める
 4 主人公の心を読む (心の理論) −「今はからいけど、次は甘いよぅ! ほらね」
 5 「こーれは楽しいぞ!」 −赤ちゃんの反応に驚く
 6 「赤ちゃんって面白いなー」 −赤ちゃん発見
 7 「うん、おなじ」 −絵本の言葉と絵を応用して日常を解釈する
 8 絵本に描き (書き) 込みをして自分のイメージの足りない分を補う
 9 絵本の場面を日常の中に見いつけた!−生活を解釈する
 10 お母さんたちで絵本を読み合うサークルを作る 
 11 お祖母ちゃんは絵本を謡う−もうひとつの読み

第3章 自分も絵本に入り込む
−「こうやったらね痛くなかったかもしれない」
 1 絵本のストーリに自分の体験を織り交ぜてゆく−自分も 「落ちたよね」
 2 わが子にじっくり読んでみて繰り返すことの意味がつかめる
 3 月刊絵本の効用−親の好みで拘束しない
 4 一挙に20冊読まされた日の夜に陣痛が来て第二子を出産
 5 勝手に 「めくらないで!」 −文字に興味が出はじめて
 6 ビデオを見ているときは、話しかけても聞いてくれない 
 7 親子で呪文を唱えて共演した絵本 
 8 しつけにも役立つ絵本

第4章 お父さんが選んだ絵本−「俺は読むの下手くそだから」
 1 仕掛け絵本をおもちゃ代わりに遊ぶ
 2 お父さんからのお下がりの絵本
 3 初めて一人で読んだ本
 4 おばあちゃんから孫へ願いを託し手渡された絵本
 5 寝る前に同じ絵本を読んでもらうのは安心感を得るため
 6 お父さんが第二子誕生の生活に合わせて選んだ絵本

第5章 『はじめてのおるすばん』を実践する
 1 絵本の絵を描くのが好き−描くことで印象的なストーリーを抜き取る
 2 絵本を一人で読みたくて、字を覚える
 3 『はじめてのおるすばん』 を実践する
 4 『いないいないばあ』 −一緒に行動し、ともに何かをやる
 5 1歳半からパソコンを操作する
 6 パパは、 「俺は読めない」 と言う
 7 アニメーションからごっこ遊びの世界へ
 8 絵本を読んだり映画・アニメなどを見た後に 「どんなお話だったの?」 と、聞くようにしている

第6章 幼児は物事を考えたり見たりしている

 1 成熟が読み方の変化をもたらし、新たな内容の読みを開発してゆく
 2 絵本の読み合いを通して分かる異質な他者としての子ども
 3 ものの絵本も好き
 4 絵本の世界を日常の生活に再現し体験する−想像力で現実を創り出す
 5 言葉が実在するものと同じ力をもちはじめる
 6 幼児は物事を考えたり見たりしている
 7 私はウーフより、がまくんと遊びたい
 8 年齢不詳の主人公が問いかけるもの
 9 親の気持ちを穏やかにしたくて読む本
 10 幼児は多層性のある生活を生きる
 11 「そうやって思っていることの気持ちがいま届く」 −想像力への信頼
 12 ノンタン−オノマトペによるリズム・メロディ
 13 ときどきおそう強い疲労感− ときには大人の想像世界を生きたい

