天国と地獄 ’98.9.29 徳島新聞夕刊
美しい旋律のBGMが絶えず流れている。いつも快適で、もちろん台風やダイオキシンや消費税なんてない。純白の衣装をまとった善男善女が、何の生活不安もストレスもなく心安らかに暮らしている。一方、ハスの花が浮かぶ澄みきった池の底深くには、鋭い針がビッシリと生えた山が透けて見える。その横にはドス黒い血の池。ザンバラ髪の悪人どもが鬼に追い立てられながら、針に串刺しになったり、溺れたり、果てしなき難行苦行を続ける。
こういう光景が子供のころから絵で見たり、年寄りから聞いたりした「天国と地獄」だ。
だが、黒澤明監督が描いたそれは、ひどく現世的でシニカルなものだった。中学時代に見た映画『天国と地獄』は、最高に面白かった。苦学生が富豪の息子を誘拐する話だが、間違って運転手の息子をさらう。しかし、おかまいなしに身代金を要求し、疾走する列車から投げられた大金を手にする。幼い命とカネ、人間性をめぐる鋭い葛藤が、ドラマティックに展開される。娯楽性と社会性を見事に融合した傑作だったと思う。
天国や地獄は、あの世ではなく、極端な貧富の差がはびこるこの世にこそ存在するものだ、というテーマ性が中学生の私にも新鮮で、心動かされるものが残った。こんなに見応えある映画を作った「クロサワ」というビッグネームを知ったのは、ずっと後のことだった。
高校の団体鑑賞で見た『赤ひげ』や『酔いどれ天使』は医者を志す人にお薦めだし、リバイバル上映で見て静かで深い感銘を受けた『生きる』は、すべての公務員にぜひ見て欲しいと、いまも思っている。
「数人の侍」が逮捕された徳島市役所での団体鑑賞にどうだろうか? そんな行事への助成金なら、血税が使われても多くの市民は「わが納税に悔いなし」と思うであろう。「醜聞」は白日のもとにさらしてこそ「悪い奴ほどよく眠る」なんてことが無くなる。社会良識と正義は「夢」に終わらせてほしくない。
ところで、世界に誇りうるクロサワに、政府は、予想通り「国民栄誉賞」を贈るそうだ。それを聞いて、俳優の井川比佐志さんが悲憤慷慨(ひふんこうがい)している。「黒澤さんはいつも資金繰りに苦しんでいた。何の援助もせずにいて今さら栄誉賞だなんて…」と。実際、昨年度の芸術文化振興基金による国の映画助成は、なんと2億5千万円たらずで、フランスの380億円とは雲泥、いや、天国と地獄ほどの差がある。
今いるはずの天国から黒澤さんは問いかけ続けることだろう。「日本は文化国家になったかい?」って。その答えが、いつも遺作の題名では悲しい。「まあだだよ」。