まくあい
 


徳島市民劇場機関紙                           

 

 

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『真夜中の太陽』  2016.01

 

SFファンタジー、特にタイムスリップものには目が無い。 

ただ「戻った過去で親を殺せば自分自身が生まれない」いうタイム・パラドックスが起きるので、時間旅行はありえず、過去を変えることなどできないのだ。

この舞台のハツエ婆ちゃんも、空襲のために15歳で亡くなった11人の級友を救いたいという思いが募りに募って「夢」を見たのかも…。

 

『父と暮せば』の娘や、『月光の夏』の元特攻兵みたいに、「自分だけ生き残って申し訳ない」との「負い目」もあったのだろう。

しかし、いずれもが辛い過去を乗り越え気持ちが整理されて、新たな人生に向かっていくのだ。

 

終幕で観客はフルコーラスに包まれ、深い感動を味わうだろう。 

そして元西独W大統領の「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」という名言を胸に刻みこむことだろう。

A首相にも観させたい珠玉の舞台!

 

 

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『王女メデイア』  2015.11

 

幼時から日本や世界の神話が好きで、B級映画『アルゴ探検隊の大冒険』も鮮明に覚えている。 勇者イアソンとその軍団の奇想天外な物語だ。

 

ゴジラや大魔神より巨大な青銅の魔人、ヤマタノオロチに似た七頭の大蛇、その歯から生まれる骸骨戦士などの怪物を次々と退治し、美女メディアの助けで念願の「黄金羊皮」を手に入れるというギリシャ神話の世界。

 

今回の舞台は、その後日談ともいえる悲劇で、「アルゴ号凱旋」から10年後の設定だ。

夫婦は二人の息子と安穏な生活を送っていたが、青天の霹靂。 出世に目が眩んだ夫が妻子を棄てて権力者の娘と婚約する。 

烈火の如く怒り狂う妻。 そして凄まじい愛憎の果てにメディアが出した結論とは?!

 

日本神話「古事記」編纂の千年も昔、紀元前のギリシャでは、こんな舞台を「国立劇場」で楽しんでいたのだ。 当時の日本はまだ縄文時代…。 (三)

 

 

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『芝浜の革財布』  2015.09

  

熊五郎が革財布を拾った芝浜は、東京・山手線の田町辺りとか。 江戸時代はそこまで湾が入り組んでいた。

 

拾った50両は今でいえば約一千万円。 小判の価値は時代によってかなり変動するが、ま、庶民が目を剥くほどの大金だ。

賢い女房お春は大家と相談し、夫には夢だと思い込ませて内緒で奉行所へ拾得物届け出。 落とし主が現れず一年後に払い下げられても、まだまだ秘密。

 

そして「夢」から三年後。 何と夫婦は貧困を脱して小奇麗な店を構えている。 

いかに禁酒禁煙・粉骨砕身・刻苦勉励・粒粒辛苦の四字熟語生活に徹したとしても、現実には絶対無理な「成功談」だ。

 

しかし元々何でもありの落語の世界。 素直に、定評ある前進座の芸達者ぶりと、「夫婦愛」の情感をしみじみと味わえばいい。

 

そうそう、次例会『王女メディア』が描くのは凄まじい「夫婦の愛憎」だ。見応えある対照の妙。(三)

 

 

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朗読劇『月光の夏』  2015.07.17

 

70年前の戦争ではアジアで二千万人、日本人は310万人もが犠牲になった。

この世の名残にピアノを弾いて特攻出撃した若者を含め、あたら無数の才能と未来が奪われた。

 

ファシズムが敗退したのは歴史の必然かもしれないが、過酷な戦争をくぐり抜けて多くの人々が生存しているのは、様々な偶然や奇蹟といえるかも。

この僕だって、父がシベリヤ抑留から無事に帰国してなければ、生まれてはなかった…。

 

だが、平和や平穏な暮らしが「奇蹟」であってはならない。 それが当たり前で、誰もが「普通の人生」をまっとうできねばならないと思う。

現代日本のきな臭い動きに眉をひそめている人は、きっと大多数だろう。 集団的自衛権とかで再び「海外で殺し殺される国」にしてはならない。

 

だから僕は、憲法を破壊しようとする政治家に対して激しい怒りを覚えるのだ。まさに「激昂」の夏。(三)

 

 

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『十二人の怒れる男たち』  2015.05.11

 

「冤罪」といえば徳島では「ラジオ商殺し事件」がまず思い浮かぶ。 それを描いた映画『証人の椅子』を観たのは、香川の高校生の頃だ。

 

前後して『十二人の怒れる男』もハラハラしながら観た。

しかし、事実は小説より奇なり、富士茂子さんの雪冤=無罪確定までには、それから20年かかった…。

 

冤罪を生む要因には、古今東西を問わず、司法側の思い込みや偏見、誘導・強制による「自白」がある。

だからそれを無くすには、取り調べをすべて録画する「可視化」しかない。

 

今回の舞台で犯人とされた少年は、陪審員の一人(8番)の最初の一言が無ければ理不尽な死刑になっていた。

無辜(むこ)の命を救った「民主主義の力」をみんなで目撃しよう。

 

そして全体、彼ら十二人は何に対して怒ってるのか、と考えるのも一興かもしれない。 まさか、平和と暮らしを壊す政治に対して、じゃないだろうけど。

 

 

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『うかうか三十、ちょろちょろ四十』  2015.03.10

 

 

井上ひさしさんの名著「子どもに伝える日本国憲法」に、「戦時中の日本人男性の平均寿命は23.9歳だった」とある。

いかに戦争での犠牲が凄まじかったかということだ。

 

それはさておき、今回の奇妙なタイトルは、主人公の「バカ殿様」をヤユしたもので、「ウカウカしてるまに30がきて、チョロチョロしてたらすぐ40になるよ」ってこと。

 

長く続いた「人生50年」の時代では、死さえ目前だったのだ。 24歳にして、こんな冷徹と警世の眼を持っていた作家はやはり希少だろう。

 

以前「こまつ座」で観た同作品では、「権力」がばらまくウソや幻想の「罪」をも感じたものだが、今回の舞台には、三年前の『怪談牡丹燈籠』のように、人形劇ならではの一味違う魅力と深みがあることだろう。

 

さて、今日いい芝居を堪能し、明日からまた「うかうか60、ちょろちょろ70」の人生を楽しんでいこうか。 (三)

 

 

 

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『をんな善哉』  2015.01.21

 

 

いいタイトルだと思う。 

現代では、「を」という字は助詞でしか用いないのに、あえて旧字にしたのは、甘味処の「老舗」を象徴しているのだろう。

そして「善哉」は、汁粉の「ぜんざい」と、賛辞である「善きかな」をかけているのだと思う。

 

思いがけなく受け継いだ老舗を守るために女性が奮闘する話と聞いて、昔のTV『細うで繁盛記』を連想した向きもあろうが、若いOLたちの婚活と新たな出発を描いた、昨年9月例会『女たちのジハード』の方に近い気がする。

 

そしてあの彼女たちよりも一回り以上の年齢と社会体験を重ねた主人公だけに、その困惑や悩みがいっそう身近に感じられ、「焼け棒杭に火」の予感に揺れる女心も後押ししてあげたくなるのだ。

 

喜劇タッチながら、しみじみとした味わいが残る舞台なので、つい「いとをかし」とつぶやき、ぜんざいを味わいたくなるかもネ。 (三)

 

 

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 『OH!マイママ』 2014.12.01

 

 

ガン細胞って笑うほど減少するらしい。そんな霊験あらたかな?大笑・哄笑・爆笑必至の一級喜劇だ。

これほど笑えるのは、徳島市民劇場54年の例会群からも、すぐには思い浮かばない。

 

ある父子家庭に軍人が訪ねてくる序幕から軽快にしてサスペンスフル。 そして一幕の終盤では「驚愕の秘密」が明かされる。

しかし、それさえホンの序章。 二幕こそが見せ所で、ドンデン返しの連続なのだ。

 

昔の「怪人20面相」や「ある時は片目の運転手」も比じゃなくて、「実は…、実は…、実は…」が続く。 こんなの「実話」ではありえない。

 

劇団創立者の故・賀原夏子さんが追求し続けた「シャレた娯楽作品」。 今回も完成度が高く、これぞNLTの独壇場だ。

たいていダジャレで終わる僕の拙文と異なり、終幕にも味わい深いオチが待つ。さあ、こんな言葉を準備して見届けよう。幕切れに「あ然」。  (三)

 

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『女たちのジハード』 2014.09.27

 

低賃金で重労働の非正規雇用が全労働者の4割近くにまで増えているそうだ。

この舞台の主人公(5人のOL)もまた、いささか恵まれた待遇とはいえ、「使い捨て」であることに変わりはない。

 

しかし、劣化する職場環境の中で先行き不安を抱える彼女たちは、焦りもがきながらも、それぞれに転身や再出発を果たす。

観客は、自分や家族の姿を重ねて親近感を覚えエールを送りたくなるだろう。 そして逆に、励ましや勇気を受け取るだろう。

 

誰もが様々な節目ごとに、選択し、決断し、実行することが求められるのだ。 かけがえのない「自分の人生」を作り上げていくために…。

 

「成熟」を象徴するような真っ赤なトマトが強く心に残る。

キナ臭くて暮らしにくい時代ではあるが、女たちだけでなく「老若男」こぞって逞しく生き抜くこと、それが私たちの「聖戦」と言えるかもしれない。(三)