おわりに



はじめに―絵本が赤ちゃんにもたらす時間
 わが国で、赤ちゃんに絵本を手渡す「ブックスタート」(NPO法人)運動が2000年の「子ども読書年」をきっかけに2001年に始まってから、「赤ちゃん絵本」への関心は急速に広がりつつあります。そのような時代の流れの中で、よく受ける質問があります。それは、ひとことで言えば、「赤ちゃんが絵本を読むと、どのような効果が期待できるのですか?」というものです。
 このような質問を受けるたびに、わたしは口ごもってしまいます。質問された人はどのような答えを期待しているのだろうかと、瞬時にその人の職業や表情に探りを入れている自分に気づきます。このような質問を受けたときの違和感は、たとえば、大江健三郎の文学作品が好きな読者に、「彼の作品を読むことは、あなたにとってどのような効果がありますか」と尋ねたとき、その人が感じるであろうものと同じでしょう。
 おとなの読書はハウツーものもあれば、仕事に関わる専門書、教養書やエンターテインメント、いわゆる純文学や哲学書など、もうさまざまです。おとなはある一冊の本を選択するとき、自分がその本に何を期待しているかを自覚しています。じつは、赤ちゃんや幼児であっても、このことは同じであるとわたしは考えています。赤ちゃんも幼児も、自分で絵本を選びます。おとなは、さまざまな種類の絵本を子どもたちの前に差し出しますが、興味のない本には見向きもしません。とくに、1歳も過ぎると、電車絵本の好きな子、簡単な物語のある絵本を好む子、生活絵本の好きな子、わらべ唄の絵本を手放さない子など、子どもたちの選択はかなり明確になってゆきます。
 赤ちゃんであっても、「喜んで見る」、「まったく関心を示さない」という態度を示すことで、選択を行っているのです。それなのになぜ、赤ちゃんや幼い子どもには「効果」という一括りの言葉で、絵本に何かが期待されるのでしょうか。
 もうひとつ、わたしがなぜ「効果」という言葉に抵抗があるのかといえば、「効果」として期待されるものは、数値で計れるような類型の中に閉じこめられる場合が多いからです。そこには薬の効能や、運動の成果、それに脳生理学的な反応に見られるような効果と同次元の単純な感覚で、「絵本の効果」を論じる姿勢が見られます。
 それでは、親子で絵本を読み合うことにどのような「効果」もないのか、と問われれば、それは「無限にある」と言わざるをえません。
 子どもたちは絵本を読むことを通して多くの新しい言葉や言いまわしを覚え、人間の心を読むことを知ります。笑い、泣き、憤慨し、恐怖を覚えることで、新たな感情の存在を理解することもあります。2、3歳児が日々絵本を通して新しい単語を獲得してゆく様子には、目を見張るものがあります。また、繰り返し繰り返し読み、数ヶ月ほど経つと、絵本の中で経験した「おるすばん」や「はじめてのおつかい」に挑戦する子もいます。
 長新太のどのような言葉をついやしても説明できないユーモアを、一年後のある日、「その構造」が自覚できるやいなや、内側に持続し続けていたと思われる「そのこと」を、言葉や行為で鮮やかにおとなに向けて放つことがあります。そして、「どうだ!」と言わんばかりの表情で、ニヤッと笑いかけます。そのときに、読み手であるおとなとの間で共有できる驚きと感動は、ともに読み合った後に流れた子ども自身の歳月の重みから生じるものです。まさに、子どもの成長や発達の質的転換が、火花のように垣間見える瞬間です。このことを言葉で説明するのはとても難しく、「火花」を経験した者同士だけが確認できることなのかも知れません。
 幼い子どもにとっての絵本は、今日の「効果」もあれば、一週間後、一年後、三年後の「効果」をもつものもあります。まったく忘れ去られてしまい 、なぜその絵本が幼い頃に好きだったのかと問われても、本人自身が首を傾げたくなるような絵本もあります。絵本を読み合うことで、愛することの心を読み合い、人間関係の葛藤を読み合い、悲しみと喜びの感情を読み合い、戦争と平和を読み合い、不思議とつまらなさを読み合い、ユーモアや冒険・科学を読み合います。子どもたちは他者への想像力を働かせ、自分が必要とするものについての自覚を始めます。
 同じ一冊の絵本であっても、親子で読み合うときと友だちと読み合うときでは、異なった感情や雰囲気が醸し出され、ストーリーですら変わって感じられることがあります。また、同じ絵本を子どもとして読んだとき、母として読むとき、祖母として読むときでは、向き合う者との関係で、絵本は、さらに異なった扉を開けて見せてくれます。そのことは逆に言うならば、幼い子どもにとっての絵本は、それを読み合う人との関係で異なったものとなるということです。
 もっと他にもあるかも知れませんが、わたしにはこのようなことが思い浮かびます。社会が複雑になり、しかも目には見えにくい個人的なレベルでの情報が錯綜する中で、子どもの発達現象を分析し、輪郭を与えることはますます難しくなっています。このことを切り口を変えて、もう少し考えて見たいと思います。
 近年、自然破壊が進行する中で、自然がおとなや子どもたちに育むものについての喪失が語り合われることが多くなりました。たとえば、子どもたちが美しい里山で暮らすことや、海辺で夕陽を眺めることは、どのような発達的「効果」があるのでしょうか? また、四季折々の花やさまざまな種類の樹木が育つ森の中で暮らすことは、子どもの成長にどのような教育的「効果」をもたらすのでしょうか? このように問われれば、多くの人は「効果」という言葉に違和感を感じることでしょう。たしかに子どもたちは、森の中に住んでいればたくさんの植物の名前を覚え、どれが食べられてどれが毒を持っているかなどの生態を知り、自然の中で生きてゆく知恵を身につけるかも知れません。海辺の近くであれば、四季折々の気象の変化や漁師の人々の暮らし、市場における魚の値段の変化も気になることでしょう。
