平成26年10月22日更新 「あれから3週間」 独りで愛車を運転し、関西一円の陶芸産地を回ってから3週間が過ぎてしまった。そこで感じたことは、産地として生きていく、つまり生活のために陶芸をするということは均一性と大量生産を行う技術がどれだけ確立しているかがとても重要だということである。 同じ大きさ、同じ品質の品物を作らないと大量の注文を受けることができない。それがプロの技術であり、プロの誇りでもあると思う。そうした大量生産の工程から外れたところに芸術としての陶芸があり、彼らは陶芸作家などと呼ばれている。 これは、嗜好や需要の関係で、誰もが芸術的作風の器を欲しがっているわけでなく、経済的事情や陶芸への関心度の高低から用を満たせばなんでも良いという人は世間にはたくさんいるものだ。 しかし、私は芸術としての陶芸の道を志したい。それを可能にするだけのものを私は秘めている。その自信を再確認した独り旅であった。 荒川豊三氏の志野茶碗、高潔な気品が漂う |