 

 

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『風と共に来たる』 2014.07.22

 

その昔、「市民劇場まつり」というのがあった。

「寸劇」大会が柱で、ロミジュリをもじった「トミオとユリエ」が登場し、『レ・ミゼラブル』のガンバルジャンや『守銭奴』は現委員長が圧倒的な演技を見せた。

アルジャーノンならぬ『ある中年に花束を』では、現鳴門市民劇場の事務局長も美人?看護婦を熱演したものだ。

 

パロディーといえば、今例会のタイトルも秀逸だ。

原作は、南北戦争という「大風」と共に南部の貴族社会が時代から消え去った、という意味らしいが、舞台は、その映画創りに苦心惨憺する男たちの5日間を描く。 

 

あの大作映画がすごい難産で、台風みたいなテンヤワンヤから生まれた、ということなのだろう。まさに『風と共に来たる』だ。

困難にめげず、「Tomorrow is another day」と奮闘する彼らの姿が目に浮かぶ。(三)

 

 

 

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『見上げてごらん夜の星を』 2014.05.12

 

司法書士のおじさんがスキップしながら帰っていった『おれたちは天使じゃない』、

忍び寄るファシズムにゾクゾクさせられた『洪水の前』、

セクシーだった『死神』など、いずみたくの「和製ミュージカル」に、どれほど僕らは心を揺さぶられたことか。

 

「日本の日本人のためのオリジナルミュージカルを創りたい」、

「舞台を観た後に一曲でも口ずさんで帰ってほしい」と言い続けた彼の情熱が、あまたの名作群に結実した。

 

今回は、その原点、記念すべき第一作と名曲の「誕生物語」でもある。

当時の日活映画のような淡い恋物語は、多くの会員に自分の青春時代を思い起こさせるだろう。

 

今は「夢と希望を持って」生きていきにくい時代ではある。

しかし、「郷愁と感動」は明日への活力を生むはずだ。 きっと、あの夜の堅物のおじさんみたいに。(三)

 

 

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『片づけたい女たち』 2014.03.22

 

最初に観た時、「片づけられない女たち」と勘違いした。

当時、「片づけ苦手の一人暮らし女性」が話題になっていたからだ。

 

その典型みたいな部屋を目にする幕開きでは、今回もきっとどよめきが起きるだろう。

「私の部屋はこれほどでもないわ」と思いつつ、テンポよい展開にぐいぐい引き込まれていくことだろう。

 

浮き彫りにされる彼女たちの「三者三様の悩み」に同情したり共感を覚えたり…

そしてすぐに、殆どの観客は、この題名が「片づけたい(問題を抱えている)女たち」のことだと気づくのだ。

 

この永井愛さんならではの「喜劇」は、多かれ少なかれストレスを持たざるを得ない現代人の心情に、ピッタシ寄り添う。

大変な時代だけど助け合って生きていかなきゃネ、という励ましのメッセージが、誰の胸にも優しく響くに違いない。

 

 

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『ロミオとジュリエット』 2014.01.27

 

「ロミジュリ」は、古今東西数多ある悲恋物語の中でも、知名度は群を抜く。

市民劇場では、80年にシェイクスピアシアター、93年に東演・ロシア合同の公演があった.

ミュージカル映画『ウエストサイド物語』や、可憐なオリビア・ハッセー版も懐かしい。(後に布施明と結婚したので僕は冗談でオリビア・フッセーと呼んでいたっけ)

 

ただ、ロミオが16歳でジュリエットは14歳直前だとか、初対面から死までがたった5日間だとかは、意外と知られていない。

二人が恋に落ちる舞踏会と有名なバルコニー場面は日曜夜で、月曜にはロレンス神父の前で内密の結婚式。

その帰途の諍いでロミオが彼女の従兄弟を殺し、その夜に二人は結ばれる。

 

火曜に彼が出奔した後、ジュリエットが神父の立案で仮死薬を飲むのはその夜だ。 そして二人の死は木曜…。

やはり芝居も現実も、慌ただしさは「勘違いの悲劇」の元かもネ。(三)

 

 

 

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『はい、奥田製作所。』  2013.11.26号 

 

【感想のまとめ】

 

失業や倒産など「現実」があまりに酷いだけに、いま中小企業を題材にするのは難しい。

「職人の心意気と団結と高い技術力」で苦境を脱するという話は、ややもすると「ご都合主義」展開になりやすいからだ。 

 

しかし、それは杞憂だった。

よく練りあがられた脚本と堅実な演技、丁寧な演出によって、好感度・満足度の高い舞台になったのだ。

父子・夫婦の葛藤も舞台に膨らみを持たせた。

 

会社と家族の「破たん寸前の危機」からの立ち直りが、舞台に温かい空気を充満させて、「幸せな気分」で帰路に着く会員が大半だったようだ。

後でジワ〜っと泣けてきたとか、86歳の鈴木瑞穂さんから元気をもらったとかの声も多く耳にした。

 

しかし、無数の「○○製作所」などに大打撃を与える消費税増税=悪政には、やっぱり腹が立つ。

 

 

 

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『モリー先生との火曜日』  2013.09.12

 

鳴門市民劇場15周年記念講演会で、高畑淳子さんが「役者を続けられたのは加藤健一さんのおかげ」と話していた。

彼に誘われた二人芝居『セイムタイム・ネクストイヤー』が無ければ今の私は無かった、と。

 

その名舞台を含め、市民劇場例会でも語り草の『煙が目にしみる』などすべてが、彼のプロデュースということに今更ながら驚嘆する。

ここまで見事に演劇の制作と主演を両立している人を、私は他に知らない。

絶えず「ネクストワン」を考え続け、毎年200冊以上の戯曲や小説を読むというのは有名な話だ。

 

かつて高畑さんに「人生の転機」をもたらした「カトケン芝居」は、今回の観客にもやはりユーモアを交えつつ、真摯な問いかけを発する。

君は自分に満足しているか、自分自身に恥ずかしくない生き方をしているか、ちゃんと人間らしい生き方をしているか。

モリー先生が遺す「人生授業」を、私もまた生涯忘れないだろう。 (三)

 

 

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『ハムレット』  2013.07.17

 

「3時間5分」を短く感じることだろう。

演出・ベリャコービッチさん独壇場の、音楽と照明を自在に操る技と力に、誰もが瞠目し魂を掴まれる。

 

速いテンポの展開と、シェイクスピアならではの名台詞も堪能したい。 この名作を初めて観る人にも、聞き覚えのある台詞が飛び交う。

 

例えば「弱き者、汝の名は女」。 これは父の死後二か月もたたない内に叔父と再婚する母親への失望と非難。

 

さらに「尼寺へ行け、尼寺へ」は、恋人オフィーリアへ放たれる罵り。 これが元で彼女は精神のバランスを崩してしまうのだから、罪なことだ。

 

そして世界一有名な「生きるべきか、死すべきか」は、仇討を逡巡する青年ハムレットの優柔不断?と苦悩の吐露。

今回の劇団東演バージョンでは、これら珠玉の「言葉、言葉、言葉」が、どう翻訳され、ロシア語とどう絡み合い、どんな効果を生むかも大きな見どころだ。

 

悲劇的結末を見届ける観客も「後は沈黙…」。 

 

 

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音楽劇『わが町』  2013.05.13

 

日米開戦の3年前(1938)に米国で初演されて以来、この珠玉の名作が世界のどこかで上演されていない日はないという「伝説」を、

「労演」の会員になった頃に耳にした。

 

爾来(じらい)40年、アマチュア公演でさえも観る機会を得ず、僕の「幻の舞台」になりかけていたのだが、数年前についに演劇倶楽部『座』で初見。

これまで数百本の観劇歴の中でも別格的な感動に包まれた。

 

それが時を経ずして俳優座劇場制作により、世界でも初の?「音楽劇」として登場したのだから、喜び勇んで上京したのは当然だ。

それは二年前の3月11日だった。 

 

あの震災で、残念ながら公演は中止になったのだが、

直後から巷にあふれた「絆」の大切さや、ごく普通の生活・日常の素晴らしさが、この舞台のテーマと符合して、不思議な感慨を覚えたものだ。

 

幕が下りた時、誰もが思うだろう。

「わが町」で「ありきたりの人生」の「かけがえのなさ」をかみしめつつ、生きていきたいと…。

 

 

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『夢千代日記』  2013.03.18

 

今村文美さんのことを、僕らは多大の親しみを込めて、「あやみちゃん」と呼んでいる。

さすがに叔母の「いづみさん」には「ちゃん」づけはできないが、思うに、前進座って親しい役者さんが最も多い劇団ではなかろうか。

 

特に文美ちゃんは、徳島と縁が深い。

旦那様が、徳島市生まれ・阿南高専卒・民間会社経由で役者になった「山崎辰三郎さん」なのだ。

 

羨む向きもあろうが、夫婦で役者を続けながら子育てする苦労は、並大抵ではなかったと思う。

子供さんが幼い頃に旅公演へ出る時などは、よく国府町の「辰ちゃん」のお姉さん(会員の安原幸子さん)へ預けに来られたとか。

 

新婚当時の二人の旅日記でもあれば、かなり読み応えがあるだろうなあ。

 

今はどの劇団にも旅公演ブログがあるし、僕もHPに日記を書き続けているが、重みや深みは無い。

病状と交友を書き綴った夢千代さんの日記には、優しさと強さがびっしり詰まっているようだけど。 (三)

 

 

