楽しきかな人生  徳島新聞『交遊録』1987年)

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会員制の演劇鑑賞会、徳島市民劇場。この会には、世俗で言う利害や打算の絡む人間関係はまったく無い。だから事務局専従になって16年、ストレスとは無縁で、常に充実していた。これは、ちょっと大まかな僕の性格もあるが、何よりも多くの素晴らしい仲間や先輩諸氏にいつも見守られ、支えられてきたからだろう。

 

四宮洋右さん(映画センター代表)を継いで事務局長になり、長く会長をされた松本淳治先生の高潔さを敬愛し、大和武生先生(委員長、富岡西教諭)には公私ともお世話になってきた。しかし、ここでは、劇団の方々との思い出に絞って粗描してみようと思う。

 

宇野重吉さんが、楽屋で横になっているのをよく見かけるようになったのは、五年ほど前からだ。好物のワカメのふりかけを一緒に探してあげた二年前の記憶も新しい。病院へ連れて行った俳優さんも数多いが、大塚道子さんが急病になり、座長格だった永井智雄さんが青くなっていたことや、40度の高熱を押して見事にハムレットを演じた山本圭さんの役者魂に感激したことなども思い出す。

 

故・中村翫右衛門さんもそうだったが、滝沢修さん、山本安英さん、鈴木光枝さん、杉村春子さんら演劇の歴史を彩る多くの方々と接し、その洒脱な人格、人間性に触れるたびに僕は嬉しくなる。そして、こういう年齢の重ね方をしたいものだといつも思う。多くの顔、マスコミで見るのとは一味違う顔があって、そんな気の置けない人柄が、僕は大好きだ。

 

交「遊」録というより、僕の場合は、交「酔う」録という方がふさわしいおつきあいが多い。お会いすれば必ず痛飲する鈴木瑞穂さんや森幹太さん、演出家の広渡常敏さん、出口典雄さんらには、僕の方がいつも介抱されているようだ。いっぱい聞けるいろんな「スター」の裏話も楽しい。「三宅さんより僕が収入多いんだから」とさらりと勘定を済ませた山本学さんも懐かしい人だ。年齢が似て性格の違う山崎菊雄さん(俳優座制作部長)とは、いつのまにか生涯の友になった。

 

交友録、限りなく続くそのページがいろいろ着色され、分厚くなっていくにつれ、僕の心は、さわやかに澄んでいく。まこと「楽しきかな人生」である。 (徳島市民劇場事務局長・三宅修)

 

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