シンヨウの月 20025・25 徳島新聞 

 

 

水上勉さんの小説を劇化した『瀋陽の月』という舞台がある。徳島でも「はなれゴゼおりん」や「山彦ものがたり」の演技が印象深い松山政路さんの一人芝居。中国東北部の瀋陽市(旧・奉天)で果物や野菜を売る街頭商人の役だ。

 

60代半ばか、日本人観光客に彼は関西なまりの日本語で話しかける。満蒙開拓団として両親とともに幼い頃に京都から来たこと、敗戦時の混乱で父親は行方不明に、姉弟は病死、彼と母親は親切な中国人に拾われて生き延びたこと…。老いたる「残留孤児」の痛みを秘めた話が続く。

 

その中から浮かび上がる日本の過去、という芝居だ。私の両親もその地で日本兵の一家族として暮らし、姉が三歳で病死したことを聞いているので、瀋陽でのできごとは身近に感じる。

 

日中問題は多いが、今月はさしずめ「瀋陽の月」。領事館に駆け込んできた亡命志望家族を保護しえなかったことが非難の的になっている。建物内まで追ってきた中国警官に連行を許すという体たらく。必死で門扉にすがる女性の姿や、警官の帽子を拾ってあげる領事館員のおっとりした姿が繰り返し放映されている。誰が見てもこれは「暴漢強襲」でなく「拱手傍観」だ。

 

血のにじむような嘆願書を受け取りながら「英文が読めないから返した」とは噴飯もの。情がないし、情けない。本当に英語が分からなくても、後で翻訳くらいすぐできるはず。在外公館の職員はすべて、あらためて基礎英語を学び、「センポ・スギハァラ」を知り、ことわざ(窮鳥懐に入れば猟師も殺さず)を身に付けてよ、と皮肉りたくもなる。

 

亡命というのは文字通り命がけの行為で、よほどの決意だろう。そういうケースは政治的な宣伝に利用することなく、人権問題として人道的に柔軟に迅速に処理することが肝要。家族五人の韓国入りは喜ばしい。

 

もっともビデオに映っている副領事だけを責めるのは酷かもしれない。なにせ、軍人のような名前の上司が事件の数時間前にも「事情不明な来館者は追い返せ」と訓示しているし、難民や亡命者は受け入れないというのが「国策」なんだから。わが国の難民受け入れ数は年間20人ほどで、西側諸国の1万〜2万人とはケタが違う。

 

最近あれこれと世界から白い目で見られる「日出ずる国」は、経済も外交も落日の体で悔しい。恥辱外交の舞台となった瀋陽が、かつて「落陽」と呼ばれていたとも知り苦笑した。外務省製作だと、感動の舞台『瀋陽の月』も「シンヨウ落として運の月」になるかも…。沈んだ日よ早く昇れ。

 

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