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『中西和久のエノケン』  2013.01.26

 

♪俺は村中で一番〜とか、♪狭いながらも楽しい我が家〜など、あのダミ声と咳払いをよく覚えている。

白黒スクリーンの中を所狭しと走り回る姿も焼き付いている。 

 

しかし、それも僕たち団塊世代が最後だろう。 

榎本健一ことエノケンは、僕らにはチャップリンを彷彿とさせた。

 

病気で右足を切断した後の義足で奮闘する姿には痛ましさを覚えたが、その数年前に愛息を亡くしていたことは知らなかった。

 

今回の舞台は、そんなエピソードをちりばめ、

稀代の「喜劇王」の生涯を、戦前の浅草オペラでのデビューから、喜劇役者に転じての絶頂期、不遇な晩年までを一気に見せる。

 

まるで中西和久さんにエノケンの芸と魂が乗り移ったかのような、衝撃的なものになるだろう。

ジェームス三木さんの作・演出が冴え、若手役者たちが熱演し、最後の最後まで楽しめる。

 

でも、長年の飲酒癖での肝硬変が死因だと知って、シィーンとなる人もいるかもね。 (三)

 

 


ミュージカル『楽園』  2012.11.15

 

ハワイ大好きの知人がいる。 もう10回は行ったがやはり独特のパラダイス気分を味わえるという。

この「地上の楽園」で正月を迎える芸能人も相変わらず多い。

 

しかし、暢気そうな彼ら彼女らは、かつての日本人移民の辛酸を知っているのだろうかと、ふと思う。

明治元年から始まった移民政策は、様々な悲劇を生んだ。

 

日系移民はひどい人種差別を受け続けるのだが、特に1941年(昭16)真珠湾奇襲による日米開戦が、更なる苦難をもたらす。

彼らは、米国への愛国心を証明すべく、勇猛果敢な米兵となり最大激戦地へと赴くのだ。

 

今回の舞台にも、そういう日系青年が登場する。

 

原住民である美しい恋人のもとへ無事帰れるのだろうかとドキドキさせられるが、そこは定評あるスイセイ・ミュージカル。

ファンタジックな幕切れを用意するのだ。 ♪君といれば〜ただそれだけで〜楽園♪

 

 

 


『怪談 牡丹燈籠』  2012.09.24

 

怪談映画はよく見た。 

「牡丹燈籠」のカランコロンという下駄の音や、「番町皿屋敷」のイチマ〜イ、ニマ〜イという声にゾクゾクした。

 

しかし、化け猫など妖怪変化と違って、

お露さんやお菊さん、「四谷怪談」のお岩さんには、子供心にも怖さとともに哀れさを感じたものだ。

 

そんな「怪談児」が快男児?へと長じるにつれ、

主役の幽霊とその関係者?の織り成すドラマをいっそう面白く感じるようになった。

 

中でも『怪談 牡丹燈籠』は特に接する機会が多く、加藤健一事務所や文学座の公演を楽しんだ。

杉村春子の米・峰の二役が印象深い。

 

そしてプーク版では、落語家の林家正蔵(後の彦六)が人形と共演した。

その名舞台が三年前に劇団80周年記念として大きく生まれ変わり、今回の例会が実現したのだ。

 

人形浄瑠璃の本場・徳島の会員も、ほとんどが、その斬新さに驚嘆することだろう。(三)

 

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『東京原子核クラブ』  2012.07.04

 

歴史にIF(もしも)は禁句だとされているが、仮定や空想の世界を楽しむのは罪がない。

もしも信長が本能寺で死んでなかったら、なんて考えるのは、荒唐無稽で面白い。

 

怖いIFもある。

かつての大日本帝国やヒトラー・ドイツがアメリカより先に原爆を完成させていたら、欧米やアジアに投下されていたかも…。

実際に、戦前の理化学研究所が軍部の依頼で原爆開発を進めており、

資源と資金不足で後れを取ったものの、技術・能力の差は紙一重だったとか。

 

今回の舞台は、爆笑エピソード満載の、あくまで楽しい青春群像劇ではあるが、

終幕近くに、科学者の性(さが)ともいうべき苦悩や困惑が描かれ、「科学のあり方」を問う場面もあって、秀逸だ。

 

芝居から飛躍して、いま僕は思う。

もしも世界から核や原発を無くせたら、って。 ぜひ、そのIFは仮想でなく現実にしたいものだ。

 

 

 


樫の木坂四姉妹  2012.05.24

 

原爆がテーマの例会は多い。

20歳で観た『ゼロの記録』(民藝69年)は、白黒ドキュメンタリー映画のようだった。

 

『銀河鉄道の恋人たち』(同73年)は、若かりし米倉斉加年と樫山文枝が宇野重吉と師弟共演。

『泰山木の木の下で』(同647492年)は、北林谷栄の代表作となった。

 

心揺さぶるミュージカル『はだしのゲン』(木山事務所03年)は、山川町でも特別例会。

直近では、井上ひさしが遺した『父と暮せば』(こまつ座2011年)の評価ガ高い。

 

以上はすべてヒロシマが舞台で、今回は例会初のナガサキ。

といっても硬い重い暗い作品ではないし、まずは新劇界を代表する三女優の徳島初共演&競演を楽しみたい。

 

そうそう、被と被、漢字では一字違うがチェルノブイリを描いた『石棺』(俳優座+新人89年)は鮮烈だった。

これは再を望むが、あのフクシマの再だけは絶対お断り。(三)

 

 

 


静かな落日  2012.01.17

 

1949年に連続して引き起こされた、国鉄の「下山・三鷹・松川」三大怪事件には、昔から関心があった。

といっても当時は1歳(笑)。 だから記憶が始まるのは、松川全被告の無罪が確定した15歳の頃だろう。

 

そして、他の政治的な謀略・冤罪事件と併せて詳しく知るのは、松本清張の力作『日本の黒い霧』に出合ってからだ。

 

ただ、松川裁判を支援し続けた広津和郎とその娘の存在を知ったのは、

数年前に今回の舞台に接してからだから、作者と劇団民藝と和歌山演鑑に大感謝。

 

「いかにも闘士」とか「芯から活動家」とかでない、

普通に戦争嫌いで、遊び好きの、俗っぽいオジサン作家が、ふとしたことから凄い社会正義を為す、というのが素敵なのだ。

 

だから、終幕で娘が吐露する父への想いが嘘っぽくなく、強く胸を打つ。 樫山文枝さんの「つぶやき」に注目!

 

そして裁判終結を見届けた後に、広津の家系は静かに「落日」を迎えるわけだが、

その光輝ある生き様は、鮮やかな残照のごとく、私たちの記憶に永く留まることだろう。     (三)

 

 

ところで、広津の「散文精神」って、好きだなあ。

「忍耐強く執念深く、みだりに悲観もせず楽観もせず、生き通していく」って、市民劇場運動にも人生にも通じるみたいで…。 

 

 

 


フレディ  2012.01.17

 

還暦以上なら、「サーカス」って聞けば、殆どの人が一種の郷愁を覚えるのではないか。

私が育った伊予三島にも、毎年サーカス団がやってきた。

 

小学四年生の頃、そこの子と友達になったことがあるが、たった一ヶ月で他の町へ移って行った。

それもあってか、楽しそうなマーチ音楽にも、どこか哀愁を感じてしまうのだ。

 

「楽屋」へも二〜三度招かれた。

「赤い鼻」のお父さんとも言葉を交わした。 たぶん、そのピエロが座長だったのだろう。

当時、親からも「道化役が一番の実力者だ」と聞かされていた。

空中ブランコでわざとしくじったり、猛獣においかけられたり、ハラハラドキドキの記憶が鮮明だ。

 

今回は、そんなサーカスの楽屋が舞台で、人間臭いエピソードが満載。

しかも、「高利貸し殺人事件」が起こるのだから、最後まで目を離せまい。

 

今年の例会でこれだけ未見だが、台本を読み結末まで知ってしまった。

勘が良くて?早めに真犯人が分かった人も、周囲にささやかないように。

私も黙って、再度「父と息子の絆」に目を向けよう。  (三)

 

 

 


殿様と私  2011.12.02

 

四字熟語が好きで、特に中学生の頃に多く覚えた。 その一つに「換骨(かんこつ)奪胎(だったい)」がある。

「骨や内臓を取り替える」という元の意味から、僕なんかはフランケンシュタインを想像したものだ。

 

もちろん「過去の芸術作品に着想を得て独創的な作品に作りかえること」で、芝居の世界でもよくある手法だ。

僕らが敬愛した井上ひさしさんはその達人で、

有名な逸話を自在に取り入れ、乃木大将から宮沢賢治、樋口一葉まで「伝記もの」の傑作を次々と世に送り出した。

 

そして今また、新たな名手が登場した。 マキノノゾミさん。

「坊ちゃん」を見事にパロった『赤シャツ』(青年座)は、意表をつく喜劇だったが、

彼が文学座70周年記念に書き下ろした今回の舞台は、それに勝るとも劣らない、「新しい名作」といえる。

「王様と私」体験とは関係なく、大いに楽しめるだろう。

 

今ふと「韓国脱退」という言葉が浮かんだ。

ちょっと前に、サッカー八百長問題で韓国が国際機関から脱退するのでは…なんて思ってたからかも。

おっと、これは「換骨奪胎」のパクリだった。 (三)

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父と暮せば  2011.09.06

 

二十代の始め、海水浴で友が死んだ。

僕も少し離れた場所で溺れかけたが、流れてきた電柱!につかまって助かった。

 

