はやりのベスト・セラーに飛びついたりする習慣はない。
職業柄、演劇の脚本や原作をわりと読むが、他には「宇宙」モノが大好き。
そんな僕にとって印象深い本の一つが、
10年ほど前に見つけたカール・セーガン博士の『コスモス』だ。
「宇宙」の歴史と広さからみて、われわれは決して特別な存在ではない。
だからもっと謙虚であるべきだし、小さな壊れやすい地球を自己破滅から守らねばならない、
という明快な科学者の視点がこの本には貫かれている。
知的欲求を満たしてくれるだけでなく、大いに共感を覚えるのだ。
果てしなく続く時空の広がりに思いをはせるとき、心身ともに浄化されるのだ。
気宇壮大になるのって、最高の健康法かもしれない。
広大な宇宙の片隅に浮かぶ地球は、愛らしくて微小な惑星だ。
こんな小さな星の上での利己的・打算的ないがみあいや、
あげくの「狂信的な民族的・宗教的・国家的排他主義」による争いは、なんて愚かで卑小なことか。
そんな著者の主張がうれしい。
また、宇宙の気の遠くなるような歴史と比べれば、ヒトの一生は「一瞬」にすぎない。まして一個人の生涯なんて…。
だから、同じ星で同時代に生きるなんて、まったく奇跡なのだ。
ちょっとのズレで恐竜と出会えなかった残念さ?はさておき、
無数のかけがえのない「出会い」を大事にしながら、僕たちは、限られた時間を「清く正しく美しく」生きたいと願う。
型にはまった石部金吉とか聖人君子ではなく「人間的」に。 歴史の逆行でなく人類進歩の方向で。
こんな素面では言えないような「真摯」な言葉も、宇宙に身をゆだねれば、テレずに口にできるのが快い。
宇宙には壮大な夢やロマンがあふれている。 謎に満ちている。
そこに迫り、そこを探るほどに人間を自分自身を見つめ直させる、巨大なパワーを持っているようだ。
「生命が一度も誕生したことのない惑星もある。私たちは幸運だった。…私たち人類の運命は、私たちの手ににぎられている」。忘れられない一節だ。 (徳島新聞夕刊・97年)
※ ジョディー・フォスター出演で映画化された「コンタクト」も面白かった!
※ カール・セーガン博士にはもっと長生きしてほしかったなぁ…