取り返しつく? 1998817 徳島新聞 

 

 

お盆になると思い出すことわざと小話がある。

 

その昔、京の深山に覆月という僧がいた。老境に入った彼の悩み、それは都へ修業に出たままめったに戻らない息子・覆水のことと、昔別れた妻との復縁問題であった。息子が帰省したのは去年の正月。でも今年のお盆にはきっと戻る、そう念じた。そして…盆も過ぎた。しかしとうとう、息子からは何の音さたもなかった。覆月が寂しそうにつぶやいた。「やはり、覆水盆に返らずか…」。

 

このことわざは正しくは、もちろん「取り返しのつかないこと」に使われる。言動には気をつけなさい、という戒めだ。だが私には、自他の失敗を大目に見る性癖があり、「取り返しのつかないことなどほとんど無い」という極楽トンボ的傾向が強い。ただし、それは一般庶民の日常生活上でのことで、政治家や企業主のとんでもない所業は笑って許すなんてできない。その最たるものが、取り返しのつかない自然や環境の破壊だ。

 

46億年という地球の歴史を語るとき、それを「一年のカレンダー」に置き換えるケースがよくある。地球誕生を1月1日午前零時とすれば、私たちの直接の祖先(新人)が登場したのは、なんと1231日の午後115954秒。まだ地球上に出現して6秒しかたっていないことになる。ごく新参者なのだ。

 

その人間が、地球の主みたいに我が物顔で好き勝手をするのは許されない。それが道理というものだ。だから、ムダなダムや、ドウカと思われる「可動堰」はやめてほしい。1千数百億円かけて長良川のようにヘドロをためるのは、見るに忍びない。

 

そんなことを思っていたら、先週うれしいニュースが飛び込んできた。京都の鴨川にフランス風の橋を架けるという「おかしな計画」が撤回されたのだ。こちらは「景観破壊」の問題だが、市議会で建設予算まで決定した後の工事断念は、ごく珍事。地元住民だけではなく、京都を愛する全国の良識や、小林旭・小松左京・鈴木健二・三浦綾子さんらの共感が、九万人を超える署名に凝集したそうだ。ただでさえ京都は、近ごろ巨大な駅ビルやホテルが景観を阻害している。53年前の戦争からもせっかく破壊を免れたのに、だ。

 

「市民の十分な理解をいただかないままの着工は、多大のマイナス影響を及ぼす」という市長談話があった。「あまりに民意とかけ離れた行政は、大きなしっぺ返しをくう」と、私には聞こえた。フランス橋と可動堰では工事費に雲泥の差があるが、一度、徳島の知事も市長も、京の都へ修業にでも行かれたらどうだろう。

 

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