偶発的な事件なのだが、命の儚さと生死の境目を思い知らされたものだ。

ただ、逝った友に「すまない」という気持ちは起こらなかったし、自分が「生き延びた負い目」などはなかった。

 

しかし、戦地で九死に一生を得た元兵士が、「亡くなった戦友に申し訳ない」と涙ながらに語るのを、今もTVなどで見聞きする。

居合わせた全員が死んで当たり前の戦争では、助かった自分を責める気持ちになるのが当たり前なのかもしれない。

 

この芝居のヒロインもそうなるのだが、悲しみ悩みぬいた末に、強く行きぬく道を選ぶのだ。

父の幽霊と同じ気持ちで、観客もまた励ましの拍手を送る。

 

井上ひさしの、庶民に対する温かい眼差しが舞台に満ち満ちる。

あなたたちは何も悪くない、責めを負うべきは、戦争を起こした連中なのだ、という言葉が聞こえるようだ。

 

何度か命拾いした僕も、かの「戦争責任」を忘却せずに、自分の天寿は全うしたいと改めて願う。 (三)

 

 


さんしょう太夫  2011.07.20

 

伊予の片田舎の子どもだった昔、知らない人にはついて行くなと、よく親から言われた。

「人さらい」がいて、サーカスに売り飛ばされるから、って。

身体を柔らかくするために毎日酢を飲まされるなどとも聞かされた。

 

だから僕はけっこう用心深い?子どもになって、ある日、土砂降りの中を妹と濡れながら歩いていた時、

当時は珍しい高級車が横に停まり「紳士」から送ってあげると言われたのを、無下に断ったことがある。

善意を無にしたようで、未だにかすかな痛みを記憶しているのだ。

 

そんな体験もあって、絵本「安寿と厨子王」の人買い舟の場面は鮮烈だった。

そして、ラストの盲目になった母との再会に随喜の涙を流し(そうになっ)たもんだ。

 

これは、僕たち団塊世代に共通する体験じゃないかなあ。

今回の前進座の舞台は、そういう感動を一気に呼び起こすだけでなく、

ほとんどの人が会員になって初めてと言えるほどの、衝撃的「劇的体験」をすることになるだろう。

幕開きから注目!

 

 

 


族譜  2011.05.24

 

家系図は預けていた寺の火事で焼失したと、小学生の頃に聞かされた。

だから僕が口伝えで覚えた御先祖さまは、江戸時代に暗殺された庄屋・仁左衛門さんと篤農家・代作さんの二人だけ。

母方のルーツなんて全く不明だ。

 

しかし、日本人は三代さかのぼれば大半は百姓だろうし、家系図なんてどうでもいいのかもしれない。

 

成り上がりの政治家や芸能人など「箔をつけたい」向きに重宝されている、家系図づくりの請負業もあるそうだが、

そんな胡散(うさん)(くさ)いのと段違いの重みを持つのが、朝鮮の「族譜」だ。 

人名・相関だけでなく、その時々の歴史的事件を網羅した大冊という。

 

秀吉の朝鮮出兵の時代から韓国併合まで、日本の侵略の害悪が克明に記録されているだろうし、

拉致まがいの「強制労働」や「従軍慰安婦」問題などは、「韓流スター」にも伝承されているはず。

 

そんな歴史を知った上で、互いの文化・娯楽を楽しみたい。

時宜(じぎ)を得た『族譜』は、ゾクッとしてフに落ちる舞台だ。 そんな駄洒落を吹き飛ばす、衝撃のラストを凝視したい。

 

 

 


宴会泥棒  2011.03.25

 

顔に泥でも塗りたくって侵入したから「泥坊」と呼ばれたのかなと思うが、「泥棒」の語源は定かではない。

古い漫画でおなじみの唐草模様の風呂敷も、目立つので使わないはず。

怪しげな身なりを避けるのは「素人」でも分かる。

 

この舞台の主人公も、一流の?プロらしく、貴族然の格好で豪華なパーティーに紛れ込むのだ。

実はそのスーツは特製仕事着で、高級な酒や料理をどっさり隠せるようになっている(笑)。

 

練達の「宴会泥棒」技で生計を立てるという馬鹿馬鹿しい?設定ながら、

上流階級を手玉に取り司法の裏をかく、そんな逞しい生活力に爽快感さえ覚えるだろう。

 

日本の「鼠小僧」が人気なのも、実際は貧民への施しなんてしなかったが偉そうな武家屋敷ばかり狙ったから、らしい。

 

今回の泥棒も、決して義賊なんかじゃないし、石部金吉でもない。 特殊な職人技?を持つが、市井の一員。 

だからこそ、つい共感もする。 

副題が「残りの人生もあなたと」だって。 若くない世代なら、「君の瞳に乾杯」よりも、心が盗まれそう。 (三)

 

 

 


てけれっつのぱ  2011.01.25

 

落語ファンなので『死神』も何度か聞いたはずなのに、

「てけれっつのぱ」が死神退散の呪文だったとは、記憶から飛んでいた。

落語で有名とはいえ、今回の舞台は噺家(はなしか)や血出鹿(ちでじか)の話ではもちろん無い。

 

舞台を未見で、原作小説も台本も読んでいないのだが、

劇団の財産演目『三婆』を髣髴させる3人の女傑の活躍を描いており、

苦境に陥ったときにその誰かがふと口にする呪文だとか。

 

そういう呪文は、昔から庶民が、災禍を遠ざけ幸運を呼び込む願いをこめてよく唱えたもの。

「ちちんぷいぷい」みたいに、何やら妖しげで意味不明だからこそ御利益がある気がしたのだろう。

 

「東方神起」のヒット曲にも「呪文」というのがあるが、私が子供の頃には主に「妖術使い」の口癖だった。

児雷也がガマに変身する時は何て言ってたのかも記憶に無いが、巻物をくわえていたから口ごもっていたかも…。

 

ところで現代では、「似大政党セーケンコータイ」という「呪文」はもうすっかり色あせたし、

今度は私たちが「痛いの痛いの飛んでいけ〜てけれっつのぱ」と唱えようか(三)

 

 

 

 


新・裸の大将放浪記 2010.12.7

 

退職してようやく、「遊び」目的の旅行に出かけられるようにはなった。

しかし相変わらず、上京して演劇・映画を楽しむ「旅」がほとんどだ。

それも、例会作品を探す「研究観劇」みたいなもので、憧れる「諸国漫遊」には程遠い。

 

だからリュック背負って放浪する山下清にも、トランク下げて祭りを追う寅さんにもなれないが、

気持ちだけは自由で豊かに、ゆっくりゆったり生きていこうと思う。

 

幸いもう「兵隊」に取られることもないので、25年前同様「徴兵検査」シーンなどで笑っていればいい。

兄・雁之助さんの当たり役を継いだ小雁さんの、軽妙洒脱な舞台を楽しめばいい。

ただ、宇野重吉さんがそうであったように、愛弟子・米倉さんの眼は、この喜劇に潜む(えん)戦」に向けられているはずだ。

二歳に満たない弟を「栄養失調」で亡くした辛さと、

それをもたらした戦争への怒り、平和への願いがいつも脈打っているだろうから。

 

私も、満州で3歳で死んだ姉のことを思いながらも、今夜は大いに笑おう。

平和だからこその「笑い」を大切に。 (三)

 

 

 


あなまどい 2010.09.14

 

「仇討ち物語」って、60代以上なら、幼時から紙芝居や漫画や映画で手に汗握った思い出があるだろう。

私にも「富士の裾野」の曽我兄弟や、「鍵屋の辻」の荒木又右衛門36人斬りが記憶にある(斬ったのは史実では2人だけとか…)

 

また、菊池寛の「恩讐の彼方に」が原作だと後に知った「青の洞門」は、子供心にもいたく感動したもので、

いずれもドラマティックだった。

 

ほぼ共通してるのが、臥薪嘗胆、苦節数十年の追跡の旅…。

なのに実際には、概要の残る370件のうち成就したのは数件だったという。

99%は仇を見つけられなかったり、討ち損じたりで、故郷に帰れぬまま徒労と失意のうちに朽ち果てたのだろう…。

今回の主人公は、幸い、といっても新婚直後から愛妻を残し34年も彷徨(さまよ)ったのだから同情には値するが、本懐を遂げる。

ただ舞台では、その後に「衝撃の真実」が控えているらしいので、御油断召さるな各各方(おのおのがた)。 (三)

 

 

 


流星ワゴン 2010.07.12

 

過去にタイムスリップして、若かりし親と出会うという設定は、映画ではよくある。

有名な『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、両親の仲を取りもつ青年の話だが、今回の舞台は、逆に、

「自分と同年齢の父親」からの叱咤激励で、現在の八方塞がりから抜けだそうと奮闘する中年男の物語。

 

「時間旅行」の鉄則として、歴史が変わるので過去の事物に手を加えてはならない、というのがある。

過去に遡って親を殺したら自分が生まれない、という矛盾(タイム・パラドックス)がよく議論され、

どうあがいても結局は歴史を変えることはできない、という「落ち」の作品が多い。 

 

「現実を認め、しかし諦めないで、将来を切り開け」という教えだろう。

 

今回の舞台のようなSFファンタジーに感動する私だが、それはそれ。

過去をやり直したいなんて思ったことはなくて、その時その歳がいとおしい。 

だから、「今」が一番好きなのだ。それでいいのだ〜。  (三)   