 しかし子どもたちを取り巻く環境は、多様で複雑な物理的・自然的かつ歴史的・文化的な財 (蓄積されたもの) により構成されているわけですから、それが同じように複雑な生い立ちや個性をもつ子どもにどのような「効果」を及ぼすのかと問われても、すぐには明確に答えられるものではありません。このことは絵本の「効果」と同じなのです。ですから、わたしは「効果」の言葉の前に立ち止まってしまうのです。
 子どもたちとともに暮らしていると毎日が日常の些事の連続であり、多くの母親は、「ときには一人の時間をもちたい」と、切実に願います。それほど離れがたく分かちがたく向き合っているにもかかわらず、ふと気がつくと、子どもは成長し大きくなっています。じっと見続けていたにもかかわらず、子どもは一体いつどこで成長し、大きくなってしまったのでしょうか。
 大切なことは、一冊の絵本を読み合うことにより、そのとき読み合う二人の間でどのようなことで笑いと驚きが生まれ、悲しみあるいは幸せの感情に包まれたかを、反芻し味わうことではないでしょうか。そこで問われるべきことは、たった一度しか流れない赤ちゃんの時間について語り合うことであり、親子の間には、これほど豊かで不思議な時間が存在していたのだという事実の確認こそが、意味のあるものではないでしょうか。
 絵本は効果を問いかけるものではなく、絵本を読み合うことでどのような楽しい時間が創り出せたのか、どんな発見や冒険をしたのか、ユーモアに満ちた不思議な時間は存在したのか、子どもの内面世界で何が変わってしまったのか、などについて、語り合うべきものではないでしょうか。
 ビジネス旅行ならばともかく、世界遺産を訪ねる長い旅を終えて帰ってきた人に、今回の旅はあなたにどのような成果や効果がありましたかと尋ねる人はいないでしょう。人は旅行者に、何に出会い感動し、どのようなことを発見し考え、自分の中にどのような対話が引き起こされたのかを知りたく思うものです。そして何よりも、そのような時間をもつことができた人を、大いにうらやましいと思うものです。
 わたしが本書で意図したことは、これと同じです。おとな (親や保育者など) は、赤ちゃんとどのように絵本を読み合い、それは二人にとってどのような時間であったのか。毎日毎日、あんなにも密着して過ごしていたはずなのに、いつの間にか幼児期を通り抜け小学生になってしまった子どもたち。過去を「成果」という小さなキーワードから眺めるのではなく、二人が絵本を仲立ちにして過ごした時間を記録にもとづき明らかにすることで、赤ちゃんから幼児へという瞬きにも似た短い時間を、そのまま表してみたいのです。
 少子化時代に赤ちゃんの存在は、ますます目にし、触れることが希になってゆきます。わたしたちは、人生に赤ちゃんという時間があったことすら忘れてしまいそうです。その希薄感から生じるさまざまな問題が、若い人たちを混乱させ、悩ませています。この本を通して、赤ちゃんとはこんな存在なのだということを、少しでも味わっていただけるならば幸いです。
 さて、本書のデータの収集方法についてですが、すべて事例研究です。
 第1章は、誕生後からの赤ちゃんの追跡記録です。この研究では、平成14年生まれの一児を選び、かなり詳細に追跡しました。現在、20巻のDVD映像記録が収集できており、平成17年10月現在も継続中です。東京在住の赤ちゃんで共同生活をしているわけではありませんので、保護者である両親に記録を依頼することを中心にしながら、年6回程度直接会い、映像と面接・観察記録を取りました。
 第2章から第6章までは、アンケート調査を土台にしたインタビュー (聞き書き) 記録です。大量のアンケート用紙にもとづく調査は、赤ちゃんと絵本の出会いや好きな絵本など、大まかなアウトラインを掴むのに有効ですが、残念ながら、赤ちゃんの内面へと迫ることはできません。本書で紹介する事例の対象者は、195名の一次的なアンケート調査 (平成15年7月25日) の結果、赤ちゃんと絵本の関わりについて優れた観察と記録 (記憶) の持ち主である母親15名を選抜し、本書にはその中の5名の追跡インタビューを収めました。インタビューは、赤ちゃんの頃からとてもよく読んだ絵本を当日持参いただき、時期の早い順番から一冊ずつページをめくりながらお話しいただきました。インタビューの場所は、すべて札幌A幼稚園です。また、母子の年齢は、すべてインタビュー当日のものを記しています。
 日本では「赤ちゃん絵本」という場合、一般的には0、1、2歳児までの子どもを対象にした絵本を指します。本書の中で「赤ちゃん絵本」という言葉を使う場合は、そのような意味であることをお断りしておきます。しかしこの定義も、おそらく近いうちに変化する可能性があります。なぜならば、一括りにされていた赤ちゃんと絵本の関わりが少しずつ解明され始めたために、今後は、意味の世界へと入る前の絵本が「赤ちゃん絵本」として細分化される可能性があるからです。しかし、そのことは年齢・月齢による分化というよりは、赤ちゃんひとりひとりの成長や個性が異なるために、もっと別の名称がふざわしいということになるかもしれません。
 最後に、今回のインタビューに応じてくださった皆様に心よりお礼を申し上げるとともに、登場人物はすべて仮名であることをお断りいたします。



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