劇団俳優座機関紙「コメデイアン」 2012年4月号掲載
『桜の園』を何度か観たが、どこかの鳴り物入りの「大作」では、舞台中央に鎮座する桜の巨木が強く目を引いた。
それが他を圧し、主役かと見まがい、最後まで人物の影が薄かった。 チェーホフがチェっと言ってるような気がした。
時と所が変わって2010年秋、両国・シアターXで俳優座の新作『樫の木坂四姉妹』に出合った。
そこには、「逞しい樫の木」に負けず劣らずの、凛然とした「魂」を感じさせる女優たちが居た。 渾身の舞台だった。
かといって力みのある肩肘張ったものではなく、いかにも自然で伸びやかで、僕好みの「たおやかな空気」に満ちていた。
四姉妹「だった」65年前の幸せな家族団らんと、戦争に破壊された「その後」が語られ、
現代の三姉妹の「日常」とが描かれることで、原爆の罪悪と悲劇性、それを伝え続ける大切さが鮮明に浮かび上がったのだ。
軽やかな幕開きから余韻の残るラストまでぐいぐい引きつけられっぱなしで、終演後の酒と会話がいつもに増して弾んだ。
そして、心地よい清涼感と、重い充足感と、軽い二日酔いが残った。
数ヶ月前に、実は、制作の山崎菊雄さんが作者の堀江安夫さんから「決定稿」を受け取る現場に居合わせたことがある。
二人の親密で軽妙なやりとりの中に、強い意気込みを、僕は感じ取っていた。
いい舞台が誕生しそうだという、その時の予感が間もなく現実のものになり、
嬉々として徳島に戻った僕は、すぐに市民劇場の機関紙に思わず書いてしまったほどだ。
「こういう秀作は、全国津々浦々まで巡演するだけの価値があるが、まず、鑑賞会が例会にしなくっちゃ」って。
そんな思いが実って、今年5月以降に近畿や四国でも例会が実現する。
大塚道子さん、岩崎加根子さん、川口敦子さんの共演は、けだし見もので、一観客としても「ついに実現したのか」という感慨さえ覚える。
どこかの「仕掛け人」も、さぞかし腹の中で快哉を叫んでいるはずだ。
ベテラン三女優の中で、大塚さんとは特に近しいのだが、初対面は労演例会の『ヘッダ・ガブラー』(78年)。
その二年前の『三人姉妹』では出会い損ねたので、舞台女優としての力を見たのは、それが初。
しかし、親しく話せるようになったのは、
こまつ座『頭痛肩こり樋口一葉:』(88年)や、俳優座劇場制作の『ママの貯金』(93年)あたりかと思う。
岩崎さんとの出会いも同制作で、『検察側の証人』(85年)だった。37歳の僕に「好ましい知性美」がインプットされたものだ。
『とりあえずの死』(94年)は鮮烈な名作だった。
最年少の?川口さんが、なぜか徳島労演例会への登場は最も早く、山本圭『ハムレット』(72年)の母親ガートルード。
客席の片隅に、あの妖艶さがわかるようになった27歳・専従事務局長4年目の僕がいた。
かなり間があっての再登場は、『黄金色の夕暮』(02年)、続いて木山事務所の『出番を待ちながら』(08年)だったっけ。
こうして書くと、ちょっと劇団に申し訳ないような気分になるのだが、
「三大女優」の徳島での舞台は、他の創造団体の方が多いくらいだ。
彼女たちの劇団出演作は、定年退職後も東京で殆ど欠かさず観させてもらってるものの、
やはり四国で徳島で俳優座で、会員みんなといっしょに楽しめるのが、殊更に喜ばしい。
先に「魂を感じた」と書いたが、それはもちろん、手練れの堀江・原作に、定評ある袋正・演出に、全てのスタッフにあてはまる。
とっつきやすい大衆性・娯楽性を、確かなテーマ性が貫いた、とてもいい仕事だと思う。
いま僕の脳裏には、チェルノブイリ原発事故の三年後の例会『石棺』(89年)が蘇り、
大塚さんの「女医」や袋さんの「被曝者」が今回の姉妹たちにオーバーラップしている。
袋「チーム」というか、袋・堀江・山崎「トリオ」というか、
『足摺岬』さえ越える「入魂の舞台」を創り上げた皆さんに、賞賛と感謝の拍手を送りたい。
会員みんなが元気でお持ちしてますよ、元気で会いましょうね。そんな清澄な気持ちを込めて。