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赤シャツ 2010.05.24

 

先に亡くなった井上ひさしさんの作品で、例会にもなった『イヌの仇討』は、吉良側からみた「忠臣蔵」だ。

年末恒例だった映画ではいつも吉良が悪玉で、「集団テロ」の大石たちが喝采を浴びていた。

 

それを逆の立場から見ることによって、井上喜劇の面白さや深さが生まれたのだった。

今回の『赤シャツ』もそう。「視点の逆転」が生んだ新たな傑作の一つ。

漱石の『坊ちゃん』では一番の嫌われ者だった教頭・赤シャツを主役に据えた意外性。

流石(さすが)のマキノノゾミさんと青年座。 

気障で陰湿で、マドンナに横恋慕する「嫌な男だったのに」と、

舞台に接した人は一様に驚き、一味違う余韻に浸れるはず。

 

「声の出演」だけの坊ちゃんや、硬骨漢の山嵐の方が稚拙で武骨に見え、

赤シャツが知的で情愛細やかに思えてくるのだ。

 日常生活でも「視点を変えて見る」ことは面白くて大切なこと。

(そうせき)枕流(ちんりゅう)辞書参照)と言われない程度に…。 (三)

 

 


招かれた客 2010.03.25

 

紛らわしい品名に「カルボナーラとボラギノール」がある。

そのような似て非なるものでは、「小さな親切、大きなお世話」というのも笑える。

 

これはよく喜劇に登場するキーワードで、今回の舞台も、まさにそれ。

 

失業歴3年で今にも新しい就職ができそうな夫と、「天然」ふうの妻。

その夫婦に、おせっかいな階下の住人が、事細かく「面接指導」。

そんな所へ歓迎されざる「招かれた客」がちん入するのだから、可笑しいに決まっている。

 

4名の役者さんは、いずれ劣らぬ喜劇の名手だし、丁々発止のやりとりは、けだし見もの。

本当はクラシックより歌謡曲が好きなのに、「ええかっこ」してドツボにはまる夫。

 

それらが笑いのツボにはまった時、ホールには爆笑・哄笑の渦が広がる。

そして、人はやっぱり「在るがまま」がいいよ、みたいなハッピーエンドは僕好みだ。

 

ところで、フランスって、失業保険が最長5年も貰えるんだよ〜。 (三)

 

 


グレイ クリスマス 2010.01.28

 

白雪が溶けて覆い隠されていた「汚いもの」が再び顔を出す様と、

「民主主義」の高揚から陰りへと激動していく戦後日本とをダブらせた名作『グレイクリスマス』。

そのタイトルと構成が秀逸だ。

 

15年前の例会は民藝公演で、

僕にも兄貴分みたいな存在だった新田昌玄さんの悠揚せまらぬ伯爵や、

奈良岡朋子さん、河野しづかさんら、凛とした女性たちの姿が今も鮮明に残る。

 

作者の斎藤憐さんは、ずっと前に『上海バンスキング』で僕らを鷲づかみにしたが、

それと優劣つけがたい名戯曲に、

名優・三田和代さんと「新劇団選抜」の実力派が挑むのだから、まさに鶴首しての拍手! 

 

描かれる5年間の真ん中に生まれた僕は、この時代への関心が強く、

特に前年に施行された日本国憲法への親近感は人一倍。

だから、雪解け道に投げ捨てて泥靴で踏みにじるような改憲には反対する。

さあ、伝説のラストシーンに注目だ。

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ゆれる車の音 2009.11.10

 

車が搬入できないからと郷文から会場変更したのだが、それほどの車じゃなくて、この芝居の主役は、やはり人間。

それも世間にどんどん増えている初老の男たちだ。

彼らの故郷、活気のあった港町も、賑やかだった祭りもすっかり寂れ…。

 

今や地方のどこにでもある風景が、

つい先月に故郷・愛媛の秋祭りを堪能したばかりの僕にさえ、えもいえぬ郷愁を呼び起こす。 

これは、今年1月例会『見下ろしてごらん夜の町を』と同じ作者からの、

一世代上のおじさんたちへの、慈愛に満ちた応援歌なのだ。

器用でなくても惑いつつでもゆっくり楽しく進めばいいよ、って。

 

最初に車が主役でないと書いたが、その車が、

人生の凸凹道を懸命に走り続けてきた哀歓いっぱいの彼らを象徴しているように思えてきた。

そういえば、寅さんの苗字は「車」だったよね。  () 

 

 

 


サマーハウスの夢 2009.09.22発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

あなたの言ってることが分からな〜い!

金銭欲が身に付いた与ひょうと「つう」の間に異世界の壁が生まれた瞬間だ。

『夕鶴』例会の、ゾクッとした場面をよく覚えている。

 

これに似てるかどうかはさておき、絵本と現実の二つの世界が入り乱れて、

互いの「住人」の間では歌うことでしか会話が成立しないという「設定」はとても興味深い。

シチュエーション喜劇の名手、エイクボーンの真骨頂といえる。

 

巧言よりも心のこもった歌が必要な世界。

だから、出演者は大いに歌う。魅力あふれる歌唱抜きには、この舞台は成立しないのだ。

 

『美女と野獣』をモチーフに様々な愛が壊れては生まれ…。

意表をつく展開で観客を巧みに引っ張っていき、最後には微妙な予感と余韻を残して幕。よくできたファンタジーだ。

 

ところで音痴の役って大変だろうな〜。僕には分からな〜い世界。  (三)

 

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銃口 2009.07.14発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

芸術作品に接するとき、私はよくタイトルの意味を考える。

舞台では題名=主役名が多く、その役を「タイトルロール」と呼び、それを演じるのは役者冥利。

が、それはさておき、今回の「銃口」だ。この題名には脱帽する。

 

今から70年くらい前の、日本が戦争をしていた時代。

軍隊の銃口は当然、侵略先の中国や朝鮮に向けられていた。

しかし、同時にそれは、「聖戦」遂行に障害となる全ての者、自国民の「良心」へも向けられるのだ。

「思想弾圧」という名で…。

 

自衛隊が海外へどしどし派遣されたり、憲法を変えるための国民投票法ができたりというキナ臭い時代。

そういう潮流を、三浦綾子さんは、作家特有の鋭い嗅覚で先んじてかぎとっていたのだろう。 

私には、今回の『銃口』が、彼女の遺言とも、現代人への警鐘とも思えて仕方がない。(三)

 

 

 


広い宇宙の中で 2009.05.14発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

まさに彗星のごとく劇団スイセイ・ミュージカルが私たちの例会に登場したのは、三年前の『夢があるから!』だった。

「スミセイ」と間違える人もいたが、

フレッシュな歌・ダンス・ストーリーが会員を魅了し、群を抜く満足度を残したものだ。

 

それ以後、岡山や倉敷などの鑑賞会で多くの賞を受け、最近では『サウンド・オブ・ミュージック』にも挑戦、

完成度の高い舞台を創り上げて評価をますます高めている。

 

そして、いよいよ例会二作目だ。

 

残した家族が心配なあまり幽霊になって見守るというのは映画でもよくある設定だが、

やはり「愛と絆」に誰もが深い感動を覚えることだろう。

「広い宇宙の中で」家族や友人として巡りあったこと自体が奇跡的なんだから…。

 

さあ、今回も思いっきり笑い涙しよう。きっと前作を越えるはず。 (三)

 

 

 


林の中のナポリ 2009.03.23発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

になると「歩き遍路」が増えるような気がする。

気候の良さもあるが、人生の大きな転機を迎える人が多いからかもしれない。

今日の舞台の主人公も、お四国参りではないが遍路と似た心境だったのだろう。

 

身寄りも無くなって「(つい)棲家(すみか)」に移るとなれば、たいていの人は諦観し、ある種の覚悟を決める。

だが、彼女は強い。

簡単に人生の幕引きに向かうのではなく、「新しい自分」探しの旅に出るのだ。

そのために過去の不幸な事故の清算もでき、晴れ晴れとした気持ちで再出発することになる。 

 

 観客は、今度はどこへ行くのかと気になりつつも共感と激励の拍手を送るに違いない。

この役を、初演で共演した樫山文枝さんにバトンタッチをして、永遠の旅に出た南風洋子さんにも温かい拍手を届けたい。 (三)

 

 

 


 見下ろしてごらん、夜の町を。 2009.02..02発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

夢やロマンを持つのはとても素晴しいことだ。

若い頃に果たせなかったことに定年になって挑戦するのもまたステキだと思う。

市民劇場会員にもそういう「気持は青年」という人が多い。 「ヤング@ハート」なのだ。

 

今回の舞台にもそんな連中が大挙登場するが、

中でも奥さんに内緒で退職金を「夢」に投入する木下藤吉さんはスゴイ!

「今太閤」にはなれなかったが、大した根性だ。 でも、アイキャン!というより哀感だな~

 

タイトルはもちろん大ヒット曲のモジリで、

大変な時代を健気に懸命に生きている庶民への温かい視線が感じられ心地よい。

「見下して」、じゃないんだ。 

 

ずっと前にも、♪男は夢を持て〜という歌があった。

僕にはその後が、「♪飲む〜ぞ、飲む〜ぞ」と聞こえて仕方がなかったんだけど…。  (三)

 

 

 

 


ドライビング・ミス・デイジー 2008.11.04発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

「茶飲み友達」とか「老いらくの恋」を英語では何ていうのだろうか。

そんな日本的関係にやや似ているが、ちょっと違う。

それが、終幕のデイジーとホークの間に流れる素敵な感情だろう。

 

数年前に池袋で奈良岡・仲代の名舞台に接した時、20年前に見た米映画が鮮やかに蘇り、

必ず四国・徳島でも公演してもらいたいと強く願った。そして、叶った。

 

極端なまでに生まれも育ちも気性もすべて違う二人の、心が通いあっていくドラマには、

誰しも深い感動を覚え、自分もそんな相方がほしいと憧憬するはずだ。

 

大ニュースになった名優二人の初共演は、実は福岡市民劇場の事務局長・川述さんの発案。

その三人と劇中の二人の関係が、僕には重なって見える。

それは「同志愛」と呼んでいいかも。 (三)

 

 

 


詩人の恋 2008.09.30発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

宮本武蔵だったか、ある剣豪は壁にぶち当たった時、

山寺で座禅をしたり滝に打たれたりの苦行を重ね、開眼したそうだ。

 

慢心した姿三四郎が、池の杭につかまって一夜を明かした話もある。

古今東西、人間修業で一皮むけて練達の士となった者は数多い、のかも。

 

挫折した天才ピアニストが

歌唱のレッスンで自信を回復し更なる高みに向かう話も、先の武者修行と似ている。

が、俗物っぽい教授とのユーモラスなやりとりの奥底から、

過酷な過去が浮かび上がるといったシリアスなドラマ性が感動を広げる。骨太い芝居だ。

 

ミュージカル俳優で来年も来演予定の畠中洋さんはもちろん、

特別レッスンを続けて見事な「歌い手」になったカトケンさんには脱帽する。

触発されて、僕ら観客も一皮むけるかもネ。 ()

 

 

 


音楽劇・母さん 2008.07.12発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

断腸の思い」の由来を知った時、その残酷な内容と母性愛の強さが衝撃的だった。

子をさらわれ追いかけてきた末に悶死した母猿の腸が、悲嘆のあまりにズタズタに裂けていたというものだ。

いつの時代でも、どんな世界ででも「母と子の愛」は普遍的で胸をうつ。

 

今回もまた五月例会と似て、「出来の悪い」息子の母への深い思慕が描かれる。

しかし、安男とハチローの愛情表現はかなり違う。

末っ子と長男の違いでもなかろうが、ワラをもすがる思いで母を乗せて病院までひた走る前者と、

悪態をつき通しながらも母を思う詩を数千も作り続けた後者。「リンゴ」はともかく、両者の気持ちはよくわかる。 

 

そしてやはり、僕たち兄妹を生み育て上げるためにだけ生まれてきたように見えた、母の「溺愛」を思い起こすのだ。

 

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天国までの百マイル 2008.05.16発行 

 

母の奇蹟的な快癒を念じて名医の下へひた走る安男の切実な気持ちはよくわかる。

24年前に私も似た経験をしたから、よけいにだ。

末期ガンの母を、香川から徳島へワラにもすがる思いで搬送したことがある。

同じおんぼろワゴン車だった。

私の場合はたった20マイル?だったし、離婚と破産で八方塞がりなんかでも無かったけれど…。

 

舞台はハッピーエンドで、息子と母親にとっての「再生」が描かれる。

様々な人達の情愛と、陰の主役ともいえるマリの「無償の愛」が、感動を増幅するのだ。

後期高齢者保険と対極の思いやりや、「医は仁術」もそこにはある。

私の母に奇蹟は起こらなかったが、転院先での手厚さ・温かさに心底喜んでいたものだ。

 

まっすぐ生きたがイガンで死んだ、なんて書いたら「お前はもう…」と苦笑しているかも。 ()

→→※徳島新聞「鳴潮」記事

 


出番を待ちながら 2008.03.21発行 

 

小学三年生のころの話だ。朝礼時、毎週火曜に「学習発表会」というのがあった。

学級選抜が楽器演奏をするのが習いだったのに、

なぜか広い朝礼台に一人上がって二千四百名の生徒に「お話」をしたことがある。

両翼には教職員がずらりと並んでいた。

 

壮観という言葉も、人前で上がることも知らない少年時代。

思えばあれが、私の最初の「出番」だったのかも…。

 

かように、誰の人生にも様々な出番というものがあるはず。

それは誕生日や結婚式、選挙やカラオケかもしれないが、

役者ならずとも「出番」というのは、どれも一種の緊張感と快感を併せ持つすばらしい舞台なのだ。

 

だから将来、無数の喜怒哀楽や幸不運を乗り越え卆寿白寿に面したとしても、

小さな出番を待ちながら前向きに爽快に生き抜きたいと思う。  (三)

 

 


セメタリー倶楽部 2008.01.27発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

                          

超常現象とかはたいてい科学的物理的に解明できると思っているし、

天国や天使や神の存在を信じない僕だが、映画演劇の「ファンタジー」ものは大好きだ。

親しい人と天国で再会する話など、誰もが好感を持つはず。

 

今回の舞台も、ラストシーンが洒落てるしファンタジックだから、

個性的で魅力ある四人の「60代」に幕開きから共感し、笑い、

時にホロっとしてきた観客は、きっと心地よい余韻に包まれることだろう。

 

未亡人と聞けば「まだ亡くならない人」じゃなく、

やはり僕は以前に観た舞台「メリー・ウイドゥへの旅」を思い起こす。

陽気な未亡人。もうそんな時代だ。

 

伴侶をいつか亡くしても明るく元気に生きなきゃ。

だから、本日の締めの言葉はこれだ。男ヤモメに蛆がわき女ヤモメに花が咲く。

いやいや、男もがんばれ…。 

 

 

 


家族の写真 2007.11.28発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

 

甘党ではないので、賞味期限偽装の「白い恋人」や「赤福」がどうなっても、どうってことはない。

これはさしずめ紅白のウソだが、巷間には、どうかと思う「真っ赤なウソ」が多い。

 

数年前には、言いえて妙のタイトル『橙色の嘘』という例会があった。

鈴木瑞穂さん扮する老医者に、松下砂稚子さんの婦長が「夫婦」を演じてくれるよう頼む。

友人に「先生と再婚した」と嘘をついてしまったからだ。

これなどは、微妙な女心の可愛い嘘で罪はなく、「嘘から出た真」になるハッピーエンドだった。

 

今回の舞台も、似通った暖かい余韻を残すだろう。

娘の結婚が気がかりな親心と、それに応えるための小さな嘘が、

思いも寄らぬ「真」を紡ぎだし、幸福感が広がっていく。

「ウッソー」とつい口に出そうな、意外な幕切れも楽しみたい。 (三) 

 

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二人の老女の伝説 2007.8.27発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

純な子供心にその残酷さが衝撃を与えた。

映画『楢山節考』を見た時の胸のしめつけられるような感銘は、稀有な体験であった。

 

長じて見たリメイク版の映画や手織座の舞台でも、

捨てられる親と捨てねばならない家族の苦悩が、いっそう強く胸をうったものだ。

 

そこでの老人たちは、村の掟に従い従容として死に就くのだが、

今回登場する二人の老女は、始めこそ自暴自棄になっても、敢然と生き抜く決意をするのがいい。

 

「亀の甲より年の功」を実証し、「老人力」の逞しさを発揮する姿に誰もが喝采を送りたくなるはずだ。

傑作『壁の中の妖精』と同じ福田善之さんの脚本・演出だけに期待は大きい。

 

いまや「棄老」に留まらず「棄民」政治がまかり通る「美しくない国」。

早くそこから脱却せねばならない。そう思うことしきり。   

 

 

 


壁の中の妖精 2007.7.発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

スペイン内戦にまつわる芸術作品は多い。

独裁者フランコを支援するナチス空軍が「ゲルニカ」を無差別爆撃し、

それに憤怒したピカソが一気に描き上げたという衝撃的な壁画は有名だ。

 

自ら参戦したヘミングウエイの名作「誰がために鐘は鳴る」も、

文学少年でなかった私は、小説でなく映画で触れた。 

 

病弱で内気な少年と慈愛あふれる老教師との出会い、温かい交流、

内戦直前の別れまでを描いた映画『蝶の舌』の切ない感動も忘れられない。
 

そして今回は、ファシズムが勝利した後、

先の老教師と同じ共和派の村長が、処刑を逃れて30年も壁の中に隠れ住んだという実話だ。

 

生きているってこんなに素晴らしい! 誰もが、きっと、そう思う。

 

それにしても「アンネ」の屋根裏部屋とか、壁の中とか、日本の住宅事情ではとても考えられないなぁ。(三)

 

 


菜の花らぷそでぃ 2007.5.16発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

日本人は三代さかのぼれば、たいてい農民だ。

私の父親も農家の次男だったが、戦後は労働者になった。

農業では生活できなかったからだろう。

そんな流れは続き、現代では専業農家は殆ど無くなった。

 

背景には、農業軽視政策があり、食生活の変化がある。

一時代前までは米も一人一日三合が普通だったのに、

「日本人の味覚を子どもから変えろ」というアメリカの戦略もあって、

今やハンバーガーやフライドチキンなどのカタカナ食品全盛だ。

 

そして、いつか穀物自給率は二割台に落ち込んだ。

かくいう私も、輸入が止まったらどうするんだと慨嘆し、

「菜種と国民は搾れるだけ搾れ」というかのような政治に抗いつつも、

原料のほぼ百%が外国産の天ぷらうどんをすする…。

 

苦笑爆笑し、地産地消・身土不二に改めて思いを馳せたい。   ()

 

 


お登勢 2007.4.02発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

愛媛生まれだからってわけじゃないが、

幕末から明治初期にかけての徳島藩での内部抗争や庚午事変(稲田騒動)については、

歴史好きの私も寡聞にして無知だった。

 

足袋の色まで差別されていた淡路・稲田家の家臣たちが、時代激変に際して分藩独立運動に走ったのは分る気がする。

 

 それを憎悪した本藩の160名が洲本城下を襲撃し、女性を含む37名を殺傷したという。

明治新政府は、死刑・切腹・流刑などで136名を厳しく罰したが、一方で、稲田側には北海道開拓移住を命じた。

勤皇・佐獏両派にとって避けられない悲劇ではあった。

 

以上は「湯浅ゼミ」の受け売りで、時代背景はよく理解できた。

だが、そんな激震の中を生き抜いた女性たち、殊に一途に純愛を貫いた「お登勢」の強さは、見落とせない。(三)

 

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ルームサービス 2007.1.31発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

子供の頃からテレビで慣れ親しんできた、あの一風変わった声の主・熊倉一雄さんが、

テアトル・エコーの中心的名優だとは、市民劇場に入るまで知らなかった。

盟友の納谷悟郎さんが、クラーク・ゲーブルやチャールトン・へストンの吹き替えをやってたことにも驚きと感慨を覚える。

 

そんな多彩で多才な役者さんが、新年早々「ナマ」で、芸術祭大賞受賞喜劇をみせてくれるのだからたまらない。 

 

老舗劇団ながら、例会は三度目。

その昔に座付き作家だった井上ひさしさんの『11ぴきのネコ』と、

永井愛作品『ら抜きの殺意』以来だ。(勘違いで実際は『プラザ・スイート』を入れて4度目)

 

ホテルのルームサービスとは縁のない私だが、例会が「舞台の出前」ならば、さしずめ「シアター・サービス」か。

満腹感を期待しつつ、席につこう。 (三)

 

 

 


オセロー 2006.11,19発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

いまや「青いハンカチ」の佑ちゃん人気は、「赤いハンカチ」の裕ちゃんをしのぎ、

「幸せの黄色いハンカチ」の感動も、すでに遠い日の記憶かも。

 

ところで、今回の舞台では、やはり「ハンカチ」が重要な意味を持つ。

夫から贈られたそれを紛失したことで、愛と命を奪われることに行きつくのだから、たかが布切れ一枚と侮れない。

 

 人種や身分の壁を越えて結婚したオセロー夫婦だったが、

処遇に不満を抱いた部下の姦計に陥り、取り返しのつかない悲劇を招くのだ。

不倫相手の部屋で落としていたなどというニセの証拠とウソの証言が決め手の、典型的なでっちあげ。

 

(シェ)(イクス)さん(ピア)は、四百年の時を越えて、我々に警告する。

ゆめゆめ、陰口・告げ口に惑わされることなかれ。  

 

 

 


明石原人〜ある夫婦の物語 2006.9.7発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

さすがに教科書ではイザナギ・イザナミの「国産み」は教わらなかったが、神話の類いはよく読んだ。

(ほこ)でドロドロの海をかきまぜ、落ちたしずくが淡路島や九州・四国になったという壮大な話や、

それに続く「○○のカミ」や「○○のミコト」物語など「SFファンタジー」の好きな少年だった。

 

だが、「神の国」日本のあちこちで「サル」から「ヒト」への進化があり、原始時代や旧石器時代があったのを疑ったことは、当然ない。

 

長じるにつれ、そういう歴史的事実を証明していく考古学者たちの労苦も知った。

戦前の天皇神格時代は、ことさら大変だっただろう。

 

今回は、原人化石発掘にまつわる「夫婦愛」の秘話をじっくり見つめたい。

戦争特需でない「神武景気」の再来を期待しつつ。 

 

 

 


夢があるから!2006.7.10発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

「会員が1万名になったで」「夢みたいな話やな」「夢やがな」。

これに似た漫才がある。 そういう睡眠中に見る夢と、情熱を持って語られる夢とは別物。

 

後者でいえば、キング牧師の「私には夢がある」という演説が、鮮烈だった。

彼は、60年代アメリカでの公民権運動の指導者。

 

「奴隷とその主人の息子たちがいつか同じテーブルにつけることを!」という、人種差別撤廃を求める内容だった、と思う。

何度も繰り返される「アイ・ハブ・ア・ドリーム」という節回しは、聴衆の心を強く鼓舞したはずだ。

その名演説の5年後に彼は暗殺されたのだが、「夢」は多くの人に受け継がれた…。

 

大切なのは、百人百様でいい、各自の夢を持って生きること。

それは、今夜の舞台でも改めて実感できるはず。(三)

 

 

 


怒りの葡萄2006.5.9発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

僕には変な性癖があって、映画や本で歴史的な事件に接するたび、

その頃、他の地では何があったのか?という興味が湧く。

例えばタイタニック号が沈んだのは1912年。 そうか、「大正」が始まる年だったんだ、となる。 

 

その約20年後が、今回『怒りの葡萄』の舞台で、前回の『私生活』と同時代だと知った時も、不思議な感慨に包まれた。

互いに再婚した元夫婦が瀟洒(しょうしゃ)なホテルで大騒ぎしてるころ、

貧農のジョードー一家がボロトラックで苦難の旅をしていたんだ、となる。

 

その「格差」に驚くが、かの豪華客船にも職を求める貧しい移民が乗っていたし、その直後には、ヒトラーが台頭するし…。 

例会には、こういう楽しみ方もあるということか。()

 

 

 


私生活2006.3.13発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

熟年離婚が増えているのは事実らしい。でもそれで後腐れなく再出発できた人はいい。

そこまで踏み切れず夫の定年で新たな束縛が始まる妻は堪らない。

今からその時を想像して体調を崩す妻たちもけっこういると聞く。 

 

今回の舞台は、まさにそれぞれの「私生活」=環境・立場によって、反応が大きく異なるだろう。そこがミソ。       

 

性格の不一致?で別れた元夫婦が、再婚旅行先の同じホテルで再会するなんて、

さらに元の鞘に納まりかけるなんて、ありえないよね。私とは無縁の世界ね。

と割り切って、非日常的な洒落た会話や男女の恋の駆け引きを気軽に楽しめばいい。

 

でも「私にも起こりうるかも知れない」と、ふと感じたら、ハッキリ言って、あなたは、(^^)(^^)(^^)…。

 

 

 


兄おとうと2006.2.15発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

近頃は姉妹兄弟でも同じ部屋で寝るのって、それほど無いだろう。

時代違えど、今回の「兄弟」の場合も、

早くから都会の学校へ進んだりして、兄弟枕を並べて寝たのは、生涯でたった5回だったとか。

 

井上ひさし的なこの場面設定がまずユニーク。数十年のうちのたった5日間のドラマ。

学者と政治家という異なる道を歩んだ二人の

対照的な思想と生き方、それゆえの反目と愛情が、滑稽な会話+楽しい劇中歌で、鮮明に浮かび上がる仕掛けだ。

 

国家と国民の関係や、政治のあり方でのカンカンガクガクは、

兄や弟のいない私にはちょっと羨ましいのだが、やはりタイムリーなこの台詞が最も印象深い。

 

「憲法とは、人々から国家に向かって発せられた命令である」。 (三) 目次へ戻る

 

 

 


竜馬の妻とその夫と愛人2005.11.8発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

  ある調査によると、歴史上の人物で「いっしょに飲みたい」ナンバー・ワンは、坂本龍馬だとか。

酒飲みの多い高知出身にして幕末のヒーロー、わかるような気がする。

 

そんな彼と劇的な恋愛をして、日本初の?新婚旅行も楽しみながら、短い結婚生活で未亡人になったお龍さんは可哀想。

夫亡き後、美人だが性格のきつさゆえ?周囲から疎まれたことや、あっさり身近な商人と再婚したのは、史実らしい。

 

(在るなら私は必ず行けると思う)天国で、65歳で逝ったお龍さんにも会ってみたいし、

龍馬と飲む機会があれば、剣の達人で拳銃まで持っていたあなたが、なぜあっけなく暗殺されたのかと尋ねてみたい。

この芝居でも、三谷幸喜流の解釈がラスト・シーンで示されるのだけど、ね。 ()

 


赤い月 2005.9.16発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

  戦後60年ということで、戦争の罪悪と悲劇を描いた演劇が多い。しかし、今回の舞台は特に身近に感じる。

なかにし礼さんのような実体験は私にはむろん無いが、満州で敗戦を迎えシベリヤ抑留もされた父から、事細かく聞いているからだ。

 

母は、波子ほど奔放な女ではなかったが、子供への愛情深さは共通する。

だから、父不在の間に私の姉が三歳で病死した時には、身も心も張り裂ける思いだったに違いない。

 

ただ、中国の子供たちに慕われ、たびたび泊めたりしたという楽しい逸話もある。

その一人、フー・チュンメイさんが中年になって来日、どこで調べたのか、わざわざ香川まで訪ねて来た。

それは、母の死後だったのだが…。

 

父や母も眺めたはずの「赤い月」。私もいま瞠目したい。(三)

 

 


ミラクル 2005.7.6発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

映画『十戒』は、十回は見た。「出エジプト記」が題材のスペクタクル。

モーセが起こす奇跡の数々にワクワクしたものだ。中でも、紅海が真っ二つに割れるシーンは目に焼き付いた。

奇跡の人・サリバン先生とヘレンの実話も、映画や舞台で震えるほど感動した。

 

そういう壮大なものではなく、誰にも起こりうる「奇跡」を描くのが、今回の舞台だ。

この作品では、南の国に雪が降ったことよりも、少年の心の中で起きた「変化・成長」こそがミラクルだと、作者は語っている。

 

心温まるファンタジーに浸りながら、私は思う。

大病による心臓停止まで乗り越えて大人になれた軌跡こそ自分の奇跡だったと。

そして今後は、生ある限り内なる成長を続けること、それがミラクルだと…。(三)

 

 

 

 

 


冬物語 2005.5.21発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

嫉妬や猜疑心も軽いものなら愛敬ある痴話げんかですむものの、あまりに嵩じると傷害や殺人へと暴走する。

『オセロ−』は奸計に陥り愛妻を絞殺、最後に妻の潔白を悟り悲嘆の自殺にいたるという悲劇だが、今回の『冬物語』は一味違う。

 

一幕は、季節に例えれば「冬」。 親友と妃との仲を邪推する国王の愚かさ。荒野に捨てさせた赤ん坊の運命やいかに? 

そして二幕は一転して「春」。 どういうハッピーエンドになるかは観てのお楽しみだ。

 

シェイクスピア連続上演に情熱を注ぐ平さんが、今回は演出も担当。

炉端で昔話を聞くような楽しい雰囲気を創ってくれそう。

だから終演後に夫婦で飲むビールは一味違うことだろう。

ところで、「冬物語」という銘柄、まだあったっけ。

 

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煙が目にしみる 2005.4.1発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

 

大人気の加藤健一事務所が初めて徳島で実現できたのは、特別例会だったが、93年の『ランフォー・ユア・ワイフ』。

何年も要望し続けたバンビ・渡部史朗さんの執念が実った。

二人の女房を同時に持ったタクシー運転手の悲?喜劇で、まさに爆笑の渦だった。

二度目は、父娘愛が感動的な01年の『銀幕の向うに』。

 

一人芝居『審判』以来、東京では何本も観させてもらったが、裏切られたことがない。

加藤さんの体内には芝居の虫が棲んでいる。

いつも数冊の戯曲を携行、年に200300本も読むと直接聞いたとき、思わず飲む手が止まったものだ。

 

今夜も、笑って泣いてカトケンファンが増えるはず。

僕はといえば、まだ時代遅れの喫煙者なので煙は目にしみないけど、人の情が身にしみる昨今。   

 

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髪結新三 2005.1.27発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

  7年前に東京で、飲んだ後ホテルへ帰るタクシーの運転手と意気投合し、

当然初対面なのに、歌舞伎町でトコトンおごってもらったことがある。

でも僕は、「かぶき者」とか変人とかは言われたことがない。

AB型だけど、まったく善良な常識人だと思う。

 

だから江戸時代に生まれていても、異様で華美な格好や奇異な振る舞いはしなかっただろうが、

当時の最先端の演劇である歌舞伎のファンにはなっていたはずだ。

何せ、心中や仇討ち、殺人など実際にあった事件を次々と舞台に乗せるのだから面白くないはずがない。

 

今回の歌舞伎も、大岡越前が裁いたという「入り婿殺人未遂事件」に材を得た誘拐・恐喝もの。

まさにワイドショーねただ。

さあ、歌舞伎町のことは忘れて、タイムスリップした気分でたっぷり楽しもう。

 

 


長江〜乗合い船 2004.11.20発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

  

韓流ブームだとか。「冬ソナ」のヨン様だけでなく、確かに演劇界でも韓国の「勢い」を感じる。

だが、どっこい、中国を忘れちゃいけないよ。伝統演劇だけでなく、当然、映画も現代劇も盛んなのだ。

 

今回の『長江』もその代表作で、例会初登場になる。(66年には古典的名作『紅岩』があったけど)

 

別世帯が同居する「団結団地」はピンとこなくても、

開幕して数分で登場人物すべてに隣人のような親しみを覚え感情移入するだろう。

言動や心理、人間関係に彼我の違いはない。愚痴も悪口も冗談もぴったしくる。

そして、ほとんどが衝撃的な結末に涙するはずだ。

 

テーマは、「袖すり合うも他生の縁」。

私たちはこれからも、「飽きのあなた」や「冬の日なた」と呼びたいような多くの人と出会うだろう。

奇縁良縁、大歓迎。

ただ、「呉越同舟」とは無縁でありたいが。

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花よりタンゴ2004.9.4発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

7月ポスターでの次例会予告が「花よりダンゴ」と誤植。

印刷屋さんが気を利かせて?わざわざ直してくれたのだ。

誰もが子供の頃に覚えてしまった「いろはカルタ」の名作だけに、仕方なかろう。

 

「美しい花を愛でるより食欲を充たすほうがいい」という意味ゆえに、

今回の題名がダンゴでなくタンゴともじっているのは、

実利実益を求めがちな現代人への風刺が込められているのは間違いない。

 

さらに井上ひさしさんのことだから、「国益」のために侵略戦争を始めた連中への怒りも込められている、

とさえ深読みしてしまいそう。

 

それほどに、この作家の持つ「社会性・テーマ性」は鋭い。

触発されて僕は、今後も「団子よりタンゴ、パンだけでなくバラも」「戦争より平和」の精神を大事にしていこう。

※井上ひさしさんら日本の知性を代表する方々が立ち上げた「9条の会」に心から賛同し ます。世界に誇るべき憲法を守らねば。



巨 匠 2004..13発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

宇野・滝沢共演の『もう一人のヒト』。戦後民主主義の変質を描いた『グレイ・クリスマス』。

大滝・奈良岡の父娘愛『君は、いま何処に』。三度観た『アンネの日記』…。

 

会員歴37年の僕が、「舞台・オブ・ザ・イヤー」を選定するとすれば、劇団民藝公演は十指に余る。

中でも特に好みなのが、

命をかけて社会正義を貫き、人間の尊厳や自分の誇りを守る「普通の人々」を描いた作品だ。

 

それらは、怠惰と諦観を繰り返しがちな僕を叱正する。

「赤狩り」を風刺した『るつぼ』、今回の『巨匠』などが、

お前は彼らのように生きられるか?と鋭く問いかけてくるのだ。

 

そうありたいけど…と逡巡しつつ、心の中で僕は一人ごつ。

やはり…少なくても…自分を偽らないように、『私は生きたい』と。

 

 

 


雁の寺2004..9発行 徳島市民劇場機関紙「まくあい」

 

親戚の法事で、老住職の酒の相手をしたことがある。

無神論などの話がかなり弾み、二人で酔っ払った。愛すべき聖人だった。

 

だが、今日登場する少年僧・慈念にとっては、僧は憎悪の対象なのだ。

憎悪が増幅し、「僧憎」を越える事件を起こす。サスペンスタッチでスリリングな展開に目が離せない。

 

舞台には、貧困・薄幸・悲惨・鬱屈・業があふれて重く暗いが、すべての人物が印象に残る。

人間の多面性や本性が鋭く描かれているからだろう。

 

 和歌山で観て数年経つが、産み捨てた母を恋うる心や、閉鎖的で不条理な世界への怨嗟の思いが今も鮮烈だ。

今回もきっと、襖絵の雁がいっせいに飛び立つような擬音にゾクゾクし、白々しい掛け軸に目が行くだろう。

そこには、こうある。本来無一物。(三)        

 

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缶詰 徳島市民劇場機関紙04.1.22発行

 

会員の平均年齢は、いま57歳。十年前が53歳なのでちょっとだけ「高齢化」。

でも、頭と体が動く限り、芝居って一生楽しめる、とっておきの趣味だと思う。

最年長は、いちごサークルの伊澤ユキ子さん、92歳だ!

 

そして今日の『缶詰』の主役は、みんなとそう変わらない52歳。

私たちのように「観劇の楽しさ」などを味わったこともなく、がむしゃらに突っ走ってきた団塊世代の男たち。

そんな彼らが思いがけず直面する悲哀を描く。

 

状況設定はかなり悲劇的で、

クビ寸前・離婚目前・親子関係の危機も最後まで好転しないのだが、舞台はあくまで爆笑喜劇。

 

彼らはとことん滑稽で、たくましくていじらしい。

まだ会員でない夫にもっと優しくしよう、今夜だけでも…、そんな気にさせる例会だ。

 

 

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その場しのぎの男たち2003.11.26掲載 徳島市民劇場機関紙

 

たいていが大人になるにつれて歴史を好きになるが、僕も生徒のころは御多分にもれず関心不足。

先生も授業の時間不足からか、かなり端折っていたように思う。

だから今でも勉強不足で、幕末の混乱や明治政府の人間関係には詳しくない。

 

 今回の「大津事件」もそうだ。

来日したロシア皇太子を巡査が襲った程度は記憶の片隅にあったが、当時の松方内閣の動転ぶりなんて考えもしなかった。

まして、初代総理の伊藤博文の黒幕ぶりや、陸奥宗光の智恵袋ぶりなどには無知だった。

 

 青天のヘキレキ的大事件、その対応にヘキエキする面々、錯綜する人間関係を、

歴史の授業ではなく、例会ではまれな「抱腹絶倒の二時間芝居」にしてみせてくれるのだからたまらない。

 

この作品は、1月『缶詰』と「しのぎ」をけずる現代喜劇の傑作だと思う。() 